JIROの独断的日記
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2003年09月12日(金) |
石原慎太郎さんにもどこかで、挫折を知ってもらいたいね。 |
色々な人が既に多くを語っているけれども、一昨日の「爆弾を仕掛けられても当たり前」という言葉は、明らかに大失言である。田中局長が殺されても当然と言っているに等しいからである。
言い換えれば、世界第2位の大国の首都の知事は殺人を容認している、といわれても仕方が無い。
どうして、このように極端なのかな。
日本の多くの政治家はあまりにもはっきりとものを言わなさ過ぎるし、たまにはっきりものを言う人がいると、調子に乗って言い過ぎる。中間が居ないのが頭の痛いところだ。
自分の立場を明確にしてはっきりものをいうのは、原則として良いことだと思う。見た目もなんとなく男らしい感じがして、大衆受けする。
しかし、人間が、あまりにも本音を露骨に吐露した場合、必ず傷つく人がいるものである。
文芸春秋という雑誌は、芥川賞と直木賞という文学賞をもっていて、石原慎太郎は芥川賞の審査員である。芥川賞が発表されるときには、文芸春秋紙上に審査員の講評が掲載されるが、石原慎太郎は、気に入らない作品及びその作者に対して、あまりにも痛烈な酷評を書くので有名である。「みじんの才能も無い」とか「よくもこれだけつまらない小説が書けるものだ」とか、とにかく、そこまで書かなくても良いのではないか、といつも思う。
石原慎太郎自身は、学生時代に「太陽の季節」で芥川賞を受賞し、たぐい稀なる才能の持ち主としてちやほやされてきた。弟は大映画スターだったし、政治家に転身しても一躍注目を浴びた。
世の中には、まれに、このように常に陽の当る道を歩きつづける人がいるのであるが、この手の人物に共通するのは弱者に対して冷たい、という傾向である。
世の中には、一生懸命努力しても報われない人がたくさんいる。人に親切なのに、自分は不幸になる人もいる。世の中は不条理なものである。石原慎太郎はきっと「そんなこと、分かっている。」と思っているだろうが、分かっていない。
どこかで、挫折した事の無い人、コンプレックスが無い人は、優しさに欠ける。
2002年09月12日(木) 快挙!
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