ろさんじぇるす日記 takie 【MAIL

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05/16/03 旅行記のグランドキャニオン(南と北)、フォーコーナーズ、ニューメキシコ州(北部と中部タオス、サンタフェ、アルバカーキー)
04/27/03 写真館の1997アメリカ横断の旅
04/27/03 旅行記の1997アメリカ横断の旅

04/02/03 033103 Poppy field forever ケシの花
03/31/03 032103 anti-war/戦争反対デモ
03/15/03 生活のハンバーガー部門を

2003年05月30日(金) けーってきたぞ=I have come back=

いやいや、二週間の旅行から只今帰ってきました。
よめさんと合流して一週間、お客様と離れてよめさんと二人で
NYを探索して、三日間。
いやいや疲れた。
とりあえず、この旅行に関して、出発日の05/18/03から
少しずつ書こうと思っています。

兎に角、疲れた。
おやすみなさい。


2003年05月24日(土) 17マイルブリッジ =17 miles bridge=

03:30 起床
04:00 出発 
04:30 よめさんと空港で迎える
05:30 給油休憩
09:20 アメリカ本土最南端 Keywest, FL着
10:00 Courtyard by Marriott Key West Waterfront 着
11:00 jetsky
13:30 昼飯
休憩
18:00 夕食

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

早朝に起きて、飛行機で、4:30到着予定のよめさんを迎えに行く。
荷物が重い。足が動かない。
だけど、これは、仕事だ。

ほとんど車のいない一般道をひたすら北に走り、
Ft. Lauderdaleの空港まで迎えに行き、よめさんは、自分達に合流。
飛行機は、早く着いたみたいで、よめさんの姿は、
荷物を取るところにも見えない。
携帯電話で、連絡をする。
見つけた。外にいたんだ。

ようやく見つけた。
O氏は、よめさんを温かく迎えてくれた。
さあ、これからは、O氏と一緒の部屋ではなく、
自分達夫婦の部屋になる。

さて、これからキーウェストまで、四時間。
気合を入れて運転だ。
I-95Sが、終わった場所で、給油休憩をして、
ビーフのトルティーヤラップ wrap sandwichを食べた。
このサンドイッチは、昨日の晩、すいかと一緒に買ってきたものだ。

US1は、基本的には、一車線づつの対面交差だ。
もうすでに、島を渡っているのか?それともまだ陸続きの道を走っているのか?
道の両脇には、背の低い木が生えている。

道々小さな勝鬨橋がある。
そこらへんには、港があり、船がたくさん見える。

視界が開けてきた。
小さい島もある。
その島には、家もある。多分、大金持の別荘だろう。島ごと所有しているに違いない。

長い橋が見えてきた。
これが、あの憧れた17マイル橋かな?
でも、想像とちょっと違うな。
あの左側にある使用されていない橋は、今まで使われていた橋かな?

こんなところで、テントを張って魚つりをしていたら、やられるだろうな。

鹿注意の標識がある。
誰かが、連れてきて自然繁殖しているのかな?
え、この辺りは、少し市街地になっているじゃん。
際高速35マイルの制限速度?
多分、鹿を守るためだろうな。

そんなことを考えながら、車は、あっという間に、
キーウェストに着いてしまった。

たぶん、今までの一週間、男二人だけの旅に、
よめさんが、加わったので、空気が変わったからだと思う。
また、朝早く、マイアミを出たのが、よかったんだろう。

時計は、まだ、朝の九時だ。
ホテルに行っても部屋を取れないだろう。
最南端まで、行ってみますか?
最南端は、静かな住宅街の一角にあった。
原チャリが、ブンブン走っている。
ハワイと同じで、原チャリが、観光客の足なんだろうな。

その後、近くの浜に行った。
そして、ホテルに行ってみた。

部屋は、あった。
だけど、海に面している部屋は、取れなかった。
しかし、プールに面している一階の部屋だから、
出入りは、とても楽だ。

ジェットスキーをするか?
のO氏の一言で、午後の予定が、決まった。

部屋に入り、身支度を整えて、
コンシアージに連絡を取った。

車を出して、2分で、着いた。
入り江が多いので、あちこちで、ジェットスキーをやっている

ジェットスキー初体験は、楽しかった。
自分達は、二人用を借りた。
そして、O氏が運転を最初にした。

振り落とされた。だって、体重の掛けかたが、
イマイチ分からなかったから。
でも、こけても水の中に落ちるだけだから、
痛くない。
単車と同じ要領で、体重をかけるけど、
落ちても痛くないのは、とてもよい。

後ろに乗っているのは、面白い。
だけど、運転するのは、少し難しかった。
単車を降りてかなりの年数が経つ。
体重の移動がとても難しい。
O氏は、自分が、落とされる度に、喜んでいた。
こりゃ、日本に帰ったらはまるかもしれない。(笑)

食事をして、休憩。
よめさんは、レッドアイフライト(夜中中飛んで、明け方に目的地に着く便)に
乗ってきたので、少し横になった。
だけど、自分は、またもや電話をしなければいけない。

多分、O氏の帰国の予定が二日も早まった分、
ニューヨークにまっしぐらになるだろうから、
これは、無駄になるかもしれない。しかし、準備をしておかなければ。。。

夕食の前に少し、このホテルの写真を取った。
今回は、ほとんど写真を撮っていない。
南国情緒豊かな南の島の写真を撮った。

夕食に出かける時、道を間違えた。
それくらいなら、結構あるけど、
方向が全く分からなくなった。
帰りは、たったの7分で戻って来れた。
ジェットスキーで、頭から落ちたときに、
なにかが、壊れたのかもしれない(笑)

よめさんと明日の行程を地図で確認してから寝た。
時計は、午後の十時半を回っていた。


2003年05月23日(金) バードケイジのマイアミ =Bird Cage=

08:30 起床
09:30 出発 I-4N
09:40 I-75S
10:30 食事休憩
14:50 Miami, FL着
15:00 Sheraton Bal Hourbor 着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

