まーくん的日常...まーくん

 

 

キス - 2002年03月29日(金)

「キス」で始まる恋は星の数ほどもあるだろうが、「キス」で終わる恋も稀にはある。

15年以上前のこと。
当時僕は、同じ社内のAさんという先輩女性社員に憧れていた。
入社では4年、年齢では1歳年上。
とにかく、大人の雰囲気のある女性で、彼女の視線の「色っぽさ」といったら、生まれてこのかた会ったことのある女性の中でも随一であった。
(歌手の藤あや子、それから桐生典子さんという女性作家くらいかな、彼女の色っぽい目つきに対抗できるのは。ま、それくらいの色っぽさなのである。)

そんな彼女と、仕事では一度もかかわりあいがなかったが、ある年、たまたまふたりとも社内旅行の幹事をやることになって、彼女とお近づきになる機会が舞い込んで来た。
当時、うちの会社では、社長(営業畑一筋、いわゆる「たたき上げ」のタイプ)の息が直接かかった営業・管理部門の何部かがまとまって、100人以上の規模で旅行をやっていた。
その幹事として、各部から二名ずつが選ばれたのだが、僕もそのひとりになったのである。

旅行中は、とにかく社長が直々に出席する旅行ということで、なにかと気を遣わねばならず、幹事同士の親睦を深めているヒマなどなかったが、その代わりに、旅行が終わってから、別に打上げというか慰労会をするという慣例があった。
旅行が終了して数週間後、社からは少し離れた街にあるカラオケ・パブで、幹事打上げは行われた。
幹事のまとめ役、いわゆる幹事長のベテラン男性社員が、
「今日は無礼講でいきましょう」
と宣言した。

僕は、入社以来何年もの間憧れてきたAさんが同席していたことで、多少うれしくもあったが、かといってなんらかの「出来事」を期待していたわけではなかった。
いわゆる偉いサンは誰も出席しておらず、それゆえ、一座はほどなく酒の勢いも借りて、次第に乱れていった。
Aさんは早いピッチでお酒を空け、そのほほが桜色に染まっていく。
そのうち、歌いまくるヤツ、女性とチークダンスを踊るヤツ、気持ちが悪くなって吐くヤツと、「饗宴」はエスカレートしていく。

気がつくと、少しずつ席順も変化し、僕の前にAさんの顔があった。
もうその瞳ときたら、たとえようもなく、悩ましい輝きを放っていた。
その時だ。彼女の唇から、思いがけない言葉が発せられたのは。
「●●さん(僕のことだ)、私のこと、嫌い?」
一瞬、息を呑んだ。
「いや、あー、嫌いなわけないですよー」
「そう、ありがと。じゃあ、キスして、私のここに」
彼女は、自分の片方のほほを指差してみせた。
「は、はい」
次の瞬間、僕はなぜか従順に、彼女のリクエストを遂行してしまっていた。
あっという間の出来事だった。

僕は、しばらくの間、自分がなぜそんなことを即座にしたかよくわからず、ボーッとしていた。

そのうち、これ以上グチャグチャになってはまずい、という判断から、幹事長が宴のお開きを宣言した。
Aさんは、僕の家とは全然違う方角に住んでいたので、誰か別のひとが送っていった。

その後、僕は、これをきっかけにAさんに近づいていったかというと、まるで逆だった。
むしろ、それまでの彼女と付き合いたいと言う願いがすーっとしぼんでいってしまった。
不可解だといわれそうだが、生身の彼女にキスしたということで、僕の心の中にあった恋心は消滅したのである。

彼女は当時、さまざまな悩みをかかえ(その多くは男がらみだったようだ)、それゆえにお酒を飲むたびに、誰かに甘え、そしてキスをしてもらいたくなる。
そういう、生身の彼女と接触したことで、僕は、イメージとしての彼女しか恋していなかったという事実にぶちあたった。
彼女とて、ひとりの人間、エゴを持ち、さまざまな葛藤の中で生きている。
ただただ美しいものを愛でることに憧れていた僕には、まだまだ判らない心の「暗闇」が彼女にはあった。
「僕には彼女と付き合う資格はない」
そう、思った。
そういう判断をした僕は、ただの臆病者だったのかも知れない。
が、それもまた「恋」のありかたのひとつだと思ったのだ。
そう、成就することの決してない、「透明な想い」だけの「恋」。


今もAさんは同じ社内にいるが、もちろん今だって彼女のことが嫌いなわけではない。
でも、たがいに遠くから目線を交わし、微笑みかえす、それだけの関係がずっと続いている。
こんな関係、これを読まれた貴方は、どう思うだろうか?




