まーくん的日常...まーくん

 

 

営業マニュアルについて考える(三) - 2003年05月26日(月)

前回、六本木の新開店キャバクラで、キャスト(ここでは仮にS子としておこう)に、色恋営業を仕掛けられた僕であったが、こちらもさすがに古ダヌキ(笑)、そうそう簡単に「その手」には乗らなかった。

ほどなく僕らは延長時間に突入したが、だからといって「場内指名」は入れない。
入れると、もう「カモ客」ケッテーイ!という感じだかんね。
あくまでもまだ「今後、あなたを指名するかどうかはまだ決めていないよ」という「保留」のスタンスでのぞむ。

ところがS子はしばらくその席にいて、なかなか次の子にかわってくれない。
しかたなく、彼女のお相手をしていたのだが、そのうち彼女、こういい出す。

「お名刺、くださらない?」

ここで、ホイホイと会社の名刺を差し出すやつは、「キャバ初級者」ケッテーイ!である。
社名がわかると、その会社いかんでは「ここは儲かっているから、ガンガンしぼりとってやれ」なんて感じでアプローチしてくるからね。これって、うざったいだけでしょ?

その他、あとあとの問題を考えて、最初から素性を全部は明かさないほうが賢明。
キャストだって、本名とか教えてくれるわけじゃないしね。
お客の貴方だって、偽名を使ったって(使いとおせる自信がある場合に限るけど)、いいんじゃないかと僕は思っている。

「あーごめん、今切らしてるんだ。それに僕、会社の看板しょって飲みに来ているわけじゃないから、社の名刺は出さない主義なんだ」

「そう。じゃあ、メールアドレス教えて」

そこでシブるのもさすがに勿体つけ過ぎなので、S子の用意してくれたカードに、メアド(もちろん、会社のではない。苗字とかもわからないプライベート用のヤツだ)を書いて渡す。
もちろん、なにかを期待して渡すわけではない。
どうせメールが来たところで、「お店に来て」という営業メールに決まってるんだから(笑)。

結婚していることをズバリ伝えたのが効いたのか、S子、その後はあまり露骨な攻撃をしてこなくなったような感じだ。
そのへん、まだまだ上野広小路あたりのフィリピン・パブのホステス嬢たちに比べると、甘い甘い。
彼女たちなんか、
「お客さんの奥さんと、わたし、どっちがキレイ?」
なんて、平気で聞いてくるもんな。

相手に決まった女性がいようがいまいが、選り好みしている場合じゃあない。お客をつかまえるには、遠慮など無用。
実に割り切った「お水哲学」が、かの地の女性にはあるね。
そういう意味で、日本女性は、まだまだハンパという気がする。

その後、別の子がついたが、年のころははたち過ぎ、金髪と、派手めでハジけた感じなのはまあいいとして、やたら高いドリンク(それもワインボトル)をねだるのには、うんざりした。
これ以上いると、とんでもない勘定書が来るなと察知した僕らは、たがいに目配せをし、チェックをスタッフの男性に頼む。

やってきた勘定書にある金額は、なんと6万!
さすがにこれには開いた口がふさがらない。
「ぼったくりだよなー」と悪友とともにボヤきつつ、ほうほうのていで退散。

その後、メールはひとりからはやってきた。
最初についた、食事おねだりの彼女のほうからだ。
中身はもちろん、「おごってくださいね」という主旨。
あまりの「ひねり」のなさに、思わず笑ってしまった。

だが、二番目の色恋営業の子からは、不思議と何も言ってこない。
やっぱ、正直に「既婚」といったのが、効き過ぎたか(笑)。
いやいや、こうかもしれない。

メールなんてものは、先に出してしまったほうが、「負け」。
恋愛においては、相手に気に入られたい、というサインを先に出してしまったが最後、相手に主導権を渡すことになってしまうのだ。
「私はあなたを好き」とカミングアウトしてしまっても、相手が自分のことを好きであるかどうかは、わからない。
相手が告白しても、決して本心を出さず、内心「しめしめ」と相手に気があるようなふりをする、これはコケットやドンファンの常套手段だろう。
そういう、恋の「力関係」の法則を知っていれば、「来て来て」メールを出すのなど、あまり効果的でないのは明白。
すぐにメールが来るんじゃないかと、タカをくくっていたら、なかなか来ないのでちょっと気になり、ついついその真意を確かめたくてお店に行ってしまった、という方が、キャスト的、お店的には「おいしい」のは間違いない。
色恋営業の彼女は、そのへんも全部見越して、あえてメールを出してこないという「深謀遠慮」のひとなのかも知れない。

