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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2005年01月31日(月)
30歳を迎える頃には。

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以下、某SNSの某コミュニティ内の発言を参考までに引用。


「今やっている仕事は、肩書きだけ言ったら、ほんとうは子供の頃の自分や3〜4年前の自分が望んでいた仕事なのに、ぜんぜん、ぜんぜん、満足していません。なので、30くらいになったら、肩書き抜きで、世間体とか気にせず、毎日自分が満足のいく最低限の生活ができることを願っています。」


30歳って去年くらいまではちと遠かったけど、最近もうすぐなんだよなぁと思うようになった。同時に、30歳の自分、というのも、なんとなくではあるけれどイメージできるようになった。正確には、あと3年半経つとめでたく30歳を迎える計算になるのだが、年上の方々のお話を聞いていると、この3年半の過ごし方によってその後の生活の充実度が異なってくる、ということらしい。

確かに振り返ってみれば、特に22、23歳の頃は、上で引用した文にあるように「肩書き」や「世間体」というものを気にしてはいた。(私でさえ気にしてたんだから、当時の同級生達も全く気にしてない人はいなかったんじゃないかと思う。今思えば、だけど。。)けど、そういうのはすっきり抜け落ちたなぁとしみじみ思う。(→院生時代の暗黒の最後の1年間が効いたのかもしれず。。)

というか、今、ちと2分くらいのあいだ、上の引用文中にある「毎日自分が満足のいく最低限の生活」というものを私なりに考えてみた。結論から言えば、今現在も「毎日自分が満足のいく最低限の生活」を送ることができているように思う。ので、現在地点における不足部分を考える、という問いへと変更。

で最初に思ったのは、趣味領域をもっと充実させたいなぁということであった。例えば、絵とかダイビングとかサーフィンとか。今なんとなくやっている趣味を、30歳を迎える頃にはもう少し極めていたいなぁと思う。それに、他にやってみたいこともあるし。(例えば、旅行も趣味だけど、アフリカなど足を踏み入れていない大陸にも行ってみたいし。)

ってなコトを思うに至ったのはたぶん、フリーダイビングトレーナーの菅原真樹氏のインタビュー(→ewoman.co.jp内へリンク。)を、これを考える直前に読んだのが大きいのかもしれず。。インタビューの中にあった「自分が一番弱い生物になって海に入りなさい」「自分が常にニュートラルであるっていうことが、たぶん、海の中で学んだことの一番重要なこと」という箇所にかなり共感を覚えたので。

上記2点は対象が何であれ当てはめることが可能な心構えの一部だし、こういう気づきを幼い頃に得られたのは、私の場合、やはり海辺で育ったコトが大きいのかもですわ。この点はホント両親に感謝であるよ。

そういえば、昨日読んだビジネス書に、「子供は砂場ではなく“砂浜”で遊ばせなさい」、何故なら、小さな枠ではできないことも存在しているという事実を身体で学ぶから、というようなことが書かれていた。今思えば、私の子供時代ってまさにあれだったのかもしれず。

というか、趣味領域以外では、当然だけど、広い意味での仕事スキルの向上ですなぁ。そのために、今年は地道な目標の達成が一番大事。なので、焦らずに、着実に今後の3年半を過ごしたいものである、「損して特取れ」の精神で。。で、小さくても足場と呼べるくらいの足場は持っていたいものですなぁ、30歳を迎える頃には。


★★★その他。☆☆☆
とか書きつつ、まぁ、「楽しいのが一番♪」ってコトですよなぁ。
というのも、以下の言葉を発見し、結局はそうなんだよなぁとしみじみ思ったりしたので。要するに、「最後に残るのは、思い出だけ」ってコトですなw


「そのとき君に残るのは名誉や社会的地位でもなく、お金や尊敬でもない。思い出だけなんだよ」( by 老人ホームのおじいちゃん)(p246)

書籍「きっと、よくなる!」本田健、サンマーク出版(2005/01)



