人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2011年05月14日(土) 初めての相手

ママ友が欲しいと思ったことは一度たりとてありません。公園デビューなど、他人事の話。というのも、子どもが乳児期のときは職場が育児に関する色の濃い場所だったし、今だって同じ職場に同年代の子どもを育てている人&子育て終了者が多いこともあり、子に関する話題が豊富な環境のためということもあると思う。だから、土日にわざわざ友達が欲しいとも思わず、ここまで来たわけだ。妊娠時期から数えれば6年以上。

しかし本日、初めて、外出先で会った、子と同じ保育園に通っていた(4月に転園した)ママさんと携帯メールアドレス交換。正直なところ現在も複雑な気持ちで、祝、とは言い難いが、本当に初めての経験。しかも6年以上使用した携帯を買い換えたばかりで、どうやれば自分のアドレスを赤外線で送ることができるのか、本気で悩んだりして。

「今日はありがとうございます」とメールが早速来ちゃって、絶句。私、プライベートでは社交的から程遠いところにいる人間なのに…本来、人見知りなんだよ! 根は本当に根暗なんだ…。

お返事をするにはかなりの勇気と時間がいるわ…と携帯を片手に項垂れた私を見て、夫が心底気の毒そうな目を向けたことが、本日一番の切ない出来事ではないだろうか。

今夜にはお返事を出さなければ…と今から緊張。夕飯を作りながら、お返事内容を考えねば。


2011年05月08日(日) 被災地へ公務として向かうということ

別に、誰かの役に立ちたいだとか、自分にできることを最大限に発揮したいだとか、そういう高尚な気持ちで現職に就労したわけではない。たまたま、色々な流れに沿っていった先で取れた、という資格を、自分が生きるために活かすことにしただけの話なのだ。熱い思いは、まったくなし。だけど、給料をもらっているからには、最低限のことはする。だから、医療従事者に少なくない燃え尽き症候群など、縁遠いところに立っていたりする、正直なところ。

東日本大地震が起こったとき、一番に思ったことは、「この状況は、保健師の被災地派遣の話が出る」ということだった。まだ記憶に新しい神戸、新潟の震災経験もあり、国の動きは早いだろうということは分かっていた。夫方実家帰省中だったもんだから、早めに職場に戻らないと、また派遣職員から外されるなあ…とも思った。というのも、新潟の震災時は「あなたは新婚だから」という理由で派遣されなかった経緯がある。

経験しなくてよいこともあるだろうが、日本にいる限りは、いつ自分の居住地が災害に見舞われるか分からず、それを思えば、被災地での職務経験は決して無駄にはならないと思う。だけど、今回も、1人職場になってしまったため、日程まで決まっていた派遣見合わせ…え? 私、震災に嫌われている? なんてちょっと被害妄想を抱いてしまったりして。

行かずにすんでよかった、と思う気持ちがあることも嘘ではないけれど、行ったら行ったで、また視野が広がっただろうことは容易に想像できて、なんとなくくやしいのもまた事実。

人間の心は、本当に複雑です。


2011年05月07日(土) 心情では、運命という言葉で片付けられないが

年齢は異なるけれど、同じ干支生まれの、同じ星座の、同じ性別の、同じ血液型の人の、それぞれ初めての恋人と初恋の人が、同じ名前だったという、そういう偶然。

何か、いやーっ。

しかも、そのふたりは私と血縁ていう、そういう話。


2011年05月06日(金) それは「変人」だとか「ずれている」という表現では正しくなかった、発達の問題だったのだろう

何か、いろいろ、死にたくなってきた…とごちゃごちゃした身の内の感情や混乱を短縮するとそういう形容になってしまう今日この頃。青天の霹靂な、でもたぶん事実、というところに気づいてしまい、納得するとともに、なんで今まで私そこに気づかずにいられたんだよ、あれれ…などと頭を抱えたり、笑い出したりしたいわよ、って一体何なんだかな…。一番おかしいのは私だよ、と以外に冷静に突っ込んでみたりみなかったり。

そんな訳で、大混乱中でありますが、大事なポイントをばひとつ。

「そういう人のそばにいた人と一緒になるのが一番。特に、兄弟にそういう人がいる対応に慣れた人がよい。この際、その人がそれを自覚済みだろうが無自覚だろうが、どっちでも構わない」

30年以上の付き合いを経て、今ようやくわかったこと。我が子の発達障害は乳児期から気づけていたのに、どうして彼女のことには気が回らなかったのか。本当に悪かった。だけど、だからこそ、私は我が子への対応ができていたんだ。
知的に高いから、ぱっと見は社会にどうにか溶け込めているから、うっかり見落としていたんだ。「ちょっと変わっているよね」と他人の評価を耳にしていたにもかかわらず、それをさらりと流していた。

実母は気づいていないと思われるが、あの聡明な実父は、実は薄々感じていたんじゃないだろうか。本人の生きづらさへの苦悩を、実は知っていたんじゃないだろうか。特別学級の児童の様子を見たこともあるくらいなのだし。

私自身もどちらかというと発達障害に傾いている場所にいる人間だけれども、運よく就労してからそれを自覚し、外見を修正するくらいの器用さは持ち合わせている。その修正ができないくらいの場所にいる彼女は、一体どんな気持ちで今まで過ごしていたんだろうか。助言をくれる存在のないままに、30年以上を。「ずれている」自分を自覚しても、どうにも進めない状況で。

遠くない将来、私はどんなことがあってもあなたの味方だからと、きちんと伝えたい。そう思っている。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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