JIROの独断的日記
DiaryINDEX|past|will
2003年09月26日(金) |
「<石原都知事>曽我さんの母『殺された』 都議会本会議で」石原慎太郎の暴言は常に弱者を攻撃しているのが卑怯だ |
◆記事:<石原都知事>曽我さんの母「殺された」 都議会本会議で 東京都の石原慎太郎知事は25日の都議会本会議で、北朝鮮による拉致事件について触れ「まさに誘拐。袋詰めにされ、十文字にしばられて、さらってみたら片方は年寄りだから、曽我(ひとみ)さんのお母さんなんか殺されたんでしょ。その場で」などと述べながら「血の涙を流してきた家族に対して報いているっていえますか」と外務省を批判した。
◆記事:1999年9月18日、府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)視察後の記者会見 「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって……。しかし、こういうことやってやっているのは日本だけでしょうな。 人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。 ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。 〔安楽死」の意味を問われて〕そういうことにつなげて考える人もいるだろうということ。安楽死させろと言っているんじゃない。」
◆所感:今回の暴言は、同じ暴言でも最もしてはいけない種類のものだ。 石原慎太郎は困った男だ。9月12日の日記で石原慎太郎について批判したが、あの時、標的になったのは外務省の田中局長であった。それでも、けしからんのに、今回はこともあろうに、曾我ひとみさんのご母堂が「殺されたのだろう」と口走った。
はっきり言えば、日本人はみな、大なり小なりそう思っている。石原知事は、だから、口にしても構わないだろうと単純に考えたのだろう。いくら、皆がうすうす感づいている事でも、口にしてはいけない言葉が、世の中にはあるのである。
彼が、どうして、こういう言葉を吐いてしまうかというと、自分が他人の言葉で傷ついた事が無いからではないか、と推察せざるを得ない。これによって、曾我ひとみさんがどういう気持ちになるのか、といういたわりが無いのである。そこが、醜い。
2番目に引用した、重度知的障害者療育施設を見学した後の発言を読むと、絶句してしまう。要するに、石原慎太郎は、重い障害を持っている人は、早く死んだほうが良い、と言っているのである。
そういうことをいえるのは、自分の子供たちがたまたま運良く、何の障害も持たずに生まれ、成長したからである。障害をもった子供の親はたとえ、子供に障害があっても、愛しいのである。その尊い気持ちを、土足で踏みにじった。人間性のかけらも感じられない。
石原慎太郎の暴言は、常に弱者に向けられている。暴言を吐くなら創価学会や暴力団に向かって、吐いてみてもらいたい。自分の身が危なくなるような対象については、無難にすませているところが、姑息だ。
もはや、石原慎太郎氏自身が、人の悲しみを感じられない、一種の人格障害者だと言っても、差し支えないのではないかと思うのである。
|