年齢差カップル - 2002年04月29日(月) 最近話題になった森本レオのケース(推定30数才の差)ほど極端ではないにせよ、僕の周辺でも年齢差カップルをよく見かける。 友人(といっても、三十代後半、僕より8才も年下だが)のC君。 彼は独身で、何と15才も年下のSさんと付き合っている。 同じく、C君とタメ年のI君。 彼も独身だが、10数才年下のRさんと付き合っている。 Sさん、Rさんはともにかなりの美形でスレンダー。性格も女らしい。 なぜ彼らはそんな若く、しかも魅力的な女性と付き合うことが出来るのだろうか? C君やI君は、一応ちゃんとした社会人ではあるのだが、同年代の多くの男性との大きな違いがひとつある。 「おじさんっぽくない」のである。 I君は長めの髪を茶に染めているし、体型もスリム。 C君はやや体重はあるが、タッパがあるのでさほど気にならない。 がっしりとした感じが頼もしくさえある。彼も髪を長めにしている。 服装も、Tシャツにジーンズや、革のジャケット、パンツのようなスタイルが中心。 間違っても、ゴルフウェアみたいなものは着ない。サラリーマン眼鏡もかけない。 つまり、年相応、みたいなことはまるで考えず、十代、二十代の頃のアウトローな雰囲気をそのまま保っている。 こういう実年齢を感じさせない格好や髪型をして、しかも違和感がない。 これがまず、若い彼女たちにも、ムリな受け入れられている理由のひとつであろう。 もちろん、見てくれだけの問題ではない。 彼らは実に気持ちが若い。話すことの内容も若い。 普通、男性が三十代後半になると、社会をしょって立っているという自負が強くなり、またたいていは結婚して子供もいることから、年下の世代に対する意見が「おやじ臭く」、つまり「エラそうに」なってくる。 自分が「親」の側に立つことで、年下の独身世代を「指導・教育」出来る立場にたったと思い込んでしまうのである。 実際はまだ、試行錯誤の連続に過ぎないのにね。 でも、彼らはそういう「親」的な発言はせず、同じ独身としてあくまでも「アニキ」的な向き合いかたをする。 バカっぽいっことも平気でいう。決してエラぶらない。 そのへんも、決して実年齢は若くないのに、若い女性にモテる理由だといえそうだ。 あと、精神的な「余裕」が二十代の男よりもはるかにあることも、重要だ。 二十代のオトコはやたら相手の女性を束縛したり、実にささいなことで相手といさかいを始めたりするようなところがある。 それは、自分が「同世代」の女性と付き合うことが、「当然の権利」だと思うような「おごり」から来ている。 しかし、彼ら中年世代ともなると、そういう若い女性と付き合えるだけでもありがたいことだと思い、くだらない理由で相手に腹を立てたり、「他のオトコと絶対付き合うな」などとしばったりはしない(というか出来ない)。 このへんの度量の広さも、彼女たちにとっては魅力なのではないかなあ。 三十代後半以降、いわゆる「中年」にさしかかった男性が若い女性にモテるのは、 「金銭的余裕」と「熟練したセックスの技術」 の二点によるものだと一般的には考えられている。 が、そういうものだけでもない。 彼らは別に、女性たちに毎回のようにプレゼントをしまくっているわけでない。 食事はたいていおごっているが、高い店に行くわけでもなく、普通の居酒屋だって多い。 会えば必ずセックス三昧、というわけでもないようだし。 ま、そのへんは普通の二十代同士のカップルと、同じ感じである。 世の中には、「固定したイメージ」が流布されすぎて、実態が意外に知られていないことが結構あったりするが、モテる(独身)中年男性の実態もまたしかりであろう。 若い女性は、C君やI君をいわゆる「おじさん」とは考えておらず、「年のいったおにーさん」と考えているから、自分の交際相手として選んでいる。 彼ら二組の「ひとまわり差」カップルの、「いー感じ」の交際を観察していて、そう感じた。 ... イージー・ゴーイング - 2002年04月28日(日) 昨日、「安易な人生」を歩んでいるU部長の話を書いた。 もしかしたら、読者のかたはそれを読んで、僕が「安易な人生を送ってはイカン!」と思っているように解釈されたかもしれない。 が、僕としては、安易な人生を送るも送らないも、「個人の自由」だと思っている。 現に、僕だって十分安易な人生を送っているという気がする。 いけないのは、ひとより安易な人生を送っているくせに、そのことを「自覚」していないということ、それだけなのである。 ところが、安易な人生を送っているひとに限って、自分はじゅうぶん一人前の、しっかりした人生を歩んでいるなどと勘違いしていたりする。 先日書いた、39才独身のK君などはいい例である。 彼は自分が安易な道を歩むことを、まるで恥じていない。 それどころか、彼は自分が人生を歩むうえで、いろいろと「近道」「ショートカット」を考えつけるのは、自分の頭の良さだとまで思っているふしがある。 だが、K君が考えつく程度のセコーいショートカットなら、たいていの人間は考えつくのであって、「それを実行したら、終わりやん」「情けないやん」と皆思うから、それを実行しないだけなのである。 そうはいうものの、K君も、内心忸怩たるものはいささかあるのかも知れない。 だが、それを見透かされるのが嫌だから、「ぼくはバカじゃない」などと、つまらない虚勢を張ってしまうのだと思う。 見るひとが見れば、お見通しなのだが。 こういう、なんでもラクな道を選択して、恬として恥じることのない「イージー・ゴーイング症候群」は、現在のわが国全体を覆っているような気がする。 最たる例が、かの、森義朗前首相である。 彼は大学進学にしても、就職にしても、何一つ自分の実力で勝負せず、すべてコネとハッタリと恫喝だけで乗り切ってきたような男である。 教養も知性もなく、押しの強さと厚顔無恥ぶりだけで、首相にまで登りつめた男。 そのくせ、自分はまるですべて実力で勝負してきたかのような、一人前の口を利く。 そう、イージー・ゴーイングな生き方自体に問題があるのではない。 自分はイージーな生き方しか出来なくて情けないという「恥じる心」が本人にあれば、全然オッケー。 イージー・ゴーイングのくせにそれを自覚しない、あるいはそれを内心恥じていたとしても、「安易で何が悪い」と居直る、そういう姿勢こそが問題なのだ。 先日、裏口入学斡旋詐欺で、一口5千万円で推定百人以上が金をだましとられたという事件があったが、あれなんか、被害者がバカなだけという気がする。 何でもカネでイージーに解決しようと考えるひとが多すぎるのだ。 日本全体がこういう風潮になってしまったのは、実はマスメディアにも大いなる責任がある。 現在日本に蔓延する、「念じていればすべて実現する」「望めば何でもかなう」風の安易な思想をちまたに流行らせたのも、「偽善のかたまり」である「マスメディア」にほかならない。 たとえば「101回目のプロポーズ」。 ああいう「つくりばなし」では、「不細工な男も、熱意さえあればいい女と結ばれる」というような、いささか現実味のないハッピーエンドにもっていかねばならないのはよく判るのだが、つねに受け手は「低レベル」で解釈する。 どんな魅力がないような人間でも、押しの一手で行きさえすれば、相手を落とせる、というふうに勘違いする人間がおおぜい出てきても不思議はない。 現に、相手の意向をまったく無視した「ストーキング行為」が、ここ十年で異常にふえたではないか。 いまだに「癒し」だの「なごみ」だのの、ワケわからんキーワードで偽善的な言説をふりまいて荒稼ぎをするマスメディア、少しは責任を感じろよ。 イージー・ゴーイング全盛という風潮、それはいいかえれば「世の中、すべてカネや」という「えげつない」思想と裏表の関係にある。 メーカーも流通もマスメディアも、「カネさえ出せば、あなたにも夢が買えます」と、一般大衆に安易な夢を見させているに過ぎない。 でも本音では大衆のことなんか、なんとも思っちゃいない。 「あんたがたの、カネをよこしなさい」、それだけ。 これはもう、「おためごかし」以外のなにものでもない。 