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JIROの独断的日記
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2003年11月16日(日) 「高橋尚子、七連覇逃す」 しばしば見られる、「社会的否定的思考」

本屋で、(私の嫌いな言葉なのだが)「ビジネス啓発書」とか「女性向き」のコーナーへ行くと、「ポジティブ・シンキング」(positive thinking)とか、「自分をほめてあげよう」などという速成本がずらりと並んでいる。自分の欠点や失敗よりも、長所や成功体験を意識しよう、という、要するにそういうことを薦めている。そういう本が平積みになっているところをみると、良く売れるのだろう。

しかし、人間はイヤな生き物である。話題が他人の事になると、あら探しに夢中になる。長所よりも短所、成功よりも、失敗に目を向けて、批判したり、非難したり、偽善的な同情心を見せる。私はこれを「社会的否定的思考」と勝手に呼んでいる。

高橋尚子選手が今日は非常な不調で、ヘタをするとアテネオリンピックへ出られないかもしれない、という。まず、言いたいのは、そんなことは、高橋選手の個人的な出来事であり、他人が干渉すべき事柄ではない、ということである。

次に述べたいのは、彼女が「マラソンの七連覇を逃した」という、否定的なものの見方をするのは、如何にも一面的思考だということである。七連覇は逃したかも知れないが、今までに六連覇しているのである。それは(失礼な表現になるが)、バケモノのような強さであって、余人をもって替え難い偉業であり、尊敬に値する。

なのに、1回失敗すると、「七連覇を逃した」というのは、あまりにも、不親切である。

高橋尚子にかぎったとではない。オリンピックの競泳種目などで、メダルを期待されていた選手が、6位、7位になろうものなら、マスコミの連中は「惨敗」といってはばからないし、世間もそのようにみなしている。

私はそのたびに、世間の人々に問いたくなる。「貴方は、スポーツに限らず何でも良いから、世界で7番になれるものを持っているのか?」と。答えは言うまでもない。殆どの人間は、世界で100位にもなれないのである。無論、順位がきまるものだけが、人間の営みの全てではない。しかし、そう考えれば、たとえメダルを取れなくても、オリンピックに出場して、決勝にのこって、7位なり、8位になることでも、如何に偉大なことか分かりそうなものである。

他人の仕事は尊敬すべきである。自分が出来ないことを出来る人は尊敬すべきである。そのためには、物事の両面から考える習慣を身につけなければならない。


2002年11月16日(土) 小沢征爾氏がウィーン国立歌劇場音楽監督に就任した意義

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