つい読みたくなるタイトルなんて思いつかない


2008年06月30日(月)  6月はいろいろあった

また一つ歳を取ったコト。

好きだった作家の氷室冴子が亡くなったコト。

おかんが辺縁系脳炎で倒れて入院しているコト。

父方のばーちゃんが脳梗塞で倒れて入院しているコト。

母方のばーちゃんが体調を崩したコト。

月が変わったらその反動ですごく幸せになれたらいいのにな。





2008年06月22日(日)  今度はバーちゃんが脳梗塞に

20日、父方のばーちゃんが脳梗塞になった。

現在は意識があり、口にマヒは少しあるが会話もできるとのこと。

うちはおかんの看護で精一杯で、叔母ちゃんに任せることにしたのだが

その叔母ちゃんが足を骨折して、それでも病院に世話に行っているそうだ。

一週間か二週間で退院できるとのこと。


金曜は有休を取って週末3日間おかんの看護と家の雑用に時間を

費やした。ステロイドの点滴は終了し、飲み薬になった。

この前ほどの興奮状態にはならないが、夜はやはり不安定にはなる。

記憶障害はほんの少しよくなったかなー程度。ほとんど変わらない。

一人で日常生活をできるレベルではない。

食事はすべて完食し、間食も欲しがる。量が足りないのか食べたという

記憶がなくなるのか分からないが、与えれば与えるだけ食べるので

気をつけなくてはならない。

今日から付添があるなら病室から出て病院内を散歩することを許可

してくれた。

2週間以上寝て過ごしたからか、足元がおぼつかない。

自然に腕を組んでくる。

彼女でも人前で腕を組まれたら恥ずかしかったのに、こんな状況だからか

親と腕を組むことがとても自然なことに感じた。

親孝行に少しでもなっているのかな?

