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2003年12月10日(水) |
他の国がどのように行動しているかを見て、日本の政策を決定するのは、おかしい。/活動区域にバグダッド加える方針 防衛庁 |
◆他人を見て、自分がどうするかをきめる日本人
学生の頃、比較文化論とか、日本人論というたぐいの本を随分読んだ。典型的な理解は、日本人は農耕民族であり、一箇所で場を共にする集団が社会の単位になっている。そして、一つの集団の中では、個人はなるべく没個性的に他人と同じように行動する事が、集団の「和」を保つために要求されてきた。その精神性が、現代にも残っている、というものである。
勿論、例外的な人はいるだろうが、全体としての日本人の傾向は大体そんなところだと思う。今回、イラクに自衛隊を派遣すべきだという人々の意見の中にしばしば、「他の国々は既にイラクで復興支援活動に従事しているのだから、日本もやるべきだ」とか、「テロリストに脅迫されたからといって自衛隊の派遣を止めたのでは、世界の笑いものになる」という論旨が見られた。
これは、日本人の個人の行動と同じではないか。他人が何をやっているか、他人にどう思われるか、ということが、自分の行動を決める際の規範になっているのである。意識の上では、日本よりも他国の方が常に上位にあるわけで、これは、おかしい。
要するに、女子高生が皆同じマフラーを巻く、とか、OLが一人で昼食を食べると変な人だと思われていやなので、必死になって周りのグループと一緒に食事に行こうとする、とか、隣りの奥さんがゴルフをはじめたので、自分も始めるとか、そういう類の行動起こすのと、自衛隊イラク派遣支持者の精神構造は同じである。
女子高生や、OLはどうでもよいけれども、国家としては、他国の動向を見て、日本がどうするかを決めるというのは、主体性の欠如というもので、主権国家が取るべき行動ではない。
他国がいくら、イラクに人員を派遣しようが、我が国は日本国憲法により、戦闘行為は禁じられている(正当防衛の場合は除いて)のだから、交戦状態になる恐れがある場所に自衛隊を送ることは出来ない、と宣言すればよいのである。
米英はいまだ戦闘状態にある。言い換えれば人殺しを続けているわけである。自衛隊が米英の後方支援を行うということは、人殺しの手助けをするということにほかならない。
憲法を根拠として、「人殺しの手助けをしなかった」ことが理由で、仮に世界の笑いものになったとしても、一向に、構わないのではないだろうか?何ら恥ずかしい事は無い。笑う方が、バカなのである。
フランスとドイツは、イラク戦争当初からこれに反対の意を表明して、今回も兵隊は送らない。終始一貫している。この「一貫性」、しかも、他国の様子を見てから決めるのではなく(ドイツとフランス2国間では、裏で示し合わせているだろうけれど)、「主体的に」国策を決定するということが、重要である。
主体的に、かつ論理的に考えていたならば、繰り返しになるが、日本国憲法に照らして、今回のような派兵は出来なかったはずである。
国際社会の「世間体」を気にして、右往左往するのは、みっともない。
【追加】
◆記事:<自衛隊派遣>活動区域にバグダッド加える方針防衛庁
防衛庁は10日、自衛隊のイラク派遣に向けて策定する実施要項の中で、自衛隊の活動実施区域にバグダッドを加える方針を固めた。バグダッドにある米英占領軍司令部に自衛官を連絡官として派遣する必要があるため。
これにより実施要項はテロや襲撃事件が頻発するバグダッドを「非戦闘地域」と認定しなければならなくなる。(毎日新聞) [12月10日21時36分更新]
◆コメント:バグダッドが非戦闘地域なら、イラク全土が非戦闘地域だといっているようなものだ。気は確かか。
早くも、暴走が始まりつつある。イラク派遣が決まった事により、自衛隊の心理が「戦闘モード」に変化しているのであろう。殆ど正気の沙汰とは思えない。
まだ、日本にいる段階でこのような動きが出るのだから、実際にイラクへ行ったときに、「戦闘行為は行わない」などと悠長なことを言っていられるのか甚だ疑わしい。誰だって、自分が撃たれると思ったら、恐怖心のあまり、先に相手を撃ってしまう可能性がある。このようにして、専守防衛の自衛隊が、軍隊化していく。戦争は人の心を変えてしまうのだ。
2002年12月10日(火) 「田中さんはかわいそう。」スウェーデンの外務省が日本のマスコミを批判。