まーくん的日常...まーくん

 

 

カタギ女と非カタギ女の境界(その2) - 2009年04月25日(土)

考えてみれば、カタギ女・非カタギ女といういいかた、そもそも一般的な表現とはいえまい。

ちょっと前(といっても20年くらい前だが)までは素人女、玄人女といういいかたをしていたという記憶がある。
ふつうに会社勤めか家事見習いをしているのは前者、水商売とか風俗の世界にいるのは後者でよばれていた。

さらに江戸時代までさかのぼれば、「地女と遊女」みたいないいかたもあった。
地女とは一定の場所にいついた女の意味。対するに遊女とは「客を」遊ばせる女という意味だ。

いずれにせよ、それら二者は基本的に交わらない。積集合をもたない。二者択一的な概念なのだ。

しかし、カタギ女・非カタギ女となると、ちょっと事情はちがってくる。

21世紀の現代は、性のモラルがほぼ消滅した時代である。
ことに日本のように、宗教によるしばりがゆるやかな国家、信仰が行動規範としてもはや機能していない「超近代的」国家においては、性に関するタブーはきわめて少ない(あるとして、せいぜい近親相姦ぐらいだろう)。

そのような時代、国家においては、カタギ・非カタギは、まったく交わりをもたない概念ではない。
A男という男性はカタギ70%、非カタギ30%。B子という女性はカタギ30%、非カタギ70%というようなブレンド現象が数多く見られるのである。

見かけはチョーギャルな感じでも、意外と彼氏ひとすじで浮気をしない、そんな女性がいるかと思えば、虫も殺さないチョーぶりっ子な外見のくせして、男はつねに何人もキープしている女性がいたりする。
これらの場合、パッと見とはうらはらに、前者がカタギ60%、非カタギ40%、後者がカタギ40%、非カタギ60%のブレンド率といえるのではないかな。


かように、現代は、過去の二分法がそのまま通用しない。一筋縄ではいかない。

昔、地女はかならず地女なりのかっこうをし、遊女は遊女なりのかっこうをしていたので、服装だかで簡単にその区別がついたが、そうはいかないのである。

鵜の真似をするカラスもいっぱいいるし、鵜もカラスを真似たりもする。

それぞれの人間の本性を知ることなしには、カタギ・非カタギを論ずることは出来ない。

まさに複雑系の時代。このことをふまえた上で、次回から本論に入っていこうかと思う。



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カタギ女と非カタギ女の境界(その1) - 2009年04月19日(日)

世間の女性って、大別すればふたつにわかれると思う。
(あくまでもざっくり分ければという話なんで、ラフすぎるとかいわないでくれよ。)

カタギ女と、非カタギ女。

このふたつだと思う。

カタギというのは、おわかりかと思うが、真面目できちんとした、という意味。
学校をちゃんと卒業して定職につき、定職のある男性と結婚する、まあそういう女性である。

非カタギというのは、当然、そういう枠からはみでた生き方をする女性。
学校も中退してたり、卒業できてもまず普通のOLとかにならず、アルバイトとか水商売とか風俗とかで働くことがもっぱらのタイプ。
芸能界で働いている女性も、大半はこちらに属するといえる。

前者のほうが、おおむね着ているものの品がいい。化粧もさほど濃くない。まったく化粧気のないひともいる。
後者はおおむね派手で品のない格好をしている。化粧も例外なく前者より濃い。

このふたつのグループは、あまり交流することはない。
学生時代から、かなりはっきりと住み分けができている。
社会人になってしまうと、完全に別行動、没交渉になってしまうといっていい。

しかし、一般的な男性の側からすると、このふたつのグループの片方にしか関わらないというものでもないのである。

若いサラリーマンで「ボクは絶対キャバとか行きません」という男性は稀だし、「ボクは風俗とか無理です」という男性も(最近草食系男子が主流になってきて、ふえつつはあるが)、まだ絶対多数派とはいえない。

どこかで、非カタギな女性のお世話になっていたりするものなのである。

文学のモチーフでもときどき出てくるが、男性というのは、身持ちはよくても性的な魅力にとぼしいカタギ女と、ふしだらだが魅力のある非カタギ女の間で揺れることが多い。

果たして、どちらにオトコは、真の安住の場を見つけることが出来るのか?

きわめて奥の深いこの問題に、取り組んでみようと思う。

一回や二回じゃ、絶対に終わらないぞ(笑)。








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人生でいちばん楽しい年代 - 2009年04月17日(金)

「人生でいちばん楽しいと思う年代ランキング」というのをgooでやっていたけど、なんだかなぁ〜という結果だった。

一位は20代。二位は10代。三位は30代。

これを見て感じたのは、
「みんな『責任をとらなくていいこと』イコール『楽しいこと』だと思っているんだな」
ってこと。

モラトリアムは楽しく、真剣に取り組まないといけなくなると楽しくなくなる、そういう発想だ。


でも、僕のケースでいえば、20代なんてちっとも楽しくなかった。

自分の自由になるお金が入るようになり、口うるさい親から離れて自由な独り暮らしを始められるようになったものの、本当に手に入れたいものは、半分どころか一割も手に入らなかった。

