人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年08月29日(日) もうその傷は隠さなくていいよ、と誰かが言ってあげられたら

"虐待"も"病気"のようにどこかで予防しないと。

親から子へ、その子が親になって子へ、その子が更に親になって…という虐待の連鎖を断ち切るのは難しい。加害者であり被害者でもある人の苦しさを思うと、切ない。理想としては「こんなことしたくないのに」「自分がされて嫌で自分はそんなことしないと決めていたのに」「なんで同じことしてるんだろう」だけど「あんただけが愛情を得るなんてずるい」「私は我慢したのに何であんたはそれをもらえるの」「私だって今からでも欲しいのに」…矛盾した感情は誰の内にだってあるけれど。

虐待の被害者は早く加害者の下を去りたくて、若くして誰かと一緒になることが少なくない。自分はしあわせな家庭を築くんだ、と決意しながら。そして、妊娠して、子育てを始めて、そこで苦しみ始める。パートナーやその周囲の支えがあって連鎖を断ち切って生活している人もいるけれど、そんな"重い"人を支えられる力のあるパートナーに出会う確率は低い。そして、暴力や放棄が当たり前にある状況に陥る。

子どもが大きくなって感情を出してくるにつれ、イライラとモヤモヤが大きくなり、爆発する。叩いてしまったり怒鳴ったり無視してしまったり。そんな自分を嫌悪し、誰かに話すだけでは収まらないほどの感情を抱え、心の行き場のなくなる。下手をすると、重さに耐えかねたパートナーや友人たちに去られてしまったり。

そんな風になる前に、本人でも友人でもいい誰でもいい、私たちの存在を思い出してくれたら、といつも思う。


2004年08月28日(土) 絶対人には秘密の部屋

マッサージっていいなあと、再確認。

昨晩は2ヶ月以上先の予約しか取れない、とある個人マッサージ店に行ってきた。昨日で5回目くらいの利用。たったひとりしかいないマッサージ師が技術的にも会話的にも合うタイプなので、本当はマッサージは定期的に行ったほうがいいのだけれど、予約が取りにくい分定期的に行けなくても、時々ぽっと自分へのご褒美として利用。2ヶ月以上先だと、自分の細かい業務予定は不明なので、毎回"緊急対応ケース"だけはその日に入るなよ〜、と祈りながら当日を迎える感じである。

マッサージの何がいいって、今までは"身体も心も気持ちいい"だけのことばで表していたけれど、昨日は"どこも大事にされた"という感覚が強かった。この、太もも内側や臀部の余計な肉とか、コリのひどかった肩から首とか、足の指先、特に親指の先(頭のツボだそう)だとか、とても丁寧に愛された気がした。1ヶ月程度店を休んで研修に行っていたとのことで、その前に受けたときとは比べ物にならないほど技術が上がったなあという印象があった。

恋人も私の全体を愛してはくれるけれど、それとはまったく別物で、普段はあることを忘れたいほどコンプレックス部位に触れられたけど、それをからかっていとしむ感じも憎む感じもなく、ただあなたの身体の一部だから大事と撫でたり揉んだりと、そういう感じがよかった。

気に入らないところもひっくるめて、なんだか自分がまた、好きになれた。


2004年08月25日(水) 感覚と感情の温度差と年齢差と

いやんなっちゃうな〜。

私は"指導"ということばが嫌いだ。大嫌いだ。誰かに"指導"できるほど、私はできた人間ではない。だけど、保健師の世界の文書を読むと、昔に遡れば遡るほど"指導"ということばをたびたび見かける。保健師ってえらい職業か? "理想に導く"? 誰にとっての理想なんだろうか。万人が通れる"正しい道"なんてあるんだろうか。

保健師の"指導"に泣いた人は何人いるんだろう。"指導"は厳しすぎて、そこに行くまでの道のりは遠すぎて、"自分は駄目な人間なんだ"と感じた人は何人いるんだろう。

"助言"だけでいいじゃない、と年配の同僚保健師の"指導"場面を見ていて思うことは多々ある。私の保健師としてのスタイルは、アバウトすぎるかもしれない。だけど、"こうしなさい""こうでなきゃ駄目"なんて強い思想は私にはないのだ。"理想"と"理想から遠い現実"との間の「こういうのはどう〜?」と"妥協点"を一緒に探すということが、私の支援方法なのだ。

