人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年02月28日(金) 一生『学校』から離れられない人たち

こんなこと思うのは私だけかもしれない。

それこそ星の数ほどある職業の中でも、特に学校の先生を職業に選んだ人って、学校という独特の世界から離れられなかった人ではないのかと思う。
現代日本では、人は小学校・中学校と義務教育の階段を上がり、その先としては、高校に行き、専門学校・短大・大学・専攻科・大学院と上る道がある。どの人も、義務教育で『学校』に9年間は通うよう決まっている世の中。

学校にいる間は、『教師』という大人と、『生徒』の子どもだけの世界で過ごす。それって、老若さまざまな年齢層のいる世の中から、年齢層限定の箱に閉じ込められているって感じがするのだ。だから、子どもの親御さんと会ってうまくコミュニケーションが取れない教師がいても、それはそれで仕方がないと思う。

「子どもたちの未来を考えての教育指導を担うために教師になった」というよりも、「自分がその世界に縛られるのを望み、教師になった」
小学校はまだしも、思春期の子どもを相手にしている中学・高校の教師を見ていると、そんな気がしてならない。

私は一時、養護教諭になろうと思ったことがある。どうして養護教諭になろうと思ったかというと、これまた性の問題があったからだ。思春期の男女の、あの揺れやすく一途で突進的なところを、身近で見たかったからだと思う。そう、今思えば。
あの頃、私の志望動機は子どもの健やかな成長を願うだのと言い、腹の中では公務員だから病気になっても大丈夫だし長期休暇がとりやすいし、というものだったけれど。

志望動機なんて、なんだっていい。だけど、教師になる人の動機って、やっぱり学校から離れられなかったのが一因しているのではないかと、私は考えるのだ。

まあ、医療従事者等資格職や公務員なんかも、同じように言えるけれど。


2003年02月26日(水) 私のことは忘れてください

お願いだから、あなたの中の私の残像を解放して。

私には、2年以上のメールのやり取りをし、彼が他にいながらも肉体関係を結んだ相手がいた。
もう付き合えないと、そう一方的に告げたのは昨年のことで。以来、彼からのメールを無視し続け、送られてくるメールの間隔が開き、ついに、何の音沙汰もなくなっていた。

だけど。

この不況下、就職ができたと、先日メールが来た。現役大学生で就職が決まるなんてとても喜ばしいことだったので、つい返事をしてしまった。彼は、お祝いにデートしてと言った。

自分は、やはりとても勝手な人間だと思う。だけど、彼以外の人に強く気持ちが向いている私は、彼とは付き合えない。今の今まで、散々彼を傷つけたし、彼から傷つけられもした。そんな私たちが再び会ったところで、ふたりの関係は以前のように、やさしい気持ちで付き合えるようなものではないと思う。

相手の気持ちを手のひらで揺らしながら、予備として長くとっておくなんてことは、私にはできるはずもなかったのだ。してはいけなかったのだ。
あの丸一日一緒に過ごした日を、過ちだなんてもう言わないから。ひどい女に引っかかったと言っていいから。

私のことは、もう、忘れて。


2003年02月24日(月) 妊娠する確率なんて

0なら0、100なら100と。

婚姻していない人には、妊娠の確率等は教えられないと言われた。できないとは言われなかった。だけど、大丈夫ですよとも言われなかった。

できなければいつまでたっても0%で、1回でもできれば100%になると、私は思う。だったら、中途半端な数字に振り回されるよりも、「できる」「できない」がはっきりしていたほうが楽だと思うのは間違っているのだろうか。
しかも、妊娠できても出産にいたれるのかどうかも問題だ。

その、わずかな確率にさえもわずかな確率にすがってしまうときが、私にも来るのだろうか。


2003年02月23日(日) 生殖にまつわる哀しい出来事に

なんて哀しい。

不妊だとか流産だとか、どうしてもそういう話題って他人事に思えず、私は悶々としてしまう。
WEB日記を、そういったことを自身のこととして書いている女性と、そういったことを経験した女性を支え一緒に苦悩する者として書いている男性がいて、どちらを読んでいても、私は涙する。

何年も何年も、子どもを望んでセックスするのにできない男女も多い。
堕ろされる児もたくさんいるけれど、自然に流れてしまう児も多い。
出産の基本は、妊娠40週前後で出産、児は3,000gで生まれるということになっている。だけど、胎児が発育不全で38週でも1,500gないこともある。

