(抄)
もうやさしさに 背を向けなくてもいいよ そう言って鳥たちは のどを震わせて鳴いた かすかな羽ばたきの名残りが 風を伝って耳元に降れた くすぐったいよ 私は手をかざす そして光がちいさく揺れる
わたしには何もない それが口癖の 彼女は今日も髪をひとつにきつく結わいて 真っ白な襟をぴんと張って 真一文字の唇で立っている わたしには何もない そういってキーボードを打つ 人刺し指から小指 そして薬指 長い指を無意識に秩序立てて 日常を塗りこめていくと ほんの少しだけうずく心に静寂が落ちる ときどき呼吸が止まるのを まだ気づいていないのは その直後に流れ出すものをため息と信じているから
一度だけ彼女の書いた詩に 曲をつけたひとがいた そのときの彼女が いとしいのかもしれないと思っていた人 けれどその曲を聞いたとき 間違えたと彼女は感じた 彼女の詩がとても遠いところへ言ってしまった 見知らぬ仮面をつけた 見知らぬ女がそこにはいて 彼女の声は消えてしまった 空を見上げると 鳥たちはぐるぐると回って どこへいく兆しも見せずに はばたきばかりをつむいでいた その中央に薄い空が 全くの円に切り取られて 貫く光が目を指した
信じたかったことがあった いつか背中に羽はないと とても自然に悟った日に まるで窮屈な靴を脱ぐように けれどつま先はずいぶんと ただれてしまったあとで 折れた爪が刺した皮膚には 緩やかな軌跡が刻まれた ああ私はどこへ向かっているのだろうね ない羽を揺さぶって空を振り仰いだ 雨音がどこからかはじまっていた もうこの町も終わりだ こんなにも天気はおかしくなって それでも生きていくしかないとか たとえば ただれた足をなでながら しがみつくように思ったのだ しがみつく腕があることを いとおしく思ったのだ
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