読売が4月末で最下位。これまで大金で獲得してきたホームラン打者に加えて、現役大リーガーを投打に補強して最強のチーム作りを果たしたはず――だったし、清原は4番打者としての定着を目指し、下半身を鍛え直して走れるはず――だったのだが・・・読売は、スタートダッシュにみごとに失敗した。 読売の現在の成績は意外なものではなく、当然の結果だろう。攻撃陣では、現役大リーガが先発で起用されたため、天才打者・清水が試合に出られない。清水に代わって先発している現役大リーガーは、8番打者で打率は2割に満たない。さらに、ここ数年のホームランでしか点が入らない傾向は、是正されないままだ。 「最強の4番打者」のはずだった清原の下半身は、開幕から一月しかもたなかった。昨年も当コラムで書いたことだけれど、彼の肉体改造はユニフォームの上から見る限り、日本の野球にフィットしていない(ように筆者には思える)。おそらく、ウエイト系の鍛錬で、野球選手には不必要な筋肉が上半身につきすぎている(ように思える)。Jリーグでは、神戸のベテラン・三浦(カズ)が復活したが、彼の場合、体重を落とし、下半身への負担を減らして、動きにキレが戻った。清原も同様に、筋肉の量を指向するトレーニングから、質に転換するトレーニングに切り替えなければ、この先も故障に悩まされるだろう。しかも、加齢に従い、下半身を鍛えることはより難しくなる一方、ウエイト系トレーニングを続ければ、加齢にかかわりなく、筋肉を増やすことができる。清原が筋肉指向から脱却しない限り、野球選手としての復活はない。清原が適正なトレーニング方法でよほどの努力をしない限り、1シーズン働ける肉体に戻れない。読売は故障の清原の代替として、5月以降、清水をファーストで使うこともあるだろう。それが想定の範囲内ならばそれでもいい。けれど、劇的な効果は期待できないと思われる。 投手陣はどうだろうか。上原以外は安定感を欠いている。桑田は二軍で調整中だ。シンカー依存の高橋は、若いけれど、限界が見えている。工藤は200勝を達成して、すでに上がり状態だ。木佐貫はケガで出られない。代わりに先発に抜擢された左腕内海も経験不足だし、林も伸び悩んでいる。中継ぎ陣はシコースキー、前田、佐藤と、中日と比べるまでもない。クローザー(抑え)にいたっては、これまた現役大リーガーのクローザーが不振で早々とクビになって、久保が勤めているというから、12球団中最弱だ。 守備では、捕手の阿部の盗塁阻止率は限りなくゼロに近いし、ローズの緩慢プレーを指摘したコーチが逆に、ローズの怒りを買う始末。ローズはコーチ批判と球団に対する暴言で、罰金処分を受けた。走に至っては、読売の盗塁成功がいつあったのか、記録を探ってもわからないくらいだ。 チームのバランスが崩れ、打、投、走、守のどれをみても、他球団より劣る。これでは監督がだれでも勝てないのかというと、そんなことはない。なぜならば、好走好守の鈴木は二軍だし、巧打の清水、斉藤は控えだし、勝負強い川中、後藤も二軍でくすぶっている。駒があるのに使っていないのだ。開幕して一月間はとにかく我慢だ、というのが現監督の方針なのかもしれないが、いま、パリーグでトップを走る千葉ロッテの場合、選手の流動化が激しい。つまり、調子のいい選手を使おうという基本方針がチームに徹底している。選手もそれに従い、モチベーションを高めている。だから、読売の監督が、調子のいい選手をうまく使うような選手起用法に転換すれば、結果が変わる可能性もある。 堀内監督のチームイメージは、V9の「巨人」かもしれないが、そんな時代は二度とくるはずがない。監督が、選手起用法及びチームイメージを改めないのならば、5月攻勢もない。もちろん、監督を替える決断も大いにあり得るし、最適の選択だと思う。
2005年04月28日(木) |
主審・岡田は磐田のサポーター |
これはひどい。前回書いた主審・砂川よりもひどい。Jリーグ開幕戦で磐田・福西の「ハンド」をゴールと認めた主審・岡田だったが、今節の磐田vs浦和で、1−1の後半40分近く、ペナルティーエリアの混戦でバランスを崩したカレン(磐田)にPKを与えた。この判定には浦和の全選手が抗議をした。浦和のブッフバルト監督は試合終了後、主審・岡田に詰め寄った。 筆者は、主審・岡田が磐田または山本監督のサポーターではないか、という疑念を抱いていたのだが、その疑念が確信に変わってしまった。残念だ。主審・岡田は磐田のサポータでないことを隠蔽するため、中山の1回目のPKを認めず、2回蹴らせた。手が込んでいる。 試合は1−2と勝ち越された浦和のエメルソンが、PKの1分後(後半41分)、怒りのゴールを決めて2−2の同点で終わった。なんとも後味の悪いゲームだった。 こんな審判では選手が可愛そうだ。