2005年03月30日(水) |
トルシエジャパンの勝利 |
勝利インタビューを受けるジーコ監督は、まるで敗戦監督のようだった。主力選手からの「直訴」で3-5-2に戻したこの試合、すべてが円滑だった。ジーコ監督のイラン戦の「決断」が間違ったことが証明された。 相手選手に対する鋭い寄せ、パスの出所への早いチェック、中田ヒデを筆頭に献身的な運動量を伴った全員での守り、そして、後半は左右のサイド(サイドバックではなく、サイドハーフ)からの攻撃などなど、当コラムで書いたとおりの試合展開になった。極めつけは、相手オウンゴール(OG)による泥臭い決勝点。しつこく相手にからめば勝利の道は開けると、当コラムで書いたとおりだ。反省点は、前半の俊輔のフリーキック、高原の決定力不足だろう。鈴木は持ち味を発揮して頑張ったと思うが、高原には得点の雰囲気がない。OGはラッキー、ジーコ監督のツキだと思われるが、この試合は完全に、日本がコントロールしていた。OGでなくとも得点できただろう。 さて、ヒデが入った3-5-2のシステムで、ヒデ→俊輔のホットラインができたかのように見えるが、それは違う。この試合は、ヒデや俊輔という選手ではなく、システムと規律の勝利だ。システムが構築されていれば、ヒデが控えで稲本が入ったとしても、同質のゲームができる。 なお、イラン戦の敗因は審判にある、という意見もあろうが、それも違う。アウエーで勝つことは審判のジャッジを含めて難しい。だから、イラン戦で1-1で並んだところで、監督の適正な指示が必要だった。今後のスケジュールを考えると、イランに負けて勝点3を献上したことは重ね重ね残念だった。 きょうの試合で明確になったように、ジーコは余計なことをしないことだ。トルシエの遺産をうまく活用して、質を高めてくれればいい。ジーコは「監督」でいいから、宮本、ヒデ、中澤らの主力選手の意見をよく聞いて、そのとおりやってくれるだけでいい。そのほうがよっぽどいい結果が出る。
2005年03月29日(火) |
明日、勝つことの意味 |
運命の日――明日いよいよ、バーレーン戦だ。もちろん、日本代表に勝ってほしい。明日勝つことは、これまでのジーコジャパンの基本方針が間違っていたことの証明になる。負ければ、ジーコジャパンは自然崩壊だ。勝っても負けても、ジーコ監督は崖っぷちだ。 勝利は望まれるところだ。が、勝てば、勝因は3-5-2のシステムに求められるだろう。小野が出場停止だから、「黄金の中盤」が1枚欠けた勝利となる。筆者はこれまで何度となく、「中盤だけでサッカーはできない」ことを力説してきた。当たり前だけれど、サッカーでは、ピッチの上に立てる選手数は限られている。ポジションがダブればだれかが退かなければいけない。 これもわかりきったことだけれど、サッカーには基本的な役割分担がある。その役割を無視すれば、バランスは崩れる。優秀な選手は複数のポジションを兼任できるけれど、役割がダブれば、チーム力は落ちるに決まっている。 日本代表ではたまさか、中盤の中田(ヒデ)、小野、稲本、中村が海外のクラブに所属している。もちろん、彼等が優秀な選手であることは否定しようがないが、だからといって、4人をピッチに立たすわけにはいかない。コンディションや相手によって、4人は使い分けられるべきなのだ。 日本代表が明日勝つということは、「黄金の中盤」のうち一人が不要だということを実証する。もちろん、いま現在、ボランチの稲本は福西に代わっているからすでに「黄金の中盤」は崩れているという見方もあるけれど、筆者がここで言っているのは、システムの問題だ。つまり、○○選手を試合に出すために、システムを変更することは、あまり得策でないという意味だ。 さて、日本代表の場合なぜ、システム変更がなじまないのか。いろいろな原因が考えられるけれど、「慣れ」が一番だと思う。「慣れ」とは、結果を出した形に対する自信だ。「結果」とは、ジーコ監督下の代表試合のことではない。いまの代表選手の多くが、02年日韓大会に向けての準備から本番までの間、トルシエイズムが育んできた慣れ=自信だ。換言すれば、ジーコは代表監督だが、選手の心はトルシエ代表監督だと。 ジーコが監督に就任してから今日まで、ジーコはトルシエを上回るサッカー理論を展開してこなかった。フランス大会が終わり、トルシエが代表監督に就任してから02年の日韓大会終了まで、いまの日本代表の主力はトルシエチルドレンと呼ばれた。いまの日本代表の3-5-2への固執は、彼等がトルシエのサッカーを心と身体で継承しているからだ。ジーコの指導力は、トルシエのそれを越えることがなかった――もちろん、想像に過ぎないけれど、報道では、選手がジーコ監督に3-5-2を「直訴」したとある。選手たち自らが最も信頼を寄せているシステムに復帰したい、と声を上げた。彼らは、トルシエの下でサッカーをしたい、と訴えている。明日、勝てばトルシエの勝ち、負ければジーコの負け?
