星降る鍵を探して
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2003年08月28日(木) ごめんなさい。

今日の分が更新できないまま実家に帰ってまいります。
あー申し訳ない。あーもう。やっぱりシグマリオンでインターネットに接続できる機能を買うべきだったなあ。
帰宅は日曜日の予定です。それまでお休みです。では行って来ます。


2003年08月27日(水) 星降る鍵を探して4-2-1

4章2節

「清水さん、こっちこっち」
 向こうの角で流歌が手招きをしている。剛は消火器に気を取られているふりをやめて流歌に向き直った。彼女は軽やかな足取りで角を曲がり、ひょい、と頭だけ戻して剛を見た。
「だいじょうぶ、誰もいません」
 そしてにこっと笑う。あああああああ! と頭の中で絶叫する自分を押し殺し、剛は小走りに流歌の後を追った。スキップでも始めそうな自分の足を戒めるため、鼻歌でも始めそうな自分の鼻を戒めるため、そして気がつけば流歌の姿を凝視してしまいそうな自分の目を戒めるために、暇なときは消火器に気を取られているふりをしなければならない。難儀だ。
 角を曲がると、流歌がよどみない足取りで歩いていくのが見える。
 ――ここがどの辺か、わかっておるのか?
 訊ねたかったが、声を出したら上擦ってしまいそうなので、剛は先ほどからずっと沈黙したままだった。何しろ今は流歌と二人で、二人っきりで、おまけに逃げられも警戒されも威嚇されもせずに一緒に歩いているのだ。そんな場合ではないと思いつつ、そして先ほどの、あの『先生』という男の存在が暗い影を投げかけてはいたけれども、しかしどうしても浮かれずにはいられない。軽薄だと笑わば笑え。今この時を満喫しなかったら、こんな機会はもう二度と巡っては来ないかもしれないのだ。
 流歌はぺたぺたと足音を響かせながら少し先を歩いている。
 靴を取られてしまったのだと言っていた、靴下のむき出しの足がひどく小さく見えた。剛は体温が有り余っているような男だから、流歌の足の裏がさぞ冷え切って寒いだろう、と、想像することは出来なかった。しかし流歌の足をじっくり見たのはこれが初めてで、そのあまりの小ささに驚いていた。剛の足の、半分もないのじゃないだろうかとすら思える。
 ――俺の靴を貸してやろうにも、あまりにもサイズが違うしなあ。
 ぶかぶかどころの騒ぎじゃない。がぼがぼだ。
 ――おまけにしばらく洗ってないしなあ。
 まあ別にそんなことを正直に言う必要もないのだが、この部活で泥まみれになった靴を流歌の足にはかせるのはどうしても抵抗がある。だから剛は黙ったまま、ただ流歌の足下を見つめて歩いていた。ここを見ていれば、流歌が振り返っても、見つめていたのだとばれずに済むではないか。
「あ、こっち。曲がります」
 流歌がそう言って手招きをする。流歌の取るルートは非常に入り組んでいた。二人はいつしか、全くひと気のない――どころか全く物音すらしない、白々と冷たい無機質な一角に入り込んでいた。一体どこへ向かうのだろう。どうして流歌は、この中にこんなに詳しいのだろう?
 だが、現に、先ほどまでどやどやと追いかけてきていた追っ手は今や完全に撒かれたらしい。あのまま、剛の本能の赴くままに階段を駆け下りていたら、恐らく簡単に捕まっていただろう。そう思うと流歌がこの中に詳しいのは非常にありがたいことなのだが、どうしても気にかかるのだ。なぜこの中に、そんなに詳しいのか。
「須藤流歌」
 声をかける。声は上擦ってはいなかったが、振り返った流歌と目があってしまって、剛は咳払いをひとつ、した。
「なぜこの中に、そんなに詳しいのだ。連れてこられたときに見ておいたのか?」
「ああ……」
 流歌は頷き、そして苦笑した。
「いいえ。ここに来たときには目隠しされてましたから」
 目隠し……!
 剛は怒りに震えた。なんたることだ捕まえて監禁することだけでも万死に値するというのになんたることだ目隠しを目隠しを目隠しをするなんておのれ何てことをしやがるのだ!
 しかし流歌は剛の憤りには全く気づかず、言葉を継いだ。
「あたしがここに詳しいのは、下見のたまものです」
「し?」
 怒りに我を忘れかけていたので、一瞬何を言われたかわからなかった。剛の間抜けな声に、流歌が頷いてくれる。
「下見です」
「……下見?」
「下見というか、下調べというか。金時計があったのは結局この建物じゃなかったんですけど、この敷地内の建物ならわりと詳しいですよ、あたし」
 逃げ出した直後はどこのビルかわかんなくて混乱してたんですけど今はもう大丈夫ですよ、と事も無げに語る流歌を、剛はしばらく、ぼんやりと見つめた。どういう意味だろう、といちいち考えないと理解できない自分の鈍さが悔しい。
 ということはだ。
 つまりだ。
 下見というのは……
「つまり金時計を盗み出すためにこの敷地内の建物の下調べをした、と」
「そうそう、そうです」
 流歌はにっこりした。
「あたしも最近まで知らなかったんですけど。怪盗って派手でしょ? だから行き当たりばったりに忍び込んで手当たり次第に盗み出すとか、そういうイメージだったんですよ。でも実は結構地道なんですって。ある宝を手に入れようと思って、狙った建物の見取り図を手に入れようとして、また別のところに忍び込んだりってやってるんですよ」