2005年01月30日(日)
少子化問題記事がむなしく響くわけ
(以下、Mixi日記より転載。)



以下、引用し、その後独り言を少々。。

「少子化問題記事がむなしく響くわけ」
http://tod.cocolog-nifty.com/diary/2005/01/post_12.html
自分たちの職場で深夜残業が当たり前になっていて、女性社員はとても妊娠や育児どころではないという状況であれば、しかつめらしく少子化問題を論じるまでもなく、少子化は当たり前の帰結なのだ。何も難しい問題ではない。自分たちの会社で育児休暇の取得率が増えなければ、世の中小企業でも取得率は増えないだろう。

働く女性にとって子供を持ちやすい企業は、その企業独自の努力によるものだが、逆に、働く女性にとって子供が持ちにくい企業は、すべての企業に共通な理由によるものだ。個々の企業に改善を呼びかけるような少子化問題の記事は、まったくの的外れだ。

少子化問題とは、その99%が男性である企業経営者の考え方の問題、社会慣習の問題、文化的な問題なのである。少子化問題の改善を呼びかける新聞記事やコラム、社説が虚しく響くのは、その記事を書いている人々自身が「こんなこと書いてもムダだろうねぇ」と、すでにあきらめているからだ。そのあきらめは、記事が客観的で、社会全体に呼びかけるものであればあるほど、行間からにじみ出る。ひとつ提案なのだが、マスコミが少子化問題をとりあげるときは、必ず自分の会社だけを標的にするということにしてみたらどうだろうか。大学教授が少子化問題に関する論説を新聞に載せるときも、自分の所属する大学しか批判の標的にしてはいけないということにしたらどうか。そうすれば少子化問題については非常に絶望的な記事しか書けなくなるだろう。それでこそ少子化問題の真実に迫っているのだ。」



(以下、ほざき。)

「少子化問題とは、その99%が男性である企業経営者の考え方の問題、社会慣習の問題、文化的な問題」って私も前々から思っていた。特に、「企業経営者の考え方の問題」がジャパンでは大きい気がする。まあ、自分のできるコトから始める、という意味で、身近にいる経営者男性には事あるごとに「説教」しているのだが、やはり言わないよりは効果はある模様。そうするとやっぱ、原因の1つはあれなのかなぁ。「社会習慣の問題」「文化的な問題」の2つの領域が重複している位置にある小問題、ジャパンの女性は優しすぎる(正確には、過保護、もしくは、一般的には「文句・苦情」と分類される種の、思考・感情を言葉で表出化するのをためらう傾向がある、になるのかもしれず。)っうのが問題なのかもなぁ。以上、独り言でした。。


(以下、頂いたコメント。)

★私も今日、運転中に私の前に幼稚園のバスがいてふと思ったんですが、「世の中少子化なのになんで保育園とか幼稚園にあきがないんだろう?・・・・・・・・・あっ、お母さん達がみんな働くようになった&核家族化で子供みる人がいなくなったからか!!」ということに気付きました(←遅すぎ)
でも「少子化問題について語るやつは自分の会社のことだけを語れ」っていうのは実際的で面白いですね。いいかも。
ちなみに私が今働いてる会社は事務のお姉さんが出産してからずっと子連れ出勤してて、ほとんど子供を会社で育てたようなモンでしたw
他の社員がおっさんたちばっかなのでみんなに異様にかわいがられて、社長の孫だと勘違いされたりしてておかしかったです。まあイナカの小さい会社だからできるんでしょうけどもw

★コメントどうもです♪
そういうお話を聞くと、やはり「会社による」としか言えないんですよね、少子化対策の問題って。なので、私も「少子化問題について語るやつは自分の会社のことだけを語れ」っていうのは現実的で面白いなぁと思いました、はいw
mサンのコメントを読んで、子連れ出勤についても、経営者がもっと理解を示せばすぐに解決できそうな感じがして、ためになりました。要するに、考え方なんですよねw

