ねぎぼう業務日報

2003年10月31日(金) 「北海道日本ハム」行動開始です

北海道日本ハムは来年も20試合ほど東京ドームで主催試合を
するそうです。

「移転したのにいまさら・・・」というのが3割、
「やはりドームにはファイターズが似合う」というのが7割
といったところです。気持ちの割合は流動的ですが。

かつて、福岡ダイエーの移転一年目に、近鉄がダイエー戦を
大阪球場で開催していました。
親会社ごと替わったこともあって、ダイエー自体が関西で
主催試合を行わなかったことを受けての、近鉄の
「粋なはからい」というか、「南海ファン残党の集客」を
狙ったかといったところでしょうか。

東京での集客に苦しみ続けた日本ハムが北海道という、
潜在的な野球ファンを持つ「野球空白地」に活路を
見出したのですが(結果はどうでるかわかりませんが)、
東京開催はやはり、古巣への顔見世というファクターが
大きいのでしょうか? それとも、北海道での集客は
未知数だけに、東京での集客を保険にしているのでしょうか??

なお、北海道日本ハムは松井稼の「FAでの獲得」を
狙っているらしいです。今まではFAで獲られる側だったのが、
移転を機に、「攻め」の補強を考えているのでしょうか?
新庄にも興味を持っているそうです。まあ、
「北海道行ったからって、ちょっとキャラ違い過ぎやで」
というのでなければ、まあ、その姿勢、歓迎するとしましょう。



2003年10月30日(木) あんまんにも「芥子」

最近、ちょっと「芥子」がマイブームです。
中華まんには必ずつけます。
鼻につーんと来る感覚、以前は苦手で、
豚まんに芥子をつけることはなかったのですが、
「芥子をつけて食べたら体脂肪がバリバリ燃焼」
するのではないかという気がして、つけるように
なりました。

あんまんにももちろんつけます。
あんこの甘さと芥子の香りがシナジー効果をもたらし、
味にキレが出ます。

アナザーアースではどうやら「非常識」らしいです。

話はかわって、青汁を中ジョッキで飲ませてくれるお店、
ないでしょうか? 自分でやってもいいのですが、
やはり、お店で飲んでみたい。
普通の量なら、名古屋の有名な手羽先の店でありましたし、
最近ではファンケルのショップもあります。

昔、笑っていいともで「青汁をジョッキで飲ませてくれる」
夢のようなコーナーありました。ブロックのトッピングまで
つけてくれるのですから、この上ない贅沢です。
もっとも、青汁を飲ませてもらえるのは毎回一人だけという
狭き門でした。まあ、当然でしょう。
やはり青汁は高いから、コスト削減でタレントの猛反発を
押し切ってコーナーを終了したということでしょうか?



2003年10月29日(水) 「第16回日本メガネベストドレッサー賞」

「第16回日本メガネベストドレッサー賞」の表彰式が
昨日28日に行われたそうですが、受賞者を見て???

将棋の羽生善治氏は「今になって?」と思わなくも
ないですが、まだ「眼鏡」だから許せます。
やっぱり「サングラス部門」はちょっと??です。
ましてや、歌手部門のhitomi、スポーツ部門の
蝶野正洋って、それも「サングラス」やん??

「〈特別賞〉今後メガネをかけて欲しい人」は
毎年とってつけたような印象があるのですが、
今年はSHIHO、やっぱりとってつけたような・・・
ただ、写真をみるとそう悪くないような気も。
私は飲みすぎると、時々新聞や雑誌に載っている
女のコにすべて「メガネをかけさせる」癖が
現われるのですが、所詮そのレベル??

去年の「仲間 由紀恵」でまあ少しは「まっとう」に
なってきたかなと思いましたが、
今年はダメダメの部類です。
本来なら「今中笑里」役の西島未智を選ぶべきでしょうが、
とはいえ、知名度的にヨワイのはしょうがないのは
私でもわかります。

それなら、いいかげん「光浦靖子」選んだほうがいいです。
彼女のほうが間違いなく「眼鏡がはまって」います。

「メガネベストドレッサー大賞」は、その魅惑的なタイトル
とは裏腹に、「眼鏡萌え」を萎えさせる罪なイベント・・・



2003年10月28日(火) 引き分けたゲームなら・・・

10年前の今日、世界杯蹴球選手権米国大会の最終予選で
日本とイラクが戦いました。そう、あの「ドーハの悲劇」が
あったときです。

日本は勝てば待望の本大会出場が決定するという状況で
臨んだイラク戦、一時は中山のゴールで勝ち越しながらも
後半ロスタイムに同点に追いつかれ、悲願を目前で逃したのが
1993年10月28日です。

当時のイラクは予選突破の可能性がとっくになくなっており、
それにもかかわらず、最後の粘りをみせたのは、
ウダイの鞭打ちが怖いからだとばかり、
てっきり思っていたのですが、最終節の他国の動向によっては、
予選突破の可能性が残っていたらしいです。

