ゼロの視点
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2009年07月18日(土) バカンス後半

 ロシュフォールを基点に、オルロン島日帰り半日ドライブなどをしたあとは、一路La Bauleの別荘へGO。 7月8月は、この別荘は貸しにだされているのだが、本日からの2週間、借りてがみつからなかったこともあり、私たちが利用できることに♪。

 確かにこの時期、観光客で溢れかえっているので、6月や9月のほうがのんびりできていいのだが、とはいえ、観光客がたくさんいるからこそ、色々なイヴェントなども目白押しで、それなりに楽しめる。

 2週間の予定でここに滞在するのだが、天気予報みてもずうっと天気がよさそうとのことで、浜辺のバカンスをのんびりと満喫できそうでなにより。とにもかくにも、こうして ようやくロードムービーのようなバカンス前半が終わり、一箇所定着型のバカンス後半がスタートした、というわけだ。

 La Bauleに到着した時点で、レンタカーを返却してしまい、あとはマウンテンバイクを主体にした暮らしにチェンジ。買い物も、イヴェント突撃もなにもかも、移動手段はこの愛車でGO。2週間の間、どれくらい自転車漕ぎまくって、身体を絞ることができるわからないが、とりあえずトライするのみ。



          映画『冒険者たち』でおなじみの、オレロン島のFort Boyard


2009年07月17日(金) ロシュフォールの町

 レ島のあとは、ロシュフォールの町に宿をとる。この町に到着した時は、ちょうど嵐の前の、妙に天気のいい午後だった。町じゅうに光が満ち溢れ、町の中心にある広場の噴水がキラキラと水しぶきを上げている。夢とうつつの境がわからないような不思議な、夏の午後の効果か、私たちはすっかりロシュフォールの町が好きになってしまった。

 何をするわけでもなく、広場のベンチに腰をおろし、目の前を行きかう人などをボーっと眺めること2時間。その後、とりあえずホテルに戻り、もう一度外出しようとした時、激しい雷雨がはじまってしまった。豪雨状態なので、雨が小降りになるのを待つことにした。

 が、待てども待てども雨が小降りになる様子がない・・・・・。そのうち腹具合も極度にエンプティーマークが点滅する状態に・・・・。あともう少し、あともう少しと待っている間、夫はネットで映画、私はなぜかNHK連続テレビ小説『つばさ』鑑賞して時間つぶし。ロシュフォールで見る、川越の町並みと、笑うに笑えないドタバタストーリーがなんともシュールだった。

 空腹度合いが極度に達したので、土砂降りの中レストランへGO。数時間前の、キラキラした町並みはそこにはなく、人っ子一人いないゴーストタウン化したような、静かな町にロシュフォールは変わっていた。本当に誰もいないのか、この町?、というほど誰もいない。

 21時半すぎでしかないのに、数少ないレストランはもう閉める準備をしている・・・・・。ようやく見つけたピザ屋に飛び込んで注文したのはいいが、私たちがたべ始めてから少しすると、従業員が店をしめる支度をはじめだした。

 人はいないし、店は異様に早く閉まる町・・・・・、これがロシュフォールなのかぁぁあああ?!?!?!、と夫とひたすらビックリしまくりながら、ホテルに戻った。たいしてやることもないので、またネットでもと思いパソコンを立ち上げると、先ほどまではOKだった無線LANに繋がらない・・・・・・。

 フロントに問い合わせると、先ほどの雷雨で無線LANがやられてしまった模様で、復旧の見込みは今のところなし。3日後くらいにはなんとかなるだろう・・・・、というつれない返事に、ガックリ・・・・・・。

 ロシュフォール大好きって感じではじまった私たちだったが、なんとも妙な展開になってきて、町の印象はちょっと?????、になりつつはあるものも、それでも、ま、なかなかいいところだと思っている。



               映画『ロシュフォールの恋人たち』


2009年07月16日(木) 漕ぐべし、漕ぐべし、漕ぐべし!