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女心(その六) - 2002年03月28日(木)

7歳年下の女性との話の続き。

今から11年か12年前のこと、つまり僕も彼女も独身だった頃、ふたりで飲んでいて、こう言われた。
その時、僕はたぶん32歳、彼女はたぶん25歳。
「わたしが30まで独身のままだったら、結婚してくれない?」

どういうきっかけで、そんな話になったのか、まったく記憶が消し飛んでいるのだが、なぜかそのくだりだけを覚えている。
当時彼女は着付けの教師をやっていたが、あと5年間、ひとりであれこれチャレンジしたいのだけれど、30歳になったら落ち着きたいから…ということだったのだろう。

それに対して、僕は「もちろん」ともいわず、かといって「嫌だ」ともいわず、ナマ返事をしたような記憶がある。

その頃の僕は、社内のとある女性に交際を申し込んでいながらも、その女性から「一対一のお付き合いはどうも…」などとやんわり拒否されていた状態であった。
もちろん、今の妻ともまだ知り合っていない。
だれか、結婚してくれそうな相手がほかにいるわけでなかった。
そういう意味で、彼女は僕にとっても一種の「保険」とはなりえた。

だから僕は、「もし僕があと五年後もひとりでいたならね…」などとはあえていわず、「まあまあ」となだめるように「イエス」とも「ノー」ともつかない、でもどちらかといえば肯定的な返事をしたのだと思う。

そこから数年、なぜか彼女と会う機会がなくなる(別にわざと会わないようにしたわけではない、念のため)。
結局、五年待つことなく、僕は約二年後、別の女性と結婚してしまう。

そのことに対して、彼女はどのような思いを抱いたかは、僕にはもちろんわからない。
「あの約束(というほどのものでもないが)はどうなったの!?」
と責めるようなものなのか、
「どうせ、口約束だから忘れてもしょうがないわね」
と軽くあきらめたのか。
よくわからない。
なにせ、ふたりには「肉体関係」(響きがよくない言葉だが)はまったくないのである。
「責任とってね」なんて言う間柄ではないのだ。

思うに、僕は彼女との「恋愛」をかなり早い時期から断念していたのではなかろうか。
「足長おじさん」ではないが、彼女の「代理アニキ」に徹しようとしたのだ。
なぜか。

恋愛というものは、多くは「入り口」での勝負だ。
まず「付き合う」「付き合わない」という「篩(ふるい)」にかけ、その中間というあいまいな選択肢は、ふつうとらない。
過去に何度も「入り口」で拒絶、まさに門前払いを食らった苦い経験のあった僕は、彼女に「付き合ってくれ」と決断を迫ることにより、また拒絶されることを恐れ、「友人以上、恋愛未満」のぬるま湯的関係のままでいようとしたのだ。
やはり、拒否されることで傷つくのは、(慣れっこにはなっていたが)できれば避けたい、そう思っていた。

そんな姑息なことを考えていた自分にくらべれば、今回、シングルマザーになる「決断」をした彼女はなんとも潔く、見事であった。
傷つくことを恐れている人間には、まともな恋愛ひとつ出来やしない、そういうことだ。
たぶん、僕のやりくちなどは、精神的にはずっと年上の彼女にはお見通しのはずなのだろうな。

「女心」を読んで、自分に有利なように事を運ぼうと思うなんて、ゆめゆめ思わないほうがいい。
しょせん男というものは、女性の掌(たなごころ)の上で飛びまわって意気がっている孫悟空のようなものだから。




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女心(その五) - 2002年03月27日(水)

昨日の話の続き。

何年かぶりに会った彼女が言うには、「しばらく会っていない間に、わたしの身辺に変化が起こったので、当ててみて」だと。
「もしかして、結婚したの?」と聞くと「ううん、違う」と言う。
「じゃあ、養子にでもなったの?」と聞くと、「違うけど、そちらの方が近いかも」と言う。ええっ!?
子供が出来たのか…とも一瞬思ったが、あまりに信じられないことなので、とても言えなかった。
答えるのをギブアップしたら、やはり、こう教えてくれた。
「ワタシ、子供を産んだの」
つまり彼女は、シングルマザーになったということなのである。

で、さらに事情を聞いていくと、相手は独身男性ではないそうなのだ。
彼女は短い期間、その妻子ある男性と付き合い、別れたのだそうだ。
そして妊娠しているのに気づき、彼には伝えることなく、そのまま産む決意をしたのである。
しばらく、僕は呆然としていた。
「いやー、勇気あったねー」と言うのがせいぜいだった。
ちゃんと自活出来ていて、しかも、自ら託児業という仕事をやっていたことが幸いして、彼女はシングルマザーとしてやっていけるのだろうが、それにしても、誰にでも真似の出来ることではない。
その男性に「認知」等一切請求していない潔さにも、感心した。