★うちの会社はかなり常識ハズレなので面白いです、日本じゃないみたいでw
実際いつもロシア人とかマレーシア人とかいるし・・・。
なお。さんが見たら衝撃をうけるかも・・・(ダメすぎて

★うーん、でもすごくダメダメですよ。
ここでは言えないようなこともたくさんあるし・・・。

でもたまに会社にビデオカメラつけておこうかと思うときがあります、面白すぎて。

★あはwそのビデオ見たいですw(見学よりも日頃の無防備な行動が観察できそうです、はい♪)

2005年01月29日(土)
今日、女5人で話したコト。
(以下、Mixi日記より転載。)



女友達5人と軽く飲みに行ってきた。私は明日も早いので22時帰宅。が、彼女たちはもう1軒行ってるはず。元気なようで何よりである。以下、今夜、女5人で話したコトをダラダラとまとめ。

というか、ネタを分類すると、やはり恋愛系7割、仕事系3割、くらいの感じであった。まぁ、普通の会話である。で、来週末も、5人のうち2人とは逢うことになった。スノーボートに誘われたので遠出する予定。(友達の会社の人が、張り切って貸切バスを借りてくれたらしい。。友曰く、「張り切りすぎだよね、あはw」)

というか、今日会った友達のうち1人からは、どうしても男に尽くしすぎてしまう傾向があるというコトを前会った時に相談されていた。ので、書籍『ラブ・ビッチ』をプレゼントしてみた。個人的には、もう彼女が無駄に涙を流すのは見たくないので、ぜひ実践してくれることを強く望む。

という風に文字で書くと、しんみりとした飲み会に思われてしまうかもしれないが、かなり楽しい夜であった。やはり、持つべきものは「美人の友達」だよなぁ、ふむふむ。

2005年01月17日(月)
男気。

(以下、Mixi日記より引用。)


「キミ」
http://homepage2.nifty.com/joshi/0412.html#050116

今これだけ話しているのに、まだ明日も会って話したいという態度にあきれつつ、要はさびしいんだなこいつは、と思った。本当に、情けないほど甘えている。

私はその彼に対して、「キミ」とか「アナタ」などと呼びかける癖がついているのだが、話しているうちに、彼は「キミ」と呼ばれるのが実は不快だということを白状した。

それならそうと早く言ってくれればよかったのに、と私は言いつつ、なぜ彼をキミと呼んでしまい、彼はそれが嫌なのだろうか、と考えた。

おそらく彼と私の関係では、私のほうが完全にお姉さんというか、お母さんのような立場だから、キミと呼んでしまうのだ。とにかく、どう考えても男気があるのは私のほうだ。

彼がキミと呼ばれるのを嫌がるのは、そのことを感じつつも、認めたくないからなのではないか。

だったら、キミなんて呼ばれないくらいの男気を身につけろ、と思ったが、飲み込んだ。

世の中は、男気あふれる女と、女々しい男の組み合わせで成り立っているのでは、と思うほど、この手の話はよく耳にする。

男気のある男になかなかお目にかかれないのも去ることながら、自分の男気のなさに気づいていない男が多すぎるのは、もう少しなんとかできないものかと思う。

結局、彼の飲みにつき合っている自分を鑑みると、こうやって甘やかしているから男に男気が育たないのかしら、とも、ため息の中で感じている。


まぁ、私も「どう考えても男気があるのは私のほう」となる場面が98%なのですが、ホントどうにかならないのかなぁ。いや、別に「男である」ことを主張するのは良いのですよ、でも、その場合の「男」の定義に、「男気」が含まれていないからこそ、「キミなんて呼ばれないくらいの男気を身につけろ、と思った」のでしょうし。でも、「が、飲み込んだ。」は余計かもしれませんね、これは「優しさ」ではなく、「過保護」というのですよ、ふむふむ。(日本の女性は甘すぎるよな、ホント。)