散々迷惑をかけてきたから、死なれて何もできなくて後悔するよりも

今こうしていることは幸せなんだと思う。





2008年06月20日(金)  ステロイドの副作用

この2日くらいは内容によっては記憶が10分程度残ることがあった。

しかし大半はすぐ忘れる。

考える力は以前よりついてきた。集中力は相変わらずない。散漫。

過去の記憶も物事によって20年前ほどで止まっていたり、

5年前ほどで止まっていたり一貫性はない。

今日は18:30〜25:30の間、俺が付き添っていた。

トイレに行ったことを忘れるのか頻繁にトイレに行きたいという。

というか勝手にベッドを下りて行こうとするので困る。

病室を出てもどこがトイレか分からず徘徊するしまつ。

ステロイドの副作用なのか深夜に起きた時は精神が興奮し

とにかく怒る。

ここが病院なのは分かっていないし、あんたとは一緒に住んでいないと

言って怒る。なんで入院せないかんのと怒る。倒れたことを説明すると

なんで倒れないかんのと怒る。

理屈は通じない。

今日、おかんの職場の人が6人ほどお見舞いに来てくれたらしい。

俺としては会わさないほうが良いと思うのだが、急に来たので

親父も全員と会わせたとのこと。

話をするのは比較的普通に見えるが、記憶は残らないし、来てくれた

人の顔を覚えていても、名前は出てこなかったらしい。

おそらく他人から見たら、すごく痛々しく見えるのだろうな。


高校時代の友達の話を聞いてみた。

仲が良かった3人の友達のうち2人はフルネームで出てきた。

ただし、旧姓で。

もう一人の名前だけ出てこなかった。

先週亡くなった人だ。

なんとなく感じるものがあるのかなと思った。

もちろん亡くなったことは言っていない。


俺との記憶は大学生時代で止まっているようだ。

県外で一人暮らしをしていたので、起きた時俺がいると

その県だと思うみたい。

自分が60年近く住んでいる県にいるというのに。


明日は甲状腺の検査があるが、親父が仕事で付き添えないため

俺が仕事を休んで付き添うことにした。


病院が敷地内禁煙なので、おかんが眠った時、外に吸いに行っている。

同じような人が何人かいる。ひどく物悲しい風景だ。

救急の入り口で、女子大生っぽい子が泥酔して友達に介抱されていた。

よりによってこんなとこでと思った。

でも俺も救急の入り口ではないけど、大学生時代は泥酔して道とか

寝転んだりしていたな、そういや。友達、先輩、後輩に迷惑をかけた。

6月、7月あたりに大学のサークル同期の同窓会をしようと思っていたが

できそうにない。

長期的なことを考えることは、今必要なことではなくて、

目の前の一日一日をなんとかしていくこと。

もちろん短期間で一喜一憂してちゃだめだ。





2008年06月17日(火)  おかんの病気13日目

月曜日、先生から今後の治療方針について説明を受けた。

病名は辺縁系脳炎。ヘルペスの治療をしたが効果がないため、おそらく

非ヘルペス性だろうとのこと。だが相変わらず原因は特定できない。

とりあえず今後はこのまま様子を見るか、ステロイド投薬のパルス療法

をするか、どちらかとのこと。

ステロイド投薬は様々な副作用の可能性があるが、先生の話してくれた

印象だとリスクはそれほど高くないものだと思えた。もちろん人間それ

ぞれなので一概には言えないわけだが。


一晩家族で考えてステロイド投薬をしてもらうことにした。


おかんは今の病院に移ってけいれんもなく、病院の事情もあって

ICUから一般病棟に移った。個室のため室料は高い。

日7,000円以上かかる。詳しい計算はしていないが食事代と合わせて

月25万くらいか。これは保険対象外だから実費で払わなければならないん

だろう。

それと今高額医療費の返還について調べているが、同一病院だけでも

9万近い出費になりそう。合わせて月35万くらいが飛ぶ計算だ。

短期に治るとは思えないので、治っても後遺症が残る可能性が大きいし

金銭的なことも大変になるだろうとは思う。






2008年06月15日(日)  ばーちゃんの米寿とおかんの病状

母方の祖母が明日米寿を迎える。88歳。

最近は体中が痛み、一日寝ている日もあるようになった。

調子のいい日は散歩したり、簡単な野良仕事もしたりする。

今日は一日早いがお祝いをしたそうだ。

うちの家族はこんなときなので気を使って呼んでくれなかった。

夜、叔母ちゃんが御膳を持ってきてくれた。

ばーちゃんには、おかんのことは言っていない。

あの歳で、大きなストレスになるような話はしない方がいいと思う。



今日は一日家のことをしてすごした。

洗濯、掃除、簡単な料理、俺良いダンナになりそうだぞ。

相手はいないけどw


