2006年11月30日(木) |
岡田主審は“グレー”か |
書くのが遅くなって恐縮だが、第33節の川崎vs鹿島で鹿島のFW田代有三が相手GKとペナルティーエリア内で接触したプレーで警告を受け、2枚目のイエローで退場となった。そのプレーのVTRを見ると、田代が倒れたのは相手GKが田代の足を払ったためだった。田代が倒されなかったら得点する可能性が高かったので、相手GKがイエローもしくはレッドで、田代にPKが与えられて当然だった。ところが警告は、逆に田代に出たのだ。明らかに誤審だ。試合後、鹿島のアウトゥオリ監督は記者会見を拒否した。そして、きょう(30日)、“アウトゥオリ鹿島退団”の報道が流れた。
さて、誤審した主審はだれかというと、当然このひと、岡田正義(SR)だ。そこで、岡田主審が退場者を出した試合を調べてみると、以下のとおりとなる。 33節、川崎(H)×鹿島(A)=田代有三(鹿島)=警告2枚で退場 32節、浦和(H)×甲府(A)=秋本倫孝(甲府)=警告2枚で退場 26節、浦和(H)×千葉(A)=結城耕造(千葉)、ストヤノフ(千葉)=警告2枚で退場 24節、G大阪(H)×川崎(A)=マギヌン(川崎)=退場 21節、F東京(H)×C大阪(A)=河村崇大(C大阪)=警告2枚で退場
21節の河村崇大(C大阪)の退場は、試合終了間際数分に連続2枚の警告が出てのものなので、勝敗に影響しないので除くとして、残り4試合では、退場者が出たチームが負けている。また、この5試合に共通しているのは、アウエーチームから退場者が出ていることだ。浦和は岡田主審が笛を吹いたホームの2試合で、相手に退場者が出て勝ったことになる。その浦和の32節の甲府戦、26節の千葉戦の退場場面は、筆者の見解では岡田正義の誤審だと断言できる。岡田主審の場合、退場にからまない誤審をここで具体的に指摘できないものの、筆者の抱くイメージでは、他の主審より多いはずだ。
それだけではない。上記5試合のうち、ストヤノフの退場は試合終了後に2回目の警告が出されるという、珍しいケースでこれを除外すると、5試合の退場者が田代、秋元、結城、マギヌン、河村といった若手であるところが気になる。相手がナイーブな若手Jリーガーの場合、岡田正義は、自分の存在意義を示すため、無用な警告を出す。2枚目の警告は出しにくい、という通説を覆し、自分が毅然とした審判であることを示すため、“堂々と信念をもって”警告を発する。ところが、相手が代表クラスだと、悪質な反則を繰り返しても見て見ぬふりをする。
もちろん。この5試合をもって、岡田正義がホームアドバンテージの強いタイプの審判だと断言できないし、ホームの浦和に有利な判定を意図的にくだしているとは言えない。岡田主審を“クロ”だと疑うだけの証拠がない。けれど、浦和の2試合と、33節の川崎vs鹿島における明白な誤審を加えるならば、岡田正義は“グレー”の疑いがもたれる審判であることは間違いない。Jリーグが岡田正義を調査の対象としていい。
2006年11月26日(日) |
横浜FC、J1に昇格 |
25日、横浜FCがJ2で優勝した。おめでとうございます。思えば、このチームの前身は横浜フリューゲルスだった。フリューゲルスは、横浜マリノスとの合併で消滅したのだが、フリューゲルス・サポーターがチーム存続を求めて設立した市民クラブ。チーム発足から8年(J2参戦6年、JFL2年)で悲願を達成した。
J2の試合はまったく見ていないので、横浜FCの試合ぶりはわからないのだが、三浦カズ、城、山口らのフランスW杯日本代表が現役で活躍していることは知っている。監督は現役時代、アジアの大砲と呼ばれた高木琢也氏だ。発足当時、このチームの台所事情はかなり苦しかったと聞いていたが、関係者の努力でベテランのJ1選手を集め、戦力を整備してきた。中田英が所属していた英国プレミアリーグのボルトンも各国リーグのベテランを再生してチームを強くしたので、横浜FCと似ているかもしれない。
有名ベテラン選手に注目が集まりがちな横浜FCだが、このチームで最も注目されている選手の1人がGKの菅野孝憲だ。セーブ率0.94、1試合平均失点 0.68 と横浜FCの堅守を支えている。身長179cmとGKとしては小柄だが、川口二世の呼び声も高い。ユース代表などの経歴はなく無名に等しいのだが、筆者は菅野のJ1でのプレーに期待をしている。ひょっとすると、久々にGKのニュースターが誕生するかもしれない。来年が待ち遠しい。
2006年11月17日(金) |
07年に課題残した日本代表 |
アジア杯予選・日本vsサウジアラビアは、日本が3−1で快勝した。両チームともに予選通過を決めた消化試合。TV中継からも、ゆるく、のんびりした雰囲気が漂っている。こんな雰囲気の中、ホームで負けたとしたら、いまの日本代表は解散したほうがいい。