'90年の「熱闘甲子園」のテーマソング
「金網越しのBlue Sky」(by大塚純子:現The gardens のjunko)
に「引き分けたゲームなら涙も汗も分かち合えるね」
というフレーズはあるのですが、
10.19のロッテ−近鉄戦にもいえることですが、
総当たり戦では引分けの重みは往々にして、
夢をつかみかけた敗者、夢がすでに遠のいてしまった敗者と
では違うものです。
その痛みの差を越えてともに敗者であることは分かち合える、
とするならばその意味は深いです。

逆に、引分けで一方が夢をつかむことも無論あるのですが。



2003年10月27日(月) セレッソ前夜

先日「がんばって」入手したヤンマーサッカークラブの
ハンドブックが今日納品されました。

'93年のヤンマーはJ1リーグが戦う舞台でした。
J1リーグとは「JFL1部」のことです。
当時はJリーグの発足に伴い、JSLが発展的解消し、
Jリーグに参加できなかったチームと参加するつもりのなかった
チームが「ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)」に
参加しました。ジャパンフットボールリーグはJリーグの
2ディヴィジョン化に伴って、これまた発展的解消、
「日本フットボールリーグ(新JFL)」となります。
この旧JFLは発足当時は2部制で、J1リーグ下位とJ2リーグ
上位との入替もあり、さらにJ2リーグ下位は地域リーグとの
入替もありました。

ちょうどヤンマーはJSL末期に2部降格の憂き目にあい、
なんとか立て直して1部復帰を果たしたところで、Jリーグ
オリジナルの10チームから漏れ(たらしいです)、
J1リーグで戦うこととなりましたが、このときにも
主力選手はだいぶ移籍していったようです。伊藤、梶野兄、
草木などはそうでしょう。その副産物として
「また、若手では、成長著しい森島、濁澤に加え、皆本、塚本、
川前らもレギュラーに定着、チームの”若がえり”が実現した。」
(ガイドブック本文より)

当時すでに「サッカープロ化推進室」が発足していたのですが、
リーグ戦では当時すでにJリーグ準会員であった、フジタ、磐田、
柏の後塵を拝する状態でした。
そんな中でも「1995年のJリーグデビュー」を明記し、
そのとおり実現したというのは、たいしたものだと思います。
実際、93年には7位。Jリーグどころか、J2リーグ降格も
ちらつくような星勘定でした。J2リーグから脱退するチームが
出たのと、J1リーグからJリーグに昇格するチームがでて
チーム数が減ったため、JFLは1部・2部が合併。
大所帯なリーグになっていきます。
ヤンマーサッカークラブも「大阪サッカークラブ」として
独立法人化(といっていいんでしょうね)、伝統の赤の
ユニフォームにだいぶ「白が混じる」ことになります。

そんな時代のヤンマーの最後の1ページを手にすることができ、
感無量です・・・



2003年10月26日(日) 「闘莉王」

水戸の闘莉王の本名は
「田中 マルクス 闘莉王 ユウジ ムルザニ」

あの「摘詰角田野廷遊豪」さんより長いです。
さすがに「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末
雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路ぶら小路
パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンの
グーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助」さんほどではありません。
なおこの人の苗字は「鈴木」「高橋」「杉田」と諸説あります。

昔、南海に「王天上」という選手がいましたが、
この人は本名「オーテンジオ」の当て字で、あくまで
「登録名」でした。
なお、大阪近鉄退団濃厚のローズは「狼主」の千社札(?)を
メットに貼っています。
次の移籍先ではまさか・・・ まあ、東のアノチームでは
そこまではするまい???



2003年10月25日(土) らくやんカードでよいです

日本シリーズもいよいよ佳境ですが、
西宮の先発はムーアが予想されています。
まあ、どちらが優勝してもかまわないのですが。
あえて西宮が勝つには「指名打者」の放棄を推奨します。
西宮がホーム甲子園で勝てたのは「普段どおりの野球」ができたため。
普段の西宮に指名打者はありません。

福岡ドでもその方針を貫くことができれば、かなり勝算はあります。
ところが6戦を福岡がとると福岡有利です。
なぜなら、7戦目は西宮は井川の可能性大ですが、井川は
「北別府シンドローム」の兆候があります。そう、シーズン中は
絶対のエースでも、シリーズになると勝てない病。

西宮にはこのアイデア、高く買えとはいいません。
「らくやんカード」2000円分でよいかと・・・



2003年10月24日(金) バリウム疲れ

私はとある理由により、数年前から健康診断には
オプション項目である胃透視をやってもらっています。
すなわちバリウムを飲んでレントゲン写真とるという
もの。

バリウムというと、胃の写真をうまく撮るために、
ラムネのような発泡剤を飲むため、「ゲップ」との
戦いだともいわれていますが、年々対策はされている
ようです。今日もそれほどゲップ我慢の苦しみは
ありませんでした。

