別に行くわけぢゃない。
『アイーダ(便宜上)』の時も演劇講座が開かれていたが、どのみち生徒さんもいることだし、和やかに制作エピソードを語って終わりというのは予想つくが。(ウエシンの講演の後なので、楽屋出が遅いと云われる舞風嬢でも十分間に合う、筈)
しかし、「演劇講座」と銘打ってあると、ワークショップ程ではないにしても、なんだか実践的な話が聞けるのではないだろうかと、つい思ってしまう。
どうせなら、木村さんはこう云うのは観ないだろうか。
私たちの戦争 LOST IN THE WAR/BLINDNESS(燐光群)
宝塚で時事性や政治性を持たせたい場合、そこは宝塚の特質をよく考えて、甘くやんわりと、あるいはじわじわと効いてくる毒のように書き込むのが好ましいのではないかと、思う。『スサノオ』を観ていると居心地が悪いような感じがするのは、割と時事ネタを、割とわかりやすく、外に出してしまっているから、と云うこともあるのかなと。それがまったく悪いこととは云わないけど、要はやり方だと思う。
飲まず食わず
小劇場において大事な、ひとつのケーススタディとして書かれているけれど。
100年続くと伝統芸能に認定されるらしい(『歌劇』2004年5月号 モリエとめおちゃんの話@榎氏の楽屋日記)が、大きい分、小回りが利かないと云うか、はたして歌劇団として、こういう声を汲み取ることができているのかは甚だ疑問。8 とかは動向チェックしてそうな気はするけど。(パトロール隊とかいたりして)(また勝手なことを)
自分の ThinkPad 1124 と会社の PC に、Opera 7.51 を導入。まだ十分使用していないので、会社のには 7.23 を残してあるが。それにしても、RSS リーダ機能があるのは便利だ。でも、家では PowerMac 7600/G3 を使う。
『新版 古事記物語』読了。天皇話になってから、途端につまらなくなった。しかし短慮なところは、代々受け継がれていたように思う。
宝塚的拡大解釈をもってすれば、「大鈴小鈴」の(五)(六)あたりは、悲劇芝居として出来そうよ。大野さんあたりで、是非。
豚めし並と生玉子
童話版古事記を読んでいる。電車の中では寝がちなので、あまり進まない。
スサノオとアマテラスの子供産み勝負で、勝った勢いで暴れまくるスサノオのバカさ加減が堪りません。ヤマタノオロチ退治だけが、格好いい。スサノオ八代の孫である大国主神がやってきて、娘(いちいち名前覚えられない)が一目惚れしたのを気に入らずに、意地悪をしてやると称して殺そうとする短絡さも、それって全然変わってないってことではないかと思うのだが、いかが。
どの神様にも云えることだが、人間くさいとかそんなんよりも、する事なす事短慮すぎるのが、いろいろな意味で楽しめる古事記である。
そうか。
朝海スサノオは、ビジュアル的には大いにアリであるが(髪ぼさぼさだけど)、思索的すぎるのがいけないのかも。やはりスパッと、活劇に仕立てないとダメだね。(でも、大和と先民という目の付け所は間違えてはない、とは思う)
ミニ野菜天丼(もう昼ぢゃないから)
朝から鬱々としていたし、仕事もさくさく終わってしまったし、すぐさま家に帰りたいわけでもないし、かといってお茶したりという気分でもなく。結局本屋で立ち読みしつつ、本を買った。
後者は、まあアレだ。雪組さん特集ってコトで。(自分の中で)
本を買って気分が晴れたわけではないが、『宝塚GRAPH』やら『歌劇』やらを手にとって眺めるくらいには復活したかな。
さららんの啓蒙コーナーは、スターAさんと、スターBさんが、まったく正反対のことを云ったらどうするんだろう。どちらにも「そうですよねっ!」と云うことになるのだろうか。もっとも、さららんにしても読者にしても、「そうなのかー(どっちも参考になる or ならないな、フムフムこんなこと考えてるのか)」と云うだけの立場だから、別にどうでもいいんだけど。