迷走するジーコジャパン。こんどは3-5-2にシステムを戻すという。戻すこと自体は悪くない、というよりも、もともと変更する必要はなかった。 ヒデを入れたいから4-4-2にするというのがジーコ監督の発想らしいが、「黄金の中盤」など、これまで機能したことはないし、これからも機能しない。何度も繰り返し述べてきたことだけれど・・・ そればかりではない。ジーコ監督は「固定メンバー」でコンビネーションの熟成を図りたい、と言った。これも代表試合では無理な話。このことも当コラムで何度も繰り返した。 思い出してほしい。トルシエ前監督は、日韓大会の代表選考で中村俊輔を落とした。俊輔は人気があり、代表に選ばないトルシエは非難された。けれど、中盤の、いやチームのバランスを保つためには司令塔は1人だ、という決断を下した。人気よりも、3-5-2というシステムを優先したのだ。 ジーコジャパンに求められているのは、これまでもこれからも、チームの原型なのだ。3-5-2のシステムで機能するのが日本代表なのだから、ヒデが調子のいいときは俊輔を控えにすればいい。02年(日韓大会)は、ヒデは絶頂期にあり、さらに、森島という運動量の豊富な中盤がいたので、俊輔は選考されなかったのだ。 4-4-2が日本代表で機能しない理由はわからない。サイドバックが育たないからだろうが、その理由がわからない。サッカーの歴史が浅いため、サイドバックを育成できるコーチがいなからかもしれない。仕事が明確なほうが力を発揮する国民性からきている、という人もいる。 さて、05年、ヒデは調子を落としている。俊輔は調子が悪くない。小野はボランチに定着しているので、トップ下は①俊輔→②ヒデ→③藤田の順で起用することが自然だ。もっとも筆者ならば藤田を代表に選ぶことはないが・・・ そうした自然な競争と選択によって、システムが熟成する。ヒデが調子が良くても、イエロー累積で欠場することもある。そのとき、選手が代わってもシステムは揺るがない――そんなチームを構築すべきなのだ。 構築とはコントロールを利かすことで、それは規律によって生まれる。ジーコ監督は、構築⇔規律という、監督がやらなければいけない仕事を放棄し、アメーバーのようにグニャグニャとした、場当たり的チームをつくってきた。しかし、就任後、なぜかアジア杯では偶然というか自然にチームが構築され、選手が規律を自主的につくりあげ、運にも恵まれ、勝ち進んできた。アジアで無敗を続けたのだ。そのことがジーコ監督の失態を隠してしまった。ジーコ監督をギャーギャー批判してきたのは、当コラムだけだった。 肝心なのはドイツ大会に出場することだ。それは分かりきったことだけれど、日本サッカーは永続的に発展しなければいけない。行きつ戻りつのジグザグ路線で時間を浪費してはいけない。素質のある若い選手にチャンスを与え、彼等が世界に羽ばたく手助けをしなければいけない。代表監督にその資質がないことは明確なのだから、早く代えたほうがいい。
イランに負けた日本代表が30日のバーレーン戦(埼玉ス)に向けて練習を開始した。連日、イラン戦の敗因が4-4-2のシステム変更にある、という報道ばかりだが、スポーツジャーナリズムでメシを食っていながら、ジーコ監督の「決断」が誤りだったことが、負けてはじめてわかったというのでは情けない。 敗因はそれだけではない。日本代表の試合の入り方は自分達が「格上」であるかのように見えた。必死に戦う姿勢が感じられない。運動量が少なく、身体をはった守備ができていない。イラン選手にからまれてボールをとられたり、身体を寄せられて転んだりと、「お嬢様サッカー」まるだしで恥ずかしい。 先制点は不運という見方もあるが、必死さがあれば大きくクリアできたはずだし、2点目もDFがボールごとエンドラインの外に飛び出すくらいの必死さがほしい。毎度指摘することだが、日本選手の球際の弱さが出た。 アウエーのイラン戦、日本が取れる得点としては、せいぜい1点だ。1点の攻防なのだから、先制点を奪われた後、1-1に並べたことは幸運だった。さて、ここからが監督の腕のみせどころ。経験豊富な監督ならば、ゲームプランを次のように整理しただろう。 ①(あたりまえだが、)勝ち越し点を与えることは絶対にだめ=日本はアウエーなのだからドローで十分=勝つことより、負けないこと。②前半からとばしているイランも疲れている。③相手のカウンターは要注意。④ここで4-4-2から慣れた3-5-2に戻す。⑤運動量豊富で守備ができる交代選手の選択・・・だろう。 試合後の選手のコメントを読むと、ジーコ監督の指示は「攻めろ」だったという。つまり、勝点3をなにがなんでも取りに行け――というものだったようだ。ジーコ監督の指示を一概に誤りだとも言えないが、筆者ならば、そのような指示は出さない。自分達の「良さ」を犠牲にしてでも、相手の「良さ」を消しにいくサッカーをやれ、と指示する。イランが得意とする空中戦を避けるため、クロスの出所をフリーにさせないこと。スペースを消すこと。いろいろあるだろうが、大雑把にいえば、相手にしつこくからむことだ。そんな泥臭さがあれば、追加点は阻止できただろう。 あたりまえのことだけれど、負ければ相手に勝点3が入ってしまうのだ。予選リーグでは、負けてはいけない。