疲れた。また、運転しまくったからね。
疲れが、O氏といる緊張よりも勝り、少しづつ寝る時間も増えているようだ。

今朝は、夕べのビールが残っている。
雨だ。この旅行で何回雨降りの朝を迎えただろう。

発砲スチロールの箱に氷をつめて、
コーヒーを用意して、
荷物を積み込んで、
チェックアウトを朝の九時までに済ます。

そして、当地の単車屋および、マイアミまでの単車屋に
九時から電話をする。

何件かは、O氏の探している単車が有りそうだったが、
O氏の意見は、これだけ湿気があって、雨がこの季節でも降るところでは、
単車は、いい状態で保存されていない。との意見。
さすが、この旅行で、そこまで読むとは。

九時には、車を車寄せに用意した、その車の中で待っていたO氏は、
自分が、一通り電話を終わった九時半まで、待てなかったらしく、
ホテルのロビーにいた。

I-4Nを東に進むと、I-75Sの標識が見えた。
乗り換えて南に進む。
四車線もあるこの高速規格の道路には、
打ち付けるような雨が降っている。

当然、のろのろ運転の車で、埋まる。
それを縫うように走る。
大型トレーラーが水煙を上げながら、
三車線をのろのろと占領している。

雨も鬱陶しいが、水煙は、雨よりも細かく、視野を塞ぐので、たまらない。

腹が減ったな。とO氏の一言を待っていたので、
早速、食事休憩。

お土産屋を併設している食事処で、お土産を探す。
一番は、O氏が探している州の形をしている磁石とそれを張るアメリカの地図。
でも、無いんだな。
店員に聞いたところ、アメリカの全ての州が貼り付けてある磁石ならあるよ。
それを買った。

O氏は、非常に体重を増えることを気にしている。
だから、食事は、本当に少量で、野菜を常に食べるようにしている。
自分もそうだが、食べないと体力が、もたない。

でも、今までの食事は、全てO氏が払っている。
依頼者がそこまでしてくれるのは、心痛む。本当に大切にされている。
本当に、労うことの出来る人なんだな。
だから、値段的には、O氏の注文したものよりも高いものは、ない。

で、待たされた。注文と取ってから、非常に待たされた。
混んでいたけど、こんなに待つとは、思わなかった。
たかが、トーストと目玉焼きとオレンジジュースだ。
O氏がイライラしているのが、手に取るように分かる。
自分もイライラしてきた、ところで、やっとおまんまにありつけた。

車に乗ってから、O氏は、限界を少し超えていたと言う。(笑)
二車線になったI-75は、まだ、雨が降り続いている。
水煙で、視界は、真っ白だ。
テールランプを追うだけの運転だ。
そのような状況の二時間は、とても長く感じた。

お昼前に晴れた。
それは、I-75が、東に向かって伸びる前だ。
太陽が、初めて運転手側に差した。
今までは、基本的には、東側に向かって移動していた。
だから、太陽は、助手席のO氏を差していた。

I-75が、東に伸びるところは、有料道路となっている。
それが、$1.50だ。
じゃあ、昨夜の有料道路は、高すぎるよ。
料金所が五個所位あったよ。
それも、$1.50づつ。

さて、マイアミのホテルには、非常に早く着いた。
そして、O氏は、少し横になっている。

自分は、出来ることをしなければいけない。
そう、ここは、マイアミ。
水着のおねーちゃん達をナンパしなくちゃ。

そうじゃない。(笑)これから、ニューヨークまでの行程で、
単車を洗い直さなければいけない。

ジョージア州のアトランタの北にある単車屋が、
あるらしいと言った。
また明日電話をしてくれと言われた。

この際、素直にO氏に伝えていいものか?
もし、その単車屋が、なかったら、O氏は、
期待した分、がっかりする。
言わなければ、その事実をO氏は、知らないで済む。

午後五時頃、O氏は、食事に行こうと言った。
どしゃ降りの雨だ。
自分達は、この台風を追い越して来たんだ。

通りを相合傘で、進む。
この街は、あくまでも、
バードケイジのマイアミだ。
それは、ロビンウィリアムズ主演の映画だ。

で、トンカツを食べた。
久々に食べたと感じがした。
でも、昨日は、フライドチキンを食べたんだよね。
たぶん、ご飯を食べたからだと思う。

で、ホテルを探索した。
このホテルは、砂浜まで、五秒というところにあった。
もちろん、でかいプールもある。
でも、探索を始めたころには、雨は、止んでいたけど、
水着のおねーちゃん達は、いなかった。(涙)

スパは、午後八時に閉まった。
後は、寝るだけだった。

−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+
ところが、O氏が、今日の行程で、すいかを積んだトラックを見つけた。
キーウェストに行く道々で、冷えたすいかを食べたらおいしいだろうな。
と、言ったのを思い出した。
だから、一人で、夜な夜な買い出しに行った。


2003年05月22日(木) ミッシッシッピ州とアラバマ州 =Mississippi and Alabama=

09:00 起床
09:30 出発 I-10
10:30 Mississippi 着
11:00 食事休憩
12:30 Alabama着
13:10 単車屋 着
13:40 単車屋 発
14:30 Florida着
17:20 給油休憩
19:00 Tallahassee, FL食事休憩
23:30 Tampa, FL 着
24:10 Howard Johnson Express Inn & Suites 着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

夕べは、疲れた。歩き回った。
寝る前に、飯を食いたいと思っていたけど、止めといた。

で、朝、腹が減る。
だけど、自分の仕事は、O氏を無事に旅行完了させることだ。
でも、お土産ぐらい買いたい。O氏が起きる前に。
慌てて、夕べ、繰り出した街に、出る。
だけど、ホテル近辺のお土産屋は、この時間は、当然ながら、閉まっていた。
仕方がないので、ホテルの高いお土産屋で、いつも買う地名入りの帽子を買った。

O氏の帰国日を変更しなければいけないので、
ユナイッテッド航空に電話するが、はなし中になるばかり。

とりあえず、途中でやるしかない。
だけど、今日は、例のアラバマ州の単車屋に寄る予定だ。

I-10を東に進む。

ミッシッシッピ州に入った。
ロドニーキングの事件みたいにならないように、
交通法規を必要以上に遵守しながら、
制限速度75マイルの道を80マイルで進む。
早く通り過ぎたい。