うーん、まるで「兵法」のようで、奥が深い。

ということで、以上の三人のキャストを採点するなら、一・三番目の子の営業スタイルは問題外。
「おねだり」は、相手が自分にハマっているということに確信をもってからやるべきことであって、初見でそれをやるのは、逆に相手の心証を悪くするだけなのだ。
結局、彼女たちは「営業マニュアル」を表面だけ読んで、そのままなぞっているタイプといえる。

二番目の子のスタイルは、それよりは大分「慣れて」いる感じ。及第点はあげられる。
まずは「密着営業」という「つかみ」でお客を引き寄せ、あえて営業をかけてこないという「心理戦」で、お客を撹乱し、あとはお客が自然に通い出せばOKという、見事な戦略家なんである。
彼女だけは「営業マニュアル」を自分流に「消化」して実行しているという気がする。

でも惜しむらくはS子、僕にとってはドンピシャのタイプではなかったのだよ。嗚呼。
もしあれで、僕好みのルックスの子だったら、いまごろ、毎日通ってしまっていたかも(笑)。

(この項・了)


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営業マニュアルについて考える(二) - 2003年05月22日(木)

六本木の新開店キャバクラでの話、第二回。
ふたりめについた嬢がやたら「直球派」で、さっそく僕が結婚してるかどうかまで聞かれてしまったというところまで書いた。

その先を書く前に、キャバクラでの会話術について、ちょっと書いておきたい。

キャバ遊びの基本中の基本。
Q:キャバクラでの会話は、すべて本当のことをしゃべるべきか?
答えは、NOである。

キャバクラは、真正直なことをいえば褒められるという、法廷のような場所ではない。
客も嬢も、相手にとって「うれしい」ウソをつきあう場所なのだ。

あなたの隣りについたキャバ嬢が、見た目は昨日までセーラー服を着ていたような初々しい感じのコであったとしても、本当のところは、高校中退、元ヤンキー、離婚歴あり、子供ひとりという、人生経験豊富なかたかも知れない。

でも、見た目がいかにも、男なんかひとりも知らないような感じなら、むしろ、そういう「パブリック・イメージ」通りの自己紹介をしておいたほうが、相手に喜ばれるのである。
だからそういうコは、あなたにも「わたしって、奥手ってよく言われるんですぅー」なんて、真顔で言うはずだ。

家に帰れば、頭の黒いネズミと同居しているかも知れないが、そんなことはオクビにも出さず、
「恋人? いなんですよぉー。本当だったら!」
みたいな見え透いたウソをついたって、OKってこと。

その「ウソ」は何かのはずみにばれてしまうかもしれない。
(とくに同僚、つまり他のキャバ嬢に、バラされるというケースがよくある。)
そこで、思考回路の単純なお客は「なんで、今まで僕をダマしていたんだ!!」などと烈火のごとく怒るかも知れない。

が、そんなことではキャバ遊びを楽しむ資格などない。

しょせん水商売は、ダマして、いや夢を見させてナンボの世界。
自分は相手にハマることなく、いかに相手に自分のことを好きにさせ、お店に通わせるか、それだけが彼女たちの勝負どころ、腕の見せどころなのだ。

さて、マクラが長かったが、果たして僕がそのコに対してどう答えたかというと、
「残念ながら結婚してるよ」
と正直に答えたのでありました。(チャンチャン)

上記のようなことをあれこれ言ったが、実は僕自身は、うまくウソをつける人間ではないからだ。
必ず、「いまのはウソですよ」とばかり、顔に出てしまうんである。

さて、その答えを聞いた彼女は、
「えーっ、そうなの?。残念だわ。でも素敵なひとって、みんな結婚しちゃってるのよね。私の周りもみんなそう」
と返してくる。
ただガッカリして、それでオシマイというのでなく、それをうまく逆手にとって、相手をおだてるあたり、なかなかツワモノと見た。

ただ、こちらも、そんな「色恋営業」に易々とハマるほどの坊やでもない。
次回、彼女を指名するかどうかは、まだ「当落線上」という状態だった。
さあ、彼女の次なる戦略は?
(この項、さらに続きます)