2003年08月26日(火) 星降る鍵を探して4-1-10

 卓はマイキの、艶やかな髪に触れた。
 もし怖がられたらどうしようかという、心配は確かにあった。でも今はそんなこと、構っていられない気分だった。もし怖がられても、厭がられても、マイキを。
 と。
 卓の腕の中で驚いたように息を止めていたマイキが、一瞬体をこわばらせた。そしてぱっと卓の腕を振りほどいて立ち上がった。そのあまりにきっぱりとした拒絶の動きに、卓は一瞬ぽかんとした――そして、愕然とした。愕然としながら、やっぱり、という気分がわき起こって、彼は自分の心臓が音を立ててぎゅっと縮んだのを感じた。
 しかし。
 立ち上がったマイキは卓を見ていなかった。卓の背後、先ほど梨花と一緒に上がってきた階段の方を見ていた。そして次の瞬間には、きっ、と卓に視線を戻した。いつになくきっぱりとした動きで卓の腕を掴むと、存外強い力で引っ張った。
 早く来て、と言っているのだと悟るのに一瞬かかる。
 その一瞬の間に、こつん、と廊下の向こうで音が鳴った。
(人が……!)
 卓は即座に立ち上がった。ずきりと肋骨が痛んだが、今はそれどころではない。何やってんだ俺は、と、マイキと一緒に走りだしながら思った。ここは敵陣のまっただ中なのだと先ほど思ったばかりだと言うのに。
 走りだすや廊下の向こうで数人の足音が沸き上がる。こっそり忍び寄ろうとしていた奴らが、気づかれたと知って大っぴらに追いかけてくるのだ。先ほどの経験から言えば、たぶん銃を持っているだろう。暗がりの中で助かったと思いながら、卓は頭上を睨んだ。この廊下には明かりがついていない。ボイラー室ほどではないが、ものの輪郭を見極めるのも困難な程度には充分暗い。どうしてあいつらは俺たちがここにいるのに気づいたのだろう、と思いながら、卓はマイキを見下ろした。マイキは転ばないように一生懸命走っている。小さな頭が揺れている。先ほどの拒絶の身振りは、あいつらの接近に気づいたからだよな、と、前方に視線を戻してそう思った。俺が抱きしめたのが厭だったとか、そういう理由じゃないよな?
 追われながらもそんなことが気になってしまうなんて、俺も結構呑気だよなあ、と卓は思った。

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ま、こうなるだろうとは思っていましたが。
……いやあの、昨日ここまで書いていたら、絶対すごいことになっていたと思うんですよ。そういうテンションのときって、ありますよね?(ない?) 一夜明けてみたら昨日のを読み返すのも恥ずかしい。はう。
これで1節は終わりです。何か節がめちゃくちゃになっているので(まだ1節だったということを忘れてました……)、サイトアップ時に直します。