さららん、うちの ATOK11 for Macintosh だと「皿蘭」に変換される。
「ファントム」と入力しようとして無意識に「らんとむ」と入力してる。
全然浮上してないし。(内向き日記)
抹茶クロワッサン
土曜日は、両脇がどうやら偶然にもキムファンで、なんだかオペラグラスの動きが、ついつい一緒になってしまっていた。いつもそうだとは云わないが、シナがもれなくセットなことがあるから。ショーなんかだと。
キム(アメノウズメ)は相変わらず、植本潤さんちっくだった。(そんな風に思う人いないヨ) ふてくされて手で髪を梳いてるところや、仁王立ちしてたのに慌てて娜を作るところなんて得に。
うーん、いつか絶対鬘を(以下略)
土曜日、会社の機器室では間仕切りの変更があり、入り口の扉も新しくなった。鍵も暗証番号方式に変更。カードキーは高いらしい。それでも嬉しさのあまり昨日は、出たり入ったり、あまり意味のないことをやってみた。
母弁当(ひじき)
飲まず食わず
ポークカレー
ホットハム&チーズサンドに抹茶モカ(ランチどころでなく)
ベーコンダブルチーズバーガー(トリオ)
トマトフランク
日替わりランチ(鰆の西京焼き)
飲まず食わず
今日は雪組初日だったが、やはり降られた。何か子細がありそうでなさそう。時節柄と云えばそうだし、水がいるからとも云えるし。公演期間が梅雨と被ってしまっているが、水不足にならない程度にてるてる坊主は必要か。
あたしもよく日付と曜日がズレにズレまくってよく勘違いをしているけど、明日は日曜日ぢゃないと思うぞ。気をつけないと、オフィシャルの場で、あの間違いは恥ずかしいよね。スカステさん。(どうせこそっと直すだろうから、敢えてリンクしない)
豚皿並と生玉子
他人様の blog で、今月末のNHK教育の芸術劇場で俳優祭(宝塚愛読者大会と学園祭がごっちゃになったみたいなもんだな)を放送することを知った。NHK にはまだ載ってなかったの。
『歌舞伎座の怪人』が含まれていると云うことなので、ある意味タイムリーと云えばタイムリー。そう云えば、ケン・ヒル版の来日公演もあるのだっけ。
別にかの『オペラ座の怪人』ってわけではないが、まあ、怪人ということで。かつて「俳優祭」では「ベルばら」を演ったこともあるだけに、楽しみだ。実は毎年宝塚ネタがあるって聞いたこともあるしな。
豚肉なすきのこカレー
久しぶりに、宝塚の人が出てくる夢を見た。かしげ、かのちか、乙女ちっく百花さん。寝る前に歌劇6月号を見たからだろう。
大劇場に行ったときに、一緒に花バウのプログラムを買ってきた。
各掲示板などの公演に対する評価、感想、印象は読んでいないし予習もしていないから、あくまでも簡単なあらすじと歌劇の座談会ベースでしか内容は知らない。その上で。
みわっちは、間違いなく殺される役
だと思っている。
結果は青年館を見るまでのお楽しみなのである。
だんちゃんのガテン系は、たぶん肉体労働系ってコトではないかと。道路工事現場の。
電気工事、電柱系のイメージではないね。あくまで一読者の想像ですがね。
宝塚グランドホテルって、いつの間にやらマンションになっていたのね。
広告の地図にある丁字ヶ滝って、名主の滝みたいなものなのか知らん。(温泉らしいよ)
新生月組トップ対談で、なんか、括弧附きの退団者の名前に敬称が付いていたのが、あれは要らないと思うのだが。どうなのだろう。
会社で、既に籍がない人宛に電話がかかってきた時、「○○は××しました」って普通に受け答えするけど。それと同じ要領だと思うんだけどなあ。それとも、あたしの社会人としての基礎ができてないのだろうか。(未だに)
