ゼロの視点
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2003年11月19日(水) 会合

 在仏の日本人女性数人で集まって、某日本レストランでランチという会合に参加。

 現場に到着すると、友人Y嬢の姿を発見。思わずニタニタ笑ってしまう。Y嬢をのぞいた、他の5人の女性は初対面。そのうちの4人の方は、母親としてこちらでがんばっている。実際に、子供を連れてきている人もおり、子なし&グータラのわしにとっては、それだけでも、スゴイと思ってしまうことが多々あり。母は偉大なりっ!!。

 系7人(+4人の子供たち)もいると、非日本人の会合だったら、注文をするだけでも膨大な時間がかかるものだが、今回は見事なほど瞬時に注文をすることができ、またビックリ。日本人、それも女性だけとなると、本当にてきぱきしていて気持ちが良い。すっかり、フランス人のダラダラ、バラバラモードの慣れきっていて、最近は何も思わなくなってきていたつもりだったが、身体のどこかで覚えている、こういった“まとまり”感を得て、自分のアイデンティティーを再発見したような奇妙な感じ(笑)。

 また、ほぼ同じ世代ということもあって、話がはずむ。何気ない昔の芸能人の名前だとか、テレビネタなどで、妙に笑えた。こんな話は、たとえ日本語がペラペラな外国人であっても、その当時から日本に住んでないと共有できない話題。そのうえ、そういった日本語ペラペラな人間すらいない環境に常にいる私にとって、こういった瞬間は、形容を越えた楽しさがある。

 例えば、誰かがピンクレディーの話題をするとしよう。日本人同士だと、そこでピンクレディーといわずとも、“ユーフォーっ”と彼女らが歌っていた一場面だけを真似するだけで、シチュエーションと時代背景などすぐ把握できる。が、そこにひとりでも非日本人が混ざっていると、そこで“何それ?”と質問され、それに対して色々とあーだこーだと説明して相手にわからせることは出来るが、共感はできない哀しさがある。



 なんてことを考えているうちに、こっちに住み始めて、いちいち色々と説明するクセがついてしまって、妙に理屈っぽくなってないか私?!?!?!、などと思ってしまった・・・・・・・・。


2003年11月18日(火) わけあり結婚式

 それは突然のことだった。日曜日の晩遅く、家へ戻りいつものように留守電を聞くと、友人画家Cからのメッセージ。火曜日の10時半から某区役所で結婚式を挙げる、というのだ。

 "sauter au plafond"(驚いて飛び上がる状態をいい、直訳では天上まで飛ぶ、という意味)とは、まさしくこのこと。

 Cのお相手は、中国人L。ここでは語らないほうがいい出会い方をして、Lはそれまでにも色々と問題があった女性でもある。Lはほとんどフランス語が話せない。そしてCは、まったく中国語をはなせない。おまけに双方とも、二人で語り合える共通言語もない。

 Cに、気になる女性がいるのだがちょっと問題があるので彼女にあって欲しいとわしらに電話があったのが8月末のこと。中国語をある程度はなす夫が通訳としてCの代わりにLにインタビューしたりもした。

 その結果、私も夫も、そしてC本人も、やっぱりすぐに結婚する(彼女の望み)はしばらく置いておいて、お互いを知るためにも、とりあえず一緒に住んでみればいいんじゃないか?、という結論に達した。

 わしらもヤバそうな雰囲気は感じていたし、なによりもC自身があまりにも不安になったからこそ、私達に彼女を紹介したのだと思っている。

 そして、しばらくCから連絡がないまま時がすぎていたのだが、私達の想像を遥かに超越するほど、スピーディーに物事が展開していたので、本当にビックリ。


 さて、当日、式の5分前に私達は到着。しかしここはフランス。私達がCの挙式列席者の中で一番乗りだった(笑)。とはいえ、ゾクゾクとやってくる列席者の面々。しかし、当事者であるC&Lがいない・・・・・。

 さすがに11時をまわる頃、誰もがおかしいと言い出し、いちかばちかCの友人の一人がCの家に電話してみた・・・・・。すると、本人が電話にでるっ!!!!。一同唖然。でも、どうやらCはそれでも来る気でいるらしいことを確認したので、みんなでボーっと本日の主役を待つ。まるでサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』のようだ。

 ほとんどの人が諦めかけた頃(11時45分頃)、お姫様タイプのウエディングドレスに頭にはティアラをつけたLと、スーツにネクタイをビシっときめたCが区役所のエントランスに現れた。

 彼らの登場までに、すでに3組の夫婦の挙式が繰上げで行われていた(泣笑)。


 Cの両親はすでに亡くなっているので、式には彼の姉妹が参加していたのだが、ついつい好奇心にかられて、彼女らに“いつ彼の結婚のニュースを知りましたか?。”と尋ねると、彼女らは口を揃えて、先週の木曜日と答える。そして本日はじめて、Cの嫁になるLと対面するということも彼女らは付け加えた。

