夜のテレビ番組で超能力の「スプーン曲げ」の紹介がありました。そういう番組は好きなのでテレビを見ながらスプーンを持ってきて真似をします。これまでも同じような番組を見ながら家族皆で何度も挑戦したことがありましたが、スプーンには変化の起きた試しはありませんでした。しかし今回、私が不思議にスプーンが柔らかいなと思いつつ、「フニュッ」という感じで曲げてしまいました。残りの家族は全くだめでした。私に超能力のあるのかしら。それとも水泳を続けているので単に「バカヂカラ」がついたのか。左がその証拠写真です。もったいないので他のスプーンでは試してはいません。
私の田舎長野県須坂市の「臥龍公園」公園という近隣ではちょっと有名な公園があります。2つの山と池と動物園やら運動公園やらの複合した公園で、山の形が「臥せた龍」に似ているところから「臥龍公園」と命名されています。竜が臥せる姿など誰もしらないのですが・・・。
私の通っていた小学校がその公園のすぐ近くにあったことから小さい頃からそこでよく遊びました。池は「龍が池」といって、結構大きくてボートを楽しめますし、冬は数え切れないほどのカモ(だと思います)が渡ってきます。実は今年はその「龍が池」ができてから70周年の年だそうです。
須坂市は昭和の初め頃まで製糸産業が非常に盛んでした。そのなごりで市内には多くの蔵が残っていて観光スポットになっています。今は大分廃れましたが製糸産業盛んな頃は料亭があったり、「芸者さん」がいたりで結構な羽振りだったようです。母の実家が「すき焼料理屋」だったのでその頃の話を聞くことがあります。
その製糸産業は世界恐慌の影響で大打撃を受けました。町には職を失った人が数多くいたようです。その失業者に職を与えるためにに考えられたのが、臥龍山の麓に「池」を掘って大規模な公園を作ろうと言う案でした。それが今の「龍が池」が出来た理由なのだそうです。
当時は機械などほとんどない時代ですから「手堀り」だったそうです(失業対策事業ですからできるだけ多くの人が働ける「手掘り」が良かったのでしょう)。関係者の大変な苦労の末に大きな池が完成しました。池の中央には東西を結ぶ100m位の橋が架けられました。池の南部分には小さな島が築かれ弁天様を祀っており、その弁天島と池の岸とは10mくらいの赤く塗られた橋で結ばれています。池の岸には多くの桜が植えられました。また池の周りの10軒ほどの茶店が開店しました。春は花見で相当賑わいます。夏には花火大会がありました。冬は張り詰めた氷の上でスケートが楽しめました(今は禁止のようですが)。
昔の人は素晴らしい事を考えたものだと思います。自分の時代の人々だけでなく、将来の子孫達にも大きな贈り物となっています。郷土の先輩に脱帽です。
8月12日から長野県須坂市の田舎に帰省して今日さいたまに戻ってきました。3日間という短い期間でしたがお墓まいりや親戚への挨拶の義理を果たす一方朝夕の涼しくて澄んだ空気に触れてリフレッシュしました。
夏の帰省は丁度「終戦記念日」近辺になるので晩御飯のひと時、母から戦争時代の昔話を聞き出すようにしています。今回は妻の父からも昔話を聞くことができました。母は今「ほたる」を読んでるところでした。特攻隊員の世話をしてきた旅館(食堂)の女将さんの話です。本の最初のところに収録されている写真が実にリアルに話の筋を想像させます。
実は母の弟(私の叔父)が海軍飛行予科練習生として土浦の海軍航空隊に行っていて、戦争がもう少し続いていたら特別攻撃隊として出撃していたところだったのだそうです。その辺の詳しい話は叔父からは聞いたことがありませんがその頃の写真が少し田舎に残っています。私の長男も今年18歳で丁度予科練にいった頃の叔父と同じ年になっています。
長野から埼玉へ帰り道に珍しい動物に遭いました。須坂市から国道403号線(国道と行っても急で狭い山道が続きます)で菅平高原を抜けて、小諸・佐久を抜けて「下仁田」から高速長野道にはいるのが渋滞を避けるコツなのです。夏の軽井沢には観光客が大勢押しかけるのでそこを避けるのがポイントです。菅平への登り口の道に「日本カモシカ」いました。動物園でも近くでは見ることができない「日本カモシカ」が車のすぐ近くにいました。よく見ようとスピードを落としたところ後からきたトラックに大分迷惑をかけてしまいました。長野県にはまだ自然が残っているのです。
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