『ブラックジャックによろしく』というモーニングKCがある。ちょうど3〜4巻にかけて、双胎で低体重で生まれ、さらに片方はダウン症で腸閉塞、そんな児たち受け入れられない両親へ主人公の医師たちが関わっていくという内容だった。現実に同じようなことがあるだろうと容易に想像できて、泣けてしまった。
その後、私はいくつかWEB日記を読み、またひとり、鬱々と考えてしまった。

周囲の声に負けず、8年間不妊治療を続け、ようやく授かった子を育て始めた人たちを、私は知っている。すごいと思う。
私には、はじめる勇気と、それを続ける勇気があるだろうか。



…先日、私の片方の卵巣が萎縮していることが分かりました。


2003年02月22日(土) 殿方はいくつになっても

まあ、いつまでも、その心を忘れずに、お若く。

男性って言うのは、なんでそう、女性以上にロマンチストなんですか? リアリスト全開のところもあるくせに、意外なところでものすごく夢見がち。
いや、まあ、いいんですけど。そういうところがまた、かわいいんですけど。

夫に先立たれている人の多い70〜80歳台の娘さんたちにとっては、同年代の殿方に会えるっていうだけでおしゃれに力が入るものらしい。老人会の集まりとかお祭りとか。もう、席が隣になるだけでウキウキ。意中の殿方のそばに寄ろうものなら、恥ずかしそうに「お元気そうで」なんて言っちゃったりして。

一方の殿方たちなんですが…あんまりうれしそうじゃないんですわな。女性の方が長生きだから、年を重ねた方の集まりっていうのは女性の方が多いし、何より殿方は「ばあさんなんていやだ」と言う。
近所の方との交流を深めてもらおうと思っているのに、老人会のお手伝いに来ていた民生委員さん(60代)とか、健康教育にお呼ばれした保健師(20代半ば〜定年まで)の隣を陣取ったり。
挙句、「あんたべっぴんだ」とか「田中絹代のようだ」とか「相手がいないなら俺のとこに来い」とか言うし。

なぜあんたらは、身近な花より高嶺の花に惹かれやすいのか?

まあ、身近に若い嫁を得た例なんかがあるせいで、なおさら夢を捨てきれないのかもしれませんが。それよりも、身近に恋の花を咲かせてしあわせそうな人たちのこともちゃんと見てみいよ。
いざ身近な相手に口説こうとしても、「あんたあのときあの人のことばかり見ていたじゃないのさ」と言われ、81歳某氏のように悩むようになるよ? だから、色々な花に目移りするのもほどほどにね。


まったくもう。


2003年02月19日(水) ネットトラブルが現実に私の目の前で露見し

否定なんてできない。

生きている限り、それはいた仕方のないこと。
誰かを好きになったり、誰かを嫌いになったり、誰かに幻想を抱いたり、誰かに幻滅させられたり。

すべてが勝手に自分の身のうちにわきあがる感情であって。それは誰にでもおこる、当たり前のことで。誰を責めることもできやしない。

学校や職場や家庭で、人間関係で悩むこともある。顔の見えにくいネットでだって、人間関係で悩むこともある。
好きになることも好かれることも、傷つけることも傷つくことも、それはどこの世界でもひどく簡単なことであって。

だから、ネットでむやみやたらに傷つくようなこと、しないで。真っ向から戦おうとしないで。いやになったら、逃げていいの。逃げた先まで、あなたを追いかける人はいないから。日常生活に支障が出るくらいなら、都合の悪い記憶は封印してしまってかまわないから。

ことばで慰められることもあるけれど、それ以上に負った傷が深すぎる人もいる。

ネットの世界で傷ついた人に、現実の世界で出会い、抱きしめる私。ネットで、人が落ちていくところを見たい気がすると言った人もいたけれど、私にはその発言がとても切ない。

抱きしめる腕が、まだまだ足りない。


2003年02月16日(日) 彼との交際に不安を覚えるとき

朝っぱらから鬱々と。

『なんか、ぎっくり腰になったみたい』と彼からの朝一携帯メール。10時は過ぎていたけれど、私はまだ惰眠をむさぼっているところで、布団から手を伸ばしてそれを読んで無言になってしまった。

彼の腰痛は前からあった。ぎっくり腰になったのもこれが初めてのことではない。
肉体労働者なので仕事で重いものも持つし、平日は夜な夜なPCの前に座りっぱなしだし、休日なんて私とのデートがなければ本当に引きこもりで、それこそPCから離れないんではないかという生活だ。愛車の洗車も、屋内駐車場だし、あまり走らないので必要なしという感じらしい。
ぎっくり腰は、重いものを持ったときや座りっぱなしのとき、要するに腰に過度の負担がかかったときに腰の筋肉や筋が切れたりねじれたりすることにより痛みを発生する。
だから、彼の生活スタイルではぎっくり腰になって当然なのだ。