「これじゃ、反対するもなにもあったものじゃないわねぇ・・・。」となんとも言えない奇妙な笑顔で答えるCの姉妹たち。

 さすがに平日だけあって、区役所側にも挙式スケジュールに余裕があり、大幅に遅れながらも、無事CとLの結婚式がはじまった。あとでCが言っていたが、あまりに感動して、涙がこぼれてしまったそうだ。

 そこまで感動している人間に対して、“騙されてる”等のネガティブなことを言ってもしょうがない。ここまできたら、盛大に祝福するのみ。式のあと、Cの家へ列席者全員でお邪魔して、そこで真昼間からパーティーとなった。

 ちなみに、Lは招待客のことなどほったらかしにして(Cの姉妹などにもまったく挨拶しようともせず)、ただひたすら、様々なポーズをとって、Cの友人であるプロのカメラマンに写真を撮ってもらい続けていた。そして、それをやるだけやったら、Lは疲れたのか、ベッドで寝てしまった・・・・。



 でも、Lの友人という7人の中国人女性が作った蒸餃子と焼餃子は美味しかった。


2003年11月15日(土) 一大改革

 昨日の疲れも抜けぬまま、サロンに置かれたベッドで寝ていると、インターフォンが鳴る。家具の配達人だ・・・・・。午前8時・・・・。まだ寝ていたいが、そうも言ってられずにしぶしぶ起きる(涙)。

 あまりにも大量に家具を購入したので、配達だけじゃなく、それを彼らに我が家で組み立ててもらうことになっている。そうでもしないと、わしらのことゆえ、たくさんの部品を平気で一年くらい放置しかねない。そうじゃなければ、気ままに組み立てて、面倒くさくなったらそれを放置して、というのを繰り返すうちに、肝心な細かい部品(ビス等)を無くしてしまって、組み立て不可能となることだろう・・・・・。

 配達&組み立て人はアラブ人二人。彼らはラマダンの真っ最中で、飲まず食わずで働いているという。わたしにゃ、想像できん世界だ。

 さて、彼らは実に手際よく家具を組み立てていく。IKEAの情報だと、たとえプロでも一つの家具を組み立てるのに最低50分はかかるということだったが、それよりも早い。なおかつわしらはその家具を6個も購入しているので、かなり時間がかかるか?、と思われていたが、実際には昼間でにはすべて終了していた。

 働く二人のアラブ人の姿をデジカメで撮影しはじめる夫。最後には、クギをうちながらピースサインを彼らにさせている。二人のアラブ人のうちの一人は、デジカメというものを見たことがなかったという。また、誰も自分が仕事をしているところなど写真に収めてくれるという機会がなかったため、是非その写真をアルジェリアにいる兄弟に見せたいとのこと。彼自身、パソコンを持っていないので、その場で彼はアルジェリアに電話して、兄のメールアドレスを尋ね始めた。


 仕事が終わり、彼らが帰っていき、出来上がった家具がポツンと残された寝室を眺めているうちに、もっと部屋の雰囲気を変えてみたい衝動に駆られてきた。夫も同じことを考え始めていたようで、さっそくとりかかる。ベッドの位置など、居間まで考えてもみなかったところへ置き、出来たてホヤホヤの家具を思いついた場所に並べてみると、なんと、まるでそこに置くべきだったように、ピッタリと収まるっ!!。

 そうなってくると、働くモチベーションがぐんぐん上がってくる。確かに昨日も頑張って(自分たちにしてみれば)働いたとはいえ、本日のソレと比べると全く違う。気がついたら、二人とも見違えるように、活き活きと働き出していた。

 夫は、ノリにノリはじめて、風水の本などまで読み出している。わけがわからんが、とはいえ、一緒に暮らし始めてはじめてと断言できるほど、夫が、家のことに喜んで参加するという事態ゆえ、ここで彼のやる気を挫くような発言は極力避ける私(笑)。誉め殺し作戦に変更する。





 ようやく出来上がった寝室は、キレイすぎて奇妙なほど。まるで誰かの家に招かれているようだ(笑)。ここはどこ?、あなたはだれ?、という感じだった。


2003年11月14日(金) 掃除とピアノ

本日は一日中片付けもの。恐らくこのアパルトマンを購入して、引越しして以来“はじめて”ともいえるほどの、おおがかりな片付け。

 寝室のグチャグチャ具合がすでに形容を超えてしまってから早一年。9月の中旬には、これが原因で夫婦大喧嘩になり、挙句に、夫に片付けの参加を促してとりあえず仲直りしたものの、先延ばしになっていた。

 そうして11月中旬の本日、それが実行されたというわけである。あまりにも動こうとしない夫にイライラしていた私は、なんとか夫を連れ出し、すでにIKEAで大量の家具を購入するところまでは成功した。そして明日、家具が届く日=それまでに片付けを終えてないと、家具を受け取れない、という強制的な期限を設定しておいた。

 寝室をすべて空にするという作業は、非常に大変。今までの家具などもすべて寝室から出す。そして出された家具を新たな場所に置くため、また違う部屋の家具配置換えをしなくてはならない。

