職業婦人通信
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相方に困惑する日々である。
相方がこよなくバイクを愛する男になってしまったことに 私は今、困惑を隠せない。
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もともと1年前、バイクの免許を取ると言い出したのは私のほうであった。
相方(二輪免許なし)は 「運動神経の悪いお前はすぐに事故を起こすに違いない」 「バイクは夏暑くて冬寒い乗り物だということをお前はわかっているのか」 「そんなに排気ガスを肺いっぱいに吸い込みたいのか」 と、色々理由を並べては私のバイク免許の取得に異を唱えていたのだが
残念ながら私は 反対されればされるほど熱くなるタイプ。
「うんにゃ、わしゃなんとしても免許とっちゃる(意味なく「仁義なき戦い」の影響)」
と、銀行印と車の免許証を抱いて教習所へ行こうとした私を
「待てっ、お前だけに取らせてなるもんかい!わしゃ、お前が中免取るなら大型とったるわ(←こちらも意味なく仁義なき戦い)」
と、相方は後を追ってきて、結局、ともに教習所に入校。 30過ぎた男女がカップルで教習所に通うという非常にキモい展開となった。
つまり、その当時の相方は、 私が相方にないものを先に取得するのが許せなかっただけで バイクに乗りたかったわけでもなんでもなかったのだ。
にもかかわらず、である。
実際教習所に入ってから、相方は人が変わったようにバイクを偏愛するようになってしまった。 まぁ平たく言えばハマっちまったわけである。
そして免許取得後。
相方は迷いに迷ったあげく 初心者のくせに1400ccもの排気量があるバイクを購入したまではいいが、 その排気量ゆえにデカくて重いバイクを扱いかねて 駐輪場ですっ倒し、 真新しいタンクをべっこり凹ませ、 本人も精神的にべっこり凹んでしまった、 というマヌケなバイクデビューを飾った。
そして私はといえば 250ccのエストレヤというバイクを 数万円で手に入れたまではいいが これがスーパーポンコツバイクで すぐにエンストするわ、オイルだだ漏れだわで 人並みに走れるようになるまでバイク屋通いが続く、 という、やはりマヌケなバイクデビューを飾ったのであった。 (最近やっと普通に走れるバイクになった)
ともあれこうして、 初心者なりの失敗や転倒をやらかしつつ 公道へ出ることになった私たちであるが 困ったことに 相方はこの極寒にもかかわらず 毎週末、かならずバイクでどっかに行きたがるのである。
寒いよ。
バイク乗るのは好きだし、 せっかく私のバイクは調子よくなったんだし 走りたい気持ちは私にもあるけど でも寒いんだよ。
初心者のくせにいきなり高速に乗って遠くに行かされたり 激寒の奥多摩を走らされたり そりゃ楽しいけど、でも夕方になると手足がもげそうなくらい 寒くて痛むんだよ。(私は重度の末端冷え性)
自衛手段として 使い捨てカイロを腹に10個くらい巻きつけて 自爆テロみたいにしてるけど 走ってるうちに結局冷えちゃって意味ないし こないだなんか高速の料金所でお金払おうとして カイロを腹から落っことしたからね。あれは恥ずかしかった。
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でも結局のところ 毎週末、目をキラキラさせて 「どこ行く?どこ行こっか?」と 心から嬉しそうにメットを抱えてやってくる相方を見ると 私はイヤとは言えなくて 腹にカイロを巻きつけてしまうのだ。
何かに夢中になっている男は可愛い。
春の訪れが待たれる日々である。
10万ヒットありがとうございます。 (人に言われて気付きました)
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私の叔母・サチエは50代半ばの独身。
サチエは、父の4人いる弟妹のうち 末にあたるためか、 父はサチエをいたく可愛がっていた。
自己主張が少なく おとなしくて内気なサチエは 祖父母の介護にあけくれていたために 結婚することもなく年齢を重ね、 祖父母が死んだ今では ホームヘルパーとして働きながら ひとりで暮らしている。
ホームヘルパーとしての収入もそれほど多くなく、 貯財もないらしいサチエの未来を 私の父はえらく心配しており 「サチエのことを思うと夜も眠れない」だの 「親父やお袋の介護をサチエに押しつけたばかりにあいつは婚期を逸して…」 だのと、酒を飲んではよく苦悩する日々であった。
そんなサチエが乳がんだとわかったのは 1月の半ば。
サチエは独りで近所の病院に行き、 独りで余命告知を受けて、 独りで手術の日どりも決めており、 親戚の我々がその事実を知ったのは すでにサチエが入院した後であった。
一族は騒然となり、 「なぜ今まで黙っていたのか」と 本人に詰め寄ったのだが
サチエは 「心配かけたくないし、自分のことだから」 の一点張り。
病院も「近所の病院だから」というだけの理由で選択しており 他の病院にセカンドオピニオンを求めた様子もない。
「もっと有名で、乳がんの手術実績もたくさんある病院に行って ちゃんと見てもらった上で手術をしてもらったら? やっぱり病院によって対応が全然違うんだから」 と、乳がん経験のあるサチエの義姉がすすめたのだが
「いいの!もう今死んでも悔いはないんだし、ほっといて!」 サチエは珍しく激昂して電話を切ってしまったのだという。
見舞いに行っても「来なくていいのに」と言い、 「死ぬ準備はできている、もう放っておいて」の一点張りらしい。
以来、うちの父は酒浸りになってしまい 落ちこんで目もあてられない様子となった。
彼女のホントの気持ちは誰にもわからないけど 「身内とはいえ他人に心配をかけたくないから」という理由で、 また、 「自分自身のことは自分で決めたいから」という理由で そうしているなら、その気持ちはわからなくはない。
私だって、今余命を宣告されたら たぶんサチエと同じような対応をするだろう。
生きるためにたくさん病院をまわったりしないだろうし 家族にもギリギリまで言わない。 闘病とか絶対めんどくさいし。心配かけたくないし。
まして、自分が死ぬことによって路頭に迷うような人間は この世にひとりもいないのだから 「死に至る道程を自分で選ぶ権利」もあっていいと思う。
それでもなお、うろたえ悩むうちの父を 娘の立場から見ていると、 サチエには 「親父の見舞いくらいは受け入れてやってほしいよなぁ」と思うし 「乳がん経験者のアドバイスくらい少しは聞いてやればいいのに、損するわけじゃなし」 という気もするのである。
たぶん、それは彼女自身にとって迷惑なお節介にしか過ぎない。
が、もしこれで彼女が死んだら うちの父はもちろん、親戚はみな 「もっと生きてほしかったのに、彼女に十分なことをしてあげられなかった」とか 「十分な医療を受けさせることができなかったのではないか」と、 悔いたり悩んだりすることになるのではないかとも思う。
まぁそれも、本人にとってはメーワクな話なんだろうけど。
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