Sports Enthusiast_1

2007年01月28日(日) キッド、惨敗

アマレスのフリースタイル60キロ級に出場した山本キッドが2回戦で負けた。キッドは井上の巻投げの大技を食らい、肘を脱臼して病院送りとなった。

井上は決勝で学生の湯元に負けている。ということは、巻投げの大技を食らったキッドの実力は、アマレスでは相当低いと言える。

筆者はキッドのファイトぶり、その言動、そして、山本ファミリーを含めて、あまりいい感じを持っていなかった。総合格闘技とはルールは違うとはいえ、傲慢なキッドにお灸をすえたことになれば幸いだ。

格闘技に限らず、勝ち続けている選手が、自分は強いんだ、という態度を滲ませるとき、筆者はいやな感じを抱く。その代表が亀田だった。そして、キッド、さらに、中田英、イチローを挙げてもいい。彼らが並外れた才能の持ち主であることを認めるとしても、謙虚さを欠いたとき、神は天罰を与える。きょう、アマレスの神様がキッドに天罰を与えた。キッドはこの惨敗を糧にして、今後更なる精進をしてほしい。



2007年01月24日(水) 平山相太

平山相太の評判が悪い。彼の言動は、スポーツマスコミに叩かれ続けている。才能はあるが、伸ばしきれていない、サッカーへの取組みが甘い、真剣さが足りない・・・筆者は平山に直接会ったことはないし、身近で取材したこともない。だから、平山がどんな資質の持ち主なのかわからないのだが、スポーツマスコミの報道のとおりならば、たいへん残念なことだ。

平山が注目を集めたのは、高校サッカーの強豪・国見高校時代だった。国見高校といえば、高校サッカーの理想の指導者といわれる某監督の存在で知られる。国見高校の某監督を悪く言うスポーツマスコミはないし、その指導ぶりに批判はない。

平山が国見高校出身であり、同高校の有力選手だった。平山は、高校時代、某監督の指導を受けたのだ。平山が某監督から指導を受けながら、サッカーに対する取組みに甘さがあり、真剣さが足りないわけは、間違いなく、高校時代の某監督の指導に問題があったからだ。某監督が平山にサッカー選手としてというよりも、高校生として、きちんとした教育をしていれば、いまの平山は存在していない。某監督は、平山を甘やかしたか特別扱いをしたに違いない。

筆者は平山を育てた某監督の指導力に疑問をもっている。平山を批判するのならば、某監督を併せて批判すべきだ。その某監督が参院選に出馬するという。



2007年01月14日(日) ベッカム移籍と中田英のこと

元イングランド代表主将のベッカムが、今夏から米メジャー・リーグ・サッカー(MLS)のロサンゼルス・ギャラクシーに移籍することが決まった。その前に元ポルトガル代表のルイス・フィーゴがサウジアラビアのアルイテハドに移籍している。元ブラジル代表のロナウドもレアル・マドリード(スペイン)を退団し中東のどこかの国でプレーする可能性があると報じられている。

ベッカム、フィーゴ、ロナウドの3人とも世界レベルのサッカー選手で、レアル・マドリードに在籍したことで共通している。レアル・マドリードは多額の移籍金を支払って、世界レベルのサッカー選手を多数集めたけれど、リーガでまたく結果を出せなかった。そのことの反省を踏まえ、規律重視のチームづくりに変更しようとしているという。技術の高い「個」を寄せ集めても、サッカーは勝てないことが遅まきながら証明されたわけだ。

解体寸前のレアル・マドリードを目の当たりにして、筆者の頭の中に、2人のサッカー関係者が思い浮かんだ。一人目はジーコ、そして、もう一人は中田英だ。

ジーコはブラジル代表から欧州(イタリア)に渡り、現役を日本のJリーグ(鹿島アントラーズ)で終えている。鹿島アントラーズ時代、ジーコは選手兼コーチとして、プロサッカー選手として必要なもののすべてを日本人Jリーガーに伝授したと報道されている。やがて、ジーコは、鹿島アントラーズのGMを経て、日本代表監督の座を射止めた。