 その結果、先日まで唯一キレイに整頓されていたはずの居間には、あらゆる荷物が積み重なり、仕事場である部屋も、爪先立ちでやっと歩けるだけのスペースと化す。ベットも居間に一時的に置く・・・・・。

 さすがに一度にここまで働くと、どこかへ出かけたくなってくる。でも、夫に『どこかへ逃げようと思うなよっ!!』と脅しておいたので、さすがに、どっか行きたいとは言えず・・・・・。




 そんな時、一本の電話。近所の友人夫妻A&Iが、今晩ピアニストを彼らの家に呼んでミニコンサートをするので来ないか?、という内容。行きたいなぁ・・・・、と悶々とそれを口に出せないでいると、夫がイタズラそうな目つきで、

「行きたいんでしょう?。行ってきてもいいよ」と言ってくれた。

 すぐさま夫の好意に飛びつき(気が変わらぬうちにっ!!)、出かける支度。すっかりご機嫌になっていた私は、夫に『一緒に来る?。』と申し出てみると、待ってましたとばかり、夫も私の好意に飛びつくように身支度をはじめる。

 なーんだ・・・。夫は夫で、言い出せないでいたのねぇ(笑)。ま、さすがにここまで家の中をグチャグチャにした罪悪感、ってやつが彼にももあったのだろう。

 さて、A&Iの家に到着。同い年くらいのピアニストCを含み、6人ほどの客(つまりはA&I友人)らとアペリティフ。その後、サロンに移り、A&I自慢のプレイエルのグランドピアノにて、コンサートが始まった。

 私は、一番鍵盤に近いところに陣取る。ショパンのノクターン2曲で指ならしをしたCは、その後ラフマニノフのプレリュード2曲、そしてメインの曲、リストの葬送曲(詩的で宗教的な調べ S.173の7)を披露。アンコールには、再びラフマニノフのプレリュード等。細い身体からは想像つかぬほど、エネルギーに満ち溢れた音を奏でる彼女。感動。

 コンサートのあと、ピアニストである彼女Cに色々と質問。気持ちよいほど色々と答えてくれる。おまけにCのオープンな性格にすっかり魅了されてしまった私。

 最近、ピアノをもう一度しっかりした先生について習い直したいと思っていたところだった私。なのですかさず、“私にピアノを教えてくれるか?”とCに尋ねたところ、快くOKをもらえたっ!!。嬉しいっ!!!!!!。

 Cは音楽学校で教えるかたわら、自分のコンサートなどでも忙しいので、なかなか時間がないらしいが、隔週でなら、という条件を提示してくれた。私も毎週になると、ただ通うだけになってしまうので、この条件は理想的。今年中には私が忙しく、来年アタマは彼女が忙しいので、習い始めるのは来年3月になった。

 すっかり気持ちよくなって帰宅した私達だったが、まだ片付けが残っている・・・・。現実に引き戻され、再びモゾモゾと働き始めた。


2003年11月13日(木) 母と息子

 MJ(♀)の息子Bは現在32歳。今でも現役のモデルだ。つい先日も、夫がメトロのゴミ箱で拾ってきた9月号のフィガロでアルマーニを着て、数ページにわたって美しい世界を披露している。

 どこか二ヒルで冷たい青い瞳・・・・・・、というのがMJの息子B。スポーツマンタイプのモデルでは決してない。繊細さと、危うさと、というのを兼ね備えたモデルなのだ、Sはっ!!。写真になると、それはたいそう美しい。

 以前、メトロにボーっと乗っていて、止まった駅の構内に張ってあるポスターをぼんやりと眺めていたら、それがBだった、ということも多々あり。

 じゃ、私にとってセクシーか?、といわれれば、私のタイプじゃない(笑)。というより、恐らく数え切れないほどMJの家を訪れ、実物のBを見てしまっているので、憧れようにも憧れられないというのが本音かもしれない。身近すぎると、幻想も保てないのだ。

 さて、Bはママン大好き人間。直接それをだしているわけではないが、私にはわかる。おまけにMJは来年の3月には58歳になるが、ローラーブレードはやるし、踊るし、たくさんの友人に囲まれ、仕事は仕事でエンジョイ(弁護士)し、それなりの彼もいたりする。同性の私からみても、強烈にキュートな女性なのだ。かわいすぎるっ!!。

 彼女はパーティーも大好き。タバコと称して、そこには違ったものが混ざっていたりして・・・・・。

 そんないわゆる、子供の心配をして、自分を犠牲にして・・・・、という一般的な母親像とは全く違う母をもったB・・・・。Bなりに、母親を徹底的に嫌いになれず、心のどこかでは、非常に彼女に心酔して・・・・、というジレンマが、私には透けて見えてしまうのだ。

 私や夫は、母親にかなり干渉されて(ま、これも母親の愛とはいえ)育ったゆえ、こんな自由な母親がいたら・・・・・・、と考えることもしばしばあるが、逆にここまで自由で年齢を超越して少女のようにかわいい母親がいたら、自分達がどうなっていたか・・・・?と考えると、まったく結論を得られず(笑)。