この試合、主審・岡田が磐田に与えたPKが決勝点になってしまったら、磐田は主審・岡田の笛で2試合をものにしたことになる。これを偶然とは言えない。主審・岡田が特定のクラブに有利な判定、というよりも、「誤審」で勝ちを与えるのであれば、リーグは主審・岡田に休養を命ずべきだろう。筆者は開幕戦の誤審で岡田の休養を当コラムで提言したが、もちろん受け入れられるはずもない。 なお、中継したNHKBS1は、微妙な判定シーンの再現VTRを流さなかった。これもおかしい。選手は試合中の抗議を認められていないけれど、選手たち(当事者)が納得できていない判定については、中継者は何度もそのシーンのVTRを流すべきだ。それが視聴者へのサービスであり、主審の誤審に自省を促すことになる。 繰り返すが、自由主義社会では、評価されることのない立場の人間は、遅かれ早かれ堕落する。社会主義社会で、共産党員という特権階級が堕落したことを見ればわかることだ。かりに、Jリーグのサッカー審判団がだれからも批判されることがなく、だれからも評価されることがないのだとしたら、その者の技術、技量、能力は、絶対に向上することがない。そうした組織(国家を含め)は、自壊の道を辿る。
2005年04月25日(月) |
この主審はひどすぎる |
前節、広島vs川崎の後半10分すぎ、アウグスト(川崎)は、主審・砂川の目の前でチャージに入ったs茂原(広島)に対して、エルボーを見舞った。主審・砂川はそのプレーを目の当たりにして、ファウルなしの大きなジェスチャー(パフォーマンス)をして、流した。当然、茂原はピッチに倒れゲームは中断した。しばしのロスタイムの後、立ち上がった茂原が主審に抗議をしたが、受け入れられるはずもない。 川崎の左サイドのアウグストは、茂原とマッチアップして思うようなプレーができず、再三、イライラした態度を見せていた。主審の本来の仕事は、イライラするアウグストに冷静さを求める言葉を発すべきだった。イライラして熱くなった外国人選手にカードが出せない主審が、Jリーグで笛を吹いているとは情けない。ほかにも首を傾げざるを得ない判定があり、解説者のK氏も「ちょっとわかりませんね」と解説に苦しむ次第。 守備にまわってしつこくからむ相手選手にエルボーを見舞うのは、一発レッドの対象だ。遅延抗議や判定に抗議した選手にはイエローを連発する日本の審判だが、肝心のラフプレーを見逃すのでは、審判の権威もなければ、主審の資格もない。 Jリーグの今シーズン、審判団の判定基準が問われている。まず、イエロー、レッドと、カードを出す基準が曖昧だ。さらに、ハンド、ラフプレー、遅延行為、審判に対する異議申し立て、シミュレーション(ダイビング)、オフサイドに係る判定基準について、理解に苦しむケースが少なくない。 ついては、Jリーグは審判団の評価基準をサポーターに向けて公表し、点数制度等で審判の評価を掲示してほしい。同時に、スポーツジャーナリズム、とりわけTV(中継)メディアは、微妙な判定について、何度も再生VTRを放映してほしい。 何度も書くことだけれど、ゲーム中の判定は神聖にしてなんぴともそれを覆すことはできないけれど、審判それ自体が神聖なわけではない。審判は選手と同様、いやそれ以上に適正な評価基準をもって評価されるべきだ。むろん、審判の誤謬、誤審については、厳しい処置が下されるべきだ。そうしなければ、Jリーグ――日本のプロサッカーは、足元から瓦解する。
2005年04月24日(日) |
磐田よ、「巨人」になるな |
先日、藤田(磐田)の浦和への移籍について書いた。ところが、磐田は浦和のオファーを蹴飛ばしたらしい。確かに、磐田にとって藤田放出は、戦いの最中に相手に塩を送る結果になる。だから、藤田は出せない、という論理だろう。筆者は、一見当然のように思える磐田の「戦いの論理」を肯定しない。 そもそも、磐田は市原(現千葉)から主力3人(うち1名は京都にレンタル中)を取った。さらに、韓国代表及び海外在籍中の日本代表GKまで取った。有望な若手が有り余るほどいるのにもかかわらず・・・ 磐田の補強は、プロ野球の「巨人」(読売)と同じだ。戦力均衡がサッカーに限らず、スポーツに白熱化という面白さをもたらすという根本原理から言えば、磐田の「巨人化」は、エゴイズムであって、リーグの発展に資するところがない。 藤田はベテランで才能のある選手だが、現在の磐田に不要なのは、だれでもわかることだ。藤田が悪いわけではないし、監督が悪いわけでもない。ベテラン選手には、遅かれ早かれそのような時期に遭遇する。そのとき、クラブがプロ野球の「巨人」にならって、敵の戦力にならないよう、ベテラン選手を「飼い殺し」にするようなことを、サッカーの世界でやってほしくない。選手は試合に出ることが望ましい。才能のある選手であれば、ファンもその活躍を別のクラブで見ることを望んでいる。