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営業マニュアルについて考える(一) - 2003年05月21日(水)

この「営業」とはもちろん、過去にも何回か話題にした、キャバクラの営業のことである。

先日、六本木のとある新開店のキャバに、悪友とともに飛び込みで入ってみた。
ここは妙に照明が明るくてインテリアがアートっぽいのが特徴で、僕的にはあまり落ち着かなかったのだが、そんなことはしょせん枝葉に過ぎない。
いいコさえいれば、すべてオッケー。
そう思っていたのだが…。

最初についたコは推定21歳ぐらい。
スリムタイプで、小顔、茶髪。
女優の川原亜矢子サンに少しだけ似ている。
ルックスはまあまあだが、かといって、さほど好みのタイプというわけでもない。
なんか、ノリが悪くて、会話がはずまないのである。

で、このコが、やたらと「食事、おごってください」とおねだりをするんだよなあ。
それも、あまり話が盛り上がらないうちから。
もう少し、ちゃんと相手のことを把握してから、そういうおねだりをしたほうがいいんじゃないのと思ってしまった。

ドンピシャタイプのコならまだしも、がんばって口説きたいタイプでもないので、こちらとしてはその気にならない。
「まあ、そのうちにね」と、テキトーにお茶を濁しておく。

かわってふたりめは、ウェービーな黒髪をセンター分けの髪型にしたコ。
最初のコより老練な感じで、25、6歳くらいかなと思ったら、も少し若かった。
安達祐実をおとなにしたような顔立ちで(安達祐実自身、もう成人しているから、ヘンな表現だが)ほどほどの容姿、タッパとかはふつうにある。

この彼女がなかなか「営業」熱心なのだ。
必ず、おたがいの体のどこかが接触しているように、座るのである。
いわゆる「密着営業」というヤツ。

このスタイル、僕的には嫌いではないが(笑)、ついつい手があらぬ方向に伸びて、セクハラまがいのことをしてしまい、店から出入り禁止を食らっても困るので、それなりに自制をしなくてはならない。

おまけに彼女、「独身? 結婚しているの?」ときわめてストレートな球を投げてくる。
当然、相手にとっては「独身」のほうがいいのだろうなあ。さあ、僕はどう答えるべきなんだろうか?

(この項、次回へ続きます)


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セルジュとアルバのように Comme Serge et Alba (4) - 2003年05月20日(火)

最後に、今回のタイトルに登場するふたり、セルジュとアルバについて少し書いておこう。

フランスの覆面作家、デラコルタ(正体はスイス出身の作家、ダニエル・オディエ)が書いたいくつかの小説に登場する主人公が、セルジュ・ゴロディッシュとアルバのカップルだ。

少なくとも二十は年が離れているであろうこのふたりは、恋人のようであり、父娘のようであり、同志のようでもあるという、摩訶不思議な関係。

シリーズ中の代表作「ディーバ」は、ジャン=ジャック・ベネックスにより映画化されたので、ご存知のかたも多いだろう。
映画の中では、セルジュはリシャール・ボーランジェ、アルバは中国系ベトナム人とおぼしきチュイ・アン・リューが演じていたが、小説の中のアルバは、ブロンドの髪を持ったフランス人の少女として描かれている。

映画「ディーバ」では、彼らはこんな感じに描かれている。

セルジュは、一寸ワケあり風の独身中年男。
何を生業としているのか、よくわからない。
ふだんは趣味の手料理に興じ、ジグソーパズルを完成させることに熱中している。

その行動といい、思想といい、実に謎めいている。
が、作品を読んでいるうちに読者は、彼がかつて「暗黒街」とも深くかかわっていた人間であることを、知るようになる。

彼はパリ市内の、ロフト風アパルトマンに住んでいるが、そこにいつからか、アルバという十代の少女がころがりこんでいる。
どことなくネコを思わせるこの娘は、盗癖があり、レコードショップでクラシックのLPを万引きをしては、家でそれを聴くことが趣味だ。
もちろん、仕事らしい仕事などしていないし、学校にも通っているふうでもない。

で、このふたり、いわゆる「同棲」の関係なのかというと、また違う感じだ。
アルバは、同居しているセルジュに断りもなく、ほかの男と付き合ったりもしているようで、実際、ジュールという若い郵便配達夫と、淡い関係になったりする。