同じ保健師の中での温度差のお陰で、時々不愉快な思いをする。


2004年08月22日(日) きみと歩むこの道の今後のしあわせについて少し考えてみた

先のことなど分からない、というのが本音だけれど。

きみの喜ぶ顔が見たくて床上手になろうと思ったけれど、素質としての色気が皆無な自分にはそれは土台無理な話と、それを理解した今、料理上手を目指そうと頑張っている私がいる。
本当は、10代の頃から料理上手な恋人を得ることが目標だったのだけれど、生まれてこの方料理らしい料理をしたことがないきみに惚れてしまったのだから仕方がない。だけど。

冷凍食品を電子レンジでチンするようになっただなんて、出会った頃はチンさえも面倒くさがっていたきみにしては一歩前進だよ。
お米を量って研いで炊けるようになっただなんて、びっくりしたよ。
チャーハンの素を使ってチャーハンを作れるようになっただなんて、大進歩だよ。

この間は、ピーラーに興味を示しておっかなびっくりハラハラドキドキな手つきだったけど、じゃがいもの皮を1個分剥いてくれて、ありがとね。
たまに気が向くと自分は使わないのに包丁研いでおいてくれてるみたいで、助かってるよ。
汚れた食器は水に浸けておけば洗ってくれるので、私の作業がひとつ減って、感謝感激だよ。

料理できないきみは子どもみたいなもんだから、やってもらったら褒めて、してもらっていたことに気づいたら褒めて、"いつものこと"でも決して当たり前のこととして扱わなければ、きっときみもやりがいあるはず。

最近の私は、きみが好む味の料理のレシピサイトを見つけて、気分ホクホク。私は好きなのに「苦手かも」と言われていた親子丼さえも、「うまかったな、これ」とサイト通りに作ったら喜び顔が見られたので、今後はこのサイトで頑張ろうと思うよ。私、時々は面倒くさくなって外のものを買ってきちゃうけど、基本的には料理は決して嫌いじゃないから。

あなたに多くは望まない。
未来の私が病の床に臥したら、未来の子どもにチンでも煮ても焼いても何でもいいから食べさせてあげられるだけの人になってくれれば、それでいいから。
少しずつ、できることを増やしていってくれればいいから。
そしてうちの父のように、20年後にはてんぷらがからりと母や私よりも上手に揚げられるようになってくれればいいから。

同居初っ端から蜜月開始だなどという現実は無視して家事全体の手を抜いて、「働いている女の人は忙しいからなあ」と理解させる作戦は成功中。

すべては私の裁量の中に。


2004年08月20日(金) それに関して非難のことばしか持たない人など、私は知らない

その真面目さが痛ましい。

「頑張りすぎないで下さいね」と伝えずにはいられない人たちがいる。私も大概『真面目』寄りの性格であるが、"完璧"を求めないしいい加減すぎる部分もあるので、何事にも行き詰るほど頑張ったことはない。

だけど、子育てにしろ、介護にしろ、全力投球というか、人生投げ打ってというか、それしか目に入っていない人たちがいて、見ていてつらい。真面目な人は、成果が目に見えにくいものや、効果がすぐに現れないものに対して、弱い。そのうちでるはずこれだけやってるんだから、と、見切りや休みを取ることなく突き進んでしまう。頑張ったら疲れるのは当然のこと。なのに、自分の疲れさえもを忘れようとしたり、ないものとして扱い、気づいたら心に余裕がなくなり。自分を責め、相手を責め、苦しい淵に立っていたりする。

一方、『面倒くさいことは嫌い』『私のできる範囲でやる』という心持ちの人たちも、生きるに当たり最低限のこともしなかったり、やってもできない自分を責めてみたりしていたりもする。周囲から見たら、「やっていない」ので非難の目を向けられるし。

そういう両極端な人たちを見ていると、足して2で割れたらなあ、と常々思う。まあ、「私のやってること、完璧」なんて思っている人もたまにはいて、それはそれでまた危ういところにいる気がしてならないけれど。

奉仕の気持ち、家族だから見る、というのは実は、相手のことも自分のことも客観的に見ることができず、また、感謝の気持ちをもたれにくく、むしろやってもやっても終わらない、永遠の重しだと私は思う。ひとりでやろうったって絶対に無理なのに、『やれて当たり前』『周囲もやっているんだから』という根拠のない思いに突き動かされて、家事、育児・介護、その他の仕事をやろうとするから無理がかかる。

息抜きすることも、大事。保育所の一時預かりを利用したり実家に帰ることも、デイサービスや親類にちょっと見てもらって自分のために外出することも、「薄情」な行いなんてことはない。罪悪感を持つのは仕方がないけれど、罪悪感が生じるからこそ、リフレッシュした後にはやさしく接することができる、自然に頑張ろうという気持ちになれる。自分に鞭打つべき場面なのか、砂糖と与える時期なのか、それを見極められなければ、他人を見るべきではない。

