ゼロの視点
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2003年05月31日(土) 中国・近畿旅行 PART3

朝起きると、台風が上陸していた(汗)。5月から台風がやってくるのは珍しいと言っている・・・・・・・。ホテルの部屋から外をみると、街路樹が激しく揺れている。雨も必然的に斜めに激しく振っている・・・・・。ああっ!!。台風4号のルートを見ると、わしらが行こうとする場所に先回りするように上陸しているのがほくわかる。さて、どうしたものか?。

 とはいえ、せっかく出雲に来たのだから、ということで、暴風雨の中の“出雲大社”行きを決行することにした。出雲市駅から一畑電鉄に乗り、一路出雲大社へ。

 私が切符を購入したり、時刻表を調べている間に、電車の待合室で、夫は地元の女子高生達とさっそく楽しんでいる。みんなにピースをさせて、写真撮影したり、覚えたての日本語を披露して、みんなに笑われていた。

 10数人の女子高生のグループは、やはり暴風雨の中、出雲大社へ行くらしかった。ゆえに同じ電車だった。10数人のうち、勇気のある女子高生二人組みが、興味本位で私達のところにやってきた。もう、夫は大喜び、私も大爆笑。引き続き、覚えたての奇妙な日本語で女子高生をお喋りをする夫。自己紹介をして、ついでに私の名前も言っている・・・・・・・。

 すると女子高生が私の名前を聞いて、「なんか日本人みたいな名前だねっ!!」と話しているのが聞こえたので、私が「私は日本人なのよっ!!」というと、彼女達が「ええーーーっ、日本人だったんですか?!?!?!」と質問してくる・・・・・(汗)。どういうこった?。

 一方、嬉しくてたまらない夫は、その後座席に座っているすべての女子高生の名前を聞いて、車内を歩いていた。めでたし、めでたし。

 さて、出雲大社に到着すると、本当に暴風雨。フランスで購入した安っぽい折り畳み傘は、幾度も折れそうになる。夫は、レインコートのフードをかぶり、おまけにヒモでご丁寧に占めるので、奇妙なイデタチ。後姿だけでは何人だかわからなかったのか、夫をめがけて一人の日本人女性が道を尋ねるために走りよってきた。

 頼みもしないのに、女の子が自分に走りよってきて嬉しくなって振り向くと・・・・・・。女性のほうは、振り向いた相手が外人だと知って、何も言わずに走り去っていった(笑)。夫、ガックリ。

 台風でも予定を変えられず出雲大社を観光するものもあれば、同じように、予定を変えられずにそこで結婚式をあげるカップルもあり。角隠しをして、綺麗に化粧をし、着物をきた新婦と、羽織袴で毅然とした新郎を見つけて、またまた夫はパパラッチ状態。おまけに、図々しくも、新婦とツーショット写真まで撮ってもらっていた。


 悪天候にもめげず観光を終え、夜には一路萩に向かった。益田駅から東萩駅に向かう電車は、一両だけのワンマン列車。山陰の奥に行けば行くほど、電車の車両が減っていくという現象。

 ちょっとだけ夫の反応をウオッチしたかったので、あえて運転手の横に座ってみた。運転手は、客がいようといまいと、「右よし、左よし、発車オーライっ!!」という儀式を各駅ごとにしている。それがまた、本当に見事なほど、きびきびした動きなのだ。それを見た夫は、私の想像以上に、感動していた(笑)。絶対にフランス人の運転手が同じ事を出来るとは、考えも出来ないと、白状していた。おまけに、自分も出来ないと、白状した。


2003年05月30日(金) 中国・近畿旅行 PART2

 引き続き城崎。天気はよいが、接近してきている台風4号の影響なのか、風が強い。そのせいで、城崎のロープウエイは運行休止。正午過ぎの特急までまだ時間があったので、またまた町を散策する。

 私にとっては4回目の城崎なのだが、どうしても昔食べた“とりそば”が食べたくなったので、同じ店を探して、同じメニューを注文してみたら、やっぱり美味しかった。うーーーーーーーーーん、大満足っ!!。

 さて、本日は出雲市に向かうのだが、あいにくの強風・・・・・。これから山陰本線で余部鉄橋を渡る予定なのだが、ちょっとだけ不安。というのも、昔、強風で鉄橋を渡っている山陰本線が吹き飛ばされ、全員が死亡した事故があったからだ。しかし、幸いなことに、無事に鉄橋も越えることができた(笑)。

 鳥取で乗換えをして、出雲市へ・・・・・。さすがに新幹線も通っていない地域。乗換えをきちんとしないと、目的地へも到着できない。そのくらいうまく乗り換え路線の時刻を計算しないと、だめなのだ。でも、私はなぜかそういったことをするのが大好き。なので、なんだかんだいって、楽しんでいる。

 出雲市へ近づく頃、だんだんと天候が崩れてきた。台風が間近に迫っているようだ・・・・。

 ホテルにチェックインして、出雲市内をとりあえず散策。天気がよかったら、とりあえず宍道湖、あるいは日御碕と考えていたけれど、どうも無理だった。10年前とは違って、出雲市駅界隈の再開発が行われたせいで、風情もなにもないつまらない町並みになっていてガックリ。特に、アーケード街などは、本当に死んでいる・・・・・・・。道路だけが異様に広くなっていているにもかかわらず、そこを行きかうクルマの数はたかが知れている。なんで、こんなことばかりに政府は金を使うのだろうか?。

 ダラダラを雨の降る、出雲市内を散策していると一軒の古本屋を発見。興味本位で入っていくと、絶版になっていて、前から欲しかった本がたったの100円で売られていたので、即購入っ!!。大満足。

 数時間歩いて、さすがに腹が減ってきて、さて、どこで食事をしようか?!?!、と迷っているうちに赤提灯を発見。一見さんでも入れるかどうかわからなかったので、外人ヅラの夫に先に飛び込ませてみて、店の反応を試してみた。本当に、外人の存在というのは、バカと鋏は使いようという感じがした(笑)。

 店の反応はよく、簡単に入店できた。おでんが中心の飲み屋という感じ。カウンターしかない小さな店だった。酒はたしなむ程度で、大メシ食らいの夫は、どんどんおでんを食べていく・・・・・。もしかしたら、このチョイスは失敗だったかもしれない、と思ったが、もう遅し。日本人の飲み方としたら、チビチビとおでんをつつき、酒も飲み・・、という感じなのだが、もうたらふくおでんを食べようとする夫。結局、高くついてしまった(涙)。私は、生まれて初めて、飲み屋でおでんだけを食べ続ける人間を見たと思った・・・・・・・・。


2003年05月29日(木) 中国・近畿旅行 PART1

ジャパンレールパスを使っての旅行スタート。10時台の新幹線にのり、まず新大阪へ向かい、そこから特急で一路城崎へ。特急にのり、座席が回転することを知った夫は、興味本位に、空席を回転させて喜んでいる。確かに、考えてみれば、フランスの鉄道の座席は回転しない・・・・・・。

 夫が興味本位で用意してしまっていた4人席に、本当にあとから4人のグループ旅行者が乗ってきた。ということで、結果的には夫のいたずらも、人のお役にたったというわけだ。

 さて、城崎到着。インターネットで割安に予約しておいた、ある程度格式ある旅館に入っていく。夫には、どんなところに宿泊するか全く話していなかったので、あらためて予想以上に豪華な旅館に到着して、喜んでいる(←単純)。

 城崎は温泉街。ゆえに浴衣を着て、ブラリブラリと町を歩き、外湯巡りをするのがここでの過ごし方の王道。なので、さっそく夫に浴衣をきせて、町を歩かせてみる。夫曰く「日本人に仮装している」ようでなんだか恥ずかしいらしい。ちょくちょく鏡を見ては、「浴衣に外人ヅラは似合わない、格好悪い」と独り言を言いながら、その一方仮装大会を喜んでいる・・・・・(汗)。

 ある程度散歩を終えて、とりあえず自室にて夕飯。座卓に所狭しと並べられた料理を、お決まりの記念撮影。外人には、なんだかんだいって珍しいのねぇ・・・、と思うゼロ。

 夕食後は、いよいよ外湯巡り。有名な“まんだら湯”をはじめ、数ヶ所を巡ってみる。夫は、温泉はあまり好きじゃないといってたのにもかかわらず、いざ巡ってみたら、結構気に入った様子だった。きっと露天風呂から案内したのが成功したのだと思う。でも、最後のほうでは、完全に湯あたりして伸びていた(笑)。