2003年08月25日(月) 星降る鍵を探して4-1-9

 足を踏み出すと、スニーカーの底が甲高い音を立てて滑った。ドアの前がちょうど濡れている。
「水……?」
 かがみ込んで床に触れてみて、出した結論はそれだった。無色無臭の小さな水たまりが、ドアの前に出来ている。この水たまりはいったい何だろう?
 と。
 たたた、と足音が響いて、卓は顔を上げた。左手の方から、誰かが小走りに駆けてくる。薄暗い光に目を凝らすとそれはマイキだった。暗くて視界は良くなかったが、マイキを見間違えるはずはない。マイキがちゃんと無事でいたことにまずホッとして、卓は彼女の方に数歩足を踏み出した。彼女はどうやら両手で何かを持っているようで、それに視線を注ぎながらこちらに向かって走ってきていたが、ふと顔を上げ――
「あ、危ない!」
 と声を上げたときには既に遅く、マイキは卓を見つけていっそう足を早め、早めた足に体がついて行かずつんのめった。マイキの手から飛び散った飛沫が、慌てて駆け寄った卓に降りかかる。
 ――水?
「おっと」
 のばした両腕の中に、マイキの体がちょうど落ちてくる。マイキはまだ両手をお椀型にしたままで、倒れかかる自分の体を支えようともしておらず、卓が間に合わなかったら顔面を強打するところだった。卓はマイキを地面すれすれで受け止めたためにバランスを崩して床に座り込みながら、ほっとため息をついた。全くこの子は本当に危なっかしい。
「大丈夫か?」
 またこの小さな少女を腕の中に感じることが出来たことに安堵しながら卓はそう訊ねた。
 マイキが顔を上げる。こくり、と頷く。そしてまだお椀型にしていた両手を卓の方に差しだし、そして「あれ?」というように手の中を覗き込んだ。マイキの両手は水に濡れていたが、入れていたらしい水は既にこぼれてほとんど残っていない。
「水、汲んできてくれたのか」
 呟くと、まだ手の中を覗き込んだままだったマイキは、顔を上げてこくりと頷いた。ということはだ、と卓は思った。先ほどドアの前が濡れていたのは……一度両手に水を入れて来たはいいものの、ドアノブが開けられなくて全部こぼしてしまって、今また汲みに行っていたということなのだろうか?
 ああああ。もう。
「心配するじゃないか……」
 呟いて、腕の中のマイキの体にそっと力を込めると、マイキが嬉しそうにすり寄ってくる。濡れた両手を卓の頬に当ててしげしげと顔を覗き込まれて、視線と吐息がくすぐったかった。思わず身じろぎをする、と、マイキが嬉しそうににこっと笑ったのが薄闇の中でもよく見える。卓が元気になったのが心底嬉しい、という笑顔に、卓はどんな表情を返していいかわからず、黙ってマイキを抱き寄せた。
 廊下の真ん中で座り込んでいるという今の状況も、マイキの暖かさを感じている内にどうでも良くなってくる。
 とくとくとくとく、とマイキの軽やかな心臓の音が聞こえる。
 卓はマイキを抱く腕に更に力を込めた。マイキが驚いたように顔を上げた。怖いかな、と思いながらも衝動を抑えることが出来ない。マイキの小さな体を抱きつぶしてしまわないようにもう少し力を込めると、卓はマイキの耳元で囁いた。
「――マイキ」
 今までずっと、気になっていたのだ。マイキは卓が抱き寄せると本当に嬉しそうにすり寄ってくる。それは恋人同士の行為と言うよりは、子供が親にすり寄るような――たとえは悪いが、ペットが飼い主に懐くような、そういうたぐいのものなんじゃないだろうかと。だからこんなに安心しきって、嬉しそうにすり寄ってくるのじゃないだろうか。卓がマイキに抱いている感情の正体をもし知ったら、この子は恐がりはしないだろうか?
 マイキはいつにない卓の腕の強さにか、少し戸惑っているようで、卓の肩口に顔を寄せている。
 抱きしめたまま頬を触ると、すべすべした肌が暖かい。
 卓はマイキの、艶やかな髪に触れた。

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な、何をする気……!?

