職業婦人通信
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2002年04月17日(水) モーレツ新人教育 その4

机上研修を終えた小隊長千代子に次なる試練が襲いかかったのは2週間後のことであった。

販売研修。

うちの商品を扱っていただいている販売店様のところへ販売応援をしにいくと同時に
販売話法を実地でやらせようという迷惑企画である。

2人1組で関東各地の販売店へ。
早くもノルマが設定され、売上げ金額を小隊単位で競わされることは言うまでもない。

数日前に行われた、机上研修の結果を試すペーパーテストで、我が小隊は見事ビリを勝ち取り(主に千代子のせいで)
みっちりインストラクターに説教くらわされた後の販売研修である。なんとかここは結果を出さねばなるまい。
さすがに小隊長としての自覚に燃える千代子であった。

千代子が一日店員として配属されたのは神奈川県某所の販売店。

10:00 開店
11:30 客1名来店(逃げられる)
14:00 昼食
15:20 家族連れ客来店(千代子の売り場以外のところに用があった)
17:00 客数名来店(逃げられる)
18:00 研修終了(これ以上店にいると山奥の研修施設に帰れなくなるため)

あのう、のべ来客数10名たらず、だったんですけど・・・
当然千代子の売上は0円であった。
しかし、客がこない店というのは悲惨である。店員は皆、やさぐれ感に満ちており、拭いきれない停滞感が店全体を覆っていた。
業者の新入社員などイジメの対象でしかなく、千代子はさんざん
「お宅の商品、全然よくないから売れないんだよー」「お宅の会社、ホントに販売店の扱いが悪いよねぇ」
などと罵倒される始末。あたしが悪いんじゃないやい、と思いつつも
新入社員は「申し訳ありません」と頭を下げるのであった。

帰りのバスでこっそり千代子は涙を拭ったものである。
また小隊全員が怒られる。千代子のせいで・・・。あのころの私にはまだ「反省」という気持ちがあった。
今だったら「なんで客がこねぇ店にオレを行かせるんだよぇぇ?」と逆切れるところだが。

重い気持で研修寮へ戻ってみると、これから報告会が開かれるというお達しが。
順に売上数字を発表する同期たち。たくさん売ったものも、少なく売ったものも、それぞれ数字を大声で報告する。

インストラクター「次、中原小隊、小隊長から売上を報告せよ」(なぜか軍隊口調なのだ)
千代子     「中原小隊、小隊長です。誠に申し訳ありませんが中原は0円でした・・・(尻すぼみに小さくなる声)」
インストラクター「中原、あとで指導員室へ来い」
千代子     「ハイ・・・」
インストラクター「返事の声小さい!!」
千代子     「ハイ!!!!(半分涙声)」

こうして千代子小隊長はまたお叱りを受けるハメになるのであった。
「お前のせいで小隊に迷惑が」だの「やる気がないから売れないのだ」だのさんざん叱られましたとも。泣きましたとも。ぐっすん。

そして、試練はまだ続くのであった。

戸別販売研修。

つまり訪問販売である。
全国各地に小隊ごとに分散され、渡された地図の中のお宅を一軒一軒回って販売するのだ。
我が小隊は石川県に配置され、ビジネスホテルに宿泊しながら1ヶ月、女子は2人1組で訪問販売の日々を送ることになった。

今思い出しても、あれはつらかったなぁ。

・犬に吼えられた(日常茶飯事)り、
・団地妻全員に居留守を使われたり、
・農家のおばあちゃんに石を投げられた(実話)り、
・「オレと寝たら買ってやる」と言われた(実話)り。

なかには親切な人もいたけど、ほとんどが冷たい対応で、へこみ体質の千代子は毎日つらくてつらくてたまらなかった。
ま、訪問販売なんて追い払われるのが当たり前といえば当たり前なのだが。

しかも「売れるまでホテルに戻ってはならん」と言われた日が何日かあり、そういう日に限って夜になっても何一つ
売ることができず、ホントに泣けた。
とおりすがりの人に「なんでもいいんです、買ってください」とマッチ売りの少女のような言動をして
走って逃げられたりしつつ、結局、郡の駐在さんに一番安いのを買っていただいたこともあった。

