人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年07月31日(土) 私は自分に子どもができない限りずっとこんな気持ちを持ち続けるのだろうか

女として。

女には、下着を下ろすのが怖いときがある。それは、ショーツにどんなことが起こっているか分からないときである。

妊娠・出産と女の性に関わる仕事に就いていて一番よく聞くのは、「出血した」という出来事だ。妊娠の初期であれ、中期であれ、後期であれ、分娩時(出産時)であれ、産後であれ、「出血」という現象はよく見られる。安静にして治まるものもあれば、残念ながら妊娠継続が駄目になってしまう場合もある。何にせよ、身の内にあるべきものが外に流れ出るというのは怖い。

その出血の有無を確認をするのは、下着についているか否かである。ぼたぼたと何か溢れて流れている、というのであればもはや病院に行く処置しかないが、そうでなくて、そっとショーツにつくくらいの出血については、自分の判断に委ねられる。それを確認するのも考えるのも、本人。病院に行くか、安静にして様子を見るか…とても、恐ろしい。

生理時、ナプキンがずれてしまい、ショーツに染みてしまったのを見るのはひどく嫌な気持ちだった。今は羽根付きでずれにくいナプキンが主流になったが、体育の授業があった10代の頃は最悪だった。それを否が応でも確認させられる為、トイレに行くこと自体拒否したかったこともあった。ホルモンのバランスが悪くて、いつ生理が来るか分からず、いつの間にやら出血がきていたときも憂鬱だった。妊娠していなくても、不正出血があったら不安になる。
それが、妊娠している最中の出血だったら、嫌さも怖さも不安も倍増だ。

同僚が、妊娠による出血で入院した。未だ、身近な人が妊娠したと聞いては妬ましい気持ちになる。自分が、ピルを飲むという方法で妊娠しないようにしているというのに、「羨ましい」というよりも「妬ましい」と思う、浅ましさ。私は、ピルをやめても妊娠しないことが怖いし、妊娠しても途中で駄目になることが怖いのだ。

同僚が入院した話を聞き、私は「大変」と共に「妬ましい」と思った。後になり、そんな自分にひどく落ち込んだ。だから、「もし私が妊娠して出血したら」と考え、下着のことと共に、ちょっとした腹痛も怖いな、おりものでも量がいつもより多かったら心配になるだろうな、と色々と想像してみたのだ。

私の心は、ひどく狭い。


2004年07月28日(水) 心休めるために、私は何処かに

私が一番好きな肉は豚肉であったことを再確認した旅。

夏季休暇をもらい、同居の恋人を置き去りにして、某県所属の同業者友だちふたりでアジア旅行に行ってきた。つけようと思っていたオプショナルツアーのトレッキングが現地にて急遽中止となり、はりきり旅がのんびり旅に変更、非常に贅沢な日々を送った。そこで知ったのだが、私たちは"いつもはできないことをする休み"を楽しむことは努力せずにできるのに、"何もせずに休む"ことが人一倍下手だったようだ。

リフレッシュの為に休みをもらったのだが、最初の日程通りの旅をしていたら、予定が詰まりすぎていてかなり疲れてしまっていただろうと、今なら思う。むしろ、「どうしたらよいのかしらん」という時間が何時間も、今回は1日以上あったため、最初は時間をもてあましたものの、最後には寝るわけでもなく、草花や空や動物や海を前に、ぼーとする時間を満喫することができた。

途中、仕事の話も入り、「家族サービス命のお父さんは土日に頑張りすぎてしまい、月曜日に事故や怪我を起こしやすいというデータを見たことがある」という相方からの情報提供より、休み下手な人の多さ、所謂自分と家族を含めた生活設計自体がうまくない故休日に張り切りすぎてしまう悲しさ、ゆったり過ごすことを「贅沢に休めた」ではなく「つまらなかった」と思ってしまう捕らえ方の否定的さ加減について語り合い。