本来なら、緑豊かなこの道をゆっくり進みたい。
高速道路の両脇は、木が生い茂っている。

アラバラ州に入った。
I-65を北に向かう。
そして、下の道で、単車屋まで向かう。

その単車屋は、森の中にあった。
雨の降った後の森は、鬱蒼としていた。
住居を兼ねているようだ。

大きな声で、店の人を呼んでみる。
返事があった。その方へ行ってみる。

細い背の高い白人のおじいさんがお迎えをしてくれた。
ここには、ありそうだ。

おじいさんが、「森の中に入る前に、虫除けスプレーをかけてけ。」
と、いうので、全身にかけまくった。
「ヘビに気をつけろ」と、おじいさんが、付け加えた。

ここも例外になく、気に入った単車があることは、
あったそうだが、部品を外してあり、さび付いている。

今回は、アメリカの南側の旅程を組んでいるために、
雨が、降ることが多い。
よって、モノも残念ながら、錆びている。

O氏は、病気のために、蚊に刺されると、
治りが遅い。
よって、大雑把に森を一回りした後、
その単車屋のある森をあとにした。

来た道を戻り、I-10に再びのり、東に進む。
このI-10は、ミシシッピとアラバマで、いくつも川を超えたが、
素敵な古い感じの高さがある橋がいくつもあった。
橋の端で、その橋の最高地点を見ると、
脅えてしまうくらいの高い橋だ。
これらの橋の写真を取れないのが、くやしい。

ここいらで、O氏の帰国日の変更をしなければいけない。

そう思っているうちに、フロリダ州に入った。
以前、旅行会社で働いている時に、お世話になった
取り引き先がある。

そのワシントンDC支店に連絡をして、
助けてもらおう。

番号案内の411に連絡をして、
電話番号を調べた。

そうすると、あの懐かしい声が聞けた。
今、I-10で、フロリダ州に入ったところです。
助けてもらいたいのですが。。。

分かりました、なんでも言ってください。

同行している人の帰国の日にちを変更したいが、
航空会社に電話したら、だめだった。
安くて、ニューヨークからの東京直行の航空券を取りたい。





間違えなく、頼りになる人だ。
やっぱり、自分のしていたことは、間違えなかった。
音信不通にしていても、そうやってすぐに助けてくれる。

O氏が、日本に電話をしないといけない。
と、給油休憩が終わった半時間後に、言った。
今回は、なるべく給油休憩を取らないようにしていたので、
次回の給油休憩の時、または、食事休憩の時になるだろう。

あれ、なにかおかしい。
O氏が、地図を見ながらいう。
なんで、この出口は、3番なんだ?
え、フロリダ州に入ってから、もう、30マイルは、
走っていますよ。もしかすると、ターンパイク形式の出口の表示なんですかね?

そうだった。I-10は、フロリダ州に入ってから、
出口の表示は、ターンパイク式、つまり、日本の高速道路と同じになったのだ。

出口33で、降りて、電話を探す、
ガソリンスタンドに入る。

O氏は、建設会社の社長だから、例え休みでも、気を抜けない。
用は、五分の電話で済んだ。

ガソリンスタンドの横のフライドチキンのお店で、
夕食を取る。

この下の道も本当に、緑が多い。
道の両脇には、木が茂り、
中央分離帯は、片側二車線と同じ位の幅に、
芝生、または、木が生えている。

結局、自分達は、Tampa, FLまで走った。
夜の道は、警察のねずみ取りが、さかんに行われていた。
本来なら、I-75を下った方が早い。
だけど、海沿いの道を選んだ。
しかし、Tampa, FLに行くには、高速規格の道路に
のらなければいけない。

夜の11時、高速道路を探す作業を地図で始めたO氏は、
困難を極めた。
老眼鏡をして、地図とにらめっこ。
ようやく有料道路を見つけて、南をめざす。
しかし、この有料道路は、曲者で、区間が短く、
その区間ごとに料金所がある。
しかも、$1.50の小銭を集める。

驚いたのは、2番目と3番目の料金所のおやじが同じ奴だった。(爆)
双子かな?それとも頭がまわっていないのかな?
とりあえず、走る。
I-275にのった。
一安心だ。
で、TAMPAの文字を追った。

着いたのは、メモリアルデーで、込み合う深夜のタンパ国際空港だ。
来た道を戻る。
で、I-4にのった。
そこで、時間が切れ。
だって、夜の一二時を回っていたんだもの。

朝の九時半から、車を運転しているんだもの。

O氏は、今日は、洗濯するぞ。
と、言っていた。
で、泊まったモーテルには、コインランドリーがついていた。
おまけに、使用時間制限がないので、すぐに洗濯が出来る。

今日も長距離を走ったな。(笑)



2003年05月21日(水) ニューオリンズに失望した夜 =Disappointed in New Orleans=

08:00 起床
09:30 出発 I-10/I-45
09:50 NASA着
12:30 NASA発
14:30 Houston 発
17:00給油休憩
20:00 New Orleans, LA着
20:20 Sheraton New Orleans着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

夕べは、いい今回の旅行で、初めて大都市に泊まった。
泊まったホテルは、ウェスティンなので、非常によかった。

今回は、旅程がはっきりしていたので、
I-10を通り、I-75に乗り換えて、フロリダ州のマイアミまで、
そして、キーウェストに寄って、そのまま、ニューヨークまで。

よって、大都市では、モーテルを探すのも面度臭かったので、
自分の働いている系列のホテルを従業員割引で取っておいた。

大正解。

朝起きて、コンシアージにNASAのことを聞いた。
そして、出発手続きをした際、黒人の係りの人がいたので、
今回の旅行で心配していることを聞いた。

それは、ミッシッシッピ州とアラバマ州のこと。
それらの州は、以前、人種差別が、公然と行われていた。

アラバマ州から、マーチン・ルーサー・キングやマルコムXを始めとした、
公民権運動が始まったところだ。

彼は、隣のルイジアナ州から来ていた。
彼には、親類が、アラバマ州にいた。

自分たちは、このあたり(アラバマ州の地図を指して、I-40のあたり)を
訪れる予定なんだけど、大丈夫かな?
なにが?
肌の色。
I-10からなるべく離れないほうが、いいよ。
わかった。

自分は、この旅行に出発する前に、アメリカ白人に聞いてみた。
その辺は、大丈夫かな? 南部は、大丈夫かな?
その返事は、
なにか起こるかもしれないね。(It may happen. Maybe ok.)