こ、このラブ男!(笑)
日記連載って怖いですね。卓が、卓が勝手にいいいいいいっ。


2003年08月24日(日) 星降る鍵を探して4-1-8

*   *   *

 何か物音を聞いた気がして目が覚めた。
 今自分がどういう状態になっていたのかということを、思い出すのに少し時間がかかった。辺りは真っ暗だった。そしてやけに寒かった。体の表面はやけに熱いのに、骨だけが冷たく凍り付いてしまったような底冷えのする感触、目を覚ましたことを後悔するほどに寒い。
 息をひとつ吸い込んで、ゆっくりと吐くうちに、少しずつ感覚が戻ってくる。
 彼は固い壁に背中を預けて、もたれるようにして座り込んでいた。肋の辺りがひどくこわばっていた。息を吸うだけで肺に亀裂が走ってばらばらに砕け散りそうな痛みが走る。不用意に息を吸い込んでしまって、思わず喘ぐようにして息を止めた。これは本当に俺の体だろうか、と彼は思った。何かの間違いじゃないだろうか。
 卓は痛みを何とか押し殺そうと努力しながら、こちこちにこわばった全身を何とか動かして座り直した。どっと音を立てて全身を血が巡り始め、その感触が体中の細かな痛みを呼び覚ましていく。自分の体が思い通りにならないことにぞっとする。風邪をひいて寝込んだときだって、こんなにひどい気分の悪さを感じたことはなかった気がする。
 こんなに寒いのに、汗をかいていた。体中がべっとりとして気持ちが悪い。ぶうううううん、と低い何かの稼働音がしていて、空気はよどんでなま暖かい。なのにどうしてこんなに寒いのだろう。目が慣れる余地もないような真っ暗な中、卓は体を少しずつ動かしてみた。筋肉が次第にほぐれる内に、気分がわずかずつ良くなってくる。
 ――前にも、こんなことがあったな。
 妙な既視感を感じて、卓はあぐらをくんでため息をついた。あれはもう一月も前だ。江戸城の中で逃げ回っていたとき、つい眠り込んでしまって、真っ暗な中で目を覚ましたことがあった。あの時傍らには、マイキの柔らかく、暖かな存在が。
 ――あれ?
「マイキ……?」
 暗闇の中、卓は辺りを見回した。圧迫感すら感じるような漆黒の闇の中、当然ながら辺りはほとんど見えない。マイキがいない。気配もない。卓は体の痛みを忘れた。
「マイキ!」
 先ほどより数段大きな声で名前を呼んで、卓は耳を澄ませた。
 沈黙だけが帰ってくる。
 普段ならば、卓がマイキを呼んだら、マイキは何をしていてもすぐに飛んできた。その反応は驚くほどに素直で、あまり不用意にマイキを呼んではいけないのじゃないかと思わせられるほどだった。なのに、今は、マイキは寄り添って来てはくれず、どころかあの暖かな気配すら、今は全く感じられなかった。眠っているのだろうか? だから返事をしてくれないのだろうか? いや、マイキがすぐそばにいたなら、眠っていたって、真っ暗だって、卓はすぐにわかるだろう。
「マイキ!」
 どこへ行った――?
 卓は飛び起きた。肋骨がみしりと音を立てて痛んだが、ほとんど何も感じなかった。今が一体どういう状況だったのか、という情報が音を立てて脳裏を回り始め、そのひとつひとつを思い出す度に肝が冷える。ここはいわば敵陣のまっただ中で、おまけに追われている最中で。眠っていたということだけでも自分を罵倒したくなった。しかもマイキがそばを離れても、目を覚ましもしなかったなんて!
 ここに入ったときの記憶を頼りに、扉の方に手を伸ばす。しかし真っ暗闇の中では感覚がどうしても狂うらしく、手を伸ばしたところには何もなかった。よろめくようにして両手を前に伸ばす。しかし手には何も触れない。一体ここはどこだ、と、闇雲に手探りを続けながら卓は思った。眠っている内に追っ手に見つかって、違うところに閉じこめられたのじゃないだろうか。だからマイキがそばにいないのだろうか。としたらマイキは一体どうなったのだろう、もしマイキに何かあったら!
 がん!
 腰のあたりに衝撃が走る。
 扉はやはりすぐそばにあったようで、ドアノブで腰を強打した。
「……!」
 心配のあまり我を忘れそうになっていたといっても、これはさすがに効いた。痛い。ついでに肋骨までが痛んでさらに悔しい。しかしおかげで少し冷静さを取り戻した。忌々しいドアノブを掴んでひねってみると易々と開いて、廊下のかすかな明かりが滑り込んでくる。
 開いて良かったと思いながら、卓は廊下に滑り出た。
 これで開かなかったら錯乱していたかも知れない。
「……マイキ……?」
 しんと静まり返った廊下を窺って、卓はそっと囁いた。廊下には誰もいず、なんの気配もしなかった。マイキはどこにいったのだろうと卓は思った。敵に見つかって連れて行かれたことはないだろう。いくら熟睡していたって、そしていくら自分が抜けてるからといって、マイキを連れて行かれてぐーすか眠っていられるほど脳天気であるとは思えなかった。
 きゅっ。
 足を踏み出すと、スニーカーの底が甲高い音を立てて滑った。ドアの前がちょうど濡れている。

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昨日は予告もなしに休んで済みませんでした……帰ってきてから書けるかと思ったんですが、無理でした。ううう。


