JIROの独断的日記
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2003年05月10日(土) |
宜保愛子さん逝去。 「死後の世界」は・・・ |
いま、表題を書いてから気がついたが、ENPITUに執筆している若い人は、彼女のことをあまり、知らないかもしれない。苗字は「ぎぼ」と読む。
かつて、「霊能者」として一世を風靡した人物である。スタジオで芸能人などと相対してじっと相手を見つめ、相手の先祖のこととか、その人がどんな悩みを持っているか、とか、「あなたの守護霊は、お祖父さんです。この方は生前こんな事をしていた方ですね」とか言い当ててしまう。こういうことを信じない人は、絶対に「やらせ」だと信じていただろう。
しかし、興味深かったのは、こういうたぐいのことを絶対信じそうに無い人が、何人も宜保さんを信じて高く評価していたことである。あの、理屈っぽい映画監督の大島渚氏や、何でも茶化してしまうビートたけしが、自分や先祖の事を言い当てられて、殆ど完全に信じていたのである。大島氏などは先祖供養のやり方を教えられるときに、本当に真剣な表情で「宜保さんの仰ることは、いつも具体的で、実に素晴らしい」などと言っていた。へえ、意外だな、と思った。
私自身は、半信半疑であったが、「霊視」してもらった人たちが、図星を言い当てられた人間特有の、ギョッとしたような表情をするのをみて、本当かもしれない、と思っていた。半分信じるのには他にも理由がある。
一般の人は余り知らないと思うが、医者や看護婦などは意外に「死後の世界」や「霊」の存在を信じている人が多いのである。私は身内に医者が何人もいるのだが、病院の霊安室のあたりで「霊」らしきものを見かけたことが何度もある、というのだ。1人ならまだしも、バリバリの科学的実証主義的思考の訓練を受けている筈の医師が、何人も同じような事を言うので、びっくりした。
勿論、断じて信じないという人もいて、その筆頭は早稲田の大槻教授である。彼は、現代の科学で「死後の世界」があることは証明できないのだから、宜保さんの言っている事は全部、口からでまかせだ、という立場である。
まあ、「死後の世界」は、いずれ、みな経験(?)することだから、今、ムキになる必要はない。
しかし、現時点で存在が証明できない事柄は、存在しないのだ、という論理は変だと思った。存在を証明できないと同時に存在しないことも証明できないからである。
宜保さんが世に現れ、彼女にまつわる論議を聞いていて感じたのは、何事も柔軟に思考する姿勢が大切だ、ということである。世の中、「絶対に断言できる」という場面は、少ないのである。
2002年05月10日(金) 危機管理
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