ろさんじぇるすは、大丈夫と、日本の友達に聞かれたら、
大丈夫と言える。
なんで、自分の問いに誰もが大丈夫と言えないのだろうか?
不安が、心の中にあった。

とりあえず、彼の言葉は、心の中に、一縷の希望を持たせてくれた。

とにかく、今日の目的は、NASAである。
O氏は、空関係の免許は、ないだけで、
海、陸関係の免許は、持っている。

それでも、首都ワシントンにあるスミソニアン博物館が好きというだけあって、
I-20から、I-10に移動して、NASAのあるヒューストンに寄った。

NASAに着いた、驚いた。
遊園地みたいな入り口。

そして、建物の中に入ると、まさに、遊園地の施設みたいだった。

ここは、本当のNASAじゃないんじゃないか?
と、O氏が聞いたほど、自分も信じられなかった。
兎に角、目玉のトラムツアーに乗る。

アポロ時代の宇宙ロケットが、見える。
それには、しっかりと、UNITED STATESと書いてある。

やっぱり、ここは、NASAですよ。

そして、アポロ時代に使用していたという、
管制室にも入った。
ユニバーサルスタジオよりも、見劣りする。
宇宙飛行士が訓練するいろいろ装置のある建物などに入った。

なんか、はっきりしない。

結局、納得しないまま、子供だましを見せられたまま、
NASAの見学は、終わった。
スペースシャトルが降りてくる滑走路は、どこなのか?
展示してあるスペースシャトルは、本物なのか?
(実際、チャレンジャーとコロンビアは、事故のために機体は、ないと思われる。)

ディスカバリー、アトランティス、エンデバーのみ現存。
さらに、先出のスミソニアン博物館にも、展示しないといけないので、
シャトルの実物は、展示が不可能と思われる。
資料:http://spaceboy.nasda.go.jp/note/yujin/j/yuj_j.html

ピラフとサラダとマッシュポテトで昼にした。

この街にも、単車の部品があるという情報を得たが、
それは、年式が違うために、却下。
また、単車のスクラップ場に、行ったものの、
本体から部品をばらしていて、保管している。

しかし、その保管している部品は、メーカーごとに分別されていないので、
それらしい単車の部品も見つけても、購入出来ない。
また、O氏が、求めている単車およびその部品は、1970年代のものなので、
店員もそれらに詳しくない。
困った。

でも、それらしい部品をその店で見つかったので、よしとしよう。
と、思い込んだ。

給油をしてから、本来の旅程のI-10を東に進む。
この街にも、大きなクレーンがあったな。
蒸すって、こういうことをいうんだ。って、はっきり分かった。
アリゾナ州よりも、気温が低いのに、
とは、いうけど、27度。
だけど、汗は、ダクダクとでてくる。

ルイジアナ州に入ったのは、何時だったか、不明だ。
I-10は、ルイジアナ州に入ってから、湿地帯を走ったことは、確かだ。
州境を超えると、そこには、ルイジアナ州州警察のパトカーが、
ねずみとりをよくしていた。
これでもかと、いうくらい、自分たちの走っている東行き、そして、
反対車線に、張っていて、捕まっているのもいた。
テキサス州の警察よりもよく仕事をするな ̄。

湖に架かる長い橋というか、それを何度も渡った。
それと印象的だったのは、高速道路の左右は、林だった。
今までは、基本的には、砂漠の州を走っていた。
だから、余計新鮮だった。

ルイジアナの最低地点は、なんとニューオリンズの-5mだ。
つまり、0m地帯だ。

アリゾナ州は、海がない。
テキサス州は、メキシコ湾に接しているので、
最低地点は、海抜0m

また、雨雲が空を覆う。
雨に襲われる旅行だな。(笑)

昨日に引き続き、今晩泊まる宿は、
社員割り引きで取ったSheraton New Orleansだ。

都会にあるので、例に漏れず、迷ってしまった。
また、迷った際、給油をして行こうということになった。

驚いた。白人は、誰もいない。
暗い感じの街のガソリンスタンド。
店員だけが、白人。

もし、ここが、LAだったら、ヤバイ!

自分が、給油を始めた時、O氏は、ガソリンスタンドの中にある店に入っていった。
本当は、何が起こるかわからないので、ついて行きたい。
しかし、自分は、給油を始めているので、動くに動けない。

無事に、O氏が車に戻ってきた。
よかった。

兎に角、ここから離れよう。

宿泊手続きをして、部屋に入るとすぐに、
O氏は、先程、ガソリンスタンドで、危険な思いをして買った(笑)
ビールとO氏の好きなビーフジャッキーを振る舞ってくれた。

1パイントを二缶空けたところで、夜の街に、繰り出した。
ホテル付近で、ジャズサックスを聞いたからだった。
それは、とてもいい兆強だ。ジャズの街、ニューオリンズを楽しめる予感だ。

宵の口だから、街中には、人が歩いていた。
しかし、歩くときに、時々、後ろを見る癖は、直らない。
安全そうな街だ。

最初は、ホテルの人のお勧めの黒人音楽の殿堂のHouse of Bluesに行った。
しかし、そこは、ロックを演奏する予定と聞いた。残念!

よって、ニューオリンズ一の繁華街、バーボン通りに目的地を変えた。
観光客でごった返していた。

どうやら、精神科医の学会が、当地で行われているらしい。
ホテルの従業員は、黒人が多かったが、ここいらを歩いている人達は、
白人が多い。

結局、自分達は、このニューオリンズでジャズを聞くことが出来なかった。
街を歩いていても、クラブから流れるロックのみ。

生演奏は、あまり見られなかった。
ソウルを演奏しているバンドが二店だった。
ジャズは、ない。

明けて、午後一時、欲求不満のまま、ホテルに戻った。
ホテルの従業員に、ジャズの聞ける場所を尋ねた。
だけど、その二軒ともすでに閉店していた。

ニューオリンズに失望した夜だった。


2003年05月20日(火) テキサス州縦横無尽 =900 miles in TX=


06:00 起床
06:40 出発 
07:10 I-20E に乗り換える
08:40 Oddesea, TX着 US 62/385に乗り換える
10:15 Seagraves, TX給油休憩
Brownfield, TX着 US 62/85に乗り換える
11:45 Lubbock, TX着
12:15 Lubbock, TX発 US84Sに乗り換える
12:45 昼食
13:10 出発
14:07 Roscoe, TX I-20に乗り換える
14:38 Abilene, TX通過
16:20 Weatherford, TX給油休憩
17:20 Fort Worth, TX 通過
18:20 Dallus, TX 通過 I-45Sに乗り換える
21:00 Huston, TX着
21:30 WestinOaks着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