仕事でも、恋愛でも、また自己表現においても、壁だらけだった。そして、その原因は、自分自身にもあった。

未熟なくせに自己中心的、要するに自惚れていたのだ。

そんな人間に仕事や恋愛が、うまくいくわけもない。

そういう自分にようやく決別できたのは、30代も半ばにさしかかってからだった。

「○○が悪いから、すべてうまくいかない」
みたいな、他者のせいにする癖をやめて、自分をきちんと見つめなおすようにしたのだ。

そうすると、以前にくらべて、いろんなことがうまくまわるようになった。


本当に楽しいことって、ちゃんとその楽しみに見合った責任というか、負うべき負担というものがある。

みんなが「楽しい」と感じていることの根本にあるのはたぶん「自由な恋愛」なんだろうけど、その恋愛にしたって、無責任にやっている恋愛なんて、恋愛の名に値しない。
ただの、動物の「さかり」と同じだよ。

同じように、バンドだって芝居だって、参加メンバーそれぞれのナルシシズムを満たすためにやっているだけでは、絶対長続きなんかしない。
おたがいのエゴが衝突して、そのうち空中分解する。

なんかそのへん全然わかっていない連中が、20代がいちばん楽しい、美しい、輝いているなんて勝手に思っているんだろう。

20代なんて、本当にいい人生を送るための、第一ステップに過ぎない。

そこでいちばん楽しいことなど起ころうはずもない。むしろ試行錯誤の連続といっていい。

この年になり、ようやく人生の楽しみとは何か、見えてきた僕としては、そう思うのである。







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十年選手 - 2009年04月15日(水)

なにごとも十年続けると、ひとかどの存在になる(らしい)。
とはいえ、お水の世界で十年ってのはいかがなものか?

指名しているわけじゃないんだが、まあ「準担当」、みたいな嬢がいる。
いまは会員制のカウンターバーにつとめている。

そこは指名制ではなく適当に女の子が入れ替わっていくしくみだ。
僕のほうからはまったく指名しないのに、なぜか6、7割がたは、彼女が自動的につく、そんな感じ。
彼女のほうで「わたしが担当」と勝手に決めているらしい。

彼女は高校を卒業後すぐこの世界に入り、いくつかの店で働いてきた。
パッと見はややハデ。背が高く、顔立ちは東南アジア系。
カタコトの日本語をしゃべると、タイ人になりすますことが出来るタイプだ。

この子、OLみたいな仕事はあまりしてこなかっただけに、感覚がちょっと普通じゃない。
前に勤めていた店が営業停止をくらって失職していたときも、お水以外の仕事でしのごうという発想はまるでなく、ただただ同業種で職探しをしていた。
結局、新しい店が見つからず、昔勤めていた店に出戻ることになったわけだが。

彼女においては、もう、お水以外の選択肢はないようなのである。

たしかに、女性が三十前後になって、美容師みたいな資格でもない限り、まともな時給をもらえる仕事は少ない。

身元保証とか特に必要なく、一番手っ取り早く日銭が稼げるのは、やはりお水。そういうことなんである。

でも、このままこの仕事を続けていても、何か上のステージに行けるようには思えない。
将来どうする気なんだろ?

たぶん、何も考えていないか、「なんとかなる」と思っているか、そのどっちかだ。

彼女には多分に動物的なところがある。
人生、すべて動物的なカンで決めてきたのだろう。

一応人生設計をして、それなりに教育を受けて、会社に就職をした人間(まあ、僕もそのひとりといえるだろう)から見れば、なんとも向こう見ずな人種に思えるが、意外とそういう人間ほど実社会ではしぶとく生きていけたりする。

あるとき突然結婚して、子供2、3人引き連れる肝っ玉母さんになってしまうのかもしれないし、ずっと独身でいくのもかもしれない。

僕としては面倒を見る気はまるで起きないが、彼女の行く末がどうなるのか、見届けてみたい気はある。



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見送り三振 - 2009年04月14日(火)

思うところあって、日記を再開することにしました。

なんと2年半近く放置していたわけです。アチャー。
もうほとんど新規開店みたいなものですが、ごひいきに。

さて、最近一緒に飲むことが多いのは、前の部署で部下だったK君。
年齢は僕の19才下の32才と、かなり離れてますが、その年代にしては酒好きで、誘っても滅多に断らないこともあって、よく声をかけて飲みに行ってます。

彼は長身でルックスもまあ人並み以上、大学も関西私大ベスト3に入る某校の出身。
年収もそこそこあるし、スポーツもするし、ヲタクでもない。ホモでもない。
にもかかわらず、彼女がずっといない(おそらく10年以上)、という男なのです。

なぜ彼女が出来ないのか?

僕が数年かけて彼を見てきた結果、出た結論はこれ。

「チャンスを見送ってばかりいるから」

いい子がいても、まず飛びつくということがない。
向こうから寄ってきたら違うんだろうけど、普通どまんなかのストライク!みたいな子が向こうからモーションをかけてくるなんてことはありえないですからね。

自分からは絶対バットを振らない。
三振、それも常に見送りなんですな。
それに、女性の判断基準がかなり高い。
若くて、きれいで、可愛くなきゃ眼中にすら入らない。

これじゃあ、絶対無理だよと周囲は思うわけですが、彼自身は「いやいや、そのうち、これまで知り合った全ての女性を上回る子が出てくるはず」と思っているようなんです。

チッチッ、甘いな坊や。
そういう子が君の目の前に現われたころには、君は40、50になっているかもしれないぜ。
また幸いにして、ここ数年のうちに遭遇できてもだ、その子が君に興味を持つ確率は、かなり低そうだ。

彼が理想とするような魅力のある女性が、見てくれはともかくキャラ的に魅力があまりないK君を選ぶとは思えない。

空振りにせよ、かするにせよ、普通の三振ならまだいい。
見送りの三振は、まったくあかんぜよと先輩は思うのだ。
自分の過去の苦い経験からね(笑)。


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