あと、通常は回る撮影台に乗り、さんざん振り回され
ますが、年々回るパターンが変わっているようです。

飲んだバリウムは早々に排出しないといけないので、
撮影してしばらくたつとお茶をたっぷり飲まねば
なりません。まあ、年に一回は消化器官のクリンアップを
することは決して悪いことではありません。
とはいえ、胃の動きを制御する注射を打ち、
バリウムなどという食物とはいえない「異物」を
飲むわけですから、さすがにその日は調子出ません。
検診終わったら職場に復帰はしないといけませんでしたが。

週末は名古屋→大阪→米原というめまぐるしい移動の連続です。
下準備は必要ですが、とりあえずバリウム疲れの休養です。



2003年10月23日(木) 同じ桜のユニのよしみで

W杯ラグビー、日本はフィジーから5トライ奪って
勝たないと1次リーグ敗退という状況だったのですが、
逆に5トライ「奪われて」敗戦でした。

日本ラグビーもアジアでは強いのですが、世界に
なると・・・

ラグビーは力の差が正直にでるスポーツのようです。
サッカーは引きまくってカウンター勝負という
戦術もありですが、ラグビーはそれはできません。
それだけに、いかに「力をつけるか」が大事だ
とは思いますが。

あとは、アジアの壁が「ない」ぶん、世界の壁に
直撃してしまうのかも知れません。

1次リーグの残り試合に意地を見せて欲しいもの
ですが、まあ強豪国との対戦がまだまだ続く
だけに・・・



2003年10月22日(水) がんばりすぎ?

星野仙一(西宮監督)と日本シリーズ
現役時代は1974年と1982年にともに2勝4敗。
監督になって1988年と1999年にともに1勝4敗。
1勝1敗のタイにしてから3連敗というのも同じでした。
これらはすべて名古屋時代です。

今日西宮が1勝したのですが、これで1勝2敗。
過去の監督時代パターンとは若干違っていますが
これでどうなることでしょう?

今日はネットオークションでちょっとがんばってしまいました。
ブツは「ヤンマーサッカークラブの公式ハンドブック」
開始価格のウン十倍です。ヤンマーのユニのときもちょっと
がんばったので、やはりヤンマーSC系のアイテムは人気が
あるのかも知れません。
93年、すなわちC大阪の前身クラブとしての最後の年のものです。
この年にはすでに森島が主力選手なのですが、現在のC大阪に
残っているのはもはや森島だけです。Jリーグクラブに在籍する
現役でも鳥栖の川前くらいですから、サッカーの世界の10年の
移り変わりの激しさを感じさせられます。

そういえば、Jリーグ元年から活躍していたサントスが、
関東リーグ2部で今年地域リーグ決勝大会に飛び級参戦が
濃厚のザスパ草津にいます。42歳で現役、スゴイです。
ラモスもかりゆしの時は選手登録していましたが、
試合出場はあったのでしょうか?



2003年10月21日(火) 走れない日々

最近、また仕事が忙しくなったせいか
走る時間がとれません。

このままではまた肺が弱ってしまいます。

朝とかに走るようにしないといけないでしょうか。

今日は雨。日本シリーズが「雨で流れる」のって
久しぶりだと思われます。

明日は福岡は和田らしいですが、試合後
「オリックス打線のほうが強力ですね」なんて
言ったら??



2003年10月20日(月) 鷹虎義塾

「鷹虎応援列車」と書いているのをぱっと見ると、
「慶応応援列車」と見えて、「早慶戦とかあると応援列車
だすのだろうか・・・」と思ってしまいました。

日本シリーズも、明日から甲子園での対戦になりますが、
はたして、レフトスタンドでは「南海ホークス」の旗を
振る人達はいるのでしょうか?
7回表には「鷹の爪」を歌うのでしょうか?

「明石家電視台」のクイズコーナー参加者で、
阪神のレプリカを着たのと、青い縦縞のレプリカを着たのが
出てきました。G大阪のかと思いきや胸には「PIRELLI」、
「インテル・ミラノ」でした。うーん、空気が読めん奴です。
(って、G大阪のレプリカ着る人のほうが少数派では?)

そういえば、昨日京阪宇治線に乗っていると、
C大阪の初期のジャージを着たおばちゃんが乗っていました。
そう、サイドに桜吹雪があるデザインです。
いやー、懐かしいもの見ました。



2003年10月19日(日) 2〜3分の奇跡

最近、メロンパンを車載の窯で焼き売りしているところが
多いです。

今日、宇治平和堂の近くでその車があり、
まさに「焼きたて」のメロンパンをかぶりつくことが
出来ました。

焼きたてのメロンパンは、中のパン生地がそれこそ
口の中でとろけます。厳密には1分間は冷ましているの
ですが、少しは冷まさないと熱すぎて舌を火傷してしまいます。
たっくんならよくわかることでしょう。

しばらくおいたメロンパンの表面のサックリ感も捨てがたい
ですが、わずか2〜3分の間だけ楽しめる、パン生地が
口の中でとろける感覚はまさに「絞りたての日本酒」を
思わせるものです。