 結局レ島では、2日間で40kmほどサイクリング。暑くなったら、海に飛び込み、そしてまたチャリンコを漕ぐ・・・、というパターン。しかし水着になると、一刻も早く、溜め込んだ脂肪を落とさないと・・・・・、という危機感に見舞われ、いまひとつくつろげないのが難。

 街中サイクリングとはうってかわって、ひたすら大自然の中でのチャリンコは、視覚的にはちょっと退屈でもあるのだが、ま、そんなことは言ってられない。とにかく、漕ぐべし、漕ぐべし、漕ぐべし!。

 レ島観光の主体は、自転車。なので、皆、しゃかしゃかと自転車をこぎまくっている。おとーさんも、おかーさんも、じいちゃん、ばあちゃんも、はしゃぎまくる子供らと一緒になって、青空の下元気にチャリンコ三昧。ただし、いい気になって遠くまで行きすぎ、帰りは完全に日没後・・・・、となるとちょっと大変。街灯などというものは存在しないので、漆黒の闇を走り抜けないといけないことになる。

 もうひとつ先の村まで行きたかった私たちだったが、どうかんがえても、ここへ行ってしまうと、暗闇サイクリングをほぼ15kmも続けなければならない羽目に陥るので、断念。そのかわりに、ホテルのある近場の村まで戻り、のんびりとレストランで食事を楽しむことにした。

 が・・・・・・・、ああ、またまたやっちまったぁ・・・・・、ムール&フリット注文して見事完食!。私たちは、なんのためにチャリンコ漕ぎまくったのだろうか・・・・・?!?!?!。



             こんな景色の中を、チャリンコで爆走


2009年07月14日(火) 美食のツケ

 M&F夫妻宅を後にして、すぐに南下してレ島に向かうと思いきや、一度ナントに戻り、そこに住む友人夫婦G&Vのところへ1泊、そのあとは、アンジェにある夫の従姉妹Fが営むシャンブルドット(chambre d’hotes)に1泊させてもらう。

 3件もよそ様のお宅をはしごさせてもらうのは、実に楽しい。3家族とも皆、それぞれ強烈な個性の持ち主なので、それらに触れているだけで、陽気な気分になってくる。また、3家族とも皆、とても美味しい料理をだしてくれるので、飲んで食べて、あーーら、もう大変。

 そんなわけで、レ島のホテルに到着した頃には、出発前よりもさらに豊かな体型になったわたしたち夫婦の姿が、ホテルの部屋の鏡に映し出される羽目に陥ってしまった・・・・。ひええーーーー、これはマズイ、どうしたらいいのぉおおおおおおっ、というわけで、ゼロ夫婦、絶対絶命!。

 2005年9月にタバコをやめて以来、こつこつとマジメに溜め込んできたお金・・・・・・、じゃなくて、脂肪・・・・(汗)。当時のズボンは入ることは入るが、シルエットが違う・・・・・・。

 一方、夫はもともとタバコ等は吸わないが、なぜか私と一緒に、気がついたらサイズアップしてきている昨今。もともと強烈なヤセの大食いである彼だったが、ここ1年ほど、それに拍車がかかっていた模様・・・・・。今では、ヤセの大食いではなく、ただの大食いのオヤジ化してきていた。

 というわけで、2泊3日する予定のレ島では、自転車を乗り倒し、極力脂肪を落とすことを最優先にバカンスを送ることとなった。さてさて、どうなることやら?。



2009年07月11日(土) 救いのカーラジオ

 予定より2時間ほど遅れて、クルマでパリを出発。パリを抜けて、目的の高速にのり、順調に流れるまでに2時間弱・・・・・・・。いやあ、渋滞を甘く見ていたが、いやいや、参った。

 渋滞中、あてもなくラジオのチャンネルをガチャガチャ変えまくっていたところ、ふと、聞いたことのアル声がラジオから・・・・・・。耳を澄ますと、すごいタイミングで、この聞きなれた声の主が自己紹介をしはじめた。おおおおおっ、やっぱり友人Eだ!。