 好天にも恵まれ、幸先のよい旅行のスタートとなった。


2003年05月28日(水) マッサージ

夕方、母、夫、そして愛犬マルチンと私で、近所を散歩した。マルチンは、メンバーがたくさんいるので、嬉しいようだ。そして、先頭を歩きたいらしい。

 散歩の途中、母の顔見知りの人に何度かすれ違ったが、マルチンじゃないが、散歩メンバーが突然増殖したのと、よく見ると、彫りの深いのが中に混じっているので、驚いている人がいた(笑)。相変わらず夫は、散歩の途中でも、あらゆる看板だのなんだのの、平仮名を大声で読んでいた。

 ソノ後、夫を連れて、クルマでカルフールへ行って見た。はじめて、日本のカルフールへいってみたが、あまり人がいなかった(笑)。

 私達は、パリ市内、おまけにメトロの駅の真ん前という立地条件と、駐車する場所を探している時間内に、行きたい所へほとんど行けてしまうゆえ、クルマを持たない生活をしている。ゆえに、カルフールのような大型スーパーに行くことは、実はあまりない。たまーーに、メトロでもアクセスできるオーシャンに出向くだけだ。

 そんな私達が、今回はクルマを利用して、カルフール・・・・・。どんな感じなんだろう?!?!、とちょっとワクワクしていったものの、そんなに面白くなかった。夫も同じ感想だった。

 
 しかし、あるモノが非常に夫を感動させた。それは、何か?。

 
 それは、高性能電動マッサージ椅子無料体験コーナーだった。とりあえず、夫を座らせてみて、私が勝手にプログラムを組んでみたら、突然複雑に彼の背後を椅子がマッサージしはじめて、夫は大喜びっ!!。

 フランスでは、一度だけ、高速道路のサービスエリアで、大昔のタイプのマッサージ椅子が、有料で置いてあったのをみたことがあったが、もし、それしかしらないフランス人なら、こういったハイテク機器は、まさに信じられないのだろう(笑)。

 ある程度、夫が驚くことを想定していたが、ここまで喜ぶとは思わなかった・・・、というリアクションを前に、ちょっと私のほうがひいてしまう。こんな製品を、もしフランスのカルフールなどに置いてしまったら、きっと3日も待たずに、壊れてしまうことだろう・・・、と思った。みんながはしゃいでガシガシ使用して、ぶっ壊れるのだ。で、いざ使用してみようとしても、みんな作動せず・・・・・、というコーナーを想像してしまった。

 さて、夫はどのくらい座っていただろうか?!?!?!。おそらく小一時間ほど“魔法の椅子”を堪能していたと思う。店員も、外人にはあまりうるさくないようだった(笑)。

 食料品売場では、なぜか、ホタルイカ、煎餅、薩摩揚げ等を欲しがる夫。なんでだ?。

 ところで、カルフールのレジの人はいちいち値段を読み上げることはしなかったが、他のスーパーのレジの人は、各商品の値段を読み上げていた。すると、夫は、それを全部オウムのようにリピートして、とうとうレジの人が耐えられずに笑い出してしまった。

 ま、笑ってくれるタイプの人だったからいいものの、そうじゃなかったら、本当に嫌がらせだな・・・と、思ったゼロでした。


2003年05月27日(火) 日本語の勉強方法

 寝るだけ寝まくった夫が午後5時過ぎに起きてきた。私の母は、自分の娘の批判をするのが大好き。母としても、娘の夫と、娘の悪口を交わせず欲求不満だったところに、夫も同じ理由で、妻の不満をその実の母に訴えることができず、イライラしていた。

 「喋りたいんだったら、日本語上達してみればっ?!?!」と言い放つ妻に、悔しくなったのか、夫は突然、すくっと立ち上がり、私の仏和辞典を片手に何かを黙々と書き始めた。

 
 なんだ、なんだ?!?!?!?!。


 見てみると、ちゃんと日本語の文章になっている・・・・。いつの間にこんなに上達したのか?、と訝しげに夫を見ているうちに、カラクリ気がついた。夫は、言いたいことをすべてフランス語で見つけ、その説明として書いてある日本語を丁寧に書き写していたのだ(笑)。

 活字を丸写しているので、必然的に夫が書いた日本語も活字のようになっていて、これが不覚にも読みやすいっ。でも、書いてあることは、かなり辛辣。便箋2枚にビッシリと書き連ねやがった。どこから見つけてきたのか、太字で、ご丁寧に“毒舌”“我関せず風な人”などとも書いてある(汗)。

 書くだけ書いて、嬉しそうに母にソレを見せる夫。それを読んで仲間をみつけて嬉しそうな我が母・・・・・・・・・・。なんなんだ、この関係は・・・・・・・。

 意味がわかろうが否かを抜きに、身体の奥から突き動かされるようにして、思わず“写経”してしまった夫は、3年前に日本に来た時よりも、少しずつだが、日本語へ対してのアレルギーが抜けてきたようだ。


2003年05月26日(月) 新宿歌舞伎町

 夫を一人で、成田から実家最寄り駅よりやって来させようとしていた私だが、結局、用事がてら、新宿まで迎えに行くことになった。

 私の用事とは、免許の更新。午後の受付時間に合わせて家を定時に出たのはよかったが、途中で、全然違った電車に乗ってしまい、まったく違う方向へ行ってしまったので、結局、免許の更新ができなかった。これほど、アホみたいに電車の方向を間違える経験というのは、生まれて初めてなので、ちょっとショック(涙)。

 ゆえに、予定時刻より大幅に早く新宿に到着してしまった私は、新宿・新南口界隈をブラブラ。ようやく、夫を乗せた成田エキスプレスが新宿に到着する時刻になったので、ホームで待機。

 国際線の飛行機でも、平気で時間に遅れて、乗れないということを何度もやっている夫。しかし、とりあえず、彼がパリを飛び立ってからも連絡はないので、成田にはいると思っていたが、果たして、成田エキスプレスに無事に乗って、新宿まで定時にやって来られる可能性は100%とはいえない・・・・・。

 ホームに電車が入り、乗客が降りてきた。ホームを見渡すと、遠くに一人だけ冬物のショートコートを着ている西洋人らしき♂を発見っ!!。もう、これだけで、あ・・・・・っ、これ、残念ながら我が夫だ・・・・・、と気がついた(笑)。

 さて、長旅で疲れていた夫だったが、新宿をブラブラしてみたいと言ってくるので、やはり新宿だったら、一番視覚的にも面白いのは歌舞伎町なので、そこへ連れて行く。歌舞伎町から、風俗店がたくさん立ち並ぶ道をジグザグに歩き、区役所通りから一本入ったところにある、四季の道を抜け、ゴールデン街、そして花園神社などを散策。

 いい加減歩きつかれたので、お好み焼き屋に入り、早目の夕食。不覚にもかっこつけた店に入ってしまった。注文するだけ、注文したあと、パリの空港でユーロから円に両替したはずの夫に、手持ちのお金はいくらか?、と尋ねると、10000円あったはずなのに、すでに小銭しかないっ!!、とのたまう。

 ???????。

 夫は、きっとどこかでつり銭をごまかされたんだ!!、と言い張るが、そんなことってあるか、この日本で?、と思った。で、よくよく考えさせてみると、夫は、なぜか、成田エキスプレスの切符を、2回購入していることが発覚。空港から出た瞬間に、まず予約して購入。ソノ後、ジャパンレールパスの手続きのため、みどりの窓口へ行って、そこでまた切符を買ってしまっていたのだ。

 おまけに、飛行機の中で免税でタバコをワンカートン購入してほしいと、頼まれていた夫だったが、その際、“ユーロ”で購入せずに、円で買い物してしまっていたらしい・・・・・・(汗)。こんなにユーロが強いからこその提案だったのに、何もよりによって、円で買い物するとは・・・・・。

 夫の日本円を当てしていたので、私もあまりキャッシュを持ち合わせていなかった。なので、もっともっとお好み焼きとビールを注文したかったが、カード払いを受け付けない店だったこもあり、最低限のものだけ食べると、早々に店を出ざるをえなかった・・・・・・・・・・。