2003年08月22日(金) 星降る鍵を探して4-1-7

 息が上がっていたからか、それともあんまり驚いたためか、慌てて電話を取り出したら手元が狂った。鮮やかに明滅する携帯電話は階段を二段ほど転げ落ち、そこでけなげにもゴゴゴゴゴと振動音を響かせながら着信を知らせている。この長さはメールではない。焦るあまり自分も転げ落ちそうになりながら、何とか拾い上げてぱちりと開くと、液晶画面に浮かび上がっているのは流歌の名前だった。
 ――流歌……!
「も、もしもしっ!?」
 通話ボタンを押すのももどかしく、噛みつくように電話に出る。流歌と別れてからずいぶん長い時間が経ったような気がしていた。もうひと月もふた月も、あっていなかったような気がする。
 しかし受話器から流れ出てきたのは、流歌の声よりも数段低かった。
『……梨花ちゃん?』
 一瞬、誰の声だか分からなかった。
 圭太の声は、あの自信満々な姿を目で見ていないからだろうか、いつもよりも遙かに、不安そうに響いた。その声があまりにも普段の圭太と違っていて、何と返事をして言いものかわからなくなる。
 確かに流歌からかかってきたはずなのに、どうして圭太の声が聞こえるのだろう、という疑問はもちろん、圭太の普段に似合わない不安そうな声音も気にかかり、おまけに圭太の声は流歌の声にとてもよく似ていた。流歌の声を、その声質は変えないまま、低さと深みを加えたら、きっと圭太の声になる。双子だと言うことは知っていたが、今まで、圭太と流歌が似ていると思ったことはなかった。顔立ちはよく似ていても、性質が全く違うからだ。
 梨花はわけもなく不安になった。
 圭太が、いつもと全く違ってしまったように思えた。あの、いかにも怪盗! と言った強気で不敵で平然とした様子が抜け落ちているように思えて、何が起こったのだろうかと、心臓が、冷える。
『梨花ちゃん? 大丈夫か』
 圭太の声が聞こえてくる。梨花は息を吸い、そして吐き、ややしてから頷いた。
「大丈夫です。須藤さん、今どこ――?」
『捕まってないか? ひとり? 近くに誰かいないか』
 圭太は梨花の言葉には応えず、やや性急な口調でそう言った。梨花はためらいながらも、頷いた。
「捕まってない。ひとりです。近くには、誰もいないわ」
『そ……か』
 電話の向こうで息を吐いたような音がする。梨花はいよいよ不安になった。
「須藤さん? どうしたの」
『さっき、桜井さん――ああ、えっと。流歌をさらった黒幕から電話があって』
「電話――?」
 梨花は目を瞬いた。どうして黒幕から、圭太のところへ電話が来るのだ。
『ひとり見つけたって言うから、梨花ちゃんのことかと思ったんだ』
「……」
 息を詰めて、梨花は周囲をそっと窺った。しかし周囲には誰の気配もしなかった。見渡す限り、ここには監視カメラのようなものも見あたらない。
「見つかってない、と思います。清水さんのことじゃないの?」
 無意識に卓とマイキを思い浮かべなかったのは、『ひとり』という単語を聞いたからだ。卓とマイキは今一緒にいるはずで、見つかったのなら『ひとり』とは言わないだろう。
「清水さんには電話をかけましたか」
 訊ねると圭太が鼻を鳴らすのが聞こえた。
『男の心配をする趣味はないんだ』
「……そうですか」
 何と言おうかしばらく迷ってから、梨花は結局相づちを打つだけにして置いた。他にどうせよと言うのだ。
 しかし、普段のあの怪盗が少し戻ってきたようだと思うと少し気が軽くなる。
『とにかく、梨花ちゃん、今どこにいる?』