仕事のことを一時話しても、それに囚われることなくまた頭を使わない、目に見えるものだけを見て感じる時間に戻る。そして、何も語らないままに同じ空間にいても苦痛でない人の存在を得ていたことに、感謝する。

バルコニーのラタンチェアでぼんやりと過ごしたあの時間を、私は忘れない。


2004年07月22日(木) 相手の帰りを待ち続けるしあわせ

何を待っているのか。

痴呆症状が少しずつ進み、現と過去とを行き来し始めたひとり暮らしの女性がいた。話を聞いてみたら、夫が帰ってくるのを楽しみに待っていると。夫は夜勤の仕事をしており、一昨日仕事に出て、まだ帰ってこないと、そう言った。彼女の夫は、10年以上前に亡くなっているはずなのに。"夫だった人"の他にいい人でもできたのか、それは分からないので待っている夫の名を聞いてみたら、亡くなったその人の名が返ってきた。

80歳を過ぎ、亡くなった夫を待つということが、「お迎えを待つ」なのか、本当に「帰りを待っている」なのか、区別つかない。突っ込んで聞いてはいけないことはあると思う。痴呆のある女性の精神科医の受診で、医師が「旦那さん、亡くなっているってことはありませんか?」と聞いているのを見ていたことがあるが、悲しい現実を突きつけるのは、私にはどうにも抵抗がある。

亡き夫のワイシャツを、何度洗濯して何度アイロンかけてもいいと思う。それで気持ちが落ち着くのであれば、死ぬまでやってくれてかまわないと思う。人は長く生きれば誰だって、物忘れが出てきてそれを苦しみ、程度はあるものの徐々に痴呆症状と呼ばれるものが出てくるのだから。そんな老いる苦しみの中であれば、"夫を待つ楽しみ"を再び味わってもいいのだ。彼女の人生の中で、"夫との思い出"が一番強いのならば、夫のいた頃に心が戻ってもいいのだ。

痴呆で怖いのは、自分で自分の後始末をできなくなること。鍋を火にかけたことを忘れたり、お風呂に湯を張り始めたことを忘れたり、食事をしたかどうか分からなくなったり、洋服を自分で着ることができなくなったり、トイレに行くという行為を忘れたり。

今はまだ生活が自立しているのであれば、しばらくは夢の世界で生きるのを見守り、医療・家族調整の仕事はそれから。


2004年07月21日(水) たまには「あのねえ」と甘えてみたいお年頃

時々、精神が精神を落ち着かせようとおかしな行動を取る。

元々、好意的な相手にベタベタするのが好きな私ですが、ベタベタするだけでなく、口調や話す内容が「かわいこぶっちゃってる」状態に陥ることもあります。まあ、相手は恋人だけなんですが。
それは極々たまに、ひと月に一度あるかないかくらいの頻度なのですが、毎日つないでいるというのにその日ばかりは手をつないだだけで照れてしまい、どうしていいんだか分からない浮き足立つ気持ちになったり、少しばかり舌足らずな物言いで甘ったれてみたりと、普段の私の言動からするとかなり異様な感じで。
何がきっかけというわけでもなさそうで、自分ではその変さ加減を自覚していないことが多く、恋人に言われて「あれ、そうなの? 今私変?」と問い返すこともしばしば。たまには、自覚があるままに自分を止められずに暴走してしまうこともあったりして。

ぶりっこは嫌い。と思っていたのは、実は同属嫌悪だったのだろうかと、悩んでしまう、今日この頃。
こんな、訳の分からない自分がますます愛しくなる、熱帯夜。

頭、沸いてます。


2004年07月17日(土) 人生最後に頼れる存在

情けは人の為ならず、とはよく言ったものだ。

年老いて動けなくなって、誰かの助けを求めなければ生きていけなくなったとき、誰を頼るか、頼れる人はいるのか。そこが問題だ。伴侶や子どもがいればまだいいのだが、先立たれていたりはじめからいない人もいる。しかし、いても気持ちがなくて動かない関係者もいる。

