明けましておめでとうございます♪ダラダラしていたら、いつの間にやら11日間が経過していましたわ。では、ムダな前置きはこれくらいにして、以下“この世で一番強い女性”【上田真緒ラボラトリー*MAO LAB】よりいつも通り長々と引用。。
A子さんは外資系企業に勤務するバツイチ女性で,今年春から小学校に入学する子供が一人いる。その彼女が弁護士になるため,会社を辞めて,これからロースクールに三年間通うことにしたという。私は驚いた。
(中略)この話にはすごい点が三つある。
一つ目は,小さな子供を抱えた母親が弁護士を目指すこと。二つ目は,生活費を貯めたのはもちろんえらいが,弁護士になれる保障がないのに,出費だけで収入のない生活に何年も耐えようとしていること。これが夢を追うときに一番ネックとなる部分だと思う。
三つ目は,まだ若いのに再婚しないと決めていること。私が知る限り,二十代,三十代で離婚する女性は,離婚届を役所に出す前から再婚したがっているものだ。子供が小さいと,なおさら決意は固く,
「この子が物心つく前に,絶対再婚してやる」
と,暴力夫から逃れたばかりの女性がすわった目で低くつぶやいたのを知っている。実際に彼女はすぐに再婚して,新しい夫の子供をあっという間に産んだ。
そういうわけで,このA子さんはすごいの一言に尽きる。考えてみると,もう結婚はしない,出産もしない,生活費の心配もない,あとは夢に向って黙々と努力するだけという女性ほど,この世に強いものがあるだろうか。女は誰かに依存しようとしたり,体内時計に振り回されるから弱くなるのである。恋愛だけならいつでもできるのだ。
“この世で一番強い女性”【上田真緒ラボラトリー*MAO LAB】より引用。
やはり、こういう人のことでしょうなぁ、「強い女性」って。
何と言いますか、「女性である」ことをプラスにもマイナスにも考えないで、中性的に考えている人なのかなぁと思いました、上の「強い女性」であるA子サンって。
私個人は、日本国の民法が嫌いなので結婚制度(家族法で定められていまする)は利用しないとは決めてはいる。のだけれど、子供を持つ、というのは微妙だなぁと思う。
いや、勘違いしないで欲しいので書いておきますが、「産みたいor産みたくない」という“希望形”で語るのは簡単ですし、そういう意味でなら私は「産みたい」派ですわ。が、実際問題、「子供を産むor産まない」という“選択”をする(つまり“断定形”で言い切るというコト。)には、その前に、「産める身体かどうか?、産める環境かどうか?」をチェックする必要がありまする。
それに、「生活費の心配がない」とは“断定できない”暮らし(=資産価格・所得の変動性が激しすぎ。。)をしているし。。道は険しいですなぁ、ふむふむ。。
というコトで、私のような人が少しでも「強い女性」、というか、「マトモな人」になるためには、まずは、「産める身体かどうか?、産める環境かどうか?」をチェックし、「生活費の心配がない」と宣言できる程度の資産を築くのが先決かもしれませぬ。というコトで、上記2点の中間目標を達成するため、日々精進しまする。。
★今日の写真はナッツさんの作品です。(写真の提供ありがとうございました♪)
2005年01月09日(日)
男性を幸福にしない日本というシステム。
(以下,Mixi日記より転載。)
男性差別反対@「男性を幸福にしない日本というシステム」というページを、メンズリブに凝っている友人(男性・今年40代突入予定。)が教えてくれた。
http://d.hatena.ne.jp/tumiki/意外に聞こえる方いるかもしれませぬが、私、こういうのも興味あるんですね、ふむふむ。というのも、経済ネタやエコロジー系のネタを考えてると絶対にこっち系の問題にぶち当たる、というのがあるんですよなぁ。(経済・金融分野を本気で深めようと思ったら、生物学と社会学は永遠の課題だよなぁとしみじみ思う。。)
それに、正直、女性学の本や論文なども読んではみたのだが、性差に関する生物学的事実を「意思的に」無視して、論者にとって都合の良い理論(めいたもの)を作ってるように思える主張も多々あるよなぁと思うし。(って、社会学者の知人とかにもこういうコト堂々と言ってるけど、それって、私が社会学の人じゃないからこそ言えるだけのことだと思う。。私も経営系の偉い先生には言えないもんなぁ、「あんた変だよ、それはさ〜」とか。。あぁ、権力って怖い。。)
