ひとりで桜見る丘の上 - 2008年03月29日(土) たいへん天気がよかったので。 独りでふらふら多摩川河川敷まで。 川崎側の土手から対岸の桜を眺めようかと思うも、 意外に遠かったので向こう岸に渡る。 人の流れに乗って丘をあがると、 やがて結構な広さの公園が現れてびっくり。 いや、去年の桜のころもここへきて、 浅間神社の境内にあがったりしていたのだが。 この丘の上に公園があるのは初めて知った。 飲む人、食う人、撮る人。 歩いたり、座ったり、立ち尽くしたり。 思い思いに花見を楽しむ人がいっぱいで。 ワシはひとりだが、それはそれでなんかいい。 ちゃっかり買い込んだ缶ビール片手にうろついて。 見事な桜と多摩川が両方望める良席を得る。 とても穏やかな心もち。 いつか、日本の国家を「さくら」にしようと 言った人が居たように思うけれど。 若いころはピンと来なかったそれが。 この光景を見れば、至極素敵な提案だと感じるのだ。 お弁当はお重からコンビニへ。 携帯やデジカメを桜にかざす人は増えたけれど。 この光景そのものが、廃れることのありませんように。 - 寝正月。 - 2008年03月20日(木) 毎年3月20日は自分の「1年の始まり」と 超・個人的に定めている。 前にここにも書いたかもしれない。 もともとこの日は尊敬する祖父母の誕生日で (2人ともこの日ということになっている)、 親の記念日でもあったりして。 元年のその日には、自分の人生を変えるきっかけの出来事があった。 2年目のその頃は25年住んだ故郷のそばを離れて大都会にいた。 3年目のその頃は当時本気で尊敬していたバンドが解散を発表した。 4年目のその頃は自分の背負った障碍を初めて知りもがいていた。 5年目はこの日に異動し、6年目はこの日に退職した。 7年目は……失職の不安を前に何故か初めて東京タワーへ登った。 8年目。 初めてなにもなく、なにもしなかった。 むしろ調子が悪く家で寝て過ごした。 まぁ、今までこの日になにがある、って 穏やかならぬことがある場合も結構多かったわけなので。 これから自分なりに安定した暮らしを築ける、 そういう予兆であってほしいと願う。 もっと学んで、身につけて。 誰かの役に立てるように。 - シリウスになって。 - 2008年03月16日(日) 酔っ払い丸出しの日記をあのまま 放置しとくのもどうかと思ったけど。 まぁ、あれはあの日の気持ちの記録だ、ということで。 読んでしまった人はひとつご容赦ください。 今日また公式を訪ねて、 「ハーメルン」のPVがアップされていたのを知った。 これ、もとからあったのかな。 まず公式を見たときのPCが 今どき動画も見られないヤツだったので、 どうだったのかはわからないけど。 小さな画面を一生懸命観てしまった。 で、やっぱり『きっと向こう側で生きてるな』と思った。 直接会ったことのない人だからかしらん。 見えない世界がなんとなく見えていた人だからかしらん。 彼を見送った人の1人が、 「早いね早すぎだよ。でもそれ以外は全部素敵。生涯も今日のお式も。」 と述べていたり。 インターネットのいろんなところでは 「三途の川を見たら好奇心で渡ってみたくなったに違いない」 なんてとんでもないことを言われてたり。 なんだこれ。 悲しくて寂しいけど、喪失感よりも 確実に存在感が増してきてるような感じ。 居ないけど、きっとどっかに。 シリウスになって。 - 騙してもいいよ ずっと待ってる - 2008年03月10日(月) こんな日に限って会社の飲み会だよ。 たまらなくなって帰り道に 『十秒後の世界』を聴きながら歩いてたら、 我慢しすぎて鼻の奥が痛くなった。 しかも出るものは我慢しきれず出た。 どうしてだ。 こんなに早く居なくなっちゃう人だと思ってなかった。 近いうちにもう一度観たかったんだ。 たった数回しか観られなかったけど、 『百物語』のあの空間がとっても好きだった。 現実と地続きで非現実に滑り落ちるような、 シュールだけどどこかホッとするような。 だから、実は居なくなっても空しくなった気がしない。 むしろ『向こう側から帰ってこない』だけじゃないかって。 そりゃ、もちろん寂しいけど。 だってこっちは現実に取り残された身だ。 レピッシュだって好きだった。 個人的にはキーボーディストって 「リーダー&正統派プロデューサー型」と 「飛び道具&スパイス的プロデューサー型」に 大別できると思うんだけど、 若いころのワシは圧倒的に後者に憧れていた。 現ちゃん、ロジャー、ABE-B、エディ、ドクター田中……みんなそうだ。 ……ショルキーとか平気で背負いそうだろ?(ほとんど全員経験者) あー、なんかもう支離滅裂。 ……酔っ払いの繰言だな。 最後に、これだけは。 ワタシは消費する側の人間だけど、 忘れずに思い続けることだけは、できる。 あまつさえ、それを誰かに伝えられるかもしれない。 それだけでも、生きる意味はあるかもしれないと思った。 生きるように努めたいと願った。 ありがと、現ちゃん。 もの凄い偶然と必然にただ感謝。 -
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文投げる |