昨日死んだ男が せまい和室に寝かされていた ほほには綿が詰められて ひどく若々しく見えた ふとんをめくれば 骨の形がわかった 残されたものたちが ぽつぽつとあり 味気ない緑茶をすすりながら 日々の話をしていた 男はなにも 語らなかった 時計の針ばかりが 息をしていた
わたしは最中を集めていた 銀糸とうす桃色の和紙でできた 小袋に詰められた小豆餡の最中を 籐ではない菓子籠から注意深く拾い上げ 机の角に積み上げる作業をしていた だれかがたしなめ たしなめることをだれかがまたたしなめた 楕円の塔はすぐに崩れ 羽毛の散るような乾いた音をたてた 窓の外は白く ざわめきはかたく閉じ込められ やけに蒸し暑かったが 指先は凍りついていた 和室だけが 気でもふれたみたいに 冷やされていた
丁寧にひとつ えらびとった最中の 袋の端をちぎると もろくこぼれた粉が宙にまった 小豆のこげ茶色がのぞき 皮のこぼれたあたりほど 妙にみずみずしく見えた いつのまにか男とふたり 取り残されており わたしは指先に 最中の残骸をまぶして 舐め取る作業をくりかえしていた 和室では 空調の放つ水分が 男の皮膚に吸い取られつづけていた 喉が ひどく張り付いた 最中は思ったよりも ずっと甘く 喉が渇いたが 緑茶は消えていた
あらゆるものが 持ち出されていた 無理に唾液を沸きあがらせ 飲み込めば 喉のずっと奥で 驚くほど大きな音がした たしなめるものはいなかった
マトリョーシカが姉妹を失くして ただのみにくい娘になったら 両手いっぱいに枯葉を抱えて ここまで駆けて来て びっくり箱の焚き火をたいて おとぎ話を見せ合おう 王子様はハリボテ 鐘の音はたまねぎを切る包丁の音 きみの泣き方はとても滑稽で だからとても好きだった 気味の悪いことしか起きない 毎日の中で 割れた花瓶に魔法をかけたら わたしになった おもてとうらを入れ替えて 足りない花にもたれて眠る きみはずっと泣いててね だってあんまり滑稽だから
遠い町で文明は砕けて 顔を失くした子どもたちが 廃墟の上を跳ね回っている 鉄くずばかりお腹にかかえて 海に落ちたら沈んでしまうよ でも海に寝床はない きみのベッドは廃墟 ボルトとナットがきらきらして 汗の光にまじる この手においで 抱きとめるから 文明と手を切って 鬼ごっこをしよう 鬼はいないから 足はどこまでもたくましくなり もう終わろうよと 隠れただれかが声を上げ 時間がそれを追い越していく
口のききかたを知らない おとなたちがわらい お腹のからっぽになった マトリョーシカは廃墟を飲み干す 消化しないまま夜は更け やがてすべてはサーカスになる 目の下の赤い曲芸師の一群が 晴れやかに押し寄せて バウンドして はじける 脱ぎ捨てられたスパンコールの ガウンを誇らしげにはおって わたしはひとり空中ブランコに 腰掛けて考える 花瓶だったころ 花が無かった 道端に捨てられて 雨水を漏らしていた 花があれば すぐにうつわになったのに
サーカスのあと 散らばったスパンコールを拾い集めて 世界中のおとぎ話を ノートにうつして みなしごのマトリョーシカと 待っているから 駆けて来て 空中ブランコの向こう岸を だれにもわたさないから 落っことさないから きみにいちばん似合う色を 一晩かけて考えよう 拾い集めたスパンコールで とっておきの衣装をつくろう あきれるくらい はれやかなやつだよ
一張羅を誇らしげにまとう きみを飾るうつわに還って はじめて満たされる瞬間に おもてとうらを取り戻して ぐっすりと眠る きみの寝息をかんじながら 夢も見ずに眠る 燃え盛る焚き火が 全ての枯葉を風に返して 空っぽだったマトリョーシカも ほのおのなかで薪に還る 廃墟の上で きみの寝息が 土の底へと沈んでいって やがて深い水脈に まじってゆく
とても滑稽な 泣き顔が 好きなんだよ 好きだったよ
サーカスが 跡形もなく 消え去ってしまう前に 駆けて来て ぐちゃぐちゃの泣き顔で がむしゃらに来て ここまで来て 抱きとめるから この手に来て
きみが まぶしくて 死んでしまうと思った 町中の雑音が いっせいに降ってきて ぬめぬめとしたからだの 目も口もないいきものが まぶたのうえにとまって 視界を青にしようとした けど きみが何の気もなしに 高らかに放った声がしとめた 夕暮れの残骸が つよすぎて
きみを知った顔をする世の中の おとこやおんなやあらゆるものたちが ある朝とつぜんカーテンを開けるより早く 一瞬の閃光の攻撃をうけて 膝から崩れ落ちたらいい もうこれ以上ないというほど うちのめされて 貼り付いたような黄色の朝焼けに 塗りこめられてしまったらいい 遠く離れた場所で わたしが勝手につむぐ きみが主役の物語は ひどく醜悪で不恰好だけれど 知った顔をする わたしを 打ちのめしたいよ たぶん 絶望が足りないんだ
仕事にどうしたって飽きてしまう午後 あらゆる現実を ロマンスとしてつくりかえたら すれ違うばかりの見知らぬ人たちの かなえられない欲望が全部降ってきて ノートパソコンのディスプレイいっぱいに 文字化けした なにも魅力的じゃないのに 目がはなせなくて 解析した結果が ぜんぶ自分だった ばかげてる 結局のところ わたししかいなかったんだって ふとんをかぶって 眠るでもなく 途切れてしまった物語を 反芻していたら シーツからたちのぼるなつかしいにおいに 吐き気がしたよ なにもないんだって 思い知らされるばかりで
窓枠だけの世界に 飛び込んできた翼が見える? かすみがかった屋上のサンシャイン 間抜けな赤いライトが告げる 本日も平和でしたのサイン 飛行機は無事成田に降りました ただ遠くへいきたかった
きみを知った顔をする世の中の わたしというわたしを 全部打ちのめしたい 縦横無尽に走る閃光が あらゆる信号を破壊して 青に変わる瞬間を待つ車たちが どこまでも列をつくった それが地球の裏側まで ぐるっとつながっていって 退屈なら隣の人に 触れたらいい 体温だけで生き延びる そのぐらいのたくましさは みんな生まれつき持っているんだから
まぶしくて 死んでしまうかと思って きみを閉じ込めた 閉じ込められたのは わたしだった なんて ばかげている ばかげているから 息ができるんだって 呼吸が聞こえて ようやく目を覚ます いまにも歩みをとめそうな この世界にあって わたしたちはこんなに 歩いてきたんだ
遠く サンシャイン 閃光がまっすぐに わたしを貫くように 窓をいっぱいに開け放って きみの温度を 思い出そうとする
ぜんぶたしかにあった ことだ きみの温度 気道に通して 味わいつくしたあとに 手放す 町中が目に見えない速度で ふるえてそして かろやかにジャンプした 抱きしめたいよ そして 空気に溶け出したきみが いっせいに鳴り響く ファンファーレ 歩いていくんだ わたしがわたしであるとき すべてきみへの祝福だから わたしたちはまだ 歩いていくんだ
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