しかも、彼はこのほか、頚椎のどこかもおかしくしてて、神経圧迫も受けている。
右腕全体に違和感を感じたのが昨年のゴールデンウィーク頃からだったのだけれど、今年に入ってから痛みと痺れが悪化。ひじを曲げたりいすに座ったときに痛みがひどく、結局外科受診した。
今は平日、仕事帰りにおとなしく頚椎の牽引を受けている。腰椎を引っ張ってもらって、神経圧迫を和らげようとする治療。それだけでも面倒なのに、そんな中のぎっくり腰。

年齢的なものもあるし、仕事柄なこともあるし、趣味的なものもあるし。
子どもを作ったとして、子どもに「高い高〜い」をして彼が身体を痛めることを容易に想像できたりして。

だから、さ。


2003年02月14日(金) 愛が冷める前に、愛から醒めぬうちに

私だけ。

夜、彼から電話があった。ネットで頼んだチョコレートは、無事彼の元に届いたという報せだった。
「今年はなあ、1個だけだったわ」ションボリを装うとしていたらしいのだが、結局彼はものすごくうれしそうな声で、そう言った。

彼の職場内には女性従業員はいない。会社自体にはいるけれども、現場にはひとりもいないらしい。だから、義理チョコやティータイムの添え菓子にチョコが出ることもない。

彼が離婚した後から昨年までは、彼のお母さんがくれていたらしい。だけど、お母さんのチョコも今年はなかったのだという。
「私がいるからかな?」
大阪に行くたびにおうちにお邪魔して、一緒に大判焼き食べたりパンダ焼き食べたり甘栗食べたりみかん食べたりしていたから、私の存在は知っているわけで。
「そうかもなあ」と彼は言った。

付き合って3年目にはじめてあげたチョコレートは、彼にとっては少し甘いものだったという。「ウィスキーには合うけど」と、いつものウィスキーで乾杯したと。うちに来たときにはジョニ黒で乾杯だけれど、自宅にいるときはジョニ赤の彼が言った。

チョコレート、ケーキ、クッキー…と最初に悩み、チョコにしようと決めたのはいいけれど、板チョコ、シェル、ホロー、生チョコ、ミルク、ビター、スウィート、オレンジ、ナッツ、ウィスキー。何買っていいんやらと選んでいるうちに面倒くさくなっただなんて過去2年のようには言わず、来年も再来年も何かあげたいなあ。

これからは、愛のイベントの波に、私も毎年乗ってしまおうと思う。


2003年02月12日(水) あなたを好きな私を許してください

愛を確かめるために、駄々をこねたり、理不尽に絡んだりしてごめんなさい。

「××の日頃の行いが悪いからだ」とディズニーランド内で天候が崩れたことで、あなたに当たった私を許してください。
「愛が足りないから罰が当たったんだよ」と頚椎圧迫であなたの手腕に痺れが起こってしまい、手をつなげなくなってしまった不満をぶつけた私を許してください。
「泣かすようなことしないでよ」とカラオケで『いつかのメリークリスマス』を目の前で歌われ、泣いてしまった私を許してください。
「愛が足りないから胸が育たないんだよ」と遺伝子レベルの貧乳ぶりをあなたのせいにして、責めた私を許してください。

だけど、それでも、あなたが、大好きなんです。


2003年02月06日(木) ストレートなほど複雑化する人間関係

人はいくつになっても人である、ということ。

子どもからお年寄りまで、市民というのはさまざまな年齢層、ライフサイクルにいまして。そんな方々と接する毎日の中で、ふと、気づいたことがありまして。

1歳半くらいで、すでに人の好みのタイプは決まっているのを間近で感じる日々。
特に、男の子に顕著な感じ。親子で遊ぶ会なんかがあると、その中でも好みのお母さんていうのが必ずあるようで。自分のお母さんをないがしろにして、好みであるそのお母さんのところへ駆け寄り、じっと顔を見ながら両手を上げて抱っこをせがんでみたりして。
いやあ、とっても積極的ね☆
それは、子どもに接するのが上手な人のところに行くわけではないというところがミソである。子どもが喜ぶような遊びの上手なお母さんもある意味、とっても子どもたちにもてるが、決してそうでないお母さん、どちらかというと遊び下手なお母さんを好む子どももいるからだ。
でも、実のお母さんとしては、どう思っているのか。一時であれ、自分を慕うよりも激しく強い力で誰かを求める我が子を見て…。
うーん。