 さて、これでトボトボ実家へ戻っていこうと思っていた私だが、疲れにもかかわらず、まだまだ新宿をウロウロしたいという夫の要求に、付き合うことにした。再び、歌舞伎町へ向かう。

 ドン・キホーテにて奇妙な商品を見たり、コマ劇場前で、そこを行きかう人間ウオッチング。これから店に出て行くと思われる、ニューハーフの集団や、呼び込みの人々、どうみても同伴出勤と推測されるオヤジとママさん、異様にラブラブで、ベタベタしているイケテナイ40台くらいの不倫カップル、コマ劇場の裏口で、お目当ての芸人の“デマチ”をしている追っかけティーン・エージャー、どっちが男か女かわからない華奢なカップル、ヒールを履きながら、ガクガクと歩きにくそうに歩いている若い女性・・・・・等等。

 夫は、あまりのガニマタ率に非常に感動していた(汗)。あと、フランス人(ヨレヨレ率が高い)に較べて、日本人サラリーマンはスーツを綺麗に着ているので、彼からみると、私において、“ただのサラリーマン”でしかない人達が、みんな社長に見えてしまうらしい(笑)。

 風俗店の観光案内所ともいえる、インフォメーションセンターに入り、そこに山ほど置いてあるチラシを見て、サービスの内容と、時間、そして料金を推測しながら説明すると、夫は非常に熱心に聞いている。“指入れOK”、など、説明していても笑える。ただ、あまりにもわしらが楽しそうにチラシを見て話しているので、真面目に風俗店を探しにきていたサラリーマン達は、ちょっと居辛そうだった・・・・・、スマン。夫は、チラシをたくさんもらって、それをフランスに戻ったときの土産にするそうだ。安上がりで、家計的には、大助かりっ!!。

 バッティングセンターの見学もした。野球に馴染みのないフランス。夜、メシを食い終わった後に、なぜサラリーマンらが一心不乱に、金を払って、黙々とバットを振り回しているのか、まったくわからないそうだ。剛速球コースを選び、ことごとく空振りしている大学生風の男性の姿をみて、夫は意味深に笑っている・・・・・・・・。

 帰りの電車は各駅停車だったが、座る席はなかった。すると夫は、座っている人に、どこの駅で降りるか訪ねてもいいか?、と私に聞いてくる。ゲッ・・・・。すると、突然電車が急停止したので、その反動で、脇に立っていたサラリーマン数人が吹っ飛び、床に転がったらしい。これらのことは、私の背後で起こったのだが、夫は一部始終見てしまったらしく、可愛そうに・・・、と言いながら、薄ら笑いをこらえている・・・・。鬼畜。

 座ることもできず、やることもなく、落ち着きのない夫は、車内に吊るされている広告の平仮名だけを片っ端から、声に出して読んでいく。ちなみに声は結構大きい・・・・・。夫の平仮名習得度は完璧じゃないゆえに、間違える。

 たとえば、“おといあわせ”という言葉を、一言一言考えながら、発音していき、なんとか“おといあわ・・・・”まで達成。ところが最後の平仮名が全然思い出せない。思い出せないので、何度も、何度も、“おといあわ・・・”を繰り返し、ようやく最後に言った言葉が、“おといあわ・・・・、け”とかになってしまう。

 想像してほしい・・・・・・・・・・。こういった会話を選択の余地なく耳にしてしまった、彼の周りにいた人々たちの心境をっ!!。窓ガラス越しに、サラリーマンらの表情を観察したら、かなりの人が笑いを堪えていて、またかなりの人が、集中して本が読めず、困っていた・・・・・・・・。
 


2003年05月25日(日) にぎやかで、のどかな日曜日

日本に戻ってきてから、未だきちんとした時間に睡眠が充分にとれていない。時差ぼけらしく、変な時間にコトッと眠くなり、夜中には眼がランランとしている・・・、という感じ。

 土曜日の晩に、友人Mがやってきた。彼女は二男の母だが、彼らを夫に預け、わざわざ私の家にやってきてくれた。Mの夫が「せっかくだから、ゼロに会いに行っておいで」と、育児を買って出てくれたそうだ。ああ、感謝感激。

 彼女は、学生時代を含めて、ほとんどの旅行を共にしてきた野次喜多道中の相棒。1年半ぶりに会う彼女とは、時のブランクをまったく感じず、おしゃべり。夜の9時過ぎに、実家から歩いて3分のところにあるファミレスに行き、時間を忘れておしゃべりに没頭し、気がついたときには、すでに午前4時だった(汗)。

 家に戻り、お茶をのみながら、再びおしゃべり・・・・。結局Mが寝たのは午前5時半。そこで物音に気づいた母が二階から降りてきて、私は母と早朝からおしゃべりを開始。ようやく午前8時前にがっくりと疲れてきたので、眠る。

 2時間半の睡眠のあと、今度は昼過ぎに、いとこのI嬢とその姉U嬢が寿司を持ってやってきた。この二人と友人M、そして母との5人で、寿司をつまみながら、騒々しい昼食。本当に、みんなが同時に喋る(笑)。I嬢とU嬢は、我が母の妹の娘達だが、この家系の異様なパワーに、友人Mはあらためて新鮮に驚いていた。

 こうして日曜日の昼下がり、女だけでギャーギャーとあまりにもにぎやかで、毒舌な時間は、あっという間に過ぎていった。Mがまず帰路につき、その後I&U嬢らも家路へ。

 その後、母と、愛犬マルチンと私で、のどかな住宅街を、のんびりと小一時間程散歩。久しぶりにブラブラと歩く故郷に、新鮮な驚きを覚えた。いつも母との散歩に慣れていたマルチンだったが、この日は私も一緒だったので、散歩途中、何度も何度も私のほうを振り返り、私の存在を確認する姿には、親ばかならぬ、犬バカな私は、ついつい“イトオシイィ!!”と思ってしまった。

 そんなわけで、おおいに笑い、語り、にぎやかであると同時に、のんびりとした日曜日だった。


2003年05月21日(水) 成田までは極楽、実家までは地獄

 昨日は、自宅前にタクシーを呼んでの、楽々紀行。セネガル出身という運転手と、しゃべりまくっているうちに、あっという間に空港へついてしまった。タクシー呼び寄せ&スーツケース等の荷物を含めても、たったの38ユーロで済み、里帰りスタートとしてはまずまず。

 さっさとチェックインを済ませ、ビール飲みながらフライトの時間を待つ。そしていざ機内に入ってみると、三人席独り占めだったので、非常に嬉しかった。

 機内では赤ワインをひたすら飲み続け、映画をみながら、食事もぺロっと平らげ、気分がよいまま眠りに突入。色々と機内で読もうと思って、手元に用意しておいた資料など、所詮読むはずなし(汗)。寝るだけ寝て、起きた時にはすでに到着前の軽い食事の時間になっていた。直行便は楽で早いだが、本当に何もできん(笑)。

 そんなわけで、自宅から成田までの全行程は、非常に楽だった。が・・・・、それからが・・・・・・・。

 まず、成田に到着するや否や、多くの同乗日本人客らがマスクをし始める。おお、例の肺炎予防、というヤツですな・・・、と思いつつ、私はマスク持ってないので、なんとなく、息を定期的に止めてみたりする。ま、意味がないのはわかっているが。

 空港職員は、マスクしている人もいれば、してない人もたくさんいた。やることだけやって、成田エキスプレスの時間まで暇潰しをしなければならなかったが、なんとなく外にいたほうが、まだ空気がいいような気がしたので、ベンチに座っていた。すると、後ろのほうで中国語が聞こえてきて、ちょっと焦る。偏見だ・・・、と自戒しつつ、でも、中国人から、気分的に遠ざかったりする私。

 さて、やっと成田エキスプレスに乗ったはいいが、なんでエキスプレスといいながら、徐行運転のようにノロノロ走るのか?!?!?!。おまけに私が乗った車両は非常に古いカタチで、車内アナウンスは全部日本語だけだった。同じ時間のエキスプレスに、今度の月曜日に夫を乗せようと思っているが、平気なのか、マジで?、と思った。