また、もう1つ理由を挙げるとすれば、私と同じくらいの年齢かつ日本で教育を受けてきた世代って、少なくとも教育の場では性別という要素が各個人の成績評価(学業はもちろんスポーツも含む。)に入り込むことはなかったように思う。
で、上の考えを正しいと仮定した上で、そのまま色々考えていきますと、根本的問題は、社会に出ると、そういう学校社会での常識が崩れ、いきなり性別が評価の基準に入ってきてしまうということかもしれないなぁ、という無難なところに落ち着いてしまうワケで。
というか、個人的には、やはり企業が変わるしか道はないよなぁ〜と思ったりする。「日本経済」を論じても論じただけで満足して何も変わらないってことはもう大分昔から解ってることなのに、それでも論じ続けてるんだもんなぁ、役所の人たちは、もう。。
というか、「論じる」のは良いことではありますが、その手前で、課題&問題設定ちゃんとしてないのが問題なんだろうなぁ。やらなくて良いことまでやってるから、いつまで経っても財政やばいんだからさ、もう。。政治家や役人こそMBA取れよ、って思う。。効率云々言うけどさ、「効率」ってのは「無駄なことはやらないと決める」ことも含むんだ、っのに、もう。。(→みなさん、国債は買わないようにw)
ってことで、何だか冒頭から大分ずれてきてることは自覚してはいるのですが、結局は、あれですよね、「男性を幸福にしない日本というシステム」というフレーズは正しいと言っても良い程度の真実性はあるように思いまする。以上。
2005年01月07日(金)
今年やること&今年やらないこと。
(以下、Mixi日記より転載。)
「今年は何をやらないと決めましたか?」を読んでて思ったこと&決めたことをメモ。
まず、上のリンクの3,4,5に関して。
3. What customers will you not target? (今年はどんな顧客を相手にしないことにしますか?)
4. What people will you not keep? (今年は誰とつきあわないことにしますか?)
5. What competitors will you not follow? (今年は誰と競争しないことにしますか?)
去年は「嫌われることを恐れずに敵を作る♪」というのが、密かに目標の1つでありました。で、去年を振り返ってみるに、とりあえず、これは達成♪(→もう敵満載ですわ。あはw)
もともと八方美人ではないし、人に嫌われるのは昔から苦ではないのだけれど、去年くらいに、ちょうど
「この姿勢で「お前のAVは面白い」という人と「お前のAVは2度と見ない」という人ができました。でも、「2度と見ない」という人を怖がらないで「素晴らしい」と言ってくれる人間を探すために僕は自己主張をしました。そういう人間に人は寄ってきます。」
http://blog.livedoor.jp/sod/archives/11917518.htmlと、高橋がなり氏が書いているのと同じ意味で、「人に嫌われる」のも“選択と集中”のためには重要なんだなぁとしみじみ思い、とりあえず実践していたのでありました。(→おかげさまで、現在は、結婚を優雅な生活を送るための手段、として考え男のことしか話さないアホな女たち、ちなみにその目標に見合った努力も気合もない女たち、、、とはサヨナラできて平和な日々を送ることができていますわw)
で、寝る前などに、今年は、何をやって、何をやらないことにしようかなぁと色々考えていたのだけど、そういえば今年の目標の1つって、「不言実行」なんだった。。
ので、今年やることも今年やらないことも、ココには書きませんし、誰にも言いませんわ。ひっそりと、着実に実行するのが今年の目標ってことだけ記しておこうと思いまする。。
2005年01月05日(水)
去年の記憶が再生。
(以下、Mixi日記より転載。)
今日突然気づいたのだが、そういえば、昨年の末に「なだらかな年だった」と書いていた(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=5637068)けれども、これ間違いでしたわ。。
おそらくショックすぎて、脳がその記憶を自動リジェクトしてたのかもしれず。ということで、昨年、知人二人が自殺し亡くなった、というコトを冷静に、“事実”そのままに、ようやく今日思い出すことができた。
