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2007年08月27日(月) (財)日本相撲協会は寄附行為違反だ

朝青龍問題について論ずる前に、日本相撲協会が財団法人という公益法人であり、文部科学省の所管にあることをまず確認しておこう。

日本相撲協会の寄附行為を読むと、第2章「目的及び事業」の第3条において、〔この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨し、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を経営し、もって相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。〕とある。

相撲道がどういうものであるかは、この寄附行為に記されていないが、わが国固有の国技とあるのだから、相撲道=国技を演じる力士には、清廉潔白、高い道徳意識が求められて当然だろう。しかも、〔国民の心身の向上に寄与する〕とあるからには、力士の行動・言動からも、国民の心身が向上されてしかるべきである。

事業については、第4条の第2号に、〔力士、行司、呼出、床山の養成〕とあり、財団法人相撲協会は、力士を養成することも事業の1つとしていることが明らかだ。だから、力士の反社会的行為は、相撲協会の寄附行為に反するわけであり、かりに力士に不祥事等があれば、相撲協会の責任は免れない。

それだけではない。第7章には「年寄、力士および行司その他」が特別に設けられており、力士については、第36条第1項に〔この法人には、力士をおく。〕と明記されている。つまり、寄附行為上、力士は相撲協会に属しているのであって部屋ではない。しかも同条第7項には、〔力士は、相撲道に精進するものとする。〕とある。ということは、財団法人日本相撲協会におかれた力士が相撲道に精進しない場合は、寄附行為違反(違法)となる。筆者が言いたいのは、力士がサイドビジネスとして、バブル経済下におけるモンゴルにおいて、あるいは、日本においてを問わず、本業である相撲道の精進を怠って、企業経営、投資活動等の事業を行っていたとするならば、それは寄附行為に反する。

さて、朝青龍の問題の原点に戻ろう。筆者の解釈では、大相撲の巡業は、普段本場所が見られない地方の人びとに相撲を見せるという意味で、相撲協会の寄附行為に適ったものだ。力士は相撲協会におかれた者(寄附行為第36条第1項)であるから、巡業に参加しなければいけない。力士がそれをサボタージュしたならば、寄附行為違反であるから、協会は厳しくその力士に処分をくださなければいけない。

と同時に、相撲協会は、力士のサボタージュを防止するための管理体制を敷かなければいけない。以前当コラムで書いたが、サラリーマンが長期欠勤する場合は、医師の診断書の提出が義務付けられている。相撲協会は力士が巡業を休みたいと申請してきたら、その事由を証する書類の提出をもって不参加を認可することが常識的である。それをしなかったとしたら、相撲協会に重大な管理ミスがあったことになる。

前述したとおり、寄附行為上、力士には〔相撲道に精進すること〕が義務付けられているのであるから、サイドビジネス等に熱中している力士がいるとしたら、寄附行為違反をもって、相撲協会は注意・勧告・指導・処分をしなければいけない。朝青龍のモンゴルビジネスが、〔相撲道に精進すること〕以上のものならば、協会は彼に指導をしなければいけない。朝青龍が協会の注意を無視して〔相撲道に精進しない〕のならば、寄附行為違反をもって、横綱の地位を剥奪することが法に適っている。

朝青龍が財団法人日本相撲協会の寄附行為を読んで理解しているかどうかは別として、寄附行為が財団法人の存立の基盤であり憲法にも等しいものである以上、協会、協会役員、力士等は寄附行為に基づいてその職を全うしなければいけない。しかも、財団法人は高い公益性が認められているがゆえに、税制面で優遇されている。にもかかわらず、いまの日本相撲協会を構成する者である役員、力士については、公益法人を運営する資格がないとしか言いようがない行為に走っている。

財団法人日本相撲協を所管する文部科学省にも責任がある。さらに、相撲協会の寄附行為違反を黙認するマスコミ、スポーツジャーナリズムもどうしようもない。朝青龍がいつモンゴルに帰るかと、空港に人をはりつけるだけの人的余力があるのならば、財団法人日本相撲協会の寄附行為を読み直し、文部科学大臣に感想を求めるくらいの取材をしてみたらどうだろうか。



