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◆「プロ」と「アマチュア」の境界があいまいである。
以前、拙文を読んで下さった読者の方から、「近頃の世の中、プロとアマチュアの境界が曖昧になっていると思わないか?」というお便り(メール)を頂戴したことがある。
大いに同意した。これには、大きく分けて、二つの側面がある。
◆プロの力量の低下
如何なる人も、自ら職業に関しては、プロである。
プロはアマチュアと比較にならないほどの知識・技術・識見を持っていて然るべきだ。
ところが、最近の世の中では、なんで、この人物がプロなんだ?というケースに度々遭遇する。
分かりやすい例を挙げるならば、私が度々音楽に関する稿で書いているとおり、専門的な音楽教育を受けていない私ですらはっきりと認識できるほど、誤った音程で歌を歌い、しかもそれが、CDになって売られている。
堅気の仕事では、車のディーラーとか、銀行の窓口とか、それぞれの分野のプロであるはずの人間が、当然即座に返答出来なければならないような、顧客の質問に答えられず、「エーと・・・」などといいながら、のんびりマニュアルをめくったり、PCの画面で確かめたりしている。
そのようなことは覚えていなければいけないのだ。
国会議員の「先生」方はこれは、今に始まったことではないが、国会という「国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関」の構成員であるにも関わらず、法律というものを知らない。
国会議員たる者、少なくとも国の最高法規である日本国憲法は隅から隅まで理解して、覚えて、主な判例を記憶しているのが当たり前だと思うのだが。
現実には、憲法の試験を現職の国会議員に課したら、99%は落第するだろう。
このような連中が、一定期間、座っているだけで、一般国民よりも優遇される議員年金などというものを受け取ってよいのだろうか?
国政の最高責任者である内閣総理大臣は、一昨年12月9日、自衛隊をイラクへ派遣することを閣議決定した後に記者会見を開き、その席上で日本国憲法前文を「朗読」していた。総理ともあろう人物が憲法も覚えていないのか?
また、1月29日に書いたが、我が国の首相は、国連憲章という最も重要な国際法が武力行使を原則禁止していることも理解していない。
さらに、日米安全保障条約は「国連憲章を尊重する」旨を第1条で明記していることも知らない。
そして、さらに、小泉首相は、イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(いわゆる、イラク復興支援特別措置法)などという、全部でわずか21条と附則からなる、短い法律において、「非戦闘地域」がどのように定義されているかを答えることすら出来なかった。要するに、何も知らない。これでは、アマチュアと変わらないではないか?
アマチュアが国家の指導者の地位にとどまって良い訳がない。
◆プロ意識の低下
上の段落で述べた「プロの力量の低下」をもたらしたのも、「プロ意識の低下」が原因であるが、ここで云おうとしているのは、また、別である。
つまり、プロたる者は「プロは上手くて(知識・技術を身につけていて)当然。アマチュアは下手で、当たり前」という意識を常に保持していなければならない。
◆ "Everything is relative"(全ては相対的である)。
唐突に何を言い出すのだ、と思われるかも知れないが、それぞれの分野でのプロががプロで居られるのは、他の人たちが、その分野において、アマチュアで居てくれるおかげである。
またまた分かりやすい例を用いれば、プロの音楽家や役者や画家が、プロで居られるのは、他の人がヘタクソだからである。
美人モデルさんがモデルでいられるのは、世の人々の大半は美男美女ではないからである。
他の職業も全て同様である。
仮定上の話(現実にはあり得ないが、ということ)だが、国民が全て医師と同等の医学知識と技術を持っていたら、医師が存在する必要はない。
皆が金融商品や債券投資に関してプロ並の知識と情報を持っていたら、ファンドマネージャとか、ファイナンシャル・プランナーの存在意義は無い。
国民がプロ野球選手並みに、野球が上手ければ、野球選手は何の取り柄もないでくのぼうである。
◆素人さんはお客様だと感謝すべきなのである。
インターネットの掲示板などの議論に加わることは、もう私もいい年なので、しないけれども、見ていてつくづく思うのは、上述した「アマチュアは、プロにとってお客様である」という意識を持っていない、若い衆が大変に多いという事実である。
プロの音楽家や、プロの翻訳者や、プロの医療従事者や、プロのコンピューターエンジニア(言葉が違ったらごめんね。云いたいこと分かるでしょ?)や、それになりかけの人が、初心者や、アマチュアに向かって、暴言を吐いている。「そんなことも知らないのか」と。
これは、とんでもないことなのだ。「プロとは何か」が分かっていない。特に、人に頭を下げる必要のない職業についている人たち、及びその予備軍に、この傾向が顕著である。
◆これを手本にせよ
「同時通訳の神様」、村松増美氏と小松達也氏が、素人のサラリーマンに、英語の学習法をアドヴァイスした、サイマル出版会刊「ビジネスマンの英語」という本がある。
今、Amazonや楽天を見たら残念ながら絶版になっていたが、古本屋をあちこち回ればみつかるだろう(神田の古本屋街は世界最大の書店の街である。本好きの日本人なら、一度は行って見ることをお薦めする)。
この本の冒頭で、村松増美氏は「日本のビジネスマンの多くは、英語をマスターするのに大変苦労しておられる。私達はプロだから、英語が上手いのは当たり前である。だから、『どうして貴方達はそんなに英語が下手なのですか』という言い方は大変失礼にあたる。そうではなくて、自分たちがプロになる過程で散々苦労した経験から何かお役に立つアドヴァイスを差し上げることが出来れば幸いである」と書いておられる。これこそ、「プロ意識」というものである。
村松氏は、実際の通訳の場面でも、常にプロ意識を保持している。
たとえば、逐次通訳で、英語の発言者がスピーチにジョークを混ぜる。通訳者の村松氏はその可笑しさが分かる。しかし、聴衆は分からない。
このような場合でも、村松氏は決して自分が先に笑わないように気をつける、という。
何故か?
自分が先に笑ってしまったら、日本人の英語が分からない聴衆(アマチュア)に対して、「貴方達は、今のジョークのおもしろさが分からないでしょう?私はもう、分かっているんです。それをこれから、訳してあげますからね」という姿勢になり、大変、無礼だからだ、というわけである。
繰り返すが、こういうのを「プロ意識」というのである。
凡そ職業人、或いはそれになりかけで、高度な専門知識を有する人ほど、人を見下しやすい。
村松氏の言葉を肝に銘じるべきだ。
2004年02月01日(日) 「合格して、泣こう」今日だけは、私事を書きます