詰まり、簡単に言えば、生物学的に「オス」であるからといって、社会学的には「オスの役割を果たしている」とはいえませんし、「男気」というのはですね、こういうこと言うんですから。

『金を稼げるだけ稼ぎ、維持できるだけ維持し、与えられるだけ与えるのは、男の義務である』(ジョン・D・ロックフェラー・シニア)

なので、そりゃあ無理ってものなんですよね、「男気のある男になかなかお目にかかれない」のは。でも、「自分の男気のなさに気づいていない男が多すぎる」のは、ジャパン特有の現象かもしれません。。

以下、頂いたコメント。
★ああ、そうなんですよね。胸に落ちました。。。
「もうオレで手を打てば?高望みしすぎだよ。」という
お言葉を昔頂戴いたしました・・・。

★なお。
おお、その言葉素敵ですね♪「男気」を感じました、はい。
でもまぁ、上で書いたとおり、これは「ジャパン特有の現象」ですので、ここは素直に諸外国まで足を伸ばしてみるというのも良いかと思われます。逆に、スウェーデンなど北欧諸国ですと、「自分の男気のなさに“気づいている”男が多すぎる」というのが問題らしいので。。

2005年01月16日(日)
「ダイエットしてるんだ〜」と言うと男からの高感度UP!らしい、が。
(以下、Mixi日記より転載。)



「マジで?男からの高感度UP! ダイエットしてると言っちゃう。」http://www.w-woman.com/archives/000452.htmlより引用。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
“さて街角、職場、などで「私○○ダイエットしてるんだ。」なんて会話を耳にします。何事もはじめはウキウキ、ワクワク。女性がイキイキして見えます。←ココがポイント

ダイエットの成功の是非は問いませんが、このダイエットをしているという姿勢を男に見せるのは高感度を高めるセリフだと思われます。

「私ダイエットしてるんだ」なんてセリフと耳にすると男は下記のように思います。

・この女性は自分を美しくしようと努力してるんだな。

・「え!こんな細い子がダイエット?」 この女性の事が心配で仕方がなくなる=興味を持つ。

・この女性は美しくなってどうするのだろう?綺麗になってやっぱり恋愛したいのかなぁ〜「じゃあオレが告白してもチャンスがあるかも?」

・この人、オバサンだと思っていたけど、え!じつは若い?
(30代後半の女性がダイエットという言葉を発すると3歳は若く見られます。←すげえ!!)

こんな感じでダイエットという言葉は大なり、小なり男性に対しては効果があると思われます。

自分を向上させるという姿勢が恋を成就させる近道なのかも知れませんね。明日、学校、職場で男性に聞こえるように「ダイエットしてるんだ」なんて女友達とお話しちゃいましょう。前向きな姿勢で愛しの王子をゲットです!”
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ふむ。。というか、答えは見えていますよなぁ、「ダイエットしてるんだ」発言くらいでゲットできるのは「王子」(笑)とはいわないのであるよ。それは単なる「妄想くん」であるよ。だって、上で例示されている「王子」(笑)の反応は全て、「ダイエットしてるんだ」発言を根拠として彼の頭の中にある「妄想空間」において導きだされた、単なる「妄想」であるので。よって、真の「王子」は、「事実」を直視するはずである。要するに、「姿勢」云々ではなくて、それらの「姿勢」の結晶としての「事実」を重視する、つまり、「事実、美しい」方を選択するように思われる。以上。

2005年01月15日(土)
正しいダイエット。
(以下、Mixi日記より転載。)



前から思っていたのだが、「ガマン」はよくないですよね。というか、「ガマン」するのが嫌いだし美徳だとも何とも思わない。ので、何も「ガマン」していないので、ほざける立場ではないよなぁ、これは。。でも、もしかすると、好きなもの(魚や野菜やお肉やケーキなど。)のみ食べる今の戦略のままのほうが良いのかもしれない、体重も増えないし健康だし。

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http://kara-sen.cocolog-nifty.com/buntai/2005/01/post_19.html