私ももともとメロンパンはあまり食べませんでしたが、
やはり、焼きたては特にすばらしいです。

無論、お土産で食べてもらった分も好評だったので、
「焼きたて」だけのメロンパンではなかったことは言うまでも
ありませんが。



2003年10月18日(土) イス取りゲーム

J2は勝ち点2以内に3チームがひしめく、
壮絶なイス取りゲームの様相になっております。
甲府は今日山形に破れたため、2位川崎との勝ち点差が
15となり、イス取りゲームに参加する資格を失いました。

残り5節で川崎が5連敗、甲府が5連勝すれば、勝ち点差で
追いつくのですが、川崎−広島の対戦が最終節にあり、
川崎が負けるということは広島に勝ち点3が加わると
言うことなので、仮に広島が最終節まで勝ち点がのび
なくても、これで甲府に逆転。
かくして、甲府は本日、3位以上になれないことが決定
したということです。

J2発足当時は最下位に定着、チームも存続危機が
しばしば騒がれていましたが、今年はよく健闘しました。
この力を維持し、地元のバックアップがより厚くなって
いけば、J1昇格も手に届くところまでくるでしょう。

先ほどの最終節「川崎−広島」は、J2の「伝統」から
考えても一方が圏外に脱落しての消化試合ということは
まず考えられません。むろん、新潟が脱落してての
消化試合でもないでしょう。
間違いなく「イス取りゲーム」の勝者を決定する大一番です。

去年の「C大阪−新潟」は新潟が「勝たねば先がない」
プレッシャーを抱えたせいか、「決定的な大一番」に
弱い(?)C大阪を突くどころではなく、途中からは
一方的な試合になってしまいましたが、今年の
「川崎−広島」は「勝てば昇格」というわかりやすい
路線がいいかもしれません。もっとも、引分けが
どちらにとって有利になっているかは向こう4節の
戦い方しだいでしょう。
新潟も抜け出しかけてたのがここのところ失速している
ことから、最終節までイスを確保するチームはなし、と
思われます。



2003年10月17日(金) 米プロ野球が大切??

アメリカプロ野球リーグのプレーオフのために
ひるどき日本列島が延期になってしまいました。

「ひるどき島津担当編」はいまやお昼のお化け番組、
みのもんたやタモリがすっかり自信喪失になっているとの噂も
耳にします(?)が、あえてアメリカプロ野球をもってきた
ところにNHKの苦渋の選択が見てとれます。
もし、延期じゃなくて「飛ばし」だったら、NHK本部が
焼き討ちにあってたかもしれません??

過激な島津さんフリークが抗議の電話で回線を
パンクさせていなければいいのですが・・・

気持ちはよくわかりますが、やはり、
「大人の対応」を心がけたいものです。



2003年10月16日(木) セントラルリーグ初の指名打者

阪神は実は「セ・リーグで初めて指名打者制の公式戦を
戦ったチーム」です。

日本シリーズはパ・リーグが指名打者制を採用した後も
投手が打席に立っていたのですが、
1985年に初めて日本シリーズにも指名打者制が
採用されました。そのときはシリーズとおして
DH制で、翌年はnon−DH制。
同一シリーズで、リーグ代表のホームでそのリーグの
打者制度をとるようになるのは後の話です。

当時の阪神打線は伝説にもなっている強力打線。
1番右翼真弓、2番中堅弘田、3番一塁バース、
4番三塁掛布、5番二塁岡田、6番左翼佐野(長崎)、
7番遊撃平田、8番捕手木戸(嶋田)、9番投手
となっており、DHを採用したからには、破壊力を
さらに高めるような起用(佐野と長崎の同時出場)を
するかと思いきや(もともと指名打者は打撃優勢の
選手を起用するケースが多い)、
中堅の弘田をそのまま指名打者にし、
9番に中堅として北村(吉竹)を持ってくるという、
シーズン中とそれほど変わらないシフトを当時の
吉田監督(現大阪ロマンス監督)は選びました。

あくまでペナントレースでの打線を重視した、と
言うことでしょう。あとは、セ・リーグでは慣れない
指名打者だけに、セ育ちの選手ではリズムを崩す
かもと配慮し、パ出身の弘田を持ってきたと
言うところだったのでしょうか。

セ・リーグ初の指名打者がレギュラー中堅手と
いうのはなかなか意外なものでした。

星野監督は新聞では広澤か濱中のDH起用を考えて
いるようですが、やはり福岡ではしっかり打線の
てこ入れをしようという考えなのでしょう。



2003年10月15日(水) 「恋する漬物!!」

「美女と野獣」のように「野獣」の正体は王子様だったとか、
「つるのおんがえし」のように、鶴という正体がばれたために
老夫婦と一緒にいるわけにいかなくなるとかいう話は、
「異端は受け入れられない・異端じゃなくなって
初めて受け入れられる」という「一種の原則」から
くるものでしょう。一寸法師も最後は「打ち出の小槌」で
一般人の大きさにしてもらってハッピーエンドです。