しかも、ビジネスホテルの駐車場で毎朝、社歌を歌ってスローガンを怒鳴らなければならない。
(インストラクターのいない日はさぼってたけど)

よく辞めるヤツがひとりもいなかったと思う。
が、とにかく2ヶ月の研修を我々はどうにか一人もかけることなく切り抜けたのであった。

そして現在。
同期はほぼ3分の2まで減少したが、いまだにみんな仲良しである。年に一度は酒を飲み、話に花を咲かせる。
それはやっぱり、あの時の苦労を共有した仲間意識が根底にあるからであろう。

会社に入って6年、思うのは「会社の上司や同僚にグチを言うことは危険」ということだ。
やっぱり安心してグチをこぼしたり、相談したりできるのは同期。同期がいなけりゃ今の千代子は会社にいたかわからない。

今年の研修を受けている新入社員に言うべきことがあるとすれば、それはたった一つ、
同期との時間を大切にね、ということだけだ。

****

あの時店頭応援で行かされ、さんざんあたしを罵倒してくれた店は、千代子が研修を終えた翌年、めでたく潰れた。ザマ。


2002年04月16日(火) モーレツ新人教育 その3

入社すると同時にソルジャー(兵士)として扱われることになった千代子たち同期総勢二十数名。
山奥の研修施設はまるでサティアンか少年院のようであった。
この日記は、深い山中で監禁同然の生活を強いられる若者達が東京へ生還するまでの長い道のりの物語である・・・(大映ドラマ風)

****

研修生活の朝は早い。5時半に起床し、6時に体操をはじめる。
研修初日に与えられたお揃いの、明るい青色のジャージが朝日にまぶしく、これ以上ないぐらいかっこ悪い。
体操といっても、ラジオ体操なんてライトなものではなく、まずは研修所のコンクリートの駐車場で
腕立て50回(女子は30回)からはじまる基礎メニューをこなす。コンクリートで傷ついた手のひらに血がにじむが、
途中でやめたり、ズルがバレれば、容赦なく小隊全員が最初からやり直しになる。

そして体操の後は毎朝3キロのランニング。社名を叫びながら・・・
「○○○○(社名)〜!ファイ、オー、ファイ、オー!」と叫びながらの3キロは、運動不足気味の千代子にとって
文字通り死の行軍であった。しかし、途中で脱落すれば小隊全員でのトイレ&フロ掃除当番が待っている。
そう、小隊とは、連帯責任を課すことによって個のわがままを完璧にコントロールするためのものだったのだ。

食事はこれ以上ないほどの不味さで定評があり、当初は
「不味いからおかずを食べられない」というわけで、毎食、玉子と海苔とご飯のみで命をつなぐ者が続出した。
しかし長期にわたる研修生活のなかでは「粗食でも食わなければ命がもたない」ことに気付き、やがて全員が
不味いメシを平らげることになるのであった・・・。
入所当時は「ここって自衛隊みたい(笑)」なんて余裕の笑いもあったのだが、やがて
「ここは自衛隊どころか刑務所である」という厳しい現実と直面した同期一同であった。

最初の1週間は商品に関する基礎知識を机上で学ぶ研修が行われた。
しかし、朝っぱらからあまりに苛烈なメニューをこなしてきた我々は、ハッキリ言って勉強などする状態にない。眠くて眠くて。
ところが、居眠りもまた小隊全員の罪となり、一人の居眠りにつきグランド1周もしくは正座の刑が科せられるのである。
そうわかっていても千代子は滅法眠気に弱く、千代子のせいで我が中原小隊は何度も正座や走り込みを
やらされるハメに。
今でも、当時の小隊の同期にはすまないことをしたと思っている。思ってはいるけど、朝からあんなに走らせといて眠るなって
いうのがムリな話じゃないの?