 さて、Bの唯一の母親への抵抗は、自分の仕事、つまりは雑誌やあらゆる広告媒体でBの写真が発表されようと、それを母親に教えない、という方法。MJ曰く、本当に写真を見せてくれないらしい。そして、普段は汚い古着を着ているだけの息子の姿しか見てない母としてのMJは、チャンスがあればプロフェッショなるとして活躍している息子の姿を見てみたい、というわけだ。

 さて、そんな時に活躍するのが我が夫。前述したように、たまたま拾ってきた雑誌にBを発見。また、現在、我が家ではこの5年間の垢をキレイにするように、壮大な大掃除月間となっているゆえ、捨てる前に一度雑誌に目を通したりしている。すると、たくさんのBに出くわすのだ(笑)。

 で、今回、それらの雑誌を取っておいてMJにあげた。彼女はたいそう喜んでいた。よかった、よかった。

MJ「私、息子のグルーピーなのよっ!!」と可愛らしく言う。

続いて、MJが私に言う・・・・・

MJ「Bはね、最近抜け毛が多いって悩んでいるのよ・・・・」



なるほど・・・・・・。さすがに、キュートで可愛いママンをもって、私達に想像できぬ別の意味での苦悩を抱えるBとはいえ、結局は子供の悩みを簡単に口にしてしまう、イコール、母親というのは子供を恐れていない、という態度がBに、ここまで彼の仕事を母親にみせたくないという徹底した態度を取らせているのだな、と妙に笑ってしまった。
 


2003年11月11日(火) 長いみちのり

11月8日の日記に書いた結婚して55年という夫婦M&Jにランチに招かれているので、でかける。

 M&Jはパリ郊外に住んでいるので、私達と一緒に招かれている夫婦、夫E(41歳)とその妻P(39歳)そして、かれらの二番目の娘MN(9歳)が、クルマで我が家の近くまで迎えに来てくれ、そこへ同乗して一路M&J夫妻宅へ。

 夫はよくEにクルマで自宅まで送ってもらうということがあるのだが、そのたびに、「何度同じルートを走っても、その次には必ず迷う」と私に語るように、相当な方向音痴らしい・・・・・、ということは知っていた。

 が、実際は?!?!?!、と思い、奇妙な好奇心を隠しつつ、彼らのクルマの後部座席におとなしく座っていた私。コンコルド広場までは問題なくやってくることは出来たが、それ以後雲行きが怪しくなってきた。おお、もしかしてEの本領発揮か?!?!?!、とワクワクする。

 シャンゼリゼ通りから凱旋門の渋滞を避けるという名目で、違うルートを選んだE。エッフェル塔の前を通り、パリ日本文化会館の前を通り、ラジオプランスの横の道に入ったが最後、延々と16区内を彷徨うE。

 好天に恵まれた晩秋の高級住宅街の街並みはキレイだわ・・・・、と車窓からそれらをあえて楽しんでみたが、それでも、私達はまだ16区。ふと、凱旋門が再び見えてきたときには、もう笑うしかなかった。

 それに対して、同じく後部座席に座っているEの妻とその娘MNは、Eが毎度のことのように道に迷うのに辟易としているようで、表情が疲れている。そんな彼女らの表情をバックミラーで見てしまったEはますます焦る・・・・。

 焦った彼は、とうとう抜け道と信じて多くのクルマが進む道へ突っ込んだE。が、残念なことに、実はサーカスを観にきた観客のパーキング待ち、という列でしかなかった。もう引き返すことも、進むこともできない袋小路。

 ますます焦るEは、「どうして進まないんだっ!!」とばかり繰り返す。そしてとうとうオウムのように同じことをくりかえすEにキレた妻Pが、後部座席から「この道はパーキング待ちの人しかいないのよっ!!、そんなところにやってきて、進まないなんてイライラしているあなたのほうがよっぽどどうかしているわっ!!」と叫ぶ・・・・・・。

 チラッと娘MNの表情をみると、シラッとしている。ああ、本当にウンザリしているのね、この娘・・・・・。



 結局、私達は2時間近くクルマの中で過ごし、ようやくM&Jの家に到着したのは午後2時半すぎ。ヨレヨレと全員がクルマを降り、ホッとしながらアペリティフを始めると、娘MNがふとパパEの耳元で囁く・・・・・。


「ねえ、パパ。これから長いランチなのよね。そしてその後、ゼロ夫婦を自宅まで送るのよね・・・・。そしてその後、またパパは迷うと思うのよ、私。今日中に、私達は家に帰ることができるのかしら・・・・?」

 私が、MNの囁きを聞きつけて、爆笑してしまったのは言うまでもない。


2003年11月08日(土) オープンマインド

友人夫妻、夫M82歳、妻J78歳。Mはフランスの国鉄にノンキャリアで入社して、その後たたき上げで幹部になり、現在退職生活。妻Jは、ずうっと専業主婦として、家事と子育てに専念して現在にいたる。

