人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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別に自宅にあってもいいと思うけど、と思うのは私だけなのかもしれない。
大阪帰省中、夫が使っていた部屋の、空いた押入れで、うちの小さな生き物がかくれんぼをしていた。うちの小さな生き物の言う「まあだだよって聞いて」の正しい訳は、「もういいかいと言って」。つき合わされ、ふと押入れの隅に冊子の山を見つけた。エロ本と、写真アルバム。
写真アルバムは、夫と、前妻の、新婚旅行の、写真。夫の筆跡ではない字でコメントの描かれた紙が挟まっていたり、にこやかに笑う前妻のしあわせそうな顔は、別に嫉妬するべきものではなかった。前妻がいたこともひっくるめて夫の過去であり、その過去をも知った上で一緒になったわけなのだが。
夫があえて持ってこなかったのならば、私には何も言う権利はない。夫が捨てたのか、夫が隠したのか、夫が忘れたいのか、どんな過去であったのかは私には分からないが、置いていったものを私がとやかく言っても仕方がない。
ところで、このエロ本の束の中に今、プレミアがついてオークション等で高額なっているようなものはないのかね?と一瞬思った私は、守銭奴なのか?
2008年09月22日(月) |
分かり合ってはいけない |
やっぱり、っていうのが、二重のやっぱり、で、夫としばし沈黙を共有した。
例の事件の話だけれど、母親怪しくない?なんて、話していたら、やっぱり母親逮捕。実は子どもは発達問題か何かあったんじゃね?なんて話していたら、やっぱり軽度発達障害。
だから、憤りだけでなく、納得というか共感というか、そういう、「わかるよ」まではいかなくても、「そか…そうだよね」というどこかギリギリラインの頷き感があるのは、うちの小さい生き物のせいなのかもしれない。
切ない。今日は、子どものことで動揺が丸分かりで痛ましくて一緒にいるのがつらいくらいの人と数時間同じ空間で過ごし、少し、私も気持ちが揺れている。 もうすぐ、うちの小さい生き物、3歳になるんだ。だけど。
だけどね。
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