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Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
2005年10月30日(日)
「おしゃれに見える」こと、ではなくて。
以下、さっき偶然見つけて読んで「あぁ、こういうコトってあるなぁ〜」と思ったコラム、
藤沢優月さんのそろそろ本気でゆっくりコラム「Vol11.惑わされない」より引用♪
(略)でも、気づいたのです。
ポスターの前でうろつくも、映画館に足が向かなかった本当の理由は、時間の贅沢さでもない、サービスデーの値段でもない。
その実わたし、「映画を見る」ということ自体があんまり好きじゃなかったのです。うすうすは、感づいていたのです。でも、なんとなく言い出しづらかった。
世間の人が「いいよー」って言っていることで、一般的に「かっこいい」とされていることに関心がないなんて、なんだか切り出しづらかったのです。映画を見に行くことはおしゃれに見えて、「大人の休日」のように感じます。そして「映画が好き」という友人たちはとても趣味が良く見え、私がそれをすれば、なんだか素敵になれる気がしたけれど...。
(中略)自分に正直になってみて、気づいたのです。
私がいちばんリラックスできる休日は、気にいりの地ビールを飲みながら、読みかけの洋書に没頭すること。
(中略)一見「おしゃれに見える」ことをして、自分にも時間にも嘘をつくよりも、本当にしたいことをして、時間を楽しんだ方がずっと喜びが大きい!
気に入りの地ビールをあけ、5章読んだ後に満足げに伸びをして、気づいたのです。
心が静かに満ち足りている。かっこよさも、麻薬みたいなドキドキ感もないけど、ゆっくりと潮が満ちてくるように、心が穏やかな喜びで満たされています。「クライ」って思われても「生産性がない」と言われても構わないから。
「そろそろ本気でゆっくりしよう」
なによりも私自身が、自分に言い聞かせる日々が続いているようです。
藤沢優月さんのそろそろ本気でゆっくりコラム「Vol11.惑わされない」
というか、「映画を見る」って、私は、全然「おしゃれに見える」ことだと思わないし、個人的にも全然好きじゃない活動なのである。理由は単純で、映画って、どこかの誰かさんの妄想を商品化したモノだし、誰かの創った世界を「見る」のではなくて、自分で「体験する」コトのほうが楽しい。そういう感じがするのである。(→同じ理由からなのか、小説もあんまり読まないんですよなぁ。でも、好きな小説は何回も読む傾向はあるし、活字はたくさん読んでますw)
というか、人間って知らず知らずのうちに、客観的に「おしゃれに見える」ことを主観的にも“好きである”ことがおしゃれ、みたいな、妙な心理的拘束を受けつつ暮らしているものなんですよなぁ。「おしゃれに見える」コトを良しとして、消費者を洗脳していく経済って、マーケティングって、情報化社会って、コワイですなぁ。。
でも、「本気でゆっくりする」“コツ”って実はすごく簡単で、ただシンプルに「自分に正直になってみる」だけで良いのでしょうなぁ。って、コトを考えながら、“「クライ」って思われても「生産性がない」と言われても構わないから”こうして日記を書いている私でありました、あは(苦笑)♪
2005年10月28日(金)
ひざまくら。
夕方から風邪の症状が悪化したので、友人Mに「やはり、今日は無理ですわ。。」とメールをし、帰宅。
家に帰ると、今日は遅くなるはずだった彼が家に居て、お粥をつくってくれていた。彼曰く、「どうでもイイと言えばどうでもイイ飲み会だし、なんとなーく、なおサンの具合が悪くなる気がしたので、帰ってきてみた」らしい。