セルジュは中年になっても「色恋のことは苦手だ」といっているし、どうもふたりは「友人以上、恋人未満」のビミョーな関係のようである。

この職業不明の、えたいのしれないカップルをひとつの軸、ジュールと彼が憧れる”ディーバ(女神)”こと歌手シンシアのカップルをもうひとつの軸として、物語は進んでいくのだが、この二組とも、年の差カップルであるのが、いかにも象徴的だ。

相手に恋をしていても、そう簡単に手を伸ばして恋の果実を摘み取ることが出来ない、どこかもどかしく、でもそれゆえに、常に新鮮な感覚で相手を恋することが出来る関係。
それが、ふたつのカップルに共通した点だと思う。

同世代カップルには絶対成立しえない、一種不思議な恋愛関係を、作者デラコルタは描きたかったのかもしれない。


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セルジュとアルバのように Comme Serge et Alba (3) - 2003年05月19日(月)

ひとつの例がある。

Hさんという男性がいる。
年は40代の前半。
ルックスは飛びぬけていいわけではない。
タレントでいえば、ユースケ・サンタマリアに少し似ていて、まあ十人並みといったところ。
中肉で、身長も高からず、低からず。
全体に、格別目だったタイプではない。
仕事は、中堅どころのメーカーのエンジニア。
年収もごくふつうのレベルだし、特に資産があるというわけでもない。

彼は、三十代の初めに、一度結婚している。
そして、七、八年で離婚し、今はひとりぐらし。(ご両親は遠隔地におられるとか。)
幸か不幸か、元奥さんとの間には、子供はいない。

そんな彼だが、以前に独身だったころに比べて、だいぶん女性にモテるようになったという。

「独身のころって、ほんとモテなかったんですよ。前のヨメさんしか、付き合った女性がいなかったくらい」
「バツイチになってからのほうが、明らかに女性から飲みのお誘いとか、ふえましたよ。なんででしょうね」
という。

何人かの女性(若いのもいれば、同世代もいるとか)の飲み友達がいて、結婚時代よりむしろ楽しい日常を送っているようだ。
中には、以前の独身時代には考えられなかった、うんと若いGFもいるという。

「昼間はOL、夜はアルバイトでホステスをやっている子なんですが、お店で知り合いました。たまにプライベートでも、食事に行ったりします」
「彼女、まだはたちそこそこなんで、結婚願望とかないんですよ。いろいろやりたいことがあるみたいで。結婚したいとは、僕も思ってませんよ。だって、年が違いすぎるでしょう?」

そういうHさんは、若い男みたいには、ガツガツしていない。
必死な感じがまるでない。
それがいいんだろうな。

「以前よりはモテる理由? そうだなあ、もしあるとしたら、若い男よりは『引く』ことを知っているってことかな」
「結婚している間は、元ヨメさんとさんざんケンカをしたんですが、それで少しは女性の考えていることがわかるようになって、今は女性のいうことはたいてい『ふんふん』と聞けるようになりましたね。それが唯一の収獲かな」

若い女性のグチをうまく聞いてやる。別にうんと金品を貢ぐ必要はなく、ただ聞いて、相談にのってあげればいいんだそうだ。

「自分より年少だからって、バカにした態度をとったら、絶対ダメですね。同じレベルに立たないと」

今は女性も経済力を持ち、自立している時代。
妾をかかえることで己を誇示した昔の男のように、経済力とか社会的地位にたよらなくても、もっと別の手で、女性の気持ちをつかむことは可能だと、見ましたね。


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セルジュとアルバのように Comme Serge et Alba (2) - 2003年05月12日(月)

街中で、二十代とおぼしき女性と中高年の男性が、腕でも組んで歩いているとしたら、十中八九、

「バー、クラブ、ラウンジ、キャバクラなどの水商売の女性と、そのお客」


だと思われる。

そのくらい、日本ではオジサン族とお水女性のかかわりは深い(笑)。
オジサンが、交際相手になってくれそうな若い女性を物色しに行くとすれば、まず間違いなく、そういう類いの店だろう。

これはもちろん、若い女性がマンツーマンで接客するような酒場が一般的ではない、アメリカあたりではまず考えられないことではある。


彼らが何故そういう酒場へ行くかというと、答えは明快。

「会社の女性社員に言い寄るのは、リスキー過ぎるから」
これである。

オジサン達は、たいていの場合、会社などの組織で、責任の重い「管理職」についている。

ホンネとしては、身近にいる若い女性社員をうまく口説き落として、付き合うことが出来ればいいのだろうが、向うが「イヤ」と拒むことも少なくない上に、下手すると言い寄った事実をバラされたり、さらには「セクハラ」ということで訴えられたりして、管理職失格だの家庭崩壊だのになったりする危険性が高いってことだ。