「好きなモノを食べずにガマンする」なんていう"修行"が、三ヶ月も半年も、あるいはさらに長い期間、続くはずがない。そんな無理に"興味半分で"チャレンジするから、「リバウンドで余計に太ってしまった」経験談ばかり聞く結果になるのだ。
 
 では、どうするのか?
 まずは「自分にとって大切なモノはそのままで、余計だと思う食物を切り離す」ことである。たとえば昼食時間。食べたいものが見当たらない日でも、昼食抜きに対する不安から、つい「何でもいいから食べておかないと」と考えてしまう。その結果として、特に食べたくもないファーストフードに手を出したりすると、余計なカロリーを取り込む結果に。

大朏博善(科学ジャーナリスト)食べてもいいけど絶対守るべきはただ一つ『週刊文春2005.1.20』
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2005年01月13日(木)
パターン化についての愚痴。
(以下、Mixi日記より転載。)



中途半端になるだろうコトは明らかなのだが(上手く文字化できる自信がいつも以上にないネタなので。)、ちとパターン化(=パターナリズム)について、「個人的な“愚痴”」として書いておきまする。

で、もちろん、多かれ少なかれ、私も含めて人はパターン化することで物事の区別をつけている。(逆に、何も区別できない脳だとしたら、それこそ大問題だから。)

んだけど、“区別”つけるのは仕方ないとして、対象をよく観察した上での“事実”に基づいてパターンに当てはめてくれよ、オイ、って思う。。お金について学んでいる・お金に関することを仕事にしている=カネの亡者、みたいなパターン化って、ドラマか何だか知らないけど、何かのイメージに感化され過ぎてるんじゃないの、オイ。。って思いますなぁ。

っうかさ、その「お金」という「単なる“言葉”」(→これはいくら強調してもし足りない事実なんだぞ、オイ。)にだね、“亡者”だとか“悪”だとか“汚い”だとか、そういう「過剰な“意味”」を付け加えてるのは、紛れも無く、私ではなく「あんた」だ、っうの。。ほんとにもう。。「金持ち父さんシリーズ」をだね、よ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く読めば分かるってばさ。

それにだよ、あんたが「お金」という“言葉”にあんたなりの“意味”をどう付加しようと自由だが、そういう“意味”を付加するんだったらだね、「お金」を求めるのを止めれば良いでしょうに。。原因となる心理が複雑になってるから、結果が伴わない、ってことも、ちゃんと「父さんシリーズ」のどこかに書いてあったはずだぞ、おい。。

ってことで、愚痴ってみたけど、何だかなぁ、まあ、こういう原因と結果の“区別”が付かない人は放置するしかないんだよね、ふむふむ。(脳トレしてあげても良いが料金高いので、こういう人には支払えないだろうし。)と、最後の最後まで「愚痴」でありました、ふむふむ。。

2005年01月11日(火)
「強い女性」の特徴。

なっつサン撮影w

明けましておめでとうございます♪ダラダラしていたら、いつの間にやら11日間が経過していましたわ。では、ムダな前置きはこれくらいにして、以下“この世で一番強い女性”【上田真緒ラボラトリー*MAO LAB】よりいつも通り長々と引用。。


A子さんは外資系企業に勤務するバツイチ女性で,今年春から小学校に入学する子供が一人いる。その彼女が弁護士になるため,会社を辞めて,これからロースクールに三年間通うことにしたという。私は驚いた。

(中略)この話にはすごい点が三つある。
一つ目は,小さな子供を抱えた母親が弁護士を目指すこと。二つ目は,生活費を貯めたのはもちろんえらいが,弁護士になれる保障がないのに,出費だけで収入のない生活に何年も耐えようとしていること。これが夢を追うときに一番ネックとなる部分だと思う。