 さて、この夫Mは、西洋文化にほとほと嫌気がさして、信じられない程の東洋かぶれ。毎日朝鮮人参ドリンクを飲み、中国鍼灸を長年学び、チェスをやるかわりに囲碁をたしなみ、そして、異常なほどの“なんちゃって”精神世界の支持者。

 私はMのことが大好きだけれど、彼の東洋に対する考え方には、思いっきり疑問を常に抱かずにいられない。ドグマでガチガチになっている西洋社会にアレルギーを感じるところまでは理解できるが、だからといって、東洋におおげさなほど神秘という憧れを持ち、またそれをエスカレートさせて、しまいには宇宙人とか、UFOの存在などを話し出す。

 Mは82歳といえど、決してボケているわけではない。でも、あまりにも、雑誌『ムー』みたいなことを、なんの説得力もなく彼が話すのを聞いていると、しまいには、東洋と宇宙人を一緒にするとは、何事だっ!!、とついつい突っ込みたくなってくる。

 東洋が大好きといいながら、実は東洋をバカにしてないか?!?!?!、とさへ思ってしまう(笑)。

 先日、Mが自分の思うこと(前述のこと)を論文にして我が家に送ってきた。そしてそれを読んでいて、夫と私は、笑いながらも頭を抱えてしまった。そして、翌日Mから電話がかかってきて、彼の論文についての率直な意見を求められ、なんと感想をのべていいかわからぬわしら・・・・。

 とはいえ、何度もMが率直に感想を述べよっ!!、というので、思わず率直に『ファンタジーとある程度説得力のある論文というのは、違う』と延べると、Mは気分を害して、興奮して色々と彼なりの哲学を電話口で話し出した・・・・・(汗)。



 さて、Mの妻Jは、そんな夫の扱いに慣れている。これが実に笑えるのだ。精神世界だの、SFだの、とかく日常生活という引力からかけ離れたことばかりに熱中する夫に対して、引力真っ只中で今まで生活を切り盛りしてきた妻の視線というのは、本当に冷ややかで、的をついている。

 妻という錨があって、夫が果てしなく遠くに飛べるのか?。それとも、夫があまりにも現実離れしているから、妻が錨となるしかないのか?、それはよくわからないが、この夫婦の会話や行動を見ていると、究極の夫婦漫才のようで笑いが堪えられないのだ。

 ちなみに、この夫婦は一緒になってすでに55年。すごい年月だっ!!。




 私の親友M嬢が『うちの夫は男は対極を見るとか常に言っているけれど、目の前のことはまったく見えてないのよねぇ・・・・。』と半分疲れながらよく言っていたのを思い出す。

 

 一年前、上記の夫妻の家にランチに招待された。到着するや否や、さっそくMが色々、彼なりの理論を熱心に話し出す。しかし、その議論の間に、私はとあることに気付いてしまった・・・・・・。


 Mのズボンのチャックが全開だったのだ・・・・・。さんざん話した挙句、とうとう妻もそれに気がつき、小声で妻が夫にそれを示唆して、Mが慌てて社会の窓を閉めているところを見てしまった、私・・・・。


 さて、その一年後の現在、彼の力作の論文に対して、彼が思うような感想を私達から得られなかったあと、Mは『現代の社会は、狭量だ。ぼくはあらゆることにオープンな精神が存在する社会を築きたいっ!!』とご立腹。




 Mとの電話の後、ふと夫に

『確かにある意味、Mは"l'esprit ouvert"(オープンマインド)とも言えるけれど、 "Sa braguette ouverte"(彼のズボンのチャックもオープンよね)』

と言うと、夫が飲みかけの紅茶を噴きだした。


2003年11月07日(金) されど一年、たかが一年

 『ゼロの視点』を発作的に始めたのが、去年の11月6日だった・・・・・・、というのに、たった今気付いた。なので、急いで更新(笑)。


 おおっ、もう一年が過ぎてしまったのかぁ・・・・。
 

 どうりでババアになったわけだ・・・・。



 仕事の憂さ晴らしとして初め、当初は一年後には仕事が終わっているつもりでいたのに、現在もダラダラをソレをひきずっている。諸事情で当分終わりそうもないのだが(現在、版元に問題発生中)、とりあえず、まだこのサイトは細々と続けていくような私がいる。


 一年前は、仕事の目に見えぬ強烈なプレッシャーで押しつぶされそうになっていたが、気がついてみると、そのプレッシャーにもなんだかんだと慣れていき、現在では、とてつもなく図々しくなっている自分を発見。それは仕事の質とはまったく関係なく、ただ図々しくなっている、ということ。




 一周年記念にあわせるかのように、カウンターも5万を超えている、ということに気付く。このサイトを通して、未だ実際にはお会いしたことのない、とはいえこれをやってなかったら、知り合っていなかった方々を出会えたという嬉しさ(人生の恵み)をしみじみ感じておりまする。

 また、私の誤字脱字放置プレイ(たまに直したりすることもあるんですが・・・・汗)の『書きなぐりサイト』を読んでくださっている方々、本当にありがとうございまする。

 それから、このサイトをリンクしてくださっている方々、これまた誠にありがとうごさいまする。こちとら、ほとんどサイト作りの知識がなく、相互リンクなどすることができずに、申し訳ない思いでいっぱいです。