同じ市内に住んでいても、「あいつは若い頃からわがままやってきた。兄弟みんなに散々迷惑かけて来た奴の面倒を、なんで今更見ないといけないんだ」という関係者は少なくない。どんなことが彼らの若い頃にあったのかは知らない。けれど、身内がいることを知ってしまったら、どうしてもその人を「緊急連絡先」として書類に記入しなくてはいけないこともあるのだ。最後の最後、身内にしかできないことがあり、それをやっていただければしばらくはこちらで関わる、と言ってもその了解すら「責任負えない」と逃げられそうになり、説得することもしばしば。

かと思えば、連絡するなり北海道だ九州だ海外だという地から関東まで駆けつけてくれ、入院や介護保険の手続きをしてくれる人たちもいる。「兄さんには、自分の子どもが東京の大学通うときとか就職のときに世話になったからさ」と70代の弟が80代の兄の為に駆けつけ、そう言った。「姉さんはやさしくて明るくて、私の憧れの人だったんです」と義理の姉の為に動いてくれた人もいた。

うちの両親は共に、身内とは疎遠だ。結局最後に頼れるのは、私たち子どもと言えよう。私と妹ならば、お互いか、いつかは存在するかもしれない子どもたちといったところか。私の予定では、私は夫となる人の面倒もゆくゆくは見るわけで、老後を頼られる予定だけは多い。

伴侶でも子どもでも孫でも甥姪でも身内同然の友人でも何でもいい、あなたには誰かいますか?


2004年07月16日(金) "子育てのベテラン"ということばの重み

少子化の進むこの時代の中での子育て。

20代後半である私の友人の兄弟人数は2〜3人というのが多い。一番多くて、4人兄弟。でも今は、平均してしまうと一家庭に1人の子どもという統計。それでも、3人目、4人目を産む人たちもいる。

多人数の子どものいる家は、結構要注意家庭だ。たまに、DV絡みで夫が避妊に協力しない故だったり、知的に低い母が男に避妊を求められない故だったりするし、そんな中だとやはり気持ちの余裕がなかったり"しつけ"の範囲が広すぎたりして、暴力行為や育児放棄が起こりやすい。

多人数でも、親によく似た子どもばかりだと、結構楽だったりする。タイプが似ていれば、扱いは一度覚えてしまえばいい。だけど、タイプが違うのがいくつか揃ってしまった場合、親は苦労する。

「何人子どもがいても、子育てのベテランだなんて言われたくない」と言った母がいた。そこは子ども全員がそれぞれ異なるタイプで、年齢層も微妙に離れていて、母は対応に四苦八苦していた。実はちょっとだけ手が出てしまうことがあって、とそう告白した。

「何人目の子どもであっても、その子を育てるという意味では初めての子育て」という母の言葉にうなずく。よく泣く子泣かない子、よく飲む子飲まない子、よく寝る子寝ない子、よく食べる子食べない子、よくぐずる子ぐずらない子、社交的な子内気な子、活発な子おとなしい子、自立的な子甘えん坊な子。色々いる。親はその子を見ながら、対応を変える。ひとりだけならまだしも、複数人を相手にするとなったら、疲れて当たり前だ。例え同じタイプの子たちでも、一気に相手を求めらたら親の身はひとつ、てんてこ舞いだ。

親も子を選べないのだ。


2004年07月13日(火) 長男の嫁とか次男の嫁とかそういう問題ではなくて

『嫁』って一体…。

学生時代は「日本は高齢化社会」と習ったのだが、気がつけば「高齢社会」になって早数年。
仕事で、母子だけではなくて高齢者の生活相談にも乗っているわけなのだが、嫁と姑・舅の確執の恐ろしさを日々見せ付けられている。何故、嫁はあんなにいびられなくてはいけないのだろうか。人は年を重ねるにつれ、「我慢」ということばから遠く離れるとはじめると、もう駄目だ。更には、「嫁」までもが高齢の域に差し掛かると、目も当てられない嫁姑・嫁舅戦争。どの世代の息子でもやはり、そこには積極的には介入しない。