日本代表がイランに負けた。いま流行の言葉で言えば、想定内の出来事だった。もちろん想定内なのは筆者だけであって、ジーコ監督も選手もサポーターも想定外に違いないが・・・ TV中継を待つ間、奇妙なことにいつものような緊張感がなく、眠気が襲ってきた。試合が開始されるとすぐに、日本の負けが見えてくるような気がした。やがて幻視が事実となって現れてしまった。まさにそれは想定内の負けだった。 試合経過は省略する。敗因は日本サッカー協会及びJリーグ関係者並びにジーコ監督だ。この間、ずっと書いてきたことだけれど、2005年、A3、W杯北朝鮮戦、Jリーグ開幕、ACL、ドイツ合宿と強行日程をつくったサッカー関係者が中澤(横浜)を壊した。ジーコ監督は言うまでもなく、ヒデと中村の併用にこだわったため、4-4-2の急造システムを採用して、チームのコンビネーションを壊した。この負けは、ジーコジャパンの「終わり」の「始まり」になる可能性が高い。 いまの日本代表の核はヒデでではない。もちろん、稲本や柳沢、高原ではない。彼らは海外に「いる」プレーヤーであって、海外で活躍しているわけではない。では核はだれかといえば、攻撃では三都主と中村、守備では中澤だ。三都主は日韓大会の代表だったが控え選手だったし、中澤、中村は直前の代表選考でもれた。この3人にとってドイツ大会は、日韓大会で果たせなかった夢がかかっている。だから、三都主、中澤、中村を軸に、代表チームを組み立てていくほうがいい。 では、ヒデはどうなのか。筆者はヒデが元気ならば、予選は大丈夫だと以前書いたけれど、体調は万全ではないようだ。それでもジーコ監督はヒデをもっとも信頼し、得別扱いする存在だが、実はジーコ監督のその扱い方が間違っている。ジーコ監督のサッカーに哲学があり、その具体化に必要な規律(Discipline)があるのならば、司令塔はどちらか調子のいいほうを使えばいい。 中盤はダブルボランチ(2)、左右のサイドハーフ(2)、司令塔(1)の合計5人。残りは引き算すればいから、FW2人、DF2人だろう。必然的に3-5-2のシステムに落ち着くのではないだろうか。 ジーコ監督のように、ヒデと中村を先発で同時に起用しようとするからおかしくなる。 さて、イラン戦では、三都主が出場停止、中澤は故障で本調子ではなく、中村は左の二列目で得意なポジションではなかった。さらに、敗戦後の選手のコメントを読むと、自分達のバランスがかなり悪かったことがうかがえる。また、中村は、ジーコ監督がはっきりとゲームプランを出さなかったと述べている。 そのような中で、日本が1-1まで追いついたことは驚きだった。引き分けられれば大儲けの試合だった。ジーコ監督のツキはすごい、と一瞬感じてしまったものだが、そうも行かなかった。 ジーコ監督のツキは、W杯一次予選~アジア杯~北朝鮮まで続いた。麻雀にたとえれば、リーチ、一発、ツモ、裏ドラの満貫や、ラス牌のカンチャン、ペンチャンをつもって勝ち続けたようなものだった。でも、そんな一人勝ちが勝負の世界で続くわけがないのだ。 あるスポーツジャーナリスト氏は、ジーコジャパンについて、とにかく結果を出す監督・チームだと評した。が、筆者は当コラムでその評価に反論したことがあった。反論の根拠は、ジーコジャパンのロジックの欠如だ。場当たり的な対応があまりにも多かった。今回も、イランが欧州から近いという理由で、海外組に召集をかけたが、ドイツ合宿に合流した時期は試合直前だった。この状況ならば、Jリーグでドイツで調整した選手の方がコンディションは上がるはずだ。直前合宿も選手が合流しなければ意味がない。すべてがチグハグ、極論すれば、こんな準備で日本はイランに勝ってはいけない。
イラン戦に海外組を召集し喜んでいるのはジーコ監督ただ一人。①現場は慣れないシステムに慌てふためき、②練習ではコミュニケーション不足でギクシャクし、③ケガ人ばかりが増えていく。これが日本代表の現状だ。 昨年の日本代表は、欧州遠征からアジア杯まではいい流れだった。その原動力が3-5-2の「Jリーグスタイル」だった。もっと言えば、「トルシエスタイル」だった。 昨年末、ドイツ戦で完敗したところから、日本代表の流れが変わりだした。今年に入り、北朝鮮には辛勝したものの、内容は最悪。続くJリーグ開幕、AFC、ドイツ合宿までの過密日程で、大事な中澤らの主力が壊れた。せっかく召集した海外組は、高原以外調子を落としていて、欧州各国でレギュラーの座を確保しているのは辛うじて、中村とヒデ。中村は下位チームで、ヒデの全盛期は過ぎた、というのが一般的だ。 いまの日本代表はせっかく築いた「規律」を失おうとしている。サッカーにおける「規律」とは、言うまでもなく、Discipline の訳だから、規則・規制のニュアンスが強い。一方、ジーコ監督が重視するのは「フィーリング」だと思う。もっと言えば、「情緒」か。日本代表(というチーム)への個人的な「思い入れ」だ。サッカー後進国日本を世界の強豪に押し上げたい。しかも、ガチガチの組織的サッカーをするよりは、華麗なサッカーで勝ちあがりたい。そんなイメージが日本代表に投げかけられている。 アジア杯で優勝したのは、どちらかといえば、ガチガチの組織サッカーだった。それこそが、Jリーグスタイル=トルシエの遺産だった。トルシエチルドレンが遺産を守ったのだ。このままの流れを維持すればよかったのに、イラン戦では、だれもが反論できない「地理的条件」によって、無媒介的に海外組が召集され、急造4-4-2のシステムが復活し、アジア杯までの流れを完全に断ち切ろうとしている。 イラン戦は2005年版・新生ジーコジャパンの「始まり」ではなく、ジーコジャパンの「終わり」の「始まり」になる可能性もある。とにかく、明日が楽しみだ。
