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2009年11月23日(月) ハンドはサッカーの反則の中で最も醜い

Cheat――アンリは、一生、この蔑称を背負うこととなった。実力があり、世界最高峰のリーグを渡り歩いた選手が、である。前例がある。ディエゴ・マラドーナが、1968年のW杯・メキシコ大会の準々決勝でイングランドを敗退に追い込んだ「神の手」のゴールである。マラドーナは、あれほどの実力がありながら、「悪童」の異名のまま現役を終えた(もっともマラドーナの場合は、コカイン常用という犯罪歴もあるが)。

ハンドは、サッカーの反則の中で最も醜いものの1つである。アンリが犯したハンドが故意である以上、彼がいかに弁明を繰り返したとしても、彼はCheat(「ペテン師」)を死ぬまで背負うのである。

2010年ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会の欧州予選プレーオフ、フランス対アイルランドの第2戦が18日に行われ、ホームのフランスが延長戦の末に1−1とし、2試合合計2−1でW杯出場を決めた。

延長の103分、W杯予選史上に残る疑惑のゴールが生まれる。FKからペナルティーエリア内に入ったボールをライン際で受けたアンリが左手を使って折り返したボールをギャラスが決め、これが認められてフランスが1−1の同点に追いついた。フランスはその後のアイルランドの猛攻をしのぎ切り、トータルスコア2−1でW杯出場を決めた。

アイルランドのジョバンニ・トラパットーニ監督は、第2戦後に行われた会見で、フランスの決勝点となったゴールをアシストしたアンリのハンドが見逃されことについて、「主審はアンリ自身に尋ねるべきだった」と述べた。「主審は迷っていた。だから副審に尋ねたんだ。だが、アンリ自身に直接聞くべきだった。もし主審がアンリに直接聞いていたら、彼は正直に“手でボールを運んだ”ことを告白していただろう。主審が選手に直接問いただすことは、今までだってなかったわけではない」

渦中のアンリはこのたび、英国のテレビ局スカイスポーツ・ニュースのインタビューに応じ、「一番フェアな解決方法は再試合を行うことだろう」と、現在の正直な胸の内を語った。「僕はペテン師じゃない。あの時、僕の手は無意識に動いてしまったんだ。ペナルティーエリア内にはたくさんの選手が密集していて、そこに速いボールが入ってきたんだ。僕は手でボールをコントロールしたのを否定したことは一度もなかったし、試合後には、アイルランドの選手にも、主審にも、メディアにだって正直に事実を話したんだ。(中略)今の僕にできることは、『確かにあの時、ボールは手に当たった』と認めることくらいだ。アイルランドの選手には本当にすまないと思っている」

筆者は、アイルランドという国が好きだ。アイリッシュミュージック、ギネスに代表されるアイリッシュビール、そしてアイリッシュウイスキー、アイルランドの歴史、文化、世界遺産、自然・・・だから、サッカーでも「Green Boys」を応援している。2002年のワールド杯日韓大会のときは、大崎のアイリッシュパブでアイルランド人とともに「Green Boys」応援した。だから、南ア大会にアイルランドが出場を決め、日本代表とアイルランド代表が試合をすることになれば・・・と、期待をしていたのだ。どちらが勝ってもうれしいではないか。8年間待ち続けた筆者の夢の対戦への期待が、このような形で裏切られたことが悲しい。アイルランドがW杯に出場するに値することよりも、アイルランドが南アに行くことのほうが筆者にとっては重要だったし、アイルランド国民の思いは、筆者の思いよりもはるかに重いはずだ。

ハンド事件は決着がついてしまったようだけれど、アイルランド代表のジョバンニ・トラパットーニ監督の言うように、主審はアンリに確かめるべきだった。尋ねられたならば、アンリはハンドを認めたはずだ。主審が選手に尋ねることは不名誉なことではないし、アンリは蔑称を一生背負うこともなかった。結果はわからないが、ともかく、すっきりとした形で、フランスかアイルランドのどちらかが南アに行くことになっただろう。

繰り返すが、“ハンドはサッカーの反則の中で最も醜い。”



2009年11月22日(日) 闘莉王、高原のいない浦和

11月21日、サッカー日本代表DFでJ1浦和に所属する田中マルクス闘莉王(28)が契約満了に伴い、今季限りでクラブを退団するとの報道があった。また、その前日、高原直泰(30)も浦和を離れるとの報道があった。いずれも、正式発表ではないものの、2010年シーズン、両者が浦和ではないクラブでプレーすることはほぼ間違いない。