 ふとチャンネルを合わせた瞬間に、友人Eの番組がはじまるとは、本当にビックリ。数日前に、Eのところで晩飯をご馳走になった時には、ラジオ出演の話などは出ていなかったのだが、とにかく、彼が嬉しそうに自分の研究するモノについてノリノリで話しはじめた。

 彼の楽しそうな語り口に、こっちも気分が楽しくなってきて、渋滞なども気にならなくなった。そうこうしているうちに、彼の番組が終わり、渋滞も終焉をむかえ、クルマがスイスイと進み始めて、めでたしめでたし。

 ナントの環状線で渋滞にはまったものの、パリのソレほどではなく、なんとか大西洋沿いの目的地の友人M&F夫妻のところへ到着。どうにかこうにか到着し、ホッと一息つきながら、冷えたロゼでごきげんな夜を迎えることができた。

ここに2泊3日お世話になったとは、さらに南下して、レ島とオレロン島へ行く予定になっている。




2009年07月10日(金) レンタカー

 今年は、7月10日よりバカンスに出発。それもフランス国内。これぞ、フランス人の大半が動き出す時期&場所であり、私たちも久々に皆と同じスタートを切ることになった。あらかじめ予約しておいたレンタカーをとりに行き、夫が我アパルトマンの前にレンタカーで戻ってくる時間を予測して、バカンスのための荷物をせっせと階下に運ぶ作業にいそしむ私。

 10年以上一緒に生活しているとはいえ、時間にルーズな夫と、なんだかんだといえ時間厳守な私の間にはそれなりの差が、いまだにあるわけで、荷物をきちんとおろして、夫が運んでくるはずのクルマにすぐにすべての荷物をのせられるよう、スタンバイしてしまう私が未だに存在している・・・・・・・・。

 スタンバイしたままの体勢で、夫が戻ってくるのを待つこと30分以上・・・・、というか、ほぼ1時間弱!。パリ中心部に近く、非常に通行量の多い通りに面した場所にある、我アパルトマンの前にクルマを停めたうえでの、荷物の積み下ろし作業はそれなりに大変なもの。

 そんなわけで、私はいつ夫のクルマがやってきても大丈夫なように、こうして“神経質”なほどに、早めにスタンバイせざるをえないわけである。とはいえ、夫はもともとのんびりタイプ・・・・なうえに、日本人でもない。おまけに、レンタカー会社の従業員も非日本人となれば、クルマを予約どおりにゲットするまでにすごい時間がかかることを想像していだければ幸いである。

 たとえば、予約したとおりの車が用意されてない・・・・等ということは日常茶飯事。おまけに、バカンスの最盛期となれば、レンタカーのカウンターはたくさんの人で溢れかえる・・・・・。そして溢れかえった人をさばくために、従来よりもたくさんのオペレーターが用意される・・・、なんてことは日本においてだけであり、こんなことはフランスではありえない、わけだ!。

 ゆえに、50人の客に対して、たった二つの窓口しか機能してない・・・・・・等という状況が当たり前なのが、私が現在住んでいるフランス、という国・・・・・。

 二つの窓口に並ぶ50人の顧客も顧客で、自分の番がきた途端、後ろに並ぶ人のことなど忘れて、あーだこーだ自分の希望や不満を延々と語り続けるのが常。となると、へたをすれば一人の顧客に対して、30分以上も時間を費やすことになるわけだ。

 50人×30分=1500分 (25時間)・・・・・・・・、ってなことになることすら、当たり前にあるのがフランスのなのだ!ゆえに、予約した時間にクルマをゲットできない確率のほうが多くなる・・・、というわけである。