 たいして生産的ではない一年を過ごしたなあと思う反面、とりあえずサイトだけは一年続いたのだ、と調子よくプラス思考でとらえていきたいと思っているゼロでした。

 一年後に、このサイトがまだ存在しているのかどうかは本人すらわかりませんが、これからも、またしばらくの間、よろしくお願い申し上げますです。


2003年11月06日(木) 座頭市

 昨日からフランスでも封切りになった映画『座頭市』。そのうち観に行こうと思っていたところ、突然、夫が本日仕事が休みになり、ただ、二人で家でダラダラしていても、そのうち私がイライラしてくるのがわかったので、思い切って『座頭市』でも観に行くことにした。

 突然、こうして夫に休まれると、昼飯の食材はないし、色々と予定が狂う。夫は夫で、きっと“予定が狂った”と思っているのだろうが、それは私も同じ。ここまで狂ったなら、思いっきりそれを有効に使ったほうがいい、というわけ。

 そんなわけで、12時10分の回の『座頭市』をレ・アールにて。こんな真昼間から映画館に入るのは、もしかして日本で学生だった頃以来かもしれない。しかし、昼だというのに、結構人がいるので笑った。さすがフランス人、働いてない人間の数、多いぜ。

 とはいえ、『座頭市』は客席が満員になるほどではなかった。そこそこに人がいるという感じ。客層としては、非日本人が9割。

 異様に長い予告を見ている間、ふと気になって足元みると、なんとネズミがっ!!。メトロではたくさんのネズミを見るが、まさか映画館の座席の足元までネズミがいようとは・・・・・。

 さて、いよいよ『座頭市』がはじまった。夫がすぐさま、たけしの顔面神経痛を見て“演技うまいねえ、たけし”とか話し掛けてくる(汗)。演技じゃねえんだよ、おやじ。

 以前、夫と二人で暇つぶしに『菊次郎の夏』を観に行って、二人して怒り狂った記憶が鮮明に残っていたゆえ、今回もたけし映画に対して、ある意味“斜に構えていた”私達だったが、『座頭市』はそれなりに楽しめたように思う。

 『菊次郎の夏』の時は、映画館を出た瞬間にラジオのインタビュアーにつかまって、そのマイクに向かってあらんかぎりの映画に対する不平不満を述べたわしら夫婦だったわけであり・・・・。

 夫は例のタップダンスのシーンはかなり気に入った模様。私個人としては、“めくら”等の今ではマスコミが自主規制している言葉がバンバン耳に入ってきたことが妙に嬉しかった。

 フランスでも、言語の自主規制は年々厳しくなる一方だが、その反面、わが姑様世代になると、そんなものまるっきり無視した“放送禁止用語”を使っての会話になるので、非常に脳の刺激になる。我が両親も大正時代に生まれた父と、昭和一桁の母ゆえ、知らず知らずのうちに、その時代ゆえのきっつーい“表現”などをよく耳にしていた私なので、これは個人的なノスタルジーともいえる。

 映画は、途中何度も中だるみしたようにも思えたが、それでも飽きることなく観ることができた。ただ、見方を変えるとそこには、TVジョッキーや、たけし城的なノリが饒舌にあり、個人的には少し辟易とした。これは、たけしを好きか否かということで、賛否両論になるのだろう。 

 私も『ひょうきん族』で育った世代。あの頃はたけしが好きだった。が、たまに日本に戻って、たけしをテレビで見たり、映画で見たり、時には書物でであったりしても、もう以前のような感覚は持てなくなっているゆえ、彼なりのギャグ等に賛同できない自分がいる。

 一見、アヴァンギャルドであるように装いながら、非常に保守という側面ばかりが私には目に付いてしまう。団塊の世代おやじの典型?!?!?!。

 しかしながら、先日観た『HERO/英雄』よりは断然楽しめたことは確かだ。あのあまりにも真面目さを追求しすぎた姿勢には、個人的にはついていけない・・・・。

 映画館を見て、ふと、とある昔の時代劇が観たくなった。1986年にNHKで放映された『武蔵坊弁慶』だ。中村吉右衛門が弁慶を見事に演じ、その頃まったく時代劇などに興味のなかった私が、しまいには猛烈にはまってしまった作品。テレビだったけれど、今でも金を払ってでもすべての回を見たい作品なのだ、私にとって。


2003年11月03日(月) いたちごっこ

 本日は一日中IKEAで、寝室大改造計画(言葉を変えれば、豚小屋改善計画)のために、色々と頭をひねったうえで、大量の家具を購入。大散財(涙)だが、今やらねば、あとは自分が狂うだけというほど、荒れていたので、とうとう実行したというわけ。

 
 ヘロヘロになってIKEAから戻ってきたのが午後9時前。急いで適当なものを食べて、友人Sが出演しているカルチェ・ラタンのバーへと足を運ぶ。Sはコントラバスを奏で、相方のエレキギターとのジャズ・セッション。

