ゼロの視点
DiaryINDEX|past|will
夫は、今年に入って早々に、私の帰国日および、空港到着時間をメールで尋ねてきていた。で、どーせ、今からきちんとメールで知らせても、忘れるんだろうなぁ・・・、と思っていたら、やっぱりそうだった。
実際に空港に到着すると、オヤジはおらん・・・。なので、外に出て一服しながら、到着ゲートでの人の行き来をボーっと眺めていた。が、オヤジの気配は、未だなし。
あーーあ、またはじまったぜ・・・、と思い、もう一服。
が、さすがに外も寒いので、再び中へ入り、スーツケースを椅子にして座っていると、斜向かいのドアから、全力疾走で走りこんでくるかすかに見覚えのあるシルエット・・・・・・。
その瞬間、なかなか見つからないようなところへ、すっとスーツケースごと移動して隠れる私。さあて、オヤジはどんな行動をとるのか?!?!?!。
ドアから走りこんできたオヤジが、そのまま一直線に到着ゲートに走りこんでいく姿は、まるでアホな犬のよう・・・。左右を見ることも知らんのか?!?!?!、と影から突っ込みを入れながら、まだ、ここでオヤジのことを呼んでやらずに、観察する私。
昔、やはり私が日本からひとりでこの空港へ戻ってきた時、同じように送れて私を迎えにきたオヤジ。どこを見渡してもいないオヤジを探すようにして、フラフラと空港内を歩いていると、向こうから空港関係者と話しながら歩いてくるオヤジを発見。
“オヤジーーーっ”と声をかけてみるのだが、オヤジ本人は、遅れてしまったという焦りから空港関係者をとっ捕まえて、その人に、オヤジは私の特徴を伝えながら、探させている最中だった。
“日本人だけれど、デカくて、おまけに態度もちょっとデカい、ちょっとは派手めで、ロングヘアーの女を探してくれ”と、空港関係者に言いながら、その特徴そのままの人間の横を走り去っていったオヤジ・・・。
おい、おい、きさまは、本当にまっすぐしか見ないのか?!?!?!、と、この時学んだ。
なぜ、そこまで大騒ぎして、本人を目の前にして通り越していくのか、わたしの理解を超えているが、それがオヤジの日常。で、その時も、横を空港関係者とともに走り去っていった夫のうしろを、静かに小走りで尾行したものだった(笑)。
そのまま走り続けてゲートのまん前に到着した夫は、ただ、ゲートの方向を向いたままずうっと係員と話し込んでいた。で、ようやくアタマをうしろに回すという可能性があったことに気がついたかのように、ふと、彼が振り向くと、そこに私がいるのを発見して、キャーーっと奇声を挙げる、オヤジ。
オカルト映画じゃないんだから、自分の妻を背後に発見して、そこまで驚くなよ、オヤジィ・・・。
で、立て続けに、いかに私を探し回ったか?、等と正当に聞こえそうな理由を振りかざし怒り出す、横暴なオヤジ。
で、黙って話すだけ話させて、
私『知ってるよ、さっき慌ててやってきて、自分で探すのをあきらめて、適当に人のよさそうな空港係員をとっ捕まえて、その人に私を探させようとしてたのも、何もかも、知ってるよ』
夫『なんだ、それっ!!!』
私『こんなこと話しながら、その隣で、“オヤジーーーっ”って叫んでるのに、一直線で私の横を走り去っていったから、私はその後を小走りで尾行してきたんだよ、わかったか、ボケ』
夫『おまえは、本当に性格が悪ーーーーーーーーーーーいっ。俺をばかにしやがってェーーーーーーーっ、いつもそうだーーーーーーあっ。』
私『なにおーーーー?!?!?!。バカなんだからしょうがないじゃないかぁーーーーっ。』
という感じで、いつものわしらの終わりのないくだらないコミュニケーションが始まったので、オヤジにとっ捕まった空港関係者は、フェイドアウトしていったものだった・・・・。
で、今回・・・・。