(→彼曰く、私と付き合ってから、「世話をする」ことの喜びを知ったらしい。ちなみに、彼の実像を知る人からすれば、「ええええ、あの人がお粥を作るなんて。。」と驚くこと確実の行動。それくらい、似合わない行動。)
先日注文しておいた
おもいっきり珈琲豆セットがちょうど良く届いていたので、コーヒーを煎れつつ、お粥ができるのを待っておりました。(→ちなみに、このコーヒーセット、4種類各500g、合計2kgで2999円。大変お得であるよ。コーヒー豆をネットで買ったのはこれが初めてだったのですが、味も良好♪今後もココで買う予定♪)
で、お粥を食べて、ひざまくらをしてもらいつつテレビを見ていたら、少しずつ微熱が引いてきた模様。どうでもイイけど、ひざまくらは、するよりも、してもらうほうが良いものだな、と思った今宵でありました。
2005年10月26日(水)
風邪、快方へ向かう♪
昨日、風邪のコトを少々ほざきましたが、具合は快方へ向かってきております、はい。
昨夜は、風邪だからといってあまり動かないのも良くないなと思い、ごほごほ言いながら家の掃除を。ついでにホットカーペットを床に引き、冬支度もしておきましたです、はい。で、一汗かいたことで、熱が汗と一緒に体外へ出て行ってくれた模様。
というか、ようやく昨夜彼が出張から帰ってきたのであるが、どうやら彼は、もっと軽めの症状を勝手に想像していたらしく、私の衰弱振りに驚いておられた。「言ってくれたら早めに帰ってきたのにw」と仰っておられましたが、とりあえず「風邪で発熱しております」とは伝えたし、病気が移ると大変なので、ある意味、出張期間中に発熱しておいて良かったなと思ったり。
それと、ついでに書いておくと、今回、風邪になって良かった点は、夜外出しなくても良い「言い訳」ができたことでありました。おかげさまで、「そろそろもう1回読みたいなぁ〜」と思っていた本を数冊読めたし(→大ファンの茂木健一郎氏の『脳と仮想』『脳と創造性』、セミール ゼキの『脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界』など。どれもオススメ♪)、少し充実感を感じたり。
ということで、後は、鼻周辺の症状が治まるのを待つのみ♪
2005年10月11日(火)
妻は夫にときめかない?
興味深い記事を見つけたのでメモ化♪
妻は夫にときめかない 首都圏50歳以上の男女【Mainichi】
◇夫の41.3%が妻にときめきを感じているが、逆に妻は18.9%しか感じていない−−。首都圏に住む50歳以上の男女500人を対象にしたアンケートで、男性にはちょっぴりつらい結果が浮き彫りになった。
◇男女とも6割が「恋愛したい」と答えたが、相手の年齢の下限について、男性は「自分より20歳下まで」が30.9%だった。一方、女性は「5歳下まで」が37.3%と現実的な答えだった。
◇同社は「シニア世代にリタイア志向はなく、積極的に生きたいと願っている」と分析。恋愛も生涯現役?
「夫の41.3%が妻にときめきを感じている」のに「妻は18.9%しか感じていない」のか、なるほど。。要するに、「ときめきを感じている」と回答した「夫」の大多数は、一方的に「妻」に「ときめきを感じている」、ということなのですな、ふむふむ。。(→片思い、みたいなモノなのかな。。)
というか、「夫の41.3%が妻にときめきを感じている」というのは本当なのだろうか、「ときめきを感じている」と回答した方々の「ときめき」の定義を聞いてみたいものであるよ。
というか、シニア世代は、ホント元気ですよなぁ。50代中盤くらいの方を話すと「元気」、悪く言えば「強欲」とも言えるくらいのパワーを感じることが多いんですよなぁ。。その元気さが羨ましい、風邪気味の今日この頃であーるよw
2005年10月09日(日)
なぜ男はセックスをしたくなくなるのか?