もういいかげん、目覚めたほうがいいと思うよ、皆さん。 ... 自覚なきデブ - 2002年04月27日(土) 僕の上司、U部長はデブである。 身長は165センチ程度、体重は推定90キロくらい。 少なく見ても85は超えているだろう。 これって、立派な「デブ」だろ、皆さん。 でも彼は「デブ」という自覚がほとんどないように見える。 何せ、生まれてから50年余り、一度もダイエットをしたことがないそうだ。 つまり、彼の体重は、ずっと「単調増加」の一途をたどっているのである。 だが、本人の口からは「ぼくは固太りだから、いわゆるデブではない」という発言があったとか。 でも、やっぱりデブやん。 彼はうちの部のドアのカギを持っているため、朝いちばん乗りで出社しているのだが、彼にやや遅れて僕が出社すると、部のドアの手前にある、フロアの扉がいつも閉じられた状態になっている。 一日のはじまりには、最初に出社した人間がそのフロア扉を開けて、下部のストッパーを壁側にある止め具にひっかけるのが義務となっているのだが、彼はそれを絶対自分ではしない。 横着だからしないとか、タカビーだからしないというのではない。 彼は本来けっこう、マメで細かい作業も自分でやるタイプなのだ。 要するにストッパーを止め具にひっかけるために、「前屈」をすることが「出来ない」のである。デブだから。 うちの部はビルの3階にあるのだが、出社すると1階から平気でエレベータに乗って3階まで行く。 3階から、5階の担当役員の部屋に行くときも、エレベータを使っている。 さすがに3階から下へ降りるときには、階段を使っているが。 彼には腹心とでもいうべき部下がひとりいるが、その部下自身は異常なまでに体重の増加を恐れるタイプで、毎日体重計にのっては一喜一憂している。 少しでも体重が増えると、ランニングの距離をふやす、そういうタイプ。 そんな肥満に対する露骨なまでのアレルギーを持つ部下をもちながらも、部長自身はいたって楽観的なのである。 不思議と健康診断で「減量しないと危ない」といった類いの宣告を受けることがないのをいいことに、絶対減量に取り組もうとしない。 「しんどい」から。 自然体といえば聞こえはいいが、イージー・ゴーイングといったほうが正しそうである。 そのイージーさは、彼の伴侶の選び方にはっきりあらわれている。 彼は社内結婚、それも同じ部署でいちばん手近なところにいた後輩女性社員と結婚している。 その奥さんの評判はといえば、彼女を知る社員どのひとに聞いても、 「Uさんの奥さんは、ブス。性格もよくない」 という答えが返ってくる。 さもありぬべし。 そのくせ、部下・後輩がちょっとよさげな女性、綺麗な女性と結婚したのを知ると、 「なんであの程度のオトコにいい嫁さんがくるんだ」 みたいな悪口を平気でいうのである。 自分がロクな女性と結婚できなかったからといって、他人にケチつけるなよ。 努力のかけらもしないくせして。 自覚なきデブU氏は、デブであることをのぞけば、そうルックスが悪いわけではない。いや、わりと正統派のオトコマエとさえいえる。 も少しまともな女を得たっておかしくはなかった。 だが、イージーな人間には、身近な不器量な女性に手を出すくらいしか、発想はないのである。 デブに「なる」のは「体質」の問題もあり、いちがいに当人が「悪い」わけではない。 だが、デブで「ありつづける」のは、明らかに本人の「努力の欠如」以外のなにものでもない。 それを自覚しない限り、デブはデブ以外のなにものにも変わりえないのである。 ... なぜオナゴはキムタクが好きか - 2002年04月24日(水) 雑誌アンアンの恒例の特集「好きな男、嫌いな男」で、SMAPの木村拓哉が9年連続「好きな男」の第一位に輝いたとか。 しかも二位に倍の差をつけて。 また「抱かれたい男」「結婚したい男」でも一位と、三冠を獲得したという。 結婚しようが、子供ができようが、相変わらずスゴい人気のようで。 (ちなみに「嫌いな男」の第一位は出川哲朗。哲ちゃんが一番キライだなんて、回答した女性ども、センス悪くないか? 男から見たら、そんなに嫌なヤツだとは思わない。多少声がでかすぎるとは思うが(笑)。もっと嫌なヤツは他にいるよ。) さて今回は、タイトルのように、なぜオナゴはキムタクが好きか?を考えてみたい。 キムタクはもちろん、男から見てもハンサムだなと思う。プロポーションはいいと思わないけど(笑)。 でも、顔がいいだけでは、もちろん、あのような超弩級の人気は獲得できない。 ハンサムということだけでは、彼に負けない芸能人は他にもいる。 僕が思うに、キムタクというひとは、不特定多数の女性にモテようという姿勢がまるでない。 つまり、ファン・サービスということをまったくしない。 それはもう、人気商売をやっているとはとても思えないくらい(笑)。 これは、新御三家、とくに西条秀樹や野口五郎などと比較すれば歴然としている。 二十代の人気まっさかりのころに、女性と堂々とつきあったり、あげくの果てに結婚したりするのは、アイドルという人気稼業では「自殺行為」である(…と長い間考えられてきた)。 だからヒデキもゴローも、いいかげんオッサンになってようやく結婚にふみきった。 しかし、そういう「独身であり続けること」で、人気を維持しようとしたところで、現実には彼らの人気は下がる一方だったから、ムダな抵抗ではあった。 ところが、キムタクというひとは、かなり若いうちからモデルの恋人がいることを明言していた。 多くの女性の支持を得たところで、しょせん、つきあえるのはひとりだけである以上、その恋人こそがいちばん大切だと考えていた。 たくさんのファンの気をひくことより、最終的にはひとりの最愛の女性のことを大事にする、そういう「非芸能人」的ないさぎよさ、そこにファンはひきつけられたのである。 ファンにとって、決して「都合のいい男」ではないのに。 二位の福山雅治も、けっこう「モテない、情けない時代のボク」をカミングアウトして、好感を得たけど、今はホンネを語るヤツのほうが強いといえそうだな。 (福山も、結婚しても人気が落ちないようなら、その魅力は「本物」といえるが、果たしてどうか?) あとは、「笑顔」だろうな。 キムタクは笑顔が実にいい。 大スターというものは、裕次郎や渡哲也が好例だが、例外なく笑顔がいいものだ。 ふだんは結構ゴーマンかましているし、愛想もそんなにいいとはいえないのに、キムタクがときおり見せる無防備な笑顔。 子供が母親にしか見せない笑顔という感じだ。 かなりキツイことを彼にいわれても、ゆるしちゃうだろうな、多くの女性は。 彼の「笑顔」は、年齢を問わず、すべての女性に有効な「切り札」だと思う。 要するに、天性のスターなのだ、彼は。 真似のしようがない。 当分、彼の天下は続くはず。タッキーでさえ、その牙城は当分崩せそうにない。 ... 嗜癖 O君の場合 - 2002年04月23日(火) О君は今年42才になる、独身男性である。 彼は超進学高校(某お笑いタレントの名前にゆかりがある、といえばバレバレか)から東大法学部に進んだという、バリバリの秀才。 見てくれも、いかにも理屈をあれこれこねそうな、学者風。 ところが、東大法を出ておきながら、中央官庁や銀行、商社などには行かず、かといって法曹畑にも行かず、ヤクザっぽいことで定評のある、僕の勤務先になぜか入社してきたという、相当な「変わり者」なのである。 入社約20年にして、いまだ独身なのには、もちろんワケがある。 彼は、シロートの女性を口説くことが出来ないのである。 いや、シロートだけならまだいい。 クロート(という言い方が適当かどうか異論はあるだろうが)、つまり酒場の女性も口説けないのである。 彼に関しては、ほんとうにエピソードにことかかない。 たとえば、家に何千本ものビデオがあり、それもAVなどではなく、一般映画のビデオだけで家中がうまっているとか。 蔵書数もハンパではなく、こちらも何千冊だとか。 でも、その程度の「ガイキチ」はざらにいるから、さほど驚くには当たらない。 