相変わらず物陰で、夫がゲートの前で、“遅れちゃったヤバーー”という張り詰めた顔して、私が出てくるのを待っている姿を観察していたが、もう、疲れたので、遠くからデカイ声で、犬を呼ぶかのように“オヤジーーーーっ”と呼んでみると、今回はさすがに一度で通じたようで、オヤジワンコは、こっちに向かって走ってきた。
いやあ、3ヵ月ぶりに見るオヤジは、なんか小さくみえる?。縮んだ、オヤジ?!?!?!、と心の中で呟く私。
私の不在中、“オヤジがそれでも落ち着いた”という噂があったので、それなりにその噂を信じそうになっていたが、現物を見て、落ち着いたというより、ただ、縮んだだけじゃねーーか?!?!?、と私のほうへ迫り来る夫を見て、問答。
髪の毛は伸びて、真っ黒いコートに、真っ黒いハンチングを被った彼の姿は、まさしくグレン・グールドなのだが、なんちゃってグールドなので、ピアノは弾けないし、時間には遅れる・・・・・(汗)。
で、ここで感動の再会のキスといきたいところだが、実際にブチューッとやったあと、オヤジが私に難癖をつけてくる。
オヤジ『ゼロっ、タバコ吸っただろ?』
私『だって、遅いんだもん』
オヤジ『禁煙したっていったじゃないかっ!!!!』
私『なんのこと?』
オヤジ『一月一日に禁煙するって言っただろっ!!!』
私『そんなこと、いつ言った?。わしゃ、アホじゃないから、そんな無理な設定もしないし、そんなこと自ら言い出すはずがない』
オヤジ『俺は聞いたんだーーーーーーーっ』
私『はあ?』
オヤジ『騙されたーーーーーーーーっ』
私『今年の春までにやめるといったが、1月1日とは言ってないし、だからこそ、こんなにタバコ買いこんできたんだーーー』とスーツケースに詰め込まれた私のタバコストックをご開帳っ(笑)。
オヤジ『うそつき、うそつき、うそつきィーーーーーーーっ』
ということで、やはり3ヵ月ぶりだろうがなんだろうが、わしらには決してロマンティックな再会というものがありえないことを、実証するようなものだった。ま、多くの人は、そう思っていただろうけれど(笑)。
3ヵ月ぶりに我が家に戻れば、一見、キレイだが、何も見つからないインディアナジョーンズのようになっているし、到着した瞬間にシャンパンを飲ませてくれ・・・、と頼んでおいたにも関わらず、わしが到着してから、慌ててシャンパンを冷蔵庫に放り込んでいるオヤジの後ろ姿をみてしまったし・・・・。
ま、人生そういうもんだ・・・・。
でも、本当にそういうもんなのか・・・・?!?!?!。
で、本当にそれでいいのか・・・?!?!?!。
いずれにせよ、この3ヵ月で“悟りをひらいた私”は、ともすれば喧嘩を売ってくるオヤジのだだっこ攻撃をかわすことをはじめ、この1月25日の帰国からは、以前のような“大喧嘩”には至っていない。
2005年01月24日(月) |
失われた時を求めて・10 |
幼なじみの友人2人との旅行を皮切りに、色々な問題が吹っ切れてしまった私は、昨年の11月に味わった適応障害的な症状で苦しんだ時とは打って変わって、毎日が強烈に充実した日々を送った。
そして、明日はパリに戻るという現在、私は何をしに日本に戻ってきたのか?、と考えれば考えるほど、それは、自分の遣り残したこと、残してきたものに直面して、それを自分なりに消化することではなかったか?、と思えてならない。
奇しくも、それは母がボケはじめるということで始まったのだが、こんなことでもなければ、3ヵ月も里帰りすることがなかっただろう。
同じ国に住んでいても、実家に3ヵ月も戻るということを、果たしてどのくらいの人がするだろうか?!?!?!。また、それが可能だろうか?!?!?!。仕事があったり、子供に追われたり、なかなかここまでまとまって実家に戻れるということはないと思われる。
そして、実家に戻ったことで、それをさりげなくサポートしてくれる幼なじみたち。なんとありがたいことか。