が、向こうの家は、その事実を敏感に察知して、あれこれ言って来たのだそうだ。
つまり「一切、生まれた子供の、うちの財産相続の権利を主張しないで欲しい」みたいなことを言って来たとか。
これには、彼女も頭に来たらしい。
「こちらは認知だって要求していないのに、どういう言い草!」
ってことだ。

彼女がその娘の写真を見せてくれた。
「なんだか●●さん(僕のこと)に顔が似ていると思うの」
だって。
(もちろん、僕の子供ではないからね。念のため。)
確かに、以前はタレントもどきのような仕事をしたこともある彼女を母親に持つだけあって、可愛い顔立ちだった。
芸能界にデビューさせてもいいじゃないか、というくらい。
現在の彼女は、生きるエネルギーを、その娘からもらっているのだな、と思った。

しかし、そういう話を聞く僕にも、少し複雑な思いはあった。
(この話はまだまだ続くので、明日また。)



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女心(その四) - 2002年03月26日(火)

今日は別の女性の話。

「男と女に友情は成立するのか?」なんて議論がよくあるが、僕に言わせれば不可能ではない、そう思っている。
ただし、それは男性側が、相手との「恋愛」を断念して始めて成立するのではないかと思う。

僕にはまる16年の付き合いになる女性の「友人」がいる。
知り合ったとき、僕は28歳、彼女は21歳。
彼女は小さなパブでアルバイトのホステスを始めたばかりだった。
もともとは、別のホステスがらみで僕はその店に通うようになったのだが、その女性との仲がだいぶんおかしくなったころに、彼女は新人として店にデビューしたのだった。
なぜかふたりは意気投合。
といっても、ホステスとお客のワクをはみ出すような仲でもなかったが、彼女にしてみれば、一番最初になじみになった客ということで、頼りになる「アニキ」がわりみたいなものだったのだろう。
彼女はほどなく、他の店に移り、僕もそこに呼ばれて通うようになる。
次の店は、規模も大きめで、値段も結構高い、パブというよりはクラブといった感じの店だった。
そこへ月にいっぺんくらい行き、話をする。それだけのことなのだが、僕としては格別不満はなかった。

というのも、他の女性にまだ未練があったのだ。
前出のパブにいた女性とはまた別の、数年前からかかわりあいのあった女性なのだが、一方的に縁を切られてしまいながらも、心のどこかで彼女ともう一度やり直したいという思いがあった。
だから、7歳年下の女性は、彼女、恋人の候補というよりは、「妹」のような感覚で接していたといえる。

その後も、彼女は何度か、店を移る。たいていは高級店。
とても毎週は通えないような高い店だったので、せいぜい月に一度、僕は彼女に会いに行った。
口説くような気はまるでないのに、よくまあ、そんなお金があったなと、今になっては思う。
やはり、まだ独身で、稼いだお金を自分の好きなように使える身分だったからだな。
そのうち、彼女はホステスの仕事をやめて、昼間の仕事一本にしぼるようになる。
それはカメラマンの仕事であったり、着付けの仕事であったり、さまざまに変わったのだが。
そのうち、僕は結婚し、彼女は独身のまま、いろんな仕事を経た末に「保育園」の経営者となっていた。
知らない間に、16年の歳月が流れていた。

でも、そんな年月を経ても、僕たちはずっと変わらぬ「友人つきあい」をして来ている。
最近も、何年かぶりに、一緒に酒を飲んだ。
そして、かなり驚くべき事実を聞くことになった。

まだまだ終わらない話なので、この次はまた明日以降で。




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女心(その三) - 2002年03月25日(月)

その後の彼女の話である。

離婚してからの彼女は、男性にモテないわけではないのに、もう二度と結婚する気がないふうであった。
周囲のおじさん社員連中の中には、「彼女と結婚できるなら女房と別れたっていい」なんて言う輩もいたが、ま、そういうヤツに限って、いっこうに奥さんと別れられないものである。

だが一度だけ、「もしかしたら、彼女、再婚するのでは?」と思われるような出来事があった。
彼女とわりあい親しい先輩男性社員が、あるとき急に奥さんと子供を残して家を出てしまい、結局離婚したということがあったのである。
その話を聞いて、くだんの「女房と別れてでも…」と言っていた男などは、「ふたりは一緒になるに違いない!!」と嫉妬のあまり、声をふるわせていたものだ。
しかし、実際には、彼らは再婚しなかった。
(ニアミス的なことは、あったようなのだが。)