サッカー先進国の名選手が、サッカー発展途上国のリーグで現役を終え、その次のステップとして、新たに指導者、監督、コーチの道を歩み始めることは珍しいことではない。ジーコに限らず、Jリーグ関係者では、ストイチコフ(ブルガリア代表⇒柏⇒同国代表監督)、リトバルスキー(西ドイツ代表⇒市原⇒FC東京監督)、ストイコビッチ(ユーゴスラビア代表⇒名古屋⇒セルビアサッカー協会会長)、ハシェック(チェコスロバキア代表⇒広島⇒神戸監督)、ブッフバルト(西ドイツ代表⇒浦和⇒浦和監督)・・・らの各国の元代表選手がJリーグでプレーし、そして、引退後、監督や協会役員の地位を得ている。グローバル化が進むサッカーでは珍しいことではない。

中田英の場合は、こうした前例にまったく反している。筆者は、中田英の引退報道があったとき、当コラムにおいて、中田英の就職先は、おそらく、Jリーグ(日本)がMLS(米国)しかないはずだ、と書いた。中田英がボルトンで活躍できず、再チャレンジで挑んだ独W杯において、彼の属した日本代表が予選リーグで敗退した瞬間、中田英の欧州市場における商品価値はゼロとなった。中田英には足の故障という内在的要因を除けば、その活躍の場は、日本と米国だけだったにもかかわらず、どちらの場の可能性を探ることもなかった。サッカー界からあっさりと、引退をしてしまった。その理由は、外部の者にはわからないのだが、彼が汗臭いサッカーというスポーツから逃げ出したことは事実だ。

そのような中田英を実績あるサッカー選手として尊敬するかどうかは、個々の判断に委ねられている。とはいうものの、筆者には、彼がサッカーに対して、ベッカムやフィーゴほどの情熱があるかどうかを疑っている。ベッカムやフィーゴには多額のオファーがあり、中田英にはなかったというのならば、サッカー選手としての中田英の実力もまた、世界レベルではなかったという傍証となる。中田英を“カリスマ化”しているのは、日本のマスコミだけ。 



2007年01月07日(日) 本年もよろしく、

お願いします。年末28日から今年の4日までチュニジアに観光旅行に行っていたため、年末年始のスポーツはまるで見ていない。年末の格闘技、サッカー天皇杯、高校サッカーと、いろいろなイベントがあったけれど、そんなわけで書くことができない。

さて、6日のA新聞の夕刊第一面をご覧になった方も多いと思う。スポーツ総合誌の2誌が廃刊となり、残る老舗のN誌も売れていないという。「スポーツ総合誌苦境」とその見出しは躍っていた。

A新聞によると、スポーツ総合誌の経営危機を招いたのがサッカーW杯ドイツ大会の惨敗だと分析されている。この現象を私流に換言すれば、「代表バブル」の崩壊となる。さらに、ネット普及の影響も揚げられている。

残念ながら筆者は老舗のN誌以外のスポーツ専門誌を読んだことがない。立ち読みくらいはしたことはあったかもしれないが、まるで印象がない。つまり、店頭においても、広告戦略においても、スポーツ総合誌としてパワーがなかったのが廃刊に追い込まれた第一の原因だろう。

老舗のN誌は独特の広告で人目を惹いたが、中味は薄かった。中田英、俊輔、高原、稲本、小野・・・らの「海外組」をダシにして日本代表が世界レベルであるかのように喧伝し続けたのがN誌だった。N誌がドイツ大会の惨敗をどこまで本気で分析したかは疑われるし、自誌の取材の至らなさを反省したかも疑問だ。威勢のいい見出し、スター選手への美辞麗句、中にはへそ曲がりの批判記事がないとは言えないが、スポーツ総合誌の編集の基本コンセプトは、スポーツ新聞と変わらない。むしろ、速報性がないだけ、媒体としてのパワーはスポーツ新聞より劣る。月刊というハンディを補う独自性として、理論性、文化性を前面に打ち出そうと試みたのかもしれないが、肝心の理論・文化が中途半端で魅力がないのだから、読者には受け入れられるはずがなかった。中田引退が痛手だというが、中田依存が永遠に続くわけもない。

筆者は、N誌も廃刊すべきだと思う。大手出版社が見栄で、赤字を許容するのは勝手だが、読者(市場)の評価に従ったほうがいい。現状の編集コンセプトでは客がついてこない、という現実を直視すべきではないのか。

独W杯の惨敗はスポーツ総合誌に直接の責任はない。けれど、ジーコ監督を“名監督”と評価し、かつ、海外組を“世界レベル”と誤報し続けた責任はある。日本で行われた“代表興行”の“勝利”を礼賛し続けた誤りは認めなければいけない。バブルがはじけて、スポーツジャーナリズムに黄昏が訪れた。当然のことだ。


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