話題性・重要性に乏しい試合だけに、逆に、監督としては思い切った実験が可能な試合だともいえる。前監督のジーコだったら、こんな試合でも見当違いに海外組を召集したかなと、往時を懐かしんでみたりした。
そんな中、僅かながらのサプライズがあった。日本代表の先発に、本職のCBが1人も入っていないのだ。DFは3人で、リベロ=トゥーリオ、CB=阿部(千葉)、今野(F東京)。MFにはSH=加地(G大阪)、駒野(広島)。ボランチ=鈴木(浦和)、中村(川崎)、トップ下=三都主(浦和)。FW=我那覇(川崎)、巻(千葉)の2トップ。鈴木の1ボランチなのか中村との2ボランチなのかは試合が始まっても流動的でわからないくらい、ポジションは流動的だった。
2トップ以外MFの選手で構成された先発メンバーは、アウエーのサウジが引いて守り、要所でカウンター攻撃にくる、と決めたからなのか、ほかに実験的な意味があるのか不明。とにかく結果論でいえば、3点(終了間際にトゥーリオのPK失敗がなければ4点)を上げたのだから成功といえる。
だが、不安はぬぐいきれない。サウジに与えた1点は今野がペナルティーエリア内でサウジの選手の首に手をかけたとして与えたPKだった。微妙なプレーで、主審の誤審かどうかは別としても、不慣れな急造CBである今野のミスだった。相手はゴールを背にしているのだから、決定機ではない、慌てて抱きかかえる必要などなかった。DFとしての経験不足が招いた事故だろう。
そればかりではない。今野、阿部のCBで、欧州、アフリカの長身選手に対して、空中戦が戦えるのかという不安が残る。空中戦を制するに身長だけとはいわないが、今野のジャンプ力と位置取りがワールドクラスの相手に通ずるのかどうか。今野の良さは、驚異的スタミナとタイミングのいいミドルシュート。もう少し前のほうが、適しているように思うのだが。
リベロのトゥーリオが1点目を叩き出したが、これも相手が相手、消化試合・・・というシチュエーションだから為せる技、という気がしてならない。彼は試合終了間際のPKを外したが、もともとクラブでPKを蹴っていない選手。千葉でPKを蹴っている阿部に任せるべきだった。
2006年の最終公式戦に快勝という結果が残ったが、安心できる内容ではない。細部でミスが多かった。2点差以上で勝つ(予選1位通過がかかった)というノルマを果たしたけれど、前途多難を予感させる試合内容だった。
2006年11月14日(火) |
川崎大逆転負けは、関塚監督の采配ミス |
前節のJリーグで最も注目されたゲームは、F東京vs川崎だった。両軍の総得点9(5−4でF東京の勝ち)という点の取り合いで、しかも、川崎に2名の退場者があった。川崎側から、不可解な判定という意味の非公式の抗議があった。試合後のプレス・コンファレンスで、川崎の関塚監督は、主審が川崎の2選手を退場したことにふれ、(主審の判定に納得できない。一生懸命やっている選手に説明がつかない――という意味で、)「選手をどう指導していったらよいかわからない」とまでコメントした。
リーグ終盤、首位争いをするチームの監督が終盤に4点差をひっくり返され負ければ、その敗因を主審の判定に求めたい気分に陥ってあたりまえだが、敗因は主審の下した判定に求められるわけではない。試合を振り返ると、敗因は関塚監督の采配ミスだったことがわかる。
1人目の退場者であるジョニ―ニョのダイビングについて言えば、主審の判定は正しい。ジョニ―ニョは優れた選手だが、相手タックルにオーバーアクションで転倒する傾向がある。主審だってビデオで選手の癖を研究している。彼が主審を欺く傾向の強い選手であることは素人にも自明のことだ。彼は日本の主審は自分が大げさに倒れれば、必ず、ファウルをもらえると思っているふしがある。日ごろの悪い行いが、最も大切な試合において、報いを受けた。
2人目の退場者であるマルコンについては、テレビ映像ではわかりにくかった。筆者がいろいろ調べた結果、F東京に与えられたFKを彼が妨害する遅延行為が警告対象になったことが判明した。遅延行為は警告の対象であり、主審の1回目の注意をマルコンは無視して2回行った。言葉の問題もあるが、ここは日本だから、マルコンに非がある。ホームチームが負けている局面で、リードしているアウエーの選手が遅延行為を2回繰り返せば、警告は当然だ。
関塚監督の選手交代はどうか。 この試合、後半開始5分経過時点で川崎が4−1の大量リード。試合は決まりと思われた。流れを変えたのは後半6分のF東京戸田の得点だった。残り40分間で得点差2ならば、負けているF東京の選手たちに期待が膨らんで当然だ。F東京は、前の試合でG大阪相手に大逆転劇を演じている。