たとえば、鹿島を放出された秋田は、いま、名古屋の躍進を支えている。新潟のチームリーダーは名古屋から放出された山口だ。市原(現千葉)のユーティリティープレイヤー・中西は、いま現在ケガで試合に出ていないが、横浜の貴重な戦力となっている。 藤田のトップ下が浦和で実現したとしたら、浦和の3トップの攻撃陣は、今以上の破壊力を発揮し、浦和の攻撃は、想像以上にスペクタクルなものとなる。田中、エメルソン、永井らはその才能をいま以上に開花させる可能性が高い。浦和のサポーターがそれを望む。もちろん、藤田が加入した浦和を迎え撃つ相手チームも、必死になって浦和そして藤田を止めにかかる。その結果、厳しいプレーが続き、双方のサポーターがエキサイトし、サッカーのレベルが上がる。こうしたシナジー効果が、日本サッカーの発展につながる。 筆者は、磐田ほどのクラブが浦和のオファーに対して、検討すらしないという態度を示したことを遺憾に思う。スポーツファンは、読売(巨人)がプロ野球の世界で繰り返した「飼い殺し」の悲劇を望んでいない。磐田のサポーターだって、レッズのユニフォームを着た藤田を見たいに違いない。磐田vs浦和が因縁の戦いになるのならなおさら、結構なことだ。観客が増えるのだから、興行面でもプラスになる。
Jリーグ、清水vs千葉はいい試合だった。若き指導者・長谷川健太が老獪・オシムに真っ向勝負を挑み、みごと押し切った感がある。どちらにも勝たせたかった。筆者にとって望ましい結果は引分だったが、リーグ初勝利をかけた清水の精神力が上回ったようだ。筆者は以前当コラムで、長谷川健太は監督として才能を感じると書いた。チームの目指す方向性がはっきりしているし、あの戦力でしかもけが人が多い中、これまで、善戦が続きながら惜敗、引分けで涙を呑んできたわけだが、やっと結果に結びついた。クラブもサポーターも長谷川批判が出なかったそうだが、当然だろう。さすが、サッカーどころの清水だけあって、長谷川監督の指導理念を周囲が理解していたのだ。こういう風土ならば、いい指導者が育ちやすい。 圧巻は決勝点のシーンだった。後半30分前後だったろうか、交代で右サイドに入った平松が細かいドリブルでボールキープしながら、右SB市川の上がりをまつ。市川はサイドライン沿い長い距離を走り抜き、平松からのどんぴしゃりのパスを受け、美しいばかりのクロスをゴール前に上げる。FW久保山は、千葉のDF2人に競り勝ってヘッディングシュートを決める。4バックを目指しながら、3年間かかってもいまだ完成できないジーコ監督に見せてあげたくなるような、ゴールシーンだった。 前後したが、長谷川監督が目指すシステムは、Jリーグでは少数派の4バックだ。この試合、右SBで活躍したのが市川だ。彼はフランスW杯当時、高校生選手として、代表に選考はされなかったもののフランスに同行した逸材だ。 市川が完全復調して、豊富な運動量と正確なクロスがコンスタントに上がるようならば、4−4−2の右SBとして、ドイツ大会も夢ではないし、清水に市川と同等の左SBが育てば、面白いチームになる可能性がある。たとえば、千葉から磐田に移籍した村井のようなタイプだ。 それにしても、勝った清水、負けた千葉とも、よく走る。筆者の好みはこのような運動量の豊富なチームだ。球回しが速く、攻守の切り替えが速く、一対一に強く、サイド攻撃が得意。中盤でボールを奪えれば一気にゴールに迫る。長谷川監督でもオシム監督でも、どちらでもいいから、日本代表監督になってくれないかな〜。
浦和が磐田の藤田の獲得に乗り出したという。浦和のオファーは極めて自然なものだ。優勝候補の浦和が下位に低迷する理由は、ラフプレーを繰り返すアルバイ、ネネがレッドカードにより常時出場できず、一人少ない試合が続いたこと、そして、トゥーリオがケガで欠場し、守備陣が不安定なってしまったことだ。 浦和はスター軍団だが、同一ポジションに同じようなタイプの選手がひしめいていて、チームバランスはよくない。構造的弱点として、強力3トップとボランチの間にぽっかりと穴があいたように、いい選手がいないことだ。これは死角だった。というのも、浦和のトップ下は、長谷部、山瀬の2人の若手が競っていた。ところが、長谷部はボランチに下がり、山瀬は横浜に移籍してしまった。そのため、右サイドの山田がトップ下を務めたものの、しっくりいかない。オランダリーグで活躍する小野は浦和出身だから、まさか彼が帰ってきたときのために席を空けて待っているわけでもあるまいが。名古屋から移籍した酒井も力不足だ。筆者はうかつにも、シーズン前、浦和の構造的弱点を見抜けなかった。多くのサッカー評論家諸氏も同様だったと思う。それだけ、浦和の攻撃陣が強力だったということかもしれない。勝てなくなってはじめて、山瀬の不在に覚醒したわけだ。 対策としては、前出のDF2人とFWエメルソンで使い切った外国人選手枠だが、こうなった以上、ネネ、アルバイのどちらかを放出して司令塔を獲得する手もある。けれど、浦和のフロントが他クラブで余剰となった日本人選手として、磐田の藤田に白羽の矢を立てたことは賢明だと思う。浦和のオファーは、浦和・磐田・藤田本人の三者にメリットをもたらす。こうした有意義な流動化については、ぜひ、実現してほしいものだ。