 夫ものろければ、レンタカー会社ものろいわけで、これらを見越し上で、あくまでも日本人シフトで荷物をすぐに積み込めるようにアパルトマン前で待つ私の前に、ようやく夫が現れた♪。彼は彼で、自分はフランス人シフトで動いているし、それでしか動けないとはいえ、その一方、彼の妻が意外に、時間的には日本人シフトで、彼がのろのろするたびに、妻がイライラすることが予想できていたらしく、荷物と一緒にアパルトマンの前でスタンバイしている私の前に、クルマを停めた夫の顔は少なからずテンパっていて青白かった(笑)。

 夫がクルマを停車した瞬間、あらゆる荷物をものすごい速さでクルマに積み込んでいく私。これらの作業を目の当たりにして、夫はただただ眺めるだけ。そして、あっという間に詰め込まれた荷物と共に、出発!。これらの勢いに押されてしまっている夫は、とりあえずクルマの運転はできるものの、自分が運転している車の機能を全く把握していないのが手に取るようにわかる・・・・・・・・・・・・。

 私は、フランスでの運転免許を持ってない。ゲットしようと思えばゲットできるのだが、パリのど真ん中に住み自家用車を持たない生活を基本とする中、それほど免許証を必要としないので、今日現在まで自分の免許証なしで生活している私。

 とはいえ、実際にクルマを運転したら、夫より運転がうまいのは、私であり、それと同時に、よほど特殊なクルマじゃない限り、最新型のクルマの操作については私が夫より遥かに知識がある。

 レンタカーを借りる・・・・、ということは、最新のクルマを運転する・・・、ということでもある。となると、ただただ運転できるというわけにはいかないことも、ありうるわけだ。クルマを借りたのが日中で、何の問題もなく運転し目的地に向かううちに、だんだんと日がかげっていく・・・・・。そのうちに、ランプをつけようとするのだが、あーーーーーっ、最新型のクルマだとわけわからんっ!!!!!!、ってことが意外にあるわけだ。

 そうなると、運転する夫を横に、あらゆるボタンを確かめた上に、クルマの取り扱い説明書などを読み込まないといけないのが、私の役目となる。おまけに、今回借りた車は、スペインのクルマ・・・・・・・・・。なので、取り扱い説明書は、みなスペイン語!。ゲロゲロゲロ。

 それでも、スペイン語とフランス語が、語源的には似ていることもあって、なんとか解読できたとはいえ、すでに暗くなりはじめた車内で、スペイン語の取扱説明書を読んで、ライトをつけるにいたるまでに30分以上を要したしまった・・・・、疲れた!。

 こんなことをしているうちに、近いうちにフランスでの免許証をゲットしようと思った私であったが、とはいえ、これをゲットした後は、どんな状況でも運転するのは私になりそうな悪寒もして、未だに躊躇せざるをえないゼロでした。



2009年07月08日(水) ご近所さんの目

 先月、久々に日本女性だけでレストランでおしゃべりに花を咲かせる機会があったのだが、日本に里帰り中の時の近所の目という話題で盛り上がったのを、ふと思い出した。

 しょっちゅう気楽に実家に里帰りできる境遇・・、というわけでもない私たちは、一度帰るとしたら、最低一ヶ月は実家ベースに日本にいたりすることはザラ。が、よく考えてみれば、日本国内で“普通”に生活していたら、ここまで長いこと里帰りする・・・、という必要性もあまりないということに気づく。

 ましてや実家を離れ、嫁いだ身分だというのに、娘が一ヶ月以上も単身で実家に戻っているような状況になると、ちと面倒なこともあるらしい。

 やっと久々に帰ってこられたのだからと実家でのんびりしている当事者。しかし、そんな自分と、周囲の人との間に、里帰りという概念のとらえ方自体の激しいズレがあるということを、念頭においておいたほうがいいようだ・・・・。

 《○○さんちのお嬢さん、もしかして別居中?》、はては《離婚しちゃったのかしら?》、《きっと旦那に追い出されたのよ》などと、色々な噂のネタにされたあとに、好奇の目でみられたり、哀れみの目でみられたりと、色々な意味で、話題の人となってしまいかねないとのこと。