2007年08月26日(日) 相撲協会は朝青龍をモンゴルに厄介払いか

朝青龍「騒動」もいよいよ佳境に近づいてきた。夏季休暇中だった理事長が朝青龍のモンゴル治療をほのめかし、帰国のレールが一挙に敷かれたかのようだが、週刊誌によると、理事長登場前にすでに朝青龍の荷物の運び出しが終わっており、朝青龍がモンゴルに出発するのは既定路線の疑いが濃い。

そもそも、この「騒動」の発端は朝青龍が巡業に不参加だったこと。巡業不参加理由は、報道では、彼の故障、ケガだった。不参加の許可はもちろん、相撲協会が下ろした。ところが、朝青龍が母国で元気でサッカーをやっている映像が流れて、朝青龍が虚偽の届出をしたことが明らかになった。

もしもあの映像が流れなかったならば、朝青龍はそのまま虚偽の申し出で巡業を休み、いまごろは何もなく過ごしていたことになる。先に書いたとおり、朝青龍の巡業不参加を許可したのは相撲協会なのだ。相撲協会が医者の診断書もなく、朝青龍の言葉を鵜呑みにしたとすれば、相撲協会にも責任の一端がある。だから、相撲協会は、朝青龍巡業不参加許可の経緯を明らかにすべきなのだ。

推測では、朝青龍から巡業不参加の申し出があったとき、相撲協会は診断書もないまま、言うがまま許可を出したのだと思う。これまで、朝青龍と相撲協会の関係は、その程度のものだった。朝青龍がケガだ、故障だ、といえば、協会はそのまま受け入れていた。ところが、こんどばかりは協会が突然朝青龍に牙をむいた。協会が下した処分は、彼にしてみれば、もちろん想定外だ。と同時にマスコミが騒ぎ出した。協会は、そこで彼を神経症に仕立て上げ、世間との交渉を絶った。朝青龍の発言を事実上、封じ込めたのだ。かわるがわる胡散臭い神経科の医者が登場し、騒動の主役はいつのまにか医師たちになってしまった感がある。協会の作戦は見事成功した。後はころあいを見計らって、朝青龍をモンゴルに送り出すことだけだ。

そもそも相撲協会は、朝青龍に処分を出す資格をもっていない。これまで、なあなあでやってきた間柄なのだから、同じ穴の狢なのだ。筆者はだから、朝青龍に同情する。朝青龍の仮病、巡業不参加をサボタージュだというのならば、相撲協会がそのような行為を禁ずるルールを具備し、それを万人に課してきたのかと問いたい。厳格なルールに則って相撲レスラーを管理してきたのかと問いたい。筆者の推測では、少なくとも、これまでは、朝青龍には適応してこなかったはずだ。相撲協会は人気力士に対して、朝青龍に限らず、わがままを許してきたはずだ。

相撲協会は八百長疑惑で週刊誌に詰め寄られたし、モンゴル出身力士には、モンゴルビジネスにまつわる疑惑が絶えない。朝青龍の巡業不参加の理由は、彼がモンゴルビジネスでどうしても帰国せざるを得ない事情のためだった、という報道もある。モンゴル出身力士は、バブル経済下の母国で、一体全体どんなサイドビジネスを繰り広げているというのだ。それは国技を演じる相撲レスラーに許されるサイドビジネスなのだろうか。

相撲協会は国技を司る団体として、相撲レスラーの土俵外の不透明な行為を調査し、節度を重んずるよう指導する立場にあるはずだ。バブル経済下では、かつて日本がそうであったように、不祥事、経済犯罪が生じやすい。協会は日本のバブル経済体験の教訓を生かし、相撲レスラーが経済犯罪に巻き込まれないよう、管理する責任がある。相撲協会は財団法人なのだから、所轄の官庁はその構成者である相撲レスラーの経済活動と財団のあり方について、調査の対象とすべきではないか。

さて、結論をいえば、理事長が朝青龍をモンゴルに帰国させる裏には、朝青龍に係る諸々の疑惑のすべてを隠蔽しようとする意図があると推測できる。相撲協会は、専属のお抱え医師に朝青龍を診断させ、医者の権威で治療と称して彼をモンゴルに帰国させる算段だ。目的は朝青龍とマスコミ、世間の接触・交渉を不可能にするためだ。モンゴルならば、日本のマスコミに制約がかかる。日本ほど自由には振舞えない。朝青龍が日本にいれば、彼が自由に表に出て、何を話すかわかったものではない。朝青龍が協会を批判する可能性はもちろん高い。だから、協会はとにかく朝青龍の口を封じ、彼が日本に帰ってこなければ、むしろそのほうが都合がいいのだ。