夜はおかんの面会に行った。

また昨日よりは少し受け答えが良くなっていた。

けいれんもなく、熱も微熱、点滴は抜いていない。

昼は自分で御飯も食べたそうだ。

俺らの名前は言えた。自分の兄弟の名前、自分の両親の名前も言えた。

俺らがそういった普通の人なら当たり前に言えることを聞くので、

自分の状態がそんなに悪いのかと不安になっている様子はあった。

ただ・・・何度も同じ質問をするのは変わらない。

今いる場所、俺らの状況を何度も聞いてきた。

1分前の記憶も残っていない。

帰り際、看護師さんに話を聞いている時は、雑誌を読んでいた。

明日老眼鏡を持っていこうと思った。

このまま少しずつでもいいから回復していってくれたらと思うのだが

けいれんがまた起きて、命にかかわる状態になることもあること、

退院したとしても記憶障害などの後遺症は残った状態になるかもしれな

いこと、

いろいろなケースがあることを考え、対処できるようにしよう。

ここ何日かは泣いていない。

辛くて泣くことのない毎日って、とっても幸せなことだと思う。





2008年06月14日(土)  お葬式

おかんの友達のお葬式に親父が出るというので車で連れて行った。

乳がんを3年前に患い手術をしたが、再発、転移したということだった。

57歳。今の日本では若すぎる死だ。

高校時代の仲良し4人グループだそうで、それぞれが結婚して家庭を

持っても、一年に一回泊まりがけで遊びに行っていた。

ここ数年は無理みたいだったが。

もうその4人で旅行することはできない。


夜は面会に病院に行った。

前の病院とは違い、回数も時間も制限されるので集中治療室に入る時は

とてもドキドキする。言葉は悪いが学生時代の合否判定が出る時みたい

に。

実際会ってみると病状はたいして変わらないかんじだった。

昨日より若干反応は良かったが、相変わらずついさっきしゃべったこと

を忘れている。当然昨日のことは覚えていない。

同じ発言、同じ質問を十何回と続けた。記憶障害。

主に何度も言った内容は

「(周りの物の)色が今は見えるようになってきた。」

「足の先からキュッと(記憶や意識が)入ってくる。」

「商品(周りの医療器具のことらしい)といっしょに私もパチッと

 消えていた。」

「なかなか見舞いに来てくれないなあと思っていた。今日初めて来てく

 れた。」(一日も欠かさず来てるっちゅうねん(笑))

俺と弟の名前は言えた。お父さんは来てないの?と聞かれた。

グーチョキパーはできた。手をぎゅっと握ってというとできた。

ある程度話をしていると、急に何かに気を取られたり、ぼーっとしたり

することが何度かあった。これは今までもよくあった。

昨日言っていた「夢ばかり見てるんや」は言わなかった。

看護師さんによるとけいれんはないそうだが、また暴れて点滴を抜いたら

しい。もう何度と点滴を抜いては刺してをしている。

血管はボロボロじゃないのだろうか・・・

意識レベルにはやはり波があるらしい。会った時は良い方だろう。

定期的に病状の連絡とかがないので、その旨を聞いてみると

基本的に生命が危なくなったり身内に説得してもらわなければ

いけない事態にならない限り連絡はしてくれないとのこと。

面会に来た時に状況を聞くしかなさそうだ。

熱は37度前後の微熱が続いているそう。

あまり長時間いても疲れさせるので、30分(普通はもっと時間制限される)

で切り上げた。


帰りに自分たちが食べる食材をスーパーに買いに行った。

普段そんな買い物をしないので安いのか高いのかも分からない。

昼にうどんダシを作ったのだがどのくらいいりこやカツオブシを入れる

のか、どのタイミングで入れるのか、火を消すのはどのくらい経ってか

らか、とホントなんも分かっていない。料理の勉強も必要だ。

洗濯、風呂の掃除、食器洗い。今までしようとも思わなかった作業を

今は気がついたらすぐするようになった。

お金がこれからたくさん必要なので、パチンコは辞めた。

夜すぐ動けるように酒は基本的に辞めている。

タバコも止めようかなと思っている。

はやく1,000円にでも値上げしないかな。さすがに辞める努力をすると

思うし。

明日は一日家の掃除をしようと思う。





2008年06月13日(金)  おかんが倒れて9日目

12日に、初め入院した病院から別の病院に移った。

結局CT、2度のMRIでも原因は分からず、さじを投げられた。

医者は説明もろくにできないし、親身に患者のことを考えてなどくれず

対応は最悪だったし、設備が古くこんなので大丈夫なのかと素人目にも

思った。看護師さんは親身に看護してくれて好感がもてたが、夜勤など

は明らかに人数が少な過ぎるし。(ナースコールしても5分たってもこ

ないとか普通)