三つ目は,まだ若いのに再婚しないと決めていること。私が知る限り,二十代,三十代で離婚する女性は,離婚届を役所に出す前から再婚したがっているものだ。子供が小さいと,なおさら決意は固く,
「この子が物心つく前に,絶対再婚してやる」
と,暴力夫から逃れたばかりの女性がすわった目で低くつぶやいたのを知っている。実際に彼女はすぐに再婚して,新しい夫の子供をあっという間に産んだ。

そういうわけで,このA子さんはすごいの一言に尽きる。考えてみると,もう結婚はしない,出産もしない,生活費の心配もない,あとは夢に向って黙々と努力するだけという女性ほど,この世に強いものがあるだろうか。女は誰かに依存しようとしたり,体内時計に振り回されるから弱くなるのである。恋愛だけならいつでもできるのだ。


“この世で一番強い女性”【上田真緒ラボラトリー*MAO LAB】より引用。


やはり、こういう人のことでしょうなぁ、「強い女性」って。
何と言いますか、「女性である」ことをプラスにもマイナスにも考えないで、中性的に考えている人なのかなぁと思いました、上の「強い女性」であるA子サンって。

私個人は、日本国の民法が嫌いなので結婚制度(家族法で定められていまする)は利用しないとは決めてはいる。のだけれど、子供を持つ、というのは微妙だなぁと思う。

いや、勘違いしないで欲しいので書いておきますが、「産みたいor産みたくない」という“希望形”で語るのは簡単ですし、そういう意味でなら私は「産みたい」派ですわ。が、実際問題、「子供を産むor産まない」という“選択”をする(つまり“断定形”で言い切るというコト。)には、その前に、「産める身体かどうか?、産める環境かどうか?」をチェックする必要がありまする。

それに、「生活費の心配がない」とは“断定できない”暮らし(=資産価格・所得の変動性が激しすぎ。。)をしているし。。道は険しいですなぁ、ふむふむ。。

というコトで、私のような人が少しでも「強い女性」、というか、「マトモな人」になるためには、まずは、「産める身体かどうか?、産める環境かどうか?」をチェックし、「生活費の心配がない」と宣言できる程度の資産を築くのが先決かもしれませぬ。というコトで、上記2点の中間目標を達成するため、日々精進しまする。。

★今日の写真はナッツさんの作品です。(写真の提供ありがとうございました♪)

2005年01月09日(日)
男性を幸福にしない日本というシステム。
(以下,Mixi日記より転載。)



男性差別反対@「男性を幸福にしない日本というシステム」というページを、メンズリブに凝っている友人(男性・今年40代突入予定。)が教えてくれた。http://d.hatena.ne.jp/tumiki/

意外に聞こえる方いるかもしれませぬが、私、こういうのも興味あるんですね、ふむふむ。というのも、経済ネタやエコロジー系のネタを考えてると絶対にこっち系の問題にぶち当たる、というのがあるんですよなぁ。(経済・金融分野を本気で深めようと思ったら、生物学と社会学は永遠の課題だよなぁとしみじみ思う。。)

それに、正直、女性学の本や論文なども読んではみたのだが、性差に関する生物学的事実を「意思的に」無視して、論者にとって都合の良い理論(めいたもの)を作ってるように思える主張も多々あるよなぁと思うし。(って、社会学者の知人とかにもこういうコト堂々と言ってるけど、それって、私が社会学の人じゃないからこそ言えるだけのことだと思う。。私も経営系の偉い先生には言えないもんなぁ、「あんた変だよ、それはさ〜」とか。。あぁ、権力って怖い。。)

また、もう1つ理由を挙げるとすれば、私と同じくらいの年齢かつ日本で教育を受けてきた世代って、少なくとも教育の場では性別という要素が各個人の成績評価(学業はもちろんスポーツも含む。)に入り込むことはなかったように思う。

で、上の考えを正しいと仮定した上で、そのまま色々考えていきますと、根本的問題は、社会に出ると、そういう学校社会での常識が崩れ、いきなり性別が評価の基準に入ってきてしまうということかもしれないなぁ、という無難なところに落ち着いてしまうワケで。