 最初は一人で行くつもりだったのだが、急遽夫も来たいと言い出したので、一緒に出かける。

 Sはものすごくいい男というわけではないが、私にとっては非常に気になる男性であったりもする。実に色々と話があうので、夫が一緒に来なかったら来なかったで、楽しもうとしていた私。なんか、ちょっとだけ残念(笑)。


 会場につくと、今まで見たことのない表情で演奏しているSの姿が目に入ってきた。最近コントラバスを始めたと言っていたSだったが、それは謙遜であることが判明。うまいよ、S、もうビックリ。

 一通り演奏を聞いた後で、会場を見渡す。Sの彼女であるSBに挨拶しておこうと思ったのだが、いくら探しても見つからない。そこで、S自身にSBのことを尋ねると、

S「彼女とは3週間前に別れてしまったんだよ・・・・」という驚きの返事が帰ってきた。夫もビックリ。

 Sの彼女SBは、ものすごくキレイだった。SもSBもそれぞれ哲学を学校で教えている仲間で、お互いの距離を尊重しあっている、とてもいいカップルだなぁ・・・、と思っていたから、ある意味ショックだ。

 9月のはじめにどこかのパーティーでバッタリ彼らと出くわした時は、このカップルはものすごくラブラブだったが、きっとこの後で事態が悪化したのだなあ、等と、頭の中で想像している私。

 そんな話を聞いた後で、聴くジャズというのも妙な感じで心に染みる。



 すっかり気分よく音楽を聴いているうちにメトロ終電時間。惜しむようにして会場を出て、最寄の駅に着くと、なんと終電が発車してしまった直後だった・・・・。



 しょうがなく夫とトボトボとカルチェラタンを歩いていると、突然物凄い音がする。

?????。

 音のするほうへ走ると、日に焼けた人種の少年がスクーターを停車中のタクシーに突っ込むようにして乗り捨て、全力疾走で走り去っていく。そしてその後を追う警官3人。

 11月1日のヤジウマ因果応報事件で懲りていたはずの私達だったが、それでも身体が反応してしまう。ついつい気がつくと、私達も走っている。日に焼けた少年の後に、警官3人、そしてその後に私達2人。

 一瞬彼らを見失ったので、速度をあげた私達のところへ、今度は少年と警官が私達のほうへ向かって走ってきた。突然方向を変えないで欲しいものだ、まったく・・・・・・。おかげで、彼らとあやうく正面衝突するところだった。

 少年は、そのままメトロの駅に降りていったが、すでにシャッターが閉まっていたので、そこは袋小路。そして少年は、警官らにあっという間に組み伏せられ手錠がかけられた。まるで日本のテレビでよくやっている『新宿歌舞伎町24時』みたいだなぁ・・・・、と。

 実際には、こんなにまでして警官が捕まえた少年も、24時間後には釈放されて、また新たにスクーターを盗んだりするのだろうが・・・・・。




いたちごっこ・・・・・・・。そんなことをしみじみ感じているうちに、きっとSも彼女のSBとよりを戻して、男女のいたちごっこを再開させるような予感がした。


2003年11月02日(日) 映画の効用

 夜フラッと、どこかへ出かけるのが好きな私。今晩も午後8時半を過ぎたところで、ムショウにどこでもいいから出かけたくなってきた。気分的に、映画でもみたいものだ。

 昨日の晩も同じようにして映画『HERO/英雄 (2002) 』に観に出かけたのだが、間違えてフランス語吹き替えバージョンの映画館を選んでしまったことと、前評判のわりに面白くなかったことが重なり、個人的にフラストレーションが溜まっていた。

 トニー・レオンはかっこよかったのだが・・・・。ワイヤー・アクションのやりすぎで、その度に爆笑してしまう私。なので、全然感動できないのだ。


 そんなわけで、今晩はそれほど観たい映画は見つからなかったが、とりあえずウッディ・アレンの『Anything Else』(2002年)でも・・・・、と出かけていった。22時25分からの回は、さすがにそれほど人が多くないので、心地よい。昨日の、フランス語吹き替え映画館の『HERO/英雄 (2002) 』とは大きな違いだ。

 学校が休みの期間ということもあって、フランス語吹き替えバージョンの映画館(フランス語字幕を読みたくない、乃至は読めない若い世代)には、親子連れがたくさんいて、ものすごく混雑しているのが常。おまけに『HERO/英雄 (2002) 』となると、アクションもあるし、ストーリーもわかりやすいので、非常に混雑していたというわけだ。

 逆に、ウッディ・アレンとなれば、金払った分、とりあえず静かに映画を見る環境が得られるかな?、と、ふんでみたが、思ったとおりだった。レ・アールのかなり大きい部類のホールで、なぜこの映画が上映されるのかはわからないが(『HERO/英雄 (2002) 』こそ、このくらい大きいスクリーンで上映されるべきだっ!!)、場内はガラガラで、子供はいない(笑)。