毎朝は体操のほかに朝礼があり、
「○○期大隊 研修10の精神」というスローガン10項目を暗記して、それを毎朝無作為に選ばれる1名がみんなの前で怒鳴り、
それにみんなが唱和する。代表者に選ばれたのにスローガンを間違えたり、順番を誤ったりすれば即、代表者が属する
小隊全員に罰が与えられるのであった。

スローガンというのは例えば、「『5分前集合』の精神」とか「『お客様第一』の精神」などと10項目があるのだが、
どれもわざわざ朝っぱらから怒鳴るほどたいしたことは言ってない。なかでも一番くだらないと思ったのが
「『出船』の精神」というくだりなのだが、

出船って何?

えーと、正解は「トイレのスリッパをそろえること」です。(ホントだってば)
二十代前半の男女が山中で「トイレのスリッパをそろえよう!」という意味合いのスローガンを怒鳴っているのだ。
今思い出しても、こんな研修をする会社の意図を推し量ることはできない。

またある日のこと。
「昔の研修の記録ビデオをお見せします」とのことで、映写室に集められたことがあった。
映し出される20年前の研修ビデオは、想像を絶するモーレツ新人研修ぶり。
その研修の内容は例えば、
○自衛隊に入隊し、ヘルメット着用で匍匐(ほふく)前進
○ハイルヒットラーのポーズで一列に並んで社長をお出迎え(in羽田空港ロビー)
○駅前だろうがインターチェンジだろうがところかまわず社歌斉唱(耳を疑うほどの大声)
○ハンモックで就寝(一部屋に10人以上)

「これに比べれば、今の研修は全く楽だということがおわかりでしょう」と勝ち誇るインストラクターを見ながら
千代子は静かに思っていた。(この会社であたし、長続きしないだろうな・・・)


しかしその会社で、千代子は満6年勤め、現在のところ辞める予定はない(クビにならない限り)。

****

まだ続く。が、次回でおしまいの予定。


2002年04月15日(月) モーレツ新人教育 その2

6年前の研修の話の続き。

****

新入社員20余名は、M湖の駅前でマイクロバスに乗せられ、研修所へ到着した。
湖のほとりの研修所ということは、多少はステキな景観が楽しめるのではないかと期待していたが、
実際研修所についてみると、

超山奥。(湖全く見えず)

しかも周囲にはコンビニはおろか、自動販売機すら見当たらない。おいおい、こんなトコで1ヶ月以上も住むのかよ・・・

戸惑う我々新入社員に一枚のプリントが配布された。
「皆さんにはこれから入社式の練習をしていただきます」
プリントには社歌が書かれていた。

そしてそれから6時間にわたって社歌の練習ですよ。
「声がちいせぇ〜っ!!もっと腹から声を出せ!!」なんかわかんないけど、もういきなりスパルタ。
同じ歌を6時間にわたって歌いつづけるのは地獄以外のナニモノでもない。声も枯れよ、喉も破れよとばかりに
大声で社歌を怒鳴りつづける二十数名の若者達。会社って・・・会社ってこおいうものなの?

社歌の練習をはじめ、入社式のリハーサルを終えたのが22時、
翌日の入社式に備えて眠りについたのは23時であった。

部屋は個室どころか6人相部屋。2段ベッド3つが押し込まれた狭い部屋で眠るのだ。

「イソジンが欲しい・・・」初日の晩、眠りの淵へ落ちる前、最後に思ったのはうがい薬のことであった。
喉が痛い・・・

そして入社式の朝は6時に起床。朝食もそこそこにもう一回社歌の練習とお辞儀(角度とタイミング)の練習。
練習のかいあって、入社式は比較的スムーズに執り行われたが、研修所で行われる入社式はどこか
「過疎地帯の小学校の卒業式」のような哀愁をともなっていた。
しかも研修施設の中での入社式ゆえに、全員スリッパ履き。新入社員答辞をスリッパ履きで読み上げる
同期の後姿はなんだかマヌケで疲れがにじんでいた。

入社式後、インストラクターを名乗る先輩社員がおもむろに研修生活の説明をはじめた。
「みなさんにはまず『ショータイ』に別れていただきます」
ショータイ???何それ?正体?招待?