興味深い記事を見つけたのでメモ化♪
なぜ男はセックスをしたくなくなるのか【テクストによる恋愛放談】より。
30代既婚女性の相談。結婚4年目、2人の子供に恵まれ、まめな夫に幸せを感じているが、セックスがないことに不満を持っているらしい。読売新聞のサイトから。
心が満たされた女性は、次に体も満たされたくなる。心が満たされないから、体を満たしてしまいたくなる女性もいるけれど、その試みから出てくるのは、さらなる心の渇きだけだ。
(中略)男性の方は、“結婚して心が満たされているから、セックスの必要がない”と言っているが、実は心が満たされているのではなく、(今以上に)心を満たす必要を感じていないのである。となると、いくら女性が“体を満たすことで、もっと心も満たしたい”と思っても、すれ違いになるのが当然だ。
結論は月並みで、“とにかくコミュニケーションをもっと親密にとりなさい。大切なことを口に出して話し合いなさい”ということになるが、(今以上に)心を満たす必要を感じていない男性が、“体を満たすことで、もっと心も満たしたい”と思う女性に歩み寄れるかどうか。
なぜ男はセックスをしたくなくなるのか【テクストによる恋愛放談】より引用。
しかし、こういうの読むといつも思ってしまうのですが、こういう問題が起こる根本原因って、「欲望」の“量”や“質”や“種類”が合わない人と恋愛したり結婚してしまったからなんじゃないのかなぁと。。
他の人と浮気をして解決しなさいよ、とは全く思いませぬが、他の人に求める“必要性がない”相手を結婚相手には選ぶべきですよ、そもそも結婚っていうのは法的な契約なんですよ、それ破ったら法律問題に発展するんですよ?!、と思ってしまう今宵でありますです、はい。。
2005年10月07日(金)
「純粋」という言葉のなぞ。
ついでにこれも、前回に引き続き
『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)より引用しメモ化♪
(略)時に、男友達が男性としての輪郭をくっきりと浮き立たせて、喋る時がある。彼らの言うところの「純粋な女の子」が、その場に混じっている時である。まあ、私達が女性として意識されてないと言えば、それまでなのだが、この「純粋」ってのが、どうも、私の価値観とは合わないようなのだ。
「純粋な女の子」たちは、キスのことを「チュー」と言い、セックスのことを「エッチ」と言う。両方とも、私の言葉の美意識の中では、許されない言い回しなのだが、どうやら男性は、そちらの方が、許せるらしいのだ。
そんな言い方は、下卑ているよ、と私が、うっかり口に出そうものなら、あんな純粋な女の子をいじめるなよ、と言い返されそうだし。彼らが、女性に求める純粋さって何?
『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)より引用。
前提として、詠美先生は、すでにある種の男性が用いる「純粋」 という言葉の実態を捉えているのであるが、ここでは単に、エッセイのネタとして、読者に語りかけるために書いただけ、だと思われる。
その前提の上で、ちとほざくと。
「純粋」というのは英語で言えばinnocence(無邪気、無垢、純潔、純真)なのでありますが、それに反して、ある種の男性が使用する「純粋な女の子」という文脈での「純粋」って、子供っぽい(childish)という意味での「無知」、という概念と似ているのかもしれず。なので、ある種の男性からすると、「純粋な女の子」って、操縦しやすい雰囲気を感じるという面もあるのかなぁ、と。
でもまぁ、実際のところ、「純粋な女の子」を“演じる”というのは、かなり高等な演技力を必要とするものですよなぁ、ふむ。それに、その「純粋な女の子」とやらを実際に見てみないことには、その子が演技で以って「純粋な女の子」を演じているのか、本当に「純粋な女の子」なのかは定かではないよなぁ、と思いましたです、はい。
でもまぁ、女性の皆様はお気づきの通り、男性が言うところの「純粋な女の子」って、ほとんど98%くらいの勢いで「演技」だよね、あは(苦笑)。
2005年10月05日(水)
それにしても、遊びの恋愛と本気の恋愛は、どこで区別されるのだろう。
前回に引き続き、お風呂で
『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)を再読していたら、改めて「だよな、だよな、そうだよな♪」と思った箇所があったので、次いでにここにもメモ化し公表♪
(略)それにしても、遊びの恋愛と本気の恋愛は、どこで区別されるのだろう。どうしたら他人に、それが解るのだろう。男に遊ばれたっていいじゃないか。女の方が真剣なら、うつつを抜かしているのなら、それは本気の恋愛なのではないだろうか。
貢いだっていいじゃないか。それが自分のお金なら。貢がれている男は、日本にだって沢山いる。もちろん貢がれている女は、多分、それ以上に沢山いる。
(中略)バリ島で男狩り?すると、日本で男を探している女はいないのか?それじゃあ、結婚したい結婚したいと、条件をつけて男を捜している、あの女たちは、いったいなんなのだ。