病院を変わると連絡を受けた時はむしろ良かったと思った。

この病院は終わってる。

次に行った病院は設備も先生も看護師さんの人数も全然良い。

移ってすぐMRIを撮った結果、脳の海馬に異常が発見された。

いままで散々検査して異常を見つけられなかったヤブ医者に

憤りを覚えた。

記憶障害などがひどいので検査結果には納得できた。

しかし、脳炎には違いないが現状では確実にこれだという病名は分か

らないとのこと。治療するにしても副作用が怖いので、もう少し様子

を見て治療方針を絞り込むことしかできないとのこと。

今度の担当の先生は的確な説明をしてくれる。

家族としてもありがたい。

ただ、ここの集中治療室は付添することはできないので、

一日に10分くらいの面会しかできなくなった。

前の時は親父、弟、俺、親戚のおばちゃんが交代で24時間ついていた

が、それはできない。

でも、病院を信頼してまかせるしかない。少なくとも前よりは期待が

できる。

今日面会したら熱はだいぶ下がっていた。けいれんも今のところない

らしい。俺の名前は答えられなかったが。

今後どうなるか分からない。もしかしたら家には帰ってこられないかも

しれないし、もし帰ってこられても後遺症がひどいかもしれない。

ただ、今できることをするだけだし、今の病院のほうがどういう結果で

も前よりは納得できると思う。

家に帰って、おかんの学生時代からの友達が癌で亡くなったと連絡があ

った。

人はいつどうなるかわからんし、家族のことも自分のことも、

やらないで後悔するよりは、やろうと思った。





2008年06月10日(火)  おかんの病気6日目

仕事を15時で早退。16時に病院へ。

おかんの状態は日に日に悪くなっている。

まともな会話は、ほとんどできなくなった。

17時くらいにMRIの検査へ。反応が顕著に出る薬を投与しての検査。

しかし、今回も原因は特定できない。

データでは正常なんですと先生は言う。

明日髄液の検査結果が出るが、正直期待はできない。

無理やり点滴を外そうとする行動は減ってきたが、

起きているうちは何かを触ろうとする。

今日はタオルを渡すと何回もたたんでいた。

テレビのリモコンを見て、書いてあるチャンネルという単語を

「ちゃんねる!」というので

「そうや、ちゃんと読めるやん」と言った。

子供に帰っているみたい。

何をしてあげた時か忘れたけど、その時、おかんが

「サンキュ、サンキュ」と言った。

おかんが元気だった時の家族へのお礼の言い方。

おかんはやっぱおかんなんだ。

我慢していたけど、病室で泣いてしまった。

こらえようと頑張ったけどダメだった。





2008年06月09日(月)  おかんの病気五日目

昨日の夜は大変だった。

意識障害、記憶障害がひどい。

点滴は外そうとする。

暴れる。

俺のことを誰か分かっていない。

「俺は誰な?」と聞くと「わからん・・・」

夜中の1時まで見ていて、別室でウトウト寝ていたら3時に暴れていると

看護師さんに起こされ、その後5時にまた起こされた。

鎮静剤も打った。精神科で使う即効性のやつは点滴から入れると

5秒か10秒くらいだろうか?すぐ意識がなくなった。

どうしようもなかったので助かったが、そんなすぐ効くのが

すごく恐かった。

集中治療室はやはり重度の患者さんが多く、俺が泊まった夜も

一人が亡くなった。

別世界に来たみたいだ。だが現実だ。

おかんは今日も意識障害、記憶障害がひどかった。

10時頃見るのを親父と変わった。

昼に集中治療室から一般病棟に移された。

状態が良いからではない。もっと重度の患者が来るため部屋を開けて

