I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 ほんとはうれしかったのに

肌がきれいと、
色白だね、
色白は七難隠すっていわれるよね、と
ほめてもらった

「八難ありますから・・・」とこたえた。
すごくうれしかったのに。

ふつうはこんなときまず「ありがとう」っていうのかなと
人ごとのように考えてしまったけど。

ほめてくれた人の気持ちを考えてみた。

人をほめるときって
相手がほめたことを素直によろこんでくれると
もっとうれしくなる。
だからこんな時
謙遜でもはぐらかしでもなく
ありがとう、うれしい、って
言えたらいいのにと、
真剣に思う。

涙が出るほど。


2006年04月09日(日)



 ちゃんと話を聞きたい

訓練によっていろんな事ができるようになるという
実感があります。
今訓練したいことがあります。
それは人の話に的確に答えること。
最近気がついたのだけれど、自分自身
話しかけられたことにちゃんと答えてないのではないか
と思うのです。
また、その場その場にふさわしい受け答えができていない。

「こういうことがあってこうなんだよね〜」と
いった人がいたとして
ふつうは「そう、そんなことがあったのね。」と
受け答えしてから関連する話題に入ると思うのですが、
私はそのあたりすっぽり抜けて
急に新しい話題に入っているのではないかと
気づいたのです。

話を成り立たせるという事について
訓練以前のことなのかもと思います。
コミュニケーションの場でそうとう周囲に
甘やかされてきてしまったのでしょうか。
だからそのときの自分の感性に従って
言ってしまうのでしょうか。
相づちってその話を受けるという意味で
相手に聞いてくれているという安心感を与えるのだと
わかっているけど、
どうもできていないな。。。

よほど自分勝手なのか。自分でもよくわかりません。

話は下手でも聞くのはまあまあかな、と
勝手に思っていたけど
聞くのもだめとなると自信なくします。

でも自信をなくしてる場合じゃないのです。
まず、人が何か語ったらそれに対して優しく関心を向けて
話を聞きたいと思います。(この時点でけっこう難しいときもあります。自分に身近でない話題だったり興味がないことだとどうしても上の空になってしまうことがあります)
相づちも大事。
どうも潜在的にありきたりの相づちだけじゃ
相手が退屈なのではないかと思ってしまい、
そこで自分の感情がぎゅーっと詰まり
行き着くところまで煮詰まったら考えるのも
考えられなくなり
そこをすっとばして自分の感性だけで
話をしてしまうような気がします。

話を広げるということも大事だなと最近思うんです。

たとえば誰かが
「○○っていう映画にいったんだけどね〜」と
話をしてきたら
「私は△△っていう(別の)映画に行ったよ!」と
映画に行ったという共通点だけでしゃべらないで
はじめに話をしてきた人の話を広げてあげられたらいいなと思います。
「へぇ〜○○ってそんなストーリーだったんだ」とか。
一通りその人が話し終えた段階で
自分も映画に最近行ったお話を始めればよいと思うのです。

私に足りないのはそこ。

なんかさくさく話が進まないと自分のせいではないかと
気が急いてしまうのです。
もっと『間』を居心地悪く感じずに楽しめるといいな。
どんなひととでも。
こころを開けたらいいな。
心を開くことは自分がなくなる事じゃないから。
そうして人の話をもっともっと聞きたいな。


2006年04月07日(金)
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