が、彼の日頃の酒の飲みかたを知ると、こりゃあ相当ヤバいなと思われるに違いない。 平日、O君が夜酒場に寄らない日はまずないといってよい。 それもたいていは銀座か六本木。 もちろん、女性のいる、かなりお高めの店ばかりである。 そういう店へ、接待相手を連れて飲みに行くだけでなく、個人的に行くことも多い。 その飲み代は、今は管理職のはしくれなので、ほとんど全部請求書で落せるようになっているが、以前まだ役職がつかなかったころは、経費で落せる限度を上回った場合、自腹を切って飲むことも多かったらしい。 で、現金がないときはツケにしていたのだが、そのツケがたまりにたまって、1千万円を軽く越えていたとか…。 さすがに今は、酒場への借金はないようだが。 で、現在ひと月にどれくらいの金額を酒場に落すかというと、軽く100万円以上! 年にすれば1000万円を軽くオーバー! どう考えても常軌を逸している。 彼が現在所属している部署は、社の中でも、かなり交際接待費の予算が多いところなのだが、それでもО君のようなキチガイじみた使い方は、彼の上司ですら、しない。 上司も何度か注意し、一応「気をつけます」と本人も言ったという。 が、しばらくたつとまたぞろ酒場通いを始めてしまい、結局効果がまったくないという。 どうやら、О君の酒場通いはアルコール、ギャンブルなどへの依存症と同じく、「嗜癖(アディクション)」の一種で、気がつけば酒場をハシゴしていた、みたいに、本人の自制心ではどうにも抑えきれないもののようだ。 かといって、会社として、このままこの「狂人」を野放しにしておくわけにはいかない。 すでに管理部門では彼は「要注意人物」の筆頭にあげられており、そのうち、交際費などまったく使えないセクションに飛ばされるのではないかと、もっぱらのウワサである。 しかし、もし彼が経費で飲むことが出来ないようにしたところで、今度は毎日自腹で飲むようになるだけだという気がする。 全然、、根本的な解決策にはならないってことだ。 ところで、それほど、女性のつく酒場に行かないことには一日が終わらないという性格でありながら、おかしなことに彼は、酒場の女性を口説いたことがまるでないらしい。 一説によると、お店がひけたあとのホステスを、自分の住むマンションに連れこんだことはあったようだが、その時も、ふたりでビデオを観ながら、朝まで映画談義をしていただけ(!)らしい。 バカみたい、もったいないというより、やはり、ヘンである。 一種の心の病なのだろうな。 彼の「酒場通い」、は多くの遊び人連中とは違って、決して「楽しそう」な印象がない。 自分が本来来るべきでない「世界」に入ってしまった居心地の悪さを、酒場という「擬似コミュニティ」での時間でまぎらわしている、そういう印象が強いのである。 ともあれ、そんな彼をまっとうな生活に引き戻すには、「結婚」しかないのは間違いない。 だが、はてさて、そんな彼のことを引き受けるような奇特な女性がいるものだろうか? ... アンチ恋愛至上主義 - 2002年04月22日(月) これまで、というか三十代なかばで結婚するまで、ずいぶん数多くの女性のことを好きになったものの、僕は基本的には「恋愛至上主義者」ではない。 むしろアンチだ。 僕にとって一番理想的な恋愛のありようは、ドン・ジュアンのような、あるいは石田純一サンのような(笑)「死ぬまでさまざまな女性に恋し続ける」パターンとは正反対。 つまり、 「いっとう最初に理想そのものの女性と知り合い、彼女とだけ恋をしてすんなり結ばれ、その後はいっさい他の女性には恋をしない」 というのが、望ましいと思っている。 世の中には 「恋をすればするほど自分が磨かれていく」 なんて、お目出度い思想を持つひとが多いが、必ずしもそうはいかないのが現実。 ひとりひとりの人間が「エゴ」のかたまりであり、恋愛とはいってみれば「エゴ」と「エゴ」のぶつかりあいなのだから、そうキレイ事ですむわけがない。 昨日の日記に登場した女性たちのように、「恋をすればするほどボロボロになる」ということも少なからずあるのだ。 ならば、恋することによって経験するもろもろの「イヤな事」を出来るだけ味わうことなしに、一番最初に恋した女性とストレートに結ばれれば、どんなにか心安らかなことだろうと思ったのだ。 しかし、そういう願いもむなしく、現実の僕の恋愛は「失敗」の連続だった。 自分が本当に好きになった相手には、ほとんど全員に拒絶され、しかたなく、自分を相手にしてくれる女性と、不完全燃焼な「恋ともいえない恋」を繰り返すのが常であった。 ずっと「結婚」に興味がなかったのに、三十代になって結婚をしたのも、甲斐のない恋愛の繰り返しにある意味疲れて、 「結婚すれば恋愛のもろもろの駆け引き、ゴタゴタから解放されるだろう」 と思ったのが、実は大きい。 正直言って、「恋愛は楽しい」と思ったことはほとんどない。常に相手から値ぶみされ、選別されているように感じていた。 だから僕は、恋愛至上主義者ではまったくない、そういうことである。 「恋愛なんてやめておけ」という題の本が、著者は松田道雄氏であったか、書かれていたように思うが、まさにこのタイトルはわが意を得たりという感じだった。 一生に一度だけ、本物の恋をすれば、ほんとうはいいのだ。 ニセモノの恋の繰り返し、これはひとをダメにする。 しかし、そうはいっても、本物の恋であるか、相手がほんとうに自分にとっての「運命のひと」なのか、それは相手と恋をしてみないことにはわからない。 なんとも皮肉なことだが。 かくして、多くのひとびとは、数多くのムダな恋を繰り返すはめに陥るのである。ああ…。 ... 美人はトクか、ソンか - 2002年04月21日(日) 先日、「結婚したいひとへ」の中で、「けっこう魅力的であるにもかかわらず、結婚できないひとが多数いる」と書いたが、僕の周囲の例を見ていくと、何人か そういうひとがいる。 たとえば、以前登場した、キス好きなAさんも、四十代ながらいまだに結婚できないでいる。 彼女の場合、美人であるだけでなく、やたら色っぽいということが、災いしているタイプ。 いわゆる「オンナタラシ」に狙われやすいのである。 彼女はこれまでずっと、美しい女を何人「落した」かを自慢するようなヤツらの、格好の餌食になってしまっている。 そういうタイプの男性にばかり接近されていると、誠実な独身男性は、あえて彼女に手を出さなくなる。 そうして、気がついた時には年をとり、周りに自分にふさわしい年格好の男性がいなくなっていたりする。 「美しく生まれること」は、必ずしも身の幸いではないことが、彼女のケースを見ていると、よくわかる。 同じく端正な美人タイプのMさんも、四十代半ばにしていまだ独身。 周囲に女好きな上司が多く、そのひとり(もちろん妻子持ち)に遊ばれてしまった。 まともな男性と付き合う前にいいかげんな男性と深く付き合ってしまい、すっかり男性不信に。 独身男性が交際を申し込んでも、拒むようになり、そのせいで、「彼女はレズ」なんて、あらぬ噂すら立てられてしまった。 まさに、ふんだりけったり。 これも以前に登場した、バツイチの彼女も、離婚十年後のいまも再婚しないでいるが、彼女についても同様のことがいえそうだ。 彼女の場合は、最初の夫がひどすぎた。 最初は、可憐な彼女をアイドルのように崇め奉っておきながら、適当な遊び相手が見つかると、彼女への忠誠心をすっかり捨てて、不倫の快楽に溺れた。 離婚後も、言い寄ってくる男性にはことかかない。 が、彼女がもう二度と結婚したくないと思ったとしても、不思議はない。 彼女もまた、魅力的であるがゆえに災いに遭ったということだ。 モテるというのも、世間が思っているほどいいことずくめではなく、実際はそうとう不幸なことかもしれない。 「害虫」「毒虫」のようなものまで、広くひきつけるということに他ならないのだから。 ... パラサイトなK君の場合 - 2002年04月20日(土) K君は今年39才になる独身男性である。 彼はいまだに両親と一緒に暮している、いわゆる「パラサイト・シングル」。 