だから、"虐待"としてケースに関わっても、加害者に同情の余地があることは多々あることで。


2004年08月19日(木) 相手の生育歴を知らないままに一緒になる恐怖

育児する相手の姿を見てから一緒になるかどうか決められたらいいのに。

恋をしたときはいい人でも、子どもができたり育て始めたら「え」と戸惑うことは多い。

以前にも記したが、子育ては自分がされてきたことを子どもにすることが多い。はっきりした記憶になくても、何となく親と同じことをしている。中には、「自分が親に愛されなかった分私はこの子を愛する」と軌道修正しながら子育てする人もいるが、虐待に至ってしまう人もいる。なにせ、「自分がされてきたこと」はその人の当たり前の生活であり、「愛された記憶がない」のであれば愛し方も分からないのは仕方がないことだ。

育児は怖い。相手の、自分の、知らなかった、さほど気にしていなかった生育歴が、もろに明るみになる。第1子だった人、真ん中の子だった人、末っ子だった人、年子だった人、兄弟が多人数だった人、異性ばかりの中で育った人、母親だけが育ててくれたようなものの人、親でなく祖父母や他人に育てられた人、施設で育った人…人にはいろいろな過去がある。いい経験をした人ばかりではない。虐待まで行かなくとも、どこか価値観が捻る経験をした人は少なくない。自分がしあわせだと他人の不幸に気づきにくくなるし、自分が不幸だと他人はみんなしあわせに見える。

例えば、「今は私手が離せないの分かってよ」ではなく「私が我慢していた欲求を何であんたは素直に出すの。しようとすれば我慢できるものなのに」という"いい子""手のかからない子""親に気を使っていた子"で育った母は、我が子を嫉妬心の入り混じった思いで見る。自分を押し殺さなければ愛されなかった母は、年相応にわがままを言う我が子を、例え1歳や2歳児でも許せない。
そして、そんな自分の過去を思い出した母は、実母を許せなくなり、絶縁する、というケースもよくあることで。余裕のない育児をしている人には支援の手が必要で、特にお金のかからないはずで頼みやすい実家との縁を切ってしまう人は、ますます孤立し、ひとりで自分の過去と向き合いながら育児に取り組まなくてはならない。父が、そんな母を支えるなんてことは、余程の人でないとできない。育児支援だけでもできるかできないかくらい仕事だのなんだので手一杯なところに、母のメンタルヘルスに関われだなんていったって、そんな面倒なことは御免こうむる、といったところであろう。その気持ちも分かるには分かるが。
父も父で、ある父なんかは母に子どもとの公園遊びを頼まれたならば、「俺は小さい頃親に遊んでもらった記憶はないけれどこれだけ育った。だから、こいつも放っておいても大丈夫だ」などと言う始末。嗚呼…そういう結論?

誰かと一緒になる、子どもを見る、ということは簡単なことではない。覚悟をしなければできないが、覚悟をしなければできないとなったら誰もしないであろう。そうなっちゃったから、その道に入る、といった具合。

だから、気づいたときには手遅れ、ということもよくあることで。


2004年08月16日(月) 夢と希望と娯楽を与え続けたというのにその扱いとは如何に

かわいそうなゴジラ。

車内釣広告を見て、あ、こりゃ行かにゃあかんわ、ということで、横浜高島屋東宝特撮ワールド『ゴジラ生誕50周年記念作品 ゴジラ FINAL WARS 公開記念特別企画』に恋人と行ってきた。

そう、行って来たんだが…入場口のチケット販売所で2人分チケット代を財布から取り出そうとしたそのとき、老女より声をかけられた私。道を聞かれるんだろう、トイレか、売り場か?と話を聞こうと向き直った私に、「ごめんなさいね…」と手にしていた封筒からゴジラのチケットを取り出した老女。「私、孫もいないもんで、もらってやってちょうだいな」と、ゴジラ展特別招待券をいきなり手渡された。ぎゃふん。浮いた2人分チケット代1,600円、もらったそれで、見たゴジラ展。

自分で金出してたら怒ってたよ?ってくらい期待はずれで、私と恋人は無言で会場内をぐるぐる。50周年て…もう最後というか最期というかになると、扱いはこんななんですか?状態。もっと、盛大にやってもよかね、と涙を誘われる特別企画展。