権謀術数に長けたこんな腐敗した協会に、神聖な「国技」を管理させておいていいのだろうか。



2007年08月22日(水) 北京五輪は赤信号

◎真夏の夜の夢(日本×カメルーン)

国際親善試合(大分)の日本vsカメルーンは、日本が2−0で勝った。アフリカ最強、格上のカメルーンに完封勝利したのだから喜んでもいい結果だけれど、カメルーンがどこまで本来の力を出したかどうかは疑問。もちろん、カメルーンが手を抜いたわけではない。力を出したくても出せなかったのではないか。この結果をもって、日本代表の実力を過信してはいけない。真夏の夜の夢くらいにしておいてちょうどいい。

カメルーン代表は苛立っていた。エトーの加地に対するファウルは悪質だし、ほかにも、肘を振ったり、アフタータックルなど、目に余る反則が目立った。コンディションが悪く、イメージどおり身体が動かなかったためだろう。

日本はトゥーリオが復帰し、中澤とCBでコンビを組んだ。これで、真ん中の守備が安定。アジア杯で不慣れなCBをやらされた阿部がやや前目に出て、攻守の要となった。前にも書いたけれど、阿部のCBは無理筋。前半25分、セットプレーでトゥーリオが頭で先取点を取るおまけまでついた。

後半、カメルーンも猛攻撃を仕掛けるが、攻めの形がなく、44分、交代出場の山瀬がダメ押しの2点目を上げて勝ちを決定づけた。コンディションの悪い「アフリカ最強」に勝っても、めでたしとはいえない。田中、大久保の新戦力は得点にからめなかった。高原、巻の先輩FWを凌ぐ戦力の証明ができたわけだはない。はっきり言えば、田中・大久保のコンビは、選択肢として成立していない。

◎あの平山が・・・(日本×ベトナム)

北京五輪最終予選の公式戦、日本はベトナムに1−0の辛勝。終盤は運動量の落ちないベトナムに追い上げられ薄氷の勝利。ホームで勝点3の最低限の仕事をしたとはいえ、内容は最悪に近かった。

問題ははっきりしている。サイドからナイスボールが何度もFW平山に集まるけれど、決められない。しかし、平山に代わるセンターFWが五輪世代に限らず、日本に見当たらないのが現実。攻撃陣の選手層が薄いことが、日本サッカーの最重要課題の1つ。

◎A代表と五輪代表が同じ日に試合をする理由がわからん

蛇足ながら、同じ日にA代表が大分で、五輪代表が東京で試合をするのは、いかがなものか。A代表と五輪代表とを掛け持ちする選手たちは、同日開催のため、国際試合を経験する機会を自動的に失った。協会が選手強化の芽を自ら摘み取ってしまったのだ。五輪予選の前にカメルーン戦が組まれていれば、たとえば、水野、家永、伊野波(ケガでベトナム戦は辞退)らは、アフリカの強豪と試合をした経験を踏まえて、五輪予選を戦う機会を得たかもしれない。誠にもったいない話だ。

近年、日本サッカー界においては、フル代表、五輪代表、Jリーグ等のスケジュール調整がまったくうまくいっていない。機能不全に陥っている。その責任はもちろん、協会トップにある。日本サッカーを強くしたいのなら、いまの協会トップは、早いところ辞めたほうがいい。



2007年08月20日(月) 千葉、磐田の自滅に救われる

崩壊寸前の千葉が土俵際で残った。第21節、再開後2連敗中の千葉はホームで磐田と対戦し、3−2で逆転勝ちした。勝つには勝ったものの、誉められた内容ではない。磐田の自滅――磐田のアジウソン監督の不可解な選手交代に助けられた。

磐田の先制点は、前半24分、千葉のボランチ佐藤とボックス内で競り合ってボールを奪った西のもの。その西が後半開始とともにベンチに下がった。西の危険な動きが消えたことは、千葉の不安定なDFにとって、ありがたかったのではないか。