彼にはいつも付き合っている女性がいるのに、いまだに結婚できない。 K君の見てくれは「並の中」といったところ。 TMネットワークのメンバー、一番ルックスの●●な木根尚登にわりと似ている。 背は平均より少し高いくらい。 中肉だが、おなかが出やすい体質のようなので、ときどきダイエットに励んでいる。 学歴としては横浜国立大の経済を出ている。 年収は、同学の連中とくらべても、たぶんトップクラスに入るだろう。もちろん、大台(一千万)は越えている。 趣味はドライブ。ポルシェとかに乗っているらしい。 ご両親はふたりとも、教育者。けっこう、真面目な家庭に育ったのである。 普通、この程度カードが揃っていれば、簡単に結婚くらい出来そうなものだが、彼の場合、ちょっと女性の好みに問題があるのだ。 彼いわく、「ぼくは(彼の場合、ほとんどオレとはいわない)ちょっと変わった子でないとダメなんですよー」。 この「変わった子」というのは、オタク系とかやおい系とかそっち方面の「変わった子」ということではない。 言い換えるなら、「トッポい子」が好き。 つまり、元ヤンキーみたいな、化粧もカッコも、派手というかケバい女性が好き。 尻が軽くて、遊び好き、ノリだけはいい、なんてのがサイコー。 知性的な感じの、まじめでおとなしい子はノーサンキューということなのだ。 たまに周囲の人間が、まじめで感じのいい女性を紹介しようとしても、話を断ってしまう。 見合いとかの話も結構来るそうなのだが、一切受けない。 で、ナンパやら合コンやら、そういう軽い知り合い方でひっかけた女性とばかり付き合っている。 土日にはほとんど家にいようとせず、ドライブばかりしている。 親と同居しているくせに、家事の手伝いなんか、絶対しない。 だから、彼の食事等の世話はいまだに母親がやっている。 彼には数才下の弟がひとりいて、そちらはとうの昔に結婚、子供もいる。 弟は国立大を出た歯科医である。 彼は、実は、弟に大いにコンプレックスを感じつつ、育って来た。 勉強はもちろん、弟のほうがよく出来た。 K君はもともと「マンモス大学」として有名な某私立大の付属高校に通っていてた。 そこはいわゆるヤンキー、不良が多く、彼もそういうひとりであった。 大学もそのまま上にあがったのだが、遊びすぎて単位が足りず、下手すると除籍処分か?というところまでいってしまったらしい。 ここで、一か八か、伸るか反るかとばかり、横浜国大を受験し直す。 本来の彼の実力ではとても入れそうになかったのに、ラッキーにもヤマが当たって、合格。 これでやっとカッコがついたということである。 就職のほうも、大学に対する信頼度に助けられ、お調子者の性格がいいほうに作用して(バブル全盛期で求人が多かったこともあるな)、面接ではわりと好感度が高く、高収入の仕事に着く。 しかし、仕事ぶりは、これまでの人生で推測できるように、「手抜き」そのもの。 おまけに、ろくに本を読んでないのがバレバレで、後輩からも内心バカにされる始末。 それでも、虚勢を張って、「ぼくは横国も出ているし、バカじゃない」と口をとがらせるさまは、「ガキっぽい」の一語であった。 そんな彼も、社会人になって、早十三年。 「手抜き」と「お調子」だけの仕事ぶりは相変わらずだが、いまさら四十近い人間に何を言っても変わるめえと、周囲も意見するのをあきらめて、見放している状態。 結局、彼が頭の悪そうな女性ばかり追いかけているのは、頭のいい女性だったら自分の頭の悪さを見透かされるんじゃないかという「コンプレックス」から来ているのは、間違いないだろう。 でも、頭や家庭環境の悪い女性などと、結婚なんかしたってロクなことはない。 教養のあるキミのご両親と、そんな元ヤンの嫁が合うわけもないだろ。 真面目な家庭に育っただけに、本来のK君はおひとよしで、優しく、結構愛すべき性格だと思うのだが、ただ一点、「くだらない虚勢を張る」姿勢のために、台無しになっている。 早く「おのれ」を知って、自分が愚かであることを素直に認めたほうがいい。 そうすれば、おのずと、仕事でも恋愛でも、道が開けてくるはずだ。 そうはいっても、四十近い人間が、いまさら変わりようもないか(溜息)。 バカなのに、妙にプライドの高い人間、これが一番度しがたい。 ... 結婚したいひとへ(下) - 2002年04月19日(金) 猛烈アタックも、駆け引きも苦手、でもどうしても結婚したいというひとはどうしたらいいのかが、前回の宿題であった。 かなり難しい相談だが、手はないわけではない。 ただ、ひとつ覚悟していただきたいことがある。 その結婚した相手が、たとえ「魅力的」な異性でなくても、それは文句がいえないということだ。 よく見かけるのだが、あまりモテたことがなく、当然恋愛結婚とかとても出来ず、見合いで何とか結婚できた手合いに限って、相手に対する感謝の念がなく、「自分はなんであんなさえないひとと結婚しているんだろう」などと愚痴をいうものである。 これは、天にツバを吐くような行為としか思えない。 ひどい例になると、それを理由に、好き勝手に浮気したりするようなひとまでいる。 たとえ相手がブス・ブオトコであったとしても、「結婚してくれた」相手に感謝こそすれ、悪く言う資格などありはしない。 「結婚」を承諾してくれたのはそのひとだけだった以上、そのひとはあなたの「救世主」なのである。 モテないくせに、ひと一倍高いあなたのプライドを、そのひとは「立てて」くれたのだから。 もし、そのひとにさえOKをもらえなくて、四十、五十を過ぎてもなお独身でいたならば、プライドどころの話ではないだろう。 これもよくあるケースだが、どう見ても異性の関心を引くような何かをもっていないのに、たまたまひとりの異性と付き合うチャンスに恵まれ、そのひとから求婚されたので、特にことわることなくOKしたというタイプのひとに限って、「早く結婚して失敗した。もしかしたら、もっといいひとと結婚できたかも知れない」などと本気で思っていたりする。 いいかげんに自分がどの程度のものか、自覚しなさいっての。 まず、自分の「分(ぶん)」を知りなさい、ということです。 さて、迂回してしまったが、何が言いたいかというと、結婚すること自体が目標である以上、結婚によって手に入れた「配偶者」の質について、どうこう言うなということである。 それをふまえた上での、宿題の解答は、 「遊び相手・恋愛相手でなく、結婚相手を欲しているひとを、紹介してもらいなさい」 ということ。 いわゆる見合いでもいいし、結婚紹介所でもいいし、もちろん友人のつてでもいい。 「現在恋人がいない」ということだけは、はっきりしてないとダメ。 でも、それ以上、あまり細かい注文をつけるのは、相手に気の毒だ。 モテないのはおたがいさまなのだから、その容姿や年収などは、そこそこであればよしとすべし。 僕の知っている女性に、容姿は決してよいとはいえないが、わりと早く、見合いで幸せな結婚ができたひとがいた。 彼女の口ぐせは「こんなブスな私でももらってくれて、本当にありがたいわ」であった。 なんとまあ麗しい「感謝の精神」。 まさにその心がけこそが、彼女に幸福な現在をもたらしたのだと思うが、いかがであろうか。 ... 占いもたまには当たる - 2002年04月18日(木) 朝見た「やじうまワイド」の占いでは、僕の星座がきょう最高の運勢だと言っていた。 もちろん、そんなことぐらいで何か特別のことを期待するような僕ではないのだが、夜、4月5日の項で書いた酒場に、13日ぶりで行った。 もちろん、5日のときに席についた「天然」系の子を指名して、しばらく他愛ない話をしながら、飲んでいた。 そのうち団体客がやって来て、彼女はその席に行かされたのだが、かわりにやってきたのが、なんと、先日やめたはずの野村佑香似の女の子。 「どうしたの!?」 と聞いてみたところ、3月末に昼間の仕事が見つかって、一応就職できたそうなのだ。 その仕事で忙しくなって夜のバイトは無理なのではないかと、とりあえず店のほうをやめたという。 だが、しばらく仕事をしてみると、ちゃんと定時で終わるようなので、生活費をふやすためにも、店に戻ることにしたのだそうだ。 