闘莉王について筆者は、いまからおよそ1年前(2008年12月02日付け)の当コラムにおいて、「浦和よ、闘莉王を放出せよ」を書いたことがある。そのコラムの前後においても、「闘莉王批判」を繰り返していた。筆者は、闘莉王が日本のサッカー選手の中で、最高のパワーをもった選手の一人だと確信しているし、運動能力においても同様に感じている。しかし、彼のサッカーセンス、チーム貢献に係る姿勢、チームメートへの影響等を総合的に考えるならば、彼の存在は、Jリーグのクラブに馴染みにくい。報道では、欧州や中東のクラブが獲得に興味を示しており、海外を軸にして移籍先を探すことになりそうだ、とあるから、W杯イヤーの来年、闘莉王のプレーは日本では見られなくなりそうだ。

浦和が規律重視のサッカーを志向する以上、浦和は闘莉王を必要としない。「ケガ」「故障」を理由にチーム練習に参加しないこと、首脳陣批判を繰り返すこと、チーム戦術を無視すること、自制を欠き、不必要なイエローカードをもらうこと・・・彼のマイナスは、彼のサッカー運動能力というプラスを上回っている。彼が浦和という、JリーグのビッグクラブのCBという重責を全うするには無理がある。

さて、高原の「不調」に関しては、筆者の推測にすぎないが、体力的な問題だと思っている。2008年シーズン、約6年ぶりにJリーグに復帰した彼は、合計8得点しかあげられなかった。とりわけ、彼がゴール前でJ1のDF陣に競り負ける姿は驚きだった。パワーで日本人選手を上回るドイツでもまれてきたはずの彼が、日本のDFに翻弄される姿を見るのは意外だった。

だが、2008年シーズンの彼の不振は、ドイツから日本復帰に伴うコンディション不良に起因すると思っていたし、このシーズンの浦和は、チーム全体が混迷状態(ポンセ、鈴木がケガ、長谷部、小野がチームを去り、中盤が脆弱)だったから、高原が活躍できなかったとも思えた。だから、2009年シーズン、高原は必ずや復活するものと筆者は信じていたのである。ところが、彼の「弱さ」は今年も是正されなかった。彼のすぐ倒される「弱さ」は、FWとして致命的であるし、そのことは体力的限界からくるものとしか説明しようがない。

2009年シーズン、予想される浦和のフォーメーションは、GK=都築龍太、DF=CB・坪井慶介・■■■■(外国人か?)、左SB=細貝萌、右SB=平川忠亮、MF=阿部勇樹、鈴木啓太、原口元気、山田直輝、ポンセ、FW=エジミウソンの4−4−1−1、もしくは、4−2−3−1か。

ざっとみたところ、第一に、闘莉王の穴を埋める人材は持ち駒の中にはいない。力のある外国人CBの補強を必要とする。第二に、左SBの細貝は本職とはいえないので、右SBにベテランの山田暢久が入って、平川を左SBにまわるか。いずれにしても、細貝は鈴木、阿部とポジション争いをするのが筋。左右のSBは浦和の強化ポイントであることは確か。第三に、司令塔ポンテが限界に近づいているので、梅崎司の台頭が望まれる。そうならない場合、浦和はガタガタのままシーズンを終わる。ポンセに匹敵する司令塔も補強の対象となろう。第四に、FWのスーパーサブには田中達也、もしくは、エスクデロセルヒオが控えるが、ワントップのエジミウソンに匹敵するくらいのFWが必要。相手次第では、2トップもあるからだ。若手FWの台頭があるまで、外国人の補強という手もある。

総合的に見て、CB、左SB、司令塔、FWの4つのポジションに“もう一人”が必要。今後、浦和がどれだけの補強をするか、目が離せない。



2009年11月11日(水) 続・落日の千葉−厳しさが足りない

落日の千葉(その2)

千葉の降格が決定した川崎戦を録画でチックした。千葉の多くの選手は精一杯、戦ったと思う。先制点には巻が絡んだし(得点者は工藤)、後半、1点リードされながら和田拓三が土壇場(88分)で同点に追いついた。結局、直後にレナチーニョに決勝点を奪われ、降格試合を落としたけれど、最後まであきらめない姿勢を見せた選手が多かった。

■無用なファウル(PK)

しかし、緊張して戦った選手が大半だったにもかかわらず、そうでない選手もいた。1点リードした後半10分、川崎の中村憲(MF)がペナルティーエリア内にボールを運んだとき、その足を払ったのがボスナーだった。身体をはって競るでもなく、やや後方からの無用なファウルにしか見えなかった。レナチーニョにPKを決められ、川崎は労せずして同点に追いついた。川崎は安堵し、以降、余裕を持って試合を進められた。ナビスコ決勝でF東京が先制して川崎の焦りを誘った展開が、期待できなくなった。このファウル=PKにより、千葉の勝利はなくなったと筆者には思えた。

