My eternal home


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2006年03月22日(水) 肺炎なんて。

母が肺炎を起こしてしまい、安静を余儀なくされている。
取り敢えず、薬で様子を見て、
それでも回復しないようなら入院となるらしい。(>.<)

先週の眼科通院の際、咳が出ていたので、
ちょぃと心配していたのだが、まさか肺炎とは…。
退院後、外出するのは通院の時位だったから、
抵抗力や免疫力も無くなっていたのかもしれないなぁ。

母からは“お父さんが居るから来なくて良いよ”と
言われたが、行かない訳にはいかないでしょう。
一難去ってまた一難、ふぅ〜。


2006年03月21日(火) 花より野球・祝!日本

初のWBCでは色々あったけど、
今はとにかく嬉しいの一言。
優勝が決まった瞬間、思わず涙が溢れてしまった。
あぁ〜、野球ってやっぱり良いな。

天気の良かった日曜日、そして今日も、
野球に興味の無い夫から
“春の花を観に行こう”と言われたのだが、
“花は来年も咲くけど、
WBCは3年後まで無いんだよぉ”と
きっぱり断り、野球観戦に専念。

休日、世間一般的には、奥さんが夫に
“どこかへ連れて行け〜っ”という
パターンが多いと思うが、
我が家では私が野球おやじと化している為、
こんな逆転現象が起こる。

次のオリンピック種目からは
野球が外されることが決まり、
気持ちのやり場が無かったこともあって、
今回のWBCには特別な想いを抱いていた。
一試合でも見逃したくないと…。
そんな私の想いが今日、
日本優勝という最高の形で報われたのである。

暫くはこの余韻に浸っていたいので、
今日はここまで・・・。


2006年03月16日(木) 5年目へ。

今日は母の通院に付き添い、
お昼も外食だったせいで、
帰宅したのは午後2時過ぎ。
急いでテレビを付けたら0−0で、
“よしっ、これからこれから”と思ったのも束の間、
あっという間に2点を取られてしまった。
最後に1点は返したものの...反撃はそこまで。
ふぁ〜〜〜。

もうホントに残念としか言いようが無い。
昨日の対メキシコ戦が素晴らしい試合だっただけに、
その勢いで何とか〜と願っていたが、
さすがに韓国は強かった。
アジア戦で負けて、今日も勝てなかったのだから、
やっぱり韓国の方が強いってことなんだろうな。
まぁ、メジャーリーグで活躍中の選手が集結して、
国を挙げて戦ってるってところが、
日本とは大きく異なる訳で、
これでもしマツイとかイグチが出ていたら
結果は違っていたかもしれないし…しょうがないね。
取り敢えず、明日のメキシコ対アメリカ戦で
全てが決まるので、見守るとしよう。

さてさて、日記を書き始めて、今日で丸4年。
明日からは5年目に突入する。
最近は更新も滞り気味で、
正直“続いている”とは言い難いのだが、
日記を止めようと思ったことは一度も無いので、
きっとこれからもこんな調子で行くのかな…と思う。

こんな私ですが、これからも気長に
お付き合い頂けると嬉しいです。


2006年03月14日(火) 恨めしい判定。

昨日のWBC…日米戦は全く後味の悪い試合だった。
守備側の“タッチアップが早かったんじゃないか”
というアピールはよく見る光景だが、
“そうだね〜、じゃぁ、アウト!”と
あっさり判定を覆した球審には心底...呆れてしまった。

昨日からの報道で既出の通り、
あの主審は元々“曰くあり”の人だったそうで、
そんな奴をWBCの審判員にして良かったのかぃ?

何より大体、何で主審がアメリカの人なのさ。
普通、第三国の審判員を入れるでしょう。
いくら37人中22人が米国の人でも、
残る15人から選出すれば良かったことでしょーに。
日本も事前にどうして抗議しなかったんだろ。

全く、ワールドベースボールが聞いてあきれるよ、
まるっと“アメリカンベースボール”なんだもん。
あぁ〜、忌々しい。

   *     *     *     *     *

今日は実家へ自転車で行ってみた。
ちょっと寒かったけど、
自分で漕ぐ分、体が温まるし、良い運動にもなる。
桜の頃にはまだ何日もあるが、季節になったら
花を愛でながら、また自転車で出掛けてみよう。
それまではやっぱり楽なバイクで〜♪


2006年03月08日(水) 良かった。

母の入院中、父の主夫振りは大したものだった。
今まで家事などしたことの無い父が、
普通に洗濯機を回し、ご飯を炊き、
おかずにする冷凍食品やチルド品を温めたりして、
そりゃ〜もうびっくり。

何でも、入院前の母から
“もし私が居なくなったら、
何でも自分でやらなきゃならないのよ。
娘に世話を掛けないように、
最低限の家事はしてちょうだい”と言われ、
洗濯機と電子レンジの使い方を学んだのだそう。