何にしても、もう一度会えてよかったと、祝杯を上げる。(彼女は水だが。) 以前は聞かずじまいだった彼女のメールアドレスも聴く。 これで、また店をやめたりしても連絡がつくようになり、ひと安心。 彼女のように、話をして面白いと思う女性はめったにいないので、また会えたということは、実にラッキー。(店のマネージャーも、以前彼女を指名したのを覚えていて、つけてくれたわけではないようだ。これもラッキー。) 彼女の「仕切り」や「ツッコミ」を再び受けることができて、本当に楽しい。 「占いもたまには当たるもんだ」と、思った次第。 ... 結婚したいひとへ(中) - 2002年04月17日(水) 前回、 「(相手に)つきあってくれといわれたら、つきあう」 「結婚してくれといわれたら、結婚する」 こうすれば結婚できると書いたが、もちろん、現実はそう単純にことが運ぶものではないとは思う。 「つきあってくれと言ってくれるひとがいない」という気の毒なひともいるだろうし。 「つきあってくれと言ってくれるひとには、ひとりも好みのひとがいません」という、ワガママなひともいることだろう。 そういう場合はどうするか。 一つは、「自分からつきあってくれと言う」という手が、ある。 これは女性には、まだまだ抵抗があるかと思う。 でも、きょうびの男性は、結構「受け身」のひとが多い。 ヴァレンタインに女性から何かもらうまでは、自分から何も動けないタイプは、意外に多いのである。 自分から女性にどんどんアタックしていく「自信過剰型」の男性には、この手はまず無効だろう。 が、相手が自分に好意を持っていることを確認するまでアタックできないような、押しの弱い男性には十分有効なはずだ。 「蓼食う虫」で書いた、ハンサムなミュージシャンと結婚した女性などは、まさにこの手で彼をゲットしたといえる。 この手を行使する場合大切なのは、「強気」で行くこと。 彼がいくらハンサムな男性、高嶺の花のような男性であっても、「自分は彼にふさわしくないかもしれない」「他のきれいな女性のほうが彼にふさわしいかもしれない」と思ったら、負けである。 あくまで「強気」で行くしかない。 そして、必ず、ことばに出して相手に求愛すること。相手に「以心伝心」を求めてはいけない。 もちろん、押せば必ずどうにかなるという保証があるわけではない。 が、なにもせずに向こうが求婚しているのを待っているよりは、何十倍も目があるはずだ。 そして、ダメだったときは、あっさり引き下がる。深追いして、いい結果はひとつも得られない。 そんな露骨な「押し」はイヤだ、というかたには、もっと高等で、演技力を要求される戦術しか残されていない。 それは「押し」と「引き」をたくみに使いわける戦術だ。 最初は相手の男性に対し、大いに気があるように見せる。 でも、相手がその気になってにじり寄ってきたら、ひらりと体をかわす。 そして、相手がめげたようであれば、また誘いをかけ、でも簡単には心をゆるさず、また相手を拒否し、かく乱する。 それを、うまく繰り返し、そのうちに完全に自分のペースに引き入れるのである。 これがいわゆる「恋の駆け引き」。 これはどう考えても誰にでも出来る芸当ではない。 おまけに、相手がすぐに凹んであなたのことをあきらめ、もっとくみしやすい女性のほうに向いてしまうような「根性なし」な男性であった場合、駆け引きそのものが成立しない可能性が大きい。 わが国のように、恋愛文化が未成熟な国では、男性も女性も、こういう駆け引きはなかなか成立しそうにないな。 さて、そのいずれもとても私は出来ません、でも結婚はしたいのです、というひとはどうすればいいのか。 その難問には、次回でお答えしたいと思う。 ... 結婚したいひとへ(上) - 2002年04月16日(火) 世の中、結婚に関する書物、とくに「どうすれば結婚できるのか」というテーマについての本は実に多数書かれている。 そして、時代にかかわらず、よく売れる。 そういう本が現在もよく売れ続けているということは、世の中には、「ああ、どうして自分は結婚できないのだろう」と悩んでいるひとがいかに多いかの証拠だと思う。 でも、言わせていただければ、結婚なんて、別にむずかしいことではない。 だって、たったひとり、相手を見つければいいのだから。 ふたりも、三人も見つけろという話ではないのだ。 学校でいい成績をおさめたり、社会でいい仕事をすることの困難さにくらべれば、どうってことない話だ。 もし、結婚が有名大学受験なみに難しいことだったら、男女の大半はなかなか結婚出来ず、世界の人口はどんどん減る一方だろう。 が、現実には、(国にもよるが)過半数、いや八割以上の人間は普通結婚している。 そう、結婚は「誰にでも出来る」ことなのだ。 あなたの周囲にだっておおぜいいるだろう、男女を問わず、全然魅力なんかないのに、ちゃんと配偶者のいるひとが。 彼らがすごく努力して結婚にこぎつけたようには思えないし、彼らがなぜ結婚できたのか、悩んでいるひとには不思議だろうが。 でも、彼らだって、ある「ルール」にのっとったからこそ、結婚できたのである。 それは、何か。 僕が考えるには、こうだ。 「(相手に)つきあってくれといわれたら、つきあう」 「結婚してくれといわれたら、結婚する」 世の中、これが出来ないから、悩んでいるひとが多いのかも知れないが、このハードルを越えられない限り、たぶんそのひとは「一生」結婚できない。 けっこう魅力的であるにもかかわらず、結婚できないひとが多数いる。 彼らは、言ってみれば、放っておけば「見送り」を繰り返す人種なのだと思う。 今のひとより、もしかしたらもっといいひとが将来現れて、自分を好きになってくれるかも知れない…なんてことを考えてしまうのだろう。 しかしそんなことでは絶対、今求婚してくれた人に「OK」を出せるわけがない。 そんな「見送りの三振」パターンを死ぬまで繰り返したいなら、していればいい。 そのかわり、潔く、結婚は諦めなさい。 結婚したいのなら、とにかく、バットを振る以外に、手はないのである。 (この項、続く) ... 蓼食う虫 - 2002年04月14日(日) 女性から口説かれるのを待つばかりの男性が増えたとはいえ、まだまだ世間の大勢は、男性=能動的、女性=受動的であることに変わりはない。 男性が、気にいった女性にアタックするのが、一般的パターンということだ。 ふつう、男性が狙うのは、他の男性に対しても自慢できるような女性、つまり若くて美しい女性だろう。 しかし、ときには、その原則を大幅にはずすような、変わった「趣味」のひともいる。 それが、結構女性にモテそうなタイプのひとに限ってそうだから、驚く。 例1:会社の先輩、Dさん ●●社(僕の勤務先)のジュリーとよばれていたDさん。 (ジュリーとはもちろん、沢田研二のこと。今のデブデブなジュリーではもちろんなくて、20年以上前のやせていたころのジュリーに似ていた。「スリムな坂本龍一」という評もあった。ま、そういう、女殺しの顔立ちをしていたのである。) 彼の結婚披露パーティで、奥さんとなった女性を見て、あっと驚いた。 どう見ても、昔のイルカか、今のTARAKOみたいなタイプ。 顔は地味で目鼻はどこについているかわからず、背はあくまでも低く、プロポーションなんて言葉を使いたくないような丸まっちい体型。 なぜ、このような女性がいいのか、僕にはさっぱり判らなかった。 彼が女性にモテそうもないタイプなら、まだ納得もいったが、社内の女性社員の注目度も高いDさんがなんで「ちびまるこ」みたいな女性と…と僕だけでなく、みんな驚いたものだ。 例2:知り合いの女性、Eさんと結婚したミュージシャン、Fさん Eさんは、音楽好きで陽気、活発な女性だが、お世辞にもみめうるわしいとはいえなかった。 地黒で目が細く、団子鼻。体もとてもスリムとはいいがたい、いわゆる太目さん。 そんな外見上はハンデだらけの彼女なのに、不思議とハンサムな彼氏に縁があった。 Fさんと知り合う前の彼も、アマチュアではあったが腕のいいサックス吹きの男性で、小柄ながらなかなかの男前だった。 