■無用なイエローカード

後半15分、中後雅喜(MF)と交代で入ってきたネットバイアーノ(FW)は宝飾品を身につけていたため、ピッチに入った途端、イエローカードをもらってしまった。信じられないイエローである。ルールを知らないプロ選手がいるとは情けないし、スタッフの注意力にも問題がある。江尻体制自体、気が抜けているのである。

この試合に限れば、千葉が勝っても負けても、降格自体を止めることはできない、だから、必死で戦う必要はないという「合理的」な考え方もあるだろう。しかし、降格が決まるまで、いや、降格が決まっても、目の前の試合に全力を注ぐのがプロ選手の義務である。この当たり前の義務を千葉の全選手が認識していたとは思えない。一事が万事とはいわないけれど、千葉のすべての選手が厳しいプロ意識をもっていたのならば、降格は免れたかもしれない。

ボスナー、ネットバイヤーノ、ミシュウ、アレックス――千葉の4人の登録外国人選手すべてが、気が抜けているとは言わない。しかしながら、彼らは実力においても気力においても、J1で活躍できる“助っ人”ではなかった。DFの要として活躍したブルガリア代表のストヤノフとボスナーを比較するまでもない。ものが違いすぎる。

■サッカーは甘くない

降格した千葉だが、主力選手が抜け、現状の外国人選手がチームにとどまり、監督が代わらないのであれば、来シーズンの昇格は難しい。ペナルティーエリア内で我慢できないDF、ルールを知らない外国人選手、基本的チェックを怠り、ルール破りの交代選手を平気でピッチに送り込んでしまうスタッフ及び監督――降格が決まった試合、千葉が抱える基本的問題点が象徴的に表面化した。

一部の選手が真剣に気力を振り絞って戦っていることは認めるけれども、それだけでは、真面目なだけでは、強くなれない。千葉サポーターが身上とする「やさしさ」だけでは、チーム、選手、指導者を鍛えることができない。千葉を包み込む“善意”が、チームを弱くしている。千葉というクラブが拠って立つ“風土”がだめなのである。



2009年11月10日(火) 落日の千葉−オシムの遺産を食い尽くす

サッカーJリーグ1部(J1)の千葉が8日のリーグ戦で川崎に2―3で敗れて16位以下が確定し、来季のJ2降格が決まった。思えば昨シーズンの「奇跡の残留」がまさに奇跡であって、指導者の選定、補強を筆頭としたチームづくりといった、クラブ運営に問題があった。07年、イビチャ・オシム(以下「オシム父」と略記。)が千葉を去り日本代表監督に就任。その後任として、息子のアマル・オシム(以下「アマル」と略記。)が千葉を引き継いだあたりから、軋みが始まったような気がする。07年、オシム父→アマル、08年、クゼ→ミラー、09年、ミラー→江尻、と3年連続でシーズン途中にして監督が交代するくらいだから、好成績を望むべくもない。

アマルの首を切ってクゼを迎えたのが昨シーズン。クゼも成績が上がらず、こんどは英国プレミア(リバプール)のコーチ経験者・アレックス・ミラーを監督に迎え、前出の「奇跡の残留」を成し遂げたものの、奇跡が2シーズン続けて起こることはなかった。今シーズンはミラーのサッカーのコンセプトがJリーグにフィットせず、慌ててオシム父のコーチであった江尻を監督に据えたものの、こうまでダッチロールが続けば、まともな選手なら混乱して当たり前だ。結局のところ、オシム父の退任以降千葉の監督に就任したへぼ監督どもは、オシム父の遺産を食い尽くすばかりで、遺産を増やすことがなかった。降格は必然である。

今シーズン、千葉は場当たり的な選手補強に終始した。移籍してきた選手は、J1の他クラブのレギュラーと控えのボーダーライン上にいる選手ばかり。“枯れ木に山の賑わい”といった感じで、チームの骨格が見えないままだった。外国人選手も中途半端で、チームの軸にならなかった。

そればかりではない。生え抜きの日本人選手で、攻撃陣の主力・巻誠一郎が生彩を欠き、復調の兆しが見えなかった。結局、シーズンインから降格決定までのあいだ、チームリーダーすら定まらない状況が続いた。なかで重症なのがDF陣。オシム時代、リベロで大活躍したストヤノフが07年シーズン途中、アマル監督を批判して退団(現・広島)してからは、極端に安定感を欠いたチームとなってしまった。