いやいや、夕べは、眠れなかった。
原因は、はっきりとしている。
二時間の時差を体が受け付けないからだ。

本日、訪れる予定地、テキサス州ルーボックLubbock, TXまでの
道順を検討しながら、夕食を取って、O氏が床に着いたのは、
現地時間で、夜の10:30頃。
日本からの時差、旅行の疲れを検討しても、
お休みになれる。

だけど、自分は、疲れているけど、
まだ、宵の口の8時。おまけに緊張しているから。
眠くても、寝れない。
起床は、朝の六時。
用意を整えて、無料の朝食を取る。

以前に比べて、無料の朝食を用意するモーテルが増えた。
普通は、コンチネンタルブレックファーストのみ
つまり、卵、肉類はなしで、
ドーナッツ、ダニッシュ、各種トースト、コーンフレークの類に
牛乳とフルーツジュース。
いいところだと、温かいオートミールもあるところがある。
しかし、このMotel8は、ワッフルまで用意している。
驚いた。
さらに、驚いたのは、ホテルのおねーちゃんが、
ワッフルまで、焼いてくれた。
このおねーちゃんは、器量があるな。

さて、出発は、霧雨降る中、I-10をさらに東に向かった。
ここで、自分は、勘違いをしていた。
昨晩泊まった町は、I-10とI-20の分岐点の町だと思っていたのだ。

だから、走ってしばらくの間、I-10を走って、I-20の分岐点を探していて、
見つからないから何処にいるのかが、わからなかった。

で、I-20との分岐点を過ぎ、嵐が、小降りになったところで、
オデッサOdessa, TXの町に着いた。

この町は、少し市街地があって、信号のある交差点を
いくつも超えた。
この時、O氏が、これじゃ、目的地まで何時間かかるかわからないな。
と、言ったことに対して、
少し反抗的な態度に成ってしまった。
反省。
市街地は、約十分後に抜けて、ハイウェイに変わる。

また、麦畑の一面である。

この制限速度70マイル(約112km/h)で、平面交差は、恐いな。
ここは、中央分離帯も無いし。

確かにそうであるが、自分は、高速規格のI-20と同様に、
時速80マイルで走っていた。

のどかな風景が、広がる。
しかし、曇り空だ。
O氏は、本当に風景を見ている。
この辺りの麦は、収穫は、少なそうだな。
その一言で思い出した。
テキサス州政府は、オーガニック(有機栽培)に力を入れていて、
完全有機栽培になる過程の畑かもしれないですね。
と、答えた。

給油の時間が近づいてきた。
田舎の町のガソリンスタンドに寄る。

何とここは、農具も売っているところで、
支払いをクレジットカードですると、
おじいさんが、電話で、売り上げ承認を取るようなところだった。

つまり、町の人だけを相手に商売をしているようなお店で、
掛け売りを基本としていたのではないだろうか。

麦畑から、酪農に変わって行く。
ここいらは、もしかすると雪も積もるのかもしれない。

目的地のテキサス州ルーボックには、Lubbock, TX11:45に着いた。

アリゾナ州では、O氏の希望の単車部品探しがままにならなかったので、
今回は、単車屋が、あってくれと祈る。

単車屋は、あった。
まず、主人に挨拶をして、
くずの単車を先に見せてもらった。
その中にO氏の興味を引くものは、なかった。

電話では、O氏の探している古い単車があると言っていた。
それを愛想が主人に言うと、それは、ここから、四十分離れたところにある。
木曜日に見せてやる。と言われた。
ふざけんな!と思って、二人でその店を出た。

US84を南に下る。
道路は、もう乾いている。

小一時間ほど走ってから、
マクドナルドで、昼食。
この時、ダラス Dallasの街を見てみたいな。
と、O氏の希望。
よって、ダラス経由が、決定。
さらに、走る。

前方の乗用車を抜かそうとすると、邪魔をされる。
相手にせずに、時速90マイルで、追い抜く。
追っては、来ない。

O氏は、食休み。

I-20に乗り換え、ひたすら東へ。

給油休憩で、O氏は、この旅行で、初めての大を経験。
自分は、快食快便だった。(笑)
ダラスで、I-30から、I-45に乗り換えるのを失敗した。

高速をすぐに降りて、
マーチン・ルーサー・キング通りを西に向かう。
交差する、マルコムX通りを超えて、
ようやく、I-45Sに乗れた。

ヒューストンまで、約230マイル。
約3時間ちょい。

帳が降りた。
だんだん、街の灯が見えたじめた。
ヒューストンまで、約三時間半。

ひたすら走るだけ。
外の風景は、変わらない。
自然で満ちていた。

ヒューストンまで、30マイルという標識を見つけたところで、
本日宿泊予定のホテルに連絡をして、
道順を聞く。

でも、いつも迷ってしまうんだな。

車線が増えてきた。
ヒューストンの街に入った。

今晩は、自分の働いている系列ホテルなので、
とても安く泊まれた。
だけど、普段泊まっているモーテルよりも、少し高いだけ。

ヒューストンは、蒸し暑かった。

夕食は、驚いたことに、
ロサンジェルスで人気のあるチーズケーキファクトリーで、
バミセリを食べた。おいしかった。

本日の走行距離 887マイル

朝食 モーテルにて ワッフル、べーガル
昼食 マクドナルドにて チーズバーガー
夕食 チーズケーキファクトリーにて





2003年05月19日(月) 時差二時間 =Two-hour time difference=

07:30 起床
08:00 出発 単車屋探し
09:30 Tuscon, AZに向けて出発
11:00 Tuscon, AZ着 人待ち
12:30 Tuscon, AZ発
13:20 ニューメキシコ州着
これにて、山岳部時間帯により一時間進める
14:20 ニューメキシコ州着
15:20 休憩
17:10 テキサス州到着
19:20 給油休憩
20:20 Van Horn, TX
これにて、中部時間帯により一時間進める
21:20 Super 8 Motel着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

O氏とモーニングコーヒーを飲んだ後、
今回の旅行のもう一つの目的である古い単車を探すことを始めた。

インターネットで下調べをしたが、
問題だったのは、2,3年前からアメリカ全土において、
電話の市外局番の数は、飛躍的に増えた事だ。
その原因は、携帯電話などの普及によるものだ。