彼女の周囲の女性も、(はっきりいって自分たちより容姿では劣る)Eさんに、なぜ素敵な彼氏がいるのか不思議がっていた。 Eさんは結局、そのサックス吹きの男性とは別れたのだが、その後、また別のハンサムな男性、Fさんと知り合い、今度は結婚までいってしまう。 Fさんはプロのジャズ・ミュージシャンで、ギタリストという。 そのふたりの間に生まれた男の子がまた、父親に似てこのうえなく可愛い顔立ちをしていて、周囲のやっかみをかっている。 まあ、結局は彼女の押しの強さに負けたんだろうと、みんな思っているのだが、それにしても、彼らの「美意識」は一体どうなっているのだろうか? 例3:商社マン、G君 僕と中学・高校で同学年だったG君、彼は学校での仲間たちの大半が奥手で、あまりGFの容姿にこだわらないひとが多かった中、どちらかといえば「俗っぽい」男だった。 大学進学でも、おおかたの連中が、どこか垢抜けない某有名国立大学や某有名私立大学に進んだのに対し、彼らがまず選ばない横浜国立大に行ったり、そこから大手商社のM社に入ったりと、ちょっと異彩を放っていた。 趣味は中学以来のスキー。なかなかの腕前だった。 顔立ちも、なかなかハンサム。本人もある程度それを意識していたようで、学年一のハンサムといわれていたH君には、いつもライヴァル心を燃やしていたくらいだ。 そんな鼻息の荒い彼だから、当然、奥さんはもの凄い美人を選ぶに違いないとばかり思っていたのだが、たまたま奥さんのお顔を拝見する機会があった。 ごくごく地味で、ふつうの顔立ちのひとだった。 同級生が美人の奥さんをもらったと聞いては、妙に発奮していたG君の奥さんとはとても思えなかった。 世の中、よくわからないね、まったく。 ... 偽善 - 2002年04月12日(金) 今日は色恋ネタじゃないんだけど、どうしても一言いっておきたい話題なので、あえて書くことにしたい。 今朝のスポーツ新聞各紙を読んだかたならご存じだと思うが、ダイエーの新人投手、寺原隼人選手(18)が、某写真週刊誌に飲酒したことをすっぱ抜かれて、本人も事実と認めたため、球団側は厳重注意処分としたという。 このために、しばらく一軍昇格も見送りか?なんて下馬評もある。 このニュースを聞いて、その写真週刊誌の報道は、「偽善」そのものだなと僕は思った。 一般ピープルなら、ふつう高校を卒業して、就職するなり大学へ進学するなりしたら、飲酒はもう暗黙の了解事項だろう。 18〜9歳の若者で、自分ははたちになるまで絶対飲酒しないというヤツが、どれほどいるというのだ。 もしその写真週刊誌の、その記事を世に送り出したスタッフ全員が、 「自分ははたちになるまで法律を守って、アルコールを一切口にしたことはありませんでした」 と誓える(変わり者)なら、今回の報道は認めてもいい。 が、おそらくそういうはずはない。 高校を卒業してからは、平気で飲酒していた人間が大半のはずだ。 そういう人間が、自分はマスコミにマークされることのない立場であるのをいいことに、有名人のそういう(一般ピープルにしてみればごく普通の)行動を、こそこそと隠し撮りなどして、あげつらう。 さも自分たちは法を一度も破ったことのない、正義漢のような顔をして。 これを「偽善」といわずして、何と言うのだろう。 そしてさらに言えば「不粋」のきわみでもあるし、「卑しい」行為ともいえる。 昔、花柳界に出入りする遊び人たちには、ちゃんと行動美学があって、他の客の情報を一切口外しないという規範をきちんと守っていたという。 自分がそういうことをされたらイヤだなと思うことはしない、それが「粋」というものだ。 今のマスコミには、そんな心意気はまるで感じられない。 球団側も、今回の記事が出て困ったことだろう。 まさか「18にもなれば飲酒ぐらい普通するだろ」というホンネを言うわけにはいかないから、とりあえず本人に注意するだろうが、どうせ寺原が普段飲酒していることぐらい判っていただろうから、その注意だって力が入るわけがない(笑)。 マスコミは、こういったスキャンダル(というほどのものでもないと思うが)報道をするのは単に読者に雑誌を買わせたいからにもかかわらず、「世のため人のため」みたいな「勿体」を平気でつける。 だが、「正義」をふりかざしてはいても、ホンネはすべて、カネ、カネ、カネである。 大きな「悪」も許せないが、こういう「偽善」も同じくらい許しがたいと思うね。 ... ラヴ・チャイルド - 2002年04月09日(火) 以前に「スキャンダル」の項で書いた女性が、先日産休に入っていたかと思うと、翌週にはもう子供を出産していた。男の子であった。 一応、会社からはなにがしかのお祝い金が出たが、当然ながら、社内報にはそのニュースは載らない。 まだ、相手の男性と、その奥さんとの離婚が成立していないからだ。 おおっぴらには祝福できない出生。 生まれた子供には何の罪もないのに、気の毒な話だ。 現時点においては、彼は「私生児」と呼ばれざるをえないが、実にイヤな響きの言葉だな。 英語では、ラヴ・チャイルドという。 まだ、この方が救いが感じられるので、こちらを使うことにする。 よく考えてみるに、その女性には、僕の古くからの女友だちのように、愛の子=ラヴ・チャイルドであるわが息子を、男性に頼らずひとりで育てていくという選択肢はなかったのであろうか。 というより、本当に「産む」という選択肢を取るべきだったのだろうか。 多分彼女は、「今日は安全日だから」とか言って、男性を安心させておいてから、ことに及んだのではなかろうか。 そうは言わなかったとしても、少なくとも、「今日は危険日だから」とは言わなかったはずだ。 子供が出来るかもしれないとわかっていて、避妊をせずに愛人を抱く男性は、ふつういない。 その彼女の行動は、結局、相手をあざむいたことにはならないのか。 そうやって相手にとって予想外の妊娠をすることで、いつまでたっても奥さんと別れそうにない男性に対して「ゆさぶり」をかけたのではないのか。 もしそうなら、僕は彼女の行動に決して好意的な見方は出来ない。 彼女は彼との関係を「不義」から「世間公認のもの」に変えるために、「妊娠・出産」を利用したといえるのではないだろうか。 だとしたら、彼女の行動に、非常に利己的なものを感じる。 自分がことを有利に運ぶために、子供すら利用する、そんな匂いさえ、僕は感じる。イヤだな。 その一方、男性がこのまま離婚への交渉を続けていても、妻と決裂する可能性は大いにある。 夫の不実を許さず、ただちに離婚を請求する妻もいれば、むしろ逆に「死ぬまで離婚は認めない」という考え方の妻もいる。 下手すると、子供を産んだ彼女は「幸福な家庭」を崩壊させた元凶として、多額の賠償を要求され、かつその男性との結婚も出来ず、子供もずっと私生児のまま、という結果が待っているかも知れない。 そんな最悪な、というひとがいるかも知れないが、十分ありうる話だ。 そして「最悪」といえば、夫に裏切られた妻にとってみれば、この現状そのものが「最悪」にほかならない。 夫との離婚を承諾すれば、その後はどうなるかといえば、夫は古女房よりは若い妻とラブラブな人生を送ることが可能になるのだ。 こんなこと、いくら高い慰謝料をもらったところで、ゆるしたくないと思う女性がいたって、不思議ではない。 今後の彼ら、一体どうなるのだろうか。 ... 別れと出会い - 2002年04月05日(金) 最近、ときどき飲みに行く酒場がある。 会社からは電車で5駅とほどよく離れたところにあるその店は、ホステスの女の子を指名出来るシステムの店なのだが、ひとりお気に入りの子がいて、何回か指名していた。 彼女は顔立ちが元祖チャイドル・野村佑香に少し似ていて、22歳くらい。 この3月、某理科系の大学を卒業したという。 ところが、この不況下でいまだに就職先が見つからず、そういう水商売のアルバイトでとりあえず食いつないでいる状態らしい。 僕が気に入ったのは、彼女がなかなか頭の回転が速く、話していて面白いという点。 