インストラクターは淡々と話を続ける。
「昔、当社は軍隊式のスパルタ教育を新入社員に施してきました。今では当時ほどは厳しくはありませんが
当時の名残りとして、今期の新入社員を『○○期大隊』と呼び、その中で小グループに別れていただいて
それぞれのグループリーダーの名前を冠した小隊を作ります。では小隊の編成を発表します。
ではまず山田君、真田君、小泉君、羽田さんの4名で小隊を組んでください。リーダーは小隊の中で相談して決めてください。
次に渡辺君、山口君、伊藤君、永野さん。それと・・・・」

延々と発表される名前。そして小隊ごとに机を分けられた我々は困り顔でリーダーの選定に入った。
千代子「なにこれ?小隊なんて言葉、平和な現代にあっていいわけ?」
本多君(同じ小隊の同期)「しょうがねぇだろ、こんな山奥じゃもう逃げらんねぇしよ」
平君(同じ小隊の同期)「リーダー決めろってよ、どうする?」
中泉君(同じ小隊の同期)「千代子、お前やれよ。こういうのは女の子がやったほうがいいよ」
千代子「ぜっっったいイヤだかんね!だいたいなんで女だからってそんなのやんなきゃダメなのさ?」
中泉君「グループ単位で叱られる時、リーダーが女のほうが甘く叱られるだろ。女はお前一人しかいないし」
本田君「いいじゃんかそれで」
千代子「やだよーーーーーっ!」

結局押し切られた千代子は小隊長に選ばれ、千代子の所属する小隊は「中原小隊」(千代子の苗字が中原だから)、
千代子は「中原小隊長」となった。

こうして我々の研修生活は幕を開けたのであった・・・。



2002年04月12日(金) モーレツ新人教育 その1

新入社員がやってくる季節である。

千代子の傾きかかった会社にも、フレッシュな新人君が十数名やってきた。
いやー、かわいそうだなキミら。これからツライ研修と過酷な仕事が待っている。
休みなんてほとんどないよ!ノルマきついよ!(笑顔)

しかし今年は、入社式直前に逃げた内定者がひとりいたらしい。
「まったく直前でまいるよなぁ」とぼやく人事担当に
「逃げた内定者はどうしたんです?」と聞いてみた。

人事「『そご○』に入社するってさ」

・・・・・・・・・彼、見る目あるねぇ(むしろ感心)。
うちはつぶれかけたデパートに内定者をとられる会社。
学生にまで見限られるわが社に幸あれ。

****

私にも新人の頃があった。もう6年前、なんだよなぁ・・・(遠い目)

人事から1通の手紙が届いたのは、入社を間近に控えた6年前の3月であった。

↓人事からの手紙↓
「内定者のみなさん、お元気でお過ごしですか。
まもなくの入社に向けて、みなさん不安と期待でいっぱいのことと存じます。
そんなみなさんに、当社の仕事をご理解いただき、社会人としての自覚を
身につけていただくべく、当社では独自の合宿研修を行っております。
入社式も研修施設で行いますので、3月30日の10時、『M湖駅』改札前に
ご集合をお願いいたします。
なお、研修期間等につきましては入所後ご説明いたします。
最低でも1ヶ月以上になることを申し添えます。(以下略)」

あたしは、まがりなりにも上場企業の入社式というからには
都内のホール(中野サンプラザとかさぁ)とかでやるもんだと思っていた。
だってニュースとかでよくやってんじゃん、そういうの。

それが入社式はM湖ときた。

「M湖」って、山梨県じゃん!!東京都ですらない。
しかも合宿研修1ヶ月以上?期間は教えてくれないってどういうこと?
「合宿研修」とかいっといてタコ部屋に売り飛ばされたり、ソープに叩き売られたりするんじゃないでしょうねぇ・・・

こうして渦巻く疑問と怒りを胸に、千代子は3月末のM湖駅前に降り立ったのであった。
ハッキリ言って、3月のM湖は寒く、春の気配は全くなかった。

冷え切った気持ちで千代子はM湖駅前に立ち尽くしていた・・・

(続く。っていうかあたし、明日から名古屋出張だから来週に続く)


千代子 |MAIL
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