 ヘロヘロになり、とある駅でおり、自宅まで一直線の電車に乗ろうとすると、なんと運転見合わせというアナウンスがっ!!。ここで一挙に血圧が上がる。線路に落下物があり、その点検作業と整備のために、復旧の見通しがわからない、と駅員はほざく。

 不幸にも、私がその駅に着く数分前から運転見合わせになったとのこと。くそうっ。アナウンスの説明に不服な私は、駅員のところに詰め寄る。すでに職員らの周りには人だかりができていたので、それを掻き分けるように最前列に進むと、その職員も、まったくアナウンスと同じことを繰り返しているだけ。

職員「復旧には時間がかかります」

私「時間がかかると一言で言っても、具体的にはサッパリわかりませんが」

職員「ハッキリした時間を言えないのです」

私「今から28分後なんていう、正確さを求めているんじゃなくて、どんな落下物があることによって、経験的にそれがどのくらいの時間が“おおよそ”かかりそうなのか?、という説明を求めているのですが、教えていただけませんかね?。」

職員「いやあ、実はホーム内の天上が落っこちちゃったんです・・・・」

私「・・・・・天上・・・・?」

職員「だから、どのくらい復旧までに時間がかかるかわかりません、本当に申し訳ありません。」


 こういった駅員と問答をしている間、他の人たちはその会話を静かに聞いている。そこで、ハッと思った。ああ、日本に帰ってきたっ!!、と。

 もし同じことがパリであったら、すでに意味不明にみんなが騒ぎ出し、文句を言い出し、駅員も逆ギレしだし、会話の腰を折るように、あっちこっちから質問が飛び交うことだろう。金返せ、公務員はアホだの、便乗して乗客側が職員を罵倒し、職員は職員で、申し訳ありません等という言葉とはかけ離れた「私のせーじゃない」という対応。

 どっちがいいのかわからないが、あまりにもステレオタイプな国民性の違いを目の当たりにして、可笑しくなってしまった。とはいえ、運転見合わせを知った瞬間から、猛烈に腹が減ってきて、構内にあった立ち食い蕎麦屋から漂う匂いにつられて、気がついたら、食券自動販売機にコインを入れて、食券を購入していた。一心不乱に食べたカレーうどん、400円なり。

 う、う、う、美味い・・・・・・・・・・(涙)。

 その後、結局違う路線を何度も乗り継ぎ、実家にどうにか到着。本当に成田から自宅が、パリ・日本間より遠く感じた午後だった・・・・・・・。


2003年05月20日(火) エゴイスト

 とうとう、本日里帰り。でも、まだまだたくさんやることがあり、嫌気がしてきたので、ちょっとだけ更新。

 昨日寝る前に夫と、飛行機に乗るとき、窓際?、それとも通路側?、という話題になった。で、二人とも同時に「窓側っ!!」と答えていた。

 で、理由は、窓から外みてると面白い(←まるでガキ)、通路側に座って寝始めたところで窓側の人に起こされたくない、通路は色々な人が通ってうるせえ、などの理由だった。

 とはいえ、二人ともエゴイストなので、いちいち窓側の人が通路に出る時に立ち上がるのが面倒くさいといいながら、自分達が窓側に座り、通路側の人に「すいませんが、ちょっと通してくだしゃんせ」というのは、構わない・・・・、ということだった(汗)。

 とはいえ、満席の飛行機の3人席だったら、通路側のほうがいいかな?、とも思っている。

 ただし、私の場合、隣の人が日本人だったりすると、ちょっと遠慮してしまったりする。これは自分でも不思議だ。基本的に同じ日本人同士うまくやっていきたい?!?!?!、と考えているのだろう(笑)。
 

 さて、フランスに戻ってくるのは6月15日。日本からもたまに更新する“かも?”しれませんが、よろしくお願い申し上げます。


2003年05月18日(日) 荷造り

 タイトルに荷造りと書いてみた・・・・。いちおう自分にプレッシャーを書けるために。プレッシャーをかけることが必要な状況=全然やってない、というわけだ。

 土曜日の晩は、久々のパーティーだった。でも、あまり気乗りしなかったので、とりあえず夫だけ午後10時頃に先に出かけてもらった。そして午前1時頃、ようやく“行ってもいいかな?”という気分になったので、タクシーを拾って会場へ。

 精神科医Eの家でのパーティーで、今回は150人くらい集っていたように思う。彼は40代はじめで、バツイチ。レ・アール近くにあるアパルトマンは巨大だ。当然、ものスゴク稼いでいる。別れた妻との間には、娘が二人いるが、それを週に一度面倒みればいいだけ。

 彼には現在5人の彼女がいる。遊ぶ相手ならもっといるだろうが、いちおう彼女と勘定できるのは、5人というわけだ。そして、5人の女の間で繰り広げられるバトルは、必然的に激しくなる。ちなみに、彼女らの年齢層は20代後半から30代後半まで。

 それでも、彼には、Fというナンバーワンがいたが、3月からそこにSというツワモノが登場した。そして、瞬く間にSがナンバーワンの座をもぎ取り、Fをその座から引き摺り下ろした。見ていても、壮絶だったので、スゲエっ、フランス女、と心の中で、意味不明に叫んでしまったほどだ(笑)。

 彼のほうとしては、5人が5人とも仲良くやってくれて、楽しみたい(←オトコの願望)だけなのだが。パーティー会場にも、以前は5人を引き連れてやってきていた。表面的には、彼に好印象を与えようとして、それぞれの女たちが仲良くやっている演技をしていた。また、能天気な彼はそれを信じて疑わなかったが、実は、まわりの人々は、“やべーよ、これから、Eはどんどん泥沼にはまるぜっ!!”という印象がほとんどを占めていた。

 で、案の定、現在“5人組制度”はほぼ崩壊してしまって、Sが一人君臨した、というわけだ。本日のパーティーでも、彼は5人の彼女らを招待したのだが、Sを除くほかの4人が、すべて口を揃えて「Sが来るなら、私は行かない」と答えたそうだ。

 きっと4人の女性たちは、そこで彼に「Sは来ないよ、それに君が一番なんだよ」なんて言葉を半分期待してたかもしれない。でも、結果は、Sの一人勝ち。そんなわけで、土曜日のSは、いつにもまして、妙に輝いていました、とさ。

 帰り際、彼に「あんたちょっと病気なんじゃない、アタマの?。」と尋ねると、彼は「じゃあ、いい精神科医紹介してっ!!」と切り替えしてきたので、そこで彼の同僚の名前を言って、私が切り返すと、

「あいつはアテにならん」と爆笑してた。まぁ、ねェ・・・・・、同僚Gもそうとう私生活荒れてるからねェ。

 

 さーーて、荷造りでもしよ、っと。


2003年05月16日(金) とあるシャンソン

 私は、家にいるとき、殊に、家事をするときにエプロンなどはしない。でも、自分の服が汚れるのがどうも耐えられない。日本から持ってきた服は、意外に高価で、素材もいいが、こっちで購入した服は、安っぽいものが多い。

 で、安っぽいからそれならそれで、汚れてもいいのでは?、と思うが、それもなぜか気に障る。では、どうするか・・・・・・・・?。

 そんな時は、だいたい夫の服(特にワイシャツや、セーター類)を失敬する(笑)。私171cm、夫178cmなので、だいたいOK。たまに夫は、私の服(大きめのセーターや、バスローブ等)を失敬するが、それは、どうも許せない。実に不公平なシステムだが。

 で、最近になって、結構夫がこのシステムに文句をたれるようになってきた(汗)。それの、彼なりのやりかたで、だ。どういうやり方か?、というと、下記のシャンソンを、妙に明るく大声で歌うのである。



L'habit qui n'va pas, c'est pour mon papa
Les plus beaux vêtements, c'est pour ma maman !
Le livreur c'est tout le temps pour ma mère
Les factures, c'est tout l'temps pour mon père
Les vieux pyjamas, c'est pour mon papa
Les dessous troublants, c'est pour ma maman
Ses chaussures sont coquettes mais les plus sales chaussettes
Aux trous grands comme ça, c'est pour mon papa !
C'est à maman qu'les gens font toujours des beaux cadeaux
Mais papa, c'nigaud, ne reçoit qu'la peau
Tous les ans, le jour d'sa fête, maman se fait offrir
Des choses de prix qui font toujours plaisir
Elle a des objets d'art, des sacs en peau d'lézard
Et mon père a aussi des sacs en peu d'zébi !