イラン戦直前にして、日本代表にまたまた暗いニュース。MF藤田がケガで完全離脱。練習中に玉田も左ふくらはぎを負傷し調整遅れ。急遽、イタリアセリエAメッシーナの柳沢が代表入りした。確かにイランまでの距離はイタリアからの方が日本からよりは近いけれど、近ければ「代表」というものでもないだろう。 柳沢が先発出場した20日のボローニャ戦をTVで見た。柳沢は4-5-1の左サイドで先発、前半、右サイドへのポジションチェンジもあった。柳沢はこの試合、およそ75分間プレーし、放ったシュート1本、ダゴスティーノのクロスに鋭い飛び込みを見せあわや得点かと思われるシーンが1度。それ以外は、メッシーナは一人少ないのではないかと思われるほど、柳沢の影は薄かった。 試合結果は0-0のドロー。セリエAの厳しい守備という面もあるけれど、柳沢にはパスをもらう動きも位置取りもないし、サイドなのでポストプレーもない。味方から無視されているようにさえ見えた。0-0ということは、ボローニャ、メッシーナのすべての選手が得点を上げられなかったのだから、柳沢を責められない。にもかかわらず、柳沢に存在感がない。なぜか。 TV解説のT氏によると、イタリアにおける柳沢の評価は「二列目の選手」、つまりFWではない。彼がJリーグから日本代表に選ばれた当時のポジションは、もちろんFW。日本を背負うストライカーとして期待されていた。ところが、セリエAに行き、いま2つ目のクラブで左サイドで先発しているということは、FWの能力がないことを通告されたようなものだ。 このたび、藤田の代役ということは、ジーコ監督が柳沢を「二列目」で使う可能性を滲ませている。さらに、鈴木のケガの回復が思わしくないとき、柳沢ならばFWで使えると考えたのかもしれない。そう考えると、柳沢の代表入りは合理的な選択にも思えるが、セリエAで今シーズン無得点のプレーヤーが日本代表でいいのだろうか・・・ さて、イラン戦の先発が見えてきた。システムは4-4-2、FW:高原と、[鈴木・玉田・柳沢]の3人のうちコンディションのいい者、MF:中田(ヒデ)、中村、小野、福西、DF:加地、三浦、中澤、宮本。MFのボランチは福西が先発し、先発すると思われた海外組でしかも「黄金の中盤」の一角・稲本が控えにまわるらしい。 3トップのイランには4-4-2の方がおさえやすい、というジーコ監督の判断だと報道されているが、本当だろうか。選手に故障が多く、チームにならないまま、ジーコ監督は「海外組」という名をとって、「Jリーグ組」という実を捨てたか。
2005年03月22日(火) |
中盤だけでサッカーはできない |
ドイツ合宿中の日本代表だが、日本のマスコミ報道は楽観論が支配的だ。現地取材もしないで悲観論を展開する当コラムの根拠は薄いけれど、「根拠なき悲観論」の展開をお許しいただきたい。当方の悲観論が外れることが望ましいのだから。 私のサッカー観からいえば、実力が拮抗した者同士の対戦の場合、運動量が試合を決する。W杯予選などの場合、運動量を担保するのがコンディションだから、それを維持しやすいホームチームが有利となる。サポーターの圧力や気候風土の違いも手伝って、アウエーのコンディションはホームに劣る。 さて、報道によると、日本代表は「黄金の中盤」が復活するもようで、4-4-2のシステムに戻りそうだ。となると、先発予想は以下のとおりだろう。GK=楢崎、DF=加地、中澤、宮本、三浦、MF=福西((3/23稲本から訂正)、小野、中村、中田ヒデ、FW=高原、玉田(鈴木)。 このメンバーを見る限り、豊富な運動量で攻守を切り替えられる選手が何人いるだろうか。ボランチはケガから復帰したばかりの小野が不安だ。「黄金の中盤」は、テクニックを持っている一方、運動量が劣る。DF陣はさらに心配だ。左SB・三浦にスピードは期待できないし、守備力に定評のある選手ではない。中澤は故障中だし、宮本はガンバ大阪でボランチまでやらされたくらいだ。右SB・加地だけが「まとも」な状態だ。 ジーコ監督就任当時、「黄金の中盤」を先発させた4-4-2システムの代表試合では内容が悪く結果も出なかった。その反動から、3-5-2に戻し、どうにか結果を出したのが昨年のことだ。アウエーのイラン戦で、結果が出なかった4-4-2のシステムを採用し、運動量のあまり期待できない選手を先発起用するリスクは極めて高い。 繰り返しになるが、「黄金の中盤」は、守りには適さない。中盤でポゼッションを意識すると、ホームで高いモチベーションをもったイランにボールを奪われ、一気にピンチに陥る可能性が高い。 いまの日本代表の中で、前線~中盤で激しく攻守にわたって献身的に動き回る、たとえば、トルシエ時代の森島のような選手がいるのだろうか。強いて挙げれば本山なのかもしれないが、本山の動きは直線的で読みやすいし、守備をしない。 以上が悲観論の根拠だ。さて、海外組が混入したイラン戦の先発メンバーは、アジア杯を制したチームと比べて強いのか弱いのか。少なくとも、中盤から後でボールがいったりきたりしている日本代表だと、イランに負ける。今回の日本代表は、アジア杯のときよりもバランスが悪くなっているし、運動量が劣っている。海外組が「驕り」の気持ちで試合に入り、「格上」のサッカーをやろうとすれば、体力・運動量で劣る分、イランにやられる。 海外組・国内組を問わず、豊富な運動量でイランにフォアチェックをかけ、献身的に守備をすればイランに負けない。つまるところ、イラン相手に「守る」のか「攻める」のか、自分達がイランより悪い状態にあるという気持ちで試合に入ることができるのかどうか――ジーコ監督は、危機意識をもって、はっきりとしたゲームプランを立てなければ、勝点1も上げられないだろう。
2005年03月20日(日) |
続・吉と出るか凶と出るか |