千葉の同点は、前半37分に水野のクロスを巻が合わせたもの。磐田DFが巻をフリーにした結果だ。不注意だろう。あっけない得点、レベルの低い磐田の守備に助けられた。

1−1で並ばれた磐田が54分に茶野の頭で再び突き放す。筆者はこれで勝負が決まったと思った。ところが、磐田が66分に成岡に代えて船谷を投入。成岡は中盤で攻守に利いていたから、千葉には助かった。千葉・アマル監督は66分、足の痛い巻に代えて新居を投入。83分に千葉の佐藤が同点弾、86分に代わった新居が逆転弾を決める。

磐田アジウソン監督が西、成岡を交代させた理由は不明。報道では、ケガではなく戦術面かららしい。いずれにしても、この試合、バタバタとした落ち着きのない90分間で――このバタバタが千葉のリズムだったようだ。磐田が落ち着いて守りを固め、前がかりで来る千葉に対してカウンターを狙えば、3−1くらいで磐田が勝てたと思う。リードした磐田が、千葉のリズムに付き合ってしまった感がある。

勝つには勝った千葉だけれど、危険状態は脱していない。唯一の救いは、新加入のFWレイナウドの運動量が意外と多かったこと。柏時代よりも、守備の意識が高くなった。攻撃面ではそれ以外にプラス材料が見当たらない。

一方のマイナス材料は有り余るほどだ。その1つ目は、羽生に次いで、巻も足を痛めたこと。二点目は、千葉の攻撃が右サイド基点という偏りにあること。有効な攻撃は、右サイドの水野のクロスまたはパスというワンパターンから脱却していない。この試合に限れば、磐田の左サイドが水野に対して、あまり厳しく行かなかったから、水野がフリーでクロスやパスを繰り出せた。しかし、厳しい左サイドにかかれば、そうはいかない。三点目は、二点目の裏返しだけれど、千葉の左サイドからの攻撃が甘いこと。相手にとっては、あまり危険を感じない。千葉対策としては、右サイドをケアすれば、得点は防げる。この弱点を克服するには、左サイド・山岸の奮起に期待するしかない。彼が点を取れば、相手のマークが左右に分散する。なお、筆者の素朴な疑問として、山岸は本当に、左サイドの選手なのか――ということ。オシム日本代表監督も代表戦で山岸を左サイドで起用するけれど、筆者には、山岸の才能はほかのポジションで発揮されるような気がするのだが・・・

ところで、千葉を解雇されたストヤノフが移籍先の広島でデビューを飾った。大分戦の後半82分、リベロで出場。2−0で広島リード、残り10分という局面ながら、前線への飛び出しを2度ほど試みた。鋭い出足でしかも状況判断が良い。広島のDFは、彼の加入でレベルアップするだろう。

ストヤノフは、広島(Jリーグ)でまだまだ頑張ってほしい外国人選手。ストヤノフのような人材は、Jリーグに少ない。日本人選手は、彼から、多くを学ばなければならない段階にある。とりわけ、千葉のようにDFの弱いチームは・・・



2007年08月16日(木) だれが朝青龍の巡業不参加を容認したのか

テレビを賑わしているのが朝青龍の巡業不参加問題だ。朝青龍が地方巡業に不参加だった理由は、故障だった。朝青龍側から医師の診断書の提出があり、相撲協会が認めたのだろう。ところが、当の朝青龍はモンゴルで元気にサッカーに打ち興じていた姿がビデオに収められ、テレビで放映されてしまった。

朝青龍の元気な映像から察するに、病人、けが人、故障者の姿ではない。あれだけ動けるのならば、地方巡業への参加は容易だ。あの映像を見た人は、元気な朝青龍が地方巡業を休む理由がわからない。仮病をつかってモンゴルに帰り、草サッカーで遊びほうけている、サボタージュだ、職場放棄だ、と怒ったわけだ。

相撲は国技にして神聖な格闘技であるから、相撲レスラーには人徳と人格、そして、崇高で礼儀正しい立ち居振る舞いが要求される。サボタージュとはとんでもない、国技を冒涜するものだ、という指摘は正論である。

だがまてよ、相撲協会は朝青龍の巡業不参加の申請を、医師の診断書に基づいて受理したはずだ。医師といえば国家資格者であり、これまた、崇高な職業倫理に基づき職務を全うすることが求められている。金銭のために偽造診断書を書くことは考えにくい。

ということは、相撲協会が医師の診断書なしに朝青龍の地方巡業不参加を認めたと考えるのが自然だ。つまり、今回の騒動のきっかけは、相撲協会が必要書類の審査もなく、朝青龍の申請を黙って受理したことに求められる。