 フランスの病院・医療がどうも信じられないから、日本に帰ったついでに受診→病気発見で治療→静養等というパターンに陥った友人・知人はたくさんいるが、そうなった場合、実家ベースで2ヶ月〜3ヶ月日本滞在なんてこともザラ。

 本人は一生懸命闘病しているというのに、実はご近所からは《でもどり!》的な偏見でみられてしまうという、思わず泣き笑いしたくなる状況。

 私も、母が認知症になって以来、単身&長期でちょくちょく日本に滞在する身となり、この間の里帰りは、年末年始をはさんだ4ヶ月間と、今までの里帰り期間最長記録を作った私。そのうちの一ヵ月半は夫が同行していたとはいえ、好奇の目でみようと思えば、色々とみることは可能だと思うと、なぜか薄笑いを浮かべてしまうゼロでした。



      "Le Divorce (離婚)"ツーショットだろうがなんだろうが、別れる夫婦は別れる♪


2009年07月07日(火) 友人が襲われた!

 先日、友人の日仏夫婦の家にディナーに招かれていたので、のんびりと彼らの家に出向いた。アパルトマンの入り口を入ると、中庭で住民たちが立ち話しており、その中にわしらを招いてくれた友人Eがいた。彼のところに近寄っていくと、ただの立ち話というより、もっと深刻なことを話し合っている模様・・・・。

 好奇心と共にすぐに実行する夫が、さっそく皆になんの話をしているのか聞いてまわると、な、な、なんと、Eの日本人妻T嬢が、家の近所で5人の日に焼けた人たちに襲われ、地面に引き倒されたうえに、5人に袋叩きにあったうえ、金品がはいったバック一切合財を奪われてしまったとのこと!。

 ひえーーーーーーーーーーーーっ、うそ、マジですか?!?!?!、って感じで、夫と二人で、腰を抜かさんばかりに驚く・・・・。T嬢を襲ってバックを奪った直後、バックの中の鍵を使ってアパルトマンの敷地内およびパーキングに、この犯人グループがやってきて、車上荒しまでしていった模様。

 犯人グループは未成年で、♂4人に♀1人だったとのこと。アジア人とみれば、皆中国人だと思い、中国人の多くが不法滞在ゆえに、襲われても警察に届け出ないだろうと見越しての犯行がとても多いとのこと。そして、運悪く、T嬢は自宅近所のスーパー前でクソガキ連中に襲撃されてしまったのだ・・・・・。

 しょっちゅう足を運ぶ界隈というわけでもないが、それでもこのあたりは知った気分だったのだが、いやいや、狭いようでいてパリは奥深いというかなんとういうか・・・・、私のまったく未知な路地裏がまだまだたくさん。それも、どうもやばーーい雰囲気蔓延の・・・・・・。

 実はこの日、彼女らの家に行く時に、大通りからいかずに近道として、ちょっと狭い道を選んでみた。最寄り駅で降り、あらかじめ地図で調べておいたように実際に目的地にむかってルートを進みだすと、どうも、いつものパリと違う雰囲気。

 18区バルベスなどの活気のあるアフリカ人街というわけでもなく、パリ市内なのに、パリ郊外のひんやり&ゾワっと、気を引き締めたくなるような、ヤバイ雰囲気・・・・・ヒト気がそんなにあるわけじゃないが、その道沿いにあるアパルトマンの壁面のペンキは剥がれ落ち、窓からは住人らが思い思いに洗濯物を干し、開けっ放しの窓のむこうから、なんとなく鋭い視線を感じるようなところといえば、わかっていただけるだろうか?。

 ここを歩きながら、毎日T嬢は通って暮らしてるわけだが、なかなかファンキーだなぁ・・・!?!?!等と、思いあぐねていたわけだが、結局、彼女らの家に到着するや否や、T嬢がその道で襲われたことを知り、ビックリすると共に妙に納得・・・・。