 『Anything Else』は、各ダイアローグが面白く、昨日とは違った意味で何度も笑った。誰もが滑稽で、そこに等身大の自分を見出さずにはいられない仕組みになっているのが、ある意味ウッディ・アレンの映画の特徴なのだろうが、今回もまさしくそうだった。

 こういう映画を観た後は、色々な友人・知人(自分も含めて)の挙動、言動、性格が次から次へと頭に浮かび、それをあーだこーだと夫と話したくなるものだ。夫も同じように思っていたようだ。

 そんなわけで、すっかり昨日の鍵の怨みも忘れて、迂闊にも夫と話し込んでしまった(笑)。
 


2003年11月01日(土) 因果応報

午前11時頃、朝食を終え居間のソファーでくつろいでいると、突然、夫が『うおお、火事だっ!!』と叫ぶ。夫の目線をそのまま追うと、確かに窓の外で黒煙がもくもくと発生している。

 その瞬間から、夫も私も、相手の同意を求める必要もなく、パジャマの上にセーターとオーバーを羽織り、出かける用意をはじめている。根っからのやじうまだ・・・。位置からして、向かいのレストラン"chez Papa"(パパの家)か?、などと思いをめぐらし、表に出てみると、やっぱりそうだった。

 最初は遠慮しながら、反対側の歩道から見ていたのだが、知らず知らずのうちに道路を渡り、レストランの前に進み、それでもよく現状がわからないゆえ、黒煙が出ていそうなレストラン裏手まで、思いっきり前進している私達。

 火事とはいっても、黒煙がたくさんでているが、炎はみえない。ボヤ程度のものなのだろう。レストラン従業員(ほとんど黒人)がバケツリレーを効率的におこなったおかげで、大きな出火は防ぐことが出来た模様。そこに、ようやく消防車がやってきた。

 ボーっと消防員たちの仕事をみながら、従業員や、近所の人らにぼやの様子をきいてみる。どうやら、煙突掃除をきちんとしていなかったようで、それが原因で今回をボヤを引き起こした模様。消防士たちが到着して10分もすると、黒煙がおさまり、今回の騒動も終焉をむかえつつある。

 さあ、そろそろ家に戻ろうと隣にいる夫をみると、なんとヤツはデジカメで火事の模様をたくさん撮影している。夫のカメラに向かって笑顔でポーズを決める消防士もいる。しまいには、“ぼくのメールアドレスを送るから、そこにその写真を送ってくれ”という消防士まで出てくる(笑)。

 そんな写真撮影風景を見て、一人の男性が私達に近づいてきた。それはこのレストランを含む建物一体と、その近辺のアパルトマン数件の持ち主だった。彼は、今後この火事において、火災保険屋らと色々と交渉したうえで、敷地の一部を貸しているレストランのオーナーとの話し合いでも、写真が必要なので、是非とも夫が撮影したものを後日、メールで送って欲しいというのだ。

 そして、もし可能なら、これから彼が指示する場所で、何点かの写真を撮影してもらいたいと延べてきた。そんなわけで、この男性と一緒に火事現場内に入って、現場検証写真を撮影することになった(笑)。はじめて入る"chez Papa"のすす臭い炊事場。へーー、こうなっていたのねぇ・・・・、と好奇心いっぱいで、あたりをジロジロ見渡してしまう私。

 この男性は、これらの写真でおそらく一儲けするのだろう。それもあり、非常に私たちに感謝してくる。そして、後日“高級レストラン”(どんなレストランかはしらんが)に私達を招待すると申し出てきた。



 すっかり好奇心などを満たして、気分よく家にもどりいざ玄関をいつものように開けようとすると、鍵がない・・・・・・・。


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 実は、先日夫が自分の鍵をパリ上陸中の姑のバックの中に間違って入れてしまい、そのまま姑はレンヌに戻ってしまった。そのため、現在私の鍵しかないのだが、昨日からそれを夫に預けておいたのだ。つまり、本日の鍵の責任者は夫、ということ。

 なのに・・・・・・。あのヤロウは、デジカメはきちんと持って出たものの、鍵を持たずに火事を見に行ってしまっていたのだ・・・・・。

 この時ほど、マジで夫の首を絞めたいと思ったことはなかった。しかたなく、管理人の部屋へ出向き、鍵屋へ電話してもらうが、鍵屋は鍵屋で忙しくすぐには来られないという・・・・・。長いこと火事現場にいたせいか、すっかり腹は減ってきている・・・・。おまけに、身体もずいぶんと冷え切ってきている・・・・・。このままだと、夫婦仲も冷え切りそうだ。

 そんなわしらの現状を見て、管理人はデジカメだけで、あとは鍵も財布も
持っていないわしらに、お金を貸してくれたっ。『このお金で、鍵屋さんを待っている間、どこかのレストランでゆっくりと食事でもしてね』ということだった。ああ、ありがたやっ!!。

 そして、ようやく鍵屋がやってきて、あっという間に見事な手さばきでわしらのドアを開けてもらって、家の中に入った時には、もうヘロヘロだったゼロでした・・・・・。


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