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JIROの独断的日記
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2008年08月09日(土) 今日(8月9日)は、「北京オリンピック2日目」である以前に、長崎に原爆が投下された日である。

◆日本人なら忘れてはいけないですよね。

8月は夏休みの季節だが、悲しいことが沢山ある月でもある。6日は広島に原爆が投下され、

11万人が一瞬にして、蒸発した。

今日9日には、長崎に原爆が投下された。(戦争とは無関係だが)12日は日航123便墜落の日。15日は終戦記念日である。

日本がポツダム宣言の受諾を拒否したため、アメリカは原爆投下を決めた、というのが、長い間、「常識」

と、されてきた。


しかし、2年前、「暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏 (単行本)」という本が世に出て、真実が明らかになった。

アメリカは、日本がポツダム宣言を受諾しようがしまいが、原爆投下を決定していたのである。


◆トルーマンが原爆投下の第一報を受けたときの反応。

「暗闘」や、著者に関しては、二年前に書いたココログはこちら)ので、詳しいことはリンク先をお読み頂きたい。

この本で、気分が悪くなるほど腹が立つのは、トルーマンが広島への原爆投下の報告を受けたときのことである。

トルーマンは、広島で11万人が蒸発した頃、ポツダム会談を終えて米海軍重巡洋艦「オーガスタ」にいた。

オーガスタは大西洋上を西に向けて帰国する途中だった。

不愉快きわまりないのは次である。
英国プリマス軍港を出航して四日目、ランチの最中、海軍士官が一枚のメモをトルーマン大統領に渡した。

原爆投下成功の知らせであった。その時トルーマンが示した反応は、

ほとばしるような歓喜であった。

後にトルーマンは原爆投下は苦渋の決断だった、と記しているが、大嘘だったのである。


◆何故、二回も原爆を投下しなければならなかったのか。

原爆投下後の広島の惨状は、米国側も十分知っていた。

にも関わらず、3日後、何故長崎に二回目の原爆投下を実行したか。

人体実験だったのである。原子爆弾が人体や建造物に与える影響を知るためである。

科学(嫌な科学だが)においてデータの信頼性を確保するには、少なくとも二回の実験を行い、

比較しなければならない。だから、長崎に2発目を落としたのである。

戦争を終わらせるため必要だった、と言うのもウソである。何故ドイツには原爆を投下しなかったのか?

あっちは「白人」だからである。

日本に投下したのはレイシズム(人種差別)に基づく選択である。


◆次から日米首脳会談は、広島か長崎でやったらどうだろう。

来日したアメリカ大統領で原爆資料館を見た奴、いないだろう。

ブッシュはもはや任期終わりが近い、lame duck(任期を終えても再選に出馬しない大統領)だが、

次期大統領の初来日から、日米首脳会談は、広島の原爆資料館の中で開催したらどうだろう。

別に謝罪を要求しているのではない。歴史的事実を知って貰いましょう、ということだ。

◆私事で恐縮ながら、8月10日は、私の誕生日です。

おかげさまで、48になりました。今後ともよろしく御愛読のほど、お願い申し上げます。

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2007年08月09日(木) 「小沢VS米大使 政権担当能力に疑問符がついた(8月9日付・読売社説)」←読売論説のバカさ加減にあきれる。
2005年08月09日(火) ディスカバリー無事帰還。←よかった。本当によかった。
2004年08月09日(月) 「3次要員クウェート入り 陸自復興支援140人」サッカー騒ぎは陰謀だったりして・・。
2003年08月09日(土) 死ぬ自由。
2002年08月09日(金) 長崎市長は偉い。

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