もう1つの考え方は、これは医師という国家資格者が行うはずがないことなので確率としては極めて低いが、医師が偽造診断書を作成し、朝青龍に渡したことも万に1つの確率で考えられる。日本の医師がまさかそんな犯罪を犯すはずがないのだが・・・

朝青龍問題を放送するテレビ局は、問題発端のカギを握る日本相撲協会に取材をして、朝青龍の地方巡業不参加を認めた担当者とその理由を聞けばいい。診断書なしで不参加を認めたのならば、協会に非がある。相撲レスラーの管理に甘さがある。日本の普通の企業ならば、診断書の提出なしで長期休暇を認めない。診断書があれば、偽の診断書を作成した医師と偽の診断書作成を依頼した朝青龍に犯罪の可能性がある。犯罪とはいえないまでも、不正の疑いが濃い。医師及び朝青龍はなんらかの責任を取るべきだ。

繰り返すが、医師は国家資格者、相撲レスラーは日本の「国技」の当事者、相撲協会は「国技」を演じる相撲レスラーの管理者である。しかも、横綱という最高位の者、その管理者、医師(国家資格者)という本来ならば、国民の手本となるべき三者が不正、怠慢、偽造の疑いをもたれている。あきれてものも言えない。

このたびの事件は、以上の理由により、徹底解明が求められるのだが、日本のテレビ局は、ことの本質がまったく見えていない。「●●親方に、親方の責任がありますね」なんてお茶を濁している。まずもって、相撲協会に対して、朝青龍の巡業不参加を認めた理由を聞いてみたら?



2007年08月15日(水) 始まった負のスパイラル―千葉崩壊―

アジア杯以降、当コラムでは連続して千葉(の崩壊)に関して書き続けている。その理由は、言うまでもなく、筆者が千葉の熱烈なファンだからだ。

筆者は、オシムというバルカン半島からやってきた大柄な人物が千葉の監督に就任したとき、正直、さほど注目しなかった。もちろん、オシムが旧ユーゴスラビアの代表監督を務めたことは知識としてあったのだけれど、それは大きな驚きではなかった。というのも、Jリーグでは、大物監督は珍しい存在ではない。現在、英国プレミアリーグを代表する監督の1人・ベンゲルは、かつて名古屋の監督だった。後にブラジル、ポルトガルの代表監督を務めたフェリペ・スコラ−リが磐田の監督だったし、サンタナ、レオンといったブラジル人監督がJリーグのクラブの監督だった。アルゼンチンからはアルディレスがきていたし、東欧からはDrことベングロッシュがそういえば市原(千葉の前身)の監督だった。ことほどさように、代表監督と同程度の力量を誇った外国人監督が何人もJリーグにやってきていた。だからそのとき、オシムにことさら注目するほど、筆者の目は肥えていなかった。

筆者の驚きは、オシム就任後の千葉の快進撃だった。千葉のスタイルは、それまでのJリーグのものとは違った。無名の若手を従えた「オシム千葉」は、Jリーグで旋風を巻き起こした。千葉の台頭は、大げさにたとえれば、日本文学史上のニューウエーブ――たとえば、「白樺派」の登場に似ていた。

ゲーム内容以外でも、オシム監督は筆者の関心をひいた。オシムは、「ミスター千葉」と言われた中心選手の一人・中西を退団させた。続いてのサプライズは、当時のエース・FWのチェヨンス、左サイドの村井、DF茶野の3人の主力をまとめて磐田に放出したのだ。にもかかわらず、千葉は順位を下げるどころか、若手がその穴を埋め、Jリーグの上位を占めるチームに成長していた。千葉の主力は、いつのまにか、阿部を中心に、坂本、巻、佐藤、羽生らに移り、さらに、水本、水野、山岸らがその後を追っていた。千葉の未来は前途洋洋と輝いて見えた。

ところが、06年W杯ドイツ大会で日本代表が惨敗。オシムが代表監督に就任し、その息子アマル・オシムが千葉の監督に就任してから流れが変わった。07年には、阿部が浦和に、坂本が新潟に移籍した。さらに、千葉をサポートしてきた外国人選手が抜け、チームの弱体化が始まった。加えて、主力に成長した巻、水野、山岸、羽生、佐藤が代表に呼ばれるようになり、彼らの負担が増え、疲労の蓄積、ケガによる欠場が増えた。