このフェニックスでも例外では、ない。
前もって連絡をしていたが、
連絡がつかないところもあった。

フェニックスは、全滅だった。
ほとんど全てが、廃車置場として機能していない。

よって、次の目的地アリゾナ州ツーソンに向かった。

ツーソンについてから、連絡をとった男は、いないと
そのよめさんが電話で答えた。
もう少しで帰ってくるはずだと。
この待ち時間中に、次の日の訪ねるべき廃車屋に連絡をする。

結局一時間半、この街で、時間を取ったが、
その男とは、会えなかった。残念だ。

まだ、二日目だ。
気を取り直して、先を進む。

再びI-10にのり、東に向かう。
小さな竜巻が遠くに見える

砂漠で、なにもない。
ところが、急に木が生い茂ってくるところがある。
それは、農園だ。
O氏は、胡桃など種類の木だと言っていた。

アリゾナ州とニューメキシコ州の州境は、
峠にあった。

州が変わっても見える景色は、変わらない。
ときどき、植物が他の場所よりも生えていることがある。
植物といっても、本当に砂漠で生きるために
形を変えていった植物だ。

O氏によるとそのようなところには、
5-20メートル掘るだけで水が出る可能性が高いと言っていた。

さすが、土木関係の仕事をしているだけあって、
知識が豊富だ。

このような不毛の地に見えるが、このO氏だったら、
確実に生きる術を身に付けているに違いない。

お土産屋の看板が、目立ってきた。
寄ってみる。

休憩では、コーヒーを買うことを忘れない。

車の数がテキサス州との州境に近い街に近づくと
増えてきた。
東西に伸びるI-10と南北を繋ぐI-25の合流だ。

テキサス州には、まさに、夕方に到着し、
国境の街、エルパソを通り過ぎた。
古い大きな工場が高速道路の脇に並んでいる。

面白い標識がある。
昼の最高速度75マイル
夜の最高速度65マイル
街路灯がないからだね。

給油休憩を取り、
時差の変わるVan Horn, TXの街に着いたは、
九時をまわっていた。


2003年05月18日(日) しばしの別れ =So Long= **追加** さあ、出発だ =Shall we go?=

只今、朝の7:11です。

今から、レンタカーを借りに行ってきます。
予定より30分早く、日本からお客様がいらっしゃいます。

そのおきゃくさんをお迎えしてから、
アメリカ大陸横断の旅にでます。

よって、2週間は、インターネッに接続出来ません。

しばしのお別れです。

take care,

so long!


さあ、出発だ =Shall we go?=
07:30 起床
08:00 レンタカー屋にてミニバンを借りる
10:30 ロサンジェルス国際空港に到着
10:50 依頼主のO氏と会う
11:10 ニューヨークに向けて出発
   I-105E/I605N/60E/I10E
12:50 デサートヒルズ・アウトレット到着
14:10 昼食
15:50 アリゾナ州到着
17:30 アリゾナ州フェニックス(Phoenix, AZ)
Comfort Inn I-10 着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

いやいや、夕べは、寝れなかったよ。
いろいろ帰国のこととかを考えなきゃいけなかったりしていて。。。
寝たのは、3時過ぎ。
だけど、O氏をお迎えしなきゃならない。
レンタカー会社にミニバンを借りに行って、
必要なものを買い足して、
ろさんじぇるす国際空港に向かう。

UA890便は、10:20に予定より30分早く到着した。
UAの国際線の第六ターミナルは、日本人の姿が見えない。
以前は、日本からの到着便が着くと、そのターミナルは、
日本人でごったがえしていたのに。。。

今回の旅行のO氏の姿が見えた。
いつもは、トランク(スーツケース)を持ってくるのに、
ほとんど荷物を持ってきていないみたいだ。

だけど、相変わらず元気そうだ。
依頼主は、コーディロイのズボンに、スエットシャツ。
やはり飛行機の中は、寒かったのだろう。
自分は、短パンに、Tシャツ。
もうすでに、暑いカリフォルニア、アリゾナを意識している。

車は、空港の近くのホテルに止めたので、
そのホテルのシャトルバスに乗る。

よめさんに出発記念の写真を撮ってもらい、
ミニバンに乗り込む。

その車は、I-105を東に向けて進み始めた。
港から荷物を運ぶコンボーイで混むI-710を避け、
もう一本東のI-605を北に向かう。

そして、60に乗り換えて、さらに東に進む。
O氏が、冬服なので、途中で、夏服の購入を希望。
よって、ろさんじぇるす近郊で一番大きなアウトレット。
避寒地のパームスプリングスの近くにある
デザートヒルズアウトレットに寄る。

このO氏は、五十歳を越えているのに、
カジュアルが似合う。
自分と同じような短パンとシャツ、
そして、ウォーキングシューズを購入した。

つまり、この旅行で必要な衣類をアウトレットで調達した。
旅慣れていると感心する。

さて、車に戻り、I-10を東に向かう。
風力発電の巨大風車が、左右の景色をうめる。
O氏もこれは、初めて見るらしく、驚いていた。

O氏は、早速、車の後部座席で、着替え始めた。
砂漠の日差しが、肌を刺す。

よめさんの作った弁当をつまみ始める。
これが、お米のご飯との当分の間、
お別れだと思うと、ますます、おいしい。

食べ終わってから、州境に着く前に、
恐ろしいほどの眠気に襲われた。
しまった、よめさんに、毒を盛られた。
案の定、O氏も、後部座席で、転寝している。

ガムを噛む。腿を抓ってみる。
だめだ。
まぶたが、閉じていく。

手元に、水があった。
水を頭から掛けた。
復活した。


2003年05月16日(金) 67kg =147lb=

ようやく、ダイエットの成果が出てきた。
恥ずかしながら、今年の頭には、72KGまでなってしまった。

しかし、ダイエットを決意してから、
なんと、5KGも痩せた。

オニギリ2個の昼食。
そして、野菜を中心の夕食。
特に、野菜でお腹を一杯にすることを心掛けた。

晩酌をしたいので、本当に野菜を食べるようにした。

しかし、2週間の旅行が始まる。
体重が増える事を恐れている。

粉末青汁で、野菜不足を補うようにする予定。

さて、どうなることやら。


2003年05月14日(水) 初夏 =summer starts=

ろさんじぇるすに来て、初めてこの華を見たときは、
驚いた。
言葉が出なかった。
だって、あこがれのるさんじぇるすに来て、
自分のラッキーカラーの素晴らしい華が咲いていた。