神戸が元ブラジル代表監督のエメルソン・レオンの新監督就任を決めた。レオンは日本のサッカーファンにとって、懐かしい存在。1994年6月まで2年間清水の監督を務めたし、96年にV川崎(現東京V)の監督となり、天皇杯で優勝を果たした。2000年、ブラジル代表監督に就任したが、成績不振で01年6月のコンフェデレーションズカップ終了後に解任されている。昨季は同国の強豪サンパウロの監督だった。 レオンは、いまレアルマドリードの監督を務めているルシェンブルゴと同様規律を重んじる監督で、V川崎時代、当時現役だった、あのラモスがレオンが監督に就任すると聞いて、京都に飛び出した話はあまりにも有名。この逸話からも、ブラジル(人)=ラテン=自由奔放というのが俗説に過ぎないことがうかがえる。 レオンの優れた才能の1つが若手の育成のうまさだ。サントス時代、ジエゴ、フォビーニョらを発掘し育てたことは有名だ。レオンならば、いまのジーコに代わって、日本代表監督に就任してほしいとさえ思う。 さて、レオンはおそらく、神戸というチームの大改造に取り組むだろう。ベテランのカズは使われなくなる可能性が高い。レオンと共に、神戸の若手にチャンスがやってくる。さて、神戸の若手というと・・・すぐに名前が挙がらない。 神戸は楽天の三木谷社長の道楽だと言われるチーム。トルコ代表の人気者、イルハンにだまされ、次はチェコのハシェックを監督にしたがすぐクビ。こんどはレオンだ。大金を積んで、有名監督をとっかえひっかえするよりも、選手のリクルーティングという基本から見直したほうがいいのではないか。神戸にはチームの土台がつくれる、優れたGMがまず必要。楽天にカネがあまってるからとはいえ、もったいなさすぎる。
2005年04月18日(月) |
Jリーグ、審判が心配 |
最近、忙しくてJリーグが見られない。ここのところの試合後の報道を見る限りでは、Jリーグで最も活躍しているのは主審のようだ。 全勝同士の千葉vs鹿島では、千葉の守備の要・ストヤノフ(元ブルガリア代表)が上川主審(W杯出場審判)によって、一発レッドを受けた。あるスポーツライター氏は、このレッドに疑問を呈していた。注目の一戦、審判が水を差したという見方が多い。 下位に低迷する優勝候補の浦和では、前前節、同じく守備の要・アルバイ(元トルコ代表)、ネネ(元ブラジル代表)が退場になった。アルバイ、ネネの退場場面はTV中継で見た。筆者の見た限り、審判の措置は妥当なものだった。けれど、同じ主審から、神戸の三浦が前節不可解な退場処分を受けている。退場者はもちろん、外国人選手だけではないし、外国人が日本人審判に「狙い撃ち」されているとは言えない。 一方、開幕試合では、岡田主審(W杯出場審判)が磐田の福西(日本代表)の「ハンド」を得点として認めた。日本人審判のレベルは高いとは言えないのではないか。 Jリーグの審判がこのままでいいのか――と考えるのはきわめて一般的だ。ではどうしたらいいのか――できれば、Jリーグ発足当時のように、欧州、南米、アジアから、ベテランWクラスの審判を招聘してほしい。欧州ならば、イタリアセリエA、スペインリーグ、イングランドプレミアリーグの審判が望ましい。アジアは東アジアよりも、中東のほうがいい。南米はブラジル、アルゼンチンで十分だと思う。一度に呼ぶことはできないだろうから、半期に分けてもいい。とにかく、日本人審判だけがこのまま、Jリーグで笛を吹き続ける状況はよくない。
F東京vs磐田は勝敗は別にして、新旧の意味する象徴的な一戦だった。結果は、F東京が1−0で磐田に勝利したのだが、両者は勝敗・点差以上にチームづくりの差を感じた。もちろん、F東京の方が磐田を上回っている。F東京が若手への切り替えに成功し、磐田は失敗した。その差が勢いの差となって、ゲーム展開と結果に出た。 磐田のチーム作りについては、当コラムで執拗に批判してきた。この試合も筆者の批判どおり、FWが固まらないことで攻撃に勢いがつかない。先発したチェ、カレンのFWに約束事、役割の認識があるのかどうか、少なくとも筆者には意思疎通がないように見える。チェは移籍後得点ゼロ。交代出場したゴンも低調だ。以前当コラムで指摘したように、磐田のFWはゴン、チェ、カレン、グラウのうち2人が先発候補だが、いまだに固まっていない。