くれということだ。

14時から18時くらいまで再度俺が付き添い。

ろくに寝ていないのも手伝って俺は最後の方精神的に壊れかけていた。

今どこにいるか、今何日か、自分の生年月日、自分の下の名前、

それらが出てこないことが何度もあるし、

ここがどこか説明しても、その1分後にまたここはどこかと聞いて

くる。「ごはんは、磨いたんな?」とか言葉の障害も多い。

こういうことが続くと認知症の介護をしている人が疲れて殺すとか

心中するとかなるのだろうなと思った。

今日はMRIをまたやったが原因は分からない。

今までの検査でどこか悪いデータはないんですか?と先生に聞いたが

正常なデータしか出ないそうだ。

ただ脳波は起きている時と寝ている時の中間くらいのデータが続く

らしく、正常に起きている状態ではないみたい。

けいれんは薬の投与で抑えているが、あれほど意識障害がでているのに

は原因があると思うのだが・・・

鎮静剤や他の薬の副作用なのかもしれない。。。

俺は認知症なんじゃないかと思って聞いたが、こんな急に出ることは

ないから認知症ではないと言われた。

この担当の先生は、今までこういった症例を見たことが無いといった。

その先生の経験が浅いだけなのか、

それともかなり特殊な状況なのか・・・

ただ、こういう状態が続いていくと後遺症は恐いということだった。

今日の夜は親父が見る。

20時、おかんは寝ていた。親父が言うに、俺がいないときに、

「○○(俺)はまだ結婚してないんな?」と聞いてきたそうだ。

最近は「早く結婚しろ」と言わなくなったが、

気にしていたんだなと思った。

泣きそうになったが、涙はこらえた。





2008年06月08日(日)  おかんの病気四日目

7:30起床。

しっかり寝れた。

8時半に病院に。おかんは起きていた。

発作はなかったそうだ。

しかし昨日の夕方ほど意識は、はっきりしていない。

付添を親父と交代する。

その後、受け答えもましになってきたので安心したのだが

ちょっと寝て起きた10:30くらいに

「ここはどこ?」と聞く。あせった。

説明するとふんふんとうなずくが分かっているのだろうか

昨日おばちゃんが来たやろ?と聞くと覚えていないという。

記憶の障害はまだ続いているみたいだ。

昼はリンゴを一かけらだけ食べた。食欲は相変わらずない。

付き添って起こった出来事はノートに記して親父、弟と

回し読みすることになっている。ちょっとした何かがあるたびに

書く。

15時前、親父と弟が来た。親父はその後夜勤に行き、弟に付き添って

もらう。いったん家に帰った。洗濯物を取り込んでたたみ、

風呂の用意、犬の散歩をする。

夜は俺が泊まりでつくことにしているのでもう少ししたら病院に

行こうと思う。





2008年06月07日(土)  おかんの病気三日目

0:30前後に眠ったのだと思う。

しかし1:10に親父に起こされる。病院からすぐ来てくれと連絡が

あったらしい。俺は眠るために酒を飲んでいたので親父の運転で

病院に。

到着するとおかんは寝ていたがベッドに血が飛び散り床にも飛んでいた。

今日だけはと親父が帰り際に拘束具を解いてもらっていたらしい。

そして点滴を無理やりのけて、こうなったとのこと。

先生が今後の治療方法(親父に聞いたのとおおまかな内容は同じ)説明

してくれるが、この先生説明がメチャクチャ下手で、知識も怪しい。

その治療方法をネットでかじっただけの素人(俺ら)が少し突っ込んだ

だけで、しどろもどろ。

またしゃべり方というか使う単語というか人をイラつかせる天才。

(元からそのー、えー、なんというか、こうわがままなんですか?とか)