07年シーズン、アジア杯中断後の再開2試合、千葉は川崎、鹿島と戦い、2試合とも1−3で完敗した。試合展開は、前半千葉が1点を先制しながら、後半に3点をとられるという酷いものだった。千葉のサッカーは45分しかもたなくなった。

先制すると、自然にラインが後退し、プレスが利かなくなり、段々と相手に押し込まれ、相手をフリーにし、いい形でシュートを打たれたり、決定的なパスを出される。それだけではない。2試合に共通するのは、選手が交代するたびごとに攻守のバランスが崩れ、相手に追加得点を許すことだ。筆者はアマル監督の選手交代の成功事例を見たことがない。

千葉の守備崩壊の原因を探すことはさほど、難しくない。それまでラインを統率し、後方から攻撃を構築してきた、ストヤノフの不在である。ストヤノフが千葉を去った理由は、アマル・オシム批判である。そのストヤノフはなんと、広島に移籍する。まさか!

先の当コラムで筆者は、「クラブ責任者が早く決断しないと、千葉は間違いなく今シーズンで崩壊する」と記した。千葉がJ2に落ちれば、第二の「ヴェルディ」になる。J2に落ちれば、巻、水野、山岸、水本、羽生の代表クラスはJ1の他クラブへ移籍する。彼らが去った千葉が、1年でJ1に復帰する見込みはまずない。それでなくとも財政基盤の脆い千葉だから、いま以上の選手を補強してJ2を制する確率は低い。となれば、負のスパイラルに巻き込まれ、千葉というクラブ自体が存在し得なくなる。

クラブ責任者は、ストヤノフ事件の際に、ストヤノフではなくアマルを選択した。その結果、アマル解任のチャンスを逃し、ストヤノフを広島にもっていかれた。もうすでに、負のスパイラルが始まっているではないか。今季残された試合数は、千葉崩壊のカウントダウンに等しい。どうする、千葉!



2007年08月12日(日) アマル監督を更迭しないと・・・

アジア杯によるほぼ2ヶ月の中断期間が終わり、J1が再開した。筆者が注目する千葉が川崎に1−3で負けた。川崎の3得点はジュニーニョのハットトリックによるもの。

試合展開の詳細は割愛するが、大雑把に言えば、前半は千葉が勢いのあるサッカーをやり、後半、千葉の足がとまり、前からプレスが利かなくなった段階で、川崎の攻撃力が爆発したと言える。相変わらずの千葉の負けパターンだ。

しかし、この試合の千葉の試合の失い方は、選手のスタミナの問題というよりも、アマル監督の采配ミスによるものと言うべきだ。

千葉の得点の失い方を振り返ってみよう。後半の60分、千葉の羽生がケガでピッチを去りレイナウドが入ると、66分、川崎のジュニーニョがこの試合初得点を上げる、さらに、71分、千葉の水野が楽山と交代した直後の74分、ジュニーニョが得点を重ね、78分、千葉の山岸がアウトして新居が入ると、その10分後の88分、ジュニーニョが3得点目を上げている。

千葉は、選手を交代させるたびにバランスを崩し、一方の川崎は、66分、落合に代わった大橋が中村に代わってCKのキッカーを務め、ジュニーニョの1得点目を引き出した。さらに、その後も、攻撃面で全得点に絡む大活躍をした。また、村上に代わった井川が右サイドの守りをがっちりと固め、千葉の反撃を封じた。

このように、川崎は関塚監督が交代選手を送り出すごとに、交代選手がチームに貢献をし、一方の千葉はアマル監督が選手交代を行うたびに失点を重ねた。監督の手腕を問われて当然の試合だ。千葉の交代した3選手はいずれもアジア杯出場組の主力だ。羽生はケガのための交代なのだろうが、水野、山岸の交代理由は不明だ。アマル監督は、二人の疲労度が高いと判断したのだろうか。

筆者がアマル監督の選手交代に納得できない理由は、交代で出てきた選手の役割がわからない点だ。羽生のケガは別として、水野は右からの攻撃でいい働きをしていたのだから、水野を交代させるのならば、水野以上に動ける(上手いか下手かは問わない)選手を入れるべきだ。楽山はスピードでサイドから崩すタイプではない。山岸の代わりに入った新居はセンターFWタイプで、左サイドの山岸の代わりはできない。楽山、新居が入った途端、千葉のサイド攻撃は、右も左も効果的でなくなった。