また、あらたに出来た人間関係といえば、母をめぐる介護スタッフのメンバー。彼女らの、時にはプロフェッショナル、時には職を離れた人間的な優しさにサポートされ、今、私と母の周りには、新旧入り混じった素晴らしい人間関係が存在している。
奇しくも、それは、遣り残したものと対面し、苦悩しながら、どうにか新天地を開いた私自身のようでもあり、この3ヵ月の体験は生涯忘れることはないだろう。
今、私の中には、フランスと日本の違いは以前より存在しない。今、日本に戻れば、それはそれで充実して生活していけると実感している。そして、フランスはフランスで、もっと充実して生活していけるとあらたに思えるようになった。
双方の差を意識したのは、あくまでも私であり、また、この生活を選択したのも私である、ということに、今は力むことなく、受け入れられるようになったことの開放感といえばよいだろうか。
母のこともしかり。私がどんどん調子よくなると同時に、もの忘れはあるものの、調子がよくなっていった母。
昔のように、シューベルトの鼻歌を歌い家事をしている母の横で、昼寝をしていたら、なんともいえない幸福感をしみじみと感じたものだった。そういえば、私がピリピリしていた時には、彼女は鼻歌も歌ってなかったな・・・、と。
そして、恐らく、孤独感に苛まれていた頃の母は、その頃から鼻歌を歌うことをやめてしまっていたのかもしれない。が、今、ケアマネージャーらと色々と打ち合わせをしていると、私がいようといまいと、彼女なりに相当明るく生活しているとのこと。なんとも、嬉しいニュースだ。
どうやら、今のところ、彼女の介護プランもうまく作動していて、デイサービスには皆勤賞で通いつめている母がいる。
『親孝行をしろ』という曖昧でありながら、強制的な言葉に翻弄された私でもあったが、むやみに旅行へ連れて行くことが親孝行であるのでもなく、本当にその人にあった、さりげないサポートというのが親孝行であり、本当の愛ある行為なんだろうな、とわかりかけてきたゼロでした。
いつかは、母も何もできなくなってしまう日がくるのだと思う。とはいって、それを不安に思い、今からなんでも取り上げていってしまうことが、いかに介護する側のおごりか?、と思えてならない。
また、それを私に暗に薦めてくる人もいる。自分たちが不安だから、それを私に押し付けてくるのだ。が、それは自分の不安であり、母のソレとは違っている。すくなくとも、現時点では。
ひとりで暮らしているから残っている能力というのも、たくさんあると確信した。確かに昔と比べると、能率は落ちている。が、だ。それを今、不安だからといって、全部とりあげてどうするのだ?!?!?!。
これらを強いる人間に問いたい。自分がこうなったらどうるすのか?!?!、と。少なくとも、私だったら、耐えられない、とだけ、答えておきたい。
細切れで母の生活を観察しただけでは、判断は不可能。ゆえに、生まれたときから知り尽くした娘が、その母の生活をじっくり観察した上でだした判断なのだということを、ここで無責任に口出しする人間に、宣言しておきたく、今回書いたというわけであります。
この点に関しては、私の高校時代から我が実家に半分住んでいたともいえる、幼なじみMF嬢が、あらたに私と母との関係を判断してくれたことに感謝、感謝。
そして、脳梗塞後遺症である母を抱えるYK嬢、いつも私の隣で母と私を家族ぐるみで精神的にもサポートしてくれるMT嬢とその家族、革命を起こしているいとこH嬢、遠くからスピリチュアルな面でサポートしてくれたS嬢、心優しいレイキマスターC嬢、をはじめ、母の見守りを続けてくれる隣人の方々、メールなどを通して励ましてくださった友人・知人達、本当に、本当に、ありがとう。
そして、最後の最後に、どこまでサポートしてくれているのかサッパリわからず、ただ嫌がらせしてるだけか?!?!?!、と、強烈にイライラさせてくれた、夫よ、それでも、なんか、きっとあなたなりのサポートもあったのだろうから、メルシーボクー(笑)。
|