だいありー

2017年04月15日(土) いつかはお別れが来る日・・・Yママ、ありがとうございました

昨年12月、千葉のYママさんが調子が悪いと
メールが来ました。
食道炎になって、沁みて痛くて食べれず、
そのうち飲み込むのがやっとという状況に
なったので、スープやプリンやゼリーを
口にしているとありました。
だからぱんちゃんは二子玉川の高島屋に
行ったときに鎌倉山やホテルオークラの
固形物が入っていないスープやポタージュを
送りました。
その時にお礼のメールで、

汚い話なんだけれど、1週間便秘で
無理矢理に出したら切痔になり、出血が酷く
痛みもあり、寝込んでいる


とありました。
年が明けてから近くに住んでいる妹さんが
久しぶりにデパートに連れて行ってくれたと
メールが来て、

お寿司を1巻食べたんだけれど
むせてどうしようもない


とありました。
病院はお母様の代からずっと新橋にある
慈恵医大病院で、12月にご本人も
行ったんですが、医師から

即入院

と言われたのにずっと断っていて。
キタムラで可愛い雪の結晶のトートバッグが
出たので私はネイビーとシルバー両方持って
いますが、1つシルバーを買い、Yママに
元気になってもらいたくて横そごの
キタムラのお店から送りました。
とても喜んでくれて病院にそれを持って
行ってくれたんですって。
でも、一向に良くならなくて、痩せる一方。
元々スリムな方だったので、娘さんも
見るに見かねて無理矢理に病院に連行。
即入院となりました。



それから2ヶ月後・・・Yママが天国へ逝きました。



そういえば一昨年も食道炎で喉が沁みるって
言ってたっけ・・・。
食道がんだったのかもしれませんね。
食道がんってね、初期の段階で喉が沁みるんだって。
でもそれが消えるため、病院に行かない人が
多いんだそう。
ママもそうだったのかも・・・1年後、
喉に食べ物が通らないのは、
食道炎が酷いんじゃなくて、癌が食道をふさいで
いたからなんじゃないかな。
便秘だったのは食道がんの大腸転移だったのでは??
だから速攻入院して2ヶ月で逝ってしまったという
末期だったのでは??

本当にお優しい方で、人の心に寄り添える方でした。
お料理が大好きで、若い頃にボストンにピアノ留学
された方ですから、個人でピアノレッスンをしており、
生徒の中にはコンクールに出る子もいました。
可愛い物が大好きで、特にペコちゃんと靴&ブーツに
目が無いんですね。
買って来ると家族みんなから「また〜?」と
呆れられてしまう程、大好き。
ストッキングもタイツもブーツに合うように
レース柄とか良く買っていたようで、私も頂いた
事があります。
・・・誕生日のプレゼントだったかな。

私の父の命日とお盆には必ずフルーツの供物を
送ってくださり、時季物を良く送ってくださいました。
北海道からはアスパラ1箱、関西からは丹波の黒豆の
枝豆、そして銀座に出ると漬物セットや湯豆腐セット、
水茄子の糠漬けなど本当にビックリするくらい
気を遣ってくれ、海外に出ると必ずお菓子や
コスメをお土産に送ってくれました。

お仕事を辞めて、ずっとこの半年、来まらなくて。
会社見学で嫌味を言われたこともあり、
それ以上に派遣なのに年齢で社内選考で落とされる
という不条理に、Yママに愚痴ったこともあります。
そんな時、Yママは

