JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆最近、123便、ボイスレコーダー で検索して来る人が多いが、 ここ数ヶ月、アクセス解析を見ていると、「123便」、「ボイスレコーダー」(又はCVR=コクピットボイスレコーダー)などのキーワードで検索して来られる方が多いようだ。 ◆墜落したあとに本当の悲劇がある。 123便が異常を感じてから墜落するまでは、僅か30分である。 上でリンクした、フラッシュと音声との合成サイトはさらにそれを縮めている。 だが、事故に関わった人々、遺族は言うまでもなく、遺体を検屍した、地元の医師、歯科医、遺族との交渉に当たって、過労死した日航職員、もう、とても語り尽くせない。 日航123便の地獄は、1985年午後6時23分から墜落するまでの30分だけではなく、それからの数日間、数ヶ月間、数年間にも亘って続き、遺族にとっては今も続いているのだ。 「あの30分」だけを聞いて、分かったような気持ちになるべきではないし、分かったようなことを言ったり書いたりすべきではない。
墜落遺体、日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時、沈まぬ太陽(山崎豊子)全巻、勝者もなく、敗者もなく(松原耕二著、TBS記者。なお、123便のみを取り上げた本ではない)。
2004年08月12日(木) 「マリコ 津慶 知代子 どうか仲良くがんばってママを助けて下さい」今年もやってきた。8月12日。
JIRO
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