年齢的にはダブル・スコアである僕に対しても、まったくものおじするところがなく、「来週私の卒業式だけど、見に来る?」なんて、ドッキリするような発言もさらりとする度胸のよさも持ち合わせていた。 しかも二回目くらいで、僕の外側からの印象だけで、出身大学までピタッと当ててしまった。これには驚いた。 一種のタレント性がある。 これはただの事務系OLなどになるには、もったいない子だなと思っていた。 僕は女の子を指名出来る店に行っても、まず決まった子を呼んだりしないのだが、彼女だけは別だった。 で、今月に入って初めて、何週間かぶりに店に行ってみたのだが、店の黒服氏に名前を告げると、急に「アイタタ」という表情になった。 先日、やめてしまったというのだ。 やはり、就職活動に本腰を入れるためだろうか。 それを聞いて、一瞬、店を出ようかとも思ったが、だからといって、他に行くあてもない。 ここはとりあえず指名せずに、店がつけてくれる女の子に期待をかけることにして、そのまま席に着いた。 最初ついた子は、実は前にもついたことのある子だった。 スリムでそこそこの美形。でも、話がいまひとつはずまない相手だった。 何と言うのか、話に共通項が見出せないタイプ。 今日も、以前と同様、どうでもいいような世間話を続ける。 あー、ついてないなーと思ったら、他からご指名がかかったようで彼女は席をたつ。 かわりに来たのは、なかなか長身で大柄、豊満な感じの子だった。 年はわりと若そう。松たか子を、色白かつもう少し庶民的にしたような顔立ちだ。 しかも、最初からやたら笑顔、笑顔、笑顔状態。 僕は別にグラマーな子が好きなわけではなかったが、彼女はアタリだな、と思った。 お客に変に警戒心を抱いてないのが、気に入ったのである。 余談だが、水商売に向いているタイプというのがあるとすれば、うんと賢い子か、うんと脳天気な子である。 中途ハンパに賢いとか、中途ハンパに明るいのじゃダメ。 イチローか、新庄かというくらい、徹底してないと。 彼女は、まさにその後者の典型であった。 幸い、彼女の出身地がたまたま僕のルーツと同じだったということもあり、まずは地縁的な話で盛り上がり、次は、初対面のホステスに対しては常套作戦なのだが、僕の職業当てクイズをやる。 これが、まあ、見事に当たらない(笑)。 もう、これだけヒントを出して普通はずすか!というくらい。 相当、天然ボケなのがよくわかったが、それもまた悪くない。 初対面でも、メールアドレスだけでなく、携帯の番号まで教えてくれるような、キップのよさがまた気に入る。 最後は僕も相当酔っぱらって、店を出ようとする時足元がふらついているのを見て、本気で心配してくれた。いや、いい性格である(笑)。 以前指名していた女の子がやめたのは大変残念ではあったが、まあ、今度の子もなかなかのもの。 ひとつの縁が切れてしまっても、ちゃんと次の縁が用意されているとは、世の中もよく出来ているものだと、ひさびさに気分をよくしたのである。 ... 読み違い - 2002年04月04日(木) こんなハズじゃなかった、ということは世の中、ざらにある。 いわゆる、「読み違い」というヤツである。 C君の場合。 彼はキャリアバリバリ、みたいなひとつ年上の女性と結婚した。ちなみに社内結婚。 そのとき彼は30歳、彼女は31歳くらいだった。 彼女は、ブランドもののスーツが似合う、ゴージャス系美人。 生活感をまったく匂わせないひとで(というか、ずっと親と同居していたこともあって、家事なんか絶対しそうにないひとで)、そんなのをよくヨメにもらう気になったな〜とは思ったが、まあ蓼食う虫も好き好きだからと、僕は静観していた。 彼としては、家事がまったくダメでも、ヨメを再教育してやる!くらいの「読み」だったに違いあるまい。 しかし、現実はそうは甘くなかった。 彼女は結婚した後も、自分の営業の仕事を最優先させて、平日はまず早い時間に家に帰ることはない。 というか、ほとんど毎日午前様。 たいていは、お得意の接待で酒も入って、酔っぱらってご帰宅あそばすのである。 一方、彼はヒマを絵に書いたような管理部門のセクションにいるので、残業はほとんどなし。 まっすぐ家に帰ると、ヨメが帰ってくるまで、6〜7時間、ひとりで過ごさないといけない。 当然、メシも自分で作らないといけない。 彼も結婚前はずっと親と同居していたから、家事が得意だったわけではないのだが、イヤでもやらざるをえない。 休日はどうかというと(これはあくまでも外野からの推測だが)、彼女はおそらく家事だってろくにせず、寝てばかりいたのではないだろうか。 そんな状況が十年近くも続く。 C君はじっと我慢していたが、あるとき、ヨメが社内不倫をしているとの噂を聞き、ついに離婚を請求しようと決意する。 しかし、ヨメはまったく浮気の事実を認めようとはしない。 離婚を求められるいわれなどない、というわけである。 そんな状態に業を煮やしたC君、そちらが浮気してないというなら、こちらが浮気すれば別れられるだろ!とばかり、社内の女性社員(それもこともあろうに、普段からヨメと組んで仕事をすることの多い後輩女性社員)と付き合ってしまった。 そして、当然のように、不倫発覚。 かくして、彼は(望み通り?)離婚をすることとなる。 しかも、彼女に多大なる代償を払って。(結婚後に彼が購入したマンションは、彼女のものとなった)。 そうまでして、別れたかったという彼の気持ちは、他人にはよく理解できないが、とにかく、彼は十年以上に及ぶ婚姻関係を解消し、では付き合っていた後輩社員と再婚したのかというとさにあらず、別れてから数年たった今も、独身のままである。 まあ、再婚するしないは彼の自由なのだが、そんなことなら、最初っから結婚などしないほうが良かったんじゃないの?というのが、おおかたの周囲の意見。 男女を問わず、30にもなった人間を、自分の望むようなタイプに再教育できるだろう、などと読んだことが、すべての間違いの始まり。そう思う。 人間、現在見たままの彼(彼女)よりダメな人間であったと判ることはあったとしても、将来今よりマシに なることは、断じてない。 たとえあなたが、スゴ腕の教師であったとしても、だ。 そのへん良く考えて、相手を選ばんとね。 ... リスク - 2002年04月03日(水) 昨日までの日記を読まれたかたは、僕が「不倫」に対して全面的に否定的な考え方をしていると思われたかも知れない。 でも、実はそうではない。 人間というものは、「誤謬」する生き物だと思う。 あるとき、これが正しい選択だと思ってやったことが、後日間違っていたと気づくというケースはいっぱいある。 「伴侶の選択」、しかり。 どんな人間も、自分の人生に関しては、結局ひとよがりな決断しか出来ないものである。 ことに若いうちはそうだ。 だから、結婚してしばらくしてから、やはりこの相手を結婚したのは間違いだったと思うようになったとしても、無理からぬことではある。 そういう意味で、人生をやり直すために、最初の伴侶と別れて、別の相手と一緒になるという行動は否定しない。 しかし、そのつもりもなく、ただただ「火遊び」「つまみ食い」に過ぎない行動を、「恋愛」の名のもとに美化するようなタイプの「不倫」は、愚行以外のなにものではないと思う。 ことに、不倫相手に対して、「妻とは別れる」などと言って期待させておきながら、その実、まったく妻と別れる気のないような行為、これは妻同様、愛人さえもあざむく卑劣なことだと思う。 そんな二重の不実をするくらいなら、最初から「君とは遊びでしかないから」と宣言して始めればまだゆるされるのに。そう思う。 (が、現実には、そう言ってしまうと、相手にされないという危惧から、見え透いた嘘をつくヤカラが多いのである。) 取り引き先の会社に、Bさんという男性がいた。 彼は、妙に人なつっこい感じの、陽性のひとだったが、仕事を一緒に続けるうちに、彼が、なかなかいわく因縁のある家庭に育ったことを知るようになった。 彼の父親は、有名な作曲家だった。 おもにポップス系の歌謡曲を数多く作曲し、いくつものミュージカルも手がけ、その代表曲は音楽の教科書にも載っている…といえば、これをお読みの皆さんにも、おおかた察しはつくであろう。