それに、プライド、メンツの問題もある。

お水の女性を口説いてふられても、「相手が海千山千のやり手だったから」という言い訳をすることが出来るだろうが、素人の女性の場合はそうはいくまい。
露骨に「オトコとしての魅力がなかった」という「烙印」をおされることになってしまう。

お水の女性相手なら、口説いて失敗しても一種の「シャレ」として済ませることが出来て、男性本人も決定的なダメージを受けずに済む。
素人の女性は、二重三重にリスキーだから、相当覚悟を決めて臨まないといけない。

こういう、欧米の不倫姦通文化とはまた違った日本の「プロ系お遊び文化」は、言ってみれば江戸時代の「遊郭文化」の流れの延長線上にある。

どこまで本気(マジ)で、どこまでお遊び、演技か、本人たちにもよくわからないくらい、虚実皮膜の世界。
追えば逃げ、逃げれば追う。虚虚実実の駆け引きの世界。

その「結末」として、おたがい本気になって心中したり、最初の結婚相手と離婚して、結婚してしまうなんてケースもないではないが、おおむね、「別れ」が待っている。
しかも、男性側から女性になしがしかの「手切れ金」を渡す、というかたちで終わることが多い。

この、「最後は結局お金でケリがつく」というのも、他国の文化との大きな違いだ。

つまり、どういうことかというと、「お金」という物質を介在させることによって、
「これは遊びですよ、ゲームですよ」
ということを、おたがい暗黙のうちに了解しているのである。

男性は、ちらりと札束を見せ(実際にそういうしぐさをしているわけではない。あくまでも喩えだよ)、
「若いお嬢さん、これがいりませんか?」
といいたげなそぶりをする。

女性もまたそれにこたえて、
「まあ、素敵。それを私にくださるの。少しお付き合いしちゃおうかな」
というような態度を見せる、という仕組みだ。

これって、表向きは
「自由恋愛」
なんだけど、本質的には
「カネの取引」
そういうことだよね。

なんか、こういうのって、カッコ悪いって感じがしない?

いかにも、「素(す)」の自分に自信がないから、カネとか、カネをいっぱい稼げるような地位とかいった「持ち物」で勝負をしているってことでしょ。
それって、相当情けないと思うよ。

日本では、政治家や高級官僚あたりに、まだまだこういう考え方から抜けられないひとが多い。

昔、女性スキャンダルで退陣に追い込まれたU首相とか、いま、週刊誌をにぎわせている、自民党の大物、Y氏とかね。

カネをばらまかなくても、女性が自然と寄ってくるような中年・壮年男性って、この国にはいないんだろうか?

次回はそのあたり、ちょっと考えてみたい。


...

セルジュとアルバのように Comme Serge et Alba (1) - 2003年05月07日(水)

オトコたち、特にある程度年齢を重ねたオトコたちにとって、最も気になることとは、

「若い(おもに二十代)の女性たちから、自分は『異性』つまり恋愛対象として見てもらえるか?」

に尽きるのではないだろうか。

四十代の既婚男性など、通常は「恋愛対象」としてなど見てもらえず、単に、
「おじさん」
「自分の父親と同じ世代のひとびと」
としてしか扱われない。

だが、たまに親子ほど年の離れた若い女性と恋愛している男性(それも既婚・未婚を問わず)がいるのを見ると、まったくムリなわけでもなさそうだ。

若い女性が交際相手として、同世代のオトコではなく、あえて年齢の離れた中年男性を選ぶ。

その理由はなんだろう?