毎年五月になるとこの砂漠の街にも、緑が目に付く。

このジャカランダの華jacarandaが、ろさんじぇるすに夏を呼ぶ。

紫色のこの華は、力強い染色効果がある。
この木の下に白い車を止めようものなら、
紫の華の色がつく。
ワックスをかけてもなかなか落ちない。

中南米原産のこの華をメキシコ人の友達は、
当地では見られない白、桃色などのジャカランダもある。
そして、時期には、街を彩ると言っていた。

ジャカランダの写真は、google.comの写真の検索機能に、わんさか出ている。

この木の写真を撮ろうと何度も出かけようとしたが、
予定が付かなかった。

で、嵐が来て、家のそばの木は、
紫よりも、緑の葉の方が、目立つようになってしまった。

この小さなジャカランダの木の写真を撮れてよかった。
これが、最後のジャカランダだから。
ここで、十年過ごした。。
この華は、一生忘れなれない。




2003年05月13日(火) 渡世の義理 = social obligation=

今日、コンピューター室で、バイトをしていたら、
以前、数学を教えてくれた
可愛いベトナムの女の子が、やって来た。
そして、クラブの運動資金を集めているから、
このサンドイッチを買ってくれという。
アメリカでは、チョコレートを買ってくれ
○○の足しにするから。。。ということが、よくある。

今日は、よめさんが、お昼に、
おにぎりを作ってくれていたけど、
いつもよくしてくれた女の子なので、
わかった。と二つ返事で、サンドイッチを買った。

自分だって、いつどうなるか分からない。
人間助け合いが必要だよね。
渡世の義理は、必要だ。
しかも、格好良く、粋にできることが条件だけど。。。


2003年05月12日(月) しんちゃんとまるちゃん =crayon shin-chan and chibi maruko=

自分は、クレヨンしんちゃんが、好きだ。
単行本も集めている。
読んでいて面白い。
俺に似ているところがあると思う。
(すぐに裸になるところじゃないよ(爆))

ちなみに、よめさんは、ちびまるこちゃんが好きだ。
まるちゃんの気持ちがはっきり手にとって分かるそうだ。
確かに、よめさんは、想像力が人よりもずば抜けている。
脱帽だ。

だから、いつも自分が、いたずらをしたり、
悪口を言ったりして、よめさんを怒らせて、
よめさんは、想像力で、楽しい話を聞かせてくれる。

しんちゃんとちびまるこちゃんの夫婦は、
今日も愉快に過ごしている。


2003年05月11日(日) 大陸横断旅行 =transcontinental travel=

05/18/03から2週間の予定で、
第二回アメリカ大陸横断旅行に行きます。

予定は、
ろさんじぇるす発ニューヨーク行き
主に、インターステート10 I-10を通って、
カリフォルニア州
アリゾナ州
ニューメキシコ州
テキサス州
ルイジアナ州
ミシシッピ州
アラバマ州
フロリダ州
ジョージア州
サウスキャロライナ州
ノースキャロライナ州
バージニア州
ワシントン特別区
メリーランド州
デラウェア州
ペンシルバニア州
ニュージャージ州
ニューヨーク州と
18の州を車で行ってきます。
来週の今頃は、炎天下のアリゾナ州だな。(苦笑)


2003年05月09日(金) 単車とロックンロール =motor bike and rock’n’roll=

自分にとって、単車とロックンロールの位置付けは、同じところにある。
つまり、人生は、単車とロックンロールって訳さ。

単車は、今は、乗っていない。経済的余裕が残念ながらないから。
だけど、ロックンロールは、常に聞いている。
自分の心の中に燃える何かが必要だからね。

じゃないと、走りつづけられない。
立ち止まっちゃったら負けだよ。

上手くいかなくても、動いていなくちゃ。
道に迷っても、辺りを回っていれば、様子は、掴める。

単車に乗ると本当に、そう思うんだよ。
だって、単車は、走っている間は、手を離していても
こけない。
だけど、遅すぎるとフラフラしてこけちゃう。

こけると立ち上がるのに、時間がかかる。
単車を引き起こして、我にかえる。

だけど、単車で、走っている時は、気分爽快。
こけることを考えていない。

だから、アクセルを開けつづける。
あの集合管の小うるさい音が懐かしい。

ロックンロールは、やっぱり楽しくなきゃいけない。
おまけに、反骨精神がなきゃいけない。

俺は、出る釘だよ。
打たれてたまるか!
って、勢いがなくちゃ。

世界で一番嫌いな言葉は、「長いものに巻かれる。」だ。
そんなことをするくらいなら、相手を殴って、
殺された方がいい。

そんな生き方をしていると思う
俺のお気に入りの曲。
是非、ライブ版を聞いてください。

Kids Wanna Rock             

Turned on the radio             
Sounded like a disco
Masta turned the dial for a couple of miles 
But I couldn’t find no rock’n’ roll      

This computerized crap ain’t getting me off  
Everywhere I go the kids wanna rock    

London to L.A.
Talking ‘bout new wave
For a couple of bucks you get a weird haircut
And waste your life away

Around the world or around the block
Everywhere I go the kids wanna rock

Get me my D.J.
I got somethin’ he gotta play
Wanna hear it I can’t wait
So turn it up, turn it up…

Kick down the barricades
Listen to what the kids say
From time to time people change their minds
But the music is here to stay

I’ve seen it all from the bottom to the top
Everywhere I go kids wanna rock

Around the world or around the block
Everywhere I go the kids wanna rock
Everywhere I go the kids wanna rock

by Bryan adams
from the album "Reckless"

see http://www.bryanadams.com


ガキ共は、ロックをしたがっている

ラジオをつけると 
ディスコソングが、かかる。
2,3マイル先に、周波数をあわせても
ロックンロールは、聞こえない

コンピューター音が、狂わせる
何処に行っても、ガキ共は、ロックをしたがっている

ロンドンからロサンジェルスでも、
ニューウェーブの話ばかり
安い料金で、へんな髪型にして、
人生を捨てる

街中や世界中でも、
何処に行っても、ガキ共は、ロックをしたがっている

DJ頼むよ。
なにか、オイラのお気に入りをかけてよ。
聞きたくて、我慢出来ないよ。
周波数をあわせつづける

バリケードを蹴飛ばせ!
ガキ共のいうことを聞け!
時間と共に心は、変化する
だけど、音楽は、ここにある。

頭の先からつま先まで、
何処に行っても、ガキ共は、ロックをしたがっている

街中や世界中でも、
何処に行っても、ガキ共は、ロックをしたがっている
何処に行っても、ガキ共は、ロックをしたがっている


2003年05月08日(木) 日式焼菓子 =Japanese confectionary in Chinese style=

韓国人街に行って買い物をすると面白いものが見つかることがある。
これが、その一つである。


どうやら日本風ということらしい。
商品には、うなぎの蒲焼きの写真がある。

我が家の大蔵大臣のよめさんに、聞いてみた。
買っていい?