古典的なウルトラマンなど正体秘密タイプの作品では
「最終回に正体が発覚し、仲間と別れなければいけない」
というパターンが多かったと思います。

まあ、正体ばればれのヒーローも仮面ライダーとか
わりと多かったのですが。

その中で「正体が化け物で、それをも受け入れる話」は
というと、重甲ビーファイター32話「恋する漬物!!」
次元をめぐって(ビーファイター世界は多元宇宙論と
いうことになるのでしょうか)生命体を捕らえて漬物に
して売り歩くババンバに惚れたじいさんの話です。
一応人間の姿をしていたのですが、正体は(人間の
目から見れば)「化け物」。じいさん、それを見て
一度は泡をふいて失神するも、「腹をくくった」後は、
ピンチのババンバを助けるために命を張り、ババンバにも
じいさんの心がはっきり伝わり、結ばれる、という
ハートの熱い佳作です。

異端受け入れ話、日本の昔話でも他に一部あったような気も
しますが、こういうストーリー、なかなか素敵でヨイです。

大きなレンタルビデオには割と置いている確立の高い、
「重甲ビーファイター(全話リリースされています)」。
この32話も見ることが出来ます。



2003年10月14日(火) 「♪帰りたいのに帰れない」

流星塾出身の「♪帰りたいのに帰れない」男、三原くんを
演じる原田篤さんが、なんと女優の秋元奈緒美さんと
結婚していたそうです。
最初、ヤフーで「女優の秋元奈緒美が結婚」とあったのを
見て、
「アニーのおねいちゃんか・・・ いや、森永やったっけ?」
と思いつつクリックすると、

「俳優の原田篤さんと」

え? 巽ショウ?

たしかに、他のリンクも見るとそのとおりでした。

めでたいことですが・・・ びっくりです。

ちなみに「♪帰りたいのに帰れない」というのは、
高田純次が出ていた栄養ドリンクのCMからです。
かなり昔です。覚えていますか?
「5時から男」という言葉が話題になったシリーズです。



2003年10月13日(月) 10年前って・・・

昨日、F1の日本グランプリが行われていましたが、
観客席を見ると、それなりに入っていたようにみえましたが
話題性ではかつてほどではないでしょう。

10年前はすごく人気があったものです。
相撲も、サッカーも・・・

逆にアイドルは「冬の時代」。一部の熱狂的なファンの
存在はあったものの、CDなどの売り上げではオリコンの
上位に食い込むことはほとんどありませんでした。
当時の典型的アイドルの代表格、高橋由美子が最高位10位
でしたから。

もし、当時にも「ザ・ベストテン」があったら、アイドル
全滅なのは言うまでもないですが、当時は「ビーイング系」
という「テレビ出ない・コンサートやんない」という
神秘性たっぷりの集団が全盛だっただけに、「第○位、
ZARD『××××××』、方針により出ません、第×位、
DEEN『○○○○○○』、方針により出ません・・・
あ、終わっちゃいました」なんてことになっていたかも
知れません。

今は、モーニング娘。系の人達がそこそこCDを売り、
よりアイドル色を強めたグラビアアイドルたちが
好調に人気を集め・・・ 一応10年前とは違う感じ
かも知れません。

10年前は入手困難だったサッカーや相撲のチケットは、
今ではそんな時代があったことが嘘のようです。
蹴球世界大会のチケットやJPB西宮戦のチケットの
争奪戦に、「昔はJリーグもそうだったな」と思う
ばかりです。

10年たつと、それなりに世界は変わります・・・



2003年10月12日(日) 結果を出すということ

本日、山本監督が千葉の監督としてのラストゲームでした。
それにしても5年間も監督やってたというのがすごい・・・
サッカーの監督交代劇を見ていると痛感。

星野監督の原解任ニュースを受けてのコメント
「若い芽をつんで、どうするんや。2年で、どうやって
結果を出せと言うんや。そんな甘い世界じゃない」

1年目と2年目の順位が逆だったら
東京ジとしては「それなりに結果を出している」とみられた
かもしれません。
並のチームなら「救世主現る!」です。

J1では降格させたら即行クビですし、させかけても立て直しの
ための監督交代が待っています。当然のようにシーズン中。
J2では降格がないとはいえ、低迷が続いてファンに
アピールできないと、「チーム存続」すら危ぶまれますし、
(チーム存続問題はJ1のクラブでも多かれ少なかれ
抱えているところはあるはず)
J1昇格、特に返り咲きを目指すクラブにとっては、そのときに
結果を残さないと来年はスポンサーが付かないなどと
いうプレッシャーもあったりします。
常に短期間で結果を求めさせられるサッカークラブの現状が
日本サッカーにとっていいのかどうかというのはあります。

そういう意味では、降格もチーム存続問題も今のところない、
プロ野球自体、甘い部分もあるのは否定は出来ないでしょう。
会社の事情で解散の相次ぐ社会人野球のほうが、
「不条理」に厳しい世界です。「結果を残すこと」と
「チームの存続・発展」とがリンクするとは限らないのですから。
ただ、今の経済状態が続く中で、12球団制が永劫に維持
されるかどうかもも疑問ですが・・・