結局、彼女は「自分から相手に対して求愛するタイプ」ではないのである。
相手がまず自分に対して告白してくれないことには、始まらない、そういうことだ。
かつての夫は、決して好みのタイプではなかったが、恥も外聞もなく、自分のことを好きだと言ってくれた。だから、彼女は結婚したとも言える。
相手の男が、用心深く彼女の気持ちにさぐりを入れるようなタイプ(その男性はそういうタイプだった)だと、恋もなかかなか前に進まないのだ。

さて、その後も彼女は、独身を続けている。
とはいえ、「男性を紹介して」などと周囲に言うことも、ないわけではない。
実際、僕もそういう依頼を受けたことがあり、一度だけ実行に移した。
そのときは、自分の知り合い・友人の中では、一番まともと思われる男性を引き合わせたつもりだった。
しかし、彼女の答は「NO」だった。
これには僕としても当惑してしまった。
一流大卒、一流企業勤務、長身で顔立ちもまあまあ、離婚歴とかもなく、性格も悪くない男を選んで紹介しただけに、次のタマがなかった。

それ以来、紹介することはやめにしてしまった。
たぶん、彼女は、どんないい男を引き合わせても、首をタテにふらないような気がするのである。
根拠などない。過去の例からの推測である。
彼女のヴェールにつつまれた「女心」を、本当に見たことがあるのは、おそらく別れた夫ひとりだけだろう。
僕などには、到底わかるすべもない(笑)。


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女心(その二) - 2002年03月24日(日)

前回登場した、僕の後輩女性社員のケースだが、あっさり夫を断罪したことに驚きはしたが、よく考えてみればそう不可解な行動ではなかった。
彼女は会社に入って3年目くらいにその男と職場結婚したのだが、もう完全な「拝み倒し結婚」だったようなのだ。
もちろん、彼が彼女に「結婚してくれ」と拝み倒したってことだ。
噂によれば、土下座をしたとか、地べたにころがって「僕と結婚してくれなかったら、死ぬ」とまでいったとか。
まあ、そのくらい、一方的に「お願い」されたことに彼女も悪い気はしなかったらしく、彼と結婚することになる。
彼女の男性の好みは決して夫(わりとデブ)のようなタイプではなかったようなのだが。
しばらくは、彼も彼女のことを崇め奉っていたようで、夫婦仲にも問題はなかったようなのだが、5年目くらいから、すきま風が吹き始める。
それまで。社内での課外活動的なことはほとんどしていなかった彼女だったが、労働組合の役員をやることになり、定時終了後もまっすぐ帰宅することが少なくなり、他の部署の先輩社員と食事をしたり飲んだりする機会が多くなる。
そうすると、夫が実はさほど仕事が出来るわけでもないことが、だんだん見えてくる。
夫もそういう妻の変化に、少しイライラするようになる。夜遅く家に帰っても、妻がまだ帰宅していない、なんて事態にたびたび直面することになる。
次第に、夫も「少しくらい浮気したって大丈夫だろ」という考え方をするようになる。
そんなところに、妙にコケティッシュな後輩女性社員が登場。お膳立ては揃う。
その女性は、別にその(太った)夫がタイプというわけではない。
ひとのもの(夫)をかすめ取ることに、快感を覚えるような、そういう「小悪魔」タイプだったのである。相手なんて、既婚者であれば、たいていOK。
モテるタイプではない夫なのに、たまたまついた相手が悪かった。
「もしかして、オレってけっこうイケてるかも?」と勘違いをしてしまったわけである。
ふたりは坂道を転げ落ちるように、禁断の快楽におぼれていく。
狭い社内のこと、ふたりの道ならぬ関係はすぐ噂となり、妻の耳にもほどなく届く。
妻としては、いたくプライドを傷つけられたはずである。
なにせ夫は、一生自分の奴隷となっても構わないと言っていた男である。
飼い犬に手を噛まれたとはこのことだろう。
ためらうことなく、彼女は夫に離婚、そしてそれなりの償いを要求した。

もし、彼が魅力的なタイプの男で、彼女のほうが結婚を望んでいたのなら、おそらくふたりの結婚は現在も続いていたのではないかと思う。
しかし、彼女の奴隷となりそのプライドを満たしてやることぐらいしか取柄のない男は、ただの一度の背信だって許されはしないのである。