どうしようもない服は、パパ。
素敵な服はママ。
いつも配達されるギフトは、ママ。
その請求書は、いつも、パパ。
ヨレヨレのパジャマは、パパ。
セクシーなランジェリーは、ママ。
ママの靴はおしゃれでだけど、
すごく汚くて、大きな穴のあいた靴下は、パパ。
プレゼントは、ママ。
だけど、まぬけなパパには、何もない。
毎年、彼女の誕生日には、高価なプレゼントが届く。
ママはアンティークなモノも、トカゲのバックも持っている
でも、パパもキンタマの皮(←何もないの意)のバックを持ってるよ。




 という、1930年に作られたシャンソンの、リピート部分を抜粋してみた。まだ、上記のレベルにまで達してないんだけれど、な、ワ・タ・シ。とにかく物凄く明るいメロディーのシャンソン。お試しアレ。


2003年05月15日(木) 占い

 まだパリに住み始めて1〜2年くらいの頃、なにかやってみたくなり、無料日本語新聞にアノンスを載せてみた。

 そうしたら、本当に問い合わせの電話がかかってきたので、ビックリ。まだ料金も決めてなかったので、慌てて決め、生年月日だけを教えてもらい、約束の日時に我が家に来てもらった。

 はじめての占い師体験!!、じゃないが、相手は真面目にやってきているのだろうから、こっちもまさか「シャレでアノンス載せましたっ!!!」なんて今さら口が裂けても言えない(汗)。

 事前に生年月日から計算しておいたモノを手元に置き、あとは初対面の相手から感じられるモノを読み取っていって、無我夢中で(とはいっても落ち着いて話してたと思うが・・・・)語っていった。

 どうやら、私が言っていたことがかなり当たっていたようで、相手もどんどん打ち解けてくる。内心私は、“ゲゲ、本当に当たってるよ、占い師みたいっ!!”と思いつつ、相手が質問してくることに答えていく。そして相手のトラウマにまで達してしまった(汗)。その瞬間、相手の態度がかなり変わった。

 その人は、その時相当これからの事業のことについて迷っていたらしく、あちこちの占い師を梯子していたことがわかった。お金も相当それに費やしていたらしい。そんな時、占いの“TATI”(フランスの安売雑貨店)じゃないが、破格の安値の私のところに、半分冷やかしで来たことが判明(笑)。

 が、予想を反して、私が色々と当ててきたことで(こっちも予想を反していたが)徐々に信用してきたと、その人は言った。で、最後にはものすごく感謝までされて、その人は帰っていった・・・・・・。

 その後、結局、総計5人くらいの客がきたと思う。なんだかんだ言って、当たっていたみたいで、とても客に感謝されてしまったのが、逆に自分としては奇妙だった。
 
 思わぬ成功は確かに嬉しかったが、かなり疲れた。金額に見合わぬエネルギーの消耗、とでも言えばよいだろうか?。とにかく、私の場合、インスピレーションが第一なので、その瞬間に、知らず知らずのうちに、ソレを集中させているから、エネルギーを使っているのだと思う。

 それプラス、だいたい占いをしたい人というのは、不幸な状況に陥っている場合が多い。そして場所は、私の家だったので、客としてはマイナスエネルギーを払拭できていいかもしれないが、そのはけ口が私となり、また、それが家に残るゆえに疲れを感じる、というわけだ。

 プロ中のプロだったら、そういったモノを直接受けずにかわす方法も知ってるのだろうが、そこまでの技術がないままでやったので、当たる当たらないということではない、別の問題を感じ、すぐ辞めてしまった。このまま続けていったら、ワシの身体がもたんっ!!、と。



 ということで、現在は、占いとはかけ離れた世界で暮らしている、ゼロでした(笑)。


2003年05月14日(水) パチプロ

 私が実家にたどり着くのが5月21日水曜日の夕方以降。ゆえに出発までもう一週間もないので、帰国の知らせも兼ねて、日本にいる友人らに電話をしはじめている。メールではわからない反応というのが、電話での会話にはあるので、それが面白い。

 類は友を呼ぶで、同い年でまだ子供がいない友人が大半。どこかで年齢的リミットを感じつつ、とはいえ自分のやりたいことだけをやっている、というある意味で“お子様”な人間なのだと思う。

 私もさすがに来月で36歳になるので、様々な人から(夫を含めて)、子供がない人生でもいいの?、と尋ねられるが、それに対して、まともに答えられたためしがない。子供を持つ責任感を考えると、ガクガク、ブルブル、になってしまう自分がいることを、ここで白状しておく。

 とはいえ、今や2児の母になって、一生懸命頑張っている親友の一人の生活を垣間見て、本当に感動している私もいるのだ。現時点では、決して真似できない、偉大さを彼女を含む、母親業をやっている女性に感じないではいられない。専業主婦だとか、兼業主婦だとか、そういった問題ではないっ!!。

 さて、私の小学校1年生からの友人Yに、やっと連絡が取れた。彼女は私よりたった一週間早く生まれただけで、今までのほとんどの人生のどーしよーもないことを、一緒に経験している悪友。彼女はまだ結婚こそしてないが、一緒に住んでいる彼Tがいる。二人とも、学歴としては強烈に申し分ない人間だけれど、今はパチプロとして生活している。勝ち負けを含めたら年収はわからないが、稼ぐときは本当に信じられないほど稼いでいる。

 しばらくそういった生活を辞めていたと聞いていた私は、彼女の家に電話してみるのだが、いつも留守電・・・・。しょうがなく、本日の夕方、彼女の実家(私の実家から歩いて2分)に電話留守と、彼女の妹が出て、姉の帰宅時間を教えてくれたので、その時間に合わせて電話する。

 すると、彼女は本日の仕事を終えて、やっと自宅に戻ったところだった。本日大当たりしたらしい。その時、日本時間ですでに午後11時をマワッテいた。そしてあらためて私たちの里帰り日程と、彼女の“事業”のスケジュールあわせをする・・・・・。

 なんとなくだが、今回わしらは、きっとまとまった時間を持てずに会うと思った。とはいえ彼女が出没するすべてのパチンコ店のスケジュールは押さえた。なので、きっと私は夫を連れて、彼女が“稼いで”いる横に、ふと出没することになるだろう・・・・・。

 夫にとっても、パチンコでここまで稼いでいる人間の実生活を垣間見るのは初めてだろうし、それはそれでスゴイ経験になって欲しい(笑)。これらを考えると、ラブホ計画よりも、さらに刺激的な日本での社会科見学が期待できるかもしれない。

 ここからは、友人Y宛てのメッセージになるが、そうやって稼いだうえで、もっともっと、幸せになってね!!。あぶく銭をあぶく銭のまま、消費しないでね!!。私もなんだかんだ言ってプレッシャーのある日々(まるでギャンブラーのように)送っているけれど、同じように“竹馬の友”が、自分なりのやり方で日銭を稼いでいるのを改めて知って、妙に嬉しいッス。


2003年05月13日(火) ラブホテル

 本日は、ストの日。夫は、アパルトマンを出た瞬間にヒッチハイクに成功して、“普段よりも遅く家を出て”、“普段よりも早く会社に到着”したそうだ。乗せてくれた女性の行き先と、夫の行き先がほぼ同じだったことも幸いしたようだ。(※ストの時は、夫はヒッチハイクで通勤するのが常)。

 おまけに、この女性はパリにおける、とある日本企業で10年以上管理職として勤務した経験があるらしく、“ネタになる”と思ったらしい夫は、さっそく私の名刺を渡して、私の代わりにインタビューのアポを取ってくれたらしい(汗)。

 さて、この日記上で頻繁に仕事のグチを語っている私だが、今回だけは毎日定時に出勤する仕事じゃなくて、よかったぁ・・・、と思った。 


 先週から、早寝早起きシフトになっている私だが、夫が出て行ったあと、そう簡単に仕事に着手する習慣までは、まだ得られていない・・・。ああ、やっと私一人の時間〜ッ、とついついネットで里帰り中の旅行の下調べを開始。こういった助走がないと、高いハードルは越えられね。

 いちおう6泊分の宿はネットで予約したのだが、最後日の大阪でのホテルをどうしようか?!?!?!、と未だに迷っている私。激安のセミダブルベットお二人様使用という、6200円のホテルなのだが、最近になってちょっと不安になってきた。