浮気と称して、妻以外の女性とセックスする男性は、遊びの恋愛はけしからんよ、などどは言われない。多くの女達は、他人の男が何をしようがなんの興味もないからである。
(略)あらすじには、さまざまなディティルがあるのである。他人の恋愛にも、色々な感情が絡んでいるのである。そのことを理解した上で語ろうとすると、恋愛に、善悪などどいう価値判断が無用であることに気づく。
あるのは、自分自身が、自分自身のために創り上げて来たモラルだけである。そして、それは他人には応用出来ないのだ。
(略)あらすじだけでは、何も解らない。どのようなディティルを持っていたか、どのようなセンティメントがそこに潜んでいたのかを知るのは、それを実際に味わった人だけなのだ。自分をさておき、を繰り返していると、段々、それが見えなくなってくる。
『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)より引用。
ふむふむ。確かにそうなのである。「遊びの恋愛」と「本気の恋愛」は、外から見ただけでは区別できないのである。というか、「区別」なんていう発想をしていると、「恋愛」するコト自体がつまらないものに成り下がってしまうような気もしますよなぁ。
それに、世の中を見渡してみれば、結果として「結婚」すれば「本気」、というワケでは決してないものですよね、ホント。。周囲の人間は「お、結婚したんだな、めでたいな♪」と思うのが常ではありますが、最近、離婚に至った知人と話していて、「ああ、当事者から見ればそういうワケではないのだな。。」としみじみと思ったりしました、はい(苦笑)。
また、「ディティル」こそが大切というのもホントそうですよなぁ。例えば、
映画『マディソン郡の橋』って、あらすじだけで言えば「4日間の不倫」なワケですが、ディテールが美しかったからこそ、同じ不倫映画というジャンルに分類される
『失楽園』とは違った雰囲気を醸し出しているワケですよなぁ。。
なので、「あらすじ」って、あんまり意味ないことだよなぁ、それって他人の恋愛にも共通することだよなぁ、と、このエッセイを読んで思ったのでありました、はい。
というか、わたし個人は、貢ぐのは趣味ではないのでしないのですが、したい人はすればいいと思うのであるよ、恋愛という個人的領域は、すべてが自己責任で成り立っているワケだし。それに、個人個人が各自の所得をどんなサービス・物に費やすか、って、まさに個人的な問題なワケですし。
(→と言っても、行った行為が相手にとって迷惑であり法的に問題となる場合は、自己責任論で済まされないのであるが。。例えば
『ストーカー規制法』など。)
それに、恋愛というのは、本気と遊びが共存しているからこそ恋愛なのだろうなぁと思ったりもしますしなぁ。要するに、恋愛するならするで「本気で」「遊ぶ」のが大事なのかもですね、あは(笑)♪
2005年10月03日(月)
「野性」という褒め言葉。
お風呂で
『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)を再読していたら、改めて「だよな、だよな、そうだよな♪」と思った箇所があり、勢いづいてメモ化してしまいました。。よって、次いでにみなさまにも勝手に公表♪
「野性」という褒め言葉
(略)男の剥き出しの野性は嫌味である。かといって、野性味のない男に男の価値はない。
女の注文は自分勝手でややこしい。そんな女の要求にいちいち答えてなどいられない。そういう男はそれでいいのだ。野性とやらを剥き出しにして、一昔前のターザンをしていればいいのだ。きっとそれなりの女たちが腕にぶら下がって来るだろう。
けれど、(中略)少し物の解った男たちは、自分の野性をどうやって隠すべきかを学んでいただきたいと思う。
男の野性を隠すのに手っ取り早いのは、まず「洗練」を身に付けること。そして、第二段階は「素朴」を滲み出させること。さらに、仕上げの段階で「知性」を備えること。
「洗練」というのは意外に簡単である。それは、余分なものを削ぎ落とすことから始まるからだ。たとえば洋服。どうでもいい女たち。自分の存在する空間。自分の好みに合わないものは冷酷に切り捨てて行く。そして、こだわる。(中略)女の優しさが過剰気味で鼻に付くなら、もちろん捨てる。
「素朴」は、少し「野性」に似ている。けれど、まったく別のもの。それはとても無意識であり、無頓着である。男には理解出来ないだろうけど、それはとても女の性的な部分を刺激する。そこには、まったく欲望が含まれていないからだ。野性にたっぷりとしみ込んだ欲望を、それはやさしく中和させる。
そして、難題の「知性」。これは「知識」ではないから難しい。知識を詰め込むだけなら誰でも出来る。けれど、指や唇の動きに知性を含ませるのはめったな事ではものに出来ない。知性というのは言い換えれば「物を知った」という事である。これに限っては年齢というものが必要なのである。
けれど、もし、これすらクリアしてしまえた男がいたなら、女たちは頬を染めてこう言うだろう。"He is not only wild, you know that, don't you!"