お陰で、毎日実家へ行くつもりだった私も、
2、3日に一回、
食事の差し入れや掃除をする程度で済んだので、
かなり助かった。

が、そんなある日、ちょっとした事件が勃発。
いつものように病院から戻り、
実家に電話を入れたら、あら話し中、
少し時間を置いて掛け直してみてもまだ話し中、
その後、何度掛けても通話不能状態だったので、
多分、受話器が外れてるんだろうなと解釈。
次の日は実家に行くことだし、
きっと大丈夫(無事)だよねぇと思いつつ、
夕方のニュース番組で
偶然“お年寄りの入浴事故多発”
な〜んてのを見てしまったものだから、
もし倒れていたら…と段々心配になって来た。
けど、外はもう暗いし、バイクを飛ばすのも
ちょっと勇気が要る。

こうなったら夫に頼るしかないなぁと携帯に連絡、
会社帰りに実家に寄ってもらうことにした。
ところが、その日に限って退社が遅く、
実家へ着いたのは夜の9時近く。(;;)
“灯りが消えてるからもう寝てると思うけど、
心配だからピンポン押すよ”と夫。
数分後、父の無事が確認でき、心底...ほっとした。
夫君、本当にありがとう♪

受話器が外れていたのは、
普段は子機を使用しているのだが、
私からの電話をたまたま親機で取った前日、
きちんと受話器を置き切らなかったのが原因のよう。
こういう状況下、
昔の電話機ならプープー音がするはずなんだけど、
今は多種多様だからね。

年老いていても両親2人で生活していれば、
私の心配もさほどでは無かったのだが、
独居の父を想うと、さすがにあの時は不安だった。
こんな時、同居の兄弟が居てくれたら…と、
勝手な話だが、ちょぃと思ってしまった。

まぁ、何事も無くてめでたし、めでたし。


2006年03月04日(土) 晴れやかに。

久し振りに、まともに一日晴れそうだ。
今日もこれから実家へ行く為、あまり時間が無いのだが、
ちょっとだけ更新。

母の入院中、病院へは毎日...顔を出した。
最初の手術日までは、電車を利用して、
その後は雨の日も風の日もバイクで。
(日曜日は、夫の運転で、父も乗せて車で行ったけど…)
洗濯物の持ち運びがあるので、
天気が悪くても電車よりはバイクの方が楽だった。
2月後半は雪こそ降らなかったが、
日々曇天、寒さが続き、
晴れの日などほんの2〜3日程度で、
全く天候に恵まれなかったなぁという印象に尽きる。
バイクにはいつも雨具(合羽)を載せてたし。

それでも、手術が成功し、順調に回復して行けば、
いついつに退院できるという目安があったので、
毎日通えた。
これがもし先の見えない病状だったら、
多分きっと...こんなに頑張れなかったと思う。

“白内障の手術って簡単なんでしょう?”と
言う人が多いが、私に言わせればとんでもない...だ。
白眼に麻酔を打ち(この時点で、もう怖いもん)、
黒眼と白眼の境にメスを入れ、
超音波で水晶体を砕いて吸い取り、
人工レンズを入れるという手術の
一体どこが簡単だと言うのだろう。
そりゃ、脳や心臓などの手術に比べたら
リスクは低いかもしれないが、
人工レンズが沈んでしまったり、
膜が破れてしまったり、
最悪、眼内炎症で失明した例もあると聞いた。
それを思うと、本当に上手く行って良かったよ。

完全にレンズが固定するまで2ヶ月は掛かるそうで、
感染症予防の為、1日に4回の点眼は欠かせないが、
“こんなに世の中が明るかったのね〜”と
喜んでいる母を見ていると、私も嬉しくてね。
昨日のひな祭り、実家の雛人形を眺めては、
親が元気で居てくれる有り難味をしみじみ感じた。


2006年03月01日(水) お蔭様で…

母の手術も成功し、無事に退院しました。
入院中、メールも気になっていたのですが、
一度繋げてしまうと、全部読みたくなって
きっと収拾がつかなくなると思い、
敢えてPCから遠ざかっておりました。

そして...今日、持っているアドレス全部のメールを
久々にチェックしたところ、
200通をも超えるメールが入っており、ビックリ。
受信箱の容量に余裕があって良かった…。
で、大切なメールだけを残し、
どうでもいいメールマガジン等はバンバン破棄。
読者さまのお便りは、
これからゆっくり読ませて頂く予定です。

今も書きたいことは多々あるのですが、
実家通い&通院の付き添い、
私自身もするべきことがたくさんあって、
落ち着くまではもうちょぃ時間が掛かりそうです。

留守中、励ましのお便りをくださった皆様、
本当にありがとうございます。
とても嬉しかったです。
本来ならば個別に返事を差し上げるのが筋なのですが、
“返事は要らないよ〜”というお言葉に
甘えさせていただきますね。m(__)m
それでも、皆様のお心遣いは一生忘れません。

試練の2月が過ぎて、今日から弥生3月。
私にもようやく春がやって来そうです。


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