2003年10月11日(土) 救急戦隊ゴーゴーファイブ「瓦礫の天使」

ナポレオンの辞書には「不可能」という文字はないそう
ですが、ナイチンゲールの辞書には「あきらめる」という
文字はないとの事です。

「あきらめる」という文字はない、ってなかなか
ヒーロースピリッツにあふれた言葉です。

巽マツリはもともと看護士→救急救命士ですが、
劇中でこの台詞があれば、すごくはまったかも
しれません。

以下はお目汚しですが・・・

*******************************

救急戦隊ゴーゴーファイブ「第○○話 瓦礫の天使」ダイジェスト

マツリがサイマの罠にかかり、要救助者とともに
脱出不可能とも思われる瓦礫の山に閉じ込められた。
折悪しくもゴーゴーブレスはメンテナンス中。
他の巽ブラザーズはコボルダたちの猛攻に
防戦一方でとてもマツリたちを助けにいけない。

一方、マツリは生きる気力を失った要救助者も
前にして励ますも効果なし。
それどころか逆ギレされる始末。
さらに毒ガスの猛威が忍び寄り、要救助者も
グロッキーで、ついにマツリ自身も力尽きそうに
なるが、朦朧とした中で看護士時代に瀕死の病人を
担当し、あきらめかけたときにミズキ先輩が言った
ナイチンゲールの言葉が心に聞こえてきた。
そして最後の力を振り絞り、瓦礫に立ち向かう。
手が、そして体が傷だらけになっても瓦礫に
立ち向かった。
その姿に、捨て鉢になっていた要救助者も勇気を
奮い立たされれ、瓦礫に立ち向かった。
そして、生きているのが不思議なくらい消耗しながらも
大脱出を果たす。

一方、勝利を確信し、高笑いを始めたディーナスと毒ガス使い
サイマ獣の目の前に、ぼろぼろのはずであるが瞳には力のこもった
マツリの勇姿が!

「ゴーピンク、生きていたのか!?」
「わたしはナイチンゲール先輩から、辞書を引き継いだの。
その辞書には『あきらめる』という文字はないわ!」

そして、劣勢を跳ね返しつつあったマトイから託された
ゴーゴーブレスを受け取り、
「着想!」
ゴーピンクセンターでの「ゴー!ゴー!ファイブ、出場!」

見事な大逆転での勝利。

しかし、マツリのダメージも大きく。勝利の瞬間、
力尽きる。

ともに助かった要救助者が一言。

「僕は確かにナイチンゲールを見た・・・」

         MISSION COMPLETE



2003年10月10日(金) 忍者キャプターも??

「スーパー戦隊」にゴレンジャー、ジャッカーの
「石ノ森戦隊」が正式にカウントされたのは2000年に
なって、「スーパー戦隊シリーズ」の名称が番組に
入ったころからのようです。

90年代初期までは、「スーパー戦隊」は
「『八手三郎』戦隊」のバトルフィーバーJからであり、
当時に発売されていた「戦隊ダイジェスト」ビデオでも
ゴレンジャーは入っていませんでした。
また、ターボレンジャー第1話は歴代のスーパー戦隊が
勢ぞろいするとんでもないスペシャル編ですが、
10大戦隊すなわちバトルフィーバーからの10代です。

もっとも、当時でも戦隊=ゴレンジャーとその
バリエーションという見方はあったようですし、
出版物によっては、戦隊はゴレンジャーからという
扱いもありました。

ただ、先日入手の「超電子バイオマン大百科」では
ゴレンジャー、ジャッカーも戦隊シリーズに
入っていますが、「忍者キャプター」まで「戦隊」
として扱われており、これには驚きました。
いわゆる「TV朝日」ライン以外の集団ヒーローを
戦隊とみなすのは珍しいことです。

まあ、80年代はまだ「戦隊の定義」も比較的
緩やかだったのかもしれません。



2003年10月09日(木) 西村さんも、まさか・・・

新聞を読んでいると「西村監督解任」の記事がありました。
2ちゃんねるの実況板では、負け試合ということもあったの
ですが、西村監督ボロカスでした。

おととしはレッドゾーンに低迷した副島監督を解任して、
ジョアン・カルロスを招聘したものの「焼け石に水」。

今年は塚田コーチの昇格で対応です。
塚田サンはもともと甲府クラブ(現ヴァンフォーレ甲府)で
活躍した人で、2002年のJ2を乗り切るために、
「J2をよく知る人」ということで招聘したらしいです。
残り6試合、ぜひとも立て直していただきたいものです。

ともあれ、西村監督お疲れさまでした。
C大阪の「ヤンマー生え抜き系監督」は、楚輪サン、副島サン
とも、辞任後のよくシーズンより「サガン鳥栖」の監督を
務めているのですが、西村サンも来シーズンはサガン鳥栖の監督に
就任していたらコワイです。
でも、大いにありえそう??