 だいたい、想像できるホテルの感じ・・・・。狭い部屋に、壁に張り付いたようにある、セミダブルベット・・・・。安さを取るか、それとも快適さを求めてあとちょっと上乗せするか?。ああ、それが問題だ。

 そんな時、ふと閃いた。ラブホテルはどうだろう?、と。とりあえず、ラブホだったら、ベッドはデカイはず。そして、そんなに高くないのでは?、と思い、さっそく検索開始!!。そして見事にたくさんヒット。実際にラブホの巡りしているような錯覚に陥るほどだ。

 私の希望は、まず予約が取れること。なぜなら、当日希望の部屋がなく、それ以下のみずぼらしい部屋は嫌というのと、ゴージャスな部屋だと予算がない、というわけ。次に、どうせ泊まるなら、インターネット割引があって、これぞ日本人の発明!!、ッテ感じで妙におかしい部屋がいい、ということ。なぜなら、そんなホテルはフランスにはないので。

 あまりたくさんのサイトを見すぎて、ラブホテル酔いしてきたが、どうにか候補3件を発見。宿泊のお客は、チェックインのあと、外出もできるし、ベッドがボクシングのリングになっているという変り種で、7000円台というお値段(笑)。

 次に住所を調べていて、よくわからなくなったので、大阪で合流する予定の友人Yに電話する。上記の可能性を語ると、彼女は半ば笑い、半ば呆れつつそれぞれの候補ホテルの界隈などの説明をしてくれる。メルシーっ!!。

友人Y「あんた、ようそこから外出する気になるなぁ?!?!?!、わからんはっ!!」と言われた(笑)。

 ま、いずれにせよ、夜に大阪到着して、その後友人Yとその彼T氏と一緒に食事して、大阪市内めぐりなんてしたら、ホテルに戻ってくるのは遅くなる。それプラス、翌日は早起きなので、ほんの数時間、“どーせ泊まるなら”1000円弱の差額で得られる広いベッドと、それプラスのちょっとしたシャレが欲しいだけなんだが・・・・・・、そう・・・・・、日本社会観光のひとつとしてっ!!。

 本当に予約するかどうかはまだ決めていないものの、候補の部屋の写真をみせたら、夫が大爆笑していた。

「日本人、スゴイっ!!」と。

 というわけで、妙に日本人であることに、新たな誇りを感じたゼロでした。
 


2003年05月12日(月) 鍼灸院、再び

 先週の月曜日に引き続いて、今日も鍼灸院へ行った。広い待合室には、たくさんの人。普段は、待ちながら、人々は思い思いの雑誌を読んだり、ぼーっとしたりと静かに過ごしていただろうと思われる待合室・・・・・・、本日は違った。

 ちょっとだけ日焼け気味の人種の女性2人組がいて、そのお国の言葉で延々とお喋り。厳密に言うと、二人でというより、一人が喋りつづけ、もう一人が聞き役という感じ。それで、声が非常に大きい。

 フランスの病院ではよくあることだと思うが、予約を取って出向いても、結局待合室で待つという現象。私は、そんな時、待合室に用意されているあらゆる雑誌を読みまくるのが常だが、今回は、この二人のお喋りで、なかなか集中できなかった。

 イライラしてきて、呆れながらこの二人組みの女性を観察してみたが、他人のことなどこれっぽっちも思っていない様子。そんな様子をみて、自然とアタマを降って、“こりゃだめだ”というポーズをとったら、斜向かいに座っていた白人女性が、私に向かって同じポーズをしてきた(笑)。

 彼女の手元を見てみると、結構集中しなきゃ“読めんだろう?!?!”という分厚い雑誌が一冊。ほほう、なるほど、彼女もイライラしてたのね!!。ということで、他の人を見渡してみたら、数人の人たちが同じポーズを返してくるので、思わず笑ってしまった。

 そんな時に、私の番になった。あともうちょっとこの状況が続いてたら、彼女らに「無駄なおしゃべりと厚顔無恥な態度を直すために、鍼灸院にいらっしゃったのですか?。治るとよろしいですわね。オホホホホッ!!」と言いそうになってきたところだったので、セーフ。

 先生には、前回の思った以上の効果を伝えると、彼女も喜んでいた。中国と日本の鍼の違いなどを質問(←こんな時でも質問ばかりする私)。そして、ふと気になったことがあったので、尋ねてみた。

 それは、ジェット・リー出演の映画『キス・オブ・ザ・ドラゴン』のラストで、悪役を倒すために、ジェット・リーが特殊な場所に鍼を刺すと、身体中が麻痺したうえで、血が逆流して、毛穴を通して吹き出して死ぬ、というシーンがあったのだが、それがとても奇妙だったので、そういう技術ってのはあるのか?、と尋ねてみた。

 すると、先生は大爆笑した。そんなのあるわけないっ!!、と。やっぱりね・・・、と思ったと同時に、なんかガックリしたゼロでした。


2003年05月10日(土) 長年一緒のカップル

昨日は、インスタントラーメン状態のカップルについての報告を書いた私だったが、一晩空けて、友人カップルJ&Cの家に出向く。もう一組の友人夫婦F&Hも招かれていて、総計6人での静かな(?)ディナー。

 さて、ホストのJ&Cカップルはゲイ。二人が長いこと一緒に住んでいて、3年前にパックス(結婚のようなシステム)をして、幸せに生活を築いているのは知っていたが、まさか彼らが33年間も一緒に暮らしていたとは、全然知らなかった!!。私が来月で36歳・・・・、ということは、彼らは私が3歳の頃から一緒なんだ、と考えると物凄く感慨深い。

 もう一組のF&H夫妻は、27年間一緒というつわもの。17歳の一人息子がいる50代になったばかりの夫婦だ。

 J&Cカップルは、Jがフランス人でCが香港出身の中国人。彼らのアパルトマンはものすごく素敵だった。もう私たちのアパルトマンなどとは比べ物にならない。彼らの家は、細部までにこだわりが行き届いており、美意識も鋭く、おまけにJの手料理のおいしいことと言ったら・・・・・っ!!。

 ゲイカップルのJと、もう一組の夫婦の妻Fはともにスチュワーデス、スチュワートをやっていて、50歳で定年をむかえ、今は優雅な退職金生活に突入している。Jのパートーナーの中国人Cは画家で、日中自分のアトリエで創作活動に励むという生活。

 Fの夫Hは、まだ40代後半。ゆえに現役で働いている。Hは自分でも言っているが、本当に妻Fのことが好きでしょうがないらしい。彼女なしの人生など考えられないとのこと!!。スゴイ。確かに妻Fの性格は、オープンマインドで、ユーモアにも優れていて、それでいて社交的であると同時に家庭的な女性。私には見習えないほど、魅力的な人物・・・・・(汗)。

 そんななかで、たかだかまる5年一緒の夫婦であるワシらとして、私が長年一緒にいる間でそのくらい喧嘩して、ヤバイ時があったか?、等という質問をしてみた。もう、尋ねないではいられないのだ!!。

 双方曰く、お互いの時間への尊重があってこそ、長く続いてきたとのこと。とはいえ、色々な事情が重なって、それが出来ないときに色々と喧嘩が発生してきたし、今でも喧嘩になることがあるらしい。ホッ。 

 とはいえ、この二組のカップルは、パートナーがスチュワーデス、スチュワートだったのだから、必然的に相方の不在期間というのが多んだよな・・・・、と思ったりした私。相手のことを鬱陶しいと思う前に、恋しいと思えるのかもしれない(笑)。ま、あくまで、私の想像なんだが。

 パートナーと暮らしていく際に、どちらかがもう駄目だと息切れしたら、もう一方は、ある程度励ますことはできても、それ以上のことはできない、のだろう・・・。所詮、結婚だの、それらの制度にしても、人の心は縛れないのだから。それでも一緒にいるとき、きっとなんだかんだいって、個人として、それなりに相手といたいという欲求が最低でもないかぎり、こうも続いていかないのだな、とつくづく思った。