教訓:「奴隷は死ぬまで自由を主張してはいけない」


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女心(その一) - 2002年03月23日(土)

女心がよくわからない。
いや、女心が本当にわかる男なんているんだろうか、とも思う。
男の考えていることのシンプルさ、わかりやすさに比べると、女心は解読不可能な暗号のようなものだ。

会社にひとり、わりと親しく話をする間柄の、後輩女性社員がいる。
同じ部署だったことは一度もなく、まあ、課外活動のようなもので親しくなったのだが、お近づきになった10年以上前は、彼女は人妻、僕は独身だった。
それから数年して、彼女は離婚、僕は時期をほぼ同じくして、1年前から付き合っていた女性と結婚式をあげた(つまりそれが現在の妻だ)。
僕たちは入れ替わるかたちで、離婚・結婚したわけだ。

僕は人のもちものである「人妻」に基本的に興味がないので、独身時代に彼女になんらかの思いを抱いたことはなかった。
彼女とその夫の間がうまく行っていない、という情報をそれとなく聞いていても、である。
彼女も、離婚するまでは、独身の僕には、そういう夫婦の危機的状況を一言も話さなかった。
そんなわけだから、僕のほうは、お気楽にも、今つきあっている女性のことをあれこれしゃべったりしていた。
言ってみれば「おのろけ」である。
それを聞いて、彼女は「いいわね」「がんばってね」という、「いい人」的発言しかしなかった。

実際、彼女という人は、人前ではいつもニコニコと笑顔を絶やさず、仕事でもつねにソツがなく、「出来ません」「イヤです」的な発言は絶対せず、常に「やってみます」という模範的な態度をとっていたので、おじさま族のウケは圧倒的によかった。
彼女の社内におけるパブリック・イメージは、そう、「聖母マリア」、そんな感じだった。

彼女が離婚したとき、僕はかなり驚いた。
それも離婚したという事実にではなく、彼女のような寛大そうな女性が、夫のただ一回の浮気を許さなかったということにである。

後日、その浮気の事情がはっきりとしたのだが、彼女の夫の浮気相手であった某女性社員は、他の上司などの何人かとも関係を持つような、相当タチの悪い「男たらし」だったのである。
「ひとのものほど、欲しくなる」という、その手の女だったのである。
だから、その女にとって彼との不倫は、ほんの「つまみ食い」にすぎなかったし、ほうっておけば早晩終わってしまうような火遊びだったのだが、その浮気を決して許さなかった。
その彼女の「情の強さ(こわさ)」に、僕は驚愕した。

あのマリアのごとき、慈愛に満ちた(ように見える)女にも、情念の炎が燃えさかっていたのか。
何年も彼女を間近に見ていながら、まるきりその「本心」を見通すことのできなかった自分は、いかにも人を見る目のない、のほほんとしたお人良しであることを痛感したのである。
ことほどさように、女心はむずかしい。

長くなりそうなので、この続きは明日以降で。


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占い - 2002年03月22日(金)

テレビ朝日の「やじうま占い」によると、天秤座である僕の、今日の運勢は「最低」のようだ。
僕は占いをマジに信じるような人間ではないが、こうなると逆にどれだけ「悪く」なるか興味がわいてくる。
以前、「パーフェクト」の運勢だった日は、いいことが何も起きなかったが、周りの人間に言わせると、「本当は交通事故に遭うぐらいだったのが、遭わずにすんだのだ」そうだ。
そんなものかも知れない。
「最悪」でなければ良し、ということかな。

さて、昼休みに近所の中古CDショップを回ってみると、前から聴こうかと思っていたアーティストのCDが見つかった。
これもまあ、ひとつの幸運といえなくもない。

その後も、とくに悪いというほどのこともなく、一日は終わった。
「最低」の運勢にしちゃあ、まあ上々の一日。
雨になったこともあり、外で飲みたい気持ちをおさえて、まっすぐ家に帰ったことがよかったのだろうか。
もし「外で飲む」という選択肢を選んでいたら、ロクな目にあわなかったという可能性もあろう。

占いといえば、20年以上前に手相見のプロに一度見てもらった記憶があるのだが、「あなたは金運は恵まれている」とのことだった。
そういえば物心ついてから、お金に困ったという経験が一度もない(!)。
給料日前に手持ちのお金が底をついたということがないのである。
これは、考えてみればスゴいことなのかも知れない。
世の中、お金のことで苦労しているひとが実に多いことを思うと。

そのかわり、僕の場合、異性運は決してよくないので苦労しているのだが(笑)。
ま、そのことは、追い追い書いていくことにしよう。
きょうはこのへんで。




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