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2005年05月21日(土) |
「日航、今日だけで、機体のトラブル2件」 JALは本当にヤバいのではないか。 |
◆記事1:エンジン異常燃焼、日航機が伊丹空港に緊急着陸
21日午前8時40分ごろ、日本航空の大阪(伊丹)発長崎行き2371便(MD―90型機、乗客166人)が離陸直後、2つあるエンジンのうち右側エンジン内で異常燃焼を示す計器表示が出たため、飛行中に急きょエンジンを停止するトラブルがあった。
同機は左側エンジンだけで飛行を続け、同9時すぎに伊丹空港に緊急着陸した。乗客にケガはなかった。
同機は片側のエンジンだけでも離着陸できるよう設計されている。日航でトラブルのあったエンジンを調べたところ、異常燃焼が起きた跡があったという。日航は別の機体を用意し、約2時間15分遅れで出発した。(読売新聞) - 5月21日11時19分更新
◆記事2:広州行き日航機が臨時着陸=防氷装置に不具合表示−関空
21日午前11時35分ごろ、名古屋付近上空を飛行中の成田発中国・広州行きの日本航空603便ボーイング767−300型機で、エンジンや機体に付く氷を溶かす「防氷装置」の不具合表示がつき、午後0時3分、関西空港に臨時着陸した。乗客乗員80人にけがなどはなかった。 (時事通信) - 5月21日19時1分更新
◆コメント:日航さん、123便から20年目でしょ?
最近、異常に航空機関連のトラブルが多いことを、5月9日に指摘した。
国交省は、4月20日から日航に立ち入り検査に入っている。
監督官庁の検査中は、どんな業界でも、普段よりも緊張感が高まり、ミス、トラブルは少なくなるか、全く起きなくなるのが普通なのだ。
ところが、日本航空は、全く国交省など眼中にないかの如く、当局検査開始後もトラブルが相次いでいる。
◆コメント:考えられる原因 。
今日の緊急着陸のうち、記事2の1件は、防氷装置の異常を示すサインが計器に表示されたので、念のため、関空に着陸したというものだ。
今の季節の日本では可能性が低いが、飛行機の翼に氷がこびりついたままだと、離陸に必要な揚力が得られず、墜落することがある。
1982年1月13日、ワシントン・ナショナル空港から飛び立ったエアフロリダ社のボーイング737が、離陸後、上昇できず、滑走路の先にある凍りついたポトマック川に墜落。
あまりの低温に体力を奪われ、当初生きていた乗客も次々に亡くなった。
この飛行機の、CVR(コクピット・ボイス・レコーダー)には、離陸前に、冬期飛行の経験の乏しい機長が、副操縦士から「アンチ・アイス(防氷装置)は?」と訊かれ、即座に「オフ。」と答えている音声がはっきり残っていた。
だから、今日は大して問題でなかったのは、既に5月の暖かい季節だったから、という結果論に過ぎず、これが真冬だったら、「墜落につながる、重大な整備上の不備、または、機体の欠陥」になったかも知れないのである。
もう1件は、最も重要なエンジンのトラブルで、本来あってはいけないことである。
飛行機の整備を行うのは航空整備士であるが、最初から資格を持っているわけではなく、まずは現場で4年以上の実務経験を積んで、初めて、国家資格である「一等(又は二等)航空整備士」の試験を受験できる。
一等整備士は旅客機。二等整備士はセスナなどの小型機の整備にあたる。
航空各社は、エンジンに関しては、一等整備士が点検しなければならないことにしている「はず」なのだ。そこがどうなっているか。
そして、一等航空整備士といっても、全ての飛行機の整備士としているわけではなく、機種毎に限定されている。
例えば、ボーイング777の一等整備士の資格だけしか持っていない者は、他のメーカーは勿論、同じボーイング社の他の機種に関しても、「一等整備士」として認定されないのだ。
そういうことが、厳密に遵守されているか?
遵守されていて、なおかつ整備不良が起きるのであれば、いくつかの可能性が考えられる。
一つは、整備士の試験は通っているものの、実際の整備士の技量が低下していること。
もう一つは、整備士の「やる気」が無くなっていることである。
もしも、そうだとしたら、容易に考えられる原因は、コクピットクルー(パイロット)・CA(客室乗務員)と地上職(整備士のみならず、本社で事務をとったり、予約業務に携わっている女の子など)との給与格差が大きすぎるために、地上職が「やってらんねえよ」という気分になってしまった、ということである。
特に日航は、昔から、この問題で、経営陣と地上職の組合がもめているのは、有名な話なので、気にかかる。
◆コメント:航空関係者はもう一度、123便のCVR(コクピット・ボイス・レコーダー)を聴いてみるといい。 日航、このままだと本当にまずいよ。
決して、123便の事故を興味本位で語るつもりはないが、この音声だけは、何度聞いても、胸が苦しくなる。
しかし、いくら辛くても、聴いてみるべきだ。
油圧系統が全く作動しなくなり、要するに、ハンドルが効かなくなった車を動かしているような状態だった、123便のコクピットクルーは、多分、異常が起きた、1984年8月12日18時23分のすぐあとには、「これは、もうダメだ」と直感していたはずである。
にも関わらず、ボイスレコーダーに残された会話は、墜落する、まさにその直前まで、彼らが全力で機体の体勢を立て直そうと懸命な努力を完遂したことを、はっきりと物語っている。
墜落10数秒前まで「あたま(機首)上げろ!」、「パワー!」と矢継ぎ早に叫び続けた高浜機長。そして、副操縦士、航空機関士は立派だった。
123便の飛行ルートがフラッシュで表示され、それに音声がシンクロさせてある日航機墜落までの軌跡というサイトがある。
ここに残っている生々しい、悲しい音声を、航空関係者は、もう一度聴いてみるべきだ。
2004年05月21日(金) 「京都議定書批准を急ぐ ロシア大統領が言明」遅いのだよ。皆、分かっていない。
2003年05月21日(水) 「松浪議員「暴力団と知らず」=給与肩代わりを陳謝、辞職は否定−政倫審」知らない訳が無いだろう。