羽生の交代で初出場したレイナウドは、相手に与える危険度はいまのところ未知数。レイナウドがJリーグで早いところ得点を上げれば、相手DFがマークをきつくして、巻の負担が軽くなる効果はあるだろうが、千葉の攻撃の戦術とは必ずしも資質を共有しないタイプなので、長くいるかどうかはわからない。

さて、いまの千葉の最大の問題が、3失点に表象される守備面にあることはだれの目にも明らか。ストヤノフの穴を中島が埋めていない、というよりも、中島はボランチの選手だから、CBは無理。そこまでのポリバレントが要求されるのだろうか。オシム親子はサッカーのCBをどう考えているのだろうか。

もちろん、千葉に運がなかった点は認めよう。復帰した佐藤のオーバーヘッドシュートがバーを叩いた場面を筆頭に、あと数センチ、枠をとらえそこなったシュートが数本あった。しかし、これらも確実性という面で川崎の方が千葉を上回っていたことになる。

中断期間中、千葉が補強すべきは、ストヤノフの代わりを務める守備の要だった。攻撃面では、ハースに代わるFW。ストヤノフの代わりを見つけきらず、レイナウドをつれてきたのだが、前述したように、彼がどこまでやるのかは不明だ。もちろん基本的には、選手層を厚くすることなのだが、シーズン途中でできる話ではない。

結論を言えば、千葉の最大の補強は、なによりも、アマル監督に代わる指揮官を探すことだ。中断期間中に、最大の課題である優秀なCBを補強しなかったアマル監督の責任は重い。もっとも、今シーズン、順位にこだわらずに二部落ちを覚悟で、クラブがアマルを監督として育てるというのならば、併せて、若手選手を実戦で鍛えたほうがいい。そうではなくて、残りシーズン、二部落ちの危機を脱するため、一つでも順位を上げる闘いを志向するのならば、もっとましな指揮官を据えて、現有戦力を基礎として、確実に勝利を目指す闘いをするべきだ。

クラブ責任者が早く決断しないと、千葉は間違いなく今シーズンで崩壊する。



2007年08月04日(土) 甲子園ビジネス

今年も甲子園大会が始まる。「アマチュア」という不当表示のもとで行われる、「甲子園ビジネス」だ。今年の春ころは「裏金疑惑」「特待生問題」で揺れていた「アマチュア野球界」だったけれど、いまの日本は、こうした問題を直視し解決するような、まともな社会構造になっていない。

いまの日本社会は、面倒くさいことが嫌われる傾向にある。一時、騒ぎ、だれかが犯人に仕立て上げられそれまで、ことの本質は隠蔽されたまま、闇に沈む。このたびの「アマチュア球界」におけるいくつかの問題は、いくつかの野球コンテンツをどこのだれが支配するのかという世俗性の中で、その本質が隠された。「アマチュア球界」の最も有力なコンテンツである「夏の甲子園大会」は、現状では朝日新聞社に属しているけれど、朝日新聞主導で形成された甲子園人気に、すべてのマスメディアがしがみついている状況なのだ。朝日を叩くよりも、甲子園にぶら下がったほうが利益になる――それが、マスメディアの計算だ。

朝日新聞というのは、いちおうは、ジャーナリズムという仮面をかぶっている。朝日は社会正義を守り諸悪と戦うという。しかし、そんな仮面を信じている人はだれもいない。

日本人は根っからの、ルーキーリーグ好きかといえば、そんなことはない。ジャーナリズムが報道するから、無意識に夏は甲子園という「好み」が形成されてしまうのだ。人間の意識が、得体の知れない“本質”にコントロールされることはない。「存在が意識を決定する」といったのはマルクスだけれど、意識を経済制度に還元することもまちがっている。フーコーははて、なんといったけか・・・