「Reimieさん、スマイル、スマイルですよ」

そう手紙が帰って来ました。
元々は宝塚が縁で知り合った方で、初期の頃は
そんなに仲良しではありませんでした。
時折お手紙や毎年年賀状が来る・・・そんな
関係でしか無かったんです。
でも、可愛らしい少女のようなYママさんと
おっさんな性格の私は次第に距離が縮まって。
娘さんの赤ちゃんの頃の話、息子さんの話、
ご主人の会社が公的資金を投入しての再建を
果たした時には陰になりご主人を支えていました。
土日も休みなしで会社に出てヘトヘトになって
帰宅するご主人を心配していましたし、
マスコミの朝駆け夜打ちにも対応しました。
色々な人もいて批判ばかりする人も沢山いましたが
マスコミが余りにも酷い記事を書かなかったのは、
奥様方がマスコミ対応をきちっとされていたからだと
私は思っています。
冬の寒い時、朝、出勤時のご主人を狙って
鶏が鳴く頃から家の近くを張り込んでいる記者、
帰宅を待って夕方から夜中まで張り込んでいる
記者もマスコミでは普通の事。
Yママはそんな時、家に招き入れて食事を
摂らせていました。
身体が温まるからと、その話を手紙で知り、
私も叙々苑のキムチ鍋のスープを送った事も
あります。
やはり思った通り、マスコミの方にご馳走して
身体を温めて貰ったとお礼のお手紙が来ました。

常々、Yママは

私は夫がいないと何も出来ない人なんですが、
本当に夫が大好きなんです。
だから生まれ変わっても、また夫に巡り合いたい。
そしてまた夫のお嫁さんになりたい。


そう手紙やメールに書いて来ていました。
娘さんが結婚された時も、書かれていました。
その時は

A(娘さんの名前)もお相手の方と来世もまた
めぐり逢いたいと思える、そんな夫婦でいて欲しい


と書かれていました。
私が昨年、思いがけず手術をすることになった時も
入院の準備にと色々と送ってくれましたし、
退院した時も「おめでとう」と色々と送って
くれました。
本当にいつもいつも貰いっぱなしな私でした。

急に入院されたので、お見舞いも送れず、
病院で使えるような品も送れませんでした。
ご主人は昨年の夏から単身赴任で海外に転勤に
なったから、荷物を受け取る人がいないのです。
病院に送るわけにもいきませんし・・・。
お見舞いに行こうかどうしようか迷ったんですが、
仕事が決まらないプーなので遠慮することに。

行けば良かったと後悔しているんです、今。

1月にはご主人の元に会いに行く予定でしたが
体調がすぐれないからとキャンセル。
2月4日に入院し、3月上旬にご主人が急遽
帰国されました。
ママさんとても喜んでいて、メールには

「昨日は夫と涙の再会。
こんなはずではなかったのに・・・
でも嬉しかったです」


とありました。
丁度3月に入った頃、娘さんから雛あられが
送られてきました。
お父様が帰国されて、先生と今後の治療の事で
説明を受けます・・・とメモがあり、
お礼のメールが戻ってきてしまいましたので、
Yママにお願いして娘さんにメールを転送
して頂きました。
・・・この時にママさんからは

昨日から流動食の重湯とお味噌汁が出ました。

とメールにありました。
ああ、口から入るなら退院が近いと思っていたのに、
3月の終わりに仕事が決まったので、
心配をかけてしまったYママに1番に報告のメールを
しました。

食事は摂れていますか?  という問いに

また点滴だけになりました

と・・・。
この時から私も「変だな・・・」って思うように。
いくらなんでも食道炎で2ヶ月も絶食なんて
あるだろうか??
そう思ったんです。
そして・・・。
4月6日・・・お昼時間にスマホを見ると
メールが入っていました。

ご主人からのメールでした。

急なお知らせ・・・とあり、本文には

妻Yが危篤状態に陥り、今、集中治療室にて
治療を受けております。
今晩がヤマとのことですが、私も明日の朝
日本に帰国にしますので、詳しい事が判り次第、
ご報告いたします。


とありました。
口に入れた物を吐き出す勢いでむせて驚きました。
・・・やっぱり・・・とは、思わなかったです。
この状況におかしいなと思ったのに。
だって、治ると思って信じてたもん。