月組公演、やっぱり観に行こうかな。あらすじだけ読むと面白そう。
カレーうどん
雪組84期男役の中で、沢音和希はどちらかというと悪役顔なのだが、キムは意外と企み顔かもしれないと、気付いた。
と思ったのは、さっき雪組全ツの春麗を観ていて、いっぽ君の源頼信は爽やかお兄さん風だったのに、キムはたぶん妹のことを思っているのだろうけど、絶対何か企んでそうな雰囲気だったので。これだけでそう云ってしまうのも何だけど。
9月の日生劇場公演は、まだ情報が小出しの段階で云うけど、一抹の不安を覚えるのだが、どうなのだろう。『花供養』って。しかも理事長の作品だし。絶対に日生でやらなきゃいけないってわけでもないだろうに。台詞劇はともかく、第二の春日野八千代もともかく、なんかこう、どういう判断でこういう決定になったのかが、よくわからない。(経験的に云うと、暴挙に近いのではないかと) キムシナとなみが出るから行くけどさあ。
宙組一般の日、青年館11時公演の予定が。あ〜。
肉じゃが定食
『狐狸狐狸ばなし』高松公演のニュース(四国新聞社)を読んで、観たいと思ったからかどうだか、夢を見た。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出
市川雷蔵主演
夢の中では『狐狸狐狸ばなし』ということになってはいたが、起きてみれば、チャンバラ時代劇映画風だったような。もちろん、市川雷蔵だけあってモノクロである。だいたい話の筋なんて、知らないし。
夏目漱石著『文鳥・夢十夜・永日小品』(角川文庫)読了。
筑摩から出版されている岡本綺堂の『青蛙房鬼談』を買おうと思っていたのに紀伊国屋にはなかったので、恩田陸の『ドミノ』(角川文庫)を購入。恩田陸はムラがあるので、ちょっとした賭である。
梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』(角川書店)は文庫になるまで待つことにした。区立図書館では『家守綺譚』(新潮社)は22人待ちであることに、些かげんなりする。
明日は『ファントム』で、2回観る時はいつも、どのタイミングにするか迷うのである。今日の昼がパンだったので、やはり米を食べたいかも。劇場でお弁当(観光地価格)なるものを買ってみようか。
胡麻揚げパン(やっぱり食べにくい)
花組の地方公演は、自宅から一番近い府中ではなく、市川へ行った。
電車一本だから別にそれは構わない。
気が向いたら、公演についてどこかにメモするだろう。
タムロンの蘭寿とむ君が、衣装のせいかもしれないが、素晴らしく広い背中だった。寄りかかったら気持ちよさそうである。
喩えて云うなら、寿司詰めの通勤列車で吊革も掴めない状態で、押されているうちになんだか丁度良い背凭れがあるなと思ったら、それが彼の背中だった、みたいな。(わかりにくいな)
夏目漱石は、遅まきながら『倫敦消息』まで読み終えた。字が大きいので、やはり読み易い。新潮のが、小さすぎるのだ。
正岡子規にあてた書簡のほうが、私信であり幾らか碎けた文章であることと、留学中の漱石の生活が随所に漂っていて、おもしろい。後に文集に入れるので改めたものは、確かに手を入れた分だけ解りやすく読みやすくなっているが、勢いというものが削がれてしまっているように感じる。
『阿修羅城の瞳』が映画になるそうだが、椿が宮沢りえ、というのはちょっと柄違いではないかと。まあ、舞台のほうでも、天海祐希は「色っぽさ」には欠けてたよね、だけど決まってたよね、とNさんとは、『髑髏城の七人』を観たときに話していたのだが。ただし舞台と映画は媒体が違うから、表現方法も異なるし、どう転ぶかはまだわからないけど。(でもちょっと違うよな)
なすとトマトのマリネ風