それと点滴を抜いて暴れた(ベッドから降りようとする、体を触ろう

としたり押さえようとしたら抵抗する)のがよほど気に入らなかった

らしく、こっちが治療してあげているのに、本人が病気を治す気ないなら

帰ってもらっていいですよ。本人がそう言うなら病院も止められないし

家族が治療を希望してもダメですよと。

ヒドイ意識障害なのに、冷静な判断をできるはずがないだろ。

要はめんどくさい患者だから退院してほしいってことなんだろうな。

親父は元々良い印象を持っていないし、ケンカ腰になってくる。

ここでもめてもしょうがないので、なだめた。

結局、昨日話のあったらしい「誰か身内が近くにいて責任をすべて

そちらでみるなら、拘束具を解いても良い」ってことでまとまった。

確かに病院側からしたら、そういう対応が当然だと思う。

しょうがないと思う。

でも人を拘束するということは、やはりかなりの抵抗があるわけで

もう少し家族の気分を逆なでしないような話の持って行き方があると

思う。

親父が朝までいるというので一旦俺は家に送ってもらい、親父は

病院に戻った。

家に帰ったが神経が尖っているのだろう。寝れない。

結局睡眠時間は30分くらい。

朝6:00に弟を病院に送っていく。親父と交代してもらうためだ。

親父は病院からだと車で50分くらいの所が職場なので、

ろくに寝ていないことを考えると自分で運転させるのが怖かったので

俺が仕事に行くついでに送っていくことに。

仕事は昼で帰らせてもらえたので、家に帰って寝ようと思ったが

眠れないので病院に行くことに。

おかんは起きていた。親戚のおばちゃんも来てくれている。

意識はだいぶんしっかりしていた。

ちょっと安心した。

その後、親父を迎えに行き病院に連れていく。

今日も親父に夜は見てもらうことに。

夕方になるとおかんの意識はさらにしっかりしてきた。

救急車に乗ったことや暴れていたことなどは覚えてないらしい。

自分の状態については理解できたようだ。

弟を乗せて家に帰る。途中メシを食った。

精神的に楽になったからか全部食べられた。

明日の朝からは俺がついておく。

大変だが、できるだけ24時間誰かがついておく。

今日は発作がなかったが、原因がはっきりした治療をしてる

わけではないため、まだまだ油断はできない。

携帯が鳴るとドキドキするのは治らない。





2008年06月06日(金)  おかんの病気二日目

5:50目が覚めた。

いつもだとこの時間ならまた寝るが、眠れないので起きた。

一階に下りると、親父が電話を切ったところだった。

5:47に電話がありまた発作が起きてそのあと暴れているとのこと。

体を拘束することの許可と鎮静剤の投与の許可で連絡があったと。

その後眠ったようだ。

俺は昨日干していた洗濯物の取り込みと、新たに洗濯し干し、

犬の散歩に。ゴミが溜まっていたのでゴミ捨ても。

普段は犬の散歩は親父、その他はおかんがしてくれていた。

親父が仕事休みなので今日は出勤することに。

会社に出ると社長が無理する必要はないと言ってくれたが

今後もっと迷惑をかけるかも知れないので来れる時は来ると返した。

昼に親父に連絡すると親戚の叔母ちゃんが来てくれたので、

昨日初めに行った病院に支払いに行っているとのこと。

今は眠っているとのこと。

昼からも仕事をする。

何かのドラマか小説かで、電話が鳴るとビクッとするってのがあったが

俺も携帯が鳴りませんようにと祈っていた。問題ないなら連絡はない

だろうからだ。

途中、事務の子と二人になったのでいろいろ話した。

この子はお父さんを早くに亡くしているため、集中治療室の話や

救急車の話などをどうだったか聞いてみた。

今でもその対応には納得いってないらしかった。

隊員の人や先生、看護師さんも良い人に当たるか、そうでないか

いろいろあると思う。同じ人間ではないのだから。

特に何も連絡がなく定時を迎える。

親父に連絡すると19時頃には戻るとのこと。

今は寝ているらしい。

家に帰って犬の散歩、洗濯物の取り込み。あと掃除を少し。