 T嬢が襲われている間、遠巻きに日に焼けた人たちが見ていたそうだが、誰も関わろうとしなかったらしい。おまけに、警察に被害届を出す際に、誰も証人にすらなってくれなかったとのこと・・・・。いやあ、恐ろしい・・・・・。

 4人で食事しながら、ふとT嬢が私に《今まで襲われたこととかある?》って尋ねられて、即座に《一度も怖い思いをしたことがない》と私が答えると、彼女は《それはものすごくラッキーなことだと思う!》と、切々とそのラッキー度合いを説き伏せられたが、いや、本当にラッキーなだけだったのかもしれないという気もしてきた。

 ま、たしかにアジア人といっても、デカイ私なので、どうせやるならデカイ女より、もっと手っ取り早いサイズを皆が狙うのが本能とはいえ、大多数で襲われてしまえば、なすすべもないわけで・・・・おっそろしいご時勢ですなぁ・・・・。

というわけで、自分を含め、皆様、お気をつけてくださいませ。



2009年07月02日(木) 最愛の人を失なったあと・・・

 亭主関白の、大きな赤ん坊のような夫G のことを、妻Lは甲斐甲斐しく世話をやきつづけること数十年。ずうっと二人で慎ましく暮らしてきたH夫婦に、突如、永遠の別れが訪れたのは3月の末のことだった。

 いつものように、威張っている夫が床につこうとしたところ、ベッドメークがちゃんとしてなかったとのことで、“ベッドをちゃんとしろ!”と、妻Lに命令。そして、この言葉が夫Gの最後の言葉になった。妻にきちんとしてもらったベッドに当然のように横になり、そのまま永遠の眠りについてしまったのだった。

 パリ郊外で行われたGの葬式に参列した時、私ははじめて妻のLに挨拶したのだが、その時の彼女の、落ち着きながらも、儚げな感じが強烈に印象に残っており、“この人、葬式などの義務が終わったら、どうなってしまうんだろう・・・・?!?!?!”と、わけもなく不安になったものだった。そして、結局、夫の死後から一ヶ月と3週間後、彼女は夫のところへ旅立っていった・・・・・・・。

 一方、たった今知ったのだが、友人Mの弟Fが亡くなったとのこと。Fには、今年の3月に一度だけ会ったことがあるだけの知り合いだったのだが、とにか彼の兄であり、わしら夫婦の友人であるMから、よく弟のことは話できいていただけに、突然の出来事にビックリするのみ。

 このMは3月の上旬に、 彼の自慢であり、宝であり、おそらく彼のすべてであっただろう、年下の彼女に去られてしまった。私たちが彼に会ったのは、恐らく、そのショックで相当精神的にヤバくなっていたところだったのだろうが、その時一緒に撮影した写真をみても、傍目からはそんな深い悲しみはまったくみえないほど、明るい顔をして微笑んでいる彼がいる。

 上記の残された妻となったLには、危機感を覚えたのに対して、Fに対しては“皆がいうよりたいしたことないんじゃないか?”等という気もしていたのだが、実際は、そうじゃなったようだ・・・・・。

 奇遇にも、LもFも、最愛のモノに取り残された後、何もする気にならず、徐々に食事もとらなくなり、ただただ衰弱することを望んでいたような感じだった模様。とにかく、この世になんの未練もなくなったかのように、命の灯火が消えていくのを待つ・・・・・、いわゆる緩慢なる自殺とでも表現すればいいのだろうか・・・・?。

 Fに対して、あの世にいけば最愛の夫に再会できるはずのL。発見された時の彼女は、ネグリジェ姿でソファーにきちんと座ったまま、とても穏やかな表情で亡くなっていたとのことだ。

 これらを通して、ふと現時点で思うのだが、夫に《ふとんをきちんと敷いておけ、ぼけぇ!》みたいなことを言われたあげく、ふと天国に行かれたら・・・、と想像すると、切なくなるところが妙にムカムカしてくるゼロでした。



                   聖母マリアの被昇天


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