若い頃から鬼のような嫁ももちろんいる。若い頃からよくできた嫁ももちろんいる。だけど、よくできた嫁を息子にもらっていても、何か人生の中で引っかかるものが姑・舅と嫁との間にあると、押し殺していた感情が年とともに、痴呆症状の出現と相まって放出されることは多い。
若い頃の確執のはじめとしては、「よくできた息子が突然連れてきて結婚すると言い出した」が一番多い理由だろうか。「孫が自分に寄り付かないのも嫁のせい」「嫁が私の金を取る」「私を追い出してうちを乗っ取る気だ」果ては、「あの嫁が来たから自分はこの病気になった」。昔の怒りと今の不安とで年寄りの感情は揺れ動き、攻撃の矢はすべて、「憎き」嫁に行く。

中には、明らかな高齢者虐待ケースもある。けれど、高齢者虐待予備軍のような、加齢とともに出現した言動から起こった家族関係の不和の状況で苦しんでいる人たち人たちはたくさんいる。悲しんでいる嫁、怒っている嫁、たくさんの嫁に私は出会った。

お年よりは大事に、というのは先の人生が短かったせいもあるだろう。けれど、今は定年から大事にしはじめたらゴールが遠すぎる。「お年寄り」というだけでは、大事に扱ってはいけないと思う。「お年寄り」より若い世代が「相手は年寄りだから」と長い時間我慢していたら、それこそ心身がやられてしまいそうだ。今の「お年寄り」は元気だ。あくせく働いていない分、介護者よりもパワーが有り余っているのが多い。それ故、周囲が振り回される。

年を取るにつれ、人は素直になる。感情のままに行動する。だから、「嫁を困らせようと思って」孫の首に手をかける高齢者が出ても不思議ではないのだ。どんなことが嫁と高齢者の間にあったのかは分からない。私はこの事件を知っても驚かなかったのは、そういう理由なのだ。

私も「憎い嫁」のひとりなのかもしれない。「息子を遠くまで連れて行った」という理由で。

義理も含めた親子の関係というものは、難しいものだ。


2004年07月12日(月) ここのところ、適度に語りたい気分なんです

で、実際のこちら側はどうかというと。

一昨日と昨日の二日に渡って色々勝手なことを書きなぐってみたわけなんですが、別に、病院スタッフばかりを責められるもんじゃないんです。私たち保健師並びに事務屋の中にも、「ちょっとあの人ってどうよ?」という、年数でいったら決して新人に近いわけではない人もいるわけで、そういう人に相談しちゃったり、連絡受けちゃったりした相手は本当にお気の毒様としか言いようがなくて。たまに、こっちにフォローの役目が回ってきたときなんか、泣く泣く尻拭い。ま、よくあることなんですが。なので、保健師にいいイメージのない人は、会った相手が悪かったのか、あなた自身の会った時期が悪かったのかというところ。それにねえ、同業者から見ても昔ながらの保健師はやたら「指導」的で押し付けがましいし。
それにさ、「電話訪問」てことば、どう思うよ? 病院スタッフが「この人の退院したその後が心配なので」とわざわざセンターにケース連絡表くれても、直接会いに行くことをしないで「電話訪問しました」などという日本語間違ってる返事返してくれる人たちもいるし。

…お互いおかしなところにストレスためない程度に頑張りませう、としか言いようがないです。


2004年07月11日(日) 今日は昨日のつづき、今日は未来へつづく

分かる人ほど負担がかかるのならば、分かっていても分からないふりをするのは処世術のひとつなのかもしれない。

どこの世界でもそうであろうが、私が一番身をおいて長い医療・福祉機関で思うのは、本当に知識と行動に個人差があるということである。手技の知識と技術、説明と告知の境界と話術、他機関との連携と方法。
保健師として、医療側と市民とを結び付けるのであらば、やはり楽な方法を取りたい。そうすると、つい、いつも分かっている人に連絡してしまう。