私個人は幼い頃から周りで死ぬ人が多かった(あ、自然死ね。。)こともあり、人が死ぬ、ということに関しては特に違和感はないし過剰反応もしない。どっちかというと、こういうところもヨーロッパ的なんだと思う、思考が。(確か、どこかの国、たぶんドイツだったっけ?は、死=悲しい事、というようには思考しない。)
だからなのか何だか知らないけど、私は死について積極的に考える人でもない。というか、全然考えてないんだよなぁ、そういうの。というのも、死というのは、いつか訪れる、単なる“事象”だよなぁと思っているところがあるんですよなぁ。
なので、死を“事象”ではなく“手段”として認識し、それを実行に移した昨年のお二人ついては、やはりショックだったのかもしれないですわ、はい。
ということで、突然、去年の記憶が再生した、ということでありました。。
2005年01月04日(火)
「負けを潔しとする感覚で勝負せよ」(by 堀紘一)
(以下、Mixi日記より転載。)
こんな朝からオヤジ雑誌の「プレジデント」読んでる私ってどうかなぁ〜と思う。けど、読んでたら、初詣に行ったとき、神様の前で心の中でほざくことが1コ決まったので、とりあえず文章化。
ということで、突然まとめますと、「今年も生き残れるように最善を尽くしますので、どうか神様、私のニュートラルな平常心が崩れそうになったときには、ドンと思いっきりどついて気づかせてくださいね。今年も“勝てば幸運、負ければ実力♪”の覚悟ですのでどうぞ宜しくw」ってコトかなぁ。
勝っても負けても、この“冷徹さ”(正直言いますと、投資のコト考えてる時の私は“冷静”という表現を絶望的なまでに突き抜けて“冷徹”の範疇にありますので。。)だけは失くさずにしたいものであるよ。ふむふむ。
以下、雑誌「プレジデント」(2005.1.17号)より引用。
「さっきに1000万円儲けた人に学ぶとするばらば、彼は昔から不思議な勝負勘を持っていたね。麻雀でテンパイをしていても、危険牌をつかんだ瞬間、平気でオリることができるような人なんだよ。それに、負けるのを潔しとしている。
ギャンブルで勝つ人は、そのへんの感覚が普通の人と違う。勝負事は、熱くなったら負けだから。それは株でもカジノでも競馬でも同じ。熱くなる人は、瞬間的には買っても、その次の瞬間にはもう負けてる。勝つのはいつも冷静な人。(中略)結論は何かといったら、平常心を保てなくなくなったら終わりだということだね。 by 堀紘一」
2005年01月03日(月)
初詣に向けて。
(以下、MIxi日記より転載。)
実は、初詣、まだ行ってない。。のだけれど、何故か書く気になったので、朝から何ですが、とりあえず、ほざいておきますわ。さっき、ある雑誌で初詣の記事を読んだとき、ここ5年間、毎年大吉を引いてきたのだけれど今年は何が出るんだろうなぁ、とチラッと思ったので。(たぶん、明日か明後日くらいに行くかもしれないし。。)
というか、当然といえば当然のことではありますが、私はいわゆる「神頼み」する人ではないです、はい。なので、初詣に行き賽銭を投げるときも、神様の前でてをあわせるときも、おみくじを引くときも、心の中は何もなく、いつも無常観という感じ。なので毎年、「今年のお願い」というよりは、「去年の感謝」と「今年がんばること」を心の中で述べる、という感じ。
というか、まだ初詣行っていない理由って、要するに、心の中で述べる「今年がんばること」がまだ具体化できてないから、なんですわ。なんか、明日か明後日行けるか不安になってきた。。ので、今からちと根気詰め直してやってみまする。
2005年01月01日(土)
今年のスローガン♪
(以下、Mixi日記より転載。)
あ、なんだか、ぼ〜〜っとしてたら、年が明け、こんな時間になってしましました、あはw
ということで、とりあえず、今年のスローガンが決定したので(というか、Mixiで以前引用メモ化したやつなのですが。。)、それだけ書いておきますわ。
『負けたフリして諦めない。
逃げてるフリして攻め上げる。
常にたったひとつのテーマだけを執拗に
あらゆる角度から凝視め続ける。 by 橘川 幸夫 』
ということで、今年は、精神面、行動面ともに、「さらに泥臭く♪」なれるよう努めさせていただきますわ。
では、皆さま、今年も宜しくお願い致しますw
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