スポーツ選手には必ず引退がある。厳しい競争社会のプロスポーツ界ではなおさらだ。サッカーの過去のスター選手の多くが、引退を迫られている。「アジアの壁」として名をはせた井原選手もその一人らしい。ドーハの生き残り、フランス大会の代表だ。最近のプレーを見ると、スピード面の衰えが隠せないようにも思えた。それよりもなによりも、若い選手の追い上げだろう。ドーハ組はいわば、Jリーグの黎明期のスター選手達。彼らの活躍は、日本サッカーがアマチュアの良きムードに酔いしれていた時期に当たる。 ドーハ組は予選敗退の後、最後の詰めの甘さへの批判・非難を受けることなく、「ドーハの悲劇」といって許し合うサッカー風土に守られ、スターでいられた。もちろん負けた選手の傷はわれわれにはうかがい知れないほど深いものだろうが、予選リーグはあの1試合だけではなかったのだ。それまでの試合の中に、思い出すだけでも、いくつもの反省点が挙げられる。初戦のサウジ戦の引き分け、イラン戦の敗北、韓国戦での勝利の後の選手の熱狂――、それらはアマチュア精神の結果であった。イラク戦は判定に恵まれただけに、勝点3を取らなければいけない試合だった。さらにいえば、イラン戦で勝点1(引き分け)を上げていたら・・・と、結果論だが、悔やまれる場面がたくさんある。予選リーグの戦い方を知らなかった、経験不足、選手起用の是非・・・スポーツマスコミにおいて、いろいろな面で議論があってしかるべきだったのに、「ドーハの悲劇」というなんとも絶妙なキャッチフレーズで、すべてが許されてしまった。当時の日本サッカーに不足していたものは、厳しさと経験だった。 その後のJリーグバブルについては、いうも愚か、不況でしぼむサッカー人気など、もとからなかったと思えばいい。だから、私は黎明期のスター選手が消えることに、一片の感傷すらもつことができない。ドーハ組は、サッカー人気をささえた功労者であることを認めるが、いま欧州で活躍している中田(ヒデ)や小野のレベルより下だと思っている。誤解をおそれずにいえば、今年引退する選手のなかで、現役に残ってそのプレーを見続けたいと思う選手は、いまのところ私には見あたらない。日本サッカー界は、中田(ヒデ)を境にして、まったく質を変えたというのが、私の持論である。
FA宣言した近鉄の中村(ノリ)選手がメッツ入団寸前で契約に至らず、結局は近鉄に居残った。メッツ入団を断念した理由は、契約交渉中にメッツが公式ホームページで中村のメッツ入りを報じたからだという。 メッツのホームページでも見てみようかな、と思うのだが、英語もわからないので時間の無駄か。メッツ側の言い分は、ホームページに載った記事はスポーツ記者が書いたもので、球団の正式発表ではないと言っているという。ニューヨークのメディアは、中村の態度を、「怖じ気づいたか」と報じているらしい。 このゴタゴタを推理するならば、中村側がメッツを内定先として押さえ、別の球団にそれ以上の条件を持ちかけていたことが考えられる。その途中で、メッツのホームページに「内定」の記事が載ったため、別の球団が交渉をうち切ったのではないか。中村側はメッツに「裏切られた」と感じたのか「邪魔された」と受け取ったのかはわからないが、ゼニゲバ・中村であることには変わらない。けっきょく、メッツとの信頼関係も損ね、近鉄に逆戻りというわけだ。 そんなゼニゲバが、「近鉄を日本一に」とは笑わせる。中村サイドの動きは、自分に惚れている女性を押さえとしてキープしておいて、別の女性に次から次へと声をかけまくる、不埒な男の動向とよく似ている。あんまり、欲をかくな、といいたい が、あくまでもこれは推測である。間違ってたら、中村選手、ゴメンナサイ。
2002年12月22日(日) |
ブンデスリーガ(その2) |