過去の栄光は何処に…。


2004年08月12日(木) 佐々木(仮)の人々 〜 母よ、娘の声も忘れたのですか? 「アタシアタシ詐欺」編

私の背景にそんなことがあったなんて、私も知りませんでした。

母から、震える声で携帯に電話された。
『き、きさちゃん…? 今、どこにいるの?』
平日の夕方。どこにいるかといえば、仕事が終わって家路に着き、自宅で夕飯の支度をしているか、近所のスーパーで値引き品を見ているかの時間帯。
母の声色の異常さに、こりゃ父さん倒れたか、車で事故っちゃったか、火事を起こしたか、包丁で指切ったか、そういう感じの嫌なことが起こったかな、と一瞬どきりとした。
「今、○○」
と、びくびくしながら家から一番近いスーパーの名を挙げると、『本当? 本当に? ××さんは?』と恋人がいるか尋ねてくるので、何が何やら分からぬままに「隣にいるよ」と返事をすると、『そう、そうなの…』とへなへなした返事が返ってきた。

実家の電話に、自称「奎佐」から連絡があったそうな。最初、男性が「お宅の奎佐さんがうちでローンを組んで云々」との説明が始まり、170万円の借金があってその返済についてのお話、とのことで「奎佐」と電話をかわったと。「奎佐」は大層泣きじゃくっており、「ごめんなさい」を繰り返し、今、ローン会社の車の中にいて、本日中に返済しないとどうなるか分からないと、そう訴えたそうな。
母、動転。
たまたま夏休みを取っていた父が家にいたので、「ど、どうしよう…奎佐が…」と母は父と電話をかわったのだと。
一方父は、「『きさ』ってどんな字書きますか?」とか尋ねたり、「これは奎佐の声じゃないよ」とか冷静に言っていたら電話は切れてしまったらしい。

オレオレ詐欺、女性バージョン。

つーか母さん、私のことなんだと思ってるのよ? 私、そんなに信用ない? そもそもそんな電話するならいるかいないか分からない自宅にはかけないし、母さんじゃなくて父さんに相談するよ。それに、170万円くらいで金融会社の車に乗せられちゃうんですか? 「090金融」かと思ったの? 私公務員だから、借りるんならもっと違うところで借りるよ?

私の無事を確認するなり、『お母さんひとりだったらだまされてたわ』とそうつぶやく、あなたの方が私は心配です。


2004年08月07日(土) 真夜中の変質者

夜中に目が覚めたら、薄暗い部屋の中、恋人と目が合った。

「まだ早いで。寝てろ」

言われて、そうなの、と納得して目を瞑ったら、頭を撫でられ、髪を梳かれた。私は、こういうやさしい感触を求めて、人を好きになるのかもしれない。

寝顔見てたなこの野郎、だなんて言わないから、また起きちゃったら頭撫でてね。


2004年08月05日(木) 軽く、恋しちゃってもいいですか?

一目見たとき、心臓がビクッと跳ね上がった。

通勤時、天気がよければ自転車で駅近くの駐輪場まで行く。駅までほんの少し上り坂があるのだが、そこで会うか、もう少し駅寄りのコンビニ前あたりで会うか、その辺は多少前後するのだけれど。とにかく、私を恋をしたての頃のように息が詰まるようなドキリ、をさせる人がいる。

恋人に、何か似ているのだ。顔立ちと、禿げ具合が。恋人と、矢沢永吉を足して割ってどこか引いたような、そんな感じの人。最初、家にいるはずの恋人が何でこんなところに、と思うほど顔も雰囲気も似ていた。

毎朝、その人とすれ違うのが日課。ああ、今日も元気そう、と確認してホッとする私。

ああ、これって恋なのかしら?


2004年08月03日(火) もう、ピル飲むのやめてもいい?

それは、経済的な問題ではないのだ。

先々週末でピルがワンシート終わり、先週半ばに出血がきて、今週頭から新しいピルシートを飲むことになっていた。だけど、先週色々な出来事に揉まれ、私の中ではいろんな感情が渦巻いていて、思わず、日曜日の夜、恋人に「ピル飲むのやめてもいい?」と問いかけてしまった。未だ求職中の恋人は、一瞬固まり、結局は「お前の好きにしてええで」と答えた。

今週月曜日の夕方、産婦人科に私はいた。また2ヵ月分のピルをもらっていた。一気に、日曜日の分も含め、二日分のピルを飲み込んだ。

私に、何も考えずに突き進めるだけの勇気があったならば。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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