先は長いのだから試行錯誤の時期だという説明で納得する人ばかりならそれでもいいが・・・ そもそも磐田のチーム作りに問題がある。繰り返せば、筆者の考えでは、ゴン、服部、名波、藤田を放出して、若手に切り替えるべきだった。ところが、クラブの選択は、ベテラン勢を温存して、左サイド(村井)、DF(茶野)、GK(川口)、FW(チェ)を補強した。余剰しているベテラン勢にさらに新戦力を加えたから、コンビネーションがとれなくなり、本来の磐田のサッカーが崩れてしまった。その結果、磐田の豊富な戦力が結果に結びついていない。他のクラブはいまの磐田ならば恐くないと考えるから、相手に自信をもってプレーされている。 この試合に限れば、磐田も善戦した。決定的チャンスをお互い何度かつくりながら得点できず、1回決めたF東京が勝ったわけだが、サッカーなのだから結果についてはどうしようもない。 監督は選手がいれば使い方を考えてしまう。それは仕方がない。だから、コンセプトを決めたならば、不要な選手は放出したほうがいい。選手がダブれば、監督には迷いが生ずる。選手層の厚さは必要だし、アジアCLを戦う磐田の場合、2セット相当の選手が必要なのかもしれないが、2セットが両方とも機能しないのならば、厚い選手層に意味がない。はっきり言えば、CL狙いなのかJリーグなのか、早くに決断していれば・・・と。 豊富な戦力を保有しながら結果が出せないとなれば、監督は責任が問われる。結果を焦らず、今シーズンは若手への切り替えだと決めれば、選手の起用の仕方、戦い方、交代・・・が見えてくる。結論はいつも同じだが、磐田の場合、中途半端に新戦力を補強して、欲張りともいえる結果を求め裏目に出たばかりか、チームづくりも根底的失敗に終わりそうだ。
アメリカ合衆国独立の父といえば、ジョージワシントン、トマスジェファソンらが思い浮かぶ。英国の植民地だったアメリカに、自由と民主主義の国をつくるため、彼等が先頭になって戦ったと。だが、日本人にはまったくしられていないが、合衆国独立の最大の功労者の一人といえば、プロイセン人のフォンシュトイベンを挙げなければいけない。フォンシュトイベンはプロイセンの一兵卒にすぎなかったが、将校と名乗り、合衆国軍隊=独立軍の戦闘マニュアル、軍事教練マニュアル、作戦づくりの総指揮をとった。一兵卒のフォンシュトイベンになぜそれだけの能力があったのかは謎だが、とにかく、農民、商人、牧童といった非戦闘員の寄せ集め集団だった独立軍を当時最強の英国軍と互角以上に戦うことができる軍隊に仕立て上げたのだ。フォンシュトイベンの銅像はホワイトハウスの前に建てられているというから、独立に貢献した偉大な存在として、合衆国民の間では知らない人はいないに違いない。 さて、サッカーの代表監督論。代表監督には――サッカーの素人にすぎない筆者の勝手な考えだが――フォンシュトイベンのような実務家が適しているように思う。歴史に名を残す名選手たち、たとえば、ペレ、ジーコ、マラドーナ、プラティニ、クライフ・・・らがワシントンやジェファーソンならば、ベンゲル、メス、ヒディングらはフォンシュトイベンのような存在なのではないか。代表監督として各国を流れ歩く彼らは、出身国で名選手ではない場合が多い。フォンシュトイベンも祖国では無名の兵卒にすぎなかった。どういう事情があったかは知らないが、新大陸植民地に流れついたフォンシュトイベンは、そこで思わぬ才能を発揮する。なぜ才能が開花したのかは不明だ。いろいろな要素が複雑に絡み合ったのかもしれないし、自国で花ひらなかった才能が発展途上の植民地という土壌で突然変異を起こしたのかもしれない。その原因はともかくとして、無名の兵卒が名将に変貌したのだ。 日本はサッカーの発展途上国だ。欧州の一流リーグに人材を送り込んでいるものの、活躍している選手はいま現在、小野が辛うじて、オランダでレギュラーを確保している以外、だれもいない。ジャパンマネーを考慮しなければ、欧州のクラブにいったい何人が残れるのだろうか。そんな国がアジア予選突破は言わずもがな、W杯予選リーグ突破を目指すまでになった。思えば、Jリーグ開幕から10年、急速な進歩といえる。 しかし、日本の指導者がどこかの代表チームの監督に呼ばれることはない。指導という面では、選手以上に世界の後塵を拝しているのが現実だ。もちろん、日本人監督のなかにも優秀な人材はたくさんいる。いずれ、日本人監督が世界のクラブを率いる日がくる。 日本代表を飛躍的に向上させた代表監督といえば、トルシエだった。トルシエの功績は、合衆国軍隊におけるフォンシュトイベンにたとえられる。一方、現監督のジーコは残念ながら、フォンシュトイベンのような存在にはなりえていない。いまの代表チームには、「ジーコ流」と呼ばれるものは何一つない。