イラン戦に備え、日本代表がドイツ合宿に入った。聞こえてくるニュースは暗いものばかりだ。 とりわけ、DF陣が心配だ。なんといっても、DFリーダー・中澤の故障が気がかりだ。イラン戦かバーレーン戦の1試合限定という説が有力だ。となれば、田中が出られないイラン戦に強行出場か。松田も故障らしい。坪井はJリーグで見た限り、危ない。恐がっているようにも見える。稲本、中村、ヒデの海外組の調子も上がっていないようだ。安定を維持してきたDF陣が崩れ、「黄金の中盤」の調子も上がっていない。左サイドの三都主が出られず、代替の三浦はJリーグのレギュラーではない。さらに、FWの鈴木もケガらしい。代表メンバーのうち、けが人をチェックすると、 楢崎、土肥、曽ヶ端、加地、◆中澤、宮本、◆松田、◇坪井、茶野、三浦、福西、遠藤、◇小野、稲本、中田浩二、小笠原、本山、中村、藤田、中田英寿、高原、◆鈴木、玉田、大黒 [◆◇はケガ人]となる。 この中からイラン戦の先発を予想するならば、 4-4-2(A案)ならば、GK=楢崎、DF=加地、中澤、宮本、三浦、MF=稲本、小野、中村、中田ヒデ、FW=高原、玉田となるかもしれない。 3-5-2(B案)ならば、GK=楢崎、DF=中澤、宮本、茶野、MF=稲本、小野、三浦、加地、中村、FW=高原、玉田だろう。3-5-2のトップ下に中村を入れ、左サイドは三都主に代わって三浦が入り、稲本、小野のダブルボランチだ。比較的体調のいい中村中心のチームだ。 ヒデはジョーカーで得点が必要な場合に入れる。交代としてFWもあるし、左サイドの三浦がダメなときは、中村が左に入りヒデがトップ下。総攻撃の陣形かもしれない。中田(浩)は中澤がダメなときの控えだ。 というわけで、日本代表はピンチだけれど、監督のやりくりに興味が尽きない。これもまたサッカーの楽しみの1つ。
2005年03月15日(火) |
吉と出るか凶と出るか |
サッカーW杯アジア地区最終予選第2~3戦の代表メンバーが発表された。第2戦、日本は強豪イランとアウエーで対戦する。第2戦、第3戦を通じた代表メンバーは以下のとおり。なお、イラン戦は、三都主、田中がサスペンションで出場できない。 楢崎、土肥、曽ヶ端、加地、中澤、宮本、松田、坪井、茶野、三浦、福西、遠藤、◎小野、◎稲本、◎中田浩二、小笠原、本山、◎中村、◎柳沢(藤田から3/23に変更)、◎中田英寿、◎高原、鈴木、玉田、大黒、(田中、アレックス)。[◎は海外組] この中からイラン戦の先発を予想するならば、A案、B案の2つが考えられる。 A案:GK=楢崎、DF=加地、中澤、宮本、三浦、MF=◎稲本、◎小野、◎中村、◎中田ヒデ、FW=◎高原、鈴木となり、ジーコ監督が最も信頼を置いている「海外組」を呼んだからには先発で使うというプランだ。 A案の懸念材料は、しばらく代表試合から遠ざかっている◎稲本、◎小野、◎中田(ヒデ)、三浦のコンビネーションがどうなるか、4-4-2のシステムで左右の◎小野、◎中村が機能するのかどうか――に興味が集まる。 B案:GK=楢崎、DF=中澤、宮本、茶野、MF=◎稲本、◎小野、◎中村、加地、◎中田(ヒデ)、FW=◎高原、鈴木だろう。3-5-2のシステムで、左サイドの三都主に代わって中村が入り、稲本、小野のダブルボランチ、トップ下に中田(ヒデ)となる。このプランでは、左サイドに出た中村がどこまで力を出せるのかが興味の的だ。 ほかにもいろいろな先発メンバーが予測されるが、ジーコ監督の采配やいかに・・・
名古屋が磐田を3-0で粉砕した。名古屋には全然注目していなかったけれど、若い力が台頭していることに驚いた。さすが、ネルシーニョ監督だ、しっかり若い才能を伸ばしている。この試合では、新人の杉本がゴールしたし、本田も落ち着いて自信たっぷりのプレーを見せた。DF、MFにも新顔が多い。杉本のスピード、本田の全体を見通せるスキルは共に魅力的だ。 さて、一方の磐田は、先発予定のゴンが試合開始前に異常を訴えてカレンが急遽先発した。詳しいことは分からない。重ねて、村井に不幸があってべンチに入れず、藤田が左サイドという異常事態。磐田には不運だったかもしれない。 いずれにしても磐田は心配だ。以前指摘したとおり、FWのグラウ、ゴン、チェの使い方がまとまっていない。この試合の急造コンビ、グラウ、カレンはまったく機能せず、カレンは前半で退いたが、とにかく、アタック陣が固まらないから、攻撃の形も定まらない。その試合に出場した3人のうちの2人の個人技頼みで、それ以外の攻撃パターンといえば、ボランチ名波が供給する、精度の高いロビングを頭で合わせる形しか選択肢がない。名古屋のように、相手DFに高さがあり、しかも、中盤から出所・名波にプレッシャーがかかれば、この攻撃の威力も半減する。西、川口(途中出場)のサイド攻撃にもキレがない。チーム全体に活力がないのだ。 繰り返しになるけれど、磐田は切り替えに失敗した。クラブ運営の戦略的誤りだ。きょうの相手の名古屋、東京V、FC東京、千葉、横浜、鹿島と、若手を我慢して育て上げ、そろって地力をつけてきた。苦しいシーズンもあっただろうが、クラブとしてフレッシュなパワーが出てきた。10連覇などできないのだから、いつかは下位に退き、建て直しを選ばなければならない時期もある。にもかかわらず、その時期にあるはずの磐田は、才能ある若手がいながら、市原(千葉)から選手を引っ張ってきて、若手の台頭にふたをかぶせた。山本監督に育てながら戦う度胸がなかったからではないか。任期中に、強豪・磐田が下位に沈むのが恐かったのか。クラブが元五輪監督のキャリアに期待したものは、あふれている若い才能の開花を助けることではなかったのか。 東京Vの場合、アルディレス監督が就任してすぐに結果は出なかった。しかし、2年目、相馬、平本といった若手が代表に選ばれてもおかしくないくらい力をつけてきた。オシム監督の千葉(市原)も阿部を筆頭に、巻、水野が育っている。そして先述したネルシーニョ監督の名古屋、トニーニョセレーゾ監督の鹿島もそうだ。こうみると、原監督率いるFC東京、けが人続出で若手を起用せざるを得なくなった横浜の岡田監督の2人は別格として、若手を積極的に登用する監督に外国人が多いことがわかる。磐田もそうあってほしかったけれど、元五輪代表監督は、目先の順位にこだわったか。 これも繰り返しになるけれど、元・五輪監督はJリーグの監督経験がない。長いシーズン中、選手を育てながら戦った経験がない。五輪代表では、うまい選手が自然に集まったけれど、クラブチームではそうはいかない。五輪代表監督なんて肩書きは、リーグ戦では何の足しにもならない。新米監督にはまだまだ、経験が必要ということだ。日本サッカー界、監督も育てなければいけないのだから。