いつも遅い弟も今日は早く帰ってきた。

その後親父が帰ってきて状態を聞いた。

実は朝の10:30くらいにまた暴れたらしい。その後鎮静剤で眠った。

何の病気かは、今も分からないらしい。ただ髄膜炎、脳炎の可能性

があり先行してそれに効く薬を投与し、検査用に骨髄を取って

何日後かにまた取って比較するとか。

ハッキリ分らないのに対処するのはどうかと思ったが

このまま何もしないでいても良くなるとは思えないし納得する。

また鎮静剤もいろいろ種類があって、効果が強いものや弱いもの

副作用があるもの、ないもの。それらの中からある程度効いて

副作用も少なめのものにしたとか。

とにかく、けいれんと意識障害が無くなってほしい。

今後のことについて3人でいろいろ話した。

家事全般は俺と弟がすることに。

といっても今は弟のほうが俺より仕事が忙しいので、基本的に

俺がしようと思う。

親父はできるだけおかんのそばについていてやりたいという。

誰か人がついていれば拘束しないでも構わないと言われたそうだ。

しかし何か起こっても責任はこちら持ちという条件で。

おかんは意識が戻る時は暴れるなどの意識障害を起こした記憶は

ないらしく、不平不満をぶちまけているそうだ。

こんつめて看病して自分が倒れるほうがダメだぞと親父に言うが

泣きながら自分よりおかんのほうが大事だというので、この1週間

は好きなようにさせようと思う。

明日は俺と親父が仕事なので弟に見てもらうことに。

日曜日は俺が見ようと思う。

食事が喉を通らない。

今日は昼にパン1個。夜にハム3枚とパン1個しか食べられなかった。

2日で2キロ痩せた。

眠れそうにないのでビールを買ってきた。

明日も早いので寝ることにする。





2008年06月05日(木)  おかんが倒れた

朝7:30くらい、弟に叩き起こされた。

台所でおかんが倒れている。痙攣したあと意識が朦朧としている

と親父。救急車は呼んでいるの到着を待つ。

呼びかけてもちゃんとした反応はない。

救急車が来て親父と弟が一緒にのっていった。

俺はとりあえず病院到着後連絡をもらうとこに。

20分後くらいに連絡があって、病院に行くと意識はある程度戻っていた。

初めは生年月日も言えなかったらしいが受け答えはできるようになって

いた。CTやMRIでも全く異常はないらしい。ただMRI検査中に

嫌がって体を動かしまくるので鎮静剤は打ったとのこと。

とりあえず様子見してくださいとのことで一旦家に連れて帰る。

俺は知らなかったのだが、なんでも昨日足の静脈瘤の手術をしたとの

こと。その影響かと先生に聞いたが、それはないとのこと。

救急から帰って、その静脈瘤の手術をした病院に親父が連れて行く。

俺は今日一日仕事を休むことに。親父も休みを取った。

おかんにも当然仕事を休ませ(仕事に行くと言ってきかなかったが

やめさせた)昼から寝ていたが、15:30にまた発作的なけいれん。

仮眠を取っていたのだが、親父の叫び声で一階に下りていく。

けいれんしていたが、少ししたら治まった。もともと寝ていたので

意識は虚ろ。とりあえず様子見。

その後、夕方起きた。飯を食うように言うが何も食べようとしない。

おかんが好きな杏仁豆腐を買ってきていたのだが、食べろというと

杏仁豆腐って何?と聞き返す。記憶障害みたいのものなのか?不安に

なる。

その後、風呂に入ると言ってきかないので、少しだけ入らせる。

でたあとは台所で少しぼーっとしていたみたいだが、また寝たらしい。

20:30一階から親父の叫び声がまた。すぐ降りていくとけいれんして

いる。半分白目で口から泡をふいている。これはだめだ。

俺が見ながら親父に救急車を呼ぶよう指示。しかし、親父は119がでて

こない。119や!と叫ぶと親父も分かってくれた。

おかんを親父に見るように言って弟に連絡。もうすこしで家に着くころ

らしい。すぐ帰ってくるように言って、外にでて救急車の誘導待機。

今日二回目の救急車が来た。

俺自体かなり久々の救急車。救急隊員の人はやはりいい意味なんだろう

落ち着いている。もっと迅速に動いて、さっさと連絡入れて、病院に

