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JIROの独断的日記
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2005年08月12日(金) 日航123便はあの30分が全てではないのだ。

◆最近、123便、ボイスレコーダー で検索して来る人が多いが、

 

 ここ数ヶ月、アクセス解析を見ていると、「123便」、「ボイスレコーダー」(又はCVR=コクピットボイスレコーダー)などのキーワードで検索して来られる方が多いようだ。

 ある程度の年配の方は、あの事故の悲惨さがあまりにも強烈に脳裏に焼き付いているから、今更、そういうことはしないだろう。

 多分若い方々であろう。

 無論、事故の真相を知ろうとすることは自由である。しかし、真摯な態度が望まれる。

 5月21日の日記でリンクした、音声とFlashを合成したサイトを見た人も多いだろうが、単なる興味本位では困る。

 リンク元を辿ってゆくと、このサイトのことを「面白いから、一見の価値あり」というような書き方をしている奴がいたが、匿名でも冗談でも口が裂けてもそういうことを書いたり言ってはいけない。

 今夜、123便の話はドラマとして放送されるらしい。あの悲劇をドラマなどにして良いものかどうか分からない。


◆墜落したあとに本当の悲劇がある。

 123便が異常を感じてから墜落するまでは、僅か30分である。

上でリンクした、フラッシュと音声との合成サイトはさらにそれを縮めている。

 だが、事故に関わった人々、遺族は言うまでもなく、遺体を検屍した、地元の医師、歯科医、遺族との交渉に当たって、過労死した日航職員、もう、とても語り尽くせない。

 日航123便の地獄は、1985年午後6時23分から墜落するまでの30分だけではなく、それからの数日間、数ヶ月間、数年間にも亘って続き、遺族にとっては今も続いているのだ。

「あの30分」だけを聞いて、分かったような気持ちになるべきではないし、分かったようなことを言ったり書いたりすべきではない。


◆少なくとも次の本を読まれたい。

 

墜落遺体日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時沈まぬ太陽(山崎豊子)全巻勝者もなく、敗者もなく(松原耕二著、TBS記者。なお、123便のみを取り上げた本ではない)


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2004年08月12日(木) 「マリコ 津慶 知代子 どうか仲良くがんばってママを助けて下さい」今年もやってきた。8月12日。
2003年08月12日(火) 「西部警察」ロケ中、5人重軽傷=見物人の列に俳優の車−名古屋 石原プロは解散してはどうか。

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