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いつも、読ませて頂いている日記とは別の日記をランダムに読んでいたら、仕事をしている若い女性の日記に出くわした。この人はどうやら、自分が大変有能である、と自負していて、自分でそう思っていることを表す事は、少しも恥ずかしい事ではない、と考えているようだった。「過去の自分の仕事を読み返して見ると大変幼稚に見える。そのように思える自分は日々、すごく進歩しているのだろうなあ」というような内容で、読んでいる私が赤面してしまった。
そういえば、随分、ながいこと、「謙譲(けんじょう)の美徳」とか、「謙遜する」という日本語を聞いたり、読んだりしていないことに気がついた。「へりくだる」、「遠慮する」「つつましやか」なども同じような方向性を持つ。日本人特有の美しい精神性だと思う。
西洋人、特にアメリカ人は、周知のとおり、そういう観念は持ち合わせていない。「私には、他人に誇る事が出来る、3人の立派な息子がいます」というような表現が、ごく当たり前に出てくる。日本人は自分の身内を「愚息」(愚かな息子、という意味ですね・・・)などという。
国民性の違いである事などは、私も百も承知である。アメリカ人に謙譲の美徳を求めることなど、「無駄」の一語につきる。
私は、しかし、「謙譲の美徳」という精神、即ち、自分は大した者ではありません。何とかやっていけるのも、他人様のおかげでございます、という心の持ち方が好きだ。謙遜することは、マイナス思考ではない。自分に厳しいのである。このような気持ちを日本人が忘れて、私が、私が、となって、自分が得することだけを考えるようになってから、日本がおかしくなり始めたのだろう。
2003年01月03日(金) 「アメリカを査察する計画」に登録した。