『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)より引用。
ふむふむ、詠美先生がおっしゃるような、素敵な人たちがたくさんいれば、もっとこの世の中は楽しいものになるやもしれず。(でもまぁ、こういうのって、男性がうんぬんとかではなくて、女性もレベルアップしてこそだと思うので、どっちもどっちなんでしょうな、あはw)
というか、“「洗練」というのは意外に簡単である、最初に要らないものを削ぎ落とすべきである”というのは同意見だなぁと思った。。というのも、女友達がとある種の男性を指して困ったように「彼って、うざいのよw」「メンドクサイのよw」と言うときのその「彼」って、「余分なもの」がたくさん付いている、要するに、「過剰」であるからこそ、そう言われてしまうのだろうなぁ、と時々感じるので。。
逆に言えば、相手の男性を見て、「ムダなものがない」「過剰ではない」というだけで、女性というのは相手に好意を持ちやすくなるものなのである。
というか、ムダな欲望が含まれていない「素朴」というのは、良い男の条件だなぁ、とこれを読んでしみじみ。過去のとある場面を思い出しつつ、「なるほど♪ああいうことを言うのだろうなあ、素朴って♪」と、一人で「ふむふむ」と頷く今宵でありました、あは♪
2005年10月01日(土)
やっぱり、文房具が好き。
今日は、彼とふらっと買い物へ行ってきました、はい。予定ではブーツと秋用のジャケットを買おうと思っていたのだけれど、結局そういうのは何も買わず。。(→予定通り彼はスーツお買い上げ。)
というのも、たぶん、今日はノースリーブで大丈夫なくらい天気が良すぎたので、「秋」という実感がどうも湧かなかったからかも。。でも、ちょうど良さそうなブーツは発見したので、今月半ばくらいに買う予定♪
で、結局買ったものと言えば、来年の手帳を1冊と、
MILANのポストイット2コのみ。
手帳は現在使用中の1日1ページの
クオバティスのもので、ソニプラ限定カラーの白を選択。ついでに1週間タイプの手帳も買ってしまおうかと思ったんだけど、欲しいと思っていたカバーが在庫無しだったので、もう少し後に買おうかなぁと。
MILAN(→スペインのメーカー。)のポストイットは、普通のポストイットと違ってカバー付きなのが特徴で、カワイイし、持ち運ぶときにも何かと良さそうだな、と思い購入。商品を見つつ、MILANについて説明していたら、彼も興味を示してきたので、2コ買って1コはあげてみたり。
とか書いてると、まるで文房具オタクだと思われてしまいそうなのでイヤなのですが、けっこう文房具って好きなのかもなぁ、実際けっこう買ってるし(苦笑)。後はカフェで休憩したり、軽めにごはんを食べたりして帰宅。
ということで、文房具好きとしては、今日はけっこう楽しいひと時でありました。もっとスゴイ文房具を探したい、という欲望を久々に感じましたです、あは(苦笑)。
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