運んでくれと思うが、言わないでおいた。それがベストなんだろう。

いらついたがそう信じたい。

朝行った病院をお願いしたがいっぱいとのこと、次の希望もダメ。

次の希望もダメ。

これがたらいまわしって問題になっていることなのか。

しょうがないので親父は嫌っている病院にする。時間が優先だからと

納得させる。

その後救急車の中で意識が戻るが、こんどは暴れ出す。

俺も親父もしっかり認識していない。

帰る、帰るばかり連呼し、俺が抱きかかえようとすると押しのける。

どうしてしまったんや。

救急隊員の人含め3人でなだめたり、体を押さえて、なんとか

病院に。

CTの検査をしてもらうが、そこでもやはり暴れたとのこと。

その後、集中治療室に運ばれる。

集中治療室ってドラマの中の世界しか知らなかったぜ。

1時間後容態が落ち着く。正常な意識も戻り、といっても記憶が

すごくあやふやだが。明日の仕事のことばかりを気にするので

誰に連絡したらいいんだと聞いてもその人の名前が出てこない。

今回の病院でもCTには異常なし。脳の異常や出血も見られない。

なにが原因なのかはっきりしないので、めちゃくちゃ落ち着かない。

ただ思ったのは短期的に治るようには思えないし、もしかしたら

若年性のアルツハイマーや痴ほう症とかそういうものなのかもしれ

ない。

本人は帰ると言ってきかなかったが、なんとかなだめて集中治療室

を後にした。

明日も神経科や脳外科などの検査や診察を受けることになるらしい。

どちらかというと還暦を迎えた親父のことが心配だったがおかんが

こういうことになるとは・・・

俺がしっかりしなければならない。





2008年06月03日(火)  モンバスどうすっぺ

四国最大の夏フェス。モンスターバッシュ。

ここ3年ほど一緒に行く相手がいない&その時期仕事が忙しい

(休日出勤もの)ということもあって行ってないのだが、

今年はどうしようかと悩んでいる。

チャットモンチーもゴーゴーも出演するしなぁ。

もう少し(自分の)状況がどう変わるか待ってみるか。


社長がウェッジウッドのビアマグをくれる。

バカラのウィスキーグラスの方が良かったなぁなんて

嫌なこと考えちまったがありがたく頂く。

そういや社長の結婚祝いを事務の子と相談していて

初めエルメスのペアカップにしようかと思っていたのだが

エルメスのデザインださくない?って意見で一致して

ウェッジウッドにしたのだが、もしウェッジウッド好きなら

被るんじゃね?とか思った。

もう注文したのかなぁ。Iさんに確認しなきゃな。






2008年06月02日(月)  またひとつ歳を取った

今日は仕事が久々の現場で朝はいつもより2時間早く起きた。

そして、雨に降られて濡れながらの仕事となった。

仕事中は同僚のOさんのテンパり具合に苦笑しながら

イライラしながら自分の性格の悪さに自己嫌悪した。

帰りの車中で最近結婚が決まった社長の

「女ってのはそんなもんだよ」って分かった風な発言に

納得しながらも、ムカついた。

年金とかガソリン値上がりとか自分の今の地位とか年収とか

将来とか生きる意味とか・・・無駄に考えて落ちた。

仕事が終わって、なんかすぐ家に帰りたくはなくて

パチンコに行って2万負けた。

家に帰ったらサッカー日本代表の試合が今日だと気付いて

パチンコなんてしないでそのまま帰ってきたらと悔やんだ。

自分から終わらせておきながら、サヤは連絡してこないなぁと

自分勝手に思った。

久々に酒をたくさん飲んだ。

おかんがバーバリーのベルトをくれた。

バーバリー嫌いだし、穴を自分で開けるベルトだったのでめんどく

さいし、短いので俺のウエストではデザイン的にどうなん?とか

思ったけど・・・ありがとう。

けっして誇れる人生では無いなと思う。

雨がすごく降っている。

また歳をひとつ取った。

くだらない人間だけど生きていく。





 < 過去  INDEX  未来 >


チェノ [MAIL] [BLOG]
エンピツ投票ボタン
My追加はこちらを!
$lastyear