というか、個人的には、やはり企業が変わるしか道はないよなぁ〜と思ったりする。「日本経済」を論じても論じただけで満足して何も変わらないってことはもう大分昔から解ってることなのに、それでも論じ続けてるんだもんなぁ、役所の人たちは、もう。。

というか、「論じる」のは良いことではありますが、その手前で、課題&問題設定ちゃんとしてないのが問題なんだろうなぁ。やらなくて良いことまでやってるから、いつまで経っても財政やばいんだからさ、もう。。政治家や役人こそMBA取れよ、って思う。。効率云々言うけどさ、「効率」ってのは「無駄なことはやらないと決める」ことも含むんだ、っのに、もう。。(→みなさん、国債は買わないようにw)

ってことで、何だか冒頭から大分ずれてきてることは自覚してはいるのですが、結局は、あれですよね、「男性を幸福にしない日本というシステム」というフレーズは正しいと言っても良い程度の真実性はあるように思いまする。以上。


2005年01月07日(金)
今年やること&今年やらないこと。
(以下、Mixi日記より転載。)



「今年は何をやらないと決めましたか?」を読んでて思ったこと&決めたことをメモ。

まず、上のリンクの3,4,5に関して。

3. What customers will you not target? (今年はどんな顧客を相手にしないことにしますか?)

4. What people will you not keep? (今年は誰とつきあわないことにしますか?)

5. What competitors will you not follow? (今年は誰と競争しないことにしますか?)

去年は「嫌われることを恐れずに敵を作る♪」というのが、密かに目標の1つでありました。で、去年を振り返ってみるに、とりあえず、これは達成♪(→もう敵満載ですわ。あはw)

もともと八方美人ではないし、人に嫌われるのは昔から苦ではないのだけれど、去年くらいに、ちょうど

「この姿勢で「お前のAVは面白い」という人と「お前のAVは2度と見ない」という人ができました。でも、「2度と見ない」という人を怖がらないで「素晴らしい」と言ってくれる人間を探すために僕は自己主張をしました。そういう人間に人は寄ってきます。」
http://blog.livedoor.jp/sod/archives/11917518.html

と、高橋がなり氏が書いているのと同じ意味で、「人に嫌われる」のも“選択と集中”のためには重要なんだなぁとしみじみ思い、とりあえず実践していたのでありました。(→おかげさまで、現在は、結婚を優雅な生活を送るための手段、として考え男のことしか話さないアホな女たち、ちなみにその目標に見合った努力も気合もない女たち、、、とはサヨナラできて平和な日々を送ることができていますわw)

で、寝る前などに、今年は、何をやって、何をやらないことにしようかなぁと色々考えていたのだけど、そういえば今年の目標の1つって、「不言実行」なんだった。。

ので、今年やることも今年やらないことも、ココには書きませんし、誰にも言いませんわ。ひっそりと、着実に実行するのが今年の目標ってことだけ記しておこうと思いまする。。


2005年01月05日(水)
去年の記憶が再生。

(以下、Mixi日記より転載。)



今日突然気づいたのだが、そういえば、昨年の末に「なだらかな年だった」と書いていた(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=5637068)けれども、これ間違いでしたわ。。

おそらくショックすぎて、脳がその記憶を自動リジェクトしてたのかもしれず。ということで、昨年、知人二人が自殺し亡くなった、というコトを冷静に、“事実”そのままに、ようやく今日思い出すことができた。

私個人は幼い頃から周りで死ぬ人が多かった(あ、自然死ね。。)こともあり、人が死ぬ、ということに関しては特に違和感はないし過剰反応もしない。どっちかというと、こういうところもヨーロッパ的なんだと思う、思考が。(確か、どこかの国、たぶんドイツだったっけ?は、死=悲しい事、というようには思考しない。)