いろいろなケースが考えられるが、ひとつの有力な説として、

「男女間の性的欲求度の違い」

があげられるのではないかと思う。

前にも少し書いたことがあるが、十代・二十代のオトコはただただ「やりたい」盛りである(まれに例外もいるけど)。

一方、若い女性は、まだ性的な感度が低く、性的欲求のレベルもさほど高くない場合が多い。

だから、付き合うと、すぐにセックスを求めてくる同世代の男性にうんざりしていたりする。

本当はロマンチックなデートをしたい、ただ手をつないだだけ、抱き合っただけでいたい。

でも、現実はそうはいかず、会えば必ずセックスみたいな展開になる。

それも、前戯もおざなりな、ただただ激しいだけのセックス。

そこで彼女たちは、相手がもっと淡泊だったらいいのにと思いがちなのである。


一方中年男性は、十代・二十代のころに比べると、明らかに性的なことへの欲望、パワーは落ちている。

だが、長く生きているがゆえの強みもないわけではない。

多くの場合、結婚しているわけだから、女性の心理や生理は(若いオトコどもにくらべればの話だが)だいぶんわかっている。

どういう優しい言葉をかければ女性が喜ぶのか、ロマンチックな気分になれるのかをケーススタディとして知っている。

とりあえず配偶者という最低限の「保険」はあるので、ガツガツと異性を求めるようなところもない。

しかも、若い、彼女たちと同世代の男性にくらべれば、格段と経済力もあるので、彼女たちの物欲を満たしてくれる「財布」ともなってくれる。

以上のような理由により、女性側と男性側の利害が一致して、中年男性と若い女性のカップルが誕生するのである。

たとえば、ジャン=ジャック・ベネックス監督による映画「ディーバ」の登場人物、セルジュ・ゴロディッシュとアルバのようなカップルが。

次回からは、こういう「年齢差カップル」の実情、あるいは問題点、どうすればいい関係を維持出来るか等について、考えていきたいと思う。


...

新連載二回目 - 2003年05月04日(日)

「ルナハイツ」の第二回を読んだ。

前回は、念願のマイホームが会社の女子寮に化けてしまい、その入居予定の4人が登場するまでをかけ足で描いていたので、今回はそのフォロー的な展開。

主人公南條が上司の部長によばれ、自宅の女子寮化の一件について話をする。
南條的には、まだ元婚約者への未練があって、どうも踏み切れない。
「風紀上、好ましくないじゃありませんか!」などと、グズりだしてしまう。

しかし、部長は、ひとつ屋根の下でどの女子社員でもいいから結婚してしまえ、とハッパをかける。

けっきょく、南條のアタマがまだまだ固くて、それを見て課長や部長たちは、「彼にはショック療法が必要だ」と考えたのだろうね。

婚約者が突然バイバイを言い出したのも、南條の融通の利かなさに、ヘキエキしていたためかも。

その後彼は、入居予定者の4人のもとを訪れて、入居を思いとどまらせるよう説得工作をしかける。
それぞれの女性キャラの違いが、それにより明らかになるのだが、

★日高りん=ミーハー、可愛いもの大好き
★茅ヶ崎裕子=仕切りたがり、おせっかい
★土屋重子=変わり者、極端に無口
★大月窓明(まどり)=マイペース、さばさば

という明確なキャラわけがなされている。

もうこのへんは、見事なまでの「黄金分割」的マンガ構成技術だ。
計算しつくされてます。

で、ところどころ小技もきかせてあって、南條が
「僕は、愛のないセックスなんか、絶対しない!」
などと大見得を切ると、まどりが、
「キモーイ」
と引いたりするあたりが、笑えます。

やはり南條クン、まだまだアタマでっかちで、そこが元彼女の友美サンに逃げられた理由なんだろーなと、感じさせます。

で、すべての説得工作に失敗、悄然と自宅に帰ってきた南條を、
「おかえり」
という言葉で迎えるまどり。

そこで初めて「こういう生活もいいかな」と感動して、思わず入居をOKしてしまう南條。
わりと単純なのだ。

彼のアタマの中には、
「まどりだけは”まとも”そうなんで、彼女とだけなら暮すのもいいかな」
なんて思いが実はあったはず。

しかし実際には、近くに残り3人もスタンバイしていて、ちゃっかりと言質をとって、家の中に上がり込んでしまう。

このマンガ、たぶん最終的には、まどりと南條が「いい仲」になるんだろうが、あとの3人のせいで、その「進展」はかなり難航しそう。
ま、そこがストーリーとして面白くなる要素でもあるのだろうね。

この回は、どの部屋を自分が取るかモメにモメて、じゃんけん勝負になって終わる。

前途多難を象徴する幕切れだが、なんか楽しそうでもある。

ひとりの女性と結婚して、息のつまりそうな不自由な生活をするより、おたがい気楽にいいたいことをいえる、こういう寄り合い所帯も、悪くないかも(笑)。






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