オシム父、そして、アマル退団の後、“オシムチルドレン”と呼ばれた阿部(浦和)、山岸(川崎)、佐藤(京都)、水野(セルティック)、水本(京都)、羽生(東京)らがチームを出て、戦力がガタ落ちしたことはだれがみても明らかだった。

さて、再建策である。昨シーズンJ2に降格しながら、今シーズン昇格した広島の場合、降格しても、主力選手のすべてがチームに留まり、J2を戦いながら実力を上げた。こういうやり方が最も望ましいのだが、千葉の場合、オシム父、アマルがチームを離れただけで、主力のほとんどがチームを出たくらいだから、J2降格と同時に多くの選手が移籍を選択することが予想される。外国人選手を除くと、巻誠一郎(FW)、工藤浩平、坂本將貴(大宮から復帰 以上MF)、斎藤大輔(C大阪から復帰。DF)、岡本昌弘(GK)と少なくなった生え抜き組も、J1の他クラブから声がかかれば移籍するものと予想できるが、筆者の見方では、巻誠一郎(FW)を除いてはあまり魅力がない。

移籍組では、深井正樹、新居辰基(以上FW)、下村東美、中後雅喜、谷澤達也、太田圭輔(以上MF)、和田拓三、池田昇平、福元洋平、青木良太(以上DF)、 櫛野亮(GK)らが、J1では控えと先発のボーダーライン上に位置するものの、J1クラブから声がかかれば、移籍は確実だと思われる。とりわけ、レフティーの深井正樹は前線のかき回し役として、J1でも十分活躍できるし、運動量の多い谷澤達也もモダンサッカーに適しているので、J1クラブから声がかかるものと思う。



2009年11月06日(金) イチローよ、松井に続いてほしい

松井選手の米国大リーグワールドシリーズ(以下、「MLB・Wシリーズ」と略記。)における活躍は、本当に素晴らしい。日本人選手がMLB・WシリーズでMVPを受賞するなんて、夢のような出来事だ。

筆者は今年の9月、当コラムにおいて、「イチロー、“Wシリーズで活躍”は夢か」(2009年09月17日)を書いた。その趣旨は、イチロー以外、MLB・Wシリーズで活躍できる日本人選手は、とりわけ野手ではいない、というに近いものだった。つまり、筆者は誠に失礼ながら、今年の秋の時点、松井がMLB・Wシリーズで活躍することを想定していなかったのである。

ところが、11月4日、ニューヨークのヤンキースタジアムで行われた第6戦では、松井が6打点の活躍で2連覇を狙ったフィリーズ(ナ・リーグ優勝)を7―3で下し、ヤンキースは、4勝2敗で9年ぶり27度目のワールドチャンピオンに輝いた。

松井秀は入団1年目だった2003年以来、6年ぶり2度目の同シリーズ出場で自身初の“世界一”をつかみ、同シリーズで日本選手初の最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本選手所属球団のシリーズ制覇は5年連続。イチローは一度も出場していない。

松井のWシリーズMVPとイチローの数々の新記録達成を比較することに意味はない。どちらも立派だけれど、筆者は松井のMVPのほうに価値を見出す。なぜならば、そのプレッシャーの違いである。地区優勝を果たし、ポスト・シーズンに勝ち抜き、Wシリーズ7戦を戦い抜くのは並大抵のことではないと想像するからである。

前出の筆者のコラム(2009年09月17日)において、筆者は次のように書いた。
■筆者にはイチローの環境について、ある面どうしても気になって仕方がないことがある。イチローは9年間、シアトル・マリナーズに属していて変化がない。その間、シアトルはアメリカン・リーグにおいて、イチロー入団の年(2001)の西地区優勝を最後に、ワールドシリーズはもちろん、ポスト・シーズンにも出場していない。イチローの記録を貶める気はないが、彼がチーム優勝を争う過酷な環境の中でプレーしないことが不満で仕方がない。イチローのヒットを無駄打ちとは言わないけれど、チームの勝利、なかんずく、チーム優勝に結びつかない現実に、筆者は大いにいらだっている。イチローが全米レベルで脚光を浴びる場面といえば、オールスターの1試合のみ。そのオールスターも、インターリーグ制度の導入により、年々、色褪せていく。■
野球がチームプレーである以上、最終目標はチームの優勝である。そのためには、選手ががんばることはもちろんだけれど、チームづくり――選手の補強、良き指導者の招聘、練習・鍛錬をする環境づくり、ファンの後押しと批判、メディアの批評・・・といった、総合的なものが求められる。ニューヨークというところは、おそらく米国の中で、選手にもチームにも、最も厳しい環境の都市なのではないか。厳しい環境が、いい選手を育てるのではないか。