きのうの当コラムで書いたアウエーの危険性が大げさでないことは、斉藤香織氏の「磐田やられたアウエーの暴力/アジアCL」(NIKKANSPORTS.DOT.COM/3月10日)を一読すれば了解していただけると思う。 Jリーグ開幕戦、福西の「ハンド」で横浜に勝った磐田が、中国スーパーリーグ優勝のシンセンとアウエーで対戦。0-1で惜敗した。 この試合は酷かったらしい。斉藤香織氏のレポートは伝える――磐田には激しいブーイング、審判はホーム優位の判定、相手はラフプレーを繰り返し、前半37分には顔にヒジ打ちを食らった茶野が担架で運び出された。それでも磐田は冷静に試合を進めていた。ところが、相手の再三のラフプレーにも笛を吹かない審判への不満が爆発、福西が中国代表主将のDF李と小競り合いし、ともに警告。後半38分には、控えの鈴木が相手選手の遅延行為に対してベンチから飛び出して口論。退場処分を受けた。スタンドからはブーイングが鳴り響き、コインやペットボトルが投げ込まれた。一触即発の大荒れの展開・・・ 私は中国の「サッカー事情」を認めない。狭隘なナショナリズムにとらわれ、スタジアムに集団暴力を持ち込んでいる。こんなサッカー風土は早く改善されるべきだ。民度が低い、スポーツ文化が成熟していない・・・等々の批判は自由だけれど、日本が世界を相手にアウエーで試合をする以上、中国のような状況を想定しなければならない。 日本の「サッカー」は恵まれている。日本のスタジアムに暴力の影はないし、サポーターも大人しい。相手国にプレッシャーを与える行為もない。「フェアプレー精神」が徹底していて、相手にも敬意を払う。さてこれが世界水準かといえば、必ずしもそうといえない。サッカーの楽しみ方、見方、応援の仕方は、国ごとに違う。たとえば、スペインのレアルマドリードとバルセロナの一戦の背景には、カスティーリア王国(マドリード)とカタルーニア王国(バルセロナ)の対立という、中世以来の歴史を負っているし、重ねて、20世紀初頭における、フランコ独裁派(マドリード)による共和派(カタルーニア=バルセロナ)への圧政支配とその怨念がある。だから、そこには暴力や政治の影がつきまとっている。南米のペルーとチリの一戦には、かつての国境紛争の影が漂っている。セルビアとクロアチアはユーゴ紛争の傷を引きずっている。日本と中国は、中国が一方的に「反日」であるとはいえ、日帝の侵略戦争の歴史と中国の思想教育の影を引きずっている。その意味で、日本サッカーも「危険な関係」の当事者であることを忘れてはいけない。 もし、福西(磐田)が、ここ(中国・シンセン)で、横浜戦のようなプレーをしたら、コインが飛んでくるだけではすまない。磐田は群集に襲われる可能性がある。もし、ここ(中国・シンセン)で、主審・岡田があのような誤審をしてシンセンが負けたら・・・ ここからはきのうの繰り返しになるのでやめておく。
2005年03月10日(木) |
Jリーグは、わかっていない |
Jリーグが先の磐田・福西の(誤審)ゴールを「正当」とする正式見解を出し、川渕キャプテンがそれを批判した。あたりまえだ。Jリーグは何もわかっていない。 今回の誤審事件をグローバルな尺度で考えてみよう。このたびのプレーについて、「誤審はサッカーにつきものだ」と言って、笑ってすます国もあるし、「神の手」といって寛容に受け止めてくれる国もある。受け止め方はさまざまだろうが、そう簡単に済まされないこともある。以下に最悪の状況を想定してみよう。 ●福西は「一発レッド」で退場 福西の「ハンド」が故意的か偶発的なものか、という判断が大きな前提となる。「神の手」というのは故意を意味するのだが、海外であれば、あのプレーは通常、故意とみなされる。私も故意だと確信している。 「ハンド」した福西は代表選手だ。代表選手は国旗を掲げて国際試合に出場する。福西は見方のフリーキックを「手」でゴールした。これは絶対にやってはいけないプレーの1つだ。世界中どこでも、福西はレッドカードを受け退場させられる。W杯予選試合なら、数的不利となる日本が勝点を失う可能性が高い。福西のハンドは、日本代表を窮地に陥れるものだ。 もし、日本代表・福西がアウエーで同様のプレーをしたら、福西に対するブーイングは半端ではない。スタンドから何か飛んできてもおかしくない。地元の警備が、福西を本気で警護しない可能性だってある。 ●「誤審」で日本が勝ったら・・・ どこかの国の審判が「誤審」をしたとしよう。横浜vs磐田では、アウエーの磐田が勝ったが、W杯予選のような公式試合でアウエー・日本代表が勝利したとしたら、日本代表のバスは何発投石を受けるかわからない。反日感情の強い国であれば、命の保証もない。翌日の新聞・テレビの報道については想像だにしたくない。昨年アジア杯が開催された東アジアの隣国や、政治的問題を抱えた某国との対戦であのようなプレーが起きたとしたら・・・ ●主審が「誤審」をしたら 主審・岡田が海外でこのような誤審をしたとしよう。誤審でホームチームが負ければ、主審・岡田のミスジャッジは、試合後の暴動を誘発する。主審・岡田の生命の保証もない。大げさのように聞こえるかもしれないが、世界中のサッカーが健全な娯楽として発展しているとは限らない。サッカーは、国家公認のものばかりか、アンダーグラウンドの賭博の対象になっている。南米のどこかの国で、代表選手が射殺された事件があったが、賭博がらみという説が濃厚だ。 Jリーグが「お嬢様サッカー」であることは何度も書いた。球際の甘さ、競り合いの弱さ、タックルの甘さといった個々のプレーはもちろんだが、審判の判定の甘さ、誤審に対する措置を含め、サッカーの基盤すなわち社会環境そのものの甘さだ。 