そういう超有名なコンポーザーであった。 しかし、Bさんに聞くと、父親とは一緒に住んでおらず、母親とだけ同居しているという。 その事情が、そのうちはっきりしてくる。 Bさんの父親は(実はもう故人であるが)、生涯に五回くらい(正確にはよくわからない)、結婚したひとだそうなのである。 つまり、何度も結婚と離婚を繰り返したということだが、新しい女性とデキてしまい、離婚するたびに、ヒット曲で稼いで買った家を妻子に明け渡し、しかも、生活費・養育費もずっと各家庭に払いつづけたという。 なんという、潔さ。 そのくらいの負担をしょいこむ覚悟なくして、浮気だの離婚だのをしてはいけないのである。 きょうびは、男女平等やら、女性の自立だのなんだのと言い訳をして、離婚にあたってろくに別れた妻や子に生活費を払わない男性が多いようだが、少しは彼の「別れの美学」を見習っていただきたい。 そういえば、鞍馬天狗役で一世を風靡した嵐寛寿郎さんも、何度も結婚と離婚を繰り返し、そのたびにすってんてんになっていたと聞いたことがある。 その心意気や、よし。 そういう行動をアホらしいと思う人間は、昨日登場した、ケチくさい「つまみ食い男」と同類項だと僕は思っている。 リスクを背負う覚悟のないイージーな不倫だけは、絶対認めるものか。 ... つまみ食い - 2002年04月02日(火) 昨日の日記でおわかりいただけたと思うが、うちの会社は「社内不倫」にかなり寛容なようである。 どうも、社内の女性社員に手を出し、モノにしたことを自慢のタネにするようなヤカラが多い上に、そいつらをうらやましがるバカが多いのである。 不倫歴が「武勇伝」となっているなんて、なんとも情けない。 不倫といえば聞こえはいいが、要するに「つまみ食い」。 つまみ食いを自慢するやつも自慢するヤツなら、自分では出来ないからそれをうらやむヤツもうらやむヤツである。 ひとり、その「つまみ食い」を得意がるバカの典型がいる。 彼は、自分の社内不倫の情報をわざと広めて、得意がっているようなバカ中のバカ。 見ためは、タッパがあって押し出しがいい、顔も結構男前の、いわゆるナイスミドルタイプ。 しかし、人間としては、ほぼサイテーのランクに入るといってよい。 まず、「カネ」にきたない。 彼は、カネにまつわるダーティな噂にはことかかない。 出入りの業者(おもに宣伝広告関係のプロダクション)にキックバックを請求し、彼らからせしめた賄賂の蓄えだけでも数千万円になるとか、ならないとか…。 会社もその事実をうすうす感づいたようで、彼を出来るだけ、キックバックをもらえないようなセクションに異動させたりしている。 「カネ」にきたないヤツの多くの例にもれず、「オンナ」にも実にきたない。 結婚してから手をつけた社内の女性社員は、片手とも両手ともいわれている。 もちろん、彼女たちは単なる「つまみ食い」。 手当やプレゼントだってロクに出さず、ただ肉体関係を持つだけ。 「ぼくたちは恋愛をしているのだ。相手の女性にお金を払うような不純な関係ではない」とでもいいたいのだろうな。 食事ぐらいはごちそうするのだが、それにしたって領収証をもらって社の経費で落とすことなんざ朝メシ前。 ひどくなると、相手によっては、ワリカンにしたり、相手に払わせたりもしたそうだ。 自腹で出すのはホテル代くらいのもの。 言ってみれば、彼にとっての彼女たちは安上がりなフーゾク嬢にも等しいのであった。 いや、それ以下といえるかも知れない。 あるとき、その浮気が奥さんに知られるところとなる。 奥さんは元社員。つまり、そもそもから、社内の女性社員に手を着けていたというわけ(笑)。 当然、彼女の元同僚がまだ社内に何人もいるから、そりゃ情報は筒抜けになる。 そこでお決まりの修羅場が展開し、いったんは彼が謝るかたちでケリがつく。 しかし反省など、うわべだけのことだから、またぞろ浮気の虫が騒ぎ出し、不品行をまた奥さんに知られることになる。 イタチごっこである。 結局、奥さんは離婚を望んでいないことから、ふたりは別居することになる。 そうなると、彼のご乱行はいよいよ手がつけられなくなるが、奥さんのほうも、もう彼の「矯正」はあきらめて、カネをもらって割り切ることにする。 つまり、彼の貯め込んだ「裏金」ン千万円を吐き出させて、飲食店を始めたのである。 こうなると、奥さんのほうがウワテという気もしてくるが、離婚により全財産を失わないだけ、まだ彼は恵まれているのかも知れない。 こういう男ほどではないにせよ、フーゾクに行くよりも安上がりだからということで、社内の女性社員に手を着けるバカは枚挙にいとまがない。 ま、そういう手合いは、たいていバレて、それなりにキツい代償を払うはめにはなっているのだが。 女性を甘く見ていると、大ケガしまっせ。 ... スキャンダル - 2002年04月01日(月) うちの社内で、ちょっとしたスキャンダルが起こっている。 某部の女性社員(独身・30代後半)が、なんとこの3月末から「産休」に入っているのだ。 もちろん、社内にアナウンスされてはいないが、本人が上司に申請し、人事部も了解、関連セクションの大半の人間が知っている「周知の事実」なのである。 さらに凄いことには、この女性のお相手、独身男性ではない。 妻子持ちの男性、しかも、同じ社内の人間だという。 いやそれだけなら、ありふれた社内不倫の一結末に過ぎないだろうが、このふたりはなんと15年以上前、男が結婚する前からの関係だというのだ。 言ってみれば、男は妻子を15年以上にわたって欺き続けたということだ。 なんという、最悪のパターン。 週刊誌あたりにすっぱ抜かれたら、一体どうするんだろうというような、極めつけのスキャンダルなのである。 さすがに、今回産休をもらうにあたっては、会社側からも、ふたりに対して要求があったようだ。 「産むのなら、奥さんと別れて、彼女と結婚すること」 そりゃ、当然だろうな。会社も、私生児を産むことを表だって認めるわけには行くまい。 男のほうも、すでに昨年の途中から、家を出て、女性とともに暮らすようになっている。 年明けには、女性のほうの名義で社内融資を受けて、新しい住まいを購入した(彼のほうは、妻子の住んでいる家のためすでに社内融資を受けていて、彼女の名義で借りざるを得なかったのだ)。 しかし、離婚はまだ正式には成立していないようで、このまま行くと、妊娠した女性は彼と入籍する前に出産せざるを得ないようである。 離婚が無事成立すれば、ふたりは晴れて世間にも顔向けが出来るわけだが、果たしてソフト・ランディングは可能なのだろうか。 ま、なんとかうまく別れたとしても、彼は少なくとも、妻子のために家を明け渡し、生活費・養育費を払い続けざるをえないであろう。ま、長年の不倫の代償として、そのくらいは当然だろうな。 なんともはやな話である。 いつぞやのシングル・マザーの話と表面的には似ているが、もちろん、本質的にはまったく違うケースだ。 シングルマザーの道を選んだ彼女は一切、相手、相手の家庭に迷惑をかけていない。 今回の場合、その男性にせよ、女性にせよ、余りに「思慮分別」が欠けている。 その男性は、相手の女性でなく、別の女性を伴侶として選んだ時点で、今後一切逢わない覚悟をするべきであった。 また、女性のほうも、男性が結婚相手として自分を選ばなかったという事実に直面した時点で、「日陰者としてでいいから逢ってほしい」などと望むような真似は、意地でもするべきではなかった。 どちらも、大バカヤロ、そういうことだ。 結局、(たぶん)何の罪もない彼の妻と子供が、一番傷ついている。 彼の「離婚してくれ」という要求には、すんなり従うべきではない、そうも言いたくなる。 離婚届にハンコを押してしまったが最後、彼は新しい生活をめいっぱい謳歌できるのだから。 出来る限り、もったいをつけて離婚まで長期間男性を振りまわしてやればいい。 そして、不倫相手の女性にも、多大の代償を要求するべきだろう。 教訓:「愚かな男と女は、周りの人間までも不幸にする」 ...
|
|