ジーコ持論の4−4−2は3年間かかって完成できなかったし、攻撃の形、守備の形、選手の訓練方法、体力づくり、運動量、選手選考などなど・・・すべてにおいて、前監督トルシエをしのぐものがない。 Jリーグでは、千葉(市原)のオシム監督を筆頭に、横浜の岡田監督、東京Vのアルディレス監督らの指導力が目立っている。新任ながら清水の長谷川健太監督も指導者としての才能が感じられる。日韓大会後の3年間、Jリーグにはいい意味で、変化が起こりつつある一方、日本代表はジグザグ路線、行きつ戻りつの停滞が続いてしまった。 サッカーは戦争とは違う。サッカーは相手と接触せずにゴールを奪えれば最高だ。つまりだれも傷つけずに得点を上げられればいいのだが、そうもいかない。接触もあるしボールの奪い合いもある。だから、ファイトが求められる。しかも、サッカーは一対一の決闘ではないから、戦争に似ているので、戦闘マニュアルや作戦が必要となる。戦争は、最終的には一対一の戦闘を基本としつつも、作戦、陣形、統一された思想が求められる。サッカーも似ているので、同じように規律(Disciplin)という言葉を使う。規律のない戦闘集団はありえないから、きわめて実務的な指導者が必要とされる。 ワシントンやジェファーソンは歴史を飾っているが、フォンシュトイベンは実務を支えたものの、日本の世界史教科書には載らない。代表監督も同じように、歴史に名を残すことがない。サッカーの歴史は、つねに活躍した選手だけにより、彩られている。ジーコは名選手として名を残したものの、監督としては凡庸な者の一人にすぎず、世界のサッカー史に名を残すことはない。
報道によると、日本代表の次期監督に、プレミアリーグ・アーセナルのアーセン・ベンゲル監督(55)が意欲を示していることが7日、明らかになった。 これはうれしいニュースだ。ジーコ代表監督時代は、日本サッカーにとっておそらく「空白の4年間」になる。このことは、日本がドイツに行こうが行くまいが関係はない。行けたとしたら、トルシエの遺産であり、行けなかったとしたら、トルシエの遺産が食い潰されたにすぎないからだ。 ジーコ時代、日本代表のサッカーに進歩はなかった。日本のサッカーは世界水準から見れば、けして20位前後にランクされるものではない。ホームの親善試合で勝ちを稼ぎ、FIFAランキングがバブルになったことは何度も書いた。かりに、世界20位にふさわしいものがあるとするならば、代表チームへのサポート体制だろう。サッカー協会の集金力、国民的関心・支援、クラブ側の配慮等々、サッカーの実力以外のところで日本サッカーは世界レベルに到達している。たとえば、長期間の代表合宿など、やりたくてもできない国の方が多い。もちろんベンゲルが日本代表監督に関心を示したのも、金満日本サッカーのギャラに関心を示したのであって、日本サッカーの発展に貢献しようと思ったからではないだろう。プロスポーツの世界、カネに関心を示すことは悪いことではない。お互い、おおいにカネを利用しあったらいい。筆者はトルシエもジーコもベンゲルも、サッカーの伝道師などと思っていない。彼らはW杯請負人なのであって、それで十分なのだ。 報道によると、ベンゲルのアーセナルとの契約が満了するのが07年。ジーコは06年のドイツ大会までの契約だから、1年間の空白はあるものの、ベンゲルが3年間指揮を執れば、日本サッカーはいまよりはいい方向に向く。 そもそも、フランス大会で指揮を執った岡田監督退任後の98年、協会はベンゲルに監督就任を打診し断られ、ベンゲルが推薦するトルシエと契約したことはよく、知られている。そのとき、トルシエ→○○○○→ベンゲルと、日本サッカーを体系的に発展させる戦略が描けていたら、サッカー観の異なるジーコを間の○○○○に挟むはずがない。現在の混乱の主因は、ジーコを挟んだことだ。サッカー協会のトップ・川渕キャプテンは商売はうまいが、体系的に思考できない人物なだけに、ジーコ後の代表監督の人選はどう転ぶかわからない。いまはそんなことを考える時期ではない、というのが本音かもしれないが。 なお、筆者は02〜06年の期間について、まったく期待をしていない。半ばあきらめ状態た。「あきらめている」というのは、ドイツ大会出場をあきらめているのではなく、ドイツに行っても行かなくても、日本サッカーは06年まで停滞から抜け出せないという意味だ。ドイツ大会に出場しても、日韓大会のフランスのように惨敗するだろう。選手の世代交代が進まず体力的に後退局面にあり、ヒデを筆頭に海外組のモチベーションは上がらない。守備が安定しているので、サウジアラビアのような記録的大敗は免れるだろうけれど、予選リーグの突破はない。いま筆者の関心は、「ポストジーコ」にある。だから、ベンゲルが日本代表監督に立候補したというニュースは、信じられないくらいうれしいことなのだが。