 また、カップルにおいて、それぞれが役目が出来上がりすぎてしまった瞬間、そこに停滞が生まれるのだろう、と。


 さて、帰り際夫に尋ねてみた。

私「ねえ、私との生活、たまに、気の合うヤロウ仲間と暮らしていると感じてない?。」
夫「うんっ!!。それもたまにじゃなくて、しょっちゅうっ!!」


2003年05月09日(金) カップルの行方

 パリに住み始めてたったのまる5年。今までどのくらいのカップルの別離を目の当たりにしてきたのだろうか?。そのくらい、昨日まで“みかけ”は仲良かったカップルが翌日には、別れている・・・・・。

 本日も、S&E夫妻が離婚訴訟を起こし始めたというニュースが耳に入ってきた。ある意味では、本当にビックリとはいえ、別の意味では、なんとなく想像がついていたともいえるから、なんともいえない。

 妻のSは34歳、夫Eは40歳の夫婦で、子供が二人。長年同棲したうえで、1998年に結婚して現在にいたる。妻Sはテレビ局勤務で、夫Eは経営コンサルタント。彼らとは様々なパーティーでよく顔を合わせていたし、たまにディナー等も楽しんでいた。

 さて3月くらいからだろうか・・・・・、ただの勘なのだが、どうもこの夫婦に何か問題があるなぁ、と思っていた私。それ以降もパーティーでも一緒になり、ますますなんとも言い知れぬ予感を感じていたが、とうとう離婚になった、とのこと。

 この夫婦、それぞれに新しいパートナーが出来たそうだ。その新しいパートナーは、やはりパーティーで私の顔見知りの人間!!。妻Sと新しい彼とのことはなんとなく気付いていたけれど、夫Eに、同じく私の顔見知りのベルギー人Mがコンタクトを取っていたとは、ちょっとビックリ。

 ということで、私の理由もない勘が当たっていたことに対しては、おおいに自分自身に満足な私だが、またもや、カップルの離別という事実に直面して、なんともいえない気持ちである。

 ちなみに、妻Sは二人の子供を引き取って、新しいパートナーGと生活を築く予定での、離婚調停を進めていくとのことだ。それにしても、私の勘がほぼ当たっていたとはいえ、この夫婦はそれぞれの新しいパートナーと、3月に出会っている。そして、あっという間の離婚調停。

 もうインスタントラーメン状態だっ!!


2003年05月08日(木) 旅行準備

 里帰り中の、旅行スケジュールを全部決めてしまった。久しぶりに時刻表を虱潰しに調べ、距離を推定し、観光する場所を想定し、6泊7日分のすべてのホテルをネットで予約。

 しかし、ついこの間行ったつもりだった山陰旅行も、実はよく考えてみると、10年以上前のこと。それまでは、毎年のように、近畿・中国・四国・九州などを“ワイド周遊券”を使って、乃至はクルマで旅行していたが、さすがに記憶が薄れつつあることを痛感して、何か資料はないか?、と思っていたところで、昔の手帳を発見。

 幸いなことに、その当時の全行程が書いてあったので、それをもとに、どこまで7日間で巡れるか?、と考え直す。それにしても、昔は元気だったのね・・・・、と20代の若かりし日を振り返りつつ、こうやって、10年以上のことも、どこかで昨日のように思い始めていることが、ある種の“ババア”になってしまったような気がして、ちょっと苦笑い。

 よく高齢の方々が、戦争時代のことを、活き活きとまるで昨日のように語ったりして、そこで「でも今から随分まえのことですよね」等とつっこむと、ハッと我に返り、「ああ、ワタシも年をとってしまった・・・」なんて展開になるのと原理は一緒だな・・・、と思った。

 そのくらい、毎日があっという間に過ぎていく。何をしても、しなくても、だ。恐ろしい。もう5月だし、気がついたら日本にいて、旅行している最中になっているのだろう。

 

 さて、宿泊の予約をしているときに、ふと気になったことがあったので、夫に尋ねてみた。

私「寝起きすぐに、塩鮭等とご飯、それに味噌汁なんて食べられる?。」

夫「それだけは勘弁してくれ。本当に朝から、塩っ辛いものを食べるってことはどうしてもできないんだっ。」

私「でも、6泊中のうち一軒の宿は、まわりにレストランもなにもない山奥。だから朝ご飯を食べられなかったら、いつ次に昼食をとれるか検討がつかないところなの。」

夫「でも、どうしても駄目なんだ・・・・(涙目)。他の時間帯ならなんでも食べられるボク(確かに、腐りかけのものでもなんでも食べられる)でも、朝食は、パンにバター(タルティーヌ)と、コーヒー乃至はミルクティーじゃないと・・・。」


 ああ、あんたもガイジンだったのね・・・、と。しょうがないので、宿泊予定の女将にメールしてみたら、なんとか朝食は“ガイジン用”にアレンジしてくれるとのことだった。ひとまず、ホッ。

 夫は、大食いだ・・・・。そんなに食って大丈夫か?、というほど食べる。さて、大食いの日本男児は、すきっ腹を埋めるために、ご飯をたくさんおかわりする。でも、夫の食べ方はソレとは違う。そんなふうに、ご飯をお変わりするほど、食べることが出来ない。味がないのだ、そうだ・・・・・。

 ゆえに、夫のすきっ腹を満たすためには、なんだかんだと“腹にタマルおかず”が必要になるわけで・・・・。きっと、山菜料理に、ご飯等というメニューだったら、彼には、ただの前菜になってしまうのだろう・・・・(汗)。

 以前、日本に来たとき、蕎麦懐石なるものに出席した夫。でも直前になって嫌な予感がしたので、とりあえず懐石料理を食べる前に、吉野家に夫を連れて行き、牛丼の大盛りを食べさせておいたことがあった。予感的中で、その30分後の蕎麦懐石をぺロっと食べた夫・・・・。もし牛丼がなかったら、どうなっていたのだろう、と。

 素材を味わって食べる・・・・、ということが出来ないのだろうか?!?!?!。


2003年05月06日(火) 新たな問題?!

 さっき、いとこI嬢からのメールが届いた。以下転用。


 

 きっとネットでチェックしていると思うけど、白装束の軍団のトップが今日フ〇テレビだけに本日単独インタビューに応じたようですよ。
内容は1:たまちゃんを救え 2:今月の25日に地球が滅亡する 3:複数のガンを併発しているのでトップは近日中に亡くなるそうです。

 これは、まさにトップ本人がおっしゃられているのですが、こういうふうに思い描いた幻想の世界に自分をもっていき口から発せられるのが恐ろしいよね。フランスにもこんな集団はいるのかな?

 そして気がかりなのは彼女の言う滅亡の日が25日であり〇〇〇(←夫の名前)が飛行機を飛び立っても降り立つ地球は存在しないのです。〇〇(←最寄駅)にたどり着く以前の問題が湧き上がったと伝えてください!





 ということだった。もう、しばらく笑いが止まらず、息が苦しくなってしまった。

 笑いながらも、フランスにはこういう集団はいるのか?、という質問に対して、“ラエリアン”と答えてみた(笑)。



 鉄砲玉のような性格の夫。その夫が、5月25日にパリを飛行機で飛び立ったまま、5月26日に降りるべき地球自体が消えちゃう・・・・、というフレーズが妙にツボにはまって・・。そんなわけで、突然ワタシのアタマの中には、昔話題になった“風船おじさん”と夫の姿が重なった。

 果たして、夫の“はじめてのおつかい”の行方はいかに?!?!?!。



 さて、このサイトも20000ヒットを越えたようです。皆様のおかげでございます。本当にありがとうございました。まだまだ、アップダウンを繰り返しつつ(笑)、続けていこうかな?、なんて思っておる、ゼロでした。


2003年05月05日(月) 鍼灸

 神道だの、仏教の歴史から、フランスで言われている禅(ZEN)だの、はたまたはレイキだの、と色々調べているうちに、なにがなんだかサッパリわからなくなっていった私。

 そのうち、日常生活でも様々なことがよくわからなくなってきて、『わからない地獄』に嵌まっていき、なにひとつ身動きできなくなっていった。ようするに、迷いが多すぎで、ピンとひらめいた感覚を逃してしまうのだ。

 じゃなかったら、もう閃いてもいなかったのかもしれない。身動きが取れないという強迫観念から、仕事が進まないという別の強迫観念を生み、ストレスが異常に増加。何か考えようとすると、今度は異常な頭痛(眉間の間からアタマの芯にかけて)が発生する。