高原選手のハンブルガーへの移籍が正式に決まった、と新聞に書いてあった。めでたしである。ところで、このコラムで高原のドイツ移籍は奥寺に次いで二人目と書いてしまったが、奥寺の後、尾崎という選手が移籍していたらしい。ということは高原は3人目。失礼しました。訂正します。でもこの尾崎というプレイヤー、全然記憶にありません。 高原がブンデスリーガでもまれ成長すれば、日本代表にいい影響を与えると思う。たとえば、先日行われたレアルマドリードと世界選抜の試合、世界選抜の1点目は中田(ヒデ)のチェンジサイドが左に出て、それを受けたバッチョ(イタリア)の速いクロスに飛び込んだのがW杯の日本で活躍したクローゼ(ドイツ)。クローゼがディフェンスのほんの少し前に出て頭であわせた。いまわしい第二次大戦の「三国同盟」の再現であるが、こっちの「三国同盟」は大歓迎である。シュートまでわずか数秒、パスの本数は2本である。 この形が得点のすべてとはいわないが、いまの世界レベルではこういう形でしか点になりにくい。判断力、正確さ、スピード――の3つが相手DFを上回った瞬間でしか点にならない。だから中盤がいらないとはいわないが、むかしながらの10番にボールを集め必殺のスルーパスというパターンは難しい。10番に限らず、どこから出たパスでも、それをスペースで受けるサイドプレイヤーの存在が重要である。日本代表で高原がFWでがんばるには、優秀なサイドからの突破やクロスが必要となるのだが、手本となる形がブンデスリーガで見られるのではないか。 サイドプレイヤーは、いまの日本代表で最も人材不足のポジション。特に右サイドがいない。たとえば、あの市川が調子を落としている。
中村俊輔選手が壁にぶつかった。セリエAに移籍した直後はそこそこ活躍できたものの、長いシーズン、激しいマーク(当たり)、厳しい自然環境といった条件のもとで、だんだんと調子を落としているようだ。イタリアのサッカーシーズンはこれからなのだ。頑張って欲しい。 中村選手については、前述したが、W杯代表に選ばれなかったことでトルシエ前監督に批判が集中した。私はトルシエ前監督を好きではなかったけれど、この選考結果だけは間違っていなかったと思っていた。サッカーは11人でやるもの、GKをのぞけば10人のなかで、DFが3人、FWが2人、MFは5人。ヒデ、小野、森島、三都主、市川、服部、戸田、福西、明神、稲本のだれを落とせばいいというのだ。守備力、体力からみて、中村の代表落ちは当然だった。 一方のジーコ体制では、中村はキーマンになっている。だが、私はこのジーコの選択に希望を持てない。日本代表が中盤の球回しで世界に通じるとは思えないからだ。スピードと地道な守備、そして速攻でゴールを奪うしかない。そのためには、サイド攻撃が命なのだ。と同時に、体力ある選手が必要となる。いまの中村は、この条件を満たしていない。 それはそれとして、北半球ではいまがサッカーリーグ戦の真っ最中。ほかにも、ラグビー、アメリカンフットボールなど、屋外ボールゲームはみなそうだ。日本のラグビーをみればわかるように、冬だからこそ、客が集まる。 北半球のボールゲームが、プロ同士でしのぎを削っているこの時期、日本のJリーグ王者はなんと、高校生と試合をしている。マヌケな話だ。もちろん、高校生と試合をすることがあってもいい。オフシーズンの練習試合などが適当だろう。 リーグ戦をやっていたら、恒例の「天皇杯」ができなくなる、と心配する人がいるのだろうか。トーナメントのシードに工夫を加えればすむ。リーグ戦とカップ戦の両立は、欧州をみれば一目瞭然、いとも簡単なことだ。Jリーグの日程は、北半球のプロフェッショナルの流れにシンクロしていない。この状況を納得するのは、私には、かなり難しいことだ。
