JIROの独断的日記
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2003年07月07日(月) |
沖縄の中学生殺人事件に思う厳罰主義の必要性 |
昔の日本では、これほど毎日のように人殺しのニュースが伝えられる事はなかった。殺人といえば、大事件だった。いや、いまでも大事件なのである。こういうことに慣れてしまっては、いけないのである。
福岡の一家4人惨殺事件が片付いていないうちに、沖縄ではなんと、高校生と中学生の男子が13歳の中学生を殴って殺して、女子中学生が死体遺棄にかかわったという。
少年犯罪が起きるたびに、新聞は「事前に防ぐことはできなかったのか、社会の責任も問われなければならない」という論旨が必ず現れるが、間違っている。
人を殺した罪は本人が問われるべきである。中学生にもなれば、人を殺していけないことぐらい、分かっている。悪いと知っていて、なお、その行為に及んだのは本人の自由意志に基づいているのであって、本人が悪いのである。
殺人は、いうまでもなく、他の犯罪と一線を画する凶悪犯罪である。それは失われたもの、即ち、被害者の生命は永久に失われる、本当の意味で取り返しがつかない行為だからである。
最近の「少年」は生狡いやつらで、いくら凶悪な犯罪をしでかしても、死刑にはならないことを知っている。たかを括っているのである。こういう輩の「将来」など、考慮する必要はない。社会にとって害悪なのであり、一刻も早く除去すべき要素である。実名公開、検察官への送致を経て、成人と同様の観点から処罰すべきであると考える。
2002年07月07日(日) 独りになること
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