生存報告―目指せたくまし道。
〜こっそりひっそり編〜


DiaryINDEX


2002年08月21日(水) ただいま鈍感中

公演前で皆の気持ちがかき立てられてるせいか自分が冷静でなくなってるせいか、人の気持ちが見えづらくなってる。いつもは静観できる周りの状況がすんなり理解できなくてちょっと不安になる。

基本的に情報を多くつかんでいるほうが安心。なのでわからないと不安になる。そんな中でもパワーがあれば突き進める。人も集まる。ついていくしかない。こんな初めての状況にちょっと戸惑っている。

何もかも忘れて、投げ出したくなる。こんなときは音楽が必要。ラジオから流れてきたのはGLAY『会いたい気持ち』。冷房の効きすぎたカフェでの一杯の紅茶の時間がほっとする。


2002年08月20日(火) 常識ない

私はときどき常識ないのか失礼なことしたり場に合ってないことをすることがある。後で気づいて嫌な気分になる。楽しさを忘れてはいけないけど楽しいだけじゃやっていけない。シビアな部分も多分に経験するんだきっと。


2002年08月17日(土) 日常

思うようにいかなかったりしてはがゆい。どうして今ここにこうしているのかわからない。常に思っていても足りないくらいなのに、何もかも忘れたくなる。


2002年08月12日(月) お盆

稽古中飛びまわっていたハエを主宰がしとめました。が、中には大量のウジが。見たくない光景でした。

お盆の時期には虫になって帰ってくるから虫を殺しちゃいけないという話を今日生まれてはじめて聞きました。そうなの?


2002年08月09日(金) キツイ言葉

"どうして自分の考えてること口に出さないの?"

"相手がどう感じるか先に考えちゃうから"

だって。何それ。思ったことそのまま言えばいいじゃない?どうしてできないの?不思議に思っていた。そんなの優しさじゃないよって。はっきり言う優しさだってある。真剣な話合いをしているときにわざわざ傷つかない言い方を考えてしゃべるほうがひどいと思っていた。

私は基本的に優しい人間ではないからそういう言わない優しさみたいなのが理解できなくて、気を遣わない言いっぷりに"キツイ"と言われまくった時期もあった。でも正直に言うことの何が悪いのかまったくわからなかった。今ならわかる。なぜだろう?ふとした会話の中で"そういうこと傷付くから言わなければいいのに"と思ったりする自分がいる。

数年たった今、そういう優しさを持つ人を探してしまっている自分がいる。一緒に過ごした中でその人の優しさは本物だと感じたから。それとも都合よくいい部分しか覚えていないのかな?


2002年08月08日(木) 川の流れのように3

話がそれました、流れの話。

それから気づくとようやく穏やかな入り江で少しだけ落ち着くことができて。自分がそんな状態になれるなんて思っていなかったから、やっと安らいだと思ったのを覚えてる。その安らぎを手ばなして、今はまた泳ぎ出さなきゃいけないと思っている。流れるプールでいつ岸から手を離そうか見計らっているかんじ。豪華客船に乗れるかな?by同じくドリカム『LOVE UNLIMITED』。

稽古場まで歩きながら"半年前はここでこうしてるなんて夢にも思わなかったよね"って話してて。私もそうだし彼女は恩師のさいごの言葉によって3ヶ月くらい前に東京に出てくることになって。同じように来年の今頃自分がどこでどうしてるかなんて見当もつかないよね。

自分が自分として生きられるこのあさきゆめを、大切な人と一緒に過ごしたいなんて感じた。いろはにほへと、この歌は"この世は美しいものもすべて朽ちてしまう 常なるものはない どんなに素晴らしいことがあっても 浅い夢を見ているようで 心安らかな境地に至ることはない"なんて自分で解釈してしまっていて、私たちが使うすべての音でこれを作れることを不思議に思った。

流行歌の歌詞とかよく聴いてしまう最近。死ぬほど好きな相手がいる人の話を聞いていて、もしかしたら恋愛できるかもしれないと思えてきた。でももう失いたくないから次はきっと人生かけるくらい本気。今はまだちょっとひとりでいたいけど。


2002年08月07日(水) 川の流れのように2

社会の中で生きるのがすごく辛いと感じていた時期、よく私の頭に浮かぶ絵があった。うねうねと曲がったどす黒い大きな流れの中を、たっくさんの人たちが溺れそうになりながら泳いでるの。陸地はなくて、何もない空間の中に流れだけが存在している。休みたくても、ほんの小さな岩もない。流れはかなり速くて周りの人の頭を踏み台にして息を吸おうとする人もいるし、手をつなぎ合っている人たちもいる。