Jの得点王高原選手がドイツに行くらしい。実現すれば、奥寺康彦氏以来の快挙だ。クラブはハンブルガーSVとのことだが、ドイツサッカーのことは全然知らない。知っていることといえば、ドイツが今年のW杯で2位だったこと、そして4年後の開催国ということ。その意味で、タイムリーな国への移籍である。 私の感覚では、ブンデスリーガは日本人選手が最も活躍しにくいリーグだった。それだけに、高原選手にはぜひ、成功してもらいたい。私の日本サッカーに対するイメージを根本的に変えることになる。 奥寺氏は確かケルン(IFCケルン)だったと思う。ハンブルグはケルンより大きな都市だ(どちらがいまリーグの上位なのかは知らないが)。 ドイツのサッカーは私の分類では「ゲルマン系」の典型で、恵まれた体力を利した強い当たりの守備陣、サイドライン沿いのスピードをもった上がりから早いクロス、高い打点のヘッディング、ロングシュートなどが持ち味だと理解している。日本のような中盤重視とはタイプがやや異なるような気がする。 さて、私はジーコ代表監督が標榜する「黄金の中盤」に疑問を抱いている。世界の流れとしては、早くて正確なサイドアタッカー(たとえばフィーゴ)、同じくパワーのあるサイドバック(たとえばロベルトカルロス)などに代表される、サイドのタレントの存在ではないか。高原選手とは関係ないが、日本代表候補であれば、たとえば、ポルトガルにいる広山選手(右)、柏の玉田選手(左)らに可能性がある。広山選手の最近のプレーを見ていないし、玉田選手は経験がない。でも、少なくとも、4人の中盤でボールを回し合う日本代表の姿は見たくない。私の記憶では、奥寺氏はスピードある右サイドの選手だったと思うが…。
きのう、4年前のサッカーW杯フランス大会を取材した某通信社の友人と酒を飲んだ。そのとき、かつて、Jリーグ名古屋の監督だったベンゲル氏(現アーセナル監督)がフランス優勝を予言していた、という話を私に聞かせてくれた。 大会前、ベンゲル氏が日本代表のキャンプ地を訪れ、そこに集まった日本人記者と会見を行った。「今回の優勝国は?」という記者の質問に、ベンゲル氏は「フランスが有力」と語ったという。根拠はなんといっても、「ホームの利」。加えて選手が上り坂にあること・・・などを挙げたらしい。 友人はこの記事を国内外に配信したのだが、とりわけ、日本のマスコミは無視、まったく取り上げなかったという。日本のマスコミがサッカーを知らなすぎると、怒っていた。まったくそのとおり。 当時、ことほどさように、フランスの優勝は「意外」であった。サッカーにおける「ホームの利」を知らないわけではないが、やはりランキング、知名度で予想をたててしまう。日本では(私も含めてだが)、ヨーロッパの最強国といえば、イタリアかオランダという認識が一般的。この二カ国からややおちてイングランド、ドイツ。北欧、フランスは中堅だろうと。 もちろん、ベンゲル氏がフランス人だから「フランス優勝」と言ったにすぎない、という見方もできる。が、私は当時の日本サッカー界が、「ホーム」の重要性を知らなかったエピソードの1つだと思っている。 それから4年が過ぎ、日本でW杯大会が行われた。その王者フランスは韓国での1次リーグで敗退、反対に、ホームの利で韓国が準決勝まで進んだことは記憶に新しい。 W杯開催で日本のサッカー事情は変わった、と、いいたいところだが、実はあまり、変わっていない。どこが変わらないかといえば、サッカーにおけるもっとも基本的なもの、すなわち、「ホーム」の認識だ。その象徴が先述した「トヨタカップ」の開催と日本人の反応。一流を崇拝する日本人のブランド志向が、サッカーにもまかり通っている。Jリーグの諸制度を含め、このことは何度も書いたことなので繰り返さない。 なお、私個人にとってJリーグの致命的欠陥は、ホームチームが存在しないこと。東京には2チーム(FC東京と東京ヴェルディ)あるが、私の住む東京・下町からは、どちらもホームではない。東京スタジアムなど、下町の住人から見れば、東京ではないのだ。私達=東京・下町の住民は、さびしいサッカーファンなのだ。トヨタよ、「トヨタカップ」など中止して、名古屋に加えて、東京・下町にもクラブとサッカー場をつくってくれ!