だから娘さんにメールを打ちました。
今お父様からメールを頂きましたって。

治ると信じてる。
絶対にヤマを越えて笑顔を見せてくれると
信じています。
だから頑張って。


・・・命を削る戦いをしているのに
頑張ってはないだろうと思ったのだけれど、
それ以上の言葉が見つからなかったの。
娘さんからは

ありがとうございます。
隣で懸命に頑張っています。


と。
そして、夜にはご主人に励ましのメールを。
そして返信は不要と出しました。

土曜日。

私宛のメールはありませんでした。
ヤマを越えたんだ。
ママ、戻ってきてくれたんだ。

・・・ホッ=3 としました。

でも、日曜日(9日)の夜8時頃。
食事中に私はくしゃみを2度、そして鼻血を出しました。
その20分後、娘さんからメールが届きました。




先ほど、母が息を引き取りました。
今まで母を思ってくださってありがとうございました。





凄いショックで、立ち直れそうもなかった。
・・・っていうか、また食事中か。(^^;)
私が食いしん坊だって、Yママ知ってるからかな。
くしゃみは知らせなんだろうね。
ママが千葉に新橋から戻るのは、
日付が変わるだろうから、娘さんにメールを出しました。

ママが常々、私に手紙やメールで

夫が大好きなんです。
また生まれ変わっても夫と出会い、
夫のお嫁さんになりたいです。


そう書いてあった事をお伝えしました。
そしてご主人が間に合い、最期を看取れたことは
本当に良かったと書きました。
そして。
Aちゃんも本当によく頑張りましたね、
ありがとうございました。
と、書きました。

朝、返事があり、メールを読んで涙が出たと。
お父様にメールを読んで貰ったとありました。
夫が大好きだと公言出来るのは、
とても仲睦まじい証拠です。
こういうことって面と向かっては中々
言えないでしょうから、ご主人はこんなにも
妻が自分を思ってくれていると知らなかったかも
しれませんし。

ご葬儀はご本人の希望で家族葬にしたいという事で、
葬儀が終わり次第、ご主人はまた海外の赴任先に
戻らないとならないとのことでしたから、
お花もお香典も送らない事になりました。
せめてお寺さんだけでもうかがって、
お寺さんにお願いしてお花とお線香、そして
お寺さんには「心ばかり」のお布施をして・・・
そう思ったんだけれど、ひっそりとお願い。。。と
言ってYママは天国に逝かれたので、
それもしつこく聞くことは辞めました。
時が経って、娘さんにメールをしてみようと
思います。

海外赴任のお話は3年前からあったのに、
ママの実母が亡くなり、ご主人のお母様が亡くなった
ことで、Yママがご主人の背中を押しました。
ご主人はその頃、ご自分のお母様やYママを残して
単身赴任は行きたくないと言っていたのです。

私は大丈夫だから

そういって送り出したのに、毎日スカイプで
話をしているのに寂しくて、不安で、
メールや手紙に

寂しい

と書かれていました。
2年と言う期限付きだから、来年帰って来るご主人。
ママ・・・もっと頑張れば、また大好きなご主人と
一緒にいられるのに。
ご主人が帰って来た時、家には誰もいないじゃない。
1人ぽっちになってしまったじゃない。
酷いよママ、私も、娘さんも、ご主人も、息子さん達も
お孫さんも、姪っ子も、皆悲しいじゃない!



それからずっと、私は何もやる気が出なくて。
仕事はね・・・仕事だから普通に笑顔でいるけれど。
帰り道で聴くウォークマンからはいつもの
アップテンポな曲では無くて、Yママと同じ宝塚で
お友達になったMちゃんから紹介された
Thomas Ottenを聴いていました。
グレゴリアンやリベラなども。

実はね、ママ、会いに来てくれたんです。
荼毘に付される前日の夜中に。
ずっと眠れなくてね、ショックで。
気配でね、判りました。
私は見えないんですけど、女性の影だったんです。
私のママさんがトイレに起きてきたんじゃない。
足音もなく、私の顔の横に来て、そして逝って
しまいました。
ご挨拶する方がきっとたくさんいたのでしょうね。

朝・帰りの道すがら、半べそかきながら歩き、
きっとすれ違う人は変に思ったろうな。。。
今は少し気持ちが落ち着いて、上を向き初めています。




ママ、本当にありがとう。
まだ信じられないけれど、たくさん、たくさん、
愛をありがとう。
そして。
会いに来てくれてありがとう。

また来世で会いましょうね。



合掌


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