2007年08月01日(水) 萎縮する日本代表―相手よりも監督が恐いのか

●「ドーハの悲劇」の思い出

アジア杯が終わった。優勝はイラク。イラクといえば、日本のサッカーファンを悲嘆の底に沈めた、「ドーハの悲劇」の一方の主人公だ。1993年10月28日、カタールのドーハで行われた1994年アメリカワールドカップアジア地区最終予選の最終試合、日本がイラクに勝てば、W杯アメリカ大会出場が決まる。日本が1点リードで迎えたロスタイム、イラクがコーナーキックを得る。ショートコーナーから日本のゴール前に放たれたクロスをイラクの選手が頭で合わせると、ボールは無情にも日本のゴールネットを揺らす。倒れこむ日本選手、試合終了を告げる笛・・・日本のW杯初出場の夢が砕かれた。

あれから十余年、2007年アジア杯開催のとき、イラクは深刻な内戦状態にある。爆弾テロで多くの市民が命を落としている。そんな困難な国情の中、イラクはアジア杯を制した。イラクの優勝には、イラク国民の生命が宿っている。イラクの決勝の相手はサウジアラビアだ。サウジアラビアは日本から3点を奪った強豪だ。そのサウジアラビアがイラクに完封された。イラク代表の力はどこから漲るのだろうか――“神がかり”という表現はなじまないが、それと似たような強さが漲っていた――イラク国民の生命こそがその源なのだ。

●アンラッキーボーイ

このたびのアジア杯は不思議な、因縁めいた大会だった。冒頭に記したように、優勝したイラクは、十余年前、日本代表のW杯初出場の夢を砕いたチームだったし、次回アジア杯は、なんと、そのドーハ(カタール)で開催されるという。それだけではない。本大会の初戦、日本が1点リードで迎えたタイムアップ直前、同点のゴールを決められた相手チームは、カタールだった。この試合を見た日本人は、「ドーハの悲劇」を思い出したに違いない。

因縁その2――この試合(初戦のカタール戦)で同点に追いつかれるきっかけとなったファウルを犯した「戦犯」は、オシムチルドレンのDF阿部、そして、日本の最終戦(3位決定戦)、サドゥンレスのPKを失敗したのも、オシムチルドレンの羽生だった。本大会における日本代表の最初(初戦)と最後(最終戦)、オシム監督は愛弟子に足を引っ張られた。もちろん、オシムチルドレンに「日本4位」の責任を帰すつもりはないが、彼らにツキがなかったことも事実。さながら羽生は“ラッキーボーイ”ならぬ“アンラッキーボーイ”。羽生のシュートはバーに当たったり、相手GKの奇跡的美技に阻まれたりして得点に至らなかった。考えてみれば、ベスト4を賭けたオーストラリアとのPK戦で日本が勝ったとき、この大会の“運”を使い果たしてしまったのかもしれない。その次のサウジアラビア戦で2−3で負け、さらに3位決定戦の韓国戦もPK戦で負けてしまった。

●PK戦の勝ちは勝ちではない

決勝トーナメントに入って3試合を戦った日本だが、内容は悪かった。相手チームに退場者が出た試合が2試合ありながら勝てなかった事実は、日本代表の弱さを象徴している。点を取らなければサッカーは勝てない。何試合のうち一度くらいはPK戦で勝てるかもしれないが、「PK戦の負けは負けではない(オシム監督)」のだから、「PK戦の勝ちも勝ちではない」のだ。

オシム監督は攻撃的サッカー、エレガントなサッカーを志向するというが、本大会では、そのどちらも見受けられなかった。相手の守備に対して、バックパス、横パスばかり。バスケットボールならば、タイムオーバーの反則だ。サイドチェンジといえば聞こえがいいが、ようするに、相手のいないところにパスを出しているにすぎない。ボールポゼッションは高いが、自陣でボールを回している時間が長いだけ。相手のカウンターを警戒しているというよりも、恐れすぎ、相手に敬意を表しすぎている。

ミスを犯せば、監督に怒られる、ならば・・・と選手は萎縮して、情熱をもってサッカーをしていない。見ていて楽しくないのだ。いまの日本代表はオシム監督ばかりが目立って、選手の影が薄すぎる。オシム語録は面白いのかもしれないが、筆者はオシム監督の言葉が聞きたいわけではない。何よりも、おもしろいサッカーが見たいのだ。監督の仕事とは、選手が伸び伸びとピッチ上でプレーできるようにすることではないのか。日本の選手は、相手チームよりもオシム監督の顔色をうかがっているかのようだ。監督にプレッシャーやストレスを感じているようでは勝てない。今回のアジア杯は、日本代表の“暗さ”が目立った大会だった。


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tram