関塚監督の読みの狂いは、戸田の得点を起点にしていた。勝負の流れが変わっていたところで、ジョニ―ニョ退場(後半8分)が起きた。ここで、関塚監督がどういう指示をピッチの選手に出したのか、選手起用は的確だったのか――が問われる。この時点で川崎は4−2とリードだった。 関塚監督は後半12分にMFマギヌンに代えてDF佐原を投入した。ピッチの選手に対して「守れ」のメッセージを出した。さらに、15分、負傷したFW我那覇に代えて同じFWの鄭を投入した。これも、前線から「守れ」だろう。
結果論としては、関塚監督の選手起用は失敗した。大量点リードで気が緩んだのか。ジョニ―ニョ退場で監督の心が乱れ、守るり方が曖昧だったのではないか。監督の気持ちの乱れが選手たちの不安を誘発し、マルコンの退場で、関塚監督は、管制塔の機能を完全に失った。監督が自軍の戦いの方向性を見失ってしまった。ずるずる引いて、F東京の猛攻撃を逆に誘引してしまった。FWを1枚残し、中盤から強いプレスが必要だった。
守ったつもりが、後半23分にF東京に3点目を取られた。これでピッチの川崎の選手全員が混乱した。そして、マルコンの遅延行為の退場につながった。このマルコンの行為には実は伏線があった。F東京が上げた戸田の2点目はセットプレーからだったのだ。F東京は大量得点で集中力を欠いた川崎の選手の不意をついて、素早いプレーを仕掛け、それが戸田の得点につながった。
F東京の3点目で関塚監督の心の中は「主審への疑念」にとりつかれ、冷静な判断を下せる状況になかったのではないか。終了間際に2名の退場者を出せば、通常の神経の持ち主なら平常心を失って当然だが、よくよく考えれば、ジョニ―ニョ、マルコンは前半にイエローを1枚もらっている選手なのだ。もちろん、4−1の後半開始早々に警告が1枚ずつ出ているからといって、レギュラー2人を引っ込めるのは無理な話だが、4−2の時点でこの試合の見通しを決めれば、2人のうちどちらかを交代させる選択肢はあった。 ジョニ―ニョの2回目の警告は、F東京の2点目の2分後であり、マルコンの2回目の警告は、F東京の3点目の1分後に出ている。川崎の選手は、大量リードしながら、F東京の猛迫に明らかに動揺をしていたと考えられる。
前述したとおり、関塚監督は、選手の動揺を鎮めるため、ピッチの選手に向けた明確なメッセージを交代選手に託していないように見えた。試合が中断する節目、節目で、ゲームキャプテンを呼んでも良かった。関塚監督が監督としての仕事を十分、果たさなかったことが、川崎の一番の敗因だった。
試合終了後、関塚監督は、プレス・コンファレンスで主審の判定で負けたかのような意味のコメントを残したが、冷静に試合を振り返ると、関塚監督の発言が正しくないことがわかってくる。川崎は、負けるべくして負けたのだ。しかも、敗因は当然、監督の采配ミスだった。関塚監督の試合終了後のコメントとしては、「自分は、サッカー監督として、修業が足りない」くらいが相応しかった。にもかかわらず、関塚監督は、Jリーグのあり方までも批判してみせた。監督失格である。
鹿島(ジーコ)vs千葉(オシム)=新旧日本代表監督の代理戦争といわれたナビスコ杯ファイナルは、千葉が2−0で快勝。カップ戦の頂点に立った。結果的には、“オシムイズム”が“ジーコ流”にはっきりと、引導を渡した格好となった。鹿島のアウトゥオリ監督は、この試合に進退を賭けていたというから、辞任もあり得る。オシムイズムが、昨年サンパウロを率いて世界クラブチャンピオン監督に輝いたアウトゥオリを日本で辞任に追い込んだことになる。
試合は白熱した、いい内容だった。運動量は互角、鹿島がカウンター狙いで虎視眈々と裏を狙う一方、千葉は右サイドの水野を基点に決定機を狙った。前半は鹿島有利、こばれ球を支配してポゼッションで優位に立った。鹿島がこの時間帯に点を上げられなかったのは、FWの柳沢・アレックスミネイロに切れがなかったことだ。千葉の若い力が、鹿島のベテラン二人を抑えた結果となった。この試合は、強豪・鹿島が世代交代に失敗していることを象徴した。アウトゥオリの若手起用が間に合わず、鹿島の深井、野沢、青木らの鹿島の若い選手がファイナルのプレッシャーで力を出し切れなかった。
さて、この試合の結果をもって、オシムに代表される欧州サッカーが、鹿島に代表される南米サッカーを上回ったと結論づけることなどできない。鹿島がポゼッションサッカーで、足元のパスばかり、というのも間違っている。欧州、南米を問わず、90分間走らなければサッカーは勝てない。鹿島の敗因は世代交代の失敗に尽きる。千葉だって、そういう時期がこの先、やってくる可能性もある。
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