私が一番連絡を取る総合病院のスタッフ専用廊下には、「○月の退院までの平均日数×日。目指せ、○日退院!」という目標がでかでかと張られている。私の勤めていた公立病院の事務局にも同じようなものがあった。確かに私も、それを念頭におきながら、看護目標を立てていた。だから、ふじぽんさんのいうことは分かる。だけど、退院してもそれを受け入れるだけの家庭の土台のない人はたくさんいるのだ。そして、その人たちを「よくなってよかったですね」と笑顔で病院から追い出そうとする人たちは少なくないのだ。医師として、看護師として、身体の状態だけを見て「今すぐ退院できます」と告げるその神経が、私には分からない。なぜ、「もうすぐ退院だから、退院後のことをケースワーカーと相談して」「市役所に何か使えるサービスがあるか聞いてきて」の一言を前もって伝えてくれないのか。介護保険サービスは申し込んでもすぐに使えるわけではないし、難しいケースだと転院先だって見つかりにくいし、高齢者施設だって空きなんかないのだ。

そんな総合病院に嫌気が差して、個人院を開いて外来と往診をしている医師が私の受け持ち地区にふたりいる。内科と精神科。一番人々の生活に密着した専門を持っている人たちだ。精神科は、痴呆も扱っているし、45人に1人は精神疾患を持っていて、15人に1人はうつ病、生涯5人に1人精神疾患に罹患する、といわれているこの世の中で、なくてはならない科だ。
自分の目指す"医師"として働きたかったふたりは、滞納で健康保険証が切れていてもこのままでは放っておけないからしばらくは無料で診るから手続きは保健師のほうで関わってくれと言ってくれたり、診察代と薬代をひねり出すのが精一杯な人だからと言えば近くの人の往診時に寄ってくれたりする。お金にならない仕事が多くても、懸命に関わってくれる。

総合病院を飛び出したふたりの医師のようになれとは言わない。だけど、患者というのは"病気を持った生活人"ということを特に地域のことを忘れがちな病院という箱の中で生きる医療従事者には忘れてほしくないのだ。病院から一歩出れば、その人はただの人なのだ。病気にしか興味のない医師や看護師を止めるだけの知識のある誰かの少なさに、時々涙が出る。

そして、「そういう人材がいないのであれば育てればいい」ということを思いついたのは、つい先日のこと。計画はこれから。

いっそ、教育現場に行くことも考えていこうか。


2004年07月10日(土) 何のためのプロフェッショナルなのか

同じく"生きる人"としての気持ちを忘れてしまったかのような。

時々、魔が心のどこかを巣食いはじめたように気持ちがささくれ立ったとき、同じ医療福祉従事者として病院職員を羨むこともある。病院に来るものを拒まず、病院から去るものを追わず。気になったとしても、その箱の外までは追えないというか。そこらへん、制限があるのはちゃんと分かっている。だけど、「そっちはそれだからいいわよね」と言いたくなることがあるのだ。医師や看護師の、"患者・元患者を地域へ返す"ということを具体的に考えていないような、その後の生活を分かっていないようなことをされると。先日も総合病院の看護師長相手にサービス導入可否がはっきりするまである人の退院予定日を伸ばすように掛け合ってごねられたとき、「あの人を今このまま自宅に返しても、またそちらに戻ることになりますよ?」と脅しの文句が喉元まででかかった。