2005年04月04日(月) |
深刻な問題(その3) |
Jリーグで最も人気のあるクラブ・浦和のDFアルパイ(元トルコ代表)が最悪なら解雇されるという。アルバイは、2日の大分戦、試合開始3分でイエローカードを2枚連続で出され、退場処分を受けた。退場を宣した審判の処置に問題はない。浦和のブッフバルト監督は「(アルパイには、)厳しい態度を取らねば」と語ったという。アルバイは退開幕試合でも退場処分を受けたばかり。いくらなんでも、退場処分が多すぎる。しかもこの試合、ネネ(元ブラジル代表)がスパイクの裏を見せる悪質なタックルで一発レッドの退場処分を受けている。 先述のとおり、浦和はJリーグ最大の人気チーム。クラブ経営もうまくいっているし、外国人選手を含め、選手のスカウティングには定評がある。現監督ブッフバルトはドイツ代表選手として活躍した後、浦和へ移籍し現役を続け監督となった。 外国人選手の招聘に実績のある浦和が、アルバイの処遇で悩んでいる。アルバイは恐くて使えない、と監督は悩んでいるし、ネネの退場回数も少なくない。外国人二人がチームメイトに相当な迷惑をかけている。2日の対戦相手の大分はそれほど調子の上がっていないチームだから、アウエーとはいえ、浦和は勝点3が計算できた。順当に行けば勝点3のところを、9人で苦労したあげく守り負けで勝点0とは監督の計算も狂った。 才能のある外国人選手がJリーグのプレースタイルになじめない例は数多いが、ラフプレーが抑制できない事例はそれほど多くない。しかも人気クラブの浦和で・・・ではその原因は?
2005年04月02日(土) |
深刻な問題(その2) |
先日、W杯欧州予選、フランス(ホーム)vsスイスをたまたま見た。いい試合だった。筆者は欧州予選のすべてをチェックしているわけではないけれど、かなり良質な試合内容だったと思っている。試合結果は0−0のスコアレスドロー。ホームのフランスが格下と思われるスイスと引分けたのだから、観客として集まった8万人のフランス国民は不満にはちがいないだろうが、想像では、ある種の満足感を得て家路に着いたのではないか。 最も印象的だったのは、イエローが後半30分近くまで1枚も出なかったことだ。イエローが出ないからといって、激しさがないわけではない。スピードはあるし、チャージは激しい、タックルも鋭い。けれども、チャージは正当なショルダーチャージ、タックルは深いけれどボールにいっている。手を使ったチャージやトリッピング、ユニフォームを掴むシーンもない。後方からのタックルもないし、オブストラクションもない。両チームの選手が神の意思に従って、1つのボールを巡って役割を演じているようにさえ見えた。2つの有機体がボールめがけて互いに襲いあうようにも感じられた。「噛み合った試合」というのは、代表戦、リーグ戦を問わず、何試合に一回程度あるようだが、この試合もそれだった。 サッカーは手を使えない。手が人間の文明(知恵)の象徴だとするならば、手を封じられたこの競技は、人間が生物としての始原に遡る経路を辿っていることの象徴かもしれない。手は身体の中で微小なサイズでありながら、人間の知恵=傲慢さを象徴する機能をもっている。サッカーはそれを封じた競技であり、人間の原始、すなわち手以外の「その他身体」を顕現している。フランスvsスイスのような試合があればこそ、筆者はサッカーファンを辞められない。サッカーが与えてくれる至福とは、このような試合を見ることだ。 さて、前書きが長くなった。ここでとりあげる「深刻な問題」とは、サッカーの審判について。ご存知のように、バーレーン戦につづいてイランにも負けた北朝鮮(政府)は、バーレーン戦、イラン戦を裁いた2人の審判の判定に正式に抗議をした。イラン戦後、観衆がモノを投げ、審判団は数分間グラウンドにたたずんだまま、控室に戻れなかった。イラン選手に飛び掛ろうとした観客がいたらしいし、イラン選手のバスが観衆に取り囲まれたとも報道された。 北朝鮮のメディアは、ペナルティーエリアで北朝鮮選手が倒されたシーンを何度も流し、ファウル=PKを強調したらしい。日本のテレビニュースでそのシーンを見た範囲では、「問題のシーン」はファウルではない。あの程度でファウルをとったのでは、サッカーはおもしろくない。それでも、北朝鮮(政府)は、自国代表の敗戦は外国人審判の公正さを欠く判定にある、と自国民に訴えている。筆者はサッカーに政治的に介入する北朝鮮政府の存在を認めない。そんなことをしていたら、サッカーは政治の道具に成り下がる。 もちろん、北朝鮮(政府)の抗議と観客の暴徒化はリンクしている。抗議と暴徒化は、次回対戦する日本との試合に対する牽制球だ。