だからなのか何だか知らないけど、私は死について積極的に考える人でもない。というか、全然考えてないんだよなぁ、そういうの。というのも、死というのは、いつか訪れる、単なる“事象”だよなぁと思っているところがあるんですよなぁ。
なので、死を“事象”ではなく“手段”として認識し、それを実行に移した昨年のお二人ついては、やはりショックだったのかもしれないですわ、はい。

ということで、突然、去年の記憶が再生した、ということでありました。。



2005年01月04日(火)
「負けを潔しとする感覚で勝負せよ」(by 堀紘一)
(以下、Mixi日記より転載。)



こんな朝からオヤジ雑誌の「プレジデント」読んでる私ってどうかなぁ〜と思う。けど、読んでたら、初詣に行ったとき、神様の前で心の中でほざくことが1コ決まったので、とりあえず文章化。

ということで、突然まとめますと、「今年も生き残れるように最善を尽くしますので、どうか神様、私のニュートラルな平常心が崩れそうになったときには、ドンと思いっきりどついて気づかせてくださいね。今年も“勝てば幸運、負ければ実力♪”の覚悟ですのでどうぞ宜しくw」ってコトかなぁ。
勝っても負けても、この“冷徹さ”(正直言いますと、投資のコト考えてる時の私は“冷静”という表現を絶望的なまでに突き抜けて“冷徹”の範疇にありますので。。)だけは失くさずにしたいものであるよ。ふむふむ。

以下、雑誌「プレジデント」(2005.1.17号)より引用。

「さっきに1000万円儲けた人に学ぶとするばらば、彼は昔から不思議な勝負勘を持っていたね。麻雀でテンパイをしていても、危険牌をつかんだ瞬間、平気でオリることができるような人なんだよ。それに、負けるのを潔しとしている。

ギャンブルで勝つ人は、そのへんの感覚が普通の人と違う。勝負事は、熱くなったら負けだから。それは株でもカジノでも競馬でも同じ。熱くなる人は、瞬間的には買っても、その次の瞬間にはもう負けてる。勝つのはいつも冷静な人。(中略)結論は何かといったら、平常心を保てなくなくなったら終わりだということだね。 by 堀紘一」

2005年01月03日(月)
初詣に向けて。
(以下、MIxi日記より転載。)



実は、初詣、まだ行ってない。。のだけれど、何故か書く気になったので、朝から何ですが、とりあえず、ほざいておきますわ。さっき、ある雑誌で初詣の記事を読んだとき、ここ5年間、毎年大吉を引いてきたのだけれど今年は何が出るんだろうなぁ、とチラッと思ったので。(たぶん、明日か明後日くらいに行くかもしれないし。。)

というか、当然といえば当然のことではありますが、私はいわゆる「神頼み」する人ではないです、はい。なので、初詣に行き賽銭を投げるときも、神様の前でてをあわせるときも、おみくじを引くときも、心の中は何もなく、いつも無常観という感じ。なので毎年、「今年のお願い」というよりは、「去年の感謝」と「今年がんばること」を心の中で述べる、という感じ。

というか、まだ初詣行っていない理由って、要するに、心の中で述べる「今年がんばること」がまだ具体化できてないから、なんですわ。なんか、明日か明後日行けるか不安になってきた。。ので、今からちと根気詰め直してやってみまする。

2005年01月01日(土)
今年のスローガン♪

(以下、Mixi日記より転載。)



あ、なんだか、ぼ〜〜っとしてたら、年が明け、こんな時間になってしましました、あはw

ということで、とりあえず、今年のスローガンが決定したので(というか、Mixiで以前引用メモ化したやつなのですが。。)、それだけ書いておきますわ。

『負けたフリして諦めない。
逃げてるフリして攻め上げる。
常にたったひとつのテーマだけを執拗に
あらゆる角度から凝視め続ける。 by 橘川 幸夫 』

ということで、今年は、精神面、行動面ともに、「さらに泥臭く♪」なれるよう努めさせていただきますわ。
では、皆さま、今年も宜しくお願い致しますw

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