2003年08月21日(木) 星降る鍵を探して4-1-6

*   *   *

 はあ、はあ、はあ。
 静まり返った廊下に自分の息づかいが響いている。その息づかいには、もうずいぶん前から、喉の奥でひゅうひゅう鳴る厭な音が混じり始めていた。息が上がっている。足も重い。今は誰にも追われているわけではないのだから、ゆっくり進めば良さそうなものなのに、一度足を緩めると二度と走り出せなくなりそうで、梨花は熱に浮かされたかのように両足を動かし続けていた。一歩。一歩。心臓が破裂しそうだ。
 卓とマイキと別れてから、ずいぶん経っていた。
 建物の中は、恐ろしく静まり返っている。梨花は先ほど高津と一緒に下ったのとは別の階段を使って、階上を目指していた。もうだいぶ長い間、誰にも会っていない気がする。気ばかりが焦って足が上手く進まない。まるで悪夢の中にいるみたいだ。
 どうしてこんなに、静かなんだろう。
 流歌や圭太はもちろん、この所内にまだ大勢残っているはずの職員たちの姿すら、全く見かけていなかった。この建物の中にいるのはもしかしたらあたし一人なんじゃないか、そう思うと、先ほど聞いたあのリィリィいう厭な音が耳の底で鳴り渡っているような気分になってくる。さっきは高津が呼び戻してくれたから良かったけれど、今ここで、あの音が、再び聞こえてきたら?
 ――それから。
 あの、マイキちゃんの悲鳴。
 思い返すと左の脇腹、肋骨の辺りがずきりと痛む。
 暗闇が落ちた直後にマイキが悲鳴を上げた。悲鳴は梨花の脳の中を引っかき回すように鳴り響いて、引きずられてバランスを崩した梨花は、思わず地面に倒れ込んだ。左の脇腹が時折痛いのは、あの時ドアノブにぶつけたせいだ。そう思い出すと痛みは更にひどくなる。
 マイキの中に『降って』くる情景は本当に無差別なものだ、と聞いた。
 でも梨花には、どうしても、マイキの『見た』ものがここの研究所に関わるものだと思わずにはいられなかった。一体何を見たのか、と、聞けるのなら聞きたかった。
 ――星が、落ちて。
 あの時聞こえたのはその言葉。
 ――星が。
 星が、落ちてくるなんて。
 なんて不吉なフレーズだろう。
 いつしか梨花は立ち止まっていた。痛む左の脇腹を無意識のうちに庇っていたからか、いつもより息が上がっている。喘ぎながら階段の途中に座り込んで見上げると、踊り場の上に掲げられた階数表示が見える。
『16/15』
「どこにいるのかしら……」
 座り込んで呼吸を整えながら、頭の中を整理するために呟いた。早いところ流歌と合流して、こんなところから早く出たい。でも一体どこに行けば会えるんだろう。ただ闇雲に走り回ったって……
 どうしよう。これからどうしたらいいんだろう。疲れてしゃがみ込んで、膝に額をつけてうずくまった格好になる。少しだけ休んでいこう、と、大きくため息をついた矢先だった。
 唐突に、ジーンズの後ろポケットで、携帯電話が震えた。

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み、短くなってきた……!
すみません、今から出かけてきます。あうあう。


2003年08月20日(水) 星降る鍵を探して4-1-5

 疑問がいくつかある。
 まず一つ目、これは流歌の携帯電話なのに、なぜ俺が持っていると知っているのか。
 次に二つ目、そもそもなぜ流歌の携帯電話に電話をかけてきたのか。
 そして三つ目。これが一番重要だ。なぜ、流歌の携帯電話の番号を知っているのか?
『圭太。いるんだろ』
 考えている内に再び呼び捨てにされて、圭太はため息をついた。
「……いるけど」
『けど?』
「いないと言いたい」
 桜井はため息を吐くみたいにして笑った。
『だろうな』
 昔の通りの、ちっともおかしくなさそうな笑い方。
 ああもう、声を聞くだけで腹が立つ。
 何のためにかけてきたのだろう。早いところ終わらせて電話を切りたかったが、こちらから話の接ぎ穂を与えてやるのも業腹で、圭太はただ黙って桜井の次の言葉を待った。切ってしまうことは出来なかった。再びかけてくるのは目に見えている。
 ややして桜井は、からかうように言った。
『聞かないのか』
「何を」
『なんで流歌の携帯にお前が出るとわかったのか、とか』
 圭太は一瞬考えた。それは確かに先ほど浮かんだ疑問だったが、素直に聞いてやるのは絶対厭だ。
「……取り返されたって部下から連絡があったんだろ」
 よく考えれば答えはこれしかなかった。しかし、
『ご名答』
 桜井が楽しそうに言ってくる、その揶揄するような響きが癪に障る。
『それじゃあ次だ。なぜ――』
「もういいよ」
 圭太は軽口を続けようとした桜井の言葉を遮った。これ以上こいつにつきあっていたら気が狂いそうだ。
「何の用だ」
 怪盗マスクの裏で呼吸を整えて、訊ねた。呼吸を整えたのは、万が一にでも声に感情をまじえてはならないと思ったからだ。苛立っていることを悟られてはならない、というのは、七年前から良く知っていることだった。こちらが厭がることは何でもしたがる男なのだ。最悪だ。
 少しは粘るかと思ったが、しかし桜井はあっさりと用件を言った。
『警告を』
「――?」
『してやろうと思ってさ』
 声が、わずかに深みを帯びる。
 ――警告?
 圭太は耳を澄ませた。桜井の様子を少しでも聞き取ろうと、息を詰めて、目の前の薄闇を睨み付けた。電話の向こうで、桜井はきっと笑みを浮かべているのだろう。酷薄な笑みを。……あの時と、同じ。
『ずいぶん大勢の友人を巻き込んだみたいだな』
 桜井の声が次第に深みを増していく。
『お前の身のこなしはそりゃあ大したもんだよ。お前と流歌なら大阪城の金の鯱だって盗めるだろう。万年人手不足の俺たちじゃ、お前たちはそりゃ手強い相手だ。……けどな、お前の友達にまで、手を焼くと思われちゃ困る』
 電話の向こうで、桜井が、はっきりと笑った。圭太は思わず、それが誘いだと知っていながら、声を出した。
「何が言いたい」
『警告だ。ひとり、見つけたぞ』

