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JIROの独断的日記
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2003年07月09日(水) 民放は大抵「ヤラセ」である。

 もうひと月も前になろうか、フジテレビの安藤キャスターがヤラセの件で番組中で「お詫び」した。その暫く前に放送された「特集」で「終電車の人々」という、「都会の終電車に繰り広げられる人間模様」をドキュメンタリータッチで描いたVTRがあったのだが、実際には、午後8時ごろの電車の中で撮影された映像だった、というのである。

 しかし、このような「ヤラセ」は日常茶飯事らしい。

 所謂「ギョーカイ」に近い人物から聞いた話によると、民放テレビなんていうのは、要するに数字を稼ぐ事が至上課題であり、そのためには、殆ど手段を選ばないそうである。

 一番「ヤラセ」が少なそうな報道番組においてもそれは当てはまる。突発的な事故が起きて、現場の目撃者にインタビューしている場合は、まあ、演出は入っていないが、そうではない奴、例えば「小泉政権についてどう思いますか?」などという緊急性の無い「街頭インタヴュー」は、ヤラセである場合が非常に多い。

 あれは、信じ難いが、多くの場合エキストラ事務所に登録している素人さんをあらかじめ集めておいて、さも、通りすがりの人のように演技させているという。いわれてみれば、皆、素人でテレビカメラに慣れている筈が無いのに、随分落ち着いている。

 それから、ドキュメンタリー番組なんてのは、もっと積極的に演出している。

 これは私自身が目撃したので、断言できる。かつて私がいた部署に、学生時代はあるスポーツの「名選手」として鳴らし、社会人になってからも、まあ無難に出世している人物がいる。

 この人物のドキュメンタリーを撮るというのだが、すごかったね。殆ど「お芝居」である。この人物は、スポーツマンらしさなんか、全然無くて、粘着質の、部下には冷たい、社内では極めて評判が悪い奴なのだが、番組としては、当然それでは困る。部下に慕われる理想の上司になっていなければならない。もう、どういうドキュメンタリーにするか「台本」は決まっているのである。では、どうするか?

 この男に芝居をさせるのである。驚いたねえ、あれを見たときは。

 ディレクターが「主人公」である当の男に注文をつけるのである。「次は、部下に親しみを込めて話し掛けるところを撮ります。あちらから、何気なく歩いてきて、部下(といって1人の若手社員を指し)の肩をポン、と叩いて、『よう、調子はどうだい』と笑顔で話し掛けてください」

 このようにして、現実とは全く異なる好人物として描かれたものが、オンエアされるのである。視聴者は、勿論、そのようなギョーカイの裏側を知らないから、真実だと思い込む。

 私が民放を信じなくなったのは、このような実際の体験によるものである。


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