サッカー選手の生命が脅かされたり、選手のバスが投石を受けたり、試合後暴動が発生する社会が良いか悪いかといえば、もちろん悪いに決まっている。日本はサッカー試合の結果次第で暴動は起きない「良い国」なのかもしれないが、日本代表が危ない国で試合をすることを回避できない。 横浜vs磐田における「誤審」及びその報道並びにJリーグの公式裁定は、日本サッカーの甘さを象徴している。フリーキックを「手」で入れるというプレー、それを誤審すること、のどちらも絶対にあってはならない。ところが、あってはならないことが起きてしまった。起きてしまった以上、透明性のある「処分」が必要だった。繰り返せば、選手・福西及び主審・岡田には、自主的に2試合の出場辞退が望ましかった。「休養」という表現でもいい。 このような「処分」の根拠は、先に書いたとおり、国と国の代表試合で「不正」や「誤審」が起きれば、どのような事態が惹起されるか、最低限の想像力をめぐらせばいい。 Jリーグの裁定は、日本流に言えば「玉虫色」なのかもしれないが、それは日本という社会基盤にのみ有効な解決手段にすぎない。もちろん、Jリーグ内部では厳しい処分が進んでいるのかもしれない。公的発表(建前)は、審判制度の防衛という結論に至ったのかもしれない。本質は部外者にわからないけれど、公的な裁定をみる限り、Jリーグは何もわかっていない。 最後に、主審・岡田の評価について、付け加えておこう。岡田はW杯で笛を吹いた日本人審判の一人としてマスコミの評価は高いが、当コラムで書いたとおり、私は彼のレフェリングについて以前から疑念を抱いていた。 冷静に考えてみよう。磐田がロスタイム近く、ゴール近くでフリーキックを得た。キッカーは名波。ターゲットはだれ?これは設問にならないくらいの問だ。答えは長身でヘディングの強い福西に決まっている。サッカーの主審で飯を食っていこうとする者ならば、球道が定まらないうちから、福西の動きを意識していなければいけない。 違う角度もある。福西のマークは、これまた代表の中澤(横浜)に決まっている。問題のシーンは、横浜vs磐田というJリーグの実力派クラブ同士の勝負であると同時に、福西vs中澤という代表選手同士の勝負でもあった。看板がかかった大勝負に手を使った福西は、真剣勝負に拳銃を使ったようなものだ。しかも、代表二人が競り合ったとき、主審が両者の動きを正確に捉えていなかったとするならば、いったいどういうことなのか。 報道によると、このたびの誤審に対して、抗議が殺到しているという。当然だ。福西のプレーは故意のハンドで、故意のハンドを主審が見逃した。そこに疑念を抱くのは、サッカーファンならば当然のことだ。 私は「加害者」となった磐田のサポーターではないが、サポーターだったとしたら、このたびの磐田の勝利を喜べないし、磐田のサポーターを辞める。福西のプレーは、それくらい後味の悪いプレーであり、釈然としない判定だった。 私はこれを機にして、Jリーグに逆風が吹かないことを祈っている。悪い流れというのは、元に戻りにくいものだ。主審・岡田と磐田の関係について私は知らない。新生磐田と磐田の新監督に白星を献上させたい空気がJリーグのなかにあったとすれば、Jリーグの腐敗が始まっている。腐ったリンゴはすぐ取り出さないと、一箱全部が腐ってしまう。
はっきりしておこう。当コラムで以前書いたが、「判定」は神聖だが、「審判」は神聖でもなんでもない。誤審があれば、審判だって処分されるべきなのだ。ミスを繰り返すようならば、一線から退いてもらう。サッカーの審判が好きなら、草サッカーで笛を吹けばいい。 マスコミもおかしい。日本のサッカーのレベルを上げたいのならば、ファウル、ラフプレー、ミスジャッジ等々の不正については、厳しく報道すべきなのだ。たとえば、きのうのJリーグ開幕戦の1つ、浦和vs鹿島でアルバイが鈴木のアゴを押したシーンがVTRで何度も放映されていた。この映像を見せられれば、アルバイに抗弁の余地はない。同様に、主審・岡田のミスジャッジのシーンも、繰り返しVTRで報道すべきなのだ。選手の退場シーンが何度も放映されるのと同じように、誤審についても、何度も報道されるべきなのだ。それが、審判のレベルアップにつながる。怪しい判定はゴールシーンばかりではなく、カードの出し方、ファウル、オフサイド、ラフプレー等々、試合を左右する判定すべてについて、VTRは利用されるべきなのだ。サポーターはそれを見て学習し、レベルの低い選手・審判に厳しい目を向ける。批評精神の積み重ねが、日本のプロサッカーのレベルを上げる。 そればかりではない。スポーツはフェアプレーが基本だ。審判の目を盗んで不正を働くような選手に対しては、社会的糾弾が必要なのだ。昨日の「誤審」は、90分間全力でプレーした選手たち、チーム関係者、サポーター・・・すべてに失望を与えたはずだ。不正で得た勝利に感動を覚えた者が何人いるのだろうか。そんな失望が繰り返されてはならない。舞台は、「サッカーイヤー」ともいえる05年のJリーグの開幕戦、新旧実力派の監督対決、前年チャンピオンに対して、補強でチーム再建を賭ける老舗・磐田という、看板ゲームではないか。 ヴァイタルエリアで頭より高く手を上げてヘディングするプレーは、「手」に当たらなくともファウルではないか。「李下に冠を正さず」という諺があるのでそれ以上は言わない。 福西の「前科」については、当コラムで何度も書いた(直近は2004年08月30日(月) /「福西の許しがたいプレー」)。そのときも重要な試合で、福西は退場になっている。きのうは不正が一転して、「決勝点」になってしまったが・・・ 福西は「そういう選手」なのだ。そんな選手がクラブでレギュラーを確保し、代表に選ばれている。それがJリーグ、日本代表の現実なのだ。指導者たるべき監督・コーチが「有名選手」の度重なる不正を是正できない。「一流」選手を指導できない。スペインに行った、大久保もそうだったが、川渕キャプテンが直々に彼を指導したといわれている。 なお、主審・岡田のジャッジについては、有名選手に甘いことで定評がある。昨年、三都主の悪質なファウルに二枚目のカードをためらったことは、当コラムに書いた。今回も磐田の監督は前オリンピック監督で、「ハンド」の当事者は代表の福西。主審・岡田が「誤審」する条件は整いすぎていた。 とにかく、誤審防止については、審判・選手・協会・サッカージャーナリズム・サポーターがその防止に共通認識をもって、取り組んでほしい。