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告白しますが、実は桜井さんがよくわかりません(おい)。


2003年08月19日(火) 星降る鍵を探して4-1-4

*   *   *

 その頃の須藤圭太。
 新名兄と別れた後、圭太はしばらく追っ手から逃げた。追っ手の数はそれほど多くなく、怪盗にとっては逃げるのは本当にたやすいことだった。桜井を相手にするといつも思う。桜井は得体の知れない存在で、目的のためならどんな手段でも眉も動かさずにやってのけるというおそるべき敵なのだが――それでも圭太が易々と桜井の、もしくは同業者の、鼻先からお宝をかすめ取ることが出来るのは、人手不足であるためだ。いつも。
『人に言えないような財産』を守るという桜井の仕事の性質上、大っぴらに人手をかり集めることが出来ないということなのだろう。そう考えるとこの国もまだまだ捨てたものではないと思う。
 ともあれ圭太は暗がりにその怪盗姿をとけ込ませながら、先ほど手に入れたばかりのものを点検していた。いや、手に入れたと言うよりは、取り返したと言った方が正しい。というのは、今圭太の手の中でひねくり回されているいくつかのものは、全て妹の流歌の持ち物であるからだ。
 折り畳み式の、シルバーピンクの、携帯電話。
 くしゃくしゃになったオレンジと白のチェックのハンカチ。
 革製のキーホルダー。
 その三つのものは全て流歌がいつもポケットに入れて持ち歩いているものだった。あとスニーカーもあったのだが、それはさすがにポケットには入らなかった。これらのものを流歌から取り上げたのは桜井だろうか、と、圭太は何気なくそう思って、胸の奥にわだかまる、暗く、重苦しく、熱いようで冷えた気分が更にその冷たさを増すのを感じた。桜井の前で流歌がどうなるか圭太は良く知っていた。ああいう状態になった流歌のポケットから、これらのものを抜き取ったのだろうか。――靴まで。
 流歌は七年前からちっとも変わっていない。
 そして俺も、と、仮面の裏で圭太は目をわずかに細めた。俺もだ。
 と。
 ぶるるるるるる、と、手の中でいきなり振動が生じて圭太は細めた目を見開いた。暗がりの中で流歌の可愛らしい携帯電話が色とりどりの光を放って震えていた。着信だ、と、一瞬だけ呆然としてから圭太はそう思った。誰だろうか。
 ややためらってから、ぱちりと音を立てて開くと、見覚えのない11桁の数字が踊っていた。流歌の電話帳にも登録されていないらしく、名前は出ていない。梨花ならば登録されているだろうから名前が出るだろうし、剛が流歌の番号を知っているとは思えないし、卓とマイキはなおさらだ。悪質なセールス電話かと思ったがワンコールを遙かに過ぎても鳴り続けている。かろうじて可能性のありそうなのは克だが――あの人なら流歌の番号を調べていたっておかしくない――と思いながら通話ボタンを押す、と、向こうから聞こえてきたのは、男にしてはやや高めの、かすれた、しかし耳に快いあの声だった。
『……もしもし? 圭太か』
 呼び捨てにするなよ、と圭太は思った。


2003年08月18日(月) 星降る鍵を探して4-1-3

「おかげで助かりました。あのままあそこにいたら、捕まっちゃうところだった」
 悔しさを押し殺して、笑顔を浮かべて、流歌はそう言った。剛を傷つけたくないために、この悔しさを押し隠して笑顔を浮かべたわけではない。この笑顔は自分のためだ。ちっぽけな自分を、これ以上惨めにしないですむように、流歌は笑った。
 すると剛は、一瞬驚いたような顔をして。
 そして、笑った。先ほど見せてくれたのと同じ、「にかっ」としか表現しようのないような、辺りの重苦しさを一瞬で吹き消すような底抜けの笑顔。こういう顔が出来る人だったのだと、流歌はその笑顔に痛みすら感じながら考えた。今までは逃げてばかりだから、知らなかったのだ。本当に。
「いや何、俺は貴様を助けに来たのだからしてあるからして」
 周囲を吹き払うような口調で言われた言葉は語尾が少し変だった。たぶんストレートにお礼を言ったから照れたのだろう。その剛の健全な反応に、流歌は黙って微笑んだ。ひどく、複雑な気持ちだった。嬉しいような、辛いような、悔しいような。
 ――清水さんは、先生と違いすぎるから却って、先生を思い出してしまう。
 七年前、最後の日に。先生が最後に見せたあの表情が、剛の笑顔の後ろに見える気がして、流歌は身震いしそうになった。
 空虚な、あの、表情。
 人間にこんな表情が出来るのかと、愕然とするような。