許可が出たので、購入した。

おいしかった。

また、違う食べ物に挑戦してみたい。


2003年05月06日(火) 韓国風冷麺 =Korean Cold Noodle in Soup=

先日、少し暑い日に、韓国風冷麺を作った。

自分達は、日常の買い物を韓国人街に行く。
今は、日系スーパーマーケットも安くなったけど、
以前は、日本の商品を買う時は、中華系または、韓国系のマーケットだった。

で、いつものように、韓国系のマーケットで買い物をしているのに、
忘れるものがあった。

それは、

だ。

春雨みたいなものとこの冷麺の差がいつも分からなかった。
だって、商品には、英語表記が少ないんだもの。
写真から判断するしかないんだよ。

だから、そこで、いつも美味しそうなものを見つけるんだけど、
買えなかった。(勝負に出れなかった。)(笑)

で、よめさんが、それをとうとう見つけた。
デカした。

と、いうことで、
作ったのが、これです。




スープ入りだから、便利。
麺を茹でて、水で冷たくして、
冷たい水で、スープを作って、
麺の上からかけて、盛り付けをするだけ。

茹でて、この麺は、しこしこしているんだな。
弾力があって、芋系が入っていると思うよ。

ごちそうさまでした。


2003年05月05日(月) うれしいこと =happiness=

先日、日記にも書いたが、日本人の男の子が、自分が、バイトしている
コンピューター室のコンピューターの制限を受けてしまった。


それでも、彼は、コンピューターを利用したくて、(しなくちゃいけなくて)
来ていたけど、コンピューターが使えないと分かると、出て行っていた。

自分には、話し掛けもしなかった。
でも、自分は、彼は、家にコンピューターがあるのかな?
なかったら、宿題は、出来ないだろうな。
どうすんだろう?
と、考えていた。

だから、一週間位経っても、話し掛けてこないようだったら、
彼と一緒来ていた人に、頼んで、話し合いをしてもよいと考えていた。

そしたら、今日、月曜日の早朝、彼の夢を見た。
コンピューターが使えなくて、難儀をしている夢だった。

バイト先に行った。
その彼がいつものように午後になって、来た。

だけど、自分には、話し掛けてこない。
席について、コンピューターに、パスワードを入れたのだろう。
だけど、ログインは、当然出来ない。

で、別の係りから、彼の手伝いをしてくれと言われた。
前と違って、しおらしい。

今までのことをどう思う。
子供ぽかったと思う。
反省して、俺に取った態度を誤れ。
そしたら、自分が、上司に、お前が、
コンピューターをまた使えるように一緒になって、頼む。

彼は、謝った。
細かいことは、いい。

だから、上司を捕まえて、言った。

例の彼が、自分に謝った。
だから、もう一度コンピューターを使えるようにしてやってもらえないか。
自分が、責任を取るから。
上司は、分かった。

すぐに、上司は、彼が、コンピューターを使えるようにしてくれた。

彼、そして、上司に、お礼を言いたい。
ありがとう。


2003年05月03日(土) 人生相談は、兵頭ゆき =counselling=

先日の日記で、ちょっとふれたけど、まあ、よく深夜放送を聞いたよ。

インターネットなんか無い時代だったからね。

月曜日には、オールナイト・ニッポン  中島みゆき
火曜日には、パックイン・ミュージック ゆきねぇ (兵頭ゆき)
木曜日には、パックイン・ミュージック 翔 (横浜銀蝿)と
      オールナイト・ニッポン  ビートたけし
土曜日には、オールナイト・ニッポン  鶴光

かな。

布団に包まりながら、夜中の1時を待つ。
そこまでは、気合でなんとか起きている。

しかし、そのパーソナリティーの声を聞くと安心したのか、
気付くと三時だったりしたことも、多々あった。

でも、よく聞いていたな。その分、授業中寝ていたけど。(笑)

友達との次の日の話についていく為には、
深夜放送は、欠かせなかったよ。

気に入っていたのは、ゆきネェの人生相談だね。
そんなことを言っていると、歳がバレるって。(爆)

まあ、悩み多き時代だったから、ためになりました。

ああ、懐かしい古き良き時代だな。


2003年05月01日(木) ピンクス ホットドック =pinks=

私のHPのLAの生活部門、ハンバーガーに記載されている
ピンクスに久々に行ってみた。

相変わらず混んでいるんだけど、驚いたのは、
メニューに、変化が起きていた。

新参者の「ミレニアムドッグ」や
今テレビで大人気「オズボーンドッグ」、
子供達の憧れ「ハリーポッタードッグ」
などがあった。

チリドッグ chilldogが、有名なので、
自分は、チリドッグを。
よめさんは、とても気になるオズボーンドックを注文した。

写真右からチリドッグ、オズボーン、オニオンリング

拡大写真は、こちら

で、食べ始めたら、よめさんが、辛い辛いといって、
苦手だったルートビア root beer をゴクゴクと飲み始めた。

まあ、よめさんは、辛いのは、苦手だが、ルートビアも苦手だった。

自分は、ハラペニョが、辛くないと思っていたくらいなので、
少し味覚が違う。

で、ハーハーと、苦しがっているよめさんのオズボーンドッグを食べてみた。

辛くて美味しい!
これは、本物のビールと合う!

よめさんとホットドッグを交換して、満足しました。

教訓
古き良きものも大切だが、
新しいものにも挑戦しよう!

と、いうことで、今回は、新しい発見のあったピンクスでした。


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