2005年03月05日(土) |
主審・岡田にレッドカードだ |
VTRで見る限り、福西の頭部とボールの間には、50cmほどの空間があった。GKのパンチングより上にあったのは福西の「手」だった。あまりにダーティーなプレーだ。磐田の福西については何度もこのコラムで指摘してきた。当然、福西にイエローかなと思ったら、判定はゴール。あれれ・・・ 横浜vs磐田のJリーグの開幕戦、後半終了間際に福西がハンドで「決勝ゴール」。主審・岡田が磐田に勝点3をプレゼントした。 この試合は引分だ。「タレント集団」の磐田だが、昨日の当コラムで懸念したとおり、FW3人の組合せが定まらず、先発のゴンとチェの呼吸が合わない。チェのポストプレーが決まらないので、狙いとする最前線と二列目による重層的な攻撃の形ができない。そのため、トップ下の前田がシュートを打つでもなく、スルーパスを出すわけでもなく、時間ばかりが経過した。左サイドの村井(市原から移籍)は、市原時代見せたサイドライン沿いの突破が消えうせ、ドリブルで中央に仕掛けるシーンが目だった。磐田はチーム戦術・規律が徹底していない。個人技頼みだ。 一方の横浜もけが人が多く、左サイド・ドゥトラの個人技に頼る攻撃だけ。右サイドの田中も決定力がなく、清水、大島のFW陣には、得点の雰囲気すらなかった。 注目度の高い試合だったが、磐田は知名度の高い選手を集めたわりには、チームとしての規律がないし、攻撃の形が定まっていない。「けが人集団」の横浜は決定力不足。レベルの低い試合の決勝点は、ロスタイム直前のハンドを見過ごした主審のミスジャッジとくれば、まったくJリーグの看板カードが泣いている。開幕に最もふさわしくない試合となった。 このまま、磐田に勝点3というのでは、横浜サポーターでなくとも納得できまい。主審・岡田にはレッドカードを出したいくらいだが、そういう制度がないので、2試合、自主的に主審出場を辞退してほしい。また、フェアプレイ精神の欠如した磐田・福西にも、2試合の出場辞退を要望する。こんな勝ち方では、磐田の新監督・山本も嬉しくないだろう。福西を2試合、ベンチから外してほしい。 審判団は先の天皇杯でも磐田に有利な判定があった。リーグ開幕試合でも、レフリーが前オリンピック監督の勝利を助けた。これでは、Jリーグの審判団も八百長を仕組んだドイツ・ブンデスリーガの審判団と変わらないではないか。
明日、Jリーグが開幕する。今年から1シーズン制となり、Vゴールとならんで目の上のたんこぶだった前後期制が、やっと廃止になった。私のストレスの1つが解消された。やれやれと。 我田引水ではないけれど、Vゴール制度を廃止したことにより、Jリーグは格段の進歩を見せた。試合の中味が濃くなったし、一試合一試合に重みが出てきた。見る側も、引分けという、なんとも味わい深い結果を堪能することができるようになった。サッカーは1得点、勝点1という微小な差異を競うスポーツだ。1試合に50点近く入るラグビー(得点カウントの違いもあるが)や、10点も珍しくない野球とは違う。 今年は長丁場の1シーズン制。最後の試合が引分に終わったことにより、首位から転落し優勝を逃すチームも出てくるだろう。最終試合、得失点差で優勝を逃すチームもあるかもしれない。最終幕のドラマに期待できる。 そればかりではない。1シーズン制になれば、クラブの真の実力が順位に反映される。選手も実力が試される。ケガに強い選手がレギュラーに残り、選手層が厚く、規律の高いクラブが順位を上げる。 これでJリーグは、10年かかって世界標準を獲得したことになる。この10年、はっきり言って、もったいなかった。ローカルルールの改正を叫び続けて10年か・・・長かった。 さて、予想はというと、横浜、浦和、磐田の3強がAクラス、鹿島、G大阪、名古屋、東京V、千葉、F東京がBクラス、神戸、新潟、広島、清水、大分がCクラス、川崎、大宮、C大阪、柏がDクラスに区分される。優勝がCもしくはDクラスから出ることはない。思い切っていえば、Bのうち、名古屋、F東京も無理だろう。つまり、(3強)+(鹿島・G大阪・東京V、千葉)の7チームが優勝戦線に残る。ここまでのところは、異論は少ないと思う。極めて常識的な予想だろう。 そこで、私の希望・願望を披露すると、優勝=①千葉、②浦和、③横浜、④東京V、⑤G大阪、⑥鹿島、⑦磐田、⑧名古屋、⑨F東京、⑩新潟、⑪神戸、⑫清水、⑬大分、⑭広島、⑮川崎、⑯柏、⑰C大阪、⑱大宮 となれば・・・いいなと。 3強の一角、磐田を7位に下げた理由は、移籍組と生え抜き組の間に、サッカー観に差があり、チームとして馴染むまで時間がかかることだ。最悪のケースとして、負けが込んで監督に求心力がなくなり、空中分解する可能性もあり得る。たとえば、FWのチェ、ゴン、グラウの3人のうち、最適の2人はだれなのかがわからないまま得点力が減り、負け続ければ、補強は裏目になる。西、村井のサイドは強力だが、FWの役割が見えない。 磐田の場合、一定の規律の下、選手全員が共通のサッカー観を抱き、統一的戦術に基づいてサッカーをすれば、優勝する。山本監督にその指導力があるかどうかが問われるわけだが、私は期待していない。山本はルシェンブルゴになれまい。
|