もしも絵が上手かったら描いてみたいと思うけれど、到底ムリ。どこかの国の美術館である宗教画を見たとき、それに少しだけ似ていると感じたのを覚えているけれど。流れに負けて沈んでしまう人もいる。でも他人のことなんて気にしていられないほどそれぞれが必死で、呼吸をするだけでせいいっぱい。

当時の自分の状態は、そんな状況の中でも背負ってくれる人がいて。負ってもらいながら必死に沈まないようにもがいてる。そしてその人と別れた後、その流れの絵は私の頭から消えた。その頃はまさに"沈没船のモンキーガール"←byドリカム『Delicious』。流れなんて感じなかった。聴くだけで涙が出るほど聴いていたのは『真夏の果実』。

このとき初めて、母がクリスマスをひどく嫌う気持ちがわかった。伯父が亡くなったのはクリスマス・イブで、祖父母にも愛され母も慕っていた伯父が亡くなったとき相当悲しかったという話を聞いても、近しい人がなくなった経験のない私にはピンと来なかった。

状況は全然違うけれど愛している人がいなくなったのは同じで、この曲を聴くだけで涙が込み上げ、本当に1日以上涙が出続けた。涙がかれるほど泣いた経験。このことがあって、クリスマスという特殊な時期にそういうことを経験した母がクリスマスという行事やクリスマス・ソングを嫌う理由を、身をもって理解した気がした。


2002年08月06日(火) 川の流れのように1

サランラップのCM。

おばあさん"今のうちに伝えておきたいことがある、人生とは愛とお金だ"
おじいさん"今になって思うんだけど、人は別れるために出会うんだ"
これはサランラップのCMだから"それっぽいこと"を真面目に言うことに意味があるけど、端的な言葉で表すのって難しい。"万物は・・・"とかもいろいろあったよね。

よく人間って地球の寄生虫みたいだなあとかダークに思ったりするのですが、この星が爆発したりしない限り人間とそのつくり出してきたものすべてを消し去ることはできないってすごいことだなあと思う。この星に住みついて自然と相容れない文明を築き続けてきてしまった私たちにも想いはつながり合って消えることは無い。

逆に私たちがどんなにいろんなものを造っても雑草はのびるしツタも這い、人工物は色あせ朽ちる。何百万年と経てばすっかり自然のままになれる。私たちにとって生きられる環境・気象じゃなくなれば生命は続かない。そんな中で今こうやって生きていること。

すべては大きな流れ、そんな想像をしていたことをふと思い出した。


2002年08月05日(月) 無意識の支配感覚

日曜の深夜はNHK『映像散歩』。クラシック音楽が自然の映像とともに流れる何とも癒される放送。今日のは皆が絶対聞き覚えのあるヨハン・シュトラウスのワルツで、外国人の男女が踊り疲れないかと心配になるくらいくるっくるくるっくる森や草原を踊り回っていました。

それにしても私たち日本人は日本の伝統音楽が流れるとこの国に生まれ育ったことを感じますが欧州の人たちも同じようだとしたら、自分の先祖の築き上げた文明が世界を支配していて自分たちが世界の上に覆い被さっているような感覚なのだろうなと思いました。

これまた日曜のお気に入り番組TBS"情熱大陸"では村上隆さんの新感覚アートに対してフランス人のおじさまが"私たちは自分たちの歴史ある芸術にあぐらをかいている"みたいなことを言っていたのもそういうことなのかなあと。


2002年08月03日(土) ボケつっこみの修行がしたい

北沢タウンホールで友人の知り合いが出ている『首長族ノ顎長男2』を観てきました。内容盛り沢山!場内超寒でしたがやっぱりお笑い(?)って素晴らしい!もっと近くで見れたらよかったけど、かなり満足。またお気に入り公演が増えてうれしい。


2002年08月01日(木) マン・トゥー・マン

自分の気持ちを言葉にして考えるのは苦手。

形無いものを言葉で意味づける必要ってあるの?

曲がって伝わってもいいの?

結局本当のことは伝わってないじゃない。

言葉にしないと伝わらないコトもある。

ただそれだけでココロがじわわんとする ぬくもりが愛しい



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