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JIROの独断的日記
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2004年11月20日(土) マスコミのセンセーショナリズムと、それに影響されやすい世論に関する所見

◆奈良の殺人事件

 

 奈良で起きた、残虐な少女殺人事件は、言語同断であるが、マスコミが伝える情報を読んだり、聴いたり、見たりしていると、果たして、ここまで犯行の詳細を報道することの意義はあるのか、ということに疑問が湧く。

 少女が浴槽に顔を押しつけられた溺死したらしいとか、裸にされた痕跡がある、とか、身体に傷がある、とか歯を抜かれていた、というような事実を一般国民が知っても、騒ぎ、嘆きはするけれども、どうせ、すぐに忘れる。

 別の言い方をすれば、犯行の詳細を一般国民が知る必要があるのか。知ることによるメリットがあるのか。逆に言うと、歯を抜かれたことを知らなかったことにより、国民は何らかのデメリットを被るだろうか?

 国民が知るべきことは、小学生の女の子が、男性に声を掛けられて、自らその車に乗り、結果、殺された。ということで十分ではないか。

 自分に子供がいる人ならば、想像してみるといい。自分の子供が酷い殺され方をしたとして、その詳細をテレビや新聞で、全国に言いふらして欲しいだろうか?私なら、いやだ。子供の死を徒(いたずら)に大衆の好奇心の対象にされるのは、死者への冒涜と感じるだろう。


◆模倣犯を生む危険がある

 

 犯罪の手口を詳細に伝えるのに反対なのは、これに刺激されて、同種犯罪を試みる輩(やから)が出てくることをおそれるからだ。
 この問題は、以前、「集団自殺」と「通り魔」は報道しない方がよいのではないか。という稿を起こしたので、そちらをご参照頂ければ幸いである。


◆マスコミのセンセーショナリズムと人間の記憶

 

 マスコミ、特に民放テレビ局は「視聴率が全て」である。

 殺人事件の犯行の手口などという、如何にも一般大衆が興味を持ちそうな事件ばかりを伝える。すると、つい先日まで採り上げていた、新潟中越地震についての情報量は明らかに減る。これは、今は、「殺人事件」の方が視聴率が取れるからである。

 しかし、新潟では、避難所生活をする人はかなり減ったものの、まだ1万人もいるわけであるし、資金的援助はいくらあっても良いはずだ。このことを多くのひとは、つい忘れてしまう。

 人間の記憶は、何でもかんでも覚えていられない。それはやむを得ないが、奈良で、殺人事件が起きて、テレビが多くの時間を割いたからといって、新潟を忘れてしまう、というのは、好ましいことではない。


◆世の中ではいろいろな出来事が平行して起きている、という意識

 

 日記という文書の効用はここにある。つまり、「記録」としての日記である。

 人間はすぐに何でも忘れてしまうから、文字を発明して、出来事を記録するのである。それが残っているから、歴史学者の仕事が成り立つ。

 人間がその時々の出来事を文字にしていなかったら、歴史を知ることは不可能であり、フランス革命があったことも、いつ、どのようにしてアメリカという国ができたのか、ということも、つい60年前に日本とアメリカは戦争をしていて、日本は原爆を2回も投下され、24万人もの非戦闘員が殺害されたことも、我々は知ることができなかったのだ。


 

 私が時事問題の日記を書くのは、諸々の世の中の問題や矛盾を指摘したり、人の偉業を讃えたりしたいからだが、同時に、自ら様々な社会的事象を自分の頭で言語化することにより、記憶にとどめ、あるいは、いつでも思い出せるようにしておきたいからである。

 犯罪、外交、自衛隊イラク派遣、地球温暖化、デフレ不況、年金問題、憲法改正問題、いずれも平行して存在している、ということを意識するためには、色々な問題に注目して、分からないことは調べて、考えて、自分の所見をまとめて、人に説明できるように文字にすることが極めて有効である。

 単に、ニュース・サイトから、記事をコピーして、エディターか、データベースソフトに貯めておくだけでは、どうも駄目なようである。コピー&ペーストした時点で安心してしまい、記憶には残らない。

 客観的事実を、自分の言葉で再構築することが肝要である。すると、殺人事件が起きたからといって、新潟中越地震や自衛隊がイラクで生命の危機にさらされていることを、頭のどこかにホールドしておくことができる。


◆京都の殺人事件もイラク戦争で子供を殺すのも、その違法性は完全に同一だ。

 

 この度の犯行は、残虐きわまりなく、もう随分前になるが、東京での宮崎勤を思い出させる。

 完全に問答無用で死刑に処すべきであるが、そんなことはあたりまえで、何度も言うべきものではない。

 もう少し、思考を広げるべきだ。日本人は、一人の女児が惨殺されたのに騒ぐのであれば、つい、数日前にイラクのファルージャで米軍に惨殺された子供達のことにも考えを向けるべきだ。

 日本で一人殺されても、これほど、我々はその行為の非倫理性に腹が立つのだ。

 イラクでは、何万人という子供が殺されたし、今も殺されているのだ。戦争中だから仕方がない?馬鹿なことを言ってはいけない。犯罪だろうが、戦争によってだろうが、子供を殺す行為の違法性は、完全に同一である。

 米軍は、「この建物には子供がいる」と分かっている建物に爆撃を加えている。 こう考えると、アメリカが如何に残虐な行為をしているか分かるだろう。

 そして、日本国はその行為を支持しているのである。



◆リンク
 

 本稿に関して、aozoraさんがご自身のblog、トリッチ・トラッチで取り上げて下さいました。

 有り難うございました。

 また、日記才人にご登録のkasa's legitimate squareをご執筆のkasaさんが、日記才人の日記才人 - マイお薦めリストで、当日記をご紹介下さいました。

 有り難うございました。


2003年11月20日(木) 「非戦闘地域」にも派遣できず=自衛隊、イラクでテロ標的に−米専門家 小泉さん。息子さんを自衛隊に入れたら?

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