世界クラブチーム王者決定戦(トヨタカップ)、レアルマドリード(スペイン)がオリンピア(パラグワイ)を2−0で破った。マスコミの喧伝とは裏腹に、私にはこの試合、凡戦に見えた。 根本的には、冠大会を日本で開くことの愚。サッカーはホームとアウエーがあって成り立つ。戦う集団2つ、敵と味方の明快な関係だ。この大会が開かれる日本は、レアルマドリードにもオリンピアにも関係ない。 南米と欧州、どちらが強いのかという――重要でみなの興味を引く――この試合、やはりホームアンドアウエーで決めるべきだ。トヨタカップはサッカーのイベント化の典型だ。そして、日本のサッカーファンがこのような試合に興味を示すことは、健全なサッカーのあり方を阻害する。だいいち、見ていて面白くない。マドリードの選手は有名だから知っているが、だからどうした。オリンピアはだれも知らない。どっちが勝っても「いい試合」など、いわゆる「どうでもいい試合」だ。こうした大会が日本で開かれることはうれしい、普段見られない一流選手が見られる、という意見もあるが、私はサッカーをそう見ない。 トヨタカップのあり方には、広く批判がある。その1つは、南米の選手が欧州に行っているから、決定戦の根拠がないというもの。これは正論だが、南米のクラブにはこの正論を覆す底力があるから、決定戦としての有効性はある。ホーム&アウエー方式でやれば、結果はわからない。 かつて、ホーム&アウエー方式で混乱があったというが、それもサッカー。観客がいないサッカーはサッカーでない。ホームでもアウエーでもないサッカーはこれに準ずる。無菌状態でやる「ショーケースサッカー」なんて、やめる時期だろう。
2002年12月01日(日) |
ジーコ、前言を撤回す |
ジーコ代表監督が、J2からは代表を選ばない、という発言を撤回したらしい。当然のことだ。代表をJ1からしか選ばないなどという不合理な制度は認めがたい。 さて、Jリーグのシーズン終了とともに、スター選手の動向がきになるところ。まず、W杯フランス大会代表の城(横浜、神戸にレンタル)が自由契約、福田、井原(浦和)、山口(名古屋)も契約更新なし、と、元代表選手の多くがチームを去るらしい。Jで活躍しているW杯フランス大会代表選手といえば、中山、名波、服部(磐田)、秋田、名良橋(鹿島)、中西(市原)、小村(仙台)ぐらいか。岡野、望月、平野(神戸)、相馬(東京V)らはいまひとつ。いつ自由契約になってもおかしくない状況だ。フランスには行かなかったが、三浦(カズ)もぎりぎりだろう。いま神戸でベンチにいるが、来シーズンどうなるか微妙な立場だ。 それにしても、サッカー界で長年力を維持していくことは難しいことのよう。トレーニング方法、自己管理など、日本サッカーに問題があるのではないかと思いたくなる。でも若手の才能ある選手が出てくるのであれば、それはそれで仕方がない。実力がすべてのプロ選手、昔の名前だけでは生き残れない。若手のレベルが上がってきて、ベテランを追い越す時期なのかもしれない。であれば、これは日本サッカーにとってはむしろ歓迎すべきことかもしれない。実力に差がなくて年が若いのであれば、クラブ経営者が若い選手を選ぶのは当然のことだ。
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