そんな中、松井がヤンキースタジアムを埋め尽くしたファンから「MVP」コールを浴びたシーンは感動的だった。もちろん、ニューヨークでもボストンでもロスでもかまわないのだけれど、松井に続いてMLB・WシリーズMVPに輝くことができる日本人選手は、イチローの可能性が最も高いような気がする。イチローがシアトルを出る決意をするのはいつのことなのか。



2009年11月05日(木) 監督を代えなければ川崎は無冠のまま

ナビスコ杯決勝は3日、国立競技場で行われ、FC東京が川崎に2-0で勝利し優勝を飾った。試合結果はともかくとして、表彰式での川崎イレブンの態度に、日本サッカー協会の川淵三郎名誉会長、Jリーグの鬼武健二チェアマンらが激怒する事態が起きた。授与されたばかりの銀メダルをロイヤルボックス内で外す選手が続出し、日本協会名誉総裁の高円宮妃殿下、大会スポンサーらに背を向け、壁に寄りかかる選手もいた。準優勝の悔しさや疲れからか、潔いとは言えない態度だったという。

試合展開としては、川崎優勢の時間帯のほうが長かった。決定的場面はほぼ同数、決定的チャンスを2度決めた東京が勝ち、それを同じ数だけ逃した川崎が負けるのは当然の結果である。審判の笛も適正。川崎の選手が不満をあらわにする理由は試合内容において見つからない。

川崎の怒りや不満は、おそらく自分たち自身に向けられたものだろう。最初の失点は、22分、東京のMF米本の放ったミドルが無回転シュート(テレビ中継のスローVTRで確認済み)で、弾き出すのはそう簡単ではない球筋なのだろうが、パンチングをしたGKの指の先を突き抜けてゴールを揺らした。GKが弾こうとしたポイントから、ボールが微妙に上にずれたのだろうか。だが、川崎の攻撃陣からしてみれば、納得できるGKの守備とは見えなかったのかもしれない。

2点目は59分、川崎が、東京のカウンターにはまった。前がかりになった川崎DFの裏を走り抜けた鈴木が羽生のパスを受けセンタリング、追走した平山が頭で合わせた。川崎はとにかく、焦りすぎである。両チームの選手個々の能力を比較すると、川崎のほうが、主力を故障者で欠く東京を明らかに上回っていた。ところが、代表クラスの外国人選手を前に揃えた川崎からは、組織的崩しが見られない。先制された後、川崎のカウンターを警戒した東京が後ろでパス回しをしている間、前線の選手がボールを奪いに行く姿勢を見せながら、チームとして連動した組織的プレスになっていない。右SBの森が左に移って力を発揮できず、右SBの村上も上がりのタイミングを最後までつかみきれないまま、両SBから得点にからむようなクロスが上がらなかった。2点目を失った後の川崎の攻撃は中央突破に固執し、個人技に頼った強引な攻撃に終始した末、逸機を繰り返した。

東京は、攻撃力において川崎に劣っている。であるから、そういう相手との決勝戦では、攻め勝つのが常識だと思われるかもしれないが、サッカーは思い通りにならない。米本の得点は、川崎からすれば、事故のようなものだと割り切ればよかった。要するに、焦る必要はないのである。この失点によって、選手が焦る以上に、ベンチが焦ったのではないか。川崎の関塚監督は、高い能力をもつ選手をコントロールしきれていないのではないか。川崎にはキャプテンシーをもった選手がいない、という見方もある。ゲームキャプテンの中村憲はピッチ上の選手を精神的に統率するには経験が浅すぎる。

それに反して東京は、先制ゴールを決めた米本が川崎の司令塔中村憲を最後まで忠実にマークし続け、前線の鈴木は献身的な運動量で攻守に貢献し、ワントップの平山も走り続けてDFでも体を張った。得点に絡まなかったが、パスを受ける位置取りで非凡なセンスを見せた梶山の貢献により、東京の攻守のバランスが維持された。得点に絡むパスを生んだ羽生もチームの要として光った。彼らはとにかく、走ってスペースを生み出して、得点機会をつくりだした。東京と川崎の差は、選手の「走力」にあった。献身的な選手が多い東京のようなチームが優勝した意義は大きい。サッカーにおいて最も重要な要素の一つであるディシプリン(規律)に基づいた、優勝だからである。

試合終了後の川崎の不祥事は、このチームが抱えているチームづくりの欠陥を象徴している。ディシプリンの欠如である。筆者が監督ならば、たとえば浦和の鈴木啓太のようなタイプの選手を核にしたチームづくりをする。オシム前代表監督の言葉を借りれば、「水を運ぶ」選手である。


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