私だって、病院職員として働いたことがある。看護師だった。病棟の基本はわかっている。入院していた人が地域に帰ったその後のことを具体的に考えられるスタッフが少ないことは知っている。業務に追われて、その人の住む地のサービスのことまでは調べられないことは知っている。大きな病院だとケースワーカーに退院後のすべてをお任せしていることは知っている。でも、医療従事者だった私でさえも「そんな説明だけでこの人を家に返されたら、私が家族だったら絶対に不安」というような人を不安顔の家族を無視して地域に返そうとされて「しょうがないよね」だなんて大人顔で言うことなんてできない。

プロフェッショナルもいいけれど、相手の立場を考えられなくなったら"いい医療"も"いい看護"もすべてが無になる。


2004年07月09日(金) わたしたちは恵まれている

だんだん、悲しくなってきた。

他人を、親という他人も、兄弟という他人も、親類という他人も、近所の人という他人も、役所の人という他人も、元夫という他人でさえも、信用できなくて、相手によって言い分を少しずつ変えながら自分に都合のいいことしか言えない。都合のいいことの中に本音を含められず、どうにかしてよ助けてよと言いながらあれも駄目これも駄目と、相談場所を一箇所に落ち着けずに周囲を振り回す。自業自得といえば自業自得なのだけれど。

振り回されたひとりとして、腹が立ったのは一瞬、その後疲労感に襲われ、そして、悲しくなってきた。そんな風にしか立ち回れなくなった、その置かれた状況に、その思考に。同じ女として、母になるかもしれない女として。いつもと同じ感情の変化だ。こういうケースに出会うたび、私は落ち込む。この仕事に就いて2年と少し、遭遇したのは一件や二件ではなく。近くのシェルターにも母子寮にも空きのない時期というのは、少なくなくて。

切ない。苦しい。

炎天下の太陽の下、住むことのできる家がなくて、途方に暮れている母児がいる。


2004年07月03日(土) 宇宙規模と呼ばせてください

思春期真っ只中のその子どもに同情する。

町内会長、民生委員、主任児童員、地区派出所、個人医院、旦那の本家、嫁の実家、児童相談所、私(地区担当保健師)を巻き込む夫婦喧嘩。

今週一週間振り回された市民さまの家族問題はただの夫婦喧嘩、私の業務の範疇外として、早々に処理する予定。家族が家族の"精神異常"を訴えてはきたけれど、日常生活がそれなりに行われているようであれば、それはそれで訴え待ち。誰が家を追い出されていようが、誰が金の亡者になっていようが、土地を奪われただの、騙されただの、そんなの私には関係ありません。というか分野外。弁護士に依頼してください。

ただ、お年頃のお子さんが腹痛起こしたり微熱を出しているのが心配。両親のちょっと過激な抗争に巻き込まれ、正常な反応を起こしている様子。かわいそうに。

まさに、宇宙規模と呼びたい夫婦喧嘩。


2004年07月01日(木) 何か変

そういう曖昧な感覚って大事。

いつもと違う何かを感じるのは、生きるために必要なことだ。「何か変」から見つかる異常というのは多い。病気にしろ何にしろ、その印象を無視したら、悪化するだけ。たまに、「ま、気のせい」と結論付けて忘れたほうがいいこともあるけれど、そこに至る過程の中でそう判断しているのだから、それはそれで正しい道なのだろう。

私の仕事は、「何か変」という、感覚的な部分が重視されるものだ。話をしていて、「あれ?」と思う何かがあったら、それが何なのかを見定める。知識や経験をフル活動して、相手の「変」な部分を探る。何が変なのか分かるまで、怖いから一生懸命になる。分かったら分かった時点で、どうしていくかを考える。大抵見つかるのは、強い子育て不安や発達の遅れや虐待なのだけれど。

最近の私も、「何か変」。まあ、自分の言動が何か変、と自覚できるうちは精神疾患とまではいっていないとも言えよう。違和感に気づけたら、方向修正できる余地があるということ。思わなくなったら、きっとそれは病気の域。気づけばまた、凝った料理作ったりしてるし、簡単なものとはいえケーキまでこさえてるし。

だから、ちょっとイロイロ休んでた。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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