 相当おかしくなってるな、ワタシ・・・・、とそれでも冷静に自分を見ることはできていても、それ以上にストレスの強さに今回は完全に持っていかれたような気がしている。

 さて、夫も色々とストレスがある。二人でそれぞれストレスを抱えて、そのうち各々が自分の殻に閉じこもり、自分こそもっとも酷い・ストレスを感じていると、きっと我が家の『被害者ナンバーワン決戦大会』みたいになっていたのだと思う。

 そんなわけで、もうほんのちょっとのことでも、神経がピリピリしまくっているわしらは、喧嘩する。もう瞬間にキーーーッとなっているのだ、私も夫も。ヤバイなって気づいても、身体の反応がついていかない。要するにコントロール不能・・・・。

 また、ゆっくりしたいと思っても、今度は二人のそれを求めるリズムが全然違うので、またそれが、諍いの種になってしまっていた。


 そんな感じがすでに一ヶ月以上続いていた。先週からはそれがピークに達した。すでにワタシには外出して、人とあって気晴らしすること自体、活力が干からびているので、できない状況になっていた。稀にみる自分の、あまりにも酷いガス欠状態に、さすがの夫もガス欠ながら、気付き、それをなんとかしようとするものの、また悪循環。

 おまけに先週は、夫が会社を休んでいた(ただの休暇)だったので、毎日ウチにいるという状況も重なって、きっとワタシの心の中で「てめーーが家にいるから、仕事にならんのだっ!!」と、またまた被害者になりきって、嘆いていたのだと思う。

 被害者の立場に二人とも居座り続ける・・・、ということ・・・・、つまりは、暗黙のうちに二人が二人して、「オマエのせいだ!!」と遣り合っているという状況だな、こりゃ・・・。

 そして、前述したように、なにもかも迷って決められなくなってしまっていたワタシは、ただ里帰りを夫とするか否か?、ということすら判断できないでいた。またそれを判断したとしても、なんか腑に落ちなくて、予約したのに、すでにキャンセル料がいくらかかるか?、ということばかり考えている。でも、同時になんとなくスケジュールを立てているから、本当にやっていることがバラバラなのだ。

 簡単にいってしまえば、要するにワタシの大スランプが引き金なのだ。そして前述したように、禅だの、フランスメディアで、なぜこうも禅だのがもてはやされ、そこまで彼らをひきつける原因はなんだ?、などと考えはじめて、わけのわからない地獄にはまってしまった。

 今思えば、結局、私自身が迷いの最中にいたので、なにやってもわからなくなるんだよね。で、迷いの最中ってのは、恐らく変化の段階だと思うが、その次のステップに進むべき、方向をなかなか見出せずにもがいていた、というわけだ。

 ついでに変化というのは、人間の潜在意識では求めていても、顕在意識が変化を恐れるという反作用ももたらすことが多いので、ワタシの場合、たかがちょっとした里帰りという、ひとつの変化を実行するにも、なかなか決断がつかなかったというわけだ!!。

 
 日曜日に、夫婦間でのイライラがピークのピークに達し、話あいがどちらからともなく始まっていき、延々と続いた。理解と衝突と繰り返し、繰り返し、繰り返し・・・・・、結局どのくらい続いただろうか?。そして幸いなことに、バタバタと左右に動きまくる天秤の動きを、最後の最後に、二人で同時に、そして自然に止めることができた。止まった瞬間、各自の間で、マイナスに激しく流れていたエネルギーが、不思議なことにプラスに作用しはじめたのが、今回よくわかったっ!!。

 そして翌日の月曜日に、本当はインタビューとして訪れようと思っていて、自分の取材リストに名前を載せておいたはずの、鍼灸の先生のところへ、患者となって行った(笑)。日曜日の晩までに、すでに夫婦間の問題はかなり片付いてしまったが、ともに身体も疲労しているので、とりあえず夫も予約して、二人で同時に診療を受ける。

 精神安定剤でも飲んでみようか?、と思っていたものの、こういったクスリを一度も飲んだこと無いワタシ。ゆえにどこかで抵抗感があった。しかし、高ぶった神経を和らげるには何がいいか?、とまたまた迷った末の、ひとつの冒険。なにせ、鍼灸も、ワタシには始めてのことだったからだ(笑)。それにインタビューするにしても、体験するのが一番かもしれん?!?!?!、と思ったことも確か・・・・。

 さて、I先生はとってもいい人だった。最初二人一緒に先生と話、その後各人別室に行き、それぞれにあったところにたくさん鍼をうってもらい、45分ほどで終了。来週、ワタシは再びここに戻ってくる予定だ。夫は2週間後。

 鍼灸院を出て、二人で用事があったので場所を移動するが、なんだか、すでに効果がでているみたいだ。笑える。二人とも、焦ってないのだ、不思議なくらい・・・・。何かに追われるように、イライラしていたリズムから本当に解放されたのがよくわかる。思わず、今まで、無駄に焦り、イライラしていたからこそ、無駄なエネルギーを費やしてきたこと自体を、まざまざと実感できて、二人でゲラゲラ笑ってしまった。


 どうやら、悪循環のループから本当に抜け出すことができたな・・・・、と実感した瞬間でもあった。


 そして、ふと思った・・・・・。ワタシの初めての鍼灸体験イン・パリ。先生はフランス人女性で、日本語も話す。これぞ"Le Japon à Paris"(←わかる人には、この意味わかる)だな・・・、と(笑)。

 
 ということで、精神と肉体のバランスということも、今回しみじみ悟ったゼロでした。ああ・・・・・・・ZEN。

 

 


2003年05月03日(土) 里帰り

 とうとう、里帰りの日程を完全に決めて、航空券を購入。2001年の秋以来の里帰り。

 結局夫を連れて行くことになり、例の“ジャパンレールパス”を購入して、7日間で西日本を駆け巡ってくる予定。なにせ、夫は、私の仕事の片腕であるゆえに、原稿の校正でもなんでも、実際の日本を見て、ある程度のことを身体で覚えてもらわないと、困ることがある。

 そんなわけで、夫にとっては日本についての集中講義になるはずだ。幸い、夫はすでに何度か日本に来ていて、京都などの観光名所はクリアーしているので、今回は思い切って、こういった場所をパスできる。

 アフガニスタンにあった、バーミヤンの仏陀をはじめ、アジア中の仏教関連のものはほとんど見ている夫。そんな彼に、あらためて日本の仏教関係を見せてもしょうがないので、今回は、“神道”を第一の目的に旅しようと思っている。そんなわけで、メインは山陰地方。

 伊勢神宮などもあるが、なにせ私が山陰地方大好き人間なので、必然とこうなってくるのだ(笑)。旅の最後に山陽地方に出てきて、厳島神社などを見せて、新幹線で東京に戻る、というのが理想のプログラム。

 いざ里帰りが決まると、どんどんと旅行の日程などを組むために、ネットで調査がはじまる。これが仕事と違って、どんどんはかどるのだ・・・・(汗)。どうして、こんなにも違うのか?!?!?!。

 へたをすると、地方の秘宝館めぐりになりかねない傾向もあるが、ま、なんとかなるだろう。あと、山口県長門市にある俵山温泉もひとつの目的。めざせ、麻羅観音!!。今から10年以上ほど前に訪れたことがあるのだが、その話をすると、夫が強烈に興味を示してきたので(笑)、今回、連れて行ってみようと思った。

 旅行は派手にするが、それ以外は、なるべく母親のそばにいようと思っている。そして、夫にも、今回はお客さんじゃなくて、家族の一員として、面倒くさいこと等にも、参加してもらう予定。なにしろ、わたしゃ、彼の家族に嫁として、すでに様々な理由で参加しているのだから、その逆があっていいだろう。

 数日ばかり私に遅れて日本にやって来る夫。空港まで迎えに行くのが面倒臭いのと、意外に交通費が高いこと、その上、私も時間が限られていることもあり、今回は、成田から我が家の最寄の駅まで、ひとりでやってきてもらうことにした。“はじめてのおつかい”じゃないが、どこまで彼ができるかな・・・・?!?!?!。

 また、こうやって自分の尻に火をつけて、里帰り前までに、どこまで仕事を進められるか?!?!?!、それが一番のプレッシャーだ・・・・(涙)。


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