   *

 彼女はその惨状を見回して軽いため息をついた。
 足下で高津が大の字に横たわったまま目を閉じている。事情は全てこの高津の口から聞き終えていたから、彼にこれ以上口を開かせるのは酷というものだろう。肋が数本は折れていて、話すのもつらいらしいから。いっそこのまま楽にしてやろうかと、ポケットの中の小型の拳銃を右手でなで回しながら、半ば本気でそう思った。そうしたら、少しは気が晴れるだろうか。
 ――ああ、わかっている。
 これは八つ当たりだ。
「玉乃、姐」
 高津が普段からは想像もつかないような、低い、呪わしげな口調で言った。こいつにも「悔しい」という感情があったのかと、軽い賛嘆と重い侮蔑を込めて彼女は思った。無能なくせに「悔しさ」を感じる感覚だけは人一倍だなんて、愚劣にもほどがある。どうしてあのひとの部下がこうまで無能なんだろう。
 高津の姿はこれ以上ないというくらい惨めだった。スーツは白い消火器の粉にまみれて、仰向けに倒れた姿は巨大な灰色のヒキガエルみたいだ。高津をこうまで傷つけたのは、素人の、しかも高津よりも若いような男だったのだという。若者? 若者か。今日は何だか若者にばかり縁がある。
 腕っ節だけが取り柄だと思っていたのに、それすらも若者にかなわなかったと言うわけ?
 この気位だけは一人前の男が、そう告白するためには、どんな覚悟が必要だったか――ということを、思い浮かべるくらいの想像力は玉乃も持ち合わせている。
 だが想像できただけで、同情には至らなかった。玉乃は自分のことだけで精一杯で、他の人間の苦悩まで理解してやれる余裕がなかった。やる気もなかった。義理もない。これ以上床の上に横たわる高津の姿を見ていたら、自分が何をするかわからないと思ったから、彼女は白衣をマントのように翻して、きびすを返した。
 ――あたしは八つ当たりでだって人を殺せる。
「玉乃、姐」
 高津が繰り返した。彼が何を期待しているのだろうと玉乃は少し考えた。慰めの言葉を? それとも叱咤を? それとも何か、軽い相づちのようなものでも期待しているのだろうか。まあ別に、高津が何を期待していようと構わなかった。そのどれだって、高津に与えてやる気は起こらなかったからだ。
「とにかく梨花さんは、青年と少女と一緒に逃げたのね」
 呟いてから、何もこんなところでまで「さん」づけする必要もないだろうに、と思うと少しおかしかった。
「……そう、です」
 足下から低い声が聞こえる。その声がどんな感情を含んでいるかなんて、玉乃にはもうどうでもよかった。そう、とだけ呟いて、彼女は歩き始めた。出口の方へ。こつこつとヒールの音が空虚な地下室に響く。
「――どちらへ」
 高津の声が後ろから追いかけてきた。軽くため息をついて、玉乃は呟くように言った。
「梶ヶ谷先生のところへね」
 先ほどから何度も呼び出しがかかっている。拳銃とは反対側のポケットに入れた携帯電話は何度も振動を繰り返している。その度ごとにポケットから出して液晶画面を確認し、その度ごとにそこに『梶ヶ谷』の文字を見つけて落胆する、その繰り返しが厭わしかった。そう、落胆している。液晶画面に浮かぶ文字が梶ヶ谷の名前でしかないことに、ひどく。
 ――誰の名前だったら満足するって言うのかしらね。
 実際その男から連絡が来たら、ひどく腹立たしい気分になるのは分かり切っているのに。
「……お気を、つけて」
 数瞬の沈黙の後、高津の間抜けな言葉が追いかけてくる。
 玉乃は残酷な衝動を抑えきれなかった。くす、と含み笑いのような呼気が漏れた。出入り口で振り返って、玉乃は呟くように答えた。
「あなたもね」
 これくらいの八つ当たりは、神様もきっと許してくれる。

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再開しました。ずいぶん長らく放ったらかしておりまして、申し訳ありませんでした……!
引越しひと段落ですよ。あー長い戦いだった。
玉乃さんは大変書きやすいです。困ったときは玉乃さん(笑)。
しかし連載開始当初から密かに秘めてほくそえんで来た目論見が色々ぶち壊しになっていることに今気づいた(ダメ)。


相沢秋乃 目次前頁次頁【天上捜索】
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