お年寄りもお年寄りで子どもよりタチ悪く好き嫌いが激しい。しかも、変なところでえらく寛容なくせに、結構、嫉妬心が強かったりもするやっかいな存在。誰それの脈は長めに計ってたような気がするだの、俺には近況をあんまり聞かないだの、俺も若い人と話したいだの、他人の背景を見てから判断するだの我慢するだの順番だのというものを一切合財忘れて、「ずるい」と非常にストレートにぶつかってくる。
独居とか高血圧とかの人にはじっくり話を聞く時間をとるが、そうでない元気な人の話はゆっくり聞けないのが今の仕事の現状。対象者が多すぎるのだ。だけど、面と向かって苦情を言われるとなんとかしなければとこちらだって思う。だから、頑張って時間を割いたりもする。お年寄りに、こちらの理由なんて、本当、関係ない感じでぶつかってくる。

思春期や成人、中年の方々は、自分を抑えたりすることが比較的で切る年齢層だろう。だから、その分、どろどろとしたものを抱えながら生きている感じだ。だけど、そのほうが人間関係はうまく成り立つような気がする。

感情を放出しなさ過ぎるのもストレス溜まっていけないけれど、素直すぎるのも、やっぱり問題なのだと思う。

適度にっていうのは、一番難しいのかもしれない。


2003年02月05日(水) 私が彼にとっての1番になれない理由

私のじゃなかった。

彼が、『携帯メールアドレスに、イタズラメールがあまりにも多いから、生年月日入れてみた。俺のじゃないけど』と言ったので、私の?と思った。
ところがどっこい、私のではなかった。

私が一生彼にとっての1番になれない、その女性の生年月日。彼の娘さんには、私、一生勝てない。勝つ気さえない。

会えなくても、愛情の矛先は彼女にちゃんと向いているのだ。


2003年02月04日(火) 年上男性の狡猾な罠

まさか、あなたが結婚していただなんて…状態。

役所の人で、ちょっと素敵な人がいた。年の頃は30代前半といったところだろうか。やさしげで、たおやかで、めがねがよく似合う人だった。だけど。
結婚していた。お子さんもいた。同僚の話では、20代の半ばでさっさか結婚したそうな。やっぱり、素敵な人はすぐに売り切れちまう。

うちの父は、我が彼のことを「悪い男」と評した。年端も行かぬ子ども(とはいっても、当時22歳)に、離婚歴のことを話し、親権を元嫁とられたことを話した。それを、「ずるいこと」だと、「アンフェアなこと」だと言った。同情で付き合っているのではないのかともいわれたが、すでに同情だけで付き合える期間は過ぎてしまっている。
それに、恋愛にフェアもアンフェアも何もないと思うのだが、娘のことを大事に思う父としては、それはとても許しがたい行為であったようだ。

だったらなんだ、父よ、彼はそれを黙って私と付き合っていればよかったというのか?

そんな大事なことを彼が黙っていたと知ったら、それはそれで怒り狂うだろうに、告げてあったらあったで怒るなんて、なんて理不尽な。

聞かれたから、元嫁さんが彼より7つ年下だったことを言ったら、それはそれで今度は「若い女が好きなんだな」と締めくくられるし。男って言うのは、結構な割合の人が年下好きなんじゃないのか? 父よ、あなただって現に4つ年下の女性をめとっているじゃないのさ。

親心も察する。心配する気持ちも分かる。だけど、早く別れてほしいのが本音だと言われても、今の私にはそれに応えることができない。私の気持ちは私のものだと、何度伝えればいいのだろう?
理解してほしいだなんて、そんなこと求めたりしない。祝福してほしいだんて、そんな大それたこと言ったりしない。

だけど。
私に彼の死を願わせるような、そんなところに追い込まないで。
愛する人を死という形で失うそのつらさを知っていても、それが生あるうちにいつかは癒されることを知っているからこそ、私が、彼を永遠に失いたいと思うところまで、追い詰めないで。
そんな贅沢で残酷なこと、考えさせないで。
アンフェアな恋愛だと、彼を攻めたりしないで。