2003年10月08日(水) シュシュッと忍者村

ナビスコ杯で、1戦目で負けた鹿島と浦和が
そろって逆転勝ちし、決勝進出を決めました。
そう、「静岡ダービー」ならず、です。

浦和は柏以来の「日本リーグオリジナルメンバー」
チャンピオンに今年も挑戦です。

今日は「ひるどき日本列島」で甲賀の忍者村の
中継があったのですが、ついつい、
「「超忍法空駆け」はしないのか?(できません!)」とか、
思ってしまいました。
黄色のジャージを着ていた人が出ていると
「陸忍科だ」なんて。



2003年10月07日(火) もしも幸雄の6番が強奪されていたら

落合が中日の新監督に就任することが決まった
そうです。
「指導者としての経験」をあえて二の次にしたという
人選らしいです。

落合というとやはり「日本ハムを変えられなかった男」と
いう印象がどうも残ります・・・

日本ハム入団時には、あれほどこだわりを見せていた
「6」を日本ハムの顔とも言える田中幸に遠慮したか、
希望をおくびにも出さず素直に「3」をつけました。
巨人にFA移籍したときは入団当初は「6」の代替的な
「60」をつけつつも当時「6」をつけていた篠塚に
プレッシャーをかけ(?)、引退と同時に「6」を
襲ったくらいのこだわりだったのですが・・・
中日時代は偶然にも(?)交換要員の上川が6番
だったため、スムースに決まっていました。

もしもあのとき背番号をめぐって田中幸と火花を
散らしていたら、チームがおかしくなる可能性も
あったかもしれませんが、日本ハムに今までなかった
(と感じられる)「チーム内での熾烈な戦い」が
あと一歩で開花しきれない体質を変える元に
なったかもしれないと、今となっては少し
残念でもあります。

話は飛びましたが、落合が監督というのもすごく
不思議なものに見えるのですが、「落合が選手から
罰金とるんだ」とか「落合が審判に猛講義するんだ」
とか、監督がやることを落合がやることの「違和感」を
感じることになるかどうかが見ものです。



2003年10月06日(月) 川相、神戸移籍?

東京ジの川相が現役続行、他クラブへ移籍ということに
なりそうです。

その移籍先ですが、内野の層などを考えると、今季ディフェンスが
崩壊した神戸あたりが誘いをかける可能性が考えられます。
神戸は元西宮監督の中村勝広氏をGMに招聘しました。
中村氏は「守備を立て直す」ことを考えていることより、
条件面さえクリアできれば・・・というのもありえそうです。

関東から関西へというのはネックになるかも知れませんが、
あとはどれだけ現役へのこだわりを強められるかでしょう。

まあ、あくまで「予想」ですが。
タイトルは気持ちとしてはスポーツ新聞っぽく
小文字の「へ」「も」「か」をつけたいところでしたが、
テキストベースだったので無難に「?」です。



2003年10月05日(日) 善いも悪いも「ギア」次第

「デジキャラットにょ」のオープニング・エンディングが
替わっていました。

キャラ(声優)によるユニゾン(でいいでしょうか?)。
初代がアイドル(チャイドル?)系で二代目がキャラ系または
キャラ色大というのは定番かと思っていたら、そんなに
ぴったりのケースはなかったようです。
一応「少年アシベ」はこのパターンでは・・・

TV大阪は番組改変期ということもあってか、前後の番組も
替わっており、ちょっと違和感を感じました。

一週遅れで本日、「シンクアバレッダー」もとい「アバレマックス」
初見。やはり、ブルースとキースいやアバレブルーとアバレイエロー
はチェンジが解除されてしまうのですね。

そういえば、仮住まい整体師さんはえみぽんのことを「今中」と
呼んでいましたが、いままでそう呼んでたのでしょうか?
確かに「えみぽん」と呼んでいたという記憶もないですが。

ついに馬ファイズの登場、公式サイトのストーリーダイジェスト
では、Kタローとぷに真理は違和感を感じていたらしいです。
今回の「オルフェノクなら誰でもファイズギアで変身可能」
というシステムは「子供番組として」はヒーロー・ファイズが
登場し続けなければいけないなかで「主役の度重なる戦線離脱」
が許される、便利なものかもしれません。

仮面ライダーはもともと「改造人間」ですし、戦隊や宇宙刑事・
救急警察・昆虫戦士、最近のライダーなど、「人間が鎧をまとう」
ヒーローでさえ、「選ばれた『ただ一人』の戦士」のみが
鎧をまとえるという、オンリーワンのシステムが続きました。
龍騎の最終回で「吾郎ちゃん」が「先生」の替わりにゾルダに
変身したり、スペシャルで真司くんが蓮のデッキを引き継ぐ
などということで、何気にシステムに風穴をあけていたのを、
一気に555でぶち抜いたというところかも知れません。

鉄人28号の「リモコンシステム」が時代を経て、21世紀の
ライダーに継がれ、「リモコンしだい」でどうなるか
わからないのだという、28号が本来持っていたカラーを
ライダーがいま体現しているようです。



2003年10月04日(土) 超電子バイオマン大百科

今日は狼オルフェノク、相性のいいはずの駒場で撃沈。
ジヤトコは親会社の撤退で来期のJFL撤退→廃部濃厚。
FC京都はこのままでは入替戦濃厚・・・と
ぅぅん、暗い話がぉぉぃ...