もし、日本戦の審判が自国(北朝鮮)に不利な判定をするならば、北朝鮮の観客は何をするか分かりませんよ、というメッセージを発信した。いわば、無言の恫喝だ。こうしたプレッシャーを受ければ、北朝鮮vs日本を裁くアジアの主審は、あえてリスクを負おうとは思わないだろう。審判の深層心理に影響を与え、日本に不利な判定が増えることとなろう。 サッカーは特別な、そして、難しい競技だ。サッカー以外で、政府が政治的に介入するスポーツは少ない。たとえば、日本では人気があるプロ野球には、政治のセの字も出てこない。それほど難しいサッカー、とりわけW杯予選にもかかわらず、それを裁くアジアの審判のレベルは低い。北朝鮮で起きた事件は、十分、想定された。ジーコ監督もアウエーで負けたイラン戦、ホームで辛勝したバーレーン戦の2人の審判のみならず、抗議も何もしない日本サッカー協会に文句をつけたという報道もあった。残り3試合、日本代表はアジアの審判に相当、苦しめられるだろう。 だが、こうした事件が発生する要因は、審判技術だけにあるわけではない。審判の誤審や多発するカードは、アジアの選手の低い技術に起因している。日本を含めたアジアのサッカーはやはり、欧州に比べれば劣る。 ところで、誤審といえば、05年Jリーグの開幕試合が思い出される。磐田の福西がゴール近くからの味方のフリーキックを手で「ゴール」した事件だ。筆者はあの事件を不問に付すかのようなJリーグ幹部の発言や、「神の手」と茶化したスポーツメディアを批判した(2005年3月10日/「Jリーグは、わかっていない」)。あのようなプレー及び判定が特定の外国で起きたならば、日本人選手、日本人審判の安全は保証されないと書いた。それが大げさでないことは、北朝鮮におけるイラン選手と審判に及んだ危険が証明してくれた。協会、選手、審判を含め、日本サッカーの国際化はまだまだということだ。
2005年04月01日(金) |
深刻な問題(その1) |
深刻な問題とは、「中田問題」「審判問題」だ。 まず、中田問題。中田(ヒデ)は、日本のサッカー選手の中でただ一人、世界のサッカーファンにその名をとどめている存在だ。全盛期を過ぎたけれど、先ほど行われたバーレーン戦では、献身的な守備、一対一の強さを見せつけ、彼がひ弱な日本代表選手とは一味も二味も違っていることを証明した。筆者は常々、中田が元気な間、日本のW杯予選突破が可能だと書いてきた。バーレーン戦を見る限り、完全復活とは言わないまでも、かなり回復に向かっていることは間違いない。彼が日本代表において重要な存在であることに変わりない。 では、巷間言われている「中田問題」とは何か――それは、実は「ジーコ問題」なのだ。代表監督が、中田(ヒデ)、中村、稲本、福西、三都主、加地、中田(浩)と中盤にひしめく日本代表選手をいかに有効に活用するか――監督の手腕が問われているのだ。一部マスコミはそのことを「中田問題」と矮小化した。監督に使われる中田(ヒデ)には、責任も問題もない。 ジーコ監督は中盤選手の有効活用方策として、4−4−2(のシステム)を選択した。「黄金の中盤」だ。3−5−2のサイドハーフの選手を、4−4−2でサイドバックに起用しようとした。この策は数的解決につながるが、サッカーのシステムは、そう簡単ではない。サイドバックというポジションは、サッカーの中で最も難しい。そう簡単にコンバートは進まなかった。 時の流れとは冷酷なもので、いまはW杯アジア地区最終予選が半分終了したところ。各国とも、残り3試合をなにがなんでも勝たなければいけないのであって。最適なシステムを模索している段階は過ぎた。 日本にとって最強のライバルであるイランの場合、日本戦で、ジーコ監督の3−3−4(3トップ)の予想を裏切り、2トップできた。イランは、2つのシステムを自由に使えるチームに仕上がっていた。一方の日本は、この場に及んで、システムと選手の不具合を云々していた。両国の代表チームの完成レベルを比較すれば、イランの方が圧倒的に高い。日本代表チームは、3年間かけて、システムが完成されていない。となれば、日本はイランに勝てない可能性が高い。 日本は北朝鮮(H・A)で勝って、バーレーンに(H)で勝って、(A)で引分けるが、イランに(A)で負けて(H)で引分けるから、勝点11となる。イランは北朝鮮(H・A)、日本(H)、バーレーン(H)に勝ち、バーレーン(A)、日本(A)に引分けるので、勝点14まで行く。バーレーンは、(H・A)でイランと引分け、北朝鮮とは(A・H)で勝ち、日本とは(A)で負け、(H)で引分けるから、勝点は9にとどまる。 中田問題はだから、それほど深刻ではない。が、明日とりあげる「審判問題」はもっともっと深刻だ。
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