私は親に、「ごめんなさい」と謝るような恋愛はしていないんだから。


2003年02月03日(月) どのように…

初めてだから分からないとか、そういう問題ではないような。

どのように、両親と彼とを会わせるかが私に課せられた今年の課題だ。年の差、ネット恋愛、×1歴等、彼のある程度のプロフィールを聞いて、真っ向から反対の意を表明した彼らに、どう、立ち向かっていけばよいのか? 「会って彼を判断してよ」という私の提案は勢いよく却下されているわけで。

あんまり両親と対立していると、私の脆弱な胃腸が悲鳴をあげてしまう。もしかしたら、父の心臓の調子が悪いのも私の交際相手がストレスとなったためかもしれない。

「入籍しちゃったー、って事後報告するとか」『それじゃあ、だめだろ』
「赤ちゃんできちゃったー、っていうのは」『いかんやろ』
「なんなら、生んじゃったー、って」『もっといかんやろ』

電話口で一生懸命考えた私の意見は彼に否定され続け、悶々と眠りについた昨晩。寝起き最悪。

どうしたらよいのか、本当、ぜんぜん分かりません。

ふう。


2003年02月02日(日) 恋愛のやり直し

想いを込めて。

今月の14日はバレンタイン・デー。
遠い昔のローマのバレンタイン司祭のことも忘れ、チョコレート会社の陰謀に乗って、私も今年はチョコレート贈ることにいたしました。

彼と付き合い始めて、3回目のバレンタイン。一昨年も去年もあげていません。お金がなかったわけでもなかったけれど、選ぶのが面倒で、あげるのをやめてしまった経緯があって。女友だちにはクッキーを作ってやったんですが、彼には何もあげずじまいで。

だけど、今年は、もう、ネットで頼んでしまいました。去年、あげようかどうか悩んで、結局はやめてしまったお店のチョコレート。バラの花にあしらわれた、見た目の緻密さから食べるのがもったいないようなチョコレート。

なんで、行事なんてあるのかなあって最近まで思っていたんだけど、よくよく考えてみれば、学生時代の告白ってやっぱりこういうイベントに多かった。で、いざ彼ができてみると、365日彼はそばにいるので、やっぱりこういった行事でメリハリをつけないとマンネリ化がどんどん進んじゃうんだろうなあ、と。毎年、新しい彼がいるわけでもないわけだし。
そのことに気づけただけでも、私、成長したかなあ。

チョコレートと一緒にメッセージを送ることはできなかったので、直接カードでも郵送しようかと思ったりして。
彼のために何かをしようと考えるのは、本当、久々のこと。なんだかすごくわくわくしたりして。

受け取った彼は何を思うんだろう?


2003年02月01日(土) 片想いをしていた頃

片想いの頃ほど、誰かにやさしくできたことはあろうか?

海羽野チカ・著の『ハチミツとクローバー』というまんがを読んでいたら、そんな感想を抱いた。この本の登場人物のほとんどがみごとな片想いっぷりで、それぞれの片想いの形を抱いていて、とっても泣ける話で好きなのだ。自分が体験した片想いのときに感じた思いを、つい振り返ってしまう、そんな話ばかりで。

片想い時代、というか想いを告げていないときって、好きな相手に一番やさしくできるときなんじゃないだろうか。
そりゃ、姿見かけるだけで、そばにいるだけでドキドキしたりして、うまく話せなかったり冷たい態度をとっちゃったり、挙動不審になることもしばしばだけれど、やっぱり、なんらかのかかわりをするときには、すごくすごく、やさしくなれると思う。

想いを告げられず、彼とチャットできるだけでうきうきそわそわしていた頃と比べたら、今の彼にやさしくしているかといったら…あー、まあ、わはははは。
「大丈夫だよ!」「気にしちゃだめ☆」なんてせりふが、「やっぱり、出会った頃よりはげてきたよね」だとか「最近、手抜きなんでもう少していねいにお願いします」だとか、えらそうな声かけに変化してしまったような気がする。
あんな、自分のひと言ひと言に想いを込められず、懸命にさりげなさを装うしかできなかった日々を思うと、付き合えている今はとてもしあわせでより大事な存在になったはずなのに、付き合いが長くなればなるほどに、何故か態度が横柄化。

一方彼は、とてもやさしくなった。失うのが怖くて、気の毒なほどにやさしい。
そのやさしさに胡坐をかくわけではないけれど、だけど、そのやさしさがあるからこそ、私、安心して遠距離恋愛を続けられているのかもしれない。
少し、あなたに恋をした頃を思い出してから、来週末のデートに臨んでみようと思う。

緊張して、態度がぎこちなかったらごめんね。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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