さて、今日、ケイブンシャの「超電子バイオマン大百科」を
入手しました。
定番のキャラ紹介やストーリーダイジェストだけにとどまらず、
出演者へのインタビュー(ギア側の役者へのものが充実している
ところがシブイ)、オリジナルストーリーのコミックなど、
貴重なコンテンツ満載でした。
こういったコミックは、昔の大百科ではよく挿入されていたものです。
たとえば、「超人機メタルダー大百科」だと、本編には
登場しないモンスター軍団員カッツェと、戦いを拒否する
メタルダーとの攻防があり、本編以上(?)のハードストーリー
を展開していました。
ただ、この大百科、メタルダー・剣流星の一人称を「俺」というのが
重欠点。流星は自分のことを「僕」と言うのが特徴です。但し・・・
(「へぇ」ボタンを用意してください)



剣流星は一度だけ
















自分のことを「俺」と言った。




そう、第2話で初めて人間の女性である仰木舞と出会い、
おはなしをしているときに、爆闘士ゴチャックの気配を
感じ、一目散に駆けつけて対峙したときの台詞が
「なぜ『俺』を狙う!」。
あとにも先にもコレだけ(のはず)です。

「トリビアの泉」に投稿されるならしてもらってもかまいません。
誰でも知っていることで「金の脳」がもらえるトリビアの
ことですから、金の脳も夢じゃないかも??

話は大脱線しましたが、バイオマンのコミックは、
ジュン(イエローフォー)とひかる(ピンクファイブ)の
お色気満点、あわせ技でファラとファラキャットも・・・
という、別の意味で本編ではありえない話でした。
うらやましいでしょ?
それにしても、今だったら「同人誌」や「東映・関係者禁の
同人サイト」でしか描けない話が、こんな「オフィシャルな
メディア」で描けたということに時代を感じます。
今だったら、らんるとジャンヌのお色気対決というところで
しょう・・・あんまり想像できませんが^^;

ココまでとは言いませんが、「アバレンジャー大百科」で
コミックを復活させてくれたら嬉しいです。やはり、
本編では考えられないようなストーリー希望です。



2003年10月03日(金) 調整計画に暗雲が・・・

今晩走っていると、ついに古傷である左の膝から
悲鳴が聞こえました。

今年はそれほど膝の痛みを感じなかったのですが、
やはり季節の変わり目というのがあるのでしょう。

比較的順調に調整が進み、少しづつ負荷を大きく出来れば
と思っていた矢先に、ちょっとショックです。

ひざに負担をかけないで、心肺機能に負荷をかける
方法はないでしょうか。
せっかく鍛えているのにあまり休むと元の木阿弥に
なってしまう恐れがあるので、何とかしてでも
スタミナをキープしていたいところです。

まあ、バンテリンでも塗っておくとしますか・・・



2003年10月02日(木) 「仮面ライダー555対宮本武蔵」

現在、東映太秦映画村にて
「仮面ライダー555対宮本武蔵」という
夢のセッティングがあります。

〜〜〜〜以下、予想(妄想?)〜〜〜〜

宮本武蔵が過去に倒してきた剣豪たちがオルフェノクとして
よみがえった!その中には佐々木小次郎がよみがえった
「燕オルフェノク」も。もちろん(?)上の上オルフェノク。

スマートブレインの新兵器の暴発により、
巧、真理、啓太郎の洗濯屋トリオが江戸時代に飛ばされ、
オルフェノクと対決するが、現代人あがりのオルフェノクと
違って江戸時代のオルフェノクは元が頑丈だけに、ファイズの
攻撃は歯が立たない。

そのうち、馬・犬・鶴トリオやラキクロ&社長、流星塾の
面々も暴発に巻き込まれ、次々と江戸時代入り。
三原はお約束で「帰らなきゃ」を連発。でもそう簡単に
現代に帰れるとは考えられません。
江戸時代オルフェノクも交え、しっちゃかめっちゃかな
展開に。もうこれは北野武版座頭市も裸足で逃げ出します。

最大の見せ場は、燕オルフェノク小次郎と宮本武蔵の対決。
圧倒的に小次郎優位であるが、実は宮本武蔵もオルフェノク。
わけあって封印はしてきたものの、ついに禁断の変化を・・・
この怒涛の展開にどうするファイズ!?
果たして再び現代に帰れるのか??

〜〜〜〜しょぼい予想、ここまでっ!〜〜〜〜


この企画、本気で通したら、オスカー間違いなし!?



2003年10月01日(水) まさか・・・

今週はなかなかじっくり走れません。
うーん、危険な傾向です。
体が作れなくなってしまいます。

今朝は通勤電車で、座席に「雪見だいふく」の殻が
放置してあり